コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

チャック・フィンリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャック・フィンリー
Chuck Finley
現役時代
(1996年6月8日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州モンロー
生年月日 (1962-11-26) 1962年11月26日(62歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト1巡目
初出場 1986年5月29日
最終出場 2002年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

チャールズ・エドワード・フィンリーCharles Edward Finley, 1962年11月26日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州モンロー出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

[編集]

エンゼルス時代

[編集]

1984年のMLBドラフトカリフォルニア・エンゼルスから15巡目に指名を受けるが契約せず。

1985年1月の2次ドラフトでエンゼルスから1巡目(全体4位)に指名を受け入団。

1986年はA級で10試合に登板し、12イニングを無失点に抑える好投を見せ、一気にメジャー昇格を果たした。5月29日のデトロイト・タイガース戦でデビュー。ほとんどが敗戦処理としての起用だったが、3勝1敗、防御率3.30の成績を残す。チームは地区優勝し、ポストシーズンのロースター入りを果たす。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでも3試合に登板し無失点に抑えたが、チームは3勝4敗で敗退しリーグ優勝を逃した。

1987年は2勝7敗、防御率4.67に留まる。

球団はオフに大ベテランドン・サットンを解雇し、ジェリー・ロイスとも再契約しなかったため、1988年は先発に転向するが9勝15敗、防御率4.17に終わる。

1989年5月26日のレッドソックス戦で、被安打1でメジャー初完封を記録。6月24日のボルチモア・オリオールズ戦で15奪三振完投勝利を挙げるなど前半戦で10勝を記録し、オールスターゲームに初めて選出される。最終的に16勝9敗、防御率2.57を記録した。

1990年フリーエージェントで加入したマーク・ラングストン、前年にデビューしたジム・アボットと左腕トリオを組み、前半戦で11勝を記録し、2年連続のオールスターゲームに選出される。18勝9敗、防御率2.40を記録し、サイ・ヤング賞の投票で7位に入る。オフの日米野球に参加し、最終第8戦でランディ・ジョンソンとの継投でノーヒットノーランを達成した[1]

1991年は前年に続き18勝を記録するが、防御率は3.80と大幅に悪化した。

1992年は不調で7勝12敗に留まるが、1993年に16勝14敗、防御率3.15、リーグ最多の13完投を記録し復活。

1994年1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、リーグ最多の183.1イニングを記録。

1995年は開幕から4連敗を喫するが、5月23日のニューヨーク・ヤンキース戦で15奪三振完封勝利。5年ぶりにオールスターゲームに選出され、15勝を挙げる。チームは2位に最大11ゲーム差を付け、地区優勝をほぼ手中に収めていたが、終盤に2度の9連敗を喫してシアトル・マリナーズと同率で並ばれ、ワンゲーム・プレーオフで敗れて地区優勝を逃した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。

1996年は15勝、キャリアハイの215奪三振を記録。1997年は故障で25試合の登板に留まる。同年ホワイトスネイクプロモーション・ビデオ"Here I Go Again" などで有名な女優のタウニー・キテーンと結婚[2]

1998年1999年は共に2桁勝利・200イニング・200奪三振を記録した。オフに再びフリーエージェントとなった。

インディアンス時代

[編集]

1999年12月16日にクリーブランド・インディアンスと契約。

2000年は4年ぶりにオールスターゲームに選出され、16勝11敗、防御率4.17の成績を残したが、チームは地区6連覇を逃し、ワイルドカード争いでもマリナーズに1ゲーム差で敗れた。

2001年は首と左肩の筋痙攣で故障者リスト入りし[3]、22試合の登板に留まったが、チームは地区優勝を果たす。15年ぶりのポストシーズンとなったマリナーズとのディビジョンシリーズでは第2戦と第5戦に先発したが2敗、防御率7.27と振るわず、チームも2勝3敗で敗退した。

DV被害事件

[編集]

2002年は開幕3連戦が敵地での古巣エンゼルス戦であったため、ニューポートビーチにある自宅に滞在していた。試合のなかった4月1日の夜に妻と夕食に出掛けたが、帰りの車中で口論となり、運転中にもかかわらず興奮した妻に耳をつね上げられ、ハイヒールで腕や足などを所構わず蹴られた。何とか愛車レンジローバーをコントロールし自宅に辿り着いたが、匿名の通報により警察が到着、彼の傷を見てタウニーを逮捕し48時間拘束した[2][4][5]逮捕時の写真。 妻へのDV逮捕されたメジャーリーガーにはペドロ・アスタシオフリオ・ルーゴなどがいるが、逆のケースついては表面化することが少ないこともあり、世間の注目を集めた[6]。 彼女は前年11月にも車へのいたずらで逮捕されており、4月18日には裁判が開かれる予定であった[7]4月3日の登板予定日に彼は球場に現れず、GMマーク・シャパイロに「球場に行くって気分じゃないし、今日は投げられないと思う」と電話をかけ、急遽ライアン・ドリースが先発した[8]。突然先発が早まったドリースは勝利投手となった[9]

1999年のスポーツイラストレイテッド誌で夫婦揃って水着姿を披露するなど[10]、仲睦まじいと思われていた夫婦だったが、4月4日に裁判所に離婚の申し立てを行い終焉を迎えることとなった。その後も子供の養育権や金銭面、また彼がドラッグステロイド剤を使用していたと暴露したりと、争いが続いた[11](ステロイド剤の使用に関しては特定はされていない[12])。離婚直後の4月16日、敵地USセルラー・フィールドでのシカゴ・ホワイトソックス戦で先発したが、球場の音楽ディレクター、ジョー・スティーブンが、ホワイトスネイクの"Here I Go Again"を、タウニーの出演部分に矢印をつけてスクリーンに流すという嫌がらせ行為をした。これに動揺したのか2回途中9失点で降板して敗戦投手となり、チームの連勝は10でストップ。ホワイトソックスは後日スティーブンを解雇し、フィンリーに謝罪した[13]。騒動が影響したのか4勝11敗、防御率4.44だった。

カージナルス時代

[編集]

2002年7月19日にココ・クリスプ他1選手との交換トレードでセントルイス・カージナルスへ移籍。

移籍後はシーズン最後の登板となったミルウォーキー・ブルワーズ戦で通算200勝を達成するなど7勝4敗、防御率3.80を記録し、チームの地区優勝に貢献した。アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのディビジョンシリーズでは第2戦に先発し、7回途中を無失点に抑え勝利に貢献する。サンフランシスコ・ジャイアンツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、バリー・ボンズに3点本塁打を浴びるなど5回4失点ながら勝利投手となったが、チームは1勝4敗で敗退しリーグ優勝はならなかった。同年限りで現役を引退。

エンゼルス時代の背番号「31」は、正式な永久欠番ではないが、準永久欠番扱いで現在でも着けている選手はいない。

選手としての特徴

[編集]

落差の大きいカーブスライダーの中間のような「スラーブ」とスプリットフィンガード・ファストボールを決め球にしていたため、振り逃げを許すケースがしばしばあり、「1イニング4奪三振」を史上最多の3回記録している。近年落ちる球を使う投手が多くなり増加傾向にあるとはいえ、長いMLBの歴史でも2011年終了時点で60回(うち1990年以後が39回)しかなく、現時点で他に通算2回以上記録している投手はA.J.バーネット(現役、2011年までに2回)しかいない。

シーズン2桁勝利は通算12回、15勝以上も通算7回記録し、ランディ・ジョンソントム・グラビンらと共に1990年代を代表する左腕投手の1人だった。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1986 CAL
ANA
25 0 0 0 0 3 1 0 -- .750 198 46.1 40 2 23 1 1 37 2 0 17 17 3.30 1.36
1987 35 3 0 0 0 2 7 0 -- .222 405 90.2 102 7 43 3 3 63 4 3 54 47 4.67 1.60
1988 31 31 2 0 0 9 15 0 -- .375 831 194.1 191 15 82 7 6 111 5 8 95 90 4.17 1.40
1989 29 29 9 1 0 16 9 0 -- .640 827 199.2 171 13 82 0 2 156 4 2 64 57 2.57 1.27
1990 32 32 7 2 0 18 9 0 -- .667 962 236.0 210 17 81 3 2 177 9 0 77 63 2.40 1.23
1991 34 34 4 2 0 18 9 0 -- .667 955 227.1 205 23 101 1 8 171 6 3 102 96 3.80 1.35
1992 31 31 4 1 0 7 12 0 -- .368 885 204.1 212 24 98 2 3 124 6 0 99 90 3.96 1.52
1993 35 35 13 2 2 16 14 0 -- .533 1065 251.1 243 22 82 1 6 187 8 1 108 88 3.15 1.29
1994 25 25 7 2 2 10 10 0 -- .500 774 183.1 178 21 71 0 3 148 10 0 95 88 4.32 1.36
1995 32 32 2 1 0 15 12 0 -- .556 880 203.0 192 20 93 1 7 195 13 1 106 95 4.21 1.40
1996 35 35 4 1 0 15 16 0 -- .484 1037 238.0 241 27 94 5 11 215 17 2 124 110 4.16 1.41
1997 25 25 3 1 0 13 6 0 -- .684 690 164.0 152 20 65 0 5 155 10 2 79 77 4.23 1.32
1998 34 34 1 1 0 11 9 0 -- .550 976 223.1 210 20 109 1 6 212 8 0 97 84 3.39 1.43
1999 33 33 1 0 0 12 11 0 0 .522 913 213.1 197 23 94 2 8 200 15 0 117 105 4.43 1.36
2000 CLE 34 34 3 0 0 16 11 0 0 .593 936 218.0 211 23 101 3 2 189 9 0 108 101 4.17 1.43
2001 22 22 1 0 0 8 7 0 0 .533 495 113.2 131 14 35 0 2 96 1 0 78 70 5.54 1.46
2002 18 18 1 0 0 4 11 0 0 .267 458 105.1 114 6 48 3 0 91 1 0 56 52 4.44 1.54
STL 14 14 1 1 0 7 4 0 0 .636 351 85.1 69 7 30 3 1 83 2 0 41 36 3.80 1.16
'02計 32 32 2 1 0 11 15 0 0 .423 809 190.2 183 13 78 6 1 174 3 0 97 88 4.15 1.37
MLB:17年 524 467 63 15 4 200 173 0 0 .536 13638 3197.1 3069 304 1332 36 76 2610 130 22 1517 1366 3.85 1.38
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 1997年にCAL(カリフォルニア・エンゼルス)は、ANA(アナハイム・エンゼルス)に球団名を変更

年度別守備成績

[編集]


投手(P)












1986 CAL
ANA
25 8 8 0 1 1.000
1987 35 6 11 1 1 .944
1988 31 5 24 1 1 .967
1989 29 4 16 2 0 .909
1990 32 14 21 5 2 .875
1991 34 11 16 2 3 .931
1992 31 3 17 3 1 .870
1993 35 10 26 5 0 .878
1994 25 9 17 4 1 .867
1995 32 4 18 4 3 .846
1996 35 9 28 3 4 .925
1997 25 2 17 0 0 1.000
1998 34 13 24 3 4 .925
1999 33 7 28 3 1 .921
2000 CLE 34 11 20 4 1 .886
2001 22 2 11 3 0 .813
2002 18 3 16 3 2 .864
STL 14 1 7 0 0 1.000
'02計 32 4 23 3 2 .900
MLB 524 122 325 46 25 .907
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 59(1986年)
  • 31(1986年 - 2002年)

脚注

[編集]
  1. ^ ベースボールマガジン2012年11月号74ページ
  2. ^ a b Tawny Kitaen Arrested”. Buzzle.com (2002年4月9日). 2008年2月13日閲覧。
  3. ^ The Official Site of The Cleveland Indians: Team: Transactions”. Mlb.com. 2008年2月13日閲覧。
  4. ^ Baseball - Wife of Cleveland pitcher Finley arrested”. CNNSI.com (2002年4月4日). 2008年2月13日閲覧。
  5. ^ "Bachelor Party" Babe Kitaen Busted”. E! News (2002年4月4日). 2008年2月13日閲覧。
  6. ^ Celebrity Watch: Hall of Shame”. 2008年2月13日閲覧。
  7. ^ Tawny Kitaen Arrested”. Buzzle.com (2002年4月9日). 2008年2月13日閲覧。
  8. ^ Baseball - Wife of Cleveland pitcher Finley arrested”. CNNSI.com (2002年4月4日). 2008年2月13日閲覧。
  9. ^ April 3, 2002 Cleveland Indians at Anaheim Angels Play by Play and Box Score”. Baseball-Reference.com. 2008年2月13日閲覧。
  10. ^ SI.com - Swimsuit Collection - Chuck Finley”. SI.com. 2008年2月13日閲覧。
  11. ^ Kitaen: Finley Abuses Booze, Pot, Steroids”. The Smoking Gun. 2008年2月13日閲覧。
  12. ^ List of Steroid Users, Implicated Players, Suspensions”. Baseball's Steroid Era. 2008年2月13日閲覧。
  13. ^ Page2 - Who let the prudes out?”. ESPN.com. 2008年2月13日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]