テレポート6 (北海道放送)
テレポート6 | |
---|---|
ジャンル | 報道番組 |
出演者 | キャスター参照 |
製作 | |
制作 | 北海道放送 |
放送 | |
音声形式 | モノラル |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1975年2月3日 - 1999年12月28日 |
放送時間 | 放送時間の変遷を参照 |
テレポート6(テレポートシックス)は、北海道放送(HBCテレビ)で1975年2月3日から1999年12月28日まで放送されていた夕方のローカルニュース番組である。
概要
[編集]1975年2月、北海道におけるローカルワイドニュースの先駆けとしてスタートした。放送開始当初、本番組が放送されていた夕方に放送される番組は、再放送を含めたアニメ番組がほとんどであり、全国的にも『RABニュースレーダー』(青森放送)や『山陽TVイブニングニュース』(山陽放送)などごくわずかしか存在しない時代であった。
開始5年後には、番組の好調を受け、1980年1月5日から『テレポート6』のロゴを併記した本番組の土曜版『土曜テレポート』がスタートした。土曜版は1986年3月29日までは『土曜テレポート』のタイトルで放送され、同年4月5日からは平日同様『テレポート6』となる。その後、土曜版は1996年4月6日から『WE!テレポート6』として放送されたが、1999年3月27日に終了した。番組タイトルにある『テレポート6』の6は、キー局TBSテレビの『テレポートTBS6』とは異なり、番組開始時間である午後6時を意味する[1] 。
1980年代後半からは番組名にHBCの冠を付けて『HBCネットワーク テレポート6(通称:HBCテレポート6)』としたことがあった。
『テレポート6』というタイトルは、のちにHBCのキー局であるTBS、HBC同様テレビネットワークがJNN加盟の北陸放送もローカルニュース番組のタイトルとして採用し(『テレポートTBS6』【1975年10月 - 1990年3月】、『MROテレポート6』【1976年10月 - 2003年3月】)、同じくJNN加盟局の山陰放送もローカルニュース番組のタイトルとして『テレポート』を採用している(『テレポート山陰』【1977年4月 - 】)
2000年1月より『テレポート2000』としてリニューアルしたが、2006年4月14日をもって終了し、『テレポート6』から続いた31年の歴史に幕を下ろした。
『テレポート2000』終了後は、この時間帯は『Hanaテレビ』、『総力報道!THE NEWS HBC』、『NEWS1』、『北海道NEWS1』と引き継がれ、現在は『今日ドキッ!』が放送されている。
歴代のオープニング
[編集]- 初期 お天気カメラ、ないしは当日の主要重要ニュースの映像がバック。星をイメージしたアニメから午後6時を示すアナログ時計(画面左・中・右に1個ずつ。最初は真ん中のところだけが6時を示し、ステージのカーテンコールのような状態になる。のち左右のアニメと重なる)。そこから「6」の白抜きがズームダウンし、画面中央から「テレポート」の文字が回転しながらズームアップする。
- 1990年代 ニューススタジオの全景を映し、左上に「テレポート6」右下に「HBCネットワーク」と表記。
放送時間の変遷
[編集]期間 | 放送時間(JST) | ||
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月 - 金曜日 | 土曜日 | ||
1975.2.3 | 1979.12.28 | 18:00 - 18:30(30分) | (放送なし) |
1980.1.4 | 1985.3.30 | 17:30 - 18:00(30分)[2] | |
1985.4.1 | 1990.3.31 | 17:30 - 17:52(22分)[2] | |
1990.4.2 | 1990.12.29 | 17:57 - 19:00(63分)[3] | |
1991.1.4 | 1993.4.3 | 17:25 - 17:52(27分) | |
1993.4.5 | 1993.9.30 | 17:55 - 19:00(65分)[3] | 18:00 - 18:30(30分)[4] |
1993.10.1 | 1999.3.27 | 18:30 - 19:00(30分)[5] | |
1999.3.29 | 1999.12.28 | (放送終了) |
歴代キャスター
[編集]男性キャスター
[編集]- 石崎岳(元衆議院議員)[6]
- 小野垣親士(現・HBCフレックス社長)
- 小池弓夫(土曜テレポートも担当 沢口と隔月交代)[7][8][9]
- 沢口孝夫(初代キャスター、土曜テレポートも担当 小池と隔月交代)[7][8][9]
- 田村英一[10][11]
- 向田宣威
- 島森則夫
- 横田久(WE!テレポート6担当)
- 村形貞彦
- 桜井宏(土曜担当)
- 卓田和広(土曜担当)
女性キャスター
[編集]- 五十嵐裕子[11]
- 石山愛子(WE!テレポート6担当)
- 小原忍(岩手めんこいテレビに移籍後も本番組と同じ夕方枠であるmitスーパータイムのキャスターを担当した)[7][8][9][10]
- 岡田範子[11]
- 加藤由紀子(その後WOWOWに移籍)[10]
- 黒沢久美子
- 武田明子
- 野宮範子
- 森田真奈美
- 村井裕子(土曜テレポート専任 1981年1月まで)
- 山本早苗
- 山本真規子
- 若山昌子[7][8][9]
- 渡辺陽子[6]
- 林部香織(WE!テレポート6担当)
- 宮田裕子
- 鶴羽佳子
- 高橋あゆみ(佐々木陸兼屋根担当)
この節の加筆が望まれています。 |
その他
[編集]- かつてはJNN東北・北海道交換ニュース(当放送局と青森テレビ・岩手放送・東北放送・福島テレビ→テレビユー福島)を放送していた。
- 大泉洋が年末特番として拡大版のテレポート6内で『テレポート洋』と題し、2年間(2回)臨時キャスターとして出演した。取材内容は「田中真紀子突撃取材」など。あまりの可笑しさに、VTRを見ていた本来のキャスターが笑い転げる場面もあった。[12]
- 放送開始から1989年2月までのオープニングテーマ音楽は、福居良が担当した。
脚注
[編集]- ^ TBSの「テレポートTBS6」、並びに北陸放送の『MROテレポート6』は放送開始の午後6時であるとともに、親局送信所のチャンネルである6chを意味する。HBC函館放送局のチャンネルは、HBCのキー局TBSと同じ6chだった。
- ^ a b 1980年1月-1986年3月「土曜テレポート」として
- ^ a b 『JNNニュースの森』を内包。
- ^ 1996年4月から1999年3月は「WE!!テレポート6」として
- ^ 1994年9月30日まで『HBCゆうやけワイド・テレビ一番星』に内包。
- ^ a b 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第88号、北方圏センター、1994年7月8日、115頁、NDLJP:2832904/58。
- ^ a b c d 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第36号、北方圏センター、1981年7月1日、115頁、NDLJP:2832852/58。
- ^ a b c d 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第42号、北方圏センター、1983年1月1日、127頁、NDLJP:2832858/64。
- ^ a b c d 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第46号、北方圏センター、1984年1月1日、127頁、NDLJP:2832862/64。
- ^ a b c 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第68号、北方圏センター、1989年7月10日、111頁、NDLJP:2832884/56。
- ^ a b c 『Hoppoken = 北方圏 北の今・人・明日』第78号、北方圏センター、1992年1月1日、127頁、NDLJP:2832894/64。
- ^ その縁か、その後に大泉が、道内他局のバラエティー番組のコーナーで、田中のものまねをやっていた。
HBCテレビ(JNN) 平日夕方のローカルニュース | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
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テレポート6
↓ HBCネットワーク テレポート6 (通算:1975.2.3 - 1999.12.28) |
テレポート2000
(2000.1.4 - 2006.3.31) |
HBCテレビ(JNN) 土曜夕方のローカルニュース | ||
HBCニュース
(第1期) |
土曜テレポート
↓ HBCネットワーク テレポート6 ↓ WE!テレポート6 (通算:1980.1.5 - 1999.3.27) |
HBCニュース
(第2期) |
HBCテレビ 土曜 17:30 - 18:00 | ||
土曜テレポート
↓ テレポート6 ↓ HBCネットワーク テレポート6 (通算:1980.1.5 - 1993.3.27) |
||
HBCテレビ 土曜 18:00 - 18:30 | ||
新伍のワガママ大百科
(→枠交換) |
HBCネットワーク テレポート6
↓ WE!テレポート6 (通算:1993.4.3 - 1999.3.27) |