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ダット・アサワリ (フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダット・アサワリ
基本情報
建造所 ヴォスパー・ソーニクロフト
(ウールストン, イギリス)
運用者  リビア海軍
艦種 フリゲート
級名 ヴォスパーMk.7
前級 トブルク
次級 コニ型
艦歴
発注 1968年2月6日
起工 1968年9月27日
進水 1969年10月13日
竣工 1973年2月1日
その後 1992年以降、係留練習艦として使用
要目
基準排水量 1,325トン
満載排水量 1,650トン
全長 101.6 m
11.08 m
吃水 3.36 m
機関 CODOG方式
主機パクスマン ベンチュラ16YJCM
 ディーゼルエンジン×2基
TM2Aガスタービンエンジン×2基
推進 可変ピッチ・プロペラ×2軸
出力 46,400馬力 (ガスタービン)
3,500馬力 (ディーゼル)
速力 37.5ノット
航続距離 5,700海里 (17kt巡航時)
乗員 132名
兵装55口径114mm単装速射砲×1基
70口径40mm単装機銃×2基
90口径35mm連装機銃×2基
シーキャット短SAM
 3連装発射機×2基
オトマートSSM×4発
 ※後日装備
リンボーMk.10対潜迫撃砲×1基
FCS NA-10 mod.2 砲・ミサイル用
C4ISTAR IPN-10戦術情報処理装置
レーダー ・AWS-1 対空・対水上捜索用
 →RAN-10S 対水上捜索用
RAN-12L/X 対空捜索用
 ※後日装備
・RTN-10X 火器管制用×2基
・デッカTM-1229 航法用
ソナーディオドン
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ダット・アサワリDat Assawari, F01)は、リビア海軍フリゲートイギリスヴォスパー (Vosper & CompanyMk.7フリゲートの設計を採用している[1][2][3][4]

来歴

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イギリスヴォスパー (Vosper & Companyは、旧イギリス植民地を含む開発途上国への艦船輸出事業に期待して、1960年8月には政府から後援を受けるための交渉に着手していた[4]。まずガーナ海軍 (Ghana NavyがMk.1コルベット2隻を発注し、これはクロマンツェ級コルベットとして1964年より就役を開始した[5]リビア海軍も砲艦仕様の1隻を発注し、これは「トブルク」として1966年に竣工した[3]

一方、同社はこれと並行して、ガスタービンエンジン搭載の高速フリゲートの開発も行っており[4]、1966年にはイラン帝国Mk.5フリゲート4隻を発注していた[6]1968年2月6日には、リビアも、同系列のMk.7フリゲート1隻を発注した。これによって建造されたのが本艦である[1][2][3]

設計

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上記の経緯より、本艦はヴォスパーMk.7フリゲートの設計を採用している。これは先行してイラン海軍向けに建造された上記のMk.5フリゲート(サーム級)と同系列で、やや大型化したものであった[4]。主機はサーム級と同様のCODOG構成で、ガスタービンエンジンは同系列のロールス・ロイス オリンパスTM2Aが搭載されたが、ディーゼルエンジンは「トブルク」と同型のパクスマン ベンチュラ16YJCMに変更された[2][3]。推進器はKaMeWa社製の可変ピッチ・プロペラとされた[1]

装備

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レーダーとしては、当初はプレッシー社のAWS-1が搭載されていたが、1979年からの改修の際に、RAN-12L/XおよびRAN-10Sに換装されたほか、航法用のデッカTM-1229が追加された。またIPN-10戦術情報処理装置も搭載された[2][3]

艦砲としては艦首甲板に55口径114mm単装速射砲(Mk.8 4.5インチ砲)を搭載した。また艦尾に90口径35mm連装機銃(エリコンGDM-A)を搭載したほか、対空兵器として、船首楼甲板前端部にシーキャット個艦防空ミサイルの3連装発射機が搭載されたが、こちらは1979年からの改修の際にアルバトロスの4連装発射機に換装された[1][2][3]

対艦兵器としてはイタリア製のオトマート艦対艦ミサイルを採用し、艦尾甲板に単装発射筒4基を設置した。対潜兵器としてはリンボーMk.10対潜迫撃砲が搭載されていた。その後、1979年からの改修の際に、A244短魚雷および324mm3連装魚雷発射管(ILAS-3)に換装された。またこの際にディオドン・ソナーも搭載された[1][2][3]

艦歴

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海上公試イギリスポートランドで行われ、1973年秋にトリポリに回航された。その後、1979年より、ジェノヴァのCNR社において近代化改修が開始された。途中、1980年10月29日に爆弾テロによって損傷するというアクシデントもあったが、1983年3月には公試に入り、10月1日に再就役した。しかし1984年には大規模な機関修理が必要となってイタリアに戻され[1]、1985年6月にようやくリビアに回航された[2]

1989年から1990年にかけて大規模修理が行われた[3]。その後、ジェノヴァの造船所でのオーバーホールを経て、1992年にはトリポリに回航され、以後は非可動の保管状態で、係留練習艦として用いられている[7]

出典

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  1. ^ a b c d e f Sharpe 1989, p. 360.
  2. ^ a b c d e f g Prezelin 1990, p. 351.
  3. ^ a b c d e f g h Gardiner 1996, pp. 255–256.
  4. ^ a b c d Friedman 2012, pp. 196–217.
  5. ^ Gardiner 1996, p. 157.
  6. ^ Gardiner 1996, pp. 183–185.
  7. ^ Wertheim 2013, p. 426.

参考文献

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  • Friedman, Norman (2012). British Destroyers & Frigates - The Second World War & After. Naval Institute Press. ISBN 978-1591149545 
  • Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325 
  • Prezelin, Bernard (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212505 
  • Sharpe, Richard (1989). Jane's Fighting Ships 1989-90. Janes Information Group. ISBN 978-0710608864 
  • Wertheim, Eric (2013). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 16th Edition. Naval Institute Press. ISBN 978-1591149545 

関連項目

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