ノート:エリザベス1世 (イングランド女王)
この記事は2016年6月11日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
この「エリザベス1世 (イングランド女王)」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2010年9月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
(無題)
[編集]○エリザベス1世 'スペインの無敵艦隊を破る 'インドに東インド社会を作る ⇒アジアやアフリカへ進出 ○2つの革命 国王は議会と対立⇒清教徒革命がはじまる (1642~1649) ①議会派の勝利、国王は処刑された ②議会を中心とする共和政治がはじまるによる独裁政治 ↓ 国王による政治が再び復活 ↓ 新しい国王は議会を無視した政治を再び始め、議会と対立 ⇒名誉革命が始まる (1688) ①国王は追放された ②新しい国王をオランダから迎える ③新しい国王に国民の自由と権利を守る約束をさせた →権利の章典 ⇒議会を無視する政治・・・議院内閣制の成立
未婚の理由を書いた者ですが、特に最初の三つの出典が思い出せません。自分でも今までに読んだ本を探しますが、ご存知の方は書き加えてください。私の知らない出典がある説もあると思います。特に最初のものは広く知られているようですので。--K84 2007年4月29日 (日) 06:34 (UTC)
「無実の罪で死刑判決を受け」 無実か否かは諸説あり。史実の明確でないものは主観として削除 --みねるば
エリザベス1世の死没年月日については、これまで目にしたいくつかの書物では単に1603年3月24日とあるだけでした。この日付がユリウス暦・グレゴリオ暦のいずれによるものなのか疑問を抱いていました。というのは、イギリスではユリウス暦からグレゴリオ暦に移行したのは1752年なので、エリザベス1世の死去当時は国内ではユリウス暦が用いられていたからです。それで私はこの3月24日というのはユリウス暦でかなとも漠然と考えていました。「グレゴリオ暦」と明記されているのはこの本文の記事で初めて見たのですが、グレゴリオ暦であることの出典を教えていただけると助かります。なお、生年の1533年9月7日については、そもそもグレゴリオ暦が教皇庁から発布されたのがもっと後の1582年なので、当然ユリウス暦ですね。118.8.14.140 2009年10月17日 (土) 04:20 (UTC)
- 死去日に関しても、ユリウス暦と思われます。[1] このソース自体は、やや信頼性に欠くようにも思われますが、ユリウス暦1602/3年3月24日は、本リンク先記述通り、正しく木曜日であること(なお、グレゴリオ暦同年3月24日は月曜日です)、また、当時のイングランド王国が採用していた所謂フィレンツェ式年初(3月25日を正月とする)について、正確な記述があることなどから、死去日に関する内容は信頼して良いと思われます。ところで、今回はフライング的に本文を書き換えてしまいましたが、ローマ教皇庁1582年改暦以降、暫くの間ユリウス暦を使い続けた欧米の非カトリック諸国の歴史における期日表記について、日本語版wikipwdiaとして、一定のガイドラインを作ると良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。グレゴリオ暦・ユリウス暦のどちらを主記述とするかに加えて、年初を何処に置くかの問題も生じます。本則では、1582年改暦以前の西暦表記(本則ユリウス暦採用)では、年初はJanuary 1ということになっていますが、グレゴリオ改暦後に関しては、ユリウス暦は「ローカル暦」扱いとなりますので、各国のローカル年初を採用するのか、January 1を貫くのかは、論理的には問題となり得るからです。--TommyCR(会話) 2014年4月10日 (木) 09:22 (UTC)
リダイレクト
[編集]2011年4月に現在の記事に改名されましたが、今でもエリザベス1世 (イングランド女王)にリンクされている記事が300以上あるようです。以下のようなWikipedia:Bot作業依頼への提出を提案します。
- [[エリザベス1世 (イングランド女王)]]→[[エリザベス1世]]
- [[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]→[[エリザベス1世]]
- [[エリザベス1世 (イングランド女王)|→[[エリザベス1世|
また、Bot作業後にエリザベス1世 (イングランド女王)をWikipedia:リダイレクトの削除依頼に提出することを提案します。2週間で結論を出せればと思います。ご意見のある方はコメントをお願いいたします。--伏儀(会話) 2012年12月6日 (木) 12:09 (UTC)
- 依頼を提出し、作業していただきましたので、報告いたします。--伏儀(会話) 2012年12月31日 (月) 11:32 (UTC)
- 質問 (イングランド女王)をわざわざ外した理由がノート上になかったのですが、どこかに記載があれば教えていただけますか?--Diagonal(会話) 2022年9月20日 (火) 04:23 (UTC)
海賊との関わり
[編集]2016年4月26日以降、エリザベスと海賊との関わりについて「概要」節に何度か追記されては差し戻し、という緩慢な編集合戦の状態にあります。私も少々関わったことがあります。加筆差分の例として 4月26日16:13Z版 と 6月4日1:02Z版 を挙げます。
私見ですが、これを「概要」節に書くのは Wikipedia:中立的な観点 に照らせば偏り過ぎと感じます。同様の記述が、以前は「戦争と外交」節にもあり、そちらは 4月27日8:57Z版 で Charlesy さんにより整理されました。
こうした記述が必要かどうか、必要ならどう書くのがよいか、話し合って決めませんか。私自身は今のところ Charlesy さんによる整理を支持しますが、他の意見も聞くべきと思います。 --Kanjy(会話) 2016年6月4日 (土) 01:33 (UTC)
- 良質な記事とは言いがたい状況ですね。ネガティブな短評を概要に入れるのは構わないとは思いますが、どっさり書きたいなら評価節に書くべきでしょうね。しかし、今回の『世界史をつくった海賊』の引用に関してですが、本件の編集では被引用文に対する記事本文がほとんど無いため、方針文書であるWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の「記事本文と被引用文の主従関係が明確であること」という条件を満たしていないと思われます。また、引用テンプレートの使い方も適切とは思えないです。件の本は自分も私掠船の編集の時に使いましたが、論評に使うなら同時に対論を用意しないと危険な本という印象です。--茂林寺たぬき(会話) 2016年6月4日 (土) 14:28 (UTC)
- 茂林寺たぬきさん、ご意見を有難うございます。 Kanjy です。引用と称する転載に関し Wikipedia:削除依頼/エリザベス1世 を提出しました。
- さて、記事としてあるべき姿については、いかがでしょう。茂林寺たぬきさんも仰せのとおり、ネガティブな短評を概要に入れることは問題ないでしょう。すでに「概要」節には好ましいイメージと批判的な評価との両方が書かれています。そうした批判的な評価の一環として、竹田氏の説について一言で言及することは可能かもしれないと考えます。あるいは「戦争と外交」節などには、そのような評価があることについて、もう少し具体的に書くことも可能かと思います。
- 私見ですが、為政者が犯罪者と呼ばれること自体は古今東西よくあることで、この書籍がエリザベスを大型犯罪の黒幕としていることを単に述べても、それ自体の特筆性は弱いような気もします。また、その当時の海賊行為や奴隷売買と、そうした行為が現代も行われている場合とでは、必ずしも同じ評価というわけにはいかないでしょう。したがって、茂林寺たぬきさんのご意見と重なりますが、複数の観点の出典を揃えなければ、なかなか論評には使いづらいように感じます。
- この竹田氏の書籍には、スペイン無敵艦隊に対する火船攻撃や海賊たちを擁したゲリラ戦などについて、あるいは当時の各国における砂糖の生産流通や関連する奴隷貿易などについても書かれており読み物としては面白いと思いますし、そうした戦闘や貿易やドレークたち海賊とエリザベスとの関わりについてはすでに当項や「アルマダの海戦」をはじめ様々な項目に書かれていますので、それらを補強する出典として使えるかもしれません。
- 引き続き皆さまのご意見を待ちます。 --Kanjy(会話) 2016年6月11日 (土) 06:52 (UTC)
執筆者からの反論させて頂きます。
当該引用部分を含む竹田いさみ氏の「論文」は「読み物」ではなく「学術書」です。「あとがき」を含むそれ以降の記述がそれを証明しています。彼に対して巻末に掲げられた英語文献を全部読んだのかと問えば「読んだ」と答えるでしょう。執筆者も博士論文作成時にはU.S.SteelのAnnual Reportには全部目を通し、竹田いさみ氏が「あとがき」で述べているように「清水の舞台から飛び下りる」気持ちで日本語に翻訳しました。英語であれ米語であれ外国語を日本語に翻訳する作業は並大抵の努力では達成できません。外国人と日本人とでは思考方法が全く異なるからですが、その上に辞書の不出来が重なります。文脈上正しいと思えば思い切って意訳しなければ「美しい日本語」にはなりません。執筆者が竹田いさみ氏の結論部分を引用する理由はそれが彼の業績であって執筆者の業績ではないからです。彼は国際政治専攻の「一流の」歴史科学者です。--114.159.115.56 2016年6月11日 (土) 11:42 (UTC)
- その理由とやらは、心にもない嘘でしょう。これ程まで竹田先生の著作を粗雑に扱うお方から、取って付けたようなリスペクトを聞かされて、どのように信じれば宜しいのでしょうか。あなたの活動のために、竹田先生の著作とウィキペディアとを濫用しただけではありませんか。
- あなたが書いたレポートや論文で先行研究を援用する作法について「文献から該当箇所を抜粋せず、一文で要約するように」と注意を受けたら、このように反論ないし陳情を述べて温情を乞いますか。質的にも量的にも主従関係が逆転した不法引用や、著者の同一性保持権を脅かしかねない無作法な編集など、どのような言い訳を並べても許されようはずがありません。
- エリザベス1世に対し自己責任で断罪なさるのは、あなたの自由でしょう。私にはエリザベス1世やイングランドを庇う義理などありません。しかし、断罪であれ称賛であれ、ウィキペディアへの落書き (vandalism) は困ります。フリー百科事典を編纂する共同作業場に、それとは異なる目的で侵入し、私たちの作業を妨害するのは、もうおやめください。 --Kanjy(会話) 2016年6月18日 (土) 16:08 (UTC)
Kanjy です。本節にはコメント依頼(差分)を通じて皆さまのご意見をお願いしておりました。茂林寺たぬき さんから、簡潔に的を射たコメントを頂き、これを当座の結論と考えております。本節へのご意見は引き続き歓迎しますが、コメント依頼は終結したものとしましょう。有難うございました。 --Kanjy(会話) 2016年7月18日 (月) 03:30 (UTC)
改名提案
[編集]エリザベス1世に(イングランド女王)がついてない理由を知らないので、何か理由があれば教えていただけますか?
もし、特に理由がないのであれば、Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名に則り、
エリザベス1世から、エリザベス1世 (イングランド女王) への改名を提案します。
なお、現在エリザベス2世も(イギリス女王)がついていないので、やはり同様の理由で改名提案が出ています。--Diagonal(会話) 2022年9月20日 (火) 04:16 (UTC)
- これは推測ですが、単に記事作成時にそういう話がなかった、というだけなんだろうと思います。
- エリザベス1世が立項されたのは2004年2月23日で、Wikipediaの黎明期です。当時はまだカッコをつける際のルールなどは確立されていなかったでしょう。Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名が論じられ始めたのは、2005年8月だったようです。
- また、エリザベス1世の場合には、「イングランド女王」と「アイルランド女王」を有していますから、カッコをつけるとしてカッコの中身はどうするんだ、という話にもなるでしょう。
- Wikipediaでは、ふつう、曖昧さ回避のためのカッコを使っています。区別のためのカッコなので、「エリザベス1世」を名乗った人物が他にいないならカッコは基本不要になります。
- 振り返ってみると2021年頃の議論(ヨーロッパの君主の記事名のつけ方の文書化)では確かに不明瞭だったなあと思っていますが、ここで論じたカッコは、曖昧さ回避のためのカッコではなく、どちらかというと補足説明のためのカッコだ、という性格があるなあと思います。
- ただし、その議論の中ほどにある表で示されているように、「補足説明」は必ずしもカッコによるとは限らず、「○○王ホニャラ1世」「ホニャララ○○王」「ホニャララ・ド・○○」のような方式でも可能で、実際運用されています。とくに英国以外の場合には、ドとかディとかで付与することもあり、イージーに統一し難いという面もあります。
- これに加えて、英国史の場合、「イングランドではジェームズ1世だけどアイルランドではジェームズ6世」とか、「イングランドではジョージ1世だけどドイツではゲオルク」とか、いろいろややこしい事情がありますね。
- Wikipdiaは、かれこれ20年近くいろいろな利用者が出入りしながら編集しており、しかも編集長のような決定権者もいません。そのために、シンプルな外形的統一のようなものは難しい面もあります。あるときルールを定めても、時間が経てば変わることもあります。統一性を気にしすぎることはないでしょう。--柒月例祭(会話) 2022年9月20日 (火) 06:23 (UTC)
- >統一性を気にしすぎることはないでしょう。
- とはいえ、もはや例外は両エリザベスだけになってしまったのでね。
- アイルランドの君主は前後のイングランド君主も有しているので、それは問題にならないと思いますよ。
- ま、将来の話ですが、ベルギーのエリザベート王女が、次の女王になった場合、
- エリザベート1世になる筈ですが、綴りだと同じになるので、
- カッコつけの問題は将来発生するとおもいますよ。
- ということで、単に気分の問題といわれればそれまでですが例外はなくしたいな、と--Diagonal(会話) 2022年9月20日 (火) 07:26 (UTC)
コメント 提案者さん、改名提案をする際には、単にノートページにトピックを立てるのではなく、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことの手順(告知など)に従ってください。なお、改名について現時点で賛否はありませんが、エリザベス1世 (イングランド女王)(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)の記録を見ると、同ページはこれまで1回移動され、2回削除されています。2011年、「曖昧さ回避の必要がない」としてリダイレクトを残して移動され、2013年にはそのリダイレクトがWikipedia:リダイレクトの削除依頼/2013年1月に基づいて削除され、2016年には「意味不明な内容のページ」として即時削除されました。なお、そのリダイレクトの削除依頼において「改名提案による移動の残骸」とされていますが、その改名提案における議論がどこで行われたかは定かでありません。--LABE(会話) 2022年9月20日 (火) 16:19 (UTC)
- 了解しました。正式に改名手続きを行う前に質問
- Q1.エリザベス1世の頁は始まりはカッコなしですか、カッコありですか?
- Q2.カッコなしのばあい、カッコありへの移動、とカッコなしへの再移動、カッコありの場合、カッコなしへの移動の理由は何ですか?
- Q3.カッコなしへの移動が行われた当時、(イギリス女王)をつけるというガイドラインは存在しなかったのですか?
- 以上3点です--Diagonal(会話) 2022年9月20日 (火) 21:57 (UTC)
- 調べたところ
- A1.かっこはなし。
- A2.LABE氏がおっしゃるように移動理由に関する議論が散逸されている可能性が高い。
- A3.曖昧さ回避する必要がなくても括弧付きにすることを求めるガイドラインは2021年5月に制定されている。エリザベス1世の括弧なしへの移動は2011年4月なので括弧つけを義務つけるガイドラインは存在しなかった。--ほくと 2022年9月23日 (金) 09:13 (UTC)
- 了解しました。気分としては「外堀を埋められてる」のでカッコ付けたほうがいいんじゃない、と思ってます。
- ただ、カッコをつけないことにこだわりがあるなら、その理由を聞きたいとは思いますが。--Diagonal(会話) 2022年9月25日 (日) 06:56 (UTC)
改名提案告知報告
[編集]報告 改名提案後の手続きが進められていないようなので、こちらで「エリザベス1世」から「エリザベス1世 (イングランド女王)」への改名提案をWikipedia:改名提案で告知させていただきました。
ノート:エリザベス2世#改名提案の内容の繰り返しになりますが、私は「エリザベス1世 (イングランド女王)」への改名に 賛成 です。「Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名」というガイドラインが存在する以上、これに則った記事名とするのが適切です。ガイドラインはあくまで推奨であり方針ではありませんが、今回はガイドラインを破るだけの強い根拠はないように思えます。 --S.A.J.(会話) 2022年9月30日 (金) 03:01 (UTC)
- 済 1週間経過して反対意見が見られなかったので変更しました。--ほくと 2022年10月8日 (土) 15:40 (UTC)