コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:京都ラーメン

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ログ

[編集]

2007年3月29日(木)まで

更新?

[編集]

「夢を語れ」は2008年5月11日に閉店しました.どなたか,記載変更をされてはどうでしょうか.--以上の署名のないコメントは、61.46.111.237会話/Whois)さんが 2008年6月11日 (水) 23:33 (UTC) に投稿したものです。[返信]

削除でいいんじゃないでしょうか。--Jute 2008年6月12日 (木) 01:29 (UTC)[返信]
閉店情報が確実な物であれば削除で良いと思いますが、休業しているだけという情報もあるので、様子を見た方が良いのでは?もちろん、誰か確実な情報をお持ちというのなら話は別ですが。--218.41.10.82 2008年7月7日 (月) 03:55 (UTC)[返信]
営業再開したそうなので、表記を戻しました。--58.87.230.188 2008年8月9日 (土) 06:39 (UTC)[返信]

Jute様へ

[編集]

まず、以前に書きましたように、有名なのと人気があるのは違います。今回の修正箇所で言えば、宝屋は有名店です。トロ肉チャーシューメンは宝屋の人気メニューです。ですが、トロ肉チャーシューメン自体は別に有名ではありませんから、このような書き方は誤解を招くと思います。また、削除箇所についてですが、「主観的な味の評価」については、当然削除してもらってかまいません。「余計な修飾詞」については、「余計」かどうかの判断は各人の主観がかなり入りますので、削除は慎重に行ってください。ある程度の修飾詞があった方が、意味が伝わりやすくなる場合も多々ありますので。それから、「営業妨害的表現」に関しては、特に該当すると思える部分がありません。どの部分に関してのことなのか具体的に説明していただきたいのですが。あと、これも繰り返しになりますが、各店の人気の有無に関しての記述を執拗に削除されていますが、これは誰でも確認出来る客観的事実を述べているに過ぎませんから、事実誤認でない限り、削除の対象にはなりませんので、削除しないでください。蛇足になるかも知れませんが、これらの基準は全てWikipedia:基本方針とガイドラインに基づいています。特に、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点と言った辺りを参照していただければ、理解していただけると思います。最後になりますが、文章の削除に関しては、明らかな誤りである場合以外は、なるべく、ノートで議論して合意を形成した上で行ってください。よろしくお願いします。--218.41.13.138 2008年5月19日 (月) 10:05 (UTC)[返信]

基本的方針として特定の店についての評価を過大に記述することは同ページに他店が併記されていることもあり、相対的に低い評価の印象を与えることに成り、検証可能性、中立性に問題があると判断しました。「現在、京都で特に人気がある店の1つである。」という記述についての削除はこの点から行っています。また、そもそも「人気がある」や「有名である」という表現は誰を基準にとるかでその程度は異なりうるのでできるだけ避けるべきであると考えます。Wikipedia:大言壮語をしない参照。人気についての誰でも確認できる客観的事実としては、行列などをさしておられるようですが、店の構造や立地にもよりけりであり日によっても異なります。店じまいが早いや麺切れ等ならそういった表現で書くべきではないでしょうか。地元では行列が多いことで有名という表現なら許容します。
では、編集箇所別に理由をのべます。来来亭の箇所について、「飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで」「その勢いは留まる気配を見せない」は、主観的な評価であって中立性に欠けると判断しました。宝屋の箇所について、トロ肉チャーシュー麺がその店の人気メニューであることはわかりますが、「絶品との呼び声も高い」というのは主語が不明確で主観的な味の評価だと判断しました。一番星の箇所について、柴漬けが添えられるのはいいですが、口直しに非常によく合うという表現は、単なる個人的な感想にすぎないため、表現を改めました。玄屋の箇所について、「観光客に人気だが、地元での評価はそれほどでもない。」とありますが、検証可能性に欠け、営業妨害的でもあると判断しました。めん馬鹿一代も同様です。--Jute 2008年5月19日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
まず、人気の有無に関してですが、常時客席が埋まっていて、しばしば行列が出来るような店は「人気がある」と言ってもおかしくはないと思います。これは、検証可能ですし、中立性に欠けるとも、誇大な表現とも言えないと思います。確かに、「特に」という表現に関しては、多少曖昧さを感じますが。有名に関しては、マスコミあるいはネット等で取り上げられる頻度が高ければ、有名と言って良いと思いますが。こちらも、検証可能ですし、中立性に欠けるとも思えません。
個別の編集箇所についてですが、まず、「来来亭」についてですが、非常に短期間で急速に拡大し、現在も拡大のペースは墜ちていませんから、「飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで」「その勢いは留まる気配を見せない」という表現は別におかしくはないと思います。「宝屋」に関しては、表現が分かりにくいとのことですが、そう言う場合に関してはノートで議論の上、適切な表現に改めて下さい。即時削除は好ましい対応とは言えません。「一番星」に関しては、こってり系のスープにサッパリとした柴漬けが口直しに合うというのは、表現として別段おかしくはないと思います。削除しなければならないほど、「主観的」とは感じられませんが。「玄屋」に関してですが、客が地元の客であるか観光客であるかは、実際に店に足を運べば容易に検証が出来ますし、「玄屋」の場合、店に足を運んでもらえれば客の大半が観光客であることが確認出来ると思います。「めん馬鹿一代」に関しても同様です。また、「めん馬鹿一代」のネギラーメンに関して言えば、そもそも、注文する客自体ほとんど居ないのが現状なのですが。
御指摘の点、全般に関してですが、どちらの表現も、引っかかりを感じられるのは分からなくもないのですが、いずれも即時削除しなければならないほど問題のある表記ではないように思います。Wikipediaの場合、それこそ多種多様な人が編集に参加される訳ですから、表記や表現にバラツキが出るのは仕方がないことなのです。そして、しばしば他人の表記や表現に違和感を感じられることもあるでしょう。しかし、そうした内容を違和感があると言うだけで削除していたら、それこそ恣意的な編集になってしまいます。繰り返しになりますが、文章の削除に関しては、明らかな誤りである場合以外は、なるべく、ノートで議論して合意を形成した上で行ってください。また、どうしても我慢出来ないという表記や表現に関しては、削除するのではなく、内容を変えることなく、より適切な表記、表現へと改めるようにしてください。よろしくお願いします。--218.41.10.140 2008年5月24日 (土) 20:03 (UTC)[返信]
インデント戻します。確認しておきたいのですが、この項目は京都ラーメンについての項目であって、京都にあるラーメン店についての項目ではありませんよね?京都にある特定のラーメン店が有名であるからといって網羅的に取り上げる必要性はそもそもありません。「夢」についてはそういう面で違和感があります。ま、それは話がずれるのでひとまずおいておきます。
まず争いがなさそうなところで宝屋について、「叉焼について定評があり、限定メニューである「トロ肉チャーシューメン」の叉焼(トントロではない)は値段が高めにも係らず人気がある。」ではどうでしょうか。表現の修正にとどまる範囲内だと思います。玄屋について、観光客の点については妥協しますが、「地元での評価はそれほどでもない」という表現はやはり適切ではないため削除が適当だと思います。めん馬鹿についても同様で、注文する客がすくないという意味であればそのように書くべきです。「注文する客はあまりいない」という風に。地元での評価という表現では「主観的な味の評価」と受け止められるのが一般的じゃないでしょうか。あと「てんぐ」について「現在の「杉千代」より美味しいとの声も多い」という表現は一見客観的な書き方ですが、主体が不明確で検証可能性に欠け単なる「主観的な味の評価」にすぎませんので削除は適切だと考えます。「行列」の点については水掛け論になるので妥協します。--Jute 2008年5月29日 (木) 10:01 (UTC)[返信]
もうあまり議論が出ないようですので、あと一週間後の6月17日(火)の24時までに反論がないようでしたら、合意形成がなされたものとみなし上述した箇所の修正を行いますので、まだ反論があるようでしたらそれまでになすようにお願いします。追記:UTCではなく日本時間(UTC+9)です。--Jute 2008年6月9日 (月) 20:57 (UTC)[返信]
修正しました--Jute 2008年6月19日 (木) 02:43 (UTC)[返信]

本項の全面削除が適当である明確な根拠

[編集]

定義の客観的根拠が全く存在せず、勝手に定義した人物の極めて独りよがりの主観による定義であり、辞書の内容として完全に不適当。この項目自体の完全抹消が適当。内容として残したければ、「ラーメン」の項目に「京都地域における傾向」とでも分類することが極めて合理的。一部の独りよがりの知性に大きな問題を持つ者による定義など全く意味がない。

内容に付いても客観的根拠が全く提示されず、書いた人物の極めて独りよがりの主観による内容。加えて明確な公知の事実に基づく内容修正を行えば、執拗な不適当な内容に復元されて維持され、真理を提示しようとする者に対しては“荒らし”呼ばわりする。そのくせに『具体的な根拠が乏しい』だの『辞書なので主観的な評価は遠慮せよ』などと人には強要する一方で、それこそ“具体的でもなく”“主観そのもの”による評価による内容の維持を強行する。こうした一部の人格破綻者による極めて独りよがりの主張による妄想を単に集めただけの駄文は、辞書の内容としての存在価値は皆無である。--以上の署名のないコメントは、61.213.111.207会話/Whois)さんが 2007年7月9日 (月) 13:49 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「京都ラーメン」等という表現などは全く一般化されておらず、定型も定義も統一化されたもの、あるいは客観化されたものは、全く存在しない。所詮、「京都のラーメン」や「京都地域におけるラーメンの傾向」程度。

強いて「京都ラーメン」という表現で統一的にその特徴を括ろうとすれば、「他の所謂『ご当地ラーメン』と比較して極めて不味い」程度。本家とか元祖とか行列の出来る人気店とかいう店でも、他の地域ではとても流行らないレベルの味。日本全国、北は旭川から札幌、喜多方、東京、高山、尾道、福岡、熊本、鹿児島、南は沖縄そば等その他の名が通った『ご当地ラーメン』を現地で食べたことがある者から言わせてもらえれば、京都の地域での傾向としては『塩味が強過ぎて他の旨み・味付け・風味を殺す味付け』で最低ランクと言っても言い過ぎではないものである。不味いという表現が不適格ならば、他の地域での美味いといわれるラーメン店のものとはかけ離れたラーメンが京都では人気がある、とでも言おうか。それなのにそうしたラーメンが京都では人気ということは、京都の住民の味覚嗜好が他の地域のものと違うという意味では特徴であるかもしれん。歴史的に内陸部で新鮮な魚介類が手に入らず、塩漬けで食材が保存されてきたために『塩味』を好む傾向が強まったからか?「札幌の味噌ラーメン・塩ラーメン」、「東京の醤油ラーメン」、「九州の豚骨ラーメン」など、大雑把に括った分類での美味いラーメンと比較して、京都のラーメンは、明らかに不味いことは絶対に動かせない真実--以上の署名のないコメントは、218.226.97.20会話/Whois)さんが 2007年7月14日 (土) 09:33 (UTC) に投稿したものです。[返信]

削除すべき内容

[編集]

前セクションに「本項の全面削除が適当である明確な根拠」とありますが、本当にひどくてびっくりしました。

私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということを再確認したいと思います。

  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。

この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。--124.147.109.6 2010年1月9日 (土) 13:32 (UTC)[返信]

もちろん、仰しゃる通りです。ただし、安易に検証できる、広く知られた事実に関しては、常識的に判断して、出典の明記は不要と考えられます(当たり前ですが、これらを独自研究と呼ぶ人もいないでしょう)。なので、「要出典」、「要検証」を貼りつける場合は、その「意図」を明確にして頂きたいのです。この項目では以前からその傾向があるのですが、簡単に検証できて、なおかつ検証すれば容易に事実であることが確認できることに関して、「要出典」を貼り付けらる方がしばしば見受けられますし、どういう意図で貼られているのか分からない場合も多いのです。ですので、「要出典」を貼られる場合はその「意図」について、ノートにきちんと記述して頂けるようにお願いします。--219.111.129.25 2010年1月31日 (日) 02:44 (UTC)[返信]

出典に関して

[編集]

意図云々ではなくWikipediaの方針です。出典が示されない独自研究は削除することが出来ます。ブログや個人のホームページであれば、好きに記述出来るでしょう。--121.102.113.55 2010年1月31日 (日) 03:06 (UTC)[返信]

宣伝や大言壮語もありますが、出典の明記テンプレートを何箇所か示しました。--121.102.113.55 2010年1月31日 (日) 03:08 (UTC)[返信]

どうも、Wikipediaの方針に関して、大きな誤解をなされているようですが?そもそも、「検証可能性」を満たしている事柄に関しては、出典を示す必要はありません(ついでに言えば、一般的に常識と考えられることについても、出典を示す必要はありません)。つまり、誰でもが調べることができ、事実であることが確認できるような事柄に関しては、出典を示すことなく記載できますし、もちろん独自研究にも当たりません。例えば、あなたは、「京都ラーメン」と「京風ラーメン」の違いに関して、出典を要求されていますが、どちらも、今、現在、現実に食べることが可能ですから、実際にいくつかを食べ比べてみれば、記述が正しいのか、正しくないのか、判断出来るはずです。つまり、検証が可能というわけです。こうした、検証が実際に可能な事柄について、出典を求めるというのは、あまり意味のある行為とは思われませんし、Wikipediaの方針もそういうことを示唆しているわけではありません(「Wikipedia:独自研究は載せない」の項目にも「(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」と記載されています)。実際に、検証した上で、異論があるというのであれば、それはそれで提起して頂ければいいと思いますが。--219.111.129.151 2010年2月2日 (火) 02:07 (UTC)[返信]

あなたは「現実に食べることが可能」なことを「検証可能性」と呼んでいるようですが、ここでいう「検証」とは現地に実際行ってみて、体験することではありません。その記述の裏づけを情報によってあたることができるかどうかです。これは、情報源を示す必要がある事象です。
「京都に来い、食えば分かる」というのでは傲慢に過ぎますよ。京都に行く必要もなく、食べなくてもわかる、そういうのが「一般的な常識」でしょう。
「(1)専門知識が必要なくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる」この場合、「京都のラーメン事情」という専門知識が必要な事象ですし、なにせ「京都に行ってその両者のラーメンを食べてみる」ことは簡単ではありません。わかりやすくいうと、「紙をライターで燃やせば灰になる」ということは常識といえても、「羊の脳みそとフグの白子は非常に似た味である」ことは常識といえません。
「(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。」現状指摘された箇所は思いっきり分析、解釈、評価、主張が多くそもそも(2)のケースにはあたらないでしょう。これもダメです。
一番望ましいのは、出版物や記事による裏づけをもって現状に補強することです。例えば専門家が著書で「京都ラーメンと京風ラーメンは多くの京都人にとって明確に区別されている」と書いてあれば、その情報元を併記した上で書く、これを「検証可能性」を満たすといいます。さらに「個人のラーメン体験」は全く論外です。Aさんが美味しいとおもったものを美味しいと書き、Bさんはまずいと思ったから不味いと書いた、それではいけませんよね。
ただ、どうしても、いくらさがしても、そういった情報源を見つけることが絶対的に困難で、かつ全国的にもいうまでもなく常識的で、かつ意義の十分ある事柄だ、ということであればあるいは出典を併記せずに書いてもいいのかもしれません。しかし、個人的にはちょっと探せばラーメン専門家の著述はいくらでも見つかりそうな気がするのですが。
最後に検証可能性の冒頭にある方針について改めてここで引用したいと思います。
  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
--Geso 2010年2月2日 (火) 03:03 (UTC)[返信]
京都(滋賀や奈良もだが)のラーメンに付きましては現地のコンビニエンスストアや書店に行けばガイドブックがあり(書籍名は忘れたが先日閲覧)、それが参考文献になるかも知れません(その中に京都ラーメンの歴史が書かれていたものもありました)。ですのでこれを参考にすればある程度の加筆も可能かも知れません。--ユミエミ(目蒲東急之介) 2010年2月2日 (火) 03:08 (UTC)[返信]
どうも、Gesoさんの仰しゃることは、かなり無理がありますね。例えばですが、東京タワーと言う項目があります。この冒頭に、「昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている」との記述があります。早い話が、東京タワーの色についての記述なのですが、この記述について、別に出典は明記されていませんよね。Gesoさんの理屈で言えば、「東京タワーは実際に見たことがないので、記述は信用できない」、「『東京に来い、見れば分かる』というのでは傲慢に過ぎますよ。東京に行く必要もなく、見なくてもわかる、そういうのが『一般的な常識』でしょう」と言う事になると思うのですが、果たしてこういう主張は、Wikipediaの方針に沿っていると言えるでしょうか?さらに言えば、Gesoさんの理屈で行くと、例えば、日本のWikipediaにおける海外についての記述は全て出典が必要ということになりますよね、多くの人にとっては京都より遠いんですから(Gesoさんがどこに住まれているのか知りませんが)。常識的に考えて頂ければ分かると思いますが、もちろん、Wikipediaの方針はそんなことを求めているわけではありません。そもそも、「検証可能性」に関して言えば、誰でも検証できるという客観的な条件を満たしていればいいのであって、基本的にそれに掛かる手間は問題にはなりません。ついでに言えば、「羊の脳みそとフグの白子は非常に似た味である」と言う記述も、確かに常識とは言えないかも知れませんが、充分に検証が可能であり、Wikipediaの方針における「検証可能性」は充分に満たしていると思いますよ。また、「京都のラーメン事情」を専門知識と呼ばれていますが、たかだか、何軒かのラーメン屋を食べ歩けば済む程度のことに過ぎず、とても「専門知識」と呼ぶほどのことではありません。それから、「『個人のラーメン体験』は全く論外です」と書かれていますが、これも完全にWikipediaの方針を誤解されていると思います。繰り返しになりますが、「(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」と明記されています。つまり、「個人のラーメン体験」であっても、現在営業中のラーメン店(検証が可能である)についての客観的な事実(分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない)であれば、出典無く記載(一次資料に基づく)してもかまわないのですよ。もちろん、味に関する評価等が論外なのは言うまでもありませんが。「個人的にはちょっと探せばラーメン専門家の著述はいくらでも見つかりそうな気がするのですが」という意見に関しては、その通りだと思います。ただ、Wikipediaの方針に照らし合わせて、必要と思われない部分にまで、一々出典を付けることには、何の意義も感じませんし、最近、この項目に限らず、少し調べれば分かること(検証が可能なこと)について、やたらと出典を求める傾向があり、そういう傾向は好ましくないと感じていたこともあって、今回は主張することにしました(どういう訳か、以前からこの項目には、その種の書き込みが多く見受けられる傾向があり、今回ハッキリさせた方が良いのかなとも思いましたので)。検証可能性の冒頭にある方針については、重々承知しています。しかし、そもそも、検証が可能である事柄については、それ以前と捉えるべきではないかと思います。--218.41.11.186 2010年2月3日 (水) 04:04 (UTC)[返信]
現在、要出典になっている箇所は妥当かと思います。
個人のラーメン体験を記載することは、「一次資料を直接ウィキペディアで公表すること」であって「記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」には該当しません。
店の存在や価格など客観的事実については、比較的ブレの少ない項目なので(本来不可だが)「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる」として許容範囲である可能性はあると思いますが、個人の感性による味の記述等は少なくとも発表された一次資料を利用すべきでしょう(2次資料はあまり期待できないので)。Fuji 3 2010年2月3日 (水) 04:50 (UTC)[返信]
そもそも、京都のラーメングルメガイドではないのに、特筆性に疑問がある店の羅列です。個人のホームページやグルメサイトでやって欲しいです。--113.197.144.110 2010年2月3日 (水) 05:46 (UTC)[返信]

記事について大幅な整理が必要です。

[編集]

本記事は独自研究の塊であり、検証可能で信頼と権威有る文献資料に基づいた大幅なてこいれが必要です。また、特筆性の担保されない各店舗の紹介についても除去が必要です。独立記事のある天下一品については誰もが掲載を認める所でしょうが、他は第一旭、新福菜館は可として、ギリギリの所で天天有とますたにと言ったチェーン、フランチャイズ、または超老舗が残るくらいでしょう(みよしはどうでしょう?)。他についてはもうきりが無く、対象と直接関係の無い信頼と権威有る複数の文献で些末でないかたちで述べられていることを担保されないものは全て削除すべきです(前掲の各店舗については特筆性は恐らく問題なく、文献は出てくるでしょう)。また店の紹介以外についても、ウィキペディアの原則に従い、出典の無い記述はどんどん除去していきましょう。現状はもう書きたいことを書きたい放題の状況で、非常にまずいです。--Hman 2011年11月10日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

IPさんの差し戻しについて[1]、これは受け付けられるものではありません。出典がなければ独自研究ですよ、これ。というわけで典拠不明な記述を復帰させないでください。お願いします。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するを遵守してください。無出典が許されるほどの常識レベルじゃないです。常識レベルであるとの合意も得られていません。また、食べに行けばわかるという主張は認められません。要出典の貼付にも意図のわざわざのなど必要ありません(大方、意図は明らかなのですから)。とは言え出典は探せば明らかに見つかるのですから、不確かな状態で記載するのではなく、加筆はのんびり参りましょう。大体、麺が1.8mmってどこ情報ですか本当・・・。示して下さい。出典を。京都ラーメン本の参照くらいは可能ですし、総括的に比較検討した文献もありますから、それを参照して着実に再構築していってください。意地でも出典を示さない理由などないのでしょうから、本当にお願いします。原則的に全ての情報に典拠を、です。昔京都新聞での連載もありましたが、これは単行本化されているのでしょうかね。--Hman 2012年1月22日 (日) 00:11 (UTC)[返信]
IP利用者の方へ。何度も申し上げますが、Wikipedia:検証可能性を満たさない独自研究の掲載はお控えください。これはウィキペディアの公式な方針です。ウィキペディア編集者が合議で定義を作ることなどは許されません。必ず出典の明記が必要です。念のため、Wikipedia:コメント依頼を提出致しました。お願いですから、文献を当たって下さい。これ以上差し戻しを行なわれますと半保護依頼を検討せざるを得ませんが、お時間は有意義にお使い下さい。--Hman 2012年1月24日 (火) 08:45 (UTC)[返信]
大きな勘違いをされているようなので・・・。「出典がなければ独自研究」などという短絡的な決まり事はWikipediaの方針ではありません。とりあえず「研究」と単純な「調査」は全くの別物だという点を理解いただきたい。あとは、ノートでの過去の議論とそれこそWikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するを熟読していただきたいと思います。わかりやすくもう少し説明をしますが、「大体、麺が1.8mmってどこ情報ですか」・・・、店に物差しを持っていて計ってみればわかると思いますが?現実に今も存在し営業している店ですから、可能でしょう。そもそもの話になりますが、Wikipediaの基本的な理念は「検証可能性」を満たしているかどうかであって、「出典」の有無は必ずしも絶対的な条件ではありません(もちろん、あるに越したことはないのですが)。また、この点について大きな誤解をなされている人が多く見受けられるのですが(困ったことに、日本版に関して言えば、管理する立場の人でさえよく理解していないことがまま見受けられます)、「検証可能性」に関しては、それを満たしているか否かが問題なのであり、検証にかかる手間や難易度は問題にはならないのです(もちろん、検証が容易であればあるほど好ましいですが)。上記について理解のされた上で編集に当たられることをお願いいたします。--58.87.231.219 2012年1月24日 (火) 08:59 (UTC)[返信]
やっと対話に応じて頂けました様で幸いです。すいませんが、ウィキペディアでは「行ってみて物差しで測ってみた」は、独自研究であり、掲載できません。入手可能な文献で当たれないものは、検証可能性を満たしません。これはWikipedia:検証可能性「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」とされている通りです。店に行って測定すればよい、などは「あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。」に準じる行為であり、「見に行けば」「聞きに行けば」「食べに行けば」「住んでみれば」など、全て検証可能性を満たしません。また、文献で全く担保されていない事を独自に想像して執筆を行なうことは、独自研究です。よくわからないのは、どうして文献を提示なされないのかと言うことです。つまるところ出典の明記は義務です。以上の解釈についてはJAWPの多くの方に大筋でご同意頂けるものと確信します。--Hman 2012年1月24日 (火) 09:06 (UTC)[返信]
横から失礼します。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を見る限りはHmanさんの主張が正しいようですけど、いかがでしょうか。IPさんはご自分の都合のいいように解釈されてはいませんか。今までの流れを見る限り、Hmanさんの主張に賛成いたします。--Lapislazuli-star 2012年1月24日 (火) 09:09 (UTC)[返信]
IPさんへ。一応当方の方でコメント依頼は出しておりますが、どうしても方針にご納得頂けない様なら、Wikipedia:井戸端において、「現地に物差しを持ち込んで直接測定すればわかるなどとして文献に因らない記事を書く行為は適切か」などとしたトピックを作成し、他の皆さんのご意見を募ることが可能な旨、また、一般にコメント依頼より多くのご意見を得られやすい旨、一応ご案内申し上げます。ただし、結論は変わらないものと思います。--Hman 2012年1月24日 (火) 10:06 (UTC)[返信]

(インデントもどします)IPさんへ。Wikipedia:検証可能性を本当に読んでください。Wikipedia:検証可能性のX理論の例え話を読んでください。貴方が実際にラーメン屋さんに行って物差しで計ってきたり見てきたことを書いてはいけないのです。貴方が物差しで計った麺の太さをwikipediaに書きたければそれを新聞か雑誌に載せてもらってください(読者の投稿欄のような査読の入らないところではダメです)要は査読が入るか入らないかです。実際に物差しを持ってお店に行けば検証できるなどということは検証可能性を満たしているとは言いません。--ぱたごん 2012年1月24日 (火) 10:42 (UTC)[返信]

意見 - 本当にひどい状況だと思います。「記事について大幅な整理が必要」に賛同します。天下一品くらいの店名は入れてもいいでしょうけれども、まるでグルメサイトのラーメン店一覧の様相です。過去も、整理されると差し戻しをしているようで、非常に悪質です。--125.30.122.155 2012年1月24日 (火) 10:50 (UTC)[返信]
私も「主なラーメン店」節はバッサリ削除で良いとおもいます。グルメサイトのラーメン店一覧ではない。京都ラーメンの歴史や特徴を記すべきで、個々のラーメン屋さんの紹介はするべきでない。類似記事ならば札幌ラーメンをお手本にするべきでしょう。「主なラーメン店」節はバッサリ削除した後、Hmanさんや他の人が加筆しないなら最低限の記事には私がします。(1週間くらいは時間ください)--ぱたごん 2012年1月24日 (火) 11:07 (UTC)[返信]
現状の記述を除去すると言う案については全くの賛成です。と申しますか、ほとんど出典が皆無な以上、反対のしようがありません。ですがまあ、天下一品については余りにも著名ですので、1,2行くらいの説明は行なうのかもしれません(当然、詳しくは単体記事へ、と言う誘導のかたちになるでしょう)。新福菜館、第一旭、横綱、辺りも、京都内とは言えそれなりの規模の、名門チェーン店ですから、名前くらいは挙がるのかもしれません。ただしもちろん、特記するに足ることを示すに足る文献を見つけるのは、加筆を望む側の仕事です。ぱたごん氏の「ばっさり」の後、様子とバランスと必然性を見ながら、慎重に加筆を検討させて頂きます。今回、恐らく京都ラーメンに格別の思い入れがないと思われる(有ったらごめんなさい!)ぱたごん氏の強力な、良い意味でドライなご助力が得られそうであることは非常に心強く感じます。--Hman 2012年1月24日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
京都に存在するラーメン店一覧の外部リンク集となっている部分はひとまず削除しました。--125.30.69.78 2012年2月27日 (月) 07:26 (UTC)[返信]

「京都ラーメン」が持つ共通で独特な点、定義となる特徴は?

[編集]

フードテーマパークやグルメサイトや雑誌などでは、このWikipediaを見て書かれた様相があります。京都のラーメンは「京都」という地名が持つブランドイメージだけで売りに出しているようにも見えます。共通する独特の特徴が無ければ項目名を「京都のラーメン」としたほうが良いと考えます。京都ラーメンが共通で持っている独特(ユニーク)な点(定義となる特徴)って何なのでしょうか。出汁は鳥ガラでも豚骨でもないようです。トッピングも様々です。ひょっとすると「味が濃い」と言うのもあるのかもしれませんが、次の2点くらいしか無い様に感じています。1.タレが醤油。2.麺は、ストレートの細め(低加水?)--125.30.21.97 2012年1月25日 (水) 16:26 (UTC)[返信]

本当にかつてのこの記事発祥で各地にそう言った記述がなされているのであれば、結構まずい事態ですね。恐ろしいとさえ感じます。今後はむしろJAWP創設以前の文献を重視した方が良いかもしれませんね。でないとウィキペディアを典拠にウィキペディアを執筆する事態になってしまいます。さて、単なる意見交換と言うことで、特に出典に基づかず、記憶と経験で書かせて頂きますが、まあ醤油、これは外せません。酢が入っている店も非常に多いです。続いて、麺がストレートで細く(ただし製麺所の都合もあるため、自家製麺でない店では時々変更が見られる場合があります)、鹹水が少ない。スープは多くが鶏ガラ。細かく言えば九条ネギ使用で、具はチャーシューとシナチク、時々モヤシ。以上をほぼ満たすのが一番多いタイプ。天天有系は麺は京都ラーメンに収まっているが典型からは外れるため、京都のラーメン屋ではあるが京都ラーメンではない虞。天下一品は余りにも他と違いすぎて京都ラーメンとは認め難い。と、こういう感想です。繰り返しますがあくまで情報・意見交換であり、この方向で記述されるべきと考えている訳ではありません。記述については典拠を示し、権威に基づいて(言い換えれば判断の責任は文献の著者に丸投げで)執筆するよりありません。また、多くの文献で京都ラーメンが確かに定義づけられているのであれば、我々執筆者兼ラーメン好きがこのノートであーだこーだ考えてどうも定義がピンとこなくとも、そう定義されていると書かざるを得ないことでもあります。○○によれば××で、△△によれは□□である、と、我々は場合によっては各論を併記しつつそう書くしかありません。個人的にはまず、上の節で手を挙げてくださったぱたごん氏のご編集を待ち、それから本腰を入れていきたいと思います。--Hman 2012年1月25日 (水) 17:02 (UTC)[返信]
ん?削除は私がしますが、記事立て直しも私ですか?今日、京都ラーメンの一冊だけ見てきたのですが、たしかに札幌ラーメンは味噌、東京ラーメンは醤油といった共通点はないですが、青ネギを使っている店が多いのは特徴ですね(関東以北ではラーメンに青ネギはめったに使わない。とはいえ京都ラーメンでも青ネギ使わない店があるので困りますが)。ご指名ならば文献探してみますが、今は白血病とネズミに夢中なので手をあげてくださる方がいれば幸いです。言い出した癖にというなら責任はもちますが・・・--ぱたごん 2012年1月25日 (水) 17:19 (UTC)[返信]
えっ、あっ、すいません、私の早とちりでしたか。もちろんそう言った事でしたら、ご無理を申し上げる様なことはございません。私もすぐにどうこうとは行かないのですが、出来るだけ時間を取ってみます。ただし私などですとどうしても関西人POVの入ってしまう事があります。こんなもの常識、とか言うアタマが有るとどこかがズレてしまうことはよくあることで・・・。都度都度ご指摘等頂けますと幸いに存じます。--Hman 2012年1月25日 (水) 17:27 (UTC)[返信]
【ネギ】:ネギの件ですが、「京都のラーメンは青ネギを使用する」のではなく、京都の地域性として単にネギは細くて青いネギを好むので、一般的に青ネギが使用される場合が多いだけです。地元の九条ネギを使用する店は京都らしい特徴でしょうがこれが京都ラーメンで一般的なのなら定義になるでしょう。チャーシューシナチクは、通常の醤油ラーメンに入れられる具で必ず入れられるのではない限り特徴では無いでしょう。もやしは、油が多いこってりしたラーメン(醤油・味噌)と塩味のラーメンではもやしを入れる事が一般的なラーメンですが、京都老舗のもやし店の物を使用しているのならそれは特徴でしょうか。あと、天下一品ですが京都ラーメンではなく、単に京都のラーメン店だと考えます。--125.30.20.143 2012年1月31日 (火) 05:55 (UTC)[返信]
結局特徴のないのが京都ラーメンの特徴ということでしょうか?青ネギがこんもり乗ったラーメンは他ではあまり見ないような気もしますが。--ぱたごん 2012年1月31日 (火) 07:17 (UTC)[返信]
狭義の京都ラーメンでしたら、ものすごく簡単にまとめますと、具がシンプル、麺が弱い、鶏がら(豚背油)、醤油、酢、九条ネギ、と言ったところでしょう。ですがもちろんこれらを踏襲しないお店も(天下一品を代表に)多くあります。これを京都ラーメンに含めるか含めないか。横浜ラーメン博物館の定義ではそれらも含めていますのは現在の版の通りですが、結局のところ、広義の京都ラーメンで書いていくしか無いのでしょうね。さて、そうなった際に、記事名をこのままにするのか、京都ラーメンにするのかに話が戻る訳です。現状の京都ラーメンでも、そんなに違和感があるわけではないのでしょうが。たとえば、「多くの文献では狭義で・・・・・・とされているが、本稿では広義での京都ラーメン、または京都のラーメン一般についても言及する」でもよいわけです。そんなこんなを文献調査したい気持ちは山々なのですが、すいません、ノーパソを落っことして壊してしまったため、当面、大規模な調査執筆ができません・・・。もうしばらくは、力を溜めさせて頂きます。--Hman 2012年1月31日 (火) 11:23 (UTC)[返信]
繰り返しますが、「青ネギ」は京都の地域的な特徴だと思います。ただ、googleで青ネギラーメンの画像を検索しても、青ネギがこぼれるほど山盛りになっているのは京都のラーメン屋さんが多いとは見えず、京都の特徴とは感じられませんでした。出典でも頂きたいのですが。--125.30.69.78 2012年2月27日 (月) 07:30 (UTC)[返信]
天下一品のラーメンスープを「濃厚」と書き換えされますが、何が濃厚なのでしょうか。現状の記述ではわかりません。味が濃いというより、ポタージュのドロリとした濃度の事だと考えます。--125.30.16.77 2012年3月4日 (日) 15:01 (UTC)[返信]
ポタージュにもさらりとした物は存在します。--Yotate会話2012年3月4日 (日) 15:06 (UTC)[返信]
そうだとしたら、どのように「濃厚」なのですか?説明してください。--125.30.16.77 2012年3月4日 (日) 15:20 (UTC)[返信]
脚注で出典が提示されています。脚注を確かめずに『どのように「濃厚」なのですか?説明してください。』とはwikipediaの基本をわきまえてないとしか思えません、まずは提示された出典を確かめて下さい。--ぱたごん会話2012年3月4日 (日) 15:34 (UTC)[返信]
「全国」は「全国的」に変更しました。これら表現は47都道府県全てを網羅している必要があるわけではありません。他については私から改めて申し上げるまでもないでしょう。ぱたごんさん、Yotateさん、お忙しい中ありがとうございました。--Hman会話2012年3月5日 (月) 01:37 (UTC)[返信]

新たな記事の方向性について

[編集]

お世話になっております、Hmanです。一身上の都合で編集から離れていたのですが、やっと少々時間を作ることができましたので、全面的に改稿致しました。もちろん私一人の筆であり全く完璧などではなく叩き台でしかありませんが、とりあえず、どの記述がどこソースかがやっと見渡せる様になり、これで出典の権威や記述の妥当性などを検討できる段階になったと思います。検証可能性については125.30.69.78さんにも、大方満足していただけるかたちになっているのではないかと存じます。

さて、記事の方に列挙しました文献を素直に解釈しますと、京都ラーメンは結局、新福菜館発祥の「澄んだ醤油ラーメン」と、ますたに発祥の「背脂醤油ラーメン」、天一、の3つのジャンルがある、となります。また九条ネギについては案外言及が見つからず、○○によれば××であるとしか書きようがありませんでした。一乗寺についてもそうだったのですが、案外言及するまでもないとして、ツッコんだ記述が少ないのかもしれません・・・。

現在の版で私が気になっておりますところは(そんなものを上梓するな?・・・何分叩き台と言うことで、一先ずはご容赦ください)、まず店舗一覧です。新福菜館・ますたに・天一については京都ラーメンを語るに当たってどうやら触れざるを得ませんが、現在の様なスタイルを取りますと、目を離すとまた店舗が大量に追加されるのではないかと言う懸念があります。かと言って本文で言及してしまうといかにも冗長です。良いアイディアがありましたら、競ってご編集頂けましたらと思います。「横綱」はそれなりに大規模なチェーンであるため列挙しましたが、特記性は無いかもしれません。

もう一点は新福菜館創業者とされる除氏について、新横浜ラーメン博物館をどの程度信用してよいのかと言う点です。更なる典拠を発見するまではオミットしておく方が良いかもしれません。まあ、そもそも除氏とまで断定する必要も無いのかもしれませんが、京都ラーメンの元祖が彼であるのであれば名前は出しておくべきなのでは、など色々な考えがあるところです。

「京都あかさたな」につきましては首都圏で有名だったとのことですから、全国的な文献にて、将来的な加筆が可能かもしれませんね。--Hman 2012年2月27日 (月) 08:04 (UTC)[返信]

  • こんにちは、ぱたごんです。加筆ありがとうございます。かなり良くなったと思います。私もちょっとだけラーメン本は見たけど、やっぱり「京都ラーメンの定義はこれだ!]というものが判明せず、青ネギと使わない地方の者としては青ネギコンモリ店が多いのが印象だけど、皆が皆そうじゃないし・・というどうも捉えようのない主題だなという印象で悩んでいたので、これだけまとめて下さるとは、驚き感謝いたします。今後また、個別のラーメン店を書き加える人が出てくるかもしれないけど、全国展開しているチェーン店以外は認めないということではいかがでしょう?--ぱたごん 2012年2月27日 (月) 11:38 (UTC)[返信]
    • 文献を素直に解釈すると、ネギは後づけでなく単にそこにあったから使った、となりますが、公式に確定させて良い情報ではありません。他には、胡椒でなく赤唐辛子が多い、麺のゆで加減(特に)の注文はデフォ、など、非常に細かい特徴もある様ですが、権威と信頼有る情報源はなかなか、これが。案外ラーメンとは関係の無い本で言及されてたりしそうですね。店舗掲載については複数の文献で明らかにただの店舗以上の扱いを受けている店舗、または全国チェーン店に限る、と言うのは、ひとつの基準として、おおよそ妥当な感じです。ですが個人的な感想では、2012年現在、更に列挙に値する店舗は無いと考えています(もちろん数年後はわかりません)。リスト形式と言うこの形式自体には、一考の余地があるかもしれません。それにしても「横綱」は微妙です。30店舗、関東にまで出店(この時点で微妙)、とのことで、ある意味機械的に掲載しましたが、ご覧の通り、実はそれ以外に、特に書くことがありません(おいしいんですけどね)。本当に必要かどうかは、皆様のご意見を伺いつつ調整してみるしかないのでしょうね。自身があまりにラーメン好きですと、つい書きすぎてしまいがちになり困ります。--Hman 2012年2月28日 (火) 09:15 (UTC)[返信]

また差し戻しが発生していますが[2]、わざわざWikipedia:検証可能性およびWikipedia:独自研究は載せない違反に作り替えないでください。何度も申し上げますが、念のため。--Hman会話2012年3月25日 (日) 02:02 (UTC)[返信]

加筆すべき内容

[編集]

「スイス音楽なるものは存在しない、これはスイスのフランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏、ロマンシュ語圏の音楽がお互いに独立しており、お互いを認め合う運動なるもの[1]がないからだ」というのはスイスの音楽を語るうえでとても有名な言葉だが、これは京都ラーメンについても確実に当てはまる。1)醤油や塩、とんこつベースのラーメンは京都発祥でも何でもない。2)こってりと濃厚なベースのラーメンも、京都を中心に展開されているわけではなく、京都以上に濃厚なラーメン屋も存在する[2]。3)かつては東海地方に進出していた「京風ラーメンおいでやす[3]」は「京風」といいながら、ラーメンスープはさわやかであった。このため「京都ラーメンは存在しない」という論者も多い。これらの論者に反駁する目的で、多くの「京都ラーメン」に関する文献は出版され続けているが、そのすべてが「京都でなければ食えない味」という証明には成功していない。また京都は「国道沿いのラーメンチェーンが24時間営業をやめ[4]、挙句の果てに閉店する」など、全国区ではなかなか見られない現象も多発している。これをもって「まずい」・「まずいからリニューアルに走り、余計に味がくどくなる」という論者すらいる。味の良し悪し以前に「特色が出版物によって脚色・演出されている」・「京都のラーメンは京都のカレーと同じでルーツを持たない」・「天下一品以外のチェーンは味の良しあし以前に定着していない」ことは確実に言える。「ルーツの確立を何らかの形で行わない店・悪く言うとおいしくても個性の確立に失敗した店がよく京都に集まる・味が濃いのではなく東北アジアの伝統料理のような味のくどさ」ともいわれている。

脚注

[編集]
  1. ^ eric de visscher, 1996
  2. ^ ジロリアン、ジロリアンインスパイアほか
  3. ^ すでに撤退
  4. ^ 典型例に「悟空」

104.238.129.96 2015年9月28日 (月) 15:37 (UTC)[返信]

これ、現状を見る限り、編集者個人のコラムになっている面が強いですね。それこそ、評論家がこのように言っているという引用であるならばともかく。また、「~確実に当てはまる」「~という論者も多い」「~ことは確実に言える」「~ともいわれている」の主語がないのもダメです。根拠が示されてないのは致命的です。あと、これは結局何を言いたい文章なのか。という点もわかりにくいですね。「京都ラーメンの定義」における反駁、としての位置づけなら辛うじて妥当な線かなとは思います。いずれにせよ、今挙げたような点を解消しないことには、ただの個人の主張の域を出ないし、加筆するべき内容ではない、と考えます。--Geso会話2015年9月29日 (火) 00:25 (UTC)[返信]

本当にこれらの内容はコラムか?

[編集]

1)醤油や塩、とんこつベースのラーメンは京都発祥でも何でもない。2)こってりと濃厚なベースのラーメンも、京都を中心に展開されているわけではなく、京都以上に濃厚なラーメン屋も存在する。3)かつては東海地方に進出していた「京風ラーメンおいでやす」は「京風」といいながら、ラーメンスープはさわやかであった。これは事実であり、編集者のコラムではない。これについてはGesoが間違っている。

本文は出典によって定義されているか?

[編集]

JAWPの本文も<<<九条ねぎの甘さを引き出すためではないか>>>こういう出典の出し方はダメ。どこの百科事典も「○○ではないか」という文章はメインにならん。

<<<薄味のラーメンが昭和50年代に首都圏で人気>>>おいでやすが盛況だったのは東海地方で首都圏ではない(首都圏は日本中のラーメンが集うので、うす味にこだわる必要がなかった。当時ラーメン文化の過疎地だったからはやっただけだよ)昭和60年代も客足はベビーブームの学生に支えられよかったが平成時代に入って急減速した。

<<<入江敦彦によれば、これは脂肪分が抜けているものを使用するため、それほど脂っこくなるものではない>>>ひとりだけでは定義が弱い!複数人の証言が必要!京都も実に油っぽい。。。

<<<豚の背脂を散らしたラーメンが「ますたに」から広まり>>ますたに発祥ではなく、珉珉など個人宅でもやっている。

本文すらこれだけ間違ってるのに、Gesoはこれについては一切手を加えない。「全面改稿が妥当」と言われてから書き直されているが、最新版すらこのありさま。いかにWPのルールがうその塊かよくわかる。

104.238.129.96 2015年9月29日 (火) 09:45 (UTC)[返信]

まず第一の点については、本ノートにも同様の議論が既に存在しますので、その経緯および検証可能性について是非ご一読ください。また現在の本文についての指摘については、また新しい議論になるかと思います。私が取りざたしているのは今回あなたが提示した「加筆すべき内容」についてですし、私が本項目の文責を負っているわけではありません。--Geso会話2015年9月30日 (水) 00:27 (UTC)[返信]

出典を加筆しておきましたので問題ないです。--5.134.117.107 2018年3月30日 (金) 01:36 (UTC)[返信]

出典として不適格なものは除去しました。また、同様に編集者の個人的な見解も修正しました。--Geso会話2018年4月16日 (月) 00:54 (UTC)[返信]

「本店の旅」はウィキペディアにおける信頼できる情報源の基準に合致するか

[編集]

ラーメン藤節にて「本店の旅」というウェブサイトが出典に使われているのですが、どうやら個人サイトのようで、WP:RSを満たさないのではないかという疑念を持ちました。

これについてこちらの記事の編集に参加されているプアリーマンさんが問題点はなく解決しているという判断でタグ除去を行われたため、利用者‐会話:プアリーマン#問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為についてにて対話をさせていただいていました。しかしながら解釈が合わず判断に迷うため、他の方の意見を得たいということもあり議論提起いたします。

WP:RSを読む限り、公刊されている、査読プロセスを経た情報源が信頼できる情報源とのことであり、人物の発言の根拠としてなど限られた条件では個人媒体も使ってもよい場合もあるのではないかと思いますが、今回の場合は当てはまらないのではないかと考えています。

ご意見のほどお願いいたします。--Mariobanana会話2024年2月19日 (月) 13:24 (UTC)[返信]