ドイツ地域の文化
ドイツ地域の文化またはドイツの文化(ドイツ語: Kultur Deutschlands, Deutsche Kultur)とは、現代のドイツ連邦共和国の中に存在している伝統・思想・風習などの総称であり、歴史的にはドイツ民族全体やドイツ語圏全体の文化を指すこともできる[1]。
成果は哲学・文学・音楽・建築・社会主義・食文化・フォント・工業デザインなどに集中しており、とくに哲学と音楽の分野では全世界に輝きを放っている[2]。古くから中央ヨーロッパに深く根付いており、ほかの欧州人から「中欧の核心文化」と見なされている。
ドイツ地域に住んでいる人々の思想は、ヨーロッパの主流思想の変化に応じて自身も変化してゆき、固定された思想がなく、各時代にそれぞれ異なる文化的特徴を表している。「知識層」と「民衆運動」の両方に発展しつつ、これら2つは上から下を指導するものではなく、今でも並行して発展し続けている[3][4]。
概要
[編集]歴史
[編集]最初に現在のドイツにあたる地域に住んでいた民族は、ゲルマン民族ではなく「ケルト民族」であった。ケルト民族は武器に関する技術が未発達であり、ローマ帝国の時代にローマ人、つまり古代のイタリア人によって簡単に征服された[5][6][7]。しかし、ローマ人が持ち込んだ文化は上流階級や貴族にしか広まらず、平民階級や庶民は依然としてケルト文化を維持していた。これがドイツの「上下の文化的な分断」の始まりである。
その後、ゲルマン民族がローマ帝国を滅ぼしたが、以前の文化を全て壊すことはせず、ゲルマン文化に同化させていった。ドイツ地域に住んでいたケルト人やローマ人に「ゲルマン語」を話させ、キリスト教と教皇を信仰させ、「封建制度」や「貴族間の結婚」の体制も確立し、短期間でかれらのアイデンティティを「ドイツ民族」へと転換させていた[8][9][10]。ほかのヨーロッパ諸国とは対照的に、ドイツは「国家としての統一」よりも先に「民族としての確立と構築」を成し遂げた。
中世以降、ドイツ地域は長い間「詩人と思想家の地[11][12][13]」として認識されていた。
18世紀末から19世紀中盤にかけて、ドイツ地域は一時的に「ヨーロッパにおける民族主義の中心地」となっていた[14]。ドイツで文化活動に携わる人々は、フランスやイギリス・アメリカの同業者に比べてかなり穏健であり、「現政府を倒したり、独裁者を殺したり」することが無く、緩やかな政治改革に取り組んでいた[15][16]。一方、ドイツ民族は「科学の原理」や「現実問題の解決法」に強い探求心を持っているため、ドイツ語圏の国々では虚無的な「美」よりも、実用的な「モノ」を好む傾向がある。このためヨーロッパでは、ドイツ諸国は「芸術史の脇役、文明史の主役[17][18]」と称されている。
1871年頃、ドイツ地域が統一されて「ドイツ帝国」が誕生し、「ドイツ地域の文化」や「ドイツ民族の文化」がこの時から全部「ドイツ文化」へと改称された[19][20][21]。それに伴い、ドイツではないドイツ民族の国々は正式に「ドイツ文化」から分離した[22][23]。1900年頃、ドイツ文化は依然としてオーストリア、スイス、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、南チロルなどの中欧地域に生き延びており、この現象から、当時の欧州人はドイツのことを「文化国家(ドイツ語: Kulturnation)」と呼ぶようになった[24][25][26]。
20世紀には、大衆メディアの発展によってドイツの庶民文化と貴族文化が徐々に融合し、21世紀に入りインターネットの普及によってその進展はさらに加速している。現在のドイツ連邦共和国には、貴族文化がより小規模でエリート的なものになっている[27]。
ドイツ文化への認識
[編集]「文化」という概念は、ドイツ語での意味とほがの言語での意味は異なっている。英語やフランス語の「culture」は「とある国の食事・祭り・建築・音楽・絵画・模様・風習などの総称」を指しているが、ドイツ語では「個人の文化」と「集団の文化」の2つに分けられている。個人や国民が共有する気質・教養をあらわすのが「Bildung[28][29]」で、集団的な文明的側面をあらわすのが「Kultur[30][31]」である。このため、「ドイツ文化」という単語を解釈する際には「ドイツという国から生まれて来た文化」より、「ドイツ民族やドイツ地域における文化」のほうがドイツ語の本意に近い。
もう1つ、ドイツ文化を語る際の難しさは、「ドイツという国が19世紀後半に成立したこと[32][33]」にある。ほかの欧州諸国の文化を紹介するときは、基本的に「その国の建国後に誕生した文化」を中心に語るが、ドイツの場合は逆である。ドイツ文化は何世紀にもわたって存在していたが、国家としてのドイツは無かったため、多くの歴史上のドイツ出身の芸術家や哲学者・文学者は自分のことを「ドイツ人」と考えず、ただ「多くのドイツ語母語者の中の1人」と認識していた[34]。このため、10~18世紀のドイツの文化は同じドイツ語系の言語を話しているオーストリアやスイス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダの文化とは区別しにくい。特に19世紀はドイツ文化とオーストリア文化がさらに交じり合い、専門家ですらも判別できない状況が多かった[35]。
現代のドイツ連邦共和国の定義によると、各ドイツ州、つまり「ラント(Land)」こそがドイツ文化の中心であり、ラントの集合体である「ドイチュランツ(Deutschlands)=ドイツ」は各ラントの文化を包んで守る「透明の器」だと捉えられている[36][37][38]。この現象は「地方分権」または「連邦主義」と呼ばれ、各州は自分の文化を管理する強い権限を持ち、ヨーロッパでは最も自主性が高い。例えば、バイエルン民族党は何十年も公の場やメディアで「バイエルン独立運動」を宣伝し続けているが、ドイツ連邦政府からの罰は一度も受けたことがない[39][40][41]。
ドイツ政府が地方分権を尊重している理由は3つある[42][43][44]:
- 1つ目は、ドイツの前身である「神聖ローマ帝国」は、もともとはフランク王国に端を発する強大な国家であったが、14世紀以降は徐々にドイツ民族の各領邦による軍事同盟的なものに変容していった。
- 2つ目は、オットー・フォン・ビスマルクやアドルフ・ヒトラーの時代に主導的な立場であったプロイセンは、強制的に全ドイツの文化を軍国主義に同化させていった。このため、第二次大戦後、ほかの地域は「文化統一」という概念に強烈に反発している。
- 3つ目は、ドイツには絶対的多数の宗教が存在せず、カトリック・プロテスタント・無神論の3つの信仰や価値観がバランスよく国内に分散されていることから、現代のドイツ人は統一的な思想を持ちにくい。
代表的なもの
[編集]ドイツ文化には多くの要素が詰め込まれており、以下が代表的な例である。
- 神聖ローマ帝国
- ハンザ同盟
- 活版印刷(マインツ出身のヨハネス・グーテンベルクが発明)
- フラクトゥール(ドイツを代表するフォント)
- ハーフティンバー様式(ドイツ風の木骨造、木組みの家屋)
- スコラ哲学
- 謝肉祭
- 宗教改革
- プロイセン王国
- 19世紀のロマン主義
- ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(文学者)
- フリードリヒ・フォン・シラー(文学者)
- 19世紀の民族主義と国家統一感情
- ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(音楽家)
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(音楽家)
- リヒャルト・ワーグナー(音楽家)
- 20世紀の表現主義
- ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(哲学者)
- アルトゥル・ショーペンハウアー(哲学者)
- カール・マルクス(哲学者、経済学者)
- 国民社会主義ドイツ労働者党のナチズム
- クリスマスの習慣(Weihnachten)
- ミュンヘンのオクトーバーフェスト(ビール祭)
現代のドイツ連邦共和国には多くの祝日があり、とくにクリスマスの祭りは世界的に有名なで知られている。1990年以降、10月3日は「ドイツ統一の日(Tag der Deutschen Einheit)」として国民の祝日になっている。ユネスコはドイツの52の遺産を世界遺産に登録している。BBCの国際世論調査によると、ドイツは2011年、2013年、2014年に世界に最も良い影響を与えた国として認識された。
ドイツ語における文化
[編集]標準ドイツ語
[編集]ドイツ地域の共通語はドイツ語で、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派の西ゲルマン語群に属している。現在、ドイツ語はドイツ文化を世界に伝える「媒介」としての役割を担っている。ドイツ語はドイツ民族の思想家や宗教家たちが数百年にわたって改良を重ね、徐々に形成された「漸進的な言語」である[45]。
現存している最古のドイツ語文献は8世紀、750年から780年ごろに書かれた『アブロガンス』と呼ばれる「ラテン語とドイツ語の対訳集」である。これはすでに古高ドイツ語の形式になっており、それ以前のドイツ語に関する資料は今でも見つからない。この対訳集は完全的な状態で保存されたではないが、内容が酷似している「英語とラテン語の対訳表」である『Abrogans with the Lord's Prayer of the Codex Sangallensis 911』の原本がイギリスに保存されている[46]。これは、イギリス人とドイツ人の祖先は同じ民族であったことを確認できる根拠の一つとなっている。
二番目に古いドイツ語文献は『Notker(主の祈り)』という「聖書のドイツ語解釈書」で、これはドイツ語の初期形態とキリスト教の関係を証明するものになっており、現在もザンクト・ガレン修道院の図書館内で破損なく保存されている[47]。
中世末期の14世紀、金細工師のヨハネス・グーテンベルクは、中国の印刷技術と異なるヨーロッパ版の活版印刷を発明し[48]、この革新的な技術によりドイツ語は欧州大陸全土への拡散を加速していた[49]。16世紀の末には、「さまざまな方言域からの人々が集い、その結果、ことばの平準化が進み、比較的統一性のある交易語が形成された地域のことば」である東中部ドイツ語が印刷業界における標準的な書き言葉となっていった[50]。
そして、「宗教改革」はドイツ語の発展にも大きな影響を与えた。欧州人が日々読んでいた『聖書』はもともとラテン語版のみであったが、17世紀中ごろには、高地ドイツ語で翻訳された『ルター聖書』が活字印刷によってドイツ語圏全土に広まり、状況を一変した[51][52]。このドイツ語訳聖書を読むことで、ドイツ地域に住んでいる人々は識字率が大きく向上し、日々の読書によって「ドイツ語に対する書き能力」や「ドイチュラントへの愛国心」も急速に高まっていた[53][54]。
また、ドイツ政府が標準語を定める以前から、ドイツ語にはすでに東中部ドイツ語を基にした標準的な書き言葉が存在していた。17世紀の作家たちは自らの文学作品を書く際に、わざわざ洗練された文法規則や優美的な言葉使いを用いた。とくに18世紀に、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテとシラーの2大文豪が推進した「古典主義」の影響の下で、ドイツ語は文語としての発展を遂げていた。この文語が今日のドイツ語の標準語へとつながっている。
19世紀のドイツ統一後、1880年にコンラート・ドゥーデンによってドイツ語の正書法辞典である『Duden』が出版され[55]、ベルリンで開催された1901年の正書法会議の決定は1902年にドイツ帝国連邦議会、オーストリア帝国会議、スイスで採用された[56][57][58]。
ドイツ語の方言
[編集]現代のドイツ語の方言は大きく低地ドイツ語、中部ドイツ語、上部ドイツ語の3つのグループに分けられている。
- 「中部ドイツ語」と「上部ドイツ語」を総じて「高地ドイツ語」とも呼ぶ。
- 低地ドイツ語は「ドイツの北部地域」に分布し、高地ドイツ語は「ドイツの南部地域」にある。ドイツの南部はアルプス山脈が存在し標高が高いため「高地」「上部」と呼ばれ、北部には北ドイツ平野が広がるため「低地」と呼ばれる。
- 高地ドイツ語と低地ドイツ語の間には第二次子音推移の停止によるベンラート線が存在し、言語の性質を分けている。
- 現在の標準ドイツ語は高地ドイツ語の東中部ドイツ語の一つであるテューリンゲン・オーバーザクセン語を基にして作られたものである[59]。
他のドイツ語圏の国々の方言連続体での位置付けは、例えばオーストリアのドイツ語は上部ドイツ語の「バイエルン・オーストリア語」に属し、ドイツのバイエルン州のドイツ語とほぼ同じものになっている[60]。スイスやリヒテンシュタインのドイツ語は南西ドイツと同じ「アレマン語」に属する。オランダ語は低フランク語に属し、同じゲルマン語派の中で第二次子音推移の影響を受けていない低地ドイツ語に非常に近い[61]。
かつてドイツの東北部には独自の方言が存在していたが、1871年のドイツ統一後、北部から東部に位置するプロイセン王国は標準ドイツ語の義務教育を行ったため、東部ドイツの方言は徐々に勢力を失っていった[62][63]。さらに東ドイツの時代には、社会主義統一党はソ連や東側諸国と連絡しやすいため、もともと複雑なドイツ語を簡略化させ、東ドイツの方言は短期間で減少していった[64][65]。
文学
[編集]ドイツ文学の起源はヨーロッパ中世の初期にまでさかのぼる。ラテン語の手稿や挿絵が東フランク王国の図書館に保存された際、ドイツ語の文献も一緒に保存されたが、その数はラテン語に比べて少なかった。ドイツ文学史において象徴的な意味を持っている最初の重要な成果は『マネッセ写本』に保存されているヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデなどの「宮廷愛詩」(ミンネザング)である。
『ニーベルンゲンの歌』はドイツ文学の基礎をなす叙事詩であリ、中高ドイツ語で書かれている。
近代ドイツの傑出した作家としては、ゴットホルト・エフライム・レッシング、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、フリードリヒ・シラー、グリム兄弟などが挙げられていた。ハインリヒ・ハイネ、クルト・トゥホルスキー、ベルトルト・ブレヒト、トーマス・マン、ハインリヒ・マン、そしてハンナ・アーレントも、当時重要な文学者であったる。20世紀には、多くのドイツ人作家がノーベル文学賞を受賞した。彼らは、テオドール・モムゼン(1902年)、ルドルフ・オイケン(1908年)、パウル・ハイゼ(1910年)、ゲアハルト・ハウプトマン(1912年)、トーマス・マン(1929年)、ヘルマン・ヘッセ(1946年)、ハインリヒ・ベル(1972年)、ギュンター・グラス(1999年)である。21世紀には、初のドイツ人女性ノーベル文学賞受賞者としてヘルタ・ミュラー(2009年)が登場した。
「フランクフルト書籍見本市」は国際的な出版業界の重要なイベントであり、ヨーロッパ文学者たちが集まる大規模な集会でもある。この見本市は毎年ドイツのフランクフルトで開催され、「最優秀ドイツ語小説賞」が授与される。この賞の受賞は、作家にとって極めて重要である。また、ドイツには他の「ライプツィヒ書籍見本市」もあり、こちらは若手作家や革新的な作品を支援することに重点を置いている。伝統的な書籍でなくても問題ない。
思想における文化
[編集]自然科学が発展し、宗教が衰退する中で、ドイツの思想は哲学・社会主義・唯物論・法律のなどの領域で議論されていて、現代に至るまで何度も繰り返されてきた。ドイツの思想は、知識と信仰だけでなく、理性と感情の調和を追求し、倫理的な科学技術や工芸美術を通じて、より良い世界を目指している。
哲学
[編集]中世には、「ドイツは詩人と思想家の地(ドイツ語:Das Land der Dichter und Denker)」という言葉が、すでに多くのヨーロッパ人によって使われており、とくに大学の文学や哲学の授業でよく引用されていた。この言葉の起源は1871年以前にさかのぼるが、誰が最初に言ったのかは明らかでは無い。例えば、ドイツの哲学者、レーゲンスブルクの大司教「アルベルトゥス・マグヌス」は西洋哲学の形成に貢献している。
- 17世紀、ライプニッツやカントが哲学史において重要な役割を果たした。カント主義は、後の哲学者ショーペンハウアーやニーチェの著作に影響を与え、フィヒテやヘーゲルが擁護したドイツ観念論にも大きな影響を及ぼした。カントに反対する哲学も盛んで、当時のドイツ哲学界は非常に活発であった。また、多くのドイツ哲学者は、小説家や詩人、さらにはドイツ語辞典の編纂者も兼ねており、哲学者がかれらの唯一の職業ではなかった。
- 19世紀前半、ドイツ哲学の名家が次々と輩出され、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ、ニコラウス・クザーヌス、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェなどが最も影響力のある哲学者として知られ、かれらはドイツの「観念論運動」を形成させていた。一方で、「非観念論的な哲学派」では「社会哲学」の分野が特に優れており、テオドール・アドルノやユルゲン・ハーバーマスといった社会哲学者が有名である。また、ドイツの哲学者たちは、過度に楽観的または悲観的な思考を避け、現実的な手段を通じて社会変革を目指していた。さらに、1810年に言語学者で哲学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトが設立したベルリン大学は、現代の西洋大学のモデルとなっている。
- 19世紀後半、マルクスとエンゲルスが共産主義の理論を発展させ、その結果として20世紀において全世界で労働者の労働時間短縮や賃金向上が進展した。
- 20世紀、ハイデガーやガダマーがドイツ哲学の伝統を追求し、ドイツの知識人たちは社会学の分野でも大きな影響を与え、特にアドルノ、エリアス、ハーバーマス、ホルクハイマー、ルーマン、マルクーゼ、ジンメル、フェルディナント・テンニース、マックス・ヴェーバーが著名である。
- 21世紀、フランス、オーストリア、スイス、スカンジナビア諸国と共に、ヨーロッパ大陸における「現代分析哲学」の発展において重要な国の一つとなっている[66]。
企業と職場文化
[編集]1990年のドイツ再統一後、ドイツ政府は人間・動物・自然の「幸福権」を尊重しはじめ、国民に短い労働時間や優しい職場環境を提供しながら、環境保護と経済発展を両立させている[67][68][69][70]。現代のドイツ連邦共和国には194か国からの移民が住んでおり、かれらはドイツに安価な労働力を補充し続けている[71]。また、ドイツ人やドイツ在住の移民たちは生活水準の高いヨーロッパの中でも、安くて品質の良い教育制度や福祉制度を享受することができる。
「BBC」が2013年に行った22か国の調査によると、ドイツの企業は従業員のことを「人間」として珍重し、消耗品のように扱わないため、ドイツは「幸せな国」として世界で16位にランクされた[72]。平均で59%の外国人の回答者が、ドイツの企業や職場文化を肯定的に評価し、15%が中立的であった。また、『世界価値観調査』によれば、ドイツは2008年以来6年連続で「ここで働きたい国」の1位に選ばれている[73]。
世界的有名なドイツ企業:
- メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz、自動車の企業)
- BMW(Bayerische Motoren Werke、自動車の企業)
- フォルクスワーゲン(Volkswage、自動車の企業)
- アウディ(Audi、自動車の企業)
- ポルシェ(Dr.-Ing. h.c. F. Porsche 、自動車の企業)
- シーメンス(Siemens、電子機器の企業)
- アディダス(Adidas、靴と服装の企業)
- プーマ(Puma、スポーツ用品の企業)
- ドイツ銀行(Deutsche Bank、市中銀行の企業)
- エス・アーペー・エスエー(SAP、パソコン機械の企業)
- ライカ(Leica Camera、光学機械の企業)
- オットーグループ(Otto (GmbH & Co KG) 、通信販売の企業)
- ツヴィリング・J.A.・ヘンケルス(Zwilling J.A. Henckels、刃物の企業)
-
メルセデス・ベンツのロゴ
-
BMWのロゴ
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フォルクスワーゲンのロゴ
-
アウディのロゴ
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ポルシェのロゴ
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シーメンスのロゴ
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Adidasのロゴ(その1)
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アディダスのロゴ(その2)
-
Pumaのロゴ
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ドイツ銀行のロゴ
-
SAPのロゴ
-
ライカのロゴ
-
Ottoのロゴ
-
双立人のロゴ
関連項目
[編集]引用と出典
[編集]脚注
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参考書物
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- 『20世紀の文明・教育・科学』の第1巻、『ドイツ歴史百科事典』の第65巻:Frank-Lothar Kroll: Kultur, Bildung und Wissenschaft im 20. Jahrhundert (= Enzyklopädie deutscher Geschichte. Band 65). R. Oldenbourg, München 2003, ISBN 3-486-55002-0.
- 『“小ドイツ”における文化史 ~1945年ナチスドイツの戦後から現在までの東西ドイツの物語~』Hermann Glaser: Kleine deutsche Kulturgeschichte von 1945 bis heute. Eine west-östliche Erzählung vom Kriegsende bis heute. S. Fischer, Frankfurt am Main 2004, ISBN 978-3-596-15730-3.
- 『20世紀のドイツ文明は何処へ行くのか?』Jost Hermand: Deutsche Kulturgeschichte des 20. Jahrhunderts. Primus, Darmstadt 2006, ISBN 3-89678-563-X.
- 『ドイツ文化史:1945年から現在まで ~連邦共和国を記述の中心に~』Axel Schildt, Detlef Siegfried: Deutsche Kulturgeschichte: Die Bundesrepublik von 1945 bis zur Gegenwart. Carl Hanser, München 2009, ISBN 3-446-23414-4.
- 『20世紀の文明歴史観~ドイツ国編~』Werner Faulstich (Hrsg.): Die Kultur des 20. Jahrhunderts im Überblick. Wilhelm Fink, Paderborn 2011, ISBN 978-3-7705-5144-6.
- 『ドイツの文化:ビスマルク帝国から東西再統一まで』Siegfried Müller: Kultur in Deutschland. Vom Kaiserreich bis zur Wiedervereinigung. Kohlhammer, Stuttgart 2016, ISBN 978-3-17-031844-1.