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トニー・ヴィスコンティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・ヴィスコンティ
トニー・ヴィスコンティ(2007年)
基本情報
出生名 Anthony Edward Visconti
生誕 (1944-04-24) 1944年4月24日(80歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ブルックリン
ジャンル ロックグラムロックプログレッシブ・ロックフォークロックハードロックニュー・ウェイヴ
職業 音楽プロデューサー編曲家
担当楽器 ギターベースフルートキーボードパーカッション
活動期間 1968年 -
共同作業者 T・レックス
デヴィッド・ボウイ
シン・リジィ
ムーディー・ブルース
公式サイト tony visconti v3.0

トニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti、1944年4月24日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の音楽プロデューサー / 編曲家。1968年にロンドンに移住して[1]、主にイギリスのミュージシャンの作品を手掛けた。

来歴

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15歳までにはギターベースを演奏するようになり、一時はジャズ・ミュージシャンを目指していたこともあった[2]。その後、Ricardo & LatineersやSpeedy Garfin Bandでの活動を経て、1967年にはTony & Siegridという夫婦デュオとしてデビュー、「Long Hair」をローカル・ヒットさせた[1]

1968年にはロンドンに移り、1960年代末期にはティラノザウルス・レックスデヴィッド・ボウイ等の作品のプロデュースを始める。T・レックスとの関係は1970年代中期まで続き、ボウイとの関係は断続的ながら2010年代まで続いた。1971年にはメリー・ホプキンのアルバム『大地の歌』をプロデュースして、同年のうちにメリーと再婚(1981年に離婚[3])。彼女との間に娘のジェシカ・リー・モーガンを授かる。1970年代には、グラムロックプログレッシブ・ロックフォークロック等の分野で多くのアルバムをプロデュースしている。

1980年代には、ブームタウン・ラッツ等とも仕事を行い、また、ムーディー・ブルースのヒット曲「ユア・ワイルデスト・ドリーム」等にも貢献した[1]。1981年にメリー・ホプキンと離婚。1989年には、ジョン・レノンオノ・ヨーコのパーソナル・アシスタントだったメイ・パンと結婚する(2000年に離婚[3])。

音楽的影響

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ヴィスコンティは2008年4月のインタビューにおいて、最初期に影響を受けたプロデューサーとしてフィル・スペクタージョージ・マーティンデニー・コーデル英語版を挙げており[2]、作曲家としてはフィリップ・グラスを尊敬していると語った[2]

作品

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プロデュース作品

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アーティストの姓またはバンド名の五十音順に並べる。

その他参加作品

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脚注

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  1. ^ a b c Tony Visconti : AllMusic - Biography by Jason Ankeny
  2. ^ a b c Tony Visconti Interview”. retrosellers.com (2008年4月). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月5日閲覧。
  3. ^ a b Tony Visconti(nndb.com)
  4. ^ With a Little Help from My Friends - Joe Cocker : Credits : AllMusic
  5. ^ All Is Dream - Mercury Rev : Credits : AllMusic
  6. ^ Moonshine - Bert Jansch : Credits : AllMusic

外部リンク

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