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タトラT3R

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タトラT3 > タトラT3R
タトラT3R
T3R(車体更新車、ブルノ市電
基本情報
製造所 ČKDタトラ
種車 タトラT3
製造年 1996年 - 1997年
製造数 10両
改造年 1994年 - 1998年
改造数 2両
投入先 ブルノ市電プラハ市電
主要諸元
編成 1 - 2両編成
軸配置 Bo'Bo'
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V(第三軌条
設計最高速度 65 km/h
車両定員 91人(着席22人)
最大160人
車両重量 17.3 t
編成長 15,104 mm(連結器含)
全長 14,000 mm
全幅 2,500 mm
全高 3,615 mm(集電装置含)
車体高 3,075 mm
床面高さ 925 mm
車輪径 700 mm
固定軸距 1,900 mm
台車中心間距離 6,400 mm
出力 188 kw
制御方式 電機子チョッパ制御GTO素子)
制御装置 TV8形
制動装置 発電ブレーキドラムブレーキばね式ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7]に基づく。
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タトラT3Rは、かつてチェコプラハに存在した鉄道車両メーカーのČKDタトラが製造した路面電車車両。同社が展開していたタトラT3を基に、車体設計や機器の近代化を実施した形式である[1][2][3]

概要

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開発までの経緯

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ビロード革命による民主化やビロード離婚による分割を経たチェコスロバキア各都市の路面電車は財政難が大きな課題となっており、新型電車の導入と並行して既存の車両の車体や機器の近代化が積極的に行われた。その中で、チェコブルノで路面電車(ブルノ市電)を運営するブルノ運営会社チェコ語版(現:ブルノ公共交通会社)は、チェコスロバキア時代から長期に渡って路面電車車両の製造を行っていたČKDタトラボギー車(単車)のタトラT3の近代化工事を依頼し、1995年に1両の更新が実施された。これを受け、ČKDタトラは当時既に製造を終了していたT3の需要が未だ高いと判断し、この更新車両を元にしたモデルチェンジ車両を新たなラインナップとして展開する事を決定した。これらの車両は纏めて「T3R」と呼ばれる[1][2][3]

構造

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開発にあたり重視されたのは、従来のタトラT3と比較しての運用コストの削減、保守の手間の軽減、快適性の向上であった[1]

車体形状は従来のT3を基にした設計を取り入れたが、前面形状は近代都市を意識した新たなデザインに変更され、インダストリアルデザイナーパトリック・コタスチェコ語版によって設計された。この前面デザインは、以降近代化工事が施されたタトラカーにも多数採用される事となった。車内は運転室と客室が仕切りによって区切られる構造になっており、座席は進行方向を向いた1人掛けの布張り座席が左右に1列づつ配置されていた。乗降扉は折戸ではなく両開きのプラグドアが用いられた[1][8]

電気機器については、制御装置が従来の抵抗制御方式から電機子チョッパ制御方式に変更され、消費電力が大幅に削減された他保守の簡素化も実現した。装置はゲートターンオフサイリスタ(GTO)方式のTV8形と絶縁ゲートバイポーラトランジスタ(IGBT)方式のTV14形から選択可能であった。補助電源を供給する電動発電機についても、定格600 V / 24 Vの静的コンバータへと交換された。また、運転台のモニターから機器の状況が確認出来る管理システムや情報通信システムも搭載された[1]

運用

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ブルノ

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1659 + 1660(2007年撮影)

T3Rの最初の導入先となったブルノ市電には、まず1985年製のタトラT3SUCSの部品を用いた機器流用車(車体更新車)が試作車として1両(1615)製造される事になり、1995年に完成した後1996年にブルノに到着し、試運転を経て翌1997年3月から営業運転を開始した。続いて1996年4月から新造車両が運用に就き、翌1997年までに10両(1659 - 1668)が導入された。これらは電気機器としてTV8形制御装置を用いており、新造車両は同形式と2両編成を組んで使用されている[2][3][4][5]

プラハ

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保存されている8205の前面(2006年撮影)

チェコ首都プラハプラハ市電には、1994年から1998年にかけて同市電の修理工場でタトラT3(6329)の台車や機器を流用したタトラT3Rが1両(8205)試作された。制御装置にはブルノ市電同様、GTO素子のTV8形が用いられた。1999年4月から営業運転に使用されたものの、故障が頻発し幾度も運用を離脱した結果2005年に廃車され、翌2006年に解体された。ただし先頭部分は残存し、以降は修理工場前に保存されている[6]

関連形式

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T3RF(ブルノ

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし2両については発注のキャンセルによりブルノ市電に導入された。

出典

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  1. ^ a b c d e f ČKD Praha Holding, a.s. Tramwaj Typu T3R (PDF) (Report). 2020年4月8日閲覧
  2. ^ a b c d Martin Černý; Jan Horník; Robert Kindl; Michal Ročňák; Martin Ročňák; Milan Šrámek (2002). Malý atlas městské dopravy 2002. Gradis Bohemia. pp. 60. ISBN 978-80-902791-5-5 
  3. ^ a b c d kolektiv autorů (2000). 100 let elektrické pouliční dráhy v Brně : 1900-2000. Dopravní vydavatelství Wolf. pp. 84-85. ISBN 978-80-902791-5-5 
  4. ^ a b Vozidla brněnské městské dopravy”. Dopravní podnik města Brna. 2020年4月8日閲覧。
  5. ^ a b Bc. Martin Šiler; doc. Ing. František Bartes, CSc. (2018年). NÁVRH INOVAČNÍ STRATEGIE TRAMVAJOVÝCH VOZIDEL DPMB (Report). VYSOKÉ UČENÍ TECHNICKÉ V BRNĚ. pp. 62–63. 2020年4月8日閲覧
  6. ^ a b tramwaje - T3” (チェコ語). Opravna tramvají. 2020年4月8日閲覧。
  7. ^ Tram.vcrの投稿(10156520048020819) - Facebook
  8. ^ Licenční výroba” (チェコ語). KVAZER Plus s.r.o.. 2020年2月14日閲覧。
  9. ^ Tramcar T3RF Model Basic Features”. SKD Trade. 2020年4月8日閲覧。
  10. ^ Martin Hemzal (2008年7月15日). “Rekonstrukce tramvají T3”. BMHD.cz. 2020年4月8日閲覧。