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ノート:主体思想/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

項目名を変更すべき

項目名を変更すべきです。 「主体思想」という表記を絶対に認めないわけではありませんが、朝鮮民主主義人民共和国の刊行物や、チュチェ思想研究団体などでは、「主体思想」という表記はまったく使われていないわけであり、不適切な表記だと思います。項目名は「チュチェ思想」として、「主体思想」は付記という形にすべきです。Partizan 2004年11月23日 (火) 12:39 (UTC)

それなら、最初から編集合戦を巻き起こすのでなく議論をして下さい。でないと、無駄な履歴の蓄積を防ぐための3revertルールによって記事がロックされてしまいます。(最初からこういう態度をとっていれば、反対派からも譲歩ぐらいは引き出せただろうにね……)その前に、あなたは同様の発言をされているPetrov氏と同一人物でしょうか。下の議論にもからむことなのでまずそのことを確認したく思います。--Charon 2004年11月24日 (水) 11:44 (UTC)

Petrov氏は存じません。 賛同いただけたようですので、項目名を「チュチェ思想」に変更し、「主体思想」を付記するということで保護解除でよろしいでしょうか?Partizan 2004年11月25日 (木) 11:58 (UTC)

私は妥当だとは考えません。日本語での表記としては主体思想のほうが広く使われており、妥当だと考えます。google の結果でも主体思想のほうが多いようですし。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年11月25日 (木) 12:04 (UTC)
「主体思想」という表記は、80年代までは普通に使われていたようですが、90年代ごろから(正確な時期はわかりませんが)チュチェ思想研究団体で、「主体思想」と表記しないことになっています。つまり、「主体思想」というのは古い表記が残っているものと思われます。新しい正確な表記を中心にし、古い表記を付記するという形にするのが正しいと思います。Partizan 2004年11月25日 (木) 12:07 (UTC)

あのー、私は賛同した覚えはありませんが。--Charon 2004年11月25日 (木) 12:06 (UTC)

項目名の争いで、Wikipedia:コメント依頼に出しませんか?二三人で押し問答しても埒があきませんから。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年11月26日 (金) 12:22 (UTC)
コメント依頼というのを知りませんでした。お願いします。

なお、「主体思想」という表記が今日使われていないということは、朝鮮民主主義人民共和国の研究機関や、「チュチェ思想国際研究所」などに問い合わせればすぐにわかることです。どうしてこの程度のことが理解していただけないのか理解に苦しみます。Partizan 2004年11月26日 (金) 12:24 (UTC)

ウィキペディア日本語版はチュチェ思想国際研究所の宣伝機関ではないので、記事名は一般に通用している呼称の方でいいと思います。記事文中に読みが併記され、「チュチェが正しいとする立場もある」と注記してある時点で十分でしょう。--219.163.2.49 2004年12月2日 (木) 09:02 (UTC)

「主体思想」を支持。 辞書であることから「一般人が日本語でどう表記するか?」を考えたい。 私は、一般人でチュチェ思想に精通しているというわけでは有りませんが、この件に関して、「主体思想」と表記するものと思っていました。私がどの程度一般人かは、確かに議論の余地が有りますが、「チュチェ思想」と表記するよりも「主体思想」と表記するほうを支持したいです。さらに、朝鮮では、元来「主体思想」と表記された時期もあると記憶するので、当事国の漢字表記は、できるだけ漢字表記すると言うのも辞書の情報として大事な要素であると考えます。 そろそろ、一年近く経つようです。結論を出していただきたい。 Carl Daniels 2005年10月19日 (水) 04:19 (UTC)

14:52 2004年5月24日の版について

14:52 2004年5月24日の版に「(李友情著、マンガ・金正日入門より引用。)」との記述がありますが、大丈夫でしょうか?どなたか確認お願いしたく。原文自体の転載に問題がなくても翻訳の利用という懸念もあります。利用者‐会話:218.41.61.53にも質問をしていますが、今のところ返事は頂いていません。 Kozawa 23:15 2004年5月24日 (UTC)

「主体思想」と「チュチェ思想」について

「主体思想」という表記は誤りなので、「チュチェ思想」に変えるべきです。 朝鮮の文献でも、チュチェ思想研究団体でも、「主体思想」という表記は使っていません。 事典ですから、誤った表記を広めてはいけないと思います。ただちに直すべきです。Petrov 2004年10月25日 (月) 13:25 (UTC)

「主体思想」という表記が誤記であるというのはPOVではありません。朝鮮民主主義人民共和国でも、日本国内のチュチェ思想研究団体でも、「主体思想」は誤記とされており、この表記は使われていません。つまり「主体思想」が誤記というのは公式に定められていることといえます。このような誤記は正すべきです。Petrov 2004年11月13日 (土) 08:25 (UTC)

本項からinterwikiされている英語版、中国語版、フィンランド語版記事でも「主體」ないしは「主体」という表記がなされているのですが、それも「誤記」だとおっしゃるのでしょうか?まずは日本語や中国語における「主体」と「주체」にどのような差異があるのか記事上で説明されてはいかがでしょうか?現在の記述だけではなぜ「主体思想」が誤記であるのか理解が難しいと思います。Cinnamon 2004年11月13日 (土) 08:42 (UTC)

は?朝鮮語の주체の元の漢字を示しているだけですが?

中国語だけは、表音文字がないので、漢字表記せざるをえないようですが、日本語は表音文字があるので、漢字表記はしないことに定まっているのです。

なお、 >まずは日本語や中国語における「主体」と「주체」にどのような差異があるのか記事上で説明されてはいかがでしょうか

といいますが、これだとチュチェ思想そのものの解説になり、一つの記事としては膨大になると思います。Petrov 2004年11月13日 (土) 08:49 (UTC)

私にもなぜ「主体思想」が誤記であるかわかりませんね。チュチェは「主体(主體)」の朝鮮語読みでしょう。ぼやかすだけでは他人には意味不明なので、それが「誤記」とまでされる理由を具体的に説明していただけませんか?--Charon 2004年11月13日 (土) 08:51 (UTC)
中国語はいい、というのもちょっと……音写という表記法があるでしょうに。--Charon 2004年11月13日 (土) 08:55 (UTC)
学問用語においては、日常的に使われる用語であっても、その学問分野独自の意味を持つことがあるでしょう。日常用語としての「주체」と、チュチェ思想における「주체」は違う言葉なのです。だから、これを日本語で「主体」と訳してしまうと、間違った訳であるということになるのです。Petrov 2004年11月13日 (土) 08:58 (UTC)いったん落ちます。

주체の元の漢字が「主体」であることは確かですよね。それなのに「主体思想」という表記が誤りになってしまう理由を本文中で提示して頂きたいのです。「誤記」と断じる以上は、その説明が例え膨大であろうと書いていただく責務が生じると思うのですが。Cinnamon 2004年11月13日 (土) 08:53 (UTC)

ISBN 4624420373のように、研究者(この方は朝鮮大学校の教授であるらしいです)であっても、括弧内に併記する形ながら、「主体」の二文字を書名に用いているケースがありますので、やはり「誤記」と断じるには上記のような説明では根拠として薄弱であると思いますね。Cinnamon 2004年11月13日 (土) 09:59 (UTC)

語源については本文で説明されているので「主体思想」で問題ないと思われます。主体思想の「主体」と「思想」はバラバラではなく、熟語としてチェチェ思想を表す固有的な意味と考えられます。DIGITAL 2004年11月27日 (土) 16:35 (UTC)

주체は固有名詞であって、普通名詞の主体ではない、と仰りたいのでしょう?英単語を小文字で始めるか、大文字で始めるかの差だと思います。주체には独特のニュアンスがある、というのは信奉者の言い分であり、一般に通用するものではありません。220.146.116.144利用者:辛哲愚

黄長燁が理論を創った

Hwang Jang-yop 項目 (Hwang Jang-yop) was instrumential in the formation of the governing ideology of juche と記述されております。 だからと言って、英語版を削除されないように. --Tommysierra 2006年6月5日 (月) 21:23 (UTC)

なるほど。ファン・ジャンヨプの項目だとは思わずen:Jucheを見ていました。
  1. しかし、お恥ずかしながら、instrumentialという語の意味がわかりません。英語版にあるのだから本当に何か読み方があるのだと思うのですが……ちょっと辞書を引いたくらいではわかりませんでした。よろしければご教示いただけませんでしょうか。ちょっと想像をふくらませて言うと「大きな役割を果たした」くらいの感じでしょうか? instrumentalだとして「助けになった」くらいに解すればいいのでしょうか?
  2. 上記の部分だけで「理論を創った」と書いてしまうと、今度は英語版en:Jucheと食い違うのではないかというのが一つ。
  3. もう一つは、なぜこの一部分だけを反映するのかが疑問です。
「削除されないように」とありますが、ぶっちゃけ、そのようなものを拝見すると修正すべきだと思います。アカウントをもっていないのでやりませんが。
▼本題ですが、「概説」冒頭で、「ファンジャンヨプが創った」と記すと、主体思想と北朝鮮の政策的紆余曲折との関係が見失われると思います(無論、これらを関連付ける研究はいくつもあります)。項目en:Jucheはまず主体思想の出発点を(この段階で主体という言葉があったのは疑われており、まるで引用文のように書かれているのは後に改竄された著作集のほうを採用している可能性がありますが)「Kim Il-sung advanced Juche in a December 28, 1955, speech titled "On Eliminating Dogmatism and Formalism and Establishing Juche in Ideological Work" as a rejection of the policy of de-Stalinization (bureaucratic self-reform) in the Soviet Union. 」と説明しています。これは、私の知る見方(概ねは徐大粛氏)と一致します。上記説明のように出発したのちも北朝鮮の公式イデオロギーは政策的要請の変化から(多くは国際情勢から)次第に姿を変えていますし、主体思想という名前を得てからも、内容もプロパガンダ表現も紆余曲折を経ていることが観察されています。私からすれば「ころころと場当たり的に変化している」と言いたいくらいです。しかし、社会主義国の常で、公式イデオロギーにおける変化(特に表現変化)を正当化するための理論整備もそのつど行われています(これは鐸木昌之氏の研究に詳しいです)。整備段階でファンジャンヨプは大きな役割を果たしているとされていますが、理論的背景を(あとから)整備する役割を担って党理論誌『勤労者』等に論文を発表しているのはファンジャンヨプだけではありません。概説冒頭において「ファンジャンヨプがその理論を創った」と表現するのは言い過ぎだと思います。このような表現は、ある思想家個人の思想を述べる場合に使われるべき表現ではないかと思います。--Iosif 2006年6月5日 (月) 22:08 (UTC)
(失敬.ナーバスな方のようなので削除しました)軽いジョークのつもりなので、あまりお気になさらないようによろしくお願いします。
(本題)この文章も黄長燁自身が"全て一人で"作ったと言う文章ではないと思います。ファンジャンヨプ氏が取りまとめを行った(大学の教授が指針を学生に与えて研究させ、成果は教授のものになる)という位置付けでしょう。
"Kim Il-sung advanced Juche..."の部分もすでにあるJucheをadvance(前に進める→発展させる)したと言う英文でしょう。前に進めるためには既に存在しないと駄目!つまり、Kim Il-sung は発展させたのであって、創始したのではない。という意味でしょう。例え紆余曲折があるとしても、本旨は、金日成は(創始でなく)発展させたことを言っています。よって、創始者に付いて触れるのは、必須であると考えますがいかがですか?--Tommysierra 2006年6月5日 (月) 22:55 (UTC)
やり取りが意味不明になるので、あなたの「ジョーク」を元に戻しました(わざわざ「ナーバスな方」と書くのも挑発めいているのでお止めになる方が良かったでしょうね)。それと、Iosifさんは別に『ファンジャンヨプが元になるものを作った』ことを否定しているのではないと思いますが。 -- NiKe 2006年6月6日 (火) 01:30 (UTC)
現在NiKe氏に反論したいことがありますが、本人がノートページの書き込みをNewcommerに許可しないようなので、しばらく保留します。--Tommysierra 2006年6月7日 (水) 08:48 (UTC)

>Kim Il-sung は発展させたのであって、創始したのではない。という意味でしょう。(Tommysierraさん )

社会主義国のタテマエとして、「創始者」はマルクスなんですが……。--Iosif 2006年6月6日 (火) 05:47 (UTC)
北朝鮮の場合は91年にマルクスとオサラバしたことになっていますが、それはそれとして、すぐにハンドルを大きく切れないものです。「継承・発展させた」というのは自国指導者の崇拝が高まったときのお決まりの文句です。引用なさっている英語版wikipediaの表現は英語版『金日成著作集』を引いたものでしょうかもしれません。だとしたら、その文章の原文は朝鮮語ですが、朝鮮語表現も要するに毛沢東主義プロパガンダをまねて中国共産党の言い回しから採っていますて、執拗に繰り返されたありふれた表現です。ただ「マルクス主義とレーニン主義を継承・発展させた」という表現ではなく「advanced Juche」となっているのは不思議に思われるでしょうがマルクスの議論のなかにすでに「チュチェ(思想)」があったのだという立場をとっているので、そういう表現も不思議に思いません…し、実際にみかけます(ただ百科事典がそれを採用しているのは変ですが)。…まあ、あまりに無茶苦茶なので想像の範疇外かもしれませんが、あの国の場合はそういうことになってるのッとしか言いようがありません。R.A.Scalapino & Lee Chong-Sik, Communism in Korea, Ⅱ( University of California Press, 1972)とSuh,Dae Suk, Korean Communism,1945-1980(The University Press of Hawaii,1981)をご覧いただければと思うのですが、当該ページを探す前に、Tommysierraさんがどういった情報を背景にしていて記事をどうしたいのか(=全文翻訳ではなく、なぜその一部分だけを反映するべきだと考えるのか)をうかがったほうがよさそうです。私も主体思想の“論理”そのものを紹介するのは、内容が内容なので意欲を失っています。--Iosif 2006年6月6日 (火) 05:47 (UTC)--修正付加。--Iosif 2006年6月6日 (火) 11:44 (UTC)
訂正。記憶違いでした。en:Jucheのとおり「主体」の語の初出は55年で間違いありません。そう合意されている、というより「初出であろう」として発表されて以来、反論されていません。ただしこの段階では言葉その通りの意味で「主体」と使っているだけで、後に主体思想と呼ばれるものは発現していません。参考までに。間違いを書いた箇所は削除線を引いておきます。--Iosif 2006年6月6日 (火) 07:44 (UTC)
さらに修正。うっかり見落としていましたが、en:Jucheに書かれているのは「advanced Juche」であって「advanced Juche-ideology」ではないんでしたね。これ、単に「提唱した」というていどの意味なのではないかという気がしますが(^-^;(用例→[1])。いや、英語が得意じゃないのでわかりませんが、「『主体』の語/概念を、提唱した/口にした」ということであれば、どれを紹介すればいいのかわからないくらいよく見かけるオーソドックスな説明です。▼しかし、どちらで解釈しても、公認指導思想の「創始者」が金日成=プチ・スターリンよりも格下のプロパガンダ担当政治局員であると想定するというのはおかしい。取りまとめ役や共産主義国で必ずいる整備役のイデオロギー担当書記等を普通は「理論創始者」などと呼ばないし、そのように呼んだ文献など見たことがない。英文一つをもって、公式プロパガンダ上で崇拝対象である指導者より先んじた「創始者」を想定するとしたら「マルクス、レーニン、の思想を継承・発展させた」という北朝鮮の自前のプロパガンダのとおりに受け取るかくらいしかないと思います。--Iosif 2006年6月6日 (火) 11:52 (UTC)修正。--Iosif 2006年6月6日 (火) 16:07 (UTC)
Q1.Nike氏も言っておられる通り「金日成は、作ったのではない。」と言う合意ができていると考えて宜しいでしょうか?
よって、「理念を誰が作ったか?」を記述すべきかどうかを議論したいと思います。理論体系を作るのは、いつでも国のトップという訳ではないことは、はっきりしていると思います。:では、黄長燁氏の動向は、一般ニュースでも流れるほど、注視される事柄です。
Q2.それなら、黄長燁が関わっていることは、特筆すべきことではないでしょうか?
(要求)議論が終わってないのに議論の本人が議論を無視して記事を変更するのはおやめください。他者の見通しが悪くなります。--Tommysierra 2006年6月7日 (水) 09:15 (UTC)

真っ先に思うのは、どうしてTommysierraさんが出した「根拠」に関する説明がないのかということです。私はそれについてアレコレ考えを述べたのに、です。そして、英語版の一部を根拠になさったTommysierraさんが、どうして英語版のある一文を根拠に加筆するのか(そうすべきと考えたのか/しかも解釈つきだと思うし)、どうしてen:Jucheを全文翻訳したほうが正確だという議論にならないのか、そのへんが疑問です。今回のTommysierraさんによるお尋ねを、Iosifは論点ずらしだと考えていることを表明したうえで、しかし、お尋ねに答えたほうが話は早いと考え、考えを述べます。私はTommysierraさんに言われて英語版を初めて読んだのですが、あの記事のとおりに書くのがもっともバランスが取れていると思います。以下は引用とそれに対するコメントです。

>「金日成は、作ったのではない。」と言う合意ができていると考えて宜しいでしょうか?(Tommysierraさん)

元の文章[2]が、そういう理解に基づいた記述です。「北朝鮮当局は、金日成が創始し金正日が発展・体系化したものとしている」と概説・冒頭・第1センテンスで書いてあります。Tommysierraさんは、何を、どういう理由で記述したいのか、明らかになさっていません。単に「金日成が作ったのではない」と加えるべきだという話でしょうか? そのようなことは、まったく自明のことだと思いますが、誤解を与えるとあなたが考えるなら、どのような誤解があり得るかを明らかにしたうえで、その誤解を避けるために最小限注記することに、ことさら反対しません。ただし、その場合は、中国共産党の項目にもユーゴスラビアの項目にもルーマニアの項目にも同じように加筆するべきです。もちろん、私は、そのようなことは記述する必要のないことだと思います。そもそも当項目のどこにも金日成の独創であるなどとは書いていないからです。

>よって、「理念を誰が作ったか?」を記述すべきかどうかを議論したいと思います。理論体系を作るのは、いつでも国のトップという訳ではないことは、はっきりしていると思います。(Tommysierraさん)

おっしゃっていることが後退したので(ファンジャンヨプだと言っていたので)大変戸惑っています。ここでおっしゃっている「トップという訳ではない」というのは自明のことだと思います。そういった議論の前に、Tommysierraさんのおっしゃる「主体思想」の「理念」とやらはどのようなものなのか、Tommysierraさんはその理念とやらをどのように理解しているのかをお尋ねしたい。
まず、あなたのおっしゃる「理念」とは何を指すのかご説明ください。具体的には、どの部分が、他の社会主義国から逸脱したオリジナルな部分なのでしょうか?(現象ではなくプロパガンダ内容について尋ねています)。それを同定しないことには、誰の産物か(というよりも“何”による産物か)という議論を進めようがありません。なお、私は、社会主義系統の独創的な理論家が国家指導者になった例をレーニン以降に認める議論など、当該国家当局から出た言説以外には見たことがありません。なお、レーニンの独創的な部分についてはマルクス・レーニン主義の項目とレーニンの項目に書かれておりますし、私も加筆した覚えがあります。
次に、Tommysierraさんが認識している「独創的な部分」は誰が提唱したものだと北朝鮮当局が言っているのかを教えてください。「独創的な部分」を同定したうえではじめて「誰の産物か」を記述できるわけですが、実際問題「誰の産物か」を書くのは大変難しい。ほとんど不可能事です。しかし、当局が発した情報以外に採用できる情報があり得るか否か、何を採用し得て、何を採用し得ないかという議論ならば応じることができます。

>Q2.それなら、黄長燁が関わっていることは、特筆すべきことではないでしょうか?(Tommysierraさん)

すでに特筆してあります。「主体思想の哲学的レトリックや論理構成は金日成の側近だった黄長燁によって整備されたものと言われている」という文章をご覧ではないのでしょうか。これ以上に踏み込んだ記述が可能だと言える根拠を知りません。
Tommysierraさんが書いた「主体思想は、黄長燁がその理論を創ったが」という記述は単純な誤解に基づく誤りだと認識しております。
私はそのような認識を示す言説を目にしたことがないのですが、そのように主張する人がいるのなら、その紹介と、その人が依拠している黄長燁の踏み込み方に関する根拠を挙げていただけないでしょうか。もちろん、韓国マスコミの扇情的報道と、本人“のみ”の裏づけのない自己申告は、ナシでお願いします。申し訳ないですが、恵谷治氏も勘弁してもらいたい。ジャーナリストはすべて一見「ソース無し」で書き飛ばす書くスタイルに見せかけますし、情報源を明らかにしてはジャーナリズムが成立しないのが当然なのですが、そのなかでも区分けというものはあり、彼らは彼らのルールで長い期間の中で辻褄があっているかどうかで定評があったりなかったりします。恵谷氏の記述関する詳細(=誤りの連発とシラの切り方)であれば、いくらでも議論に応じます(無論、別項目で)。重村氏については99年までは信頼しておりますが、拓大教授になって以降は明らかに記述に変質が見られます。これも別項目で議論に応じる用意があります。何を言いたいかというと、ここではあくまで、検証可能なものを挙げていただきたいということです。なお、私が認識する限り、ファンジャンヨプの踏み込み方を立証できる、第三者に検証可能なソースは存在し得ません。

>よって、「理念を誰が作ったか?」を記述すべきかどうかを議論したいと思います。(Tommysierraさん)

ここ↑は繰り返し引用しました。これ↑については誰も議論ができないからです。議論できないことを記述するのは不適切です。なぜなら、(1)公式プロパガンダと、(2)亡命者証言のクロスチェック以外に、第三者に検証可能なソースが存在しません。また(2)番の亡命者証言は複数証言の一致を見ないかぎり根拠として採用されないのが通例です。政治亡命者一名の証言は、参考にとどめられるのみで、それが事実認定に用いられている例はほとんどありません。少なくともファンジャンヨプ証言は北朝鮮研究者によって事実認定への決定的証言という扱いを受けておりません(韓国の論壇誌による扇情的推測記事や現代コリア誌は除く。ジャーナリストにもいろいろいますが、一切のソースなしに書き飛ばしている方はご勘弁願いたい。ジャーナリストがニュースソースを明かさないのは当然ですが長いスパンで辻褄があっていると認定されていることで生まれる定評というものがあります。申し訳ないが、恵谷治氏等にそのような評価は下せません。北朝鮮にディープスロートをもっていたと思わしき説得力のある分析を繰り出していた重村氏でさえ残念なことに99年以降は新規情報をもたらせなくなってしまう--とIosifは評価している--、ジャーナリストのルールはそういうものだと思います。)。もちろん、ユーゴスラビアの元副大統領にして亡命したジラスの証言も長い時間をかけて部分的に認定されました。--Iosif 2006年6月7日 (水) 21:29 (UTC)--参照先追加。および、補足。--Iosif 2006年6月8日 (木) 20:03 (UTC)

(要求)議論が終わってないのに議論の本人が議論を無視して記事を変更するのはおやめください。

ご無礼申し上げますが、私には、相互に違った情報環境をもっているがゆえに対等な議論が成立していると考えられなくなりつつあります。もう少し突っ込んだ議論になって68年の唯一思想体系キャンペーン(スターリン主義国から逸脱して正々堂々と指導者原理を打ち出した)におけるファンジャンヨプの活躍(=寄稿)を挙げたくも存じます。ことほどさように、引用合戦は面白い。しかし、記述を巡る議論に資するところは少ないと信じます。
しかし、我々はより適切な記述を目指すための議論をしているのであって論争をしているわけではないと教わりました(いくつかの基本方針から)。某パスワード失念氏を彷彿とさせるようなdualismに成り果てていくのをIosifは断固として避ける、と先回りして宣言いたします。私が求めているのは「主体思想は、黄長燁がその理論を創ったが(Tommysierraさん)」という聞いたことのない記述の根拠です。私の考えでは、その根拠を得ることは不可能なのです。もちろん「得た」と主張する人はたしかに現存していますが、あまりに辻褄があわないため記述するに値しません。そして、何度でも繰り返しますが、「理論を創った」と加筆なさった方が、その「創られた」理論とはどういうものなのかを説明してくれなければならないと信じます。なぜなら、どれが「創られた」部分であるのか同定しないまま議題にすることが不可能だからです。--Iosif 2006年6月8日 (木) 20:03 (UTC)--ノイズでしかないので議題とは無関係な(先回りした)評価表明に削除線を入れました。無視してください。--Iosif 2006年6月9日 (金) 08:19 (UTC)
10か月にも渡ってタグを閉じ忘れたままでした。MikeAz800oさん、ご対処いただきありがとうございました。LERKさん、会話ページにお知らせいただきありがとうございました。せっかくお知らせいただきましたので、履歴・差分とにらめっこしながら閉じ忘れ箇所を見つけて復元してみました。せっかくMikeAz800oさんにご対処いただきましたが、お知らせに応じないでいるわけにもいかず、自分で手を加えました。ご容赦ください。……ほんとうに、どうでもいいと思われるに違いない内容なのにいろいろとお二人にはお手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。--Iosif 2007年4月24日 (火) 21:10 (UTC)

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WP:PPol#単純な修正につき、英語版を参考に、Interwikiのタグを書き換える修正を提案します。3日ほど待って、反対がなければ WP:AN/PEに依頼します。--Tatsujin28 2008年4月26日 (土) 11:04 (UTC)
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確認しました。対処、ありがとうございました。--Tatsujin28 2008年5月10日 (土) 15:22 (UTC)

今日では使われていない表記を直すべき

「主体思想」という表記は、今日では使われておらず、「チュチェ思想」が日本語での正式な表記となっています。正式な表記を用いるべきです。従ってこの項目は「チュチェ思想」に移動すべきです。競馬王 2007年4月24日 (火) 09:48 (UTC)

関連項目 良心絶対主義、儒教文化圏の除去について

関連項目へのIP:61.198.184.157会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois様による赤リンク「良心絶対主義」、「儒教文化圏」は、とても深い研究から追加されたものと拝察されるのですが、Wikipedia:関連項目に照らしても、ウィキペディアにない項目について徒に追加することは無意味と考え、削除いたしました。ご異議のある方、またこの項目について立項し、関連項目として成立させたいご意志のある方はご意見をご表明の上、ご復活いただきますよう、御願い申し上げます。関連項目については、拘束力はありませんが、Wikipedia:関連項目がございますので、お互いにひとつの指針としてまいりたいものです。--Paporionama 2010年3月27日 (土) 23:31 (UTC)

なぜ「主体思想」と表記しないのか

在日本朝鮮人総聯合会の機関紙朝鮮新報に、「『主体』と翻訳せずに『チュチェ』と呼ぶのはなぜ?」という項目がありましたので、紹介しておきます。http://chosonsinbo.com/jp/2012/04/juche/ ラーメン大学名誉教授会話2012年7月28日 (土) 08:50 (UTC)

「主体思想」「チュチェ思想」どちらの表記が記事名として適切であるか、このページで議論する必要があると考えます。コメント依頼を出し、意見を募りましょう。--Rienzi会話2012年7月28日 (土) 12:24 (UTC)

記事名として「主体思想」「チュチェ思想」どちらが適切であるか?

Rienziと申します。

この記事の記事名は、「主体思想」でありますが、朝鮮総連の方では「主体」という日本語表記を採用せず、「チュチェ思想」という表記を用いております。

記事名について、現在の「主体思想」を維持するべきか、それとも「チュチェ思想」に変更すべきか、皆様のご意見をいただきたいと思い、話題提起をさせていただきました。

私個人としては、正直に申し上げて、内心はどちらでも良いと思っておりますが、「主体思想」の方は、正式な表記でない、という問題があり、一方、「チュチェ思想」の方は、朝鮮総連が一方的に主張しているだけで、わざわざ「主体」を朝鮮語表記にするいわれはない、あるいは、既に「主体農法」など、「チュチェ」の意味で「主体」という語を用いた記事が多数存在しており、多くの記事の改名が必要になる、という問題があると考えております。

以上のような問題があることから、私は「記事本文冒頭に、主体思想、と、チュチェ思想、を併記」という現状維持で問題ないと考えております。

皆様のご意見をお待ちしております。--Rienzi会話2012年7月28日 (土) 12:29 (UTC)

なお、この議題につきましては、このノートにおいて、表記について、朝鮮総連側による正式な発表がなされる以前に一度同様の話題提起がなされており、その際には、改名意見は、明確な理由のもとに否定されております。[3]--Rienzi会話2012年7月28日 (土) 12:36 (UTC)

コメント 原則論としては、日本語圏での使用状況を勘案する必要があります。朝鮮総連の意見については、表記にこめた意味を示しているだけにすぎず、あまり参考にはなりません。これは十分に使用実績のある公式表記と慣習表記とのゆれにすぎず、どちらが正しいというような問題ではないと思います。ただし、公式の翻訳が朝鮮語読みを採用していることは、一筆しておく価値はあります。
なお『ブリタニカ国際大百科事典(小項目電子辞書版 2008年)』では「チュチェ思想」で項を立てています。他にもチュチェ表記のものがあります[4](本文で「チュチェ思想」以外の語に「主体」表記を使用するものもあり)。他の文献でもチュチェ表記が圧倒的多数であれば、「チュチェ思想」に改名したほうがよいかもしれません。一方で、表記変更をするに足るだけの積極的な理由がなければ日本語訳として定着している「主体思想」のままにしておくのが妥当です。 --Yhiroyuki会話2012年7月29日 (日) 11:56 (UTC)
コメントコメント依頼から来ました。Wikipedia:記事名の付け方を原則として「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」、つまりYhiroyukiさんのご意見の通り、日本語圏での一般的な使用状況を確認するのが基本と思います。試しに (1)google web検索:「主体思想」約 3,600,000 件、「チュチェ思想」約 890,000 件 (2)google 書籍検索:「主体思想」約 41,800 件、「チュチェ思想」約 41,400 件、読売新聞サイト内検索:「主体思想」8件、「チュチェ思想」0件、朝日新聞サイト内検索:「主体思想」9件、「チュチェ思想」0件、などでした。古い書籍は「主体思想」の累積が圧倒的ですが、しかし「最近はチュチェ思想の方が一般化した」とは言えないと思います。従って他の特段の理由が無ければ、当面は現状維持(主体思想のまま)が妥当ではないでしょうか?--Rabit gti会話2012年8月8日 (水) 13:23 (UTC)
コメントYhiroyukiさん、Rabit gtiさん、コメントいただきましてありがとうございます。現時点においては、まだ「主体思想」のほうが、日本語話者の大多数にとって、もっとも曖昧でなく、もっとも理解しやすいもの、と言えそうですね。今後の状況を見て、圧倒的に「チュチェ思想」表記が増えてきた時点で、再度改名を検討する形がよいと思います。少なくとも現時点では「改名は時期尚早」ということで、この話題についてはクローズ・・・と思っておりますが、いかがでしょうか?--Rienzi会話2012年8月8日 (水) 16:42 (UTC)
コメント そもそも当ノートでは「チュチェ思想への改名」との意見の方は誰も登場していないと思いますし、その段階でのコメント依頼は、やや過剰ではなかったかと思います。--Rabit gti会話2012年8月9日 (木) 13:51 (UTC)

コメント インデント戻します。そうですね・・・少し急ぎすぎたように思います。コメントいただきまして、ありがとうございました。--Rienzi会話2012年8月9日 (木) 14:01 (UTC)

チュチェ思想が日本に紹介されはじめた1970年代には、「主体思想」という表記も用いられましたが、現時点で、チュチェ思想研究団体が、どれも「主体思想」という表記を用いないこと、また「主体思想」という表記を用いるのは主にチュチェ思想や朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮労働党に敵対的な人々であること、からして、「チュチェ思想」が適当であると考えます。ラーメン大学名誉教授会話2012年8月12日 (日) 07:15 (UTC)
コメント 個人的にはどちらでも良いのですが、当ノートで「チュチェ思想」への改名意見は、2004年に2回、2007年に1回、2012年に1回出ていますが、何回かはWikipedia:記事名の付け方を原則として「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」として、検索結果などで判断して「主体思想」になっています。なお「「主体思想」という表記を用いるのは主にチュチェ思想や朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮労働党に敵対的な人々」との出典はありますか? 既に記載の通り、朝日新聞・読売新聞は「主体思想」、北朝鮮と敵対している日本共産党は「チュチェ思想」を主に使用しているようです。個人的には、世間では既に普及した日本語訳の「主体思想」を、共産主義者や政治学者など専門家はより誤解を招かない「チュチェ思想」と多用している傾向かと推測しますが、ウィキペディアは一般向け百科事典です。なお「チュチェ」は、記事にも記載の通り哲学の主体と客体(サブジェクト)から来ており、片方が蔑称なのではなく、単に日本語訳を使うか、原音重視のカタカナ表記するかだけの話です。使用状況が変わらないのに、同じ改名提案を繰り返すのは不毛と思います。--Rabit gti会話2012年8月12日 (日) 09:37 (UTC)
時間がないので一点だけ。日本共産党は、「北朝鮮と敵対している」わけではありません。ラングーン(ヤンゴン)事件が起きたときに、日本共産党と朝鮮労働党の関係が断絶したのは事実ですが、その後2000年朝鮮総聯を第22回党大会に招待し、関係を回復しました。また2001年の朝鮮総聯第19回全体大会には、日本共産党が招待されて出席しています。近い将来に開かれると思われる朝鮮労働党第7回体内には、日本共産党も招待されると思われます。ひとまずはこれだけ。ラーメン大学名誉教授会話2012年8月15日 (水) 06:55 (UTC)

存在論と宗教

また、アドヘレンツ・ドットコムの発表より早い2001年に、内藤陽介は、著書『北朝鮮事典』の主体思想の項目において、「金日成の死後、金正日が主体思想を宗教思想へとつくりかえた。存在論に言及しているという点で、現在の主体思想は宗教思想としての要件を満たしている」という趣旨の内容を述べている。

記事にこうありますが、意味がよく理解できません。存在論に言及しているのが「宗教思想としての要件」であるならば、たいていの哲学体系は宗教に分類できることになってしまうでしょう。とにかく意味がよくわかりかねる部分ですので、削除か加筆が求められます。ラーメン大学名誉教授会話2012年7月28日 (土) 22:45 (UTC)

加筆を見ましたが、まだ読者を納得させるものにはなっていません。まず引用されている「アドヘレンツ・ドットコム」は、ほとんど知られていないサイトと思われます。また、それを引用した「デイリーNK」は、韓国の「ニューライト」と言われる右派の言論とみなされており、中立的研究とはみなされません。また、「宗教を排斥している」などの記述は誤っています。朝鮮民主主義人民共和国では天道教仏教キリスト教が認められており、宗教が排斥されているという事実はありません。また、「存在論」が普通の哲学用語の意味(英語のontology)であれば、チュチェ思想が確立する以前の、マルクス・レーニン主義を掲げていた時代から存在しており、チュチェ思想がはじめて存在論を導入したわけではありません。また、革命的領袖観(「首領」は日本語では「領袖」と訳される)は、金日成死後に導入されたものではなく、それよりだいぶ前からあります。また、日本のおもな朝鮮研究者(慶應義塾大学の小此木教授、東京大学名誉教授の和田春樹など)も、チュチェ思想を宗教思想とみなすような立場をとっていません。これらの点から、チュチェ思想を宗教に分類する見方はかなり特殊で、説得力に欠くと言わざるを得ません。ラーメン大学名誉教授会話2012年7月29日 (日) 11:05 (UTC)


Rienziです。 ラーメン大学名誉教授さんにお訊ねしたいのですが、「アドヘレンツ・ドットコム」を「ほとんど知られていないサイトと思われる」理由を具体的にご教示いただきたく思います。私は、当該サイトは、様々な論文をもとに検証を行なっていることから、インターネット上の情報であるという弱みはあるにせよ、それなりに信頼に足ると判断して、当該サイトの記述を引用しておりますが。

デイリーNKは右派の言論であり、かつ、反北朝鮮的なスタンスにある報道機関であるのは事実でありますが、単に、デイリーNKが報じたものであるからと言って、「中立的研究とは見なされない」と断じる理由も、明確に示していただきたいと思います。デイリーNKの報道スタンスは、例えば産経新聞などの報道スタンスと比較して、極端に差異のあるものではないと思われますし、デイリーNKの報道を積極的に排除する理由は見当たりません。また、朝鮮日報でも、(デイリーNKの報道のあとでしょうが)この一件は報道されています。[5]

右派の言論だから、中立でない、掲載に値しない、というのは、はっきり申し上げて、ラーメン大学名誉教授さんの言い回しを借りれば「私には納得できません」ということになります。

北朝鮮では、天道教仏教キリスト教が認められている、というのは、北朝鮮政府が一方的に主張しているだけで、たとえばウィキペディア内でも、「憲法上は認めていることになっている」という程度の記述にとどめられていることにご留意ください。[6]

百歩譲って、「他の宗教を排斥している」という記述を改めるとしても、だからといって「北朝鮮は信教の自由を保障している」ことにはつながらず、また、コ・ヨンファン著『平壌25時』などでは、外国人向けに信教の自由をアピールするために、党員を僧侶や牧師に仕立て上げている内実が明かされています。[7]

以上のような状況に鑑みて、「宗教を排斥している」とは言わないまでも、「信教の自由を保障している」と言い切ることは、ウィキペディアの記事の品質を貶めることになります。

主体思想が初めて存在論を導入したものでないこと、また、和田春樹教授を始め、主体思想を宗教と見ていない学者がいることも、承知しております。当初は、マルクス・レーニン主義に準拠した純然たる政治思想であり、宗教思想ではなかったことも承知しております。(私自身も、純然たる政治思想であり続けてほしかったと思っていますが、現状から見て、個人的には、よく整備され完成された政治思想というよりも、出来の悪いカルト宗教思想に換骨奪胎されてしまったのではないかと思います)

しかし、例えば、素人研究者がブログで個人的に発表する、という形でなく、アドヘレンツ・ドットコム、デイリーNK、朝鮮日報などが取り上げている以上、「主体思想を宗教であると見る考え方」を、まったく排除・無視するというのは、それはそれでおかしなことであると思うのですが、いかがでしょうか?

最後に、今回の「宗教思想であるかどうか」について、北朝鮮側から示されている、もっとも高位の声明・・・すなわち、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法において、2012年の改正を経て示されている、思想・信仰に関する部分を引用しておきます。

朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法(2012年)[8]

序文

朝鮮民主主義人民共和国は偉大な首領金日成同志及び偉大な指導者金正日同志の思想及び領導を具現した主体の社会主義祖国である。 偉大な首領金日成同志は朝鮮民主主義人民共和国の創建者で、社会主義朝鮮の始祖である。 金日成同志は永生不滅の主体思想を創始し、その旗じるし下に抗日革命闘争を組織領導し、光栄な革命伝統を用意し、祖国光復の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事分野で自主独立国家建設の丈夫な土台を作ったものに基づき、朝鮮民主主義人民共和国を創建した。日同志の思想及び領導を具現した主体の社会主義祖国である。

(以下略)

第1章 政治 第3条  朝鮮民主主義人民共和国は、人間中心の世界観であり人民大衆の自主性の実現をめざす革命思想である、主体思想をその活動の指導指針とする。

第10条  朝鮮民主主義人民共和国は、労働者階級が指導する労農同盟にもとづく全人民の政治的・思想的統一に依拠する。 国家は、思想革命を強化して社会の全構成員を革命化、労働者階級化し、全社会を同志的に結合した一つの集団につくりあげる。

第11条  朝鮮民主主義人民共和国は、すべての活動を朝鮮労働党の指導のもとにおこなう。

第12条 国家は、階級路線を堅持し、人民民主主義独裁を強化して、内外の敵対分子の破壊策動から人民主権と社会主義制度をかたく守る。

第5章 公民の基本的権利および義務 第68条  公民は信仰の自由を有する。この権利は宗教建物を作り、又は宗教儀式等を許容することにより保障される。 宗教を、外勢を引き込み、又は国家社会秩序を害することに利用することができない。


ここからはあくまで私の個人的意見であり、記事内容に反映させる必要性は感じませんが、序文、第1章第3条、第10条、第11条、第12条において、国家を運営し、国民の思想を統一する上での「主体思想」重要性を繰り返し説きつつ、国民に「主体思想」への忠誠を強制していると考えられます。こうした憲法上の文言、特に、遠回しに繰り返し主体思想への忠誠を求めるあたりが、アドヘレンツ・ドットコム側で「宗教である」と規定される遠因となっているのではないでしょうか。また、第5章第68条に、問題の「信仰の自由」についての条文がありますが、これについては、文言のまま受け取って「北朝鮮は信教の自由を保障している」と喧伝することは、既に各方面で報道されていることからも明らかな通り、誤りであり、少なくとも百科事典の記事において、積極的、肯定的に記述すべき事柄ではありません。

なお、「宗教であるという見方」については、私自身が考えていたことではなく、アドヘレンツ・ドットコムの発表、デイリーNKの報道、内藤陽介氏の著書に基づいて、なるべく簡潔にまとめたものです。どうしても、「宗教思想である」という観点を受け入れられないということでしたら、アドヘレンツ・ドットコム、デイリーNK、内藤氏の著書の記述を、ラーメン大学名誉教授さんの個人的思想信条とは一切関係なく、ウィキペディアのルールに則って排除する必要があると言う明確な理由を、示していただきたいと思います。

端的に申し上げて、どれほど、文言の改訂があるとしても、「主体思想を宗教であると見る考え方」をこの記事から排除する必要性を、私は現時点では感じていないことを、ここに明らかにしておきます。ラーメン大学名誉教授さんの今後の編集活動が、実り多きものでありますよう、祈念申し上げます。長文失礼いたしました。--Rienzi会話2012年7月29日 (日) 13:59 (UTC)

お答えいたします。
Rienziです。 ラーメン大学名誉教授さんにお訊ねしたいのですが、「アドヘレンツ・ドットコム」を「ほとんど知られていないサイトと思われる」理由を具体的にご教示いただきたく思います。私は、当該サイトは、様々な論文をもとに検証を行なっていることから、インターネット上の情報であるという弱みはあるにせよ、それなりに信頼に足ると判断して、当該サイトの記述を引用しておりますが。

調べてみて、認識を訂正する必要をかんじました。私が最初に、「ほとんど知られていないサイトと思われる」と書いたのは、私が知らなかったからですが、検索してみるとかなりヒットし、かなり知られているらしいことはわかりました。 しかし、天理教の信徒を200万とする一方で、神道を400万とするなど、その学問的正確性には非常に疑問が残ります。


デイリーNKは右派の言論であり、かつ、反北朝鮮的なスタンスにある報道機関であるのは事実でありますが、単に、デイリーNKが報じたものであるからと言って、「中立的研究とは見なされない」と断じる理由も、明確に示していただきたいと思います。デイリーNKの報道スタンスは、例えば産経新聞などの報道スタンスと比較して、極端に差異のあるものではないと思われますし、デイリーNKの報道を積極的に排除する理由は見当たりません。また、朝鮮日報でも、(デイリーNKの報道のあとでしょうが)この一件は報道されています。[5]

それについてですが、デイリーNKは、率直に言って「デタラメ」であるといってもいいと思います。非常に多くの記事が、「消息筋によれば…」ではじまっていますし、また「脱北者」の「証言」も非常に多いです。これらから考えて、信頼できるソースではありません。もっとも、チュチェ思想が宗教思想であるしているのは、「アドヘレンツ・ドットコム」であって、デイリーNKではないので、デイリーNKに対する評価は関係ないかもしれません。


北朝鮮では、天道教、仏教、キリスト教が認められている、というのは、北朝鮮政府が一方的に主張しているだけで、たとえばウィキペディア内でも、「憲法上は認めていることになっている」という程度の記述にとどめられていることにご留意ください。[6]
百歩譲って、「他の宗教を排斥している」という記述を改めるとしても、だからといって「北朝鮮は信教の自由を保障している」ことにはつながらず、また、コ・ヨンファン著『平壌25時』などでは、外国人向けに信教の自由をアピールするために、党員を僧侶や牧師に仕立て上げている内実が明かされています。[7]

わたしは、朝鮮で「信教の自由が保障されている」とは主張していません。「政府が認める宗教を信仰する自由は認められている」と言っているだけです。また、『平壌25時』のような、亡命者の著作は、執筆者が韓国当局の管理下にあることもあり、いちじるしく信頼性に欠けることに御留意ください。 朝鮮での仏教研究についてですが、金日成総合大学に仏教研究のコースがあり、仏教学の研究書も数多く出版されています。それらは、日本からでも、コリアブックセンターを通じて入手可能です。このことからも朝鮮で宗教活動が抑圧されているということはないということを知っていただきたく思います。


主体思想が初めて存在論を導入したものでないこと、また、和田春樹教授を始め、主体思想を宗教と見ていない学者がいることも、承知しております。当初は、マルクス・レーニン主義に準拠した純然たる政治思想であり、宗教思想ではなかったことも承知しております。

この点も、存在論を導入すればどうして宗教思想なのかがまったくわかりません。もしそうならば、ほとんどの哲学体系は宗教ということになるはずです。この点が私には最も不可解であり、削除すべきではないかと思われる理由です。

しかし、例えば、素人研究者がブログで個人的に発表する、という形でなく、アドヘレンツ・ドットコム、デイリーNK、朝鮮日報などが取り上げている以上、「主体思想を宗教であると見る考え方」を、まったく排除・無視するというのは、それはそれでおかしなことであると思うのですが、いかがでしょうか?

おかしくはないと思います。たとえば、「クリスチャン・サイエンス・モニター」が広く読まれているからといって、「クリスチャン・サイエンス」がその名の通り「キリスト教科学」であるといえないのと同じです。また朝鮮日報は、軍事政権時代の発想から抜け出せない右派新聞であり、何度も朝鮮に対してデマを報道しています。(たとえば、「金日成が急死した」と報道し、その直後に金日成がモンゴル大統領の出迎えに姿を見せた件など)つまり、あまりたちの良くない情報源であるということです。

ここからはあくまで私の個人的意見であり、記事内容に反映させる必要性は感じませんが、序文、第1章第3条、第10条、第11条、第12条において、国家を運営し、国民の思想を統一する上での「主体思想」重要性を繰り返し説きつつ、国民に「主体思想」への忠誠を強制していると考えられます。こうした憲法上の文言、特に、遠回しに繰り返し主体思想への忠誠を求めるあたりが、アドヘレンツ・ドットコム側で「宗教である」と規定される遠因となっているのではないでしょうか。また、第5章第68条に、問題の「信仰の自由」についての条文がありますが、これについては、文言のまま受け取って「北朝鮮は信教の自由を保障している」と喧伝することは、既に各方面で報道されていることからも明らかな通り、誤りであり、少なくとも百科事典の記事において、積極的、肯定的に記述すべき事柄ではありません。

国家がある思想を憲法で宣言し、それへの忠誠を国民に求めたら、宗教思想なのでしょうか?その論理展開がわかりません。 たとえば大日本帝国憲法では「天皇は神聖にして侵すべからず」とありますが、だから大日本帝国憲法は宗教思想である、とは言えないでしょう。

なお、「宗教であるという見方」については、私自身が考えていたことではなく、アドヘレンツ・ドットコムの発表、デイリーNKの報道、内藤陽介氏の著書に基づいて、なるべく簡潔にまとめたものです。どうしても、「宗教思想である」という観点を受け入れられないということでしたら、アドヘレンツ・ドットコム、デイリーNK、内藤氏の著書の記述を、ラーメン大学名誉教授さんの個人的思想信条とは一切関係なく、ウィキペディアのルールに則って排除する必要があると言う明確な理由を、示していただきたいと思います。

まず、ソースの信頼性が薄いこと、またチュチェ思想を「宗教」とみなす研究者はほとんどおらず、いちじるしく特殊な見方であると考られることです。そのため、仮に言及するとしても、「チュチェ思想は全一的な世界観であり、そのため宗教の一種と見る者もいる。」程度でいいのではないでしょうか?ラーメン大学名誉教授会話2012年7月29日 (日) 18:42 (UTC)


Rienziです。

まず始めに、ラーメン大学名誉教授さんには、私の投げかけた疑問に丁寧にお答えくださったことを、感謝申し上げたいと思います。

「アドヘレンツ・ドットコム」について、認識を訂正する必要を感じていただけたのは、個人的には喜ばしいことであると思います。学問的正確性に疑問が残るとはいえ、国際的に網羅している宗教統計サイトとして、それなりに貴重な情報源であると思います。

  • それについてですが、デイリーNKは、率直に言って「デタラメ」であるといってもいいと思います。非常に多くの記事が、「消息筋によれば…」ではじまっていますし、また「脱北者」の「証言」も非常に多いです。これらから考えて、信頼できるソースではありません。もっとも、チュチェ思想が宗教思想であるしているのは、「アドヘレンツ・ドットコム」であって、デイリーNKではないので、デイリーNKに対する評価は関係ないかもしれません。

「デタラメ」であるかどうかは、申し訳ありませんが、率直に申し上げてラーメン大学名誉教授さんの個人的な感想に過ぎません。ウィキペディアのデイリーNKの記事においても「正確性に対する評価は別れている」程度の記述にとどめられています。たとえば、2011年のフジテレビ騒動という記事は、ガジェット通信東京スポーツ週刊プレイボーイなど、正確性、信頼性において、デイリーNKと同程度かそれ以上に信頼性の低いメディアの情報が出典として提示されています。また、金正恩をはじめ、デイリーNKの記事を出典としている記事も、ウィキペディア内に多数存在します。北朝鮮の国情を考慮すると、信頼性に疑問が残るとしても、メディアで報道されている以上「脱北者の証言」「消息筋からの情報」を排除することは、歓迎されるべきことでないと思います。・・・と、長々述べてきましたが、おっしゃる通り、言い出しっぺはアドヘレンツ・ドットコム(というか、自著において主体思想は宗教ではないかと述べたトム・ベルキ氏)ですから、デイリーNKの信頼性に関する評価は、関係ないでしょう。

非常にお言葉を返すような形で申し訳ないのですが、記事・情報の信頼性という点では、朝鮮中央放送朝鮮新報労働新聞なども、決して信頼性は高くないと思いますし、過去には捏造記事を多数配信しています。

  • わたしは、朝鮮で「信教の自由が保障されている」とは主張していません。「政府が認める宗教を信仰する自由は認められている」と言っているだけです。また、『平壌25時』のような、亡命者の著作は、執筆者が韓国当局の管理下にあることもあり、いちじるしく信頼性に欠けることに御留意ください。
  • 朝鮮での仏教研究についてですが、金日成総合大学に仏教研究のコースがあり、仏教学の研究書も数多く出版されています。それらは、日本からでも、コリアブックセンターを通じて入手可能です。このことからも朝鮮で宗教活動が抑圧されているということはないということを知っていただきたく思います。

なるほど。この点については、私の方にいささか問題のはき違えがあったようです。お詫び申し上げます。 しかしながら、「亡命者の著作は、執筆者が韓国当局の管理下にあることもあり、著しく信頼性に欠ける」と断じる姿勢は、私にはよくわかりません。亡命者、脱北者の情報を、「信頼性に欠ける」の一言で徹底排除すべきだ、というお考えをもしお持ちなのなら、「信頼性を守る」という点ではウィキペディアのルールに忠実ですが、そうした情報の排除は、ウィキペディアの政治的中立を危うくします。

また、金日成総合大学に仏教研究のコースがあること、仏教学の研究書が数多く出版されていることと、市井の人間の信仰の自由が保障されているかどうかは別問題です。金日成は、生前、「宗教をよく研究しなければならない」と述べて、大学での宗教研究を命じたときいておりますが、そのことが直接「信仰の自由」に結びついていないことは、各方面の報道から明らかです。

「政府が認める宗教を信仰する自由は認められている」としても「政府が認める」というところに問題があるわけで、例えば英国の人権団体や米国の政府機関は、憲法では信仰の自由を保障しているが、実際には信者を処刑・投獄するなどして宗教を弾圧していると述べています。[9]こうした情報を、「北朝鮮政府が公式に発表した情報でも、信頼に足るメディアである朝鮮中央放送や労働新聞が伝えた情報でもないので、信頼に値しない」として排除する考えが、もしもおありなあら、残念ながら、ラーメン大学名誉教授さんの編集姿勢は、(私自身もそうかもしれませんが)偏向していると言わざるを得なくなります。

  • この点も、存在論を導入すればどうして宗教思想なのかがまったくわかりません。もしそうならば、ほとんどの哲学体系は宗教ということになるはずです。この点が私には最も不可解であり、削除すべきではないかと思われる理由です。

「存在論を導入したから宗教である」という文言は、どこにもありません。「存在論を兼ね備えた宗教思想として・・・」という主旨の文章であると思いますが。どうしても「存在論」というキーワードがお気に召さないようでしたら、こちらの記事[10]に準拠して、「アドヘレンツ・ドットコムは、主体思想が追従者の人生に絶対的影響を及ぼし、他の宗教を排斥するという点で、社会学的に間違いなく宗教であると断定した。事実、主体思想は教祖(金日成)と後継者(金正日)、聖地(万景台など)組織(労働党と軍)教理と戒律まで宗教の要素をあまねく備えていると、North Korea Todayは指摘している」という内容の「存在論」という文言を用いない文章に置き換えましょう。

  • おかしくはないと思います。たとえば、「クリスチャン・サイエンス・モニター」が広く読まれているからといって、「クリスチャン・サイエンス」がその名の通り「キリスト教科学」であるといえないのと同じです。また朝鮮日報は、軍事政権時代の発想から抜け出せない右派新聞であり、何度も朝鮮に対してデマを報道しています。(たとえば、「金日成が急死した」と報道し、その直後に金日成がモンゴル大統領の出迎えに姿を見せた件など)つまり、あまりたちの良くない情報源であるということです。

「クリスチャン・サイエンス・モニター」の例は、どうしてここへ持ち出されたのかわかりません。新宗教団体「クリスチャン・サイエンス」は「キリスト教科学」と称されることも多いようですが。

朝鮮日報は右派新聞であり、何度もデマを報道しているから信頼に値しない、というのは、ラーメン大学名誉教授さんの個人的意見に過ぎません。「あまりたちの良くない情報源」であるから、どうだというのですか。私の個人的意見としては、労働新聞などと比較すれば、北朝鮮メディアよりもよっぽど信頼できると思うのですが。それに、その理屈に従えば、朝日も、毎日も、読売も、産経も、東スポも、「あまりたちの良くない情報源」になり、ウィキペディアの記事から排除せざるを得なくなります。情報源が左派であるか、右派であるかということを云々して、右派の言論だからウィキペディアから排除せよ、とおっしゃるのでしょうか?それはとんでもない政治的偏向です。

  • 国家がある思想を憲法で宣言し、それへの忠誠を国民に求めたら、宗教思想なのでしょうか?その論理展開がわかりません。たとえば大日本帝国憲法では「天皇は神聖にして侵すべからず」とありますが、だから大日本帝国憲法は宗教思想である、とは言えないでしょう。

ん・・・?私は該当するパラグラフの一番最初に「個人的意見」と申し上げたはずです。「アドヘレンツ・ドットコム側で『宗教である』と規定される遠因に・・・」と述べただけであることをご留意ください。

また、大日本帝国憲法は宗教思想であるとは言えませんが、天皇を神聖不可侵とし、政策的に国家神道を成立させるにあたり、そのバックボーンとして機能しました。日本基督教団など、外来の宗教さえも、国家神道の影響を排除することは不可能であった(あるいは、表向きは伊勢参拝などのポーズをとらねば教団の存続が難しかった)という点においては、決して憲法そのものは宗教思想ではないにせよ、特定の思想(国家神道)を国民に広め、強制する切り札として機能したわけです。北朝鮮憲法と主体思想の関係も、大日本帝国憲法と国家神道の関わりにきわめて似ていると思うのですが、いかがでしょうか?北朝鮮憲法において、金日成を神格化していない、とは、とても言えないと思うのですが。

  • まず、ソースの信頼性が薄いこと、またチュチェ思想を「宗教」とみなす研究者はほとんどおらず、いちじるしく特殊な見方であると考られることです。そのため、仮に言及するとしても、「チュチェ思想は全一的な世界観であり、そのため宗教の一種と見る者もいる。」程度でいいのではないでしょうか?

なるほど。ラーメン大学名誉教授さんのお考えはよくわかりました。報道ソースの信頼性に関しては、私とラーメン大学名誉教授さんとの二者間で議論をしても、納得のいく結論が得られる見込みがありませんので、第三者のコメントを待ちましょう。「著しく特殊な見方」であるとお考えになることについて、私としては「宗教とする見方が著しく特殊な見方であると証明する、非北朝鮮系メディアによる中立的報道ソース」の提示を、ラーメン大学名誉教授さんに要請したいと思います。「新しい見方」であるとはいえ「著しく特殊」と言い切れるかどうか、私には判断がつきかねますので。

今後、第三者を交えて意見交換を進めてゆく上で、必要があれば「節」としては残さず、記事冒頭に「主体思想は全一的な世界観であり、そのため、宗教思想であると規定する場合もある」と記載するにとどめるかたちに変えてゆくことは、私は反対しません。

長文失礼いたしました。また、本コメントにおいて、いささか礼を失した文言が含まれますことを、お詫び申し上げます。--Rienzi会話2012年7月30日 (月) 02:44 (UTC)

コメントこんにちは。コメント依頼から来ました(同一ノートから別件で2つも出ていたのですね)。ノートの議論を簡単に拝見しただけですが、主な論点は (1)「主体思想を宗教であると見る考え方」を当記事に記載すべきか (2)各出典が信頼できる情報源と言えるか、かと思います。まず政治思想関係の記事は、特に中立性に配慮すべきで、出典を利用した断定や宣伝やレッテル張りに陥らないよう、また重要性に応じた記載位置や記載量も注意すべきと思います(日本語版は非常に問題が多いと思っています)。次に「宗教」の定義は多数ある(多くの政治思想は批判的に「宗教」と言われ続けている、神道の多くは宗教と自称していない、大多数の信者は「真理、生活の基本」と思っており必ずしも「宗教」と位置づけていない)ので、ノートで議論するのは無意味と思います。全ての「信じる」事は「宗教」とも言えるので、全ての科学も思想も宗教とも言えますが、それをウィキペディアの各思想の記事の冒頭に書くべきでは無いと思います。さて、(1)はマルクス主義#批評・批判社会主義#批評・批判ファシズム#批評・批判カトリック教会#カトリック教会への批判・論争、事件などなどのように、記事下部に節を作って簡潔に複数説を併記するのが適切と思います。現在の記事の記述では、「宗教である」説が記事の大半を占めており、バランス的にかなり恣意的に見えます。英語版などを参考に記事全体を出典付きで書き直した方が早い気もします。(2)は、個人的にはどちらの出典も、特定の立場にしか思えません。少なくとも一般的な新聞・テレビ・政治学者などが言っている事とは言えないと思います。従って、やはり「主体思想#批評・批判」などの節を作成して、簡潔に複数論並記する(色々な意見はここに集約する)のが良いと思います。(私からの一方的な表現が多い点はご容赦ください)--Rabit gti会話) 2012年8月8日 (水) 14:06 (UTC) (追記)英語版でも「宗教」(religion)の語句は、記事下部の「批判」(en:Juche#Criticism)の節内に、書籍名で出ている程度でした。--Rabit gti会話2012年8月8日 (水) 14:14 (UTC)

コメント Rabit gtiさん、コメントいただきましてありがとうございます。(1)の「主体思想を宗教であると見る考え方」については、それなりに報道され、また、「宗教としては世界第10位」という現状に鑑みて、仮に現在よりも文章量を減らすとしても、記載は不可欠であると思います。記事冒頭に「宗教思想に分類する場合もある」という記述をおくべきかどうかについては、もう少し、いろいろな方のご意見を伺えれば・・・と思っています。記事の品質上好ましくないという結論が出された上であれば、記事冒頭に「宗教思想」という語を置かないことには賛成します。(2)の「出典の信頼性」についてですが、確かに、私の出している出典と、ラーメン大学名誉教授さんなどが出していらっしゃる出典は、はっきり申し上げて「真逆」の立場にあると思います。そもそも「主体思想」について、中立的な立場からの研究が十分なされているとは言いがたい状況ではないかと思います。(私自身は、こうした政治思想を専門に学んでいる人間ではないので、単に私が知らないだけ、という可能性もありますが・・・)要するに、「反北」「親北」のどちらかの立場でしか論じられていないと思うのです。と、いうことからすると、真に「信頼性」が保証された出典を見つけることが、難しいかもしれません。「両論併記」を原則とするウィキペディアの記事において「批判的意見」に記事が偏向しているとすれば、それは解消されなければなりません。極端な「反北」の立場からバッシングを行なうことはもちろんあってはならないことですが、今後、「政治思想」としての主体思想の解説をより充実させるとしても、朝鮮総連をはじめとする、北朝鮮政府の出先機関や、日本国内の主体思想研究会の言い分(あるいは刊行物)に基づいた記述は、原則として用いないのが望ましいと思います。また、英語版からの翻訳についても、検討の必要があるかもしれません。ただ、個人的には、「信頼性の置ける中立的な日本語文献」に基づいて、記事内容をより簡素化する(中立の立場から、ドライに、淡々と記述する)方が、適切ではないかとも思っております。また、言い方は悪いですが、現状、「宗教思想である」という意見以外の、いわゆる「政治思想としての主体思想に対する反対意見」が記載されておらず、そう言った意味でも現在の内容は公平さを欠くかもしれません・・・。長文失礼いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。--Rienzi会話2012年8月8日 (水) 17:05 (UTC)
コメント Rienziさん、コメントありがとうございます。(1)私も「宗教との見解」を記載する事には賛成です。ただし他の思想系記事は、前回例示の通り、「批評・批判」等の節にまとめて、複数立場を簡潔に併記しています。なお例えば「国家とは共同幻想である」(吉本隆明)、「宗教はアヘン」や「議会制民主主義は欺瞞である」(カール・マルクス)、「ファシズムはデマゴキーで思想ではない」(レフ・トロツキーコミンテルン)などは、それぞれ世間でも非常に有名な見解で、支持する学者もいますが、「国家」や「宗教」や「議会制民主主義」や「ファシズム」の各記事の冒頭や概要に書くのは不適切(やりすぎ)かと思います。(2)ご指摘のように現状は「反北」「親北」に偏っていると思います。また「中立の立場から、ドライに、淡々と記述する」にも賛成です。簡単に検索しても多数の書籍・論文があり[11][12][13][14]、各国語版にも多数の出典があり、これらから主要な立場を選定して併記すれば良い(現在記載されていないだけで、出典が少ないという訳ではない)とも思います。--Rabit gti会話2012年8月9日 (木) 14:23 (UTC)
コメント Rabit gtiさん、コメントいただきまして、ありとうございます。(1)については、他の思想関連の記事と、レイアウトを揃えることはやはり不可欠ですね。「記事冒頭に書くのは不適切」というのは、おっしゃる通りだと思います。(2)についても、具体的な例をご提示くださいまして、ありがとうございます。様々な日本語の書籍・論文の中から、なるべく「親北でも反北でもない」文献を拾いだして、それらに基づいて「中立の立場から、ドライに、淡々と」という形に修正してゆきたいと思います。正直に申し上げて、政治思想については私の専門分野ではないので(詳しくは私の利用者ページをご覧いただければ・・・)時間がかかるとは思いますが、ウィキペディアの記事として、仮に文章量が大幅に減ったとしても「品質の良い」記事にしてゆきたいと思っております。今後とも、よろしくお願いいたします。--Rienzi会話2012年8月9日 (木) 15:10 (UTC)
報告 他の思想関係の記事とレイアウトを揃えたい、出典を付けて複数見解を併記したい、という趣旨では、ほぼ合意が得られたようですので、まずは英語版を参考に冒頭と「批評・批判」を、日本語出典を幾つか付けて、更新しました[15]Rienziさんご指摘のように、出典は日本語が望ましいですが、無いよりは良いと考え、まずは英語版の出典・情報を付け、日本語の出典・情報を追加しました。(同等の日本語出典が発見できれば、随時追加または置換すれば良いと思いってます。)--Rabit gti会話2012年8月11日 (土) 05:50 (UTC)
コメント Rabit gtiさん、ありがとうございます。私の方でも、日本語の出典・文献を探してみますが、現時点の形で、個人的にはまったく問題ないかと思います。一点だけ、書籍のタイトル表記がばらついていましたので、その部分だけこちらで修正させていただきます。--Rienzi会話2012年8月11日 (土) 06:10 (UTC)

報告 反映後、1週間以上、特に異論が無いため、当議論はいったん終結したとみなして、勝手ながらコメント依頼を削除しました[16]。もし異論のある方は、新規にお願いします。--Rabit gti会話2012年8月20日 (月) 16:05 (UTC)

「チュチェ思想」の「チュチェ」は、マルクス主義の「主体」を朝鮮語に変換したものではない

「主体(チュチェ)」は、哲学およびマルクス主義の用語「主体」を朝鮮語に変換したもので~

という記述がありますが、これは誤っています。マルクス主義の「主体」とは、プロレタリアートの「階級的主体性」のことです。つまり、プロレタリアートが自己を解放し、新社会(共産主義社会)を建設する担い手であるという「階級意識」を持つことを指します。詳しくは、ルカーチの『歴史と階級意識』をお読みください。 「チュチェ思想」の「チュチェ」は、マルクス主義とは根本的に違います。「チュチェ思想」自体が、1955年にはじめて登場してから変遷・発展してきたので、「チュチェ」とは何のことかを決定するのは難しいですが、少なくとも金正日の晩年の著作(後継者の金正恩はまだまとまった著作を発表していない)によれば、「チュチェ」とは「社会的政治的生命体」をになう主体のことです。「社会的政治的生命体」とは、領袖・党・人民が永遠に死なない一つの生命体として一体となることです。個人の命は有限だが、「社会的政治的生命体」は永遠なので、個人は自らの「チュチェ」によって社会的政治的生命体の一部となることによって永遠の命を獲得する――という、日本京都学派の仏教思想とも共通するものです。ラーメン大学名誉教授会話2012年8月29日 (水) 11:33 (UTC)

コメント ラーメン大学名誉教授さんこんばんは。Rienziです。『金正日の晩年の著作』において、チュチェとは社会的政治的生命体である、という説明がなされているとおっしゃられていますが、お差し支えなければ、その著作のタイトルおよび刊行年、出版社等を教えていただけませんでしょうか?現時点におけるチュチェの定義として、簡潔かつ有力なソースとして採用しうると思われます。なお、一部の節において、「主体」という語を全て「チュチェ」という語に置き換えていらっしゃいましたが、これは、記事のタイトルおよび定義文に置ける表記とは異なるものであり、また、節ごとに「主体」表記と「チュチェ」表記が混在することは、百科事典の記事としてふさわしくないとの考えから、申し訳ございませんが、定義的に重要と判断される部分、および、金正恩の発言の引用部分を除き、全て「主体」表記に統一させていただきました。お気持ちはわからないでもないのですが、特に「主体暦」へのリンクを「チュチェ暦」のように、わざわざリダイレクトへのリンクへ置き換えられたあたりは、記事の品質的にも問題があると考えます。記事内で、異なる表記が混在することは、混乱を来す原因となりますので、現時点では「チュチェ」表記への置き換えはご遠慮ください。必要があれば、例えば「千島列島」「クリル列島」の使い分けのように、「朝鮮労働党金日成、金正日、金正恩、その他北朝鮮政府関係者が主となる文である場合は『チュチェ』表記」「それ以外が主となる文である場合は『主体』表記」のようなローカルルールの策定をいたしましょう。--Rienzi会話2012年8月29日 (水) 14:57 (UTC)

金正日「社会主義は科学である」(1994年)をひさしぶりに読み返してみました。日本語訳は『キムジョンイル著作集 チュチェ偉業を継承完成するために』(白峰社2003年)に収録されています。
次のような部分があります。
 チュチェ思想は、人間の生命の本質と、生の価値についても新たに解明した。
 人間を一つの生物有機体と見るとき、人間の生命とはすなわち肉体的生命を指す。しかし人間は、肉体的生命のみをもって生きる存在ではない。チュチェ思想は史上初めて、人間は肉体的生命とともに社会政治的生命をもって生きる存在であることを明らかにした。肉体的生命が生物有機体としての人間の生命であるとすれば、社会政治的生命は社会的存在としての人間の生命である。社会政治的生命は、社会的存在である人間に固有の生命である。
 人間にとって肉体的生命は貴重である。人間は、肉体的生命があってこそ社会政治的生命ももつことができる。その意味において肉体的生命の要求を実現する物質生活は、人間の一次的な要求を実現する生活であると言える。人間は単なる生物学的存在とは異なる社会的存在であるので、人間の自主性、創造性、意識性が発展し社会が発展するにつれて、物質生活に対する人間の要求は絶えず高まり、それは社会政治的生命にも影響を及ぼす。安定した健全な物質生活は、人間の肉体的生命の要求を立派に保障するだけでなく、社会政治的生命を維持し、輝かせる物質的保証となる。
 人間にとって肉体的生命も貴重であるが、より貴重なのは社会政治的生命である。肉体的生命よりも社会政治的生命を重んじることは、社会的存在である人間の本性的要求である。社会政治的生命の要求を離れて肉体的生命の要求だけを追求するならば、いかに満ち足りた物質生活を享受したとしても決して価値ある生となりえず、そのような物質生活は人間の本性に反する動物的な生活と変わらない奇形的で変態的な生活に転落してしまう。
 人間にとって自主性は生命である。人間は、自主的な社会的存在として何ものにも隷属されたり拘束されずに自主的に生きることを要求する。人間が自主的に生きるということは、世界の主人、みずからの運命の主人としての地位を守り、権利を行使しながら生きるということである。人間は社会的存在として自主的な権利をもち、自主的な要求を実現しながら生きてこそ、社会政治的生命をもち、尊厳ある生き方をしているということができる。人間が自主性を失い、他人に隷属されれば、生きているとしても社会政治的には死んだも同様である。自主的に生きようとする人間の要求は、何よりも自主的な政治生活をつうじて実現される。人間が社会政治的に従属していては、いかなる自主的な生活も望めない。
 人間にとって最も貴重な生命は社会政治的生命であり、人間の価値ある生とは、社会政治的生命をもち、それを輝かせて生きることである。人間は社会政治的生命を社会的集団から授けられる。社会的集団は、人間の社会政治的生命の母体である。したがって、人間の生が価値あるものであるか否かは、人間が社会的集団とどのように結合されるかにかかっている。人間の生は、社会的集団の愛と信頼を受ければ価値あるものとなり、社会的集団から見捨てられれば価値のないものとなる。人間は個人の利益よりも社会的集団の利益を尊重し、社会的集団のために忠実に服務するとき、社会的集団の愛と信頼を受けるようになる。結局、人間の最も価値があり、生きがいのある生とは、みずからの運命を社会的集団の運命と結合させ、社会的集団のために献身的に服務しながら社会的集団の愛と信頼のなかで自主的で創造的な生活を送ることである。これこそがまさに人間が社会政治的生命を輝かせて生きる道であり、社会的存在として人間らしく生きる道である。

ここでは「社会政治的生命」とかかれていて「社会的政治的生命体」という言葉がでてきませんね。私の記憶ではこの論文に出てきたとおもっていたのですが、別の論文のようです。しかし、だいたい「社会政治的生命」という言葉で金正日が意味するものはわかると思います。ラーメン大学名誉教授会話2012年8月29日 (水) 15:44 (UTC)

コメント ラーメン大学名誉教授さんへ。同様の議論は当ノートで5回目で、ラーメン大学名誉教授さんご自身も複数回目です。上述のように現在はWikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」に従い、マスコミ等の日本語話者の使用頻度を確認して決定しています。当ルールの背景には、ウィキペディアは専門家用百科事典ではなく、一般向け百科事典であるとの位置づけがあります。専門用語は、出典を付けて、記事中に客観的に記述すべきです。( ラーメン大学名誉教授さんの編集前も出典が少ないのですが、ラーメン大学名誉教授さんの編集自体も出典なくご自分の見解を書かれており、問題があります。)単に自説を反復するのでは、迷惑行為とみなされても仕方がありません。--Rabit gti会話2012年8月29日 (水) 15:54 (UTC)
コメント ラーメン大学名誉教授さん、Rienziさんが理由をノートに書いて、合意ができるまでいったん表記を統一に戻しただけの箇所まで、ノートで合意なく再編集する [17]のは、既に編集合戦とみなされます。善意からとは思いますが、ウィキペディアで編集されるならば、基本的なルールやマナーは守るべきと思います。繰り返されないようお願いいたします。--Rabit gti会話2012年8月29日 (水) 16:00 (UTC)
コメントまず、ラーメン大学名誉教授さんに申し上げたいのですが、引用して提示してくださった、金正日の論文を読む限りでは、少なくとも素人目には「人間にとって自主性は生命である。人間は、自主的な社会的存在として何ものにも隷属されたり拘束されずに自主的に生きることを要求する。人間が自主的に生きるということは、世界の主人、みずからの運命の主人としての地位を守り、権利を行使しながら生きるということである。人間は社会的存在として自主的な権利をもち、自主的な要求を実現しながら生きてこそ、社会政治的生命をもち、尊厳ある生き方をしているということができる。」「人間の生は、社会的集団の愛と信頼を受ければ価値あるものとなり、社会的集団から見捨てられれば価値のないものとなる。人間は個人の利益よりも社会的集団の利益を尊重し、社会的集団のために忠実に服務するとき、社会的集団の愛と信頼を受けるようになる。結局、人間の最も価値があり、生きがいのある生とは、みずからの運命を社会的集団の運命と結合させ、社会的集団のために献身的に服務しながら社会的集団の愛と信頼のなかで自主的で創造的な生活を送ることである。これこそがまさに人間が社会政治的生命を輝かせて生きる道であり、社会的存在として人間らしく生きる道である」という言葉が、マルクス主義における「主体」という言葉の「プロレタリアートが自己を解放し、新社会(共産主義社会)を建設する担い手であるという「階級意識」を持つことを指す」という定義と相容れないものなのかどうか、非常に曖昧というか、怪しいと感じました。「人間は、自主的な社会的存在として何ものにも隷属されたり拘束されずに自主的に生きることを要求する=プロレタリアートが自己を解放する」「人間は個人の利益よりも社会的集団の利益を尊重し、社会的集団のために忠実に服務するとき、社会的集団の愛と信頼を受けるようになる。結局、人間の最も価値があり、生きがいのある生とは、みずからの運命を社会的集団の運命と結合させ、社会的集団のために献身的に服務しながら社会的集団の愛と信頼のなかで自主的で創造的な生活を送ることである=新社会を建設する担い手であるという階級意識を持つ」と、政治の素人の私には読めてしまうのです。私の無知や不勉強に起因するものかもしれませんが、ラーメン大学名誉教授さんがおっしゃるような「マルクス主義における『主体』という語は、主体思想の『主体』の語源ではない」という主旨の主張は、具体的な論文の引用を提示していただいた結果として、残念ながら、正確さに欠けるのではないかと感じました。これについては、政治思想について、より専門的な知識をもったユーザーさんのご意見を募る必要があると思います。--Rienzi会話2012年8月29日 (水) 17:55 (UTC)
コメント また、大変申し訳ないのですが、特に配慮を必要とする部分を除き、記事内にある「チュチェ」の語を「主体」に置き換えさせていただきました。これについては、Rabit gtiさんがご指摘の通り、Wikipedia:記事名のつけ方に基づいて選ばれた記事名と、記事内の文言との間に、混乱を生じさせないための措置であるということをご理解ください。特定のイデオロギーや政治信条から、記事名と異なる表記法を用いることは、記事の品質を低下させる行為であり、この行為を繰り返された場合は荒らし行為を行なったとして投稿ブロックを受ける可能性があることをご理解ください。それから、大変不愉快に思われるであろうことを承知の上で、一カ所、正確な出典が提示されず、かつ、あまりにエッセイ風の記述(→「しかし、金日成は黄長燁の理論的著作を批判したこともあり(「社会主義社会」と「過渡期社会」に関する論文)、黄長燁が主体思想を体系化したとの主張には疑問符がつく」)を、コメントアウトさせていただきました。記事本文からの削除は、ラーメン大学名誉教授さんの心情に配慮して、まだ行なっていませんが、現時点では記事への記載はふさわしくないと判断し、少し強権的ではありますが、前述の処置をとらせていただいております。ラーメン大学名誉教授さん、お願いです。あなたの独自解釈を書くのではなく、信頼できる中立な出典(それが、北朝鮮側から出されたものであってもかまいません)に基づいて書いてください。今後、「主体」の「チュチェ」への書き換え行為を行なった場合、および、出典のないエッセイ風の記述を繰り返された場合は、申し訳ありませんが、対話拒否および記事破壊行為と見なして、あなたの投稿ブロック依頼を提出します。非常な長文になってしまい、申し訳ございません。ウィキペディアの記事の品質を守るために、ラーメン大学名誉教授さんの主義主張がこの記事に反映されない可能性があることを、どうかご理解いただきたいと思います。--Rienzi会話) 2012年8月29日 (水) 17:55 (UTC) レイアウト修正--Rienzi会話2012年8月29日 (水) 17:57 (UTC)
コメント Rienziさん、ラーメン大学名誉教授さん、最終的には妥当な形に編集して頂き、ありがとうございました[18][19]。繰り返しですがWikipedia:記事名の付け方の通り、ウィキペディアの記事名選択基準は「「正しい」記事名が良いのではない」点が重要と思います。例えば、慣用的な名称(イギリス)、略称(ソビエト連邦)、歴史的事実と異なる事件名(スパルタクス団蜂起)、原音に忠実でない日本語名(イエス・キリスト)、日本語化に際して意味が異なる名称(アメリカ合衆国大粛清原理主義根本主義集団主義集産主義)などもあります。分野やローカルルールにもよりますが、ウィキペディアでは基本は一般に普及している名前を優先すべきで、上述の例でも「正しい名称」は記事中に記述されています。--Rabit gti会話2012年8月30日 (木) 15:31 (UTC)
過去の書き込みを読んでいると、これまでも話題になったようですね。
この問題の根本は、うまく説明できませんが「気持ち悪さ」にあると思います。
たとえば、朝鮮総聯に所属している在日朝鮮人が、祖国のことを「北朝鮮」と呼ぶことはまずありえません。
それなのに、日本のマスコミでは「北朝鮮」という呼称がつかわれています。なので、祖国のことを「北朝鮮」と呼ばれた在日朝鮮人は、「気持ちの悪さ」を感じて、日本のマスコミ記事を読みません。
「チュチェ」にも同じことがいえるのではないでしょうか。チュチェ思想の研究をしている人は、「主体思想」という表記を見ると、「気持ちの悪さ」を感じます。だから「気持ちの悪い」表記を消したいと必死になるのではないでしょうか。そこらへんのことを理解していただきたいと思います。ラーメン大学名誉教授会話2012年9月1日 (土) 04:48 (UTC)
コメント ラーメン大学名誉教授さんへ。「過去の書き込みを読んでいると、これまでも話題になったようですね。」とありますが、その複数はラーメン大学名誉教授さんご自身が過去に書かれたものです。なお日本で普及している呼称の話ならば「台湾」や過去の「西ドイツ」「東ドイツ」「南ベトナム」「北ベトナム」も同様と思います。繰り返しますがウィキペディアでの記事名選定基準は「Wikipedia:記事名の付け方」です。「専門家から見て気持ちが悪いかどうか」ではありません。仮に「専門家」ならば信頼できる出典の明記をお願いします。なお別記事でもラーメン大学名誉教授さんは問題編集が散見されます([20][21]では、ドル紙幣偽造疑惑のCIA犯人説を推測記事の出典だけで記載。節の内容に応じて私が書き直しました[22])。方針とガイドラインの再読もお願いします。--Rabit gti会話2012年9月1日 (土) 09:40 (UTC)

「チュチェ思想」表記について

ラーメン大学名誉教授さんにより、「チュチェ思想」表記を「主体思想」表記よりも優先させるかのごとき編集が行なわれましたが、本項目名はあくまで「主体思想」であり、朝鮮労働党、朝鮮総連、チュチェ思想国際研究所、全国チュチェ研などが推奨している「チュチェ思想」表記が記事のトップに来るべきであると納得出来る理由が提示されない事から、記事冒頭部分を従来の形に修正しました。

「主体思想」「チュチェ思想」の表記を巡っては、過去の議論で一通り意見が出尽くし、よほどのことがない限りは「主体思想」表記に限定し、「チュチェ思想」はあくまで「主体思想」の読み方の一つとして、記事冒頭にのみ用いる形の「現状維持」で結論が出た物と解釈しております。--Rienzi会話2013年1月27日 (日) 00:44 (UTC)

コメント ラーメン大学名誉教授さんによる修正に対する、Rienziさんによる戻し[23]に賛成です。ラーメン大学名誉教授さんへ。2012年7月~9月にご自身を含めて当ノートで議論済の話を、半年後に議論も無く編集強行されるのでは困ります。また多数の記事で中立的ではない編集や主張を続けられているため、Wikipedia:合意形成に従いコメント依頼を行いますので、以後の主張はそちらに移動お願いできませんか。--Rabit gti会話2013年1月27日 (日) 03:30 (UTC)

報告 コメント依頼を行い、Wikipedia:コメント依頼/ラーメン大学名誉教授を作成しました。--Rabit gti会話2013年1月27日 (日) 04:03 (UTC)
報告 ラーメン大学名誉教授さんは無期限の投稿ブロックされました。--Rabit gti会話2013年2月26日 (火) 13:48 (UTC)