タトラT7
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タトラT7 タトラT7B5 | |
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T7B5(モスクワ市電) | |
基本情報 | |
製造所 | ČKDタトラ |
製造年 |
1988年(試作車) 1993年(量産車) |
製造数 |
4両(試作車) 4両(量産車) |
運用終了 | 2010年(モスクワ市電) |
投入先 |
プラハ市電、モスクワ市電(導入先) オスロ市電、ヨーテボリ市電(譲渡先) |
主要諸元 | |
編成 | 1両 |
軸配置 | Bo'Bo' |
軌間 | 1,435 mm、1,524 mm |
電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
最高速度 | 65 km/h |
車両定員 | 160人(着席40人) |
車両重量 | 20.0 t |
車体長 | 15,300 mm |
車体幅 | 2,500 mm |
車体高 | 3,145 mm |
主電動機出力 | 50 kw |
駆動方式 | 4基 |
出力 | 200 kw |
制御装置 | TV3(サイリスタチョッパ制御) |
備考 | 主要数値は[1][2][3]に基づく。 |
T7は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したČKDタトラが製造した路面電車車両(タトラカー)。従来車を改良する形で設計が行われ、ソビエト連邦向けのT7B5が製造されたが、社会情勢の変化から総数は8両のみに終わった[1][2]。
概要・運用
[編集]1985年からソビエト連邦向けに生産が行われていたT6B5を基に、各部に改良を加えた形式。乗降扉や前面形状が変更され主電動機の出力が50 kwに向上した一方、車体重量はT6B5(18.4 t)よりも重い20 tとなった。制御装置はT6B5と同様にサイリスタチョッパ制御方式のTV3形が用いられた[1][2][4]。
1988年に最初の試作車2両が製造されチェコの首都・プラハのプラハ市電で試験を兼ねた営業運転に用いられたが、1両は2002年に廃車された一方、もう1両は1991年にČKDタトラの工場で改造を受け、ノルウェーの首都・オスロを走るオスロ市電へ譲渡された。1995年にイベント用車両として改造された後、1999年以降はスウェーデンのヨーテボリ市電に在籍している[1][5]。
更に同1988年にはもう2両の試作車が製造され、プラハ市電での短期間の使用を経てソビエト連邦(現:ロシア連邦)のモスクワ(モスクワ市電)に導入された。1993年にはモスクワ市電向けの量産車が製造されたが、東側諸国の民主化やソビエト連邦の崩壊などの社会の変化により4両の生産に留まった。これらの車両は2010年まで定期運転に使用され、2020年現在も一部が保存車両として残存している[1][2][3]。
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e Ryszard Piech (2008年3月18日). “Tramwaje Tatry na przestrzeni dziejów (3) od KT8 do upadku” (ポーランド語). InfoTram. 2020年1月25日閲覧。
- ^ a b c d “Tatra T7B5” (チェコ語). Tramwaje.net. 2020年1月25日閲覧。
- ^ a b “День московского транспорта: выставку старинных трамваев продлят до вечера” (ロシア語). Mos.ru (2009年6月24日). 2020年1月26日閲覧。
- ^ Ryszard Piech (2008年3月18日). “Tramwaje Tatry na przestrzeni dziejów (2) od KT8 do T6” (ポーランド語). InfoTram. 2020年1月25日閲覧。
- ^ “Vagn M30 100” (スウェーデン語). Spårvägssällskapet Ringlinien. 2006年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月25日閲覧。