ノート:リベラル・アーツ
西周 (啓蒙家)の『百学連環』で「術にまた二つの区別あり。mechanical art and liberal art。原語に従うときはすなわち器械の術、又上品の術という意なれど、今かくのごとく訳するも適当ならざるべし。故に技術、芸術と訳して可なるべし」との記述あります。参考まで。Izayohi 2004年12月22日 (水) 07:28 (UTC)
- 返答 1.1 --匿名
&date; なかなか含蓄のあるエピソードだと思います。「自由人」の概念について、補足編集してみました。イントロ部に「この自由人とは古代ギリシア社会においては「奴隷」と対である相対的概念であり、今日的な意味で「自由」を捉えると、原義はわかりにくいものになる。」を追記しました。また、「由来」の第一段落に「(この自由人は、古代ギリシア社会においては、同時に「非奴隷」であることも意味した)。」を追記しました。ウィキペディアの項目「自由」にリンクするとさらに深まると思います。2006年4月5日 (水) 05:49 (UTC)
- 追記 1.1 --匿名
「自由」を内部リンクしました。2006年4月5日 (水) 05:58 (UTC)
では、artes liberales と artes mechanicae は「自由人の術」と「奴隷の術」なのか? そうではなくて、物質や肉体に制約される術か、されない術かという区分ではないのか? Shinobar 2006年5月28日 (日) 20:22 (UTC)
- いいえ、あなたが反語として出した意味でいいと思います。古代ギリシャの社会状況を踏まえた原義で言うなら。
- ところで、「教養」をあまねく発信するメディアとして、放送大学学園が「リベラルアーツ教育を実施している教育機関」に含まれて居ないのは何か理由があるでしょうか?ネオ筑摩屋 松坊堂 2008年1月2日 (水) 03:01 (UTC)
単なる"教養課程"なのに。--以上の署名のないコメントは、75.4.202.254(会話/Whois)さんが 2008年1月12日 (土) 23:08(UTC) に投稿したものです(Aloha-vodkaによる付記)。
学士課程におけるリベラルアーツ教育はアメリカだけでなく、イギリスをはじめとする欧州でも行われています。したがって、「“欧米においては”神学、法学や医学などの専門職大学院に進学するための予備教育としての性格も帯びている。」としたほうが適切かと思われます。--以上の署名のないコメントは、121.118.248.233(会話/Whois)さんが 2008年1月16日 (水) 13:15(UTC) に投稿したものです(Aloha-vodkaによる付記)。
リベラルアーツ重視の検証可能性
[編集]直近の編集コメントに「同志社の源流はアメリカのリベラルアーツカレッジであることは自明」とあり、確かにそれはアマースト大学を参照するなどで検証は容易ですが、「その精神は現在」(健在の間違いか、それとも文の途切れか)という釈明だけで、同志社大学がリベラルアーツ重視かどうか、第三者等にも確認できるとは思えません(同志社女子大学は確認できます)。
ウィキペディアでは、個人の価値判断の域を出ない疑いの強い編集については特に、検証可能性や出典を明記するという裏付けが求められても致し方ありません。書籍やホームページに限らずとも、非常に参考になる記述のあるページで確認できればよいと思いますが、その作業に積極的なご協力を要望します。それでも有力な手がかりがつかめなければ、あるいは一、二ヶ月の様子を見た上でなおも放置状態であるならば、これについての再編集も第一の選択肢に入れたいと思います。どなたかお詳しい方、ご協力願います。--218.129.14.114 2008年11月15日 (土) 18:32 (UTC)
という記述について。 両校は、L.A.に比較的に配慮を払ってきた大学ですが、完璧であるいうわけでもありません。 個別具体の例として、あえて挙げるほどとも思えません。 よって、一般的な記述に改めておきました。--Fxcxt(会話) 2013年2月20日 (水) 19:58 (UTC)
- リベラルアーツ教育をどういった教員が担うべきなのか、ということについても議論があります。
- 理学や文学、法学といった保守的な専攻の研究者が好ましいのか
- 先端の学際領域の開拓者をあてるべきなのか
あるいは、
- 保守的な現役の研究者が好ましいのか
- 専業の教養教育者が好ましいのか
ということも議論の的となります。--Fxcxt(会話) 2013年2月23日 (土) 10:39 (UTC)
参考情報
[編集]参考情報です。
- 「本物の知性」の正体(東洋経済ONLINE 2月15日(月))
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「リベラル・アーツ」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月21日 (木) 15:19 (UTC)
- 確認と表記調整を行いました。--野良人(会話・履歴) 2018年9月22日 (土) 10:01 (UTC)
ウィキペディアの方針とガイドライン
[編集]方針:「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべき」
- 独自研究は載せない、検証可能性、中立的な観点、ウィキペディアは何ではないか等
- 独自研究は載せない(出典を解釈した情報を載せない):「記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです」
- 独自研究は載せない(出典に書かれていない情報を載せない):「もしAが信頼できる媒体で発表されており、Bも信頼できる媒体で発表されているなら、AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事を書いてもよいと誤解するウィキペディア編集者が、しばしば見受けられます。しかしこれは、ジミー・ウェールズの言葉を借りれば「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生む「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型であり、独自研究に相当します」
- 検証可能性(掲載できるのは信頼できる情報源の内容だけ):「私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できる情報源(ソース)を参照することにより「検証できる」内容だけ」
- 中立的な観点:「良質な研究 利用可能な最も評判のよい権威ある良質な情報源に基づく、確かで偏向のない研究は、中立的な観点を巡る争いを防ぐのに役立ちます。図書館で評判のよい書籍や学術論文を探してみたり、オンラインで最も信用されている情報源を探してください」
- ウィキペディアは何ではないか:「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません…掲載すべきは専門家たちの共通見解です」
- 独自研究は載せない(出典を解釈した情報を載せない):「記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです」
ガイドライン:「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されます」
- 信頼できる情報源等
- 信頼できる情報源(査読済み学術論文):「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます」
- 信頼できる情報源(大学教科書):「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。…一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます」
- 信頼できる情報源(査読済み学術論文):「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます」
--123.48.29.195 2022年12月18日 (日) 12:47 (UTC)
- 学術論文などの学術資料を出典に使い、記事に書き加えました。--Tilestat(会話) 2022年12月28日 (水) 07:00 (UTC)
自由人
[編集]自由人でWikipediaの項目にリンクがありますが、そこのページは非常に曖昧です。
また、記述においての「自由人」という用語は、ヨーロッパの古代社会において「奴隷」に対応した「自由人」という言葉と、単に現代日本においても有効な「自由」な人という表現が混在していると思います。リンクは必要ないのではないでしょうか。--Kei Shirasaka(会話) 2023年4月12日 (水) 11:49 (UTC)
記事の構成・内容ともに難解すぎるのではないでしょうか?
[編集]率直に、現代社会において「リベラルアーツ」という言葉を聞いた人が「リベラルアーツとは何を学ぶのか」が分かる内容ではないと思います。
まず記事の構成が、非常に難解です。 大部分が古代ギリシアやローマの学問に関する歴史的記述なのですが、それが「概要」「概史」「歴史」と3つの章で分かれています。 そこに、現代におけるリベラルアーツの教育や概念などが、散りばめられているのですが、それが規則性もなく、とても分かりづらいです。
最低限、『現代」と「歴史」で別に分けて記載する必要があると思いますし、できれば 歴史的な項目は「リベラルアーツ(古典)」など別のページを作成して、そちらに移動したほうがいいのではないでしょうか? このページの歴史的な部分に関する記述は、量・質ともに専門性が高すぎて、一般ユーザーには理解しにくい内容になっています。
内容的にも、冒頭部分にある、語源や別名などは一般的でないものが多く含まれるために、「別称・語源」など別の項目を作り、そこでまとめて紹介したほうが宜しいのではないでしょうか?
学術的な素材から、前後の文脈なしに該当の文章を、ほぼそのまま抜き出しているので、内容も非常に難解な部分が多く、ウィキペディアの記載水準に合っていない様に思います。 また「大学辞典」の記載内容も2009年と古いのも気になります。--ローズヒップ(会話) 2023年5月4日 (木) 06:57 (UTC)
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」の部分の『科学学術雑誌や学術論文 - ウィキペディアの記事を、読者がその主題の分野に精通しているという前提で書いてはなりません。記事名には専門用語ではなく一般的な用語を使用するべきです。また、記事の導入部や冒頭部の数段落における概要説明は、平易な言葉遣いと概念で書き、教育を受けていればその分野に関する特定の知識をまったく有せずとも理解できるようにし、その後、より詳細な説明に進むようにします。』の沿っても、修正の必要があるかと思います。--ローズヒップ(会話) 2023年5月4日 (木) 07:12 (UTC)
- おっしゃる通りだと思います。ただ「言うは易く行うは難し」なんですよね。一番簡単な解決策は、ご指摘の問題が発生していない2022年11月の版への差し戻しですが、それが最善策か分かりません。記事を分割する場合は、新たに立項するよりも、既存の「リベラルアーツ・カレッジ」を上手く活用するのがいいと思います。「現代社会におけるリベラルアーツ」については、2022年9月刊行の『ファスト教養』とその周辺を出典に加筆できるかもしれません。私の方で実行してもいいですが、正直面倒なのですぐにはできません。--Vetalapancavimsatika(会話) 2023年5月5日 (金) 17:04 (UTC)
- 返信ありがとうございます!
- 確かに昨年11月版のほうがわかりやすいですね。
- ただ11月版も出典のない記述があったり、11月~現在までに加筆された情報が全てNGかの確証がないので、面倒くさいですが、現状の版を少しづつ改善していくしかないかと・・・
- 現状の版は、いろいろ問題があるのですが、
- それ以前に、最初の数行で読む気がなくなりますね。。。
- wikiの方針として「(義務)教育を受けた人なら、その知識がなくても誰でも理解できる」ように書かれていなければいけないので、学術ソースからコピペで貼り付けた内容を、平均的な高校1年生が理解できると思えないので、そこはNGだと思います。
- 冒頭部分だけ見ても、現代と古典が混ざってるし、同義語も一般的でない言葉のオンパレードですし
- いきなり特定大学の教育カリキュラムに触れられていますし
- 最初の部分から修正していく必要がありますね。--ローズヒップ(会話) 2023年5月6日 (土) 12:29 (UTC)
- さしあたり、まず以下の2点を私の方で変更しようと思うのですが、どうでしょうか?
- ①. 冒頭部分を2022年11月次点のものへ差し替え
- ②. 「概要」「概史」「歴史」を「リベラルアーツの由来」として一つの章に統合--ローズヒップ(会話) 2023年5月6日 (土) 13:38 (UTC)
- いいと思います。Wikipedia:ページの編集は大胆に--Vetalapancavimsatika(会話) 2023年5月6日 (土) 15:33 (UTC)
- 補足的に。ローズヒップさんが記述なさった「大学辞典」[1]は『大学事典』のことと思われます。ウィキペディアのガイドライン「Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧」に、二重かぎ括弧『……』は次のものに使います。
書名、雑誌名、CDアルバム名・シングル名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名(例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫))言葉を地の文から際立たせるだけのために、二重かぎ括弧『……』で囲まないでください。 - とありますので、それに従った表記をお願いいたします。
- なおローズヒップさんは『大学事典』について、「記載内容も2009年と古い」と仰っていますが、この書籍の参考文献の一つは2014年の出版物であり[2]、この書籍の記載内容は少なくとも2014年以降であると考えられます。--58.88.19.61 2023年5月9日 (火) 10:07 (UTC)
- もう一点。ローズヒップさんの編集の後[3]、脚注部分を見るとシステムエラーが発生しているため[4]、修正をお願いいたします。--58.88.19.61 2023年5月9日 (火) 10:14 (UTC)
- ご指摘ありがとうございました。--ローズヒップ(会話) 2023年5月10日 (水) 12:36 (UTC)
- 補足的に。ローズヒップさんが記述なさった「大学辞典」[1]は『大学事典』のことと思われます。ウィキペディアのガイドライン「Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧」に、
- いいと思います。Wikipedia:ページの編集は大胆に--Vetalapancavimsatika(会話) 2023年5月6日 (土) 15:33 (UTC)
- おっしゃる通りだと思います。ただ「言うは易く行うは難し」なんですよね。一番簡単な解決策は、ご指摘の問題が発生していない2022年11月の版への差し戻しですが、それが最善策か分かりません。記事を分割する場合は、新たに立項するよりも、既存の「リベラルアーツ・カレッジ」を上手く活用するのがいいと思います。「現代社会におけるリベラルアーツ」については、2022年9月刊行の『ファスト教養』とその周辺を出典に加筆できるかもしれません。私の方で実行してもいいですが、正直面倒なのですぐにはできません。--Vetalapancavimsatika(会話) 2023年5月5日 (金) 17:04 (UTC)
ローズヒップさんは方針の「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」を挙げてますが、それはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌以外を出典にすれば適切な記事になるというような話ではないと思いますが。「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できる」とガイドラインで決まっているにも関わらず、査読された公表物(学術論文)からの記述を取り除いて、辞書や大学の公報サイトや教育機関の一般サイトからの記述を並べるのはいかがなものか。(査読とは「学術雑誌や学会誌などに投稿された論文を,同じ研究分野の研究者(ピア)が評価すること」です。)
そもそもローズヒップさんは「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」という方針を挙げて「wikiの方針として「(義務)教育を受けた人なら、その知識がなくても誰でも理解できる」ように書かれていなければいけない」と述べておられますが、同じ方針に「掲載すべきは専門家たちの共通見解です」と記述されています。「記事の導入部や冒頭部の数段落における概要説明は、平易な言葉遣いと概念で書き、教育を受けていればその分野に関する特定の知識をまったく有せずとも理解できるように」すべきであると方針に書かれているのは、平易な見解を掲載すべきということではないですよね。記事の導入や冒頭の概要説明は、平易に書き、教育を受けていればその分野での特定の知識がなくても理解できるように「専門家たちの共通見解」を掲載すべきであるということですよ。--180.20.250.37 2023年6月4日 (日) 17:36 (UTC)
導入部について
[編集]現在、記事の導入部が箇条書きになっています。しかしガイドラインWP:LS上で導入部は「リード文」とも言い、「前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべき」と定義されているため、文章でも記事でもない箇条書きは避けるべきでしょう。編集します。--Tilestat(会話) 2023年5月30日 (火) 13:35 (UTC)
導入部と本文について
[編集]学術論文や辞事典や一部の大学サイトを出典として示している情報が、ローズヒップさんの一連の編集により記事から除去されています[5]。しかしWikipediaの方針上「原則として、単に偏向しているように思われるなどという理由で、出典を明記した情報を除去しないでください」。無論、「難解」な情報は出典を明記していても除去して良い、というようなルールもありません。180.20.250.37さんの発言[6]は妥当でしょう。よって出典付き記述を復元し、現在の版とできるだけ両立させます。--Tilestat(会話) 2023年8月26日 (土) 09:06 (UTC)