コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

スバル・レオーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スバル・レオーネ
概要
別名 いすゞ・ジェミネットII1988年から1994年いすゞ自動車へのOEMモデル
日産・AD1994年以降のOEMモデル)
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1971年-2001年
※自社生産としては1994年まで。
ボディ
エンジン位置
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
系譜
先代 スバル・ff-1 1300G
後継 スバル・レガシィ
スバル・インプレッサ
テンプレートを表示

レオーネ(LEONE)は、富士重工業(現・SUBARU)で生産されていた自動車である。

1970年代前半から1980年代後半にかけてスバルの基幹車種であった。OEMを除く歴代の全モデルがスバル1000以来の伝統である水平対向エンジンを採用し、スペアタイヤはエンジンルーム内に収納されていた。サッシュレスドアやステーションワゴンといったスタイル、そして四輪駆動(4WD/AWD)の技術は後のレガシィインプレッサの基礎となった。

Leoneイタリア語で「雄ライオン」を意味し、「勇者」を想起させる言葉である[1][2]。レオーネは「獅子座宮星座」、「雄ライオン」、「勇者」という意味を込めて命名された[3]

初代(1971年-1979年)

[編集]
スバル・レオーネ(初代)
A21/22/62/64/65型
4ドアセダン16004WD
クーペ1600RX/A
概要
販売期間 1971年 - 1979年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2/4ドアセダン
2ドアクーペ
2ドアハードトップ
ライトバン
駆動方式 前輪駆動 / 四輪駆動
パワートレイン
エンジン 1.4 L水平対向4気筒OHV
93PS/6,800rpm
11.0kgf·m/4,800rpm
変速機 3速AT
4速/5速MT
サスペンション
ストラット式
セミトレーリングアーム式
車両寸法
ホイールベース 2,455 mm
全長 3,995 mm
全幅 1,500 mm
全高 1,385 mm
車両重量 775 kg
その他
車種 クーペ1400GSR
販売終了前月までの新車登録台数の累計 39万9576台[4]
系譜
先代 スバル・ff-1 1300G
テンプレートを表示

初代は1971年10月7日に発売され、当初はクーペモデルのみの展開(グレードはDL・GL・GS・GSR)で、スバル・ff-1 1300G シリーズと併売されたが、1972年4月、2/4ドアセダン(スタンダード・DL・GL・カスタム・スーパーツーリング)、1.1Lモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダード・DL・スバル初の4WD)が追加され、ff-1からの世代交代を完了した。CMには歌手の尾崎紀世彦をイメージキャラクターおよびCMソング[注釈 1]で起用するなど、それまでのスバルからは大きくイメージの異なる広告手法を採用した。

当時のトレンドおよび提携先の日産自動車の影響が感じられるロングノーズ・ショートデッキの抑揚の強いデザインを持ち、メカニズム的にもフロントブレーキが特徴的なインボードブレーキから一般的なアウトボードブレーキに変更されたり、スポーツモデルのステアリングギア比が遅くされるなど、スバル・1000/ff-1の技術至上主義を抑え、より市場に受容される「商品」としての性格を強めようとする意図が感じられた。スバル・360/サンバー/1000まで全てのスバル車の基本設計を担当してきた百瀬晋六を、日産自動車との業務提携が成立した1968年8月に設計本部から技術本部に移し、レオーネの設計に関わらせなかったことも、新型車レオーネの性格を決定付けている。しかし、レオーネの代になってスバル・1000/ff-1シリーズのシンプルな機能美が失われた点は、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いカーグラフィックなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。

一方、レオーネの進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアをバン[注釈 2]を含む全車に採用したことが挙げられる。サッシュレスドアは富士重工業にとっては1960年の試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、近年まで採用を続けていたが、インプレッサフォレスターでは2007年のフルモデルチェンジとともに一般的なサッシュドアに移行し、最後までサッシュレスドアを採用していたレガシィ2009年の5代目へのモデルチェンジによりラインナップから一旦姿を消した[注釈 3]。1972年8月1日、エステートバンに4WDを設定。前年に東北電力の要請に応じて数台が注文生産された「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験をつぎ込んだ「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初めて世に送り出された。それまで四輪駆動といえば、ジープに代表されるラダーフレーム構造のクロスカントリータイプの車(オフローダー)を意味し、大量生産された乗用車タイプの四輪駆動車はほぼ存在しなかったが[注釈 4]、これ以降、他社の乗用車にも四輪駆動車が設定されるようになった[5]。さらに同年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速MTを装備したホットモデル・「RX」[注釈 5]が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、大衆向けの量産車としては日本初となる総輪ディスクブレーキを装備していたことが特筆される。ちなみにレオーネは、パーキングブレーキが前輪に効くようになっているので、いわゆるサイドターンは出来ない。本車種以降に登場したSUBARUのボクサーエンジン搭載車は、給油口が車両右側についている。

1973年6月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角がクーペから若干立てられ、15mm全高が高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリングを特徴とした。続いて1973年10月のマイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリルが変更され、インパネが先に発売されたハードトップと統一デザインとなった。またこの際、セダン1100は1200にスケールアップされ、エステートバンにはFFのトップグレードとして1400GLを新設定。当時の商用車としては珍しく、前輪ディスクブレーキ(マスターバック付)を標準装備していた。

1975年1月20日にはエステートバン4WDに続いて世界初の量産4WD乗用車「4ドアセダン4WD」が、同じく日本の前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに設定)と同時に発売された[注釈 6]。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更、セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトとなった。同年10月には、SEEC-Tと名付けられた排気ガス浄化方式により(ツインキャブのスポーツ系も含めて50年規制を飛び越え一気に)全車51年排出ガス規制適合を果たした。パワーダウンを補うために、車種構成全体で1.2L→1.4L、1.4L→1.6Lへと排気量アップが行われた。CMキャラクターは怪人二十面相

1977年4月には、日本初の全車53年度排気ガス規制適合を達成、スポーツカーが軒並み淘汰された他社を尻目にツインキャブのスポーツモデルも引き続き生き残り、スバルファンのみならず当時の車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジが実施され、ボディサイズを拡幅、リヤトレッドも50 mmのサイズアップとなった。どことなくアルファロメオを思わせるシンプルな造形のフロントマスクやキャラクターラインの整理、リアデザインの変更によって、初期型に比べるとかなりクリーンな外観となった。インテリアにはホンダシビックで流行させたアッパートレイ付きのダッシュボードが備わる。この機会にセダン・カスタムは新設定の最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。CM出演者は太地喜和子

同年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名から拝借した「グランダム」(GrandAm)[注釈 7]なる車種を追加した。同車は北米仕様と共通の大型衝撃吸収バンパーや派手な色調の内外装を特徴とした。グランダムでのCM出演者は西郷輝彦

同年10月、北米の1978年モデルに合わせるタイミングで、輸出専用ピックアップトラックブラットが発売された。

2代目(1979年-1984年)

[編集]
スバル・レオーネ(2代目)
AB2/4/AM2/AF5/AJ5型
4ドアセダン1.8L 4WD(後期型)
エステートバン1.8L 4WD
概要
販売期間 1979年 - 1984年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
2ドアクーペ
5ドアステーションワゴン/ライトバン
3ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動 / 四輪駆動
パワートレイン
エンジン 1.8L水平対向4気筒OHV
100PS/5,600rpm
15.0kgf·m/3,600rpm
変速機 3速AT
4速/5速MT
サスペンション
ストラット式
セミトレーリングアーム式
車両寸法
ホイールベース 2,370 mm
全長 3,980 mm
全幅 1,620 mm
全高 1,415 mm
車両重量 930 kg
その他
車種 スイングバック1.8L4WD
生産終了前月までの新車登録台数の累計 20万7862台[6]
テンプレートを表示

1979年6月1日、フルモデルチェンジを実施し2代目(ザ・ニューレオーネ)に移行する。スバルとしては3代目サンバー以来6年ぶりの新型車である。

ボディサイズを拡大し、フロントサスペンションには日本製のFF車としては初となるゼロスクラブとハイキャスター寄りにセッティングされたマクファーソンストラットコイルが採用され、更に1.8Lエンジンが設定されるなど、中型大衆車を強く意識した設計となった。CM出演者は、1979年秋から1981年末までが岩崎宏美1982年秋から1983年末までが原辰徳

ボディタイプは、2代目アウディ・80に良く似た6ライト[注釈 8]の4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、リアオーバーハング270 mm、ホイールベース80 mmを短縮し、全長を4 m以下に抑えた3ドアハッチバックが用意された[注釈 9]。スイングバックには1.3L 4輪ドラムブレーキの廉価版や、ツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。また、好評の4WDモデルもセダン、エステートバン(ライトバン)、スイングバックに用意された。さらにセダン最上級の1800GTSにはいずれもスバル車初のパワーステアリングパワーウインドウオートエアコンが装備可能であった。また、悪路走行のために1.8Lの4WD車にはデュアルレンジと呼ばれる副変速機が搭載され、4速MTを前進8段、後進2段の超クロスミッションとして使用できるようになった。

以上のように、広範な客層・価格帯をカバーするラインナップとなった2代目レオーネであったが、エンジンの動弁機構は依然としてOHVのままで、3速ATや手動式チョーク、4WDのMT車が5速ではない[注釈 10]など、時代遅れな面が隠せなくなってきていた。

1981年6月2日にマイナーチェンジを実施。4ドアセダン1800とハードトップをフェイスリフトし、異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルは流行の規格型(SAE[要曖昧さ回避])の角型4灯を持つ比較的シンプルな顔つきに改められた。また全車種のリアコンビランプの表面形状が当時のメルセデス・ベンツ流の、汚れても被視認性が確保される凹凸面タイプに変更された。

同月25日には、スバル初の5ナンバーステーションワゴンとなる「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30 mmかさ上げした二段ルーフ[注釈 11]を採用し、装備を4ドアセダン 1800 4WD / 1800 GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った[注釈 12]。ツーリングワゴンの名は後のレガシィツーリングワゴンに引き継がれることになる。

1981年11月、日本初の4WD+ATの組み合わせを持つ「レオーネ1800cc4WDオートマチック」をセダンとツーリングワゴンに追加。後輪駆動用のトランスファーに、世界初となる「湿式油圧多板クラッチ MP-T」を採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が4WDシステムを中心に再び復活の兆しを見せ始めた。このMP-TはATのライン油圧を利用するため、MT車には装備されなかった。

1982年11月には折からのターボ車ブームに乗り、日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1.8L、グロス120PS、燃料噴射方式)をセダンとツーリングワゴンに追加(AT車のみ)、翌1983年7月には4ドアセダンに1800FFターボと1600 4WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD 1.8Lツインキャブのスポーツモデル「RX」(グロス110 PS)に一本化し、FF車を廃止した。しかし、他社の1.8Lターボ車がグロス135PSという時代において、レオーネは動弁機構がOHVであることから最高許容回転数は5,500rpmに過ぎず、最高出力もグロス120PS止まりであった。このため、1980年代に起こったパワー競争で遅れをとっているのは否めなかった。

1982年ダカール・ラリーでスイングバックは欧州のプライベーターにより運用され、現在までスバル車唯一となるステージ勝利・ラリーリーダーを記録した(結果はマシントラブルでリタイア。この年優勝はルノー・20 4x4だった)[7]

1983年10月には、4WDターボに油圧式車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加し、ATにロックアップ機構を付けた。こうした4WD車種の積極的な拡充の結果、レオーネのユーザーは4WDに価値を求める層が大半となり、他社の廉価なライバル車が数多く存在したFFモデルはその影に隠れる地味な存在となっていった。

3代目へのモデルチェンジ後も海外向けの3ドアハッチバック(日本名・スイングバック)とブラットは2代目ベースのまましばらく生産された。

モデル後期(上記写真の『ALL THE NEW LEONE』)の頃はドアミラー装着解禁の過渡期であり、イメージリーダーとしてレオーネのドアミラー装着車の写真(4WDターボモデルやツインキャブハードトップモデル)が広告などで掲載されるようになった。

3代目(1984年-1994年)

[編集]
スバル・レオーネ(3代目)
AA2/3/4/5/AL3/5/7/AG4/5/6型
セダン(前期型輸出仕様)
ツーリングワゴン GT/II(後期型)
クーペ RX/II
概要
販売期間 セダン:1984年 - 1992年
ワゴン:1984年 - 1989年
クーペ:1985年 - 1989年
ライトバン1984年 - 1994年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
3ドアクーペ
5ドアステーションワゴン/ライトバン
駆動方式 前輪駆動 / 四輪駆動
パワートレイン
エンジン 1.8 L水平対向4気筒ターボ
135 PS/5,600 rpm
20.0 kgf·m/2,800 rpm
変速機 3速/4速AT
5速MT
サスペンション
ストラット式
セミトレーリングアーム式
車両寸法
ホイールベース 2,465 mm
全長 4,410 mm
全幅 1,660 mm
全高 1,455 mm
車両重量 1,435 kg
その他
車種 ワゴンGTターボ
ステアリング ラック&ピニオン
系譜
後継 スバル・レガシィ
スバル・インプレッサ
スバル・レオーネバン(日産・ADOEM)
テンプレートを表示

「オールニューレオーネ」と名乗る[8]3代目は1984年(昭和59年)7月16日に、まず4ドアセダンとして発売され、10月25日に3ヵ月遅れでツーリングワゴン/エステートバンが追加された[注釈 13]

ボディサイズは一回り大型化されて当時流行の直線的なものになり[8]、フラッシュサーフェス化されて「Cd値=0.35」という良好な空力特性が大きくアピールされた。その一方で従来型にあった個性的な武骨さは薄れたため、スバルファンの中には「スバルらしさが無い」という意見もあった。

水平対向4気筒「EA型」エンジンは、1.8 Lのみ「EA81型」のバルブ作動方式をスバル・1000以来のギア駆動のカムシャフトによるOHVからタイミングベルト駆動のカムシャフトによるOHCに改めた「EA82型」に進化し、わずかながらも高回転化が可能となって高出力化(ターボの場合、グロス135 PS、ネット120 PS)された。

変速機は5速MTが採用されたが、先代以来の装備である「デュアルレンジ」副変速機も引き続き採用され、走行中の実質変速段数は10段にまで達していた。最上級グレードのGTにはエアサスペンションが採用され、車高調整機能の「ハイトコントロール」もついていた。

1985年11月 - ドアミラーを、フロントドアガラス前方に追加されたガセットに固定するタイプに変更し、下級グレードのハーフホイールキャップの意匠を変え、GT・GRにサンルーフ装着車を設定する小変更を行い、新たに「3ドアクーペ」シリーズを発売した。

デビュー当初のマニュアルトランスミッション車の4WDシステムは依然パートタイム方式で、アウディ・クワトロ以来のフルタイム化の流れに取り残されていたが、国内初のマニュアルトランスミッションのフルタイム4WD乗用車のマツダ・ファミリア4WD(1.6 Lターボ)に僅かに遅れて、1986年(昭和61年)4月発売の「3ドアクーペRX-II」(1.8 Lターボ)から、傘歯車(ベベルギヤ)とバキューム・サーボ式のデフロック付きのセンターデフの採用によってセンターデフ付きフルタイム4WD化され、10月にはセダン/ワゴンにも採用が拡大された。このとき、セダン/ワゴンのフロントグリルとリアコンビネーションランプの意匠変更が行われた。

1987年10月 - 電子制御式4速AT「E-4AT」採用とあわせ、それまでのMP-T4WDから専用のコントロールユニットによるパルス制御によって前後トルク配分を予測制御する「ACT-4[注釈 14]」(電子制御MP-T)と呼ばれる、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させ、ようやくフルタイム化の時流に追い着いた。

1988年9月 - エステートバンをいすゞ自動車ジェミネットIIとしてOEM開始。

1989年2月 - レガシィの発売により、クーペ、ツーリングワゴン、セダン1.8 L車が販売終了し、販売車種がセダン1.6 Lのマイア/マイアIIとエステートバン1600LCのみに縮小された。

1992年10月、インプレッサの発売によりセダンが販売終了。廉価版は警察の捜査車両としても多数導入されていた。

1993年7月 - いすゞ自動車へOEMしていたジェミネットIIの供給終了。

1994年3月 - 日産自動車からADバンのOEM供給が開始され、エステートバンの販売終了。自社生産としてのレオーネは23年の歴史に幕を閉じた。販売終了前月までの国内新車登録台数の累計は20万2734台。[9]

本車がスバルの主力車種だった1980年代後半には、好調なレオーネのアメリカ向けの輸出に依存をしていた中で起こったプラザ合意による円高や、デザインこそ流行に合わせたものであったが、スバル・1000から基本設計が変わらないエンジンプラットフォーム、3速しか無いAT、手動式チョークなど、設計の旧態化が進んだことなどにより販売台数が伸び悩んだことで富士重工業の業績悪化を招いてしまった。このため、打開策として開発されたのが、初代レガシィである。

4代目レオーネバン (OEMモデル)(1994年-1999年)

[編集]
日産・AD > スバル・レオーネバン

1994年4月 - 当時の業務資本提携先であった日産自動車からのOEM供給で、Y10型ADバンを「レオーネバン」として販売開始。

1994年10月 - 1.5L 2WD車と1.7Lディーゼル 4WD車を追加。

1997年5月 - マイナーチェンジ(1.5Lガソリンエンジンをキャブレターから電子制御化など)。

5代目レオーネバン (OEMモデル)(1999年-2001年)

[編集]
日産・AD > スバル・レオーネバン

1999年6月 - ADバンのモデルチェンジにあわせてY11型の販売開始。YD22DDディーゼルエンジン+4WD(5MTのみ)の設定もあった。

2001年3月 - 軽自動車の規格変更に伴うサイズアップでサンバーバンと競合するようになったことから、税金や検査の点で不利になっているレオーネバンの販売を終了。「レオーネ」の車名は30年の歴史に幕を閉じるとともに、富士重工業は小型貨物車市場から撤退した。

幻の4代目

[編集]

1991年頃、自動車専門誌等で長らく不在だったレガシィとジャスティの中間車種が開発中であると報道された。この時点では正式な車名が決定しておらず、専門誌などでは「おそらく『レオーネ』になるのではないか」と推測されていたが、実際には『インプレッサ』という車名で発売され、レオーネの復活は幻に終わった。なお、特殊な事情によってレオーネが国民的人気を獲得していたイスラエルでは、現地代理店がその知名度にあやかってインプレッサを『グランドレオーネ』と名付けて販売し、この措置は1996年まで続けられた。

4WD乗用車のパイオニア

[編集]

前述の通りレオーネは一般的な乗用車としては初めて4WD車をラインナップした車種である。当初は業務用がメインで販売台数も極めて少なかったが、ラリーでの活躍などを通して独自のスポーツ性を築き、現在まで続く「スバル=4WD(AWD)」のイメージを作り上げた。外観は普通のサルーンでありながら高い悪路走破性を持つことから、山間部や降雪地域の一般ユーザーに重宝された。また、スキーなどを楽しむ層にも支持され、日本で初めて4WDのステーションワゴンを発売した。

レオーネの4WD車は、時にはオフロードをも含む悪路や、雪国での実用面が考慮されているため、乗用車としては最低地上高がやや高めである[注釈 15]。また、対地障害角も大きくとられており、短めの前後オーバーハングや地面に干渉しにくいバンパーデザインも特徴である[注釈 16]。このように合理的かつ良心的な設計であったが、同時にレガシィ以前のスバル車共通の「雪国向け・田舎くさい・垢抜けない」というイメージを作ってしまったことは否めない。

1983年(昭和58年)からは路面状況に応じて車高を上下できるハイトコントロール機能を搭載したグレードが用意された[注釈 17]

車名の由来

[編集]

「レオーネ (LEONE) 」とはイタリア語で雄ライオンの意味で転じて「勇者」を表す[注釈 18]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 「どこから来たのかおまえと俺」作詞:伊藤アキラ/作曲・編曲:荒川康男
  2. ^ バンサッシュレスドアを採用することは世界的にも珍しく、いすゞ自動車ジェミネットIIとしてOEM供給が開始されるまでの間と、ジェミネットIIとしてのOEM供給が終了してから自社での生産が終了するまでの間、日本国内で発売されるバンとしては、唯一サッシュレスドアを採用していた。
  3. ^ その後、スバルのサッシュレスドア車は2012年に発売されたBRZ姉妹車トヨタ・86を含む)で復活している。
  4. ^ 発想自体は1960年頃から欧州メーカーで見られ、ジェンセン・FFがスバルより早く発売している。また乗用車を四輪駆動へ換装する業務を行う会社も欧州にはいくつかあったが、量産車メーカーが安定した供給を実現した四輪駆動の乗用車は他に類がなかった。
  5. ^ 「RX」は、「Rally - X」=「ラリー競技での可能性、未知なるもの」に由来する。RXの名は後のインプレッサWRX(現・WRX)に引き継がれる。
  6. ^ エステートバンは、日本の自動車法制度上では4ナンバーの商用車」で、乗用車版はなかった。ただし、リアシートを固定式にする等の小改造で5ナンバー登録も可能で、広く行われていた。
  7. ^ 「Grand America」からの造語。「大いなるアメリカ、偉大なるアメリカ」の意。
  8. ^ シックスライトとは、6つの窓という意味で、リアドアガラスにつながる、オペラウインドウより天地寸法の大きな窓をCピラーに持つスタイルのこと。
  9. ^ スイングバックの事実上の後継車はジャスティである。
  10. ^ 通常、オーバードライブギヤを収めるスペースを4WDトランスファーギヤにあてたためである。
  11. ^ 当時の日本では混同されがちであったバンとワゴンの差別化のために採用された。このスタイルは4代目レガシィまで受け継がれた。
  12. ^ ツーリングワゴン発売の9年前、1972年の東京モーターショーに「4WDスポーツアバウト」と称するワゴンに近いショーモデルが出品されていた。これは初代のエステートバンをドレスアップしたもので、後席の可倒機構が備わっていないなど、市販を想定したモデルではなかった。
  13. ^ 既に販売上大きな比率を示していたツーリングワゴンの発売が3か月遅れたのは、運輸省(現・国土交通省)の新型車型式認定の際、発売の遅れた2車種について、事前に提出していた書類上の車両重量より実際の型式認定検査車両が軽量だったため、前後バンパーに重量調整用の鉛を詰め、再検査を故意に逃れようとしたことが発覚したためであった。
  14. ^ Active Torque split-4WD
  15. ^ 現在のいわゆるクロスオーバーSUVに近い車高である。ただし、それらとは異なり外観意匠は普通の乗用車である
  16. ^ これらの特徴もモデルチェンジ毎に薄れて行くが、3代目レオーネがベースとなったアルシオーネは、スペシャリティーカーとしては例外的に、レオーネと同じような最低地上高とバンパー形状を有し、独特の佇まいを見せる。
  17. ^ レガシィ(初代~3代目)とインプレッサ(初代)にもレオーネのように車高調整可能なエアサス車が存在した
  18. ^ 「レオーネ(LEONE)」の商品名は日本国内向けであり、海外では「SUBARU」にボディ形状、グレード名を続けた表記となっていた。アメリカでは1974年、1975年に限り、スバルの「星」にちなんだ「スター(Star)」が使われ、1991年、北米市場へのレガシィ投入後は、便宜的に三代目レオーネに「ローヤル(Loyale)」という名称が与えられた。

出典

[編集]
  1. ^ SUBARUの歴史 > 1970年代”. SUBARU. 2021年9月22日閲覧。
  2. ^ Patrick Hanks (2003). Dictionary of American Family Names. Oxford University Press. pp. 424. ISBN 978-0195081374 
  3. ^ @SUBARU_CORP (2019年11月18日). "きょうはしし座流星群の極大日だそうですが、SUBARUの"しし"といえば1971年発売の「レオーネ」。"獅子座宮星座""雄ライオン""勇者"という意味を込めて、その名が付けられました。". X(旧Twitter)より2021年9月22日閲覧
  4. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第7号17ページより。
  5. ^ 『絶版日本車カタログ』三推社・講談社75頁
  6. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第8号13ページより。
  7. ^ [1982 Vic ELFORD / Lucien BECKERS - SUBARU SWINGBACK n°157]
  8. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p90
  9. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第11号21ページより。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]