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テリー・テイラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テリー・テイラー
テリー・テイラーの画像
1987年
プロフィール
リングネーム テリフィック・テリー・テイラー
スケアリー・テリー・テイラー
テレンス・テイラー
レッド・ルースター
ドクター・フィールグッド
本名 ポール・W・テイラー3世
ニックネーム The Taylor Made Man
身長 185cm - 187cm[1]
体重 102kg - 113kg[1]
誕生日 (1955-08-12) 1955年8月12日(69歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウスカロライナ州の旗 サウスカロライナ州
グリーンビル郡グリーンビル
デビュー 1979年
引退 1995年
テンプレートを表示

テリー・テイラーTerry Taylor、本名:Paul Worden Taylor III1955年8月12日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーブッカーサウスカロライナ州グリーンビル出身。

ブッカーとしての才能をビンス・マクマホンダスティ・ローデスに認められ、現役引退後の1995年からはクリエイティブ・スタッフの立場でWWEWCWを股にかけて活動、マンデー・ナイト・ウォーズが激化していた両団体のバックステージで辣腕を振るった[2]

2000年代TNAにてタレント・リレーション部門のディレクターを務め[3]2013年からはWWEパフォーマンス・センターのトレーナーを担当している[2]

来歴

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エディ・グラハムにスカウトされ、1979年NWAフロリダ地区CWFにてデビュー[1]ベビーフェイスの新鋭として各地を転戦し、1980年4月25日にアラバマSECWにてバッドニュース・ハリスからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取[4]。同年8月22日にはジョージアGCWにてNWAナショナルTV王座の初代王者に認定され[5]、翌1981年1月には中西部CSWにて、バズ・タイラーからNWAセントラル・ステーツTV王座を奪取している[6]。同年6月7日にはジム・クロケット・プロモーションズのテリトリーだったバージニア州ロアノークにおいて、レス・ソントンを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した[7][8]

1982年からはAWAの提携団体だったテネシー州メンフィスCWAに参戦、8月30日にスティーブ・カーンと組んでスウィート・ブラウン・シュガー&ボビー・イートンからAWA南部タッグ王座を奪取[9]。翌1983年ジャック・ルージョー・ジュニアとAWA南部ヘビー級王座を争い[10]、同年12月1日にはバディ・ランデルを下してCWAミッドアメリカ・ヘビー級王座にも戴冠した[11]

1984年より、ビル・ワットが主宰するミッドサウス地区のMSWAに定着。金髪の二枚目ベビーフェイスとして女性ファンの支持を集め、6月16日にクラッシャー・クルスチェフからミッドサウスTV王座を奪取[12]1985年3月13日にはテッド・デビアスを破り、フラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得している[13]1986年にMSWAが団体名をUWFと改称してからもベビーフェイス陣営の主力となって活躍、同年5月25日にはバズ・ソイヤーからUWF世界TV王座を奪取した[14]

タッグでは、1986年12月27日にジム・ドゥガンと組んでビル・アーウィン&レロイ・ブラウンからUWF世界タッグ王座を奪取[15]。ドゥガンの離脱でタイトルが空位になると、翌1987年2月7日に行われた新王者チーム決定トーナメントにクリス・アダムスと組んで出場、決勝で若手時代のスティング&リック・スタイナーを破って王座に返り咲いた[15]。8月3日にはシェーン・ダグラスを下して再びUWF世界TV王者となるが、UWFがNWAのジム・クロケット・ジュニアに買収されると、11月26日の『スターケード1987』にてNWA世界TV王者のニキタ・コロフとUWFとNWAの両TV王座統一戦を行い[14][16]、この試合に敗れたことを機に団体を離脱。

その後はテキサス州ダラスのWCWAにて、1988年2月26日にマット・ボーンからテキサス・ヘビー級王座を奪取[17]アイスマン・キング・パーソンズをパートナーに、ケビン&ケリー・フォン・エリックを破ってWCWA世界タッグ王座も獲得した[18]

1988年7月、デビアスの仲介でWWFへ移籍。レッド・ルースターThe Red Rooster)と名乗ってヒールに転向して、ボビー・ヒーナン率いるヒーナン・ファミリーの一員となり、11月24日の『サバイバー・シリーズ1988』ではハルク・ホーガン&ランディ・サベージのチームと対戦した[19]。翌1989年1月7日の『サタデー・ナイト・メイン・イベント』でヒーナンと仲間割れしてベビーフェイスに戻るが、選手層の厚いWWFではミッドサウス時代のような活躍は果たせず、1990年6月にWWFを退団[2]

WWF離脱後の1990年7月、全日本プロレスに初来日。田上明川田利明小橋健太とのシングルマッチやジャイアント馬場&ラッシャー木村とのタッグマッチが組まれ、スタン・ハンセンのパートナーとなってテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスとも対戦した[20]

同年下期よりWCWに参戦、ヒールとして女性マネージャーのアレキサンドラ・ヨーク率いるヨーク・ファウンデーションに加入する。1992年2月17日にはグレッグ・バレンタインと組んでロン・シモンズ&ビッグ・ジョッシュからWCW USタッグ王座を奪取した[21]。同年8月には新日本プロレスの『G1クライマックス』に来日して、NWA世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場。1回戦で馳浩から不戦勝を収めたが、準々決勝で佐々木健介に敗退した[22]

帰国後の1992年9月、"テリフィック" テリー・テイラー"Terrific" Terry Taylor)の名でWWFに復帰。ヒールのカラー・コメンテーターも兼任したが、翌1993年8月にWCWに戻り、ベビーフェイスの中堅として1994年まで在籍。その後、シカゴのAWFを経て、1995年に現役をセミリタイアしてブッカーとしてWCWに復帰。エリック・ビショフケビン・サリバンらと共に『マンデー・ナイトロ』のシナリオ作成を担当した[2]

2015年

以降、ブッカーやライターなどクリエイティブ・スタッフとしてWCWとWWFを行き来し、ライバル関係にあった両団体の番組構成(WCWの『マンデー・ナイトロ』とWWFの『ロウ・イズ・ウォー』)に横断的に携わるようになる[2]1998年から1999年にかけてはアティテュード路線最盛期のWWFに所属していたが、2000年よりシナリオ・ライターのビンス・ルッソーらと共にWCWに復職[2]2001年3月のWCW崩壊後はカナダオンタリオ州のボーダー・シティ・レスリングに参画した[2]

2002年9月より『スマックダウン』のロード・エージェントとしてWWEに迎えられたものの、翌2003年7月に解雇[2]。以降はTNAを中心に活動し、2004年1月にはIWAジャパンに来日した[23]

2011年5月20日付でTNAを離れ、WWEに復職。2013年からはNXTのトレーニング施設であるWWEパフォーマンス・センターのトレーナーを務めている[2]

得意技

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獲得タイトル

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ナショナル・レスリング・アライアンス
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回[4]
  • NWAサウスイースタンTV王座:1回[24]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナルTV王座:1回[5]
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回[25]
セントラル・ステーツ・レスリング
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • AWA南部ヘビー級王座:3回[10]
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / スティーブ・カーン[9]
  • CWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回[11]
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:2回[27]
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション / ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ボーダー・シティ・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング(インディー)

脚注

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  1. ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P230(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f g h i j k Terry Taylor”. Online World of Wrestling. 2012年11月18日閲覧。
  3. ^ TNA News: Sources say VP of talent relations fired Friday”. Pro Wrestling Torch (May 20, 2011). 2012年11月18日閲覧。
  4. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  5. ^ a b NWA National Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  6. ^ a b NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  7. ^ a b NWA World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  8. ^ Les Thornton - What you DIDN'T know!: By Terry Taylor”. SLAM! Sports (February 23, 2005). 2010年2月20日閲覧。
  9. ^ a b AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  10. ^ a b NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  11. ^ a b NWA/CWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  12. ^ a b Mid-South Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  13. ^ a b North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  14. ^ a b c UWF World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  15. ^ a b c UWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  16. ^ NWA Starrcade 1987”. Cagematch.net. 2015年11月1日閲覧。
  17. ^ a b Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  18. ^ a b WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  19. ^ WWF Survivor Series 1988”. Cagematch.net. 2015年11月1日閲覧。
  20. ^ The AJPW matches fought by Terry Taylor in 1990”. Wrestlingdata.com. 2015年11月1日閲覧。
  21. ^ a b WCW United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
  22. ^ The NJPW matches fought by Terry Taylor in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年11月1日閲覧。
  23. ^ The IWA Japan match fought by Terry Taylor in 2004”. Wrestlingdata.com. 2015年11月1日閲覧。
  24. ^ NWA Southeastern Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  25. ^ NWA National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  26. ^ NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  27. ^ CWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。
  28. ^ WCW World 6-Man Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月1日閲覧。

外部リンク

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