スターレス
「スターレス」 | ||||||||
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キング・クリムゾンの楽曲 | ||||||||
収録アルバム | 『レッド』 | |||||||
英語名 | Starless | |||||||
リリース | 1974年10月6日 | |||||||
録音 | 1974年8月 | |||||||
ジャンル | ||||||||
時間 | 12分18秒 | |||||||
レーベル | アイランド・レコード | |||||||
作詞者 | リチャード・パーマー・ジェイムス | |||||||
作曲者 | ||||||||
プロデュース | キング・クリムゾン | |||||||
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「スターレス」[注釈 1](英: Starless)は、キング・クリムゾンの7枚目のスタジオ・アルバム『レッド』(1974年)の最後に収録されている曲。
概要
[編集]1969年に『クリムゾン・キングの宮殿』でデビューして以来、メンバーチェンジを繰り返しながら[注釈 2]常に新たなサウンドを探求してきた1970年代のキング・クリムゾンの最後を締めくくる[4]にふさわしい壮大な楽曲である。プログレッシブ・ロックはイエスの『危機』(1972年)やピンク・フロイドの『狂気』(1973年)などの代表作によって1970年代前半に最高潮に達していた。しかし1970年代半ばからパンク・ロックが台頭すると、その人気、音楽性ともに衰退の一途をたどった。「スターレス」はそのような衰退が始まる寸前の1974年に発表され、プログレッシブ・ロックの鎮魂歌とも称される重要な作品になった。
アメリカの音楽誌ピッチフォークは、本作を「キング・クリムゾンが録音した曲の中で最も素晴らしいもの」と絶賛している[5]。また、イギリスの音楽誌ラウダー・サウンドは、史上最高のプログレッシブ・ロックソング100曲の中から、本作を第9位に選出した[2]。
2014年に始まったトリプルドラム期にも再びレパートリーとして取り上げられ、アンコールの最後で披露されることが多くなった[注釈 3]。「最後の世界ツアー」とアナウンスされた2021年の「MUSIC IS OUR FRIEND」ツアーでも度々披露され、世界最終公演となった同年12月8日の東京公演(渋谷オーチャードホール)ではアンコールの最後に演奏されて彼等の歴史を締めくくった。
制作
[編集]キング・クリムゾンはロバート・フリップ(ギター、メロトロン)、ジョン・ウェットン(ベース、ヴォーカル)、デヴィッド・クロス(ヴァイオリン、ヴィオラ、メロトロン)、ビル・ブルーフォード(ドラムス、パーカッション)の4人編成で、1973年3月からほぼ年内一杯をアメリカとヨーロッパのツアーに明け暮れた後、1974年1月7日にジョージ・マーティンがロンドンに所有していたAIRスタジオで新作アルバムの制作を開始した[6]。
ウェットンは以前書いたバラード「Starless And Bible Black」をキング・クリムゾンの新曲として録音しようと考えた。彼はこの原題を詩人ディラン・トマスのラジオ劇「アンダー・ミルク・ウッド (Under Milk Wood)」の一節から引用した[6]。1月末、彼はドイツ在住の作詞家で前作『太陽と戦慄』(1973年)からキング・クリムゾンの楽曲の作詞を引き受けるようになった同郷の旧友リチャード・パーマー・ジェイムスと共に同曲を書き直し、2月1日には両親の家でピアノとカセット・レコーダーを用いてデモ・テープを作成した[7]。3月上旬に4日間に渡って行なわれたリハーサルで、彼はアコースティック・ギターを弾いて同曲をメンバーに披露したが、期待に反してフリップとブルーフォードは同曲を嫌って録音を拒否した[7][8][注釈 4]。結局「Starless And Bible Black」という原題だけが採用され、アルバム・タイトルと収録曲の一つである即興のインストゥルメンタル[注釈 5]のタイトルに流用された。
リハーサルのわずか数日後、ウェットンはフリップ達に頼まれて同曲を再び披露した。その結果、一度は葬り去られたはずの同曲はフリップとクロスが書いたメロディとコード、ブルーフォードが自宅でピアノを弾いて書いたエイトノートのベースのモチーフが付け加えられて[7]、3月15日のリハーサルを経て10分を超える大作に生まれ変わった[7]。彼等は同月にアルバム『暗黒の世界』を発表すると、3月19日から4月2日までヨーロッパ・ツアー、4月11日から7月1日まで[注釈 6]北米ツアーを敢行して精力的な活動を繰り広げ、本作を未発表曲として披露した[注釈 7]。
クラシック音楽畑出身のクロスは会場の音響の不備やロックならではの大音量に疲弊し[9]、ツアー終了と同時に脱退した[10][注釈 8]。フリップら3人は帰国直後の7月8日にロンドンのオリンピック・サウンド・スタジオに入り[11]、8月にかけて新作アルバムをレコーディングした。本作も収録されることになり、パーマー・ジェイムスによって歌詞の一部が再度手直しされ[4][注釈 9]、冒頭のヴァイオリンのパートがギターに置き換えられ、元メンバーのイアン・マクドナルドとメル・コリンズ[注釈 10]をゲストのサクソフォーン奏者に迎えて制作された。前作に収録されたインストゥルメンタル「Starless And Bible Black」との混同を避けるために曲名が「Starless」に短縮された[12]。
構成
[編集]本作の長さは12分18秒で、アルバム『レッド』の収録曲の中で最長である。前半はメロトロンとギターの主題で始まり、サックスを絡めた抒情的なボーカル曲である。中間部は、4分の13拍子で構築される。ウェットンのベースから始まり、フリップが2本の弦で単音のフレーズを反復させ、ブルーフォードの不規則なパーカッションが加わって徐々に緊張を高めていく。後半は、再びサックスが加わってスピード感のあるジャジーなサウンドに一変し、激しいギター、ベース、緻密なドラミングは、8分の13拍子までテンポを上げる。最後は、前半のメロディーをリプライズし、メロトロンとサックスの主題で幕を閉じる[13]。
カバー
[編集]「スターレス」はニール・モーズ、マイク・ポートノイなどによってカバーされている。作曲家クレイグ・アームストロングのアルバム『As If to Nothing』(2002年)では「Starless II」として収録されている。元メンバーのイアン・ウォーレスが結成したCrimson Jazz Trioのアルバム『King Crimson Songbook Volume One』(2005年)ではジャズのアレンジが施された。
ライブ演奏では、ウェットンが結成したスーパーグループのエイジア、彼がゲストボーカリストを務めたハンガリーのシンフォニック・ロックバンドのアフター・クライング[14]、マクドナルドとコリンズが参加したトリビュートバンドの21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドがカバーした。
日本では俳優の髙嶋政宏がソロシングル「こわれるくらい抱きしめたい」のB面で、ANTHEMの柴田直人がカバーアルバム『STAND PROUD! II』(1999年)で取り上げた。モルゴーア・クァルテットは弦楽四重奏に編曲した[15]。
備考
[編集]- 2018年に公開されたニコラス・ケイジ主演の映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』のオープニングで、冒頭部分が使用されている[16]。
パーソネル
[編集]- ジョン・ウェットン - ボーカル、ベース
- ロバート・フリップ - ギター、メロトロン
- ビル・ブルーフォード - ドラムス、パーカッション
- ゲスト
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日本発売当時の邦題は「暗黒」である。
- ^ 1969年に結成されたキング・クリムゾンは1971年11月まで4作のアルバムを発表する度にメンバー・チェンジを繰り返し、メンバーを一新して再出発した1972年10月からは3作のアルバムを発表する度にメンバーを失っていった。
- ^ キング・クリムゾンのセットリストは日替わりであり、本作も毎回演奏された訳ではない。
- ^ ウェットンによると、フリップ達は「何の反応も示さず、ただ自分達が履いていた靴の先っぽを見つめていた」。彼は冷たくかつ残酷に拒否されたと受け取った。
- ^ 前年11月のアムステルダム公演で収録された。
- ^ 5月の一時帰国の後、6月4日から二巡目が始まり、7月1日にセントラル・パークで行なわれたニューヨーク公演で幕を閉じた。
- ^ 『ザ・グレイト・ディシーヴァー〜ライヴ1973-1974』(1992年USA』(1975年)の30周年記念CD(2002年)に、'Starless'として収録された。 )やライヴ・アルバム『
- ^ バンド側から脱退を勧告されたという話しもある。
- ^ 彼は本作の歌詞を合計4回書き直したという。
- ^ 2014年に始まったトリプルドラム期のメンバーであり、復活した同曲を約40年ぶりに演奏した。
出典
[編集]- ^ “The Road to Red”. rollingstone.com (2014年1月3日). 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b “The 100 Greatest Prog Songs Of All Time”. loudersound.com (2018年3月26日). 2022年5月10日閲覧。
- ^ “King Crimson talks ever-changing band,music”. Foster's Daily Democrat (2017年11月9日). 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b Smith (2019), p. 440.
- ^ “Red King Crimson”. pitchfork.com (2017年9月10日). 2022年4月22日閲覧。
- ^ a b Smith (2019), p. 172.
- ^ a b c d Smith (2019), p. 175.
- ^ Bill Bruford (2009). The Autobiography: Yes, King Crimson, Earthworks, and More. Jawbone Press. ISBN 978-1-90-600223-7
- ^ Smith (2019), pp. 181–184.
- ^ Smith (2019), pp. 185–189.
- ^ Smith (2019), p. 190.
- ^ “John Wetton (King Crimson, U.K., Asia): The Complete Boffomundo Interview” (2016年9月15日). 2022年4月22日閲覧。
- ^ “King Crimson Red”. sputnikmusic.com (2010年5月17日). 2022年4月22日閲覧。
- ^ “STRUGGLE FOR LIFE”. PROG ARCHIVES (2005年7月4日). 2022年4月22日閲覧。
- ^ “結成20周年を迎える、モルゴーア・クァルテット~『21世紀の精神正常者たち』”. TOWER RECORDS (2012年5月21日). 2022年12月20日閲覧。
- ^ “Nicolas Cage's Slasher Freakout 'Mandy' Makes Prog Rock Kick Ass”. vice.com (2018年10月11日). 2022年5月7日閲覧。
引用文献
[編集]- Smith, Sid (2019). In the Court of King Crimson: An Observation over Fifty Years. Panegyric. ISBN 978-1916153004