コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

トル・フースホフト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トル・ハスホフトから転送)
トル・フースホフト
Thor Hushovd
基本情報
本名 トル・フースホフト
Thor Hushovd
愛称 雷神 / グリムスタの牡牛
生年月日 (1978-01-18) 1978年1月18日(46歳)
国籍  ノルウェー
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
所属 引退
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 スプリンター
クラシックスペシャリスト
プロ経歴
2000–2008
2009–2010
2011
2012–2014
クレディアグリコル
サーヴェロ・テストチーム
ガーミン・サーヴェロ
BMC・レーシング
主要レース勝利

世界選手権

個人ロードレース(2010)
U23個人タイムトライアル(1998)

ノルウェーの旗 ノルウェー選手権

個人ロードレース(2004,2010)
個人タイムトライアル(2004,2005)

ツール・ド・フランス 通算10勝

ポイント賞(2005,2009)

ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算3勝

ポイント賞(2006)
ジロ・デ・イタリア 通算1勝
カタルーニャ一周 ポイント賞(2006・2008)
パリ〜ニース ポイント賞(2008)
ヘント〜ウェヴェヘルム 優勝(2006)
最終更新日
2017年9月1日

トル・フースホフト(Thor Hushovd、1978年1月18日 - )は、ノルウェーグリムスタ出身の元自転車プロロードレース選手。2006年以前は「トル・ハスホフト」や「トル・ヒュースホーウッド(ノルウェー語での読み)[1]」の表記が多く用いられた。

2000年のプロデビュー以来、2005年のツール・ド・フランスポイント賞を皮切りに数々の栄光を手中にしてきたスプリンター。 パワフルかつ切れ味鋭いスプリントを見せることから、名前に引っ掛けて「雷神」、あるいは「グリムスタの牡牛」の異名で呼ばれる。

経歴

[編集]

1998年

[編集]

2000年

[編集]

2001年

[編集]

2002年

[編集]

2003年

[編集]

2004年

[編集]

2005年

[編集]

2006年

[編集]

2007年

[編集]

2008年

[編集]

2009年

[編集]

2010年

[編集]

2011年

[編集]

2012年

[編集]

2013年

[編集]

2014年

[編集]

ウイルスに苦しめられ引退。

レーススタイル

[編集]

チームではスプリンターとして登録し、実際にスプリンターとして活躍しているが、過去2度のノルウェー選手権タイムトライアル優勝のほか、アマチュア時代の1998年にも世界選手権のU-23タイムトライアル優勝や、2006年のツール・ド・フランスのプロローグの個人タイムトライアル優勝、2008年のパリ~ニースカタルーニャ一周でのプロローグ優勝などの実績を持ち、短距離ならばタイムトライアルスペシャリストに匹敵する独走力がある。このようなタイプはルーラーの素質も持つマリオ・チポリーニ以外には殆ど居ない。

ステージ序盤であれば1級山岳すら単独または一、二名のアシストで逃げ切れるという、珍しいタイプのスプリンターである[2]。このようなタイプはスプリントもできない事はないアレハンドロ・バルベルデランス・アームストロング以外ではほとんどいないため、起伏に富んだコースでは他のスプリンターよりも有利になる。

スプリンターとしてはステージでの勝利を量産するタイプではないが、極端に大崩れすることなく堅実に上位に入る安定感や、山岳ステージの中間スプリントポイントをコンスタントに得ることが出来るので、2005年のツールドフランスではステージ0勝でポイント賞を獲得してしまうなど、ポイント賞争いにコンスタントに加わることの出来る原動力となっている(似たタイプとしてはエリック・ツァベル)。

前述の通り、上りもそれなりにこなし、ブエルタ・ア・エスパーニャカタルーニャ一周ドーフィネ・リベレなど厳しい山岳や、距離が長くアップダウンの多いクラシックレースでも遅れないなど、様々なコースに対応できるパンチャー的なスプリンターである。

エピソード

[編集]
  • 2006年のツール・ド・フランス第1ステージでゴールスプリント時に観客の持っていたボール紙製の応援グッズに接触して(本人はカメラと接触したと証言)上腕部がスッパリと切れ、着用していたマイヨ・ジョーヌが真っ赤に染まる惨事となったが[3] 翌日も出走し、ステージ3位に入ってマイヨ・ジョーヌを奪還する闘志を見せた。接触した応援グッズは偶然にも、本人が獲得を目指していたマイヨ・ヴェールのスポンサーPMUが配布していた。この事故の影響か、2008年からマイヨ・ヴェールの色が変更されたのに合わせて、応援グッズの素材が柔らかいウレタン製に変更された。
  • 実績十分なフースホストがあえてグランツールへの出場を保証されている訳でない、コンチネンタルプロチームであるサーヴェロへ移籍した事に対し驚きの声が上がったが、本人は「サーヴェロのバイクが乗りやすかったからサーヴェロにしたんだ」とコメントした。また2009年のツール・ド・フランスでは、快適さを重視した「RS」フレームを使用[4] し、チームが新型のデュラエース7900シリーズを採用する中、一人だけ前世代の7800シリーズを使用する[5] など、機材に対して独自の拘りがある。
  • 1998年の世界選手権U23タイムトライアルで優勝を経験しており、その12年後、エリート部門のロードレースで再び優勝し、カテゴリーが異なるながらも両種目でマイヨ・アルカンシェルを獲得した選手となった。

主な成績

[編集]

グランツール

[編集]
  • ジロ・デ・イタリア 通算1勝
  • ツール・ド・フランス 通算10勝
  • ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算2勝
  •  ツール・ド・フランス ポイント賞(2005年、2009年)
  •  ブエルタ・ア・エスパーニャ ポイント賞(2006年)
  • 2002年 ツール・ド・フランス 1勝
  • 2004年 ツール・ド・フランス 1勝
  • 2005年 ブエルタ・ア・エスパーニャ 1勝
  • 2006年 ツール・ド・フランス 2勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ 1勝
  • 2007年 ジロ・デ・イタリア 1勝 ツール・ド・フランス 1勝
  • 2008年 ツール・ド・フランス 1勝
  • 2009年 ツール・ド・フランス 1勝
  • 2010年 ツール・ド・フランス 1勝
  • 2011年 ツール・ド・フランス 2勝

※これに加え2001年及び2011年のツールにおいてチームタイムトライアルで各一勝

ステージレース

[編集]
  • 2006年 カタルーニャ一周 ポイント賞
  • 2008年 パリ〜ニース ポイント賞 カタルーニャ一周 ポイント賞
  • 2003年 ドーフィネ・リベレ1勝
  • 2004年 ドーフィネ・リベレ1勝
  • 2005年 カタルーニャ一周1勝 ドーフィネ・リベレ1勝
  • 2006年 ティレーノ〜アドリアティコ1勝 カタルーニャ一周1勝 ドーフィネ・リベレ1勝
  • 2008年 パリ〜ニース1勝 カタルーニャ一周2勝

ワンデーレース

[編集]
  • 2010年 世界選手権 優勝(個人ロード)
  • 2004年 ノルウェーの旗 ノルウェー選手権 優勝(個人ロード・タイムトライアル)
  • 2005年 ノルウェーの旗 ノルウェー選手権 優勝(タイムトライアル)
  • 2010年 ノルウェーの旗 ノルウェー選手権 優勝(個人ロード)
  • 2006年 ヘント〜ウェヴェヘルム 優勝

脚注

[編集]
  1. ^ Thor Hushovdの発音 - 発音ガイドForvo。
  2. ^ ツール・ド・フランス2009の第17ステージ、最初から逃げ集団に乗り一つ目の1級山岳を通過、二つめの1級山岳山頂手前の50km地点から単独アタック、そのまま2級山岳を越え、1級山岳入り口となる130km地点までの80kmを単独で逃げ続けた。
  3. ^ 血に染まったマイヨ・ジョーヌを見せるフースホフト
  4. ^ RSの紹介ページ
  5. ^ 第6ステージのゴールシーンを見ると、ブレーキレバーのトップから横にワイヤーが出ているので7800系と確認できる。

外部リンク

[編集]