スギヒメ
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スギヒメ | |
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欧字表記 | Sugi Hime |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1958年3月28日 |
死没 | 1981年8月 |
父 | ヒンドスタン |
母 | サヤニヒル |
母の父 | Sayani |
生国 |
日本 北海道浦河郡浦河町 |
生産者 | 出口留雄 |
馬主 | 小杉咲枝 |
調教師 | 諏訪佐市(中京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 18戦8勝 |
獲得賞金 | 1000万8050円 |
勝ち鞍 |
桜花賞(1961年) きさらぎ賞(1961年) 神戸杯(1961年) 大阪杯(1962年) |
スギヒメ(1958年3月28日 - 1981年8月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・繁殖牝馬。1961年の桜花賞を優勝。
馬齢は2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。
経歴
[編集]デビューから引退まで諏訪真が手綱を取り、1960年(3歳)10月の阪神新馬戦は2着、2戦目の新馬戦→オープンと連勝。1961年(4歳)は京都4歳牝馬特別10着、中京オープン6着と共に人気に支持されながら殿負け。第1回きさらぎ賞で重賞初制覇、桜花賞はこの年からスターティングゲートが採用され、出走頭数は28頭を数えた。スギヒメは4枠18番の2番人気であった。チトセホープに5馬身差をつけて逃げ切る圧勝であったが、優駿牝馬ではチトセホープから4.7秒離された16着と大敗。秋は神戸杯を制した。1962年(5歳)は重賞昇格前の金鯱賞を勝ち、大阪杯では7頭中6番人気ながら重賞4勝目を挙げるが、2着にトキノキロクが入って新旧桜花賞馬ワンツーとなった。ちなみに3着には前年の桜花賞で1番人気に支持されたミスケイコが入り、牝馬が上位独占となった。同年引退。
引退後
[編集]引退後は1963年に繁殖入りし、9頭の産駒を送り出し、ニホンピローホマレ(京都記念 (春))[1]やエリモマーチス(毎日杯・札幌記念)[2]、エースコスモ(ビクトリアカップ・京都大賞典2着)[3]など活躍馬を輩出。
競走成績
[編集]- 1960年(3戦2勝)
- 1961年(12戦4勝)
- 1着 - 桜花賞、きさらぎ賞、神戸杯
- 2着 - 4歳牝馬特別
- 1962年(4戦2勝)
- 1着 - 大阪杯、金鯱賞
※太字は八大競走を含むGI級レース。