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ノート:元禄地震/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

改名提案

以下の歴史地震の記事名について改名を提案します。

これらは何れも日本の歴史に少なからず影響を与えた大地震(前3者は巨大地震)であることは疑いありませんが、これらのような歴史に残る地震で、かつWikipediaの特筆性が高いものは大方、大地震です。

例えば1703年の相模トラフ巨大地震は「元禄大地震」や「元禄の大地震」と呼ぶ場合もあり決してこれらの名称が誤りというわけではありませんが、記事名は地震学で一般的に用いられている名称が適切ではないかと考えます。

尤も、これらの地震は気象庁も幕府も公式に命名したわけでなく、触書は「旧冬地震」、「今度国々地震」とか、古文書も「地震」、「大地震」、「地大震動」、「大地震動」、「大地ゆる」などと表記しているに過ぎません。地震関連の文献に掲載されている名称も宇佐美龍夫や宇津徳治らが命名したものが普及しているのが現状ですが。

現・記事名 俗称 地震の事典
宇津徳治
日本被害地震総覧
宇佐美龍夫
理科年表2012年版 宇津の表 地震の日本史
寒川旭
大地動乱の時代
石橋克彦
日本の地震断層パラメーター・ハンドブック 千年震災
都司嘉宣
天正大地震 天正の大地震 天正地震 天正地震
慶長伊予地震 文禄の大地震
慶長豊後地震
慶長伏見地震 伏見地震 慶長伏見桃山地震
慶長大地震 慶長の大地震 慶長地震 慶長地震 慶長地震 慶長地震 慶長東海地震
慶長三陸地震 慶長の三陸沖地震 慶長三陸地震 慶長三陸津波
元禄大地震 元禄の大地震 元禄地震 元禄地震 元禄地震 元禄地震 元禄関東地震 元禄関東地震 元禄関東地震 元禄地震
安政の大地震 安政の大地震 安政江戸地震 江戸地震 江戸地震 安政江戸地震 安政江戸地震 安政江戸地震 安政江戸地震


ここで、現在曖昧さ回避ページとなっている慶長地震が問題となり、1605年の慶長地震に対し、1611年の三陸沖地震や1596年の伏見地震が競合の対象となるとする意見もあるかもしれません。

ただし1611年の三陸沖地震は地震関連の文献で「慶長三陸地震」、1596年の地震は「伏見地震」あるいは「慶長伏見地震」と表記され、記事名も現状維持でよく、直接の記事名の重複はありません。その意味では1605年の地震は「慶長地震」として主要なトピックに位置付けられると考えます。曖昧さ回避については「慶長地震」記事にOtheruses対応で「慶長三陸地震」や「慶長伏見地震」などへ誘導することで充分対応できると考えます。--As6022014会話2012年9月20日 (木) 08:07 (UTC)

賛成 地震学関連の文献に合わせるのが妥当でしょうから、改名に賛成です。--窓家会話2012年9月20日 (木) 10:18 (UTC)
  • 反対 寄り もう少し調査・検討した方がいいという意味で反対寄りです。公式な命名がされていないということは、正式名称がないということですから、WP:NC#記事名を付けるにはの「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」に従うことが推奨されます。そして、歴史地震の記事は、地震そのものの科学的(地震学的)解説だけではなくて、地震による被害や政治・社会等への影響等についても言及されるものですから、地震学関連だけではなく、歴史関連や一般的な資料(特に二次資料)でどのように呼称され膾炙されているかも検討した方がいいと思います。プロジェクト‐ノート:災害#気象庁が命名する以前の地震名を拝見すると、その当たりもお調べになった上でのご提案とお見受けしましたが、地震学関連以外の具体的出典名が挙げられていないようなので、少し当たってみた結果だけですが書いておきます。
『日本大百科全書 1』(1984年、小学館)は項目名「安政の大地震(だいじしん)」、『日本歴史大辞典 1』(1981年改訂、河出書房)は項目名「安政の大地震(おおじしん)」、『世界大百科事典 2』(2007年、平凡社)と『国史大辞典 1』(1979年、吉川弘文館)は項目名「安政地震」でした。
単行本では『安政大地震と民衆―地震の社会史』(北原糸子、1983年、三一書房。2000年に講談社より『地震の社会史―安政大地震と民衆』と改題し文庫化。著者北原氏は現在、立命館グローバル・イノベーション研究機構の教授で、同大学の歴史都市防災研究センターの研究メンバーのようです)、『実録・安政大地震』(門村浩、1983年、静岡新聞社。門村氏は地理学者で、都立大名誉教授。立正大学教授も努め定年で退官しています)、『安政江戸地震―災害と政治権力』(野口武彦、1997年、ちくま書房)、『天正大地震誌』(飯田汲事、1987年、名古屋大学出版会)などがありました。
時間があまり取れなかったので、これ以外の調査や、内容の精査はできておりませんが、ご提案者自身がおっしゃっておられるように、「大地震」でも誤りではなく、また最近の事例とは言えませんが、地震学者の方が使っている例もあるようですので、もう少し調査・検討をした方がいいように思います。また、歴史地震についての記事名命名法を決めるならば、プロジェクト‐ノート:災害だけでなく、プロジェクト‐ノート:歴史の方にも議論参加を呼びかけた方がいいと思います。よろしくお願いいたします。--立花左近会話) 2012年9月23日 (日) 14:48 (UTC) 意見変更--立花左近会話2012年11月6日 (火) 13:50 (UTC)
ご意見ありがとうございます。
元禄大地震、安政の大地震ならば、宝永地震も「寶永大地震/宝永大地震」(大森房吉[CiNii]、間城龍男『宝永大地震 -土佐最大の被害地震-』など)、「宝永の大地震」(『佐伯市史』など多数)あり、その他白鳳地震も「白鳳大地震」(今村明恒『鯰のざれごと』など)「白鳳南海大地震」(沢村武雄 『日本の地震と津波 -南海道を中心に-』)あるわけで、むしろこれら多くの記事名を改名するという議論もあり得るのです。天明の大飢饉明暦の大火など他の歴史的災害と統一感を持たせるためにはね。
また既に挙げたように地震学、地質学者らが必ずしも「大地震」を忌避しているわけでもなく、また歴史学者である矢田俊文は『中世の巨大地震』において「明応の大地震」などでなく「明応地震」、「宝永地震」などを用いている。また同著書で永長地震(「1096年の地震」と記述しています。)について、この地震は嘉保3年の出来事で地震によって改元されたのだから「永長地震」と呼ぶのはおかしいとまで言及しています。私も個人的には矢田俊文の意見に賛成で、改元前に発生した安政東海地震や安政南海地震も同様だと思いますが、「嘉永東海地震」などの記事名は社会状況から考えて現時点では考えられないです。
2000年台初頭頃から、東海・東南海・南海地震がマスコミなどでも多く取り上げられ、昨年の東北地方太平洋沖地震発生で南海トラフの巨大地震は一層注目を浴びる事となった。地震調査研究推進本部による[南海トラフの地震の長期評価について]や気象庁でも[東海地震について]、宇佐美龍夫らの名称をあたかも定着した名称かの如く使用している。その点ではWikipediaにこれらの記事名を採用する事に躊躇はありませんでした。こういったことが無ければ「宝永の大地震」で記事を立ち上げていたかも知れません。
挙げられた安政の大地震に関する文献は実は既に調査済みです。全て挙げると膨大な量となるので。周知の事とは思いますが安政地震と呼ばれているのもは1854年12月23日の安政東海地震、1854年12月24日の安政南海地震、1855年11月11日の安政江戸地震があります。前2者は本来「嘉永の大地震」で正真正銘の「安政の大地震」が江戸地震ですが、大森房吉や今村明恒ら明治時代からの地震学権威の学者が東海道、南海道沖の地震も安政と云い習わしてきた、『大日本地震史料』をはじめとして『理科年表』まで嘉永7年を安政元年と表記している。今日でもそれが一般化しているということです。挙げられている『実録 安政大地震 その日静岡県は』の中身は読まれましたか?これは江戸地震ではなく安政東海地震についての内容でこの記事の出典としてあげております。(気付きましたが著者名を誤記入していました「門村浩」でした。ご指摘ありがとうございます。)『世界大百科事典 2』はこれらの3地震をまとめて記述しています。『国史大辞典 1』の項目名は江戸地震の記述で「安政の地震」です。つまり各書籍で統一しているわけでない。
また、比較的新しい「安政の大地震」は多くの書籍で記述され、山内一豊の悲劇である天正大地震も歴史に関する書物にも良く登場しますが、それ以前、またそれ以外の地震はあまり歴史に関する書籍には登場しないのです。不都合な真実として意図的に隠されたとさえ感ずるほどです。六国史のような正史には古地震は明確に記述されているにも拘らずです(ため息)。
私はむしろ、改名は行わずこのまま現状維持でもよいとも思っているのです。「円頓寺」の件もそうですが、どちらかに統一する事で重要な情報が失われる、各書籍では「元禄の大地震」、「宝永の大地震」、「安政の大地震」の記載も少なからず見られ、昔から「世にいう宝永の大地震」などと語り継がれてきた。その意味で「安政の大地震」などを残すのもやぶさかでないと考えているのです。
立花左近さんはもしご自身が例えば「宝永地震」の記事を執筆するならばどのような名称を選択したでしょうか?(宝永地震、寶永地震、寳永地震、宝永大地震、宝永の大地震、宝永東海・南海地震、1707年宝永地震、亥の大変、丁亥の変、今度国々地震、その他諸々)また、立花左近さんは記事名を、どちらかに統一派でしょうか、それともあらゆる表記が混在する事を容認できる派ですか?--As6022014会話2012年9月24日 (月) 03:18 (UTC)
ご丁寧なご説明ありがとうございます。「宝永-」については、十分に調べておりませんので、どれを選択すべきか判断できません。本提案の四つの地震(あるいは他の歴史地震も含めて)に関しては、統一する必要はなく、個別に最もふさわしいものが合意できるならば、それを採用すればいいと思います。私が挙げた資料は内容までは精査していないことは申し上げました。その後確認できたことで、『大日本百科事典』(1967年、小学館)が「安政の大地震(おおじしん)」『日本大百科全書 1』(1984年、小学館)が「安政の大地震(だいじしん)」、『世界大百科事典』(2009年、平凡社)が「安政の地震」という項目名であることが分かりました。『大日本百科事典』の項目執筆者は吉田常吉氏、あと二つは宇佐美龍夫氏です(ただし、『世界大百科事典』の方は宇佐美夫になっていました。これはこれで興味深いことですが、本件とは関係ないのでやめます)。それから、『角川日本史大辞典』(1976年、角川書店)は「安政の地震」と「慶長地震」が項目として載っていました。また、『日本史大事典 1』(1992年、平凡社)では北原糸子氏が執筆者で「安政地震」の項目がありました(ちなみに『日本史大事典 2』(1993年、同)には「慶長地震」、『日本史大事典 6』(1994年 同)には「宝永地震」の項目が宇佐美龍夫氏執筆で載っていますが)。すなわち、同じ出版社、同じ執筆者でも同一の地震の名称や読み方が異なり、同じ事典の中でも元号付きの地震に「の」を入れたり入れなかったりしているということです。統一どころか、個々の名称も容易には決められないのではないかというのが印象です。--立花左近会話2012年9月24日 (月) 14:39 (UTC)

そもそも、顕著な大地震や被害地震に固有名詞を与えようとする発想自体が地震学特有のものの様に思います。だから多くの書籍、論文を調べても具体的に地震名が記されているものは圧倒的に地震学関連のものが多い。『百科事典』の類にしても宇佐美龍(竜)夫ら地震学者が執筆している事が多い。また『宝永大地震 -土佐最大の被害地震-』の本文では「宝永地震」であったり、沢村武雄は書籍によって「白鳳南海大地震」や「白鳳地震」『四国山脈 五つの大地震』であったり、同著者、同書籍でも表記ゆれがあるのは普通です。 地震学関連の書籍を挙げると数は膨大になります。方や慶長9年の地震は歴史関連の書籍ではあまり見出されません。地震学以外の分野の古文書や書籍の例を一部挙げると、

1586年1月18日(天正13年11月29日)の地震
  • 『常光寺年代記』子刻大地震国土家崩
  • 『越中三郡城跡』天正十三年十一月廿九日木舟城大地震
  • 『菅家見聞録』十一月廿七日〔ママ〕越中木舟大地震
  • 『フロイス日本史』五畿内地方で生じた異常な地震
  • 『新編一宮市史 史料編六』天正甲申地震
  • 『木曾岬村史』天正十三年(一五八五〔ママ〕)の地震
  • 『長島町誌 上』天正十三年(一五八五年〔ママ〕)十一月二十九日の天酉地震
  • 安達正雄『白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」』
1605年2月3日(慶長9年12月16日)の地震
  • 『義演准后日記』旧冬十五日武蔵国江戸辺大地震由注進候
  • 『薩摩旧記後編』去十六日、東目より西目之浜大浪よせ
  • 『伊豆国八丈島宗福寺古記』慶長九年十二月十六日の夜、津浪登り
  • 『東照宮実記』慶長九年十二月十六日、今夜遠江国舞坂辺高波打あげ
  • 『続本朝通鑑』慶長九年十二月丙午朔、辛酉、武蔵、相模両国地地大震、海浜溢
  • 『三災録付録』于時慶長九年甲辰国々諸難立起事
  • 『房総治乱記』慶長六〔ママ〕年十二月十六日、大地震
1703年12月31日(元禄16年11月23日)の地震
  • 『楽只堂年録 百三十三』今暁八つ半時希有の大地震
  • 『津軽藩御日記』昨夜八時過大地震
  • 『内藤候平藩史料』廿二日夜八時地震強ク
  • 『小田井記』元禄十六年癸未大地震があった
  • 『近世山田町方資料』元禄十六年十一月江戸大地震ニ由テ
  • 『出火洪水大風地震』今夜丑ノ中刻より寅下刻迄夥敷地震
  • 『勝浦高照寺の記録』元禄十六年癸未十一月二十二日夜九ツ子ノ刻前代未聞之大地震夥敷
  • 『稿本野田市年表二』十一月二十二日二十三日の両日、関東一帯大地震
  • 防災専門図書館『元禄十六年関東大地震記』
  • 関東地区災害学習センター『房総半島の元禄地震史料』
  • 静嘉堂文庫『元禄中大地震大火の覚』
  • 国学院大学図書館蔵書『元禄大地震届書』
  • 三島大社大宮司蔵書『元禄十六癸未年大地震之記』
  • 『災異温故録』元禄度大地震並大火
  • 『大日本全史下巻』元禄十六年の地震津浪及び火事
  • 『江戸時代小田原震災資料』元禄十六年地震
  • 『日本歴史地名大系 千葉県の地名』元禄十六年の地震と津波
  • 『越谷市史 第一巻』元禄十六年の地震
  • 『蕨市の歴史』元禄十六年の大地震
  • 『館山市史』元禄の大地震
  • 『鋸南町史』元禄十六年(一七〇三)十一月二十三日の大津波
  • 『長生村史』元禄の津波
  • 『熱海市史 上』元禄大地震の惨禍
  • 『伊東市史』元禄十六年の大津浪
  • 『御殿場市史 史料編二』元禄十六年大地震及び宝永四年富士山噴火覚書
1855年11月11日(安政2年10月2日)の地震
  • 『幕府抄汰書』安政二年十月二日、今夜四時頃稀成大地震
  • 『安政二年乙卯珍話』安政二年乙十月二日、江戸大地震
  • 『安政二年震災記事』安政二卯年十月二日夜四ツ時頃地震
  • 花咲一男『大江戸ものしり図鑑』安政の大地震

その他書籍

  • 山下文男『隠された大震災』明応の大地震、元禄大地震/元禄地震、宝永大地震、宝永の大噴火、安政東海地震、安政南海地震、安政江戸地震
  • 矢田俊文『中世の巨大地震』一〇九六年の地震、一〇九九年の地震、一三六一年の地震、明応地震、慶長地震、宝永地震、安政東海地震、安政南海地震
  • 門村浩『実録 安政大地震 その日静岡県は』安政東海大地震
  • 久光重平『日本貨幣物語』元禄十六年の江戸大地震/元禄十六年の冬の大地震/関東の大地震、宝永四年の全国的地震、続く富士山の噴火
  • 草間直方『三貨図彙』(元禄十六癸未年十一月)廿三日、東国筋大地震、(宝永四丁亥年)十月四日五畿内ヲ始メ、東海道・南海道ノ国々大地震、十一月廿三日富士須走口ヨリ焼イデ
  • 『両替年代記』(元禄十六未十一月)廿二日江戸大地震、(宝永四亥)十月十四日〔ママ〕東海道大地震、富士麓素走口より山焼け出
  • 箭内健次『図説日本の歴史 11.江戸の開幕』(元禄)16年には南関東大地震、宝永4年には10月の大地震、11月には富士山が噴火
  • 『日本歴史地名大系 高知県の地名』康和二年(一一〇〇)〔ママ〕の大地震、宝永四年(一七〇七)の大津波/宝永四年の「亥の大変」、安政元年の「寅の大変」
  • 東京法令出版『日本史資料』(1703年)関東大地震、(1707年)富士山噴火、(1855年)江戸大地震
  • 河出出版『日本歴史大事典 日本歴史年表』(1703年)関東大地震、(1707年)諸国大地震、富士山噴火し宝永山を生ずる、(1854年)関東大地震(東海地震)、(1855年)江戸大地震
  • 小学館『日本歴史新聞366』(1707年)宝永の大地震、(1854年)東海地方大地震

以上の様に具体的に固有名詞が与えられていないと判断されるものも多く「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」を地震学・地球物理学関連以外の書籍から判断するのは非常に難しく感じます。 2つのプロジェクトで呼びかけた以上、さらに多数の方々の意見を伺う必要もあります。--As6022014会話2012年9月25日 (火) 03:20 (UTC)

最初の意見冒頭にも書きましたように、もう少し調査・検討した方がいいという意味で反対寄りにしたまでですから、これだけ資料を挙げていただければ判断材料は十分と感じております。私見としては百科事典の項目名ですので、一次資料(史料)における当時の記述よりも、現代の二次資料で使用されている名称を重視した方がいいと思いますが、歴史関係の資料で取り上げられていない、あるいは固有名詞が与えられていないものは、それ以外の資料の中から選ぶより仕方ないでしょう。多数の方々のご意見を伺うことには賛成ですし、その結果ふさわしい記事名で合意できそうなら反対することはありません。すでに申し上げたように統一する必要はないと思っていますから、選択肢としては「大地震」にするか「地震」にするか、元号の後に「の」を入れるのか入れないのかといったあたりを個々に判断することになるかと思いますが、どれに決まることになっても異を唱えることはありません。参加者の方々の多くが地震学で汎用されている名称でいいじゃないかということになれば、それでも構いません。現段階では、「安政-」に関しては(「の」と読み方の問題はさておいて)「大地震」でいいのではないか、そしてその場合、三つの地震をまとめて解説している例もあることから、そのような記述もした上で、安政江戸地震に関しては記事内に節を設けて解説し、双方の分量が多くなった場合には分割してもいいのではないかと感じていますが、それにもこだわりません。イメージとしては関東大震災関東地震#大正関東地震阪神・淡路大震災兵庫県南部地震などに近いですが、「安政(の)大地震」といった場合、震災のみを指すわけではありませんので、これらの例とイコールではなく適切かどうか分かりませんから。後は今後の議論の経過の中で適宜コメントさせていただきたいと思います。--立花左近会話2012年9月25日 (火) 04:28 (UTC)

より広く多くの方々の意見を募るためコメント依頼を提出しました。--As6022014会話2012年10月4日 (木) 09:35 (UTC)

基本的に 賛成 As6022014さんも触れていますが、現状では慶長大地震って、正体を巡って謎の多い1605年の津波地震の記事名なんですね。私はてっきり1611年慶長三陸地震のことだと思ってしまいました(苦笑)。そしてもう一つ慶長年間には1596年慶長伏見地震という大地震の名をつける候補となり得る地震があります。また安政江戸地震も現状では安政の大地震とされているのに驚きました。これも32時間の間隔で続発した安政東海地震安政南海地震のことだと思ってしまいました。このように慶長大地震と安政の大地震はその名が示し得る地震が複数有るので、基本的に1596年の地震は慶長伏見地震、1605年の地震は慶長地震、1611年の地震は慶長三陸地震、安政の地震は江戸に大被害を与えた直下型地震(?)は安政江戸地震、32時間間隔で発生したプレート境界型の大地震はそれぞれ安政東海地震、安政南海地震とするのが良いと考えます。
一方、天正大地震と元禄大地震は少々迷います。天正地震は日本の有史以後最大級の内陸地震で、また元禄地震は相模トラフで起きる最大級のプレート境界型地震と考えられており、ともに大地震というに相応しい規模、被害があり、しかも他の地震と混同する可能性は低いです。これは正直迷います。現に大地震という名を用いている例が少なからずあるのは私も承知しています。ただ地震と大地震との切り分ける基準がはっきりせず、現にこれぞ大地震というべき宝永地震は大地震が記事名とされていません。記事名の地震と大地震との間に何らかの基準を設けることが可能で、その上で他の地震と混同する可能性が低い場合は大地震で良いと思うのですが、そのような基準を設けるのは困難だと思いますので、基本的に地震学関連で主に用いられている~地震を記事名とするのが良いと判断します。--のりまき会話2012年10月4日 (木) 10:45 (UTC)
のりまきさん。そこなんです。書籍の記述、CiNiiで検索される論文では「慶長大地震」は1596年慶長伏見地震または1611年慶長三陸地震を指しており、J-stageの本文検索で1件1605年の地震があるのみです。ノート:慶長地震参照。つまり「慶長大地震」は一義的でなく1605年の地震を特に指しているとはいえない事が明らかです。むしろ歴史的に慶長大地震として有名なものは豊臣秀吉伏見城に関連深い慶長伏見地震です(これは本来、文禄の大地震ですが)。
一方で、「慶長地震」は1605年の地震に対して命名されたものであり学術論文等で広く用いられています。また地震調査研究推進本部、南海トラフの巨大地震モデル検討会が1605年の地震を「慶長地震」と呼んでいることは見過せません。むしろ「慶長大地震」の方を曖昧さ回避ページとし、「慶長地震」を1605年の地震記事とする方が妥当です。
また「安政の大地震」ですが、こちらは確かに1855年の江戸地震を指すことが多い。しかし1854年の安政東海地震安政南海地震と紛らわしいものが存在する。本来これらは「嘉永の大地震」だが、1854年伊賀上野地震・安政東海地震・安政南海地震さらに1858年の飛越地震を「安政の大地震」と称している例もある。ノート:安政の大地震参照。
元禄地震と宝永地震については歴史書などの扱いも同格と見做せ、伊豆半島衝突によって分断された相模トラフと南海トラフでそれぞれ発生した巨大地震であり、片方のみを特に「大」とする根拠も無い様に思います。参考相模トラフ沿いの地震活動の長期評価について
CiNii検索数および内容
論文検索 全文検索 内容
天正地震 33 34 全て1586年の地震
天正大地震 3 5
天正の大地震 0 1
慶長伏見地震 4 26 全て1596年の伏見地震
伏見地震 7 39
慶長地震 2 2件1605年の地震
41 22件1605年の地震, 11件1596年の伏見地震, 4件1596年の豊後地震, 3件1611年の会津地震, 1件1596年・1605年の地震
慶長大地震 1 1件1596年の伏見地震
4 3件1596年の伏見地震, 1件1611年の三陸地震
慶長の大地震 0 5 2件1596年の伏見地震, 1件1611年の会津地震, 2件不明
慶長三陸地震 0 2 2件1611年の三陸地震
元禄地震 13 69 全て1703年の相模トラフ巨大地震
元禄大地震 1 3
元禄の大地震 0 1
宝永地震 13 79 全て1707年の南海トラフ巨大地震
宝永大地震 2 15
宝永の大地震 0 2
安政地震 10 6件1855年の江戸地震, 2件1854年の南海地震, 1件1854年の東海地震, 1件1854年の東海地震・南海地震
88 24件1854年の東海地震, 23件1855年の江戸地震, 22件1854年の東海・南海地震, 15件1854年の南海地震, 2件1858年の飛越地震, 2件不明
安政大地震 10 8件1855年の江戸地震, 1件1854年の南海地震, 1件1858年の飛越地震
48 25件1855年の江戸地震, 9件1854年の東海地震, 6件1854年の南海地震, 5件1858年の飛越地震, 3件不明
安政の大地震 4 3件1855年の江戸地震, 1件1854年の南海地震
20 14件1855年の江戸地震, 4件1854年の東海地震, 1件1854年の南海地震, 1件一連の安政地震
安政江戸地震 35 85 全て1855年の江戸地震
安政の江戸地震 0 1
江戸地震 1 69 51件1855年の江戸地震, 10件『徳川氏時代に於ける建築年表資料』(江戸地震す), 4件『大日本地震史料』(江戸地震フ), 4件その他(1649、1650、1792年)
J-stage検索数および内容
表題検索 全文検索 内容
天正地震 7 31 全て1586年の地震
天正大地震 0 9
天正の大地震 0 1
慶長伏見地震 1 24 全て1596年の伏見地震
伏見地震 1 17
慶長地震 0
38 28件1605年の地震, 8件1596年の伏見地震, 2件1596年の伊予地震豊後地震・伏見地震
慶長大地震 0
2 1件1596年の豊後地震, 1件1605年の地震
慶長の大地震 0 2 2件1596年の伏見地震
慶長三陸地震 0 4 全て1611年の三陸地震
元禄地震 1 52 全て1703年の相模トラフ巨大地震
元禄大地震 0 5
元禄の大地震 0 0
宝永地震 0 97 全て1707年の南海トラフ巨大地震
宝永大地震 0 12
宝永の大地震 0 1
安政地震 1 1件1854年の東海地震
89 25件1854年の東海地震, 24件1854年の南海地震, 19件1854年の東海・南海地震, 11件1855年の江戸地震, 6件1858年の飛越地震, 1件1856年の八戸沖地震, 2件不明
安政大地震 0 48 17件1855年の江戸地震, 13件1854年の東海地震, 10件1858年の飛越地震, 7件1854年の南海地震, 1件1854年の東海地震・南海地震
安政の大地震 0
27 11件1855年の江戸地震, 9件1854年の東海地震, 4件1858年の飛越地震, 1件1854年の南海地震, 2件1854年の地震
安政江戸地震 2 50 全て1855年の江戸地震
安政の江戸地震 0 4
江戸地震 0 27 24件1855年の江戸地震, 3件その他(1615、1647、1771年)

--As6022014会話) 2012年10月9日 (火) 08:03 (UTC)修正--As6022014会話) 2012年10月11日 (木) 08:24 (UTC)--As6022014会話2012年10月12日 (金) 10:59 (UTC)

もう少し静観しようと思っていましたが、私の会話ページに、「三つの地震をまとめて解説している例もあることから、そのような記述もした上で、安政江戸地震に関しては記事内に節を設けて解説し、双方の分量が多くなった場合には分割してもいいのではないかと感じていますが」の部分がよくわからないというお尋ねがありましたので参りました。今の「安政の大地震」は安政江戸地震の項目になってはいますが、As6022014さんのおっしゃるように『世界大百科事典』では項目名は「安政地震」と「大」はついていませんが、東海地震・南海地震・江戸地震をまとめて解説しており、安政の大地震では最初にその三つの概略の説明と、それらの地震による被害や社会等の影響などを述べ、今の江戸地震の解説の部分は安政江戸地震の節としてそこで解説したらどうかという一つの案です。東海と南海地震についてはその中で、Sea alsoをつければいいかなと。で、それでそれぞれの分量が多くなったら、「安政の大地震」と「安政江戸地震」に分割してもいいかなと思ったわけですが、そのときも書いたように、それが適切かどうかもわかりませんし、別にこだわりはありません。
現時点での意見ですが、安政に関しては事典類での用例もある「安政の大地震」のままでいいのではないかと思っています。天正については「天正大地震」でもいいと思っていますが、これは安政ほどではありません。「慶長」と「宝永」については用例も乏しいため「大」なしでもいいのではないかという感触です。--立花左近会話2012年10月11日 (木) 11:27 (UTC)
単独地震の現記事を三地震の記述に変更し後に分割するのが適切かと問われれば、「否」であると考えます。当初から現在まで一貫して独立した1855年の地震記事として存続してきた上に、他の安政関連の顕著な大地震も独立して立項されていますから、今更まとめての解説に変更するのは疑問です。いわゆる「首都直下型地震」のモデルとされる1855年の地震を始め、何れも注目度の高い地震の記事名ですから事は重大です。『世界大百科事典』のように三地震を並列するなら曖昧さ回避安政地震で充分です。また、そのような変更は仮定の話で、現段階の「安政の大地震」記事は1855年の地震を前提として議論すべきでしょう。
立花左近さんには回答を急がせてしまったのでしょう。まだ感覚としてのお返事しか頂いていないようですので。
さて、本論に移りましょう。改名提案の対象に絞るため、CiNii, J-stage検索数表を各地震に対する呼称の形に組み替えてみました。
「安政の大地震」は確かに「1855年の江戸地震」を指すことが多い(51件中28件, 1位)、だが「1855年の江戸地震」を指す用例は「安政江戸地震」が最も多く「安政の大地震」はむしろ少ない(371件中28件, 5位)。つまり現記事名は何れも「信頼できる情報源において最も一般的に使われている名称」とは云えず、「安政の大地震」の用例が多いと感ずるのは、見かけ上のものです。
1586年1月18日(天正13年11月29日)の地震に対する呼称
天正地震 天正大地震 天正の大地震
CiNii 論文検索 33 3 0
CiNii 全文検索 34 5 1
J-stage 表題検索 7 0 0
J-stage 全文検索 31 9 1
合計 105 17 2
1605年2月3日(慶長9年12月16日)の地震に対する呼称
慶長地震 慶長南海地震 慶長東海地震 慶長大地震
CiNii 論文検索 2 1 0 0
CiNii 全文検索 22 6 0 0
J-stage 表題検索 0 0 0 0
J-stage 全文検索 28 2 3 1
合計 52 9 3 1
1703年12月31日(元禄16年11月23日)の地震に対する呼称
元禄地震 元禄関東地震 元禄大地震 元禄の大地震
CiNii 論文検索 13 14 1 0
CiNii 全文検索 69 24 3 1
J-stage 表題検索 1 2 0 0
J-stage 全文検索 52 41 5 0
合計 135 77 9 1
1855年11月11日(安政2年10月2日)の地震に対する呼称
安政江戸地震 江戸地震 安政大地震 安政地震 安政の大地震 安政の江戸地震
CiNii 論文検索 35 1 8 6 3 0
CiNii 全文検索 85 51 25 23 14 1
J-stage 表題検索 2 0 0 0 0 0
J-stage 全文検索 50 24 17 11 11 4
合計 172 76 50 40 28 5
立花左近さんの挙げられたは恐らくamazon検索などで調査されたのだと思いますが、例えば『実録 安政大地震 その日静岡県は』は本文では安政東海地震を主題としており、他に静岡県に被害を与えた地震の一覧として「元禄地震」や「安政江戸地震」の名称が記載されています。
『地震の社会史 -安政大地震と民衆』も本文には「安政江戸地震」として解説されています。北原糸子氏は宇佐美氏らと共に歴史地震研究会の歴代会長も務めています。歴史地震 『天正大地震誌』も本文は「天正地震」です。
『宝永大地震 -土佐最大の被害地震』にも見られるように本の表題は読む人の目を引き付けるようにつけられていることも考慮すべきで、具体的に地震をどのように称呼しているかの判断は本文に目を通す必要があります。
「安政江戸地震」の呼称は100年以上前から存在していたのです。大森房吉(1907) (PDF) 東京に起るべき将来の地震に就きて
地震学、災害学の書籍で名称が載っているものを一部を紹介するだけでも「信頼できる情報源において最も一般的に使用されている」名称はそれほど悩むまでも無いのですが。

各自、自由に追加ください。*は複数の地震を指す。

総覧・事典 1586年 1605年 1703年 1855年
宇津徳治『地震の事典』(再掲) 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
宇佐美龍夫『日本被害地震総覧』(再掲) 元禄地震 江戸地震
『理科年表2012年版』(再掲) 慶長地震 元禄地震 江戸地震
宇津徳治『宇津の表』(再掲) 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
『日本の地震断層パラメーター・ハンドブック』(再掲) 慶長東海地震 元禄関東地震
宇佐美竜夫『世界大百科事典 8/9/2』 慶長地震 元禄地震 安政地震*
江戸地震
『日本大百科全書 1』 安政の大地震
『日本歴史大辞典 1』 元禄の地震 安政の大地震
荒川秀俊『国史大辞典 5/1』 元禄の地震 安政の地震
北原糸子『日本史大事典 2/1』 慶長地震 安政地震
『大日本百科事典』 安政の大地震
『角川日本史大辞典』 慶長地震 安政の地震
『江戸編年事典』 元禄の地震 安政の大地震
『日本史用語大事典』 安政の大地震
『角川 新版 日本史辞典』 安政の大地震
『広辞苑』 慶長地震 元禄地震 安政地震*
江戸地震

その他、事典・辞書類は下の表#改名提案(続き)を参照。

書籍 1586年 1605年 1703年 1855年
門村浩『実録 安政大地震 その日静岡県は』 元禄地震 安政江戸地震
北原糸子『地震の社会史 -安政大地震と民衆』 安政江戸地震
飯田汲事『天正大地震誌』 天正地震
間城龍男『宝永大地震 土佐最大の被害地震』 慶長地震
沢村武雄『四国山脈 五つの大地震 慶長地震
寒川旭『秀吉を襲った大地震 天正地震 元禄関東地震 安政江戸地震
外川淳『天災と復興の日本史』 天正地震 安政江戸地震
寒川旭『地震の日本史』(再掲) 天正地震 元禄関東地震 安政江戸地震
宮田登鯰絵 震災と日本文化』 安政大地震
伊藤和明『地震と噴火の日本史』 元禄地震
井沢元彦『逆説の日本史18 幕末年代史編1』 安政の大地震
安政江戸地震
速水融『歴史のなかの江戸時代』 元禄地震 安政江戸地震
結喜しはや『幕末維新 絵図解よくわかる』 江戸大地震
安政大地震
山口慶一『21世紀版日本の歴史 読む年表』 慶長地震
『日本文化総合年表』 江戸大地震 安政大地震
花咲一男『大江戸ものしり図鑑』(再掲) 安政の大地震
天璋院篤姫と幕末動乱』 安政の大地震
『なるほど元禄忠臣蔵 完全ガイドブック』 元禄大地震
大和田哲男『山内一豊のすべて』 長浜大地震
川端庸之『読める年表 日本史』 関東大震災 安政大地震
江戸遺跡研究会『災害と江戸時代』 東南海地震 安政江戸地震
『長島町誌 上』 天酉地震
山下文男『隠された大震災』(再掲) 元禄大地震
元禄地震
安政江戸地震
矢田俊文『中世の巨大地震』(再掲) 慶長地震
日本地震学会『地震予知の科学』 慶長 安政の江戸地震
大木聖子,纐纈一起『超巨大地震に迫る』 安政の江戸地震
神沼克伊『次の超巨大地震はどこか』 慶長地震 元禄関東地震
宇津徳治『地震学』 元禄の関東地震 安政の江戸地震
石橋克彦『大地動乱の時代』(再掲) 天正地震 慶長地震 元禄関東地震 安政江戸地震
安政の大地震
都司嘉宣『千年震災』(再掲) 元禄地震 安政江戸地震
安政の大地震*
広瀬弘忠『巨大地震 予知とその影響』 慶長地震 元禄地震
土井恵治『地震のすべてがわかる本』 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
平田直『巨大地震・巨大津波』 慶長地震
岡田義光『最新 日本地震地図』 天正地震 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
稲垣秀輝『最新 47都道府県危険度マップ』 天正地震 慶長地震 元禄地震 江戸地震
『災害列島・危険情報地図』成美堂出版編集部 天正地震 慶長地震 元禄関東地震 安政江戸地震
加藤碵一『地震と活断層の科学』 白山地震
千葉達朗『活火山 活断層 赤色立体地図でみる日本の凸凹』 天正地震 元禄地震
尾池和夫『日本列島の巨大地震 慶長地震
小川勇二郎『学びなおすと地学はおもしろい』 天正地震 元禄地震
萩原尊礼『日本列島の地震』 天正の地震 慶長地震 元禄地震 安政の江戸地震
島村英紀『地震列島とその共生』 元禄地震 安政の江戸地震
木村政昭『なぜ起こる 巨大地震のメカニズム』 慶長地震 元禄地震 江戸安政地震
木村政昭『これから注意すべき地震・噴火』 房総南東沖地震 元禄地震 安政江戸地震
茂木清夫『地震予知を考える』 元禄関東地震 安政江戸地震
地震調査研究推進本部『日本の地震活動』 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
首藤伸夫他『津波の事典』 慶長津波 元禄地震
勝又護『地震と火山の事典』 慶長地震 元禄関東地震 安政江戸地震
藤井敏嗣『地震津波と火山の事典』 慶長地震 元禄地震 江戸地震
中村一明他『火山と地震の国』 天正地震 慶長地震 元禄地震 江戸地震
太田陽子『日本の地形 近畿・中国・四国/関東・伊豆小笠原』 天正地震 慶長地震 元禄関東地震 江戸地震
日本の地質増補版編集委員会『日本の地質 増補版』 天正地震
角田史雄『地震の癖』 安政江戸地震
土隆一『東海地震 いつ来るなぜ来るどう備える』 慶長地震
山村紳一郎『メカニズム・防災・予知すべてがわかる 地震』 慶長地震 元禄地震 江戸地震
鎌田浩毅『地震と火山の日本を生きのびる知恵』 元禄関東地震 安政江戸地震
藤島啓章『大地震完全対策』 元禄地震 安政江戸地震
安井潤一郎『地震で人を殺すな』 安政江戸地震
河田惠昭,林春男『巨大地震災害へのカウントダウン』 慶長津波
鎌田浩毅『次に来る自然災害』 慶長地震 安政江戸地震
小山真人『富士山噴火とハザードマップ』 元禄関東地震
北原糸子『日本災害史』 元禄地震 安政江戸地震
『写真絵画集成 日本災害史』 慶長地震 元禄地震 江戸地震
力武常次他『日本の自然災害』 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
『NEWTON 巨大地震としくみ』 慶長地震 元禄地震
『日経サイエンス 2012-02月号』 慶長地震 元禄地震 安政江戸地震
『科学 2011-10月号/2012-2月号』岩波書店 慶長地震 安政江戸地震

追加--As6022014会話) 2012年10月20日 (土) 06:13 (UTC), 追加--As6022014会話2012年10月22日 (月) 04:05 (UTC)

「元禄関東地震」や「江戸地震」も無視できない程度に用例が存在しますが、「元禄地震」と呼ばれるものは1703年の地震以外に確認されず、「江戸地震」は少数ながら1615年や1647年なども指していることから「元禄地震」「安政江戸地震」が妥当と考えます。
現時点で慶長大地震を「慶長地震」に、曖昧さ回避ページ慶長地震を「慶長大地震」にそれぞれ改名、元禄大地震を「元禄地震」に改名する事については合意形成されたと判断します。
1586年の天正大地震についは、CiNii検索などで「天正地震」が最も一般的な呼称であり、地震調査研究推進本部は1586年の地震を「天正地震」と称しています。
さらに1586年の地震については若狭湾の津波の有無について社会問題となっており、原子力安全・保安院も「天正地震」の名称を用いています。
「天正地震」「慶長地震」「元禄地震」「安政江戸地震」は地震調査研究推進本部中央防災会議、南海トラフの巨大地震モデル検討会、気象庁および旧原子力安全・保安院など公的機関が共通して用い、正式名称に準ずる扱いであり、地震学関連の書籍も然り、かつ、多岐にわたる分野の文献など信頼できる情報源において最も一般的な用例です。歴史関連の書籍でも「天正大地震」「慶長大地震」「元禄大地震」「安政の大地震」が最も一般的な用例とは認め難いでしょう。
以上の調査結果を以て「天正地震」「安政江戸地震」に改名する根拠に不足はありますでしょうか。--As6022014会話2012年10月18日 (木) 09:20 (UTC)
申し訳ありませんが、依然として地震学分野の文献・書籍に偏りが多いという印象です。これを持ち出すと、おそらく信頼できる情報源とは言えないとおっしゃるだろうと思い、私自身もそうとは言い切れないのであえて出しませんでしたが、井沢元彦の『逆説の日本史 18 幕末年代史編1 - 黒船来航と開国交渉の謎』でも「安政の大地震」という言葉を使っています(個別の三つの地震名も出しています)。『逆説-』はともかく、もう少し一般的な通史のシリーズや地方自治体の地方史なども沢山ありますので、時間があれば調査したいとは思っていますが、できていないのが現状で申し訳ありません。しかしながら、それらを確認してみないと軽々に賛成とは申し上げられません。もっとも、前にも書いたように賛成意見が多数というのでしたら、それでも反対と申し上げる気は毛頭ございません。ですが、プロジェクトにも告知され、コメント依頼もされ、なおかつ過去一ヶ月間に編集された方々にまで呼びかけたられたのに、未だ4人しか参加者がいないという状況ではまだ躊躇せざるを得ませんし、As6022014さんにとっても不本意ではありませんか? それにAs6022014さんご自身が、「私はむしろ、改名は行わずこのまま現状維持でもよいとも思っているのです(中略)各書籍では「元禄の大地震」、「宝永の大地震」、「安政の大地震」の記載も少なからず見られ、昔から「世にいう宝永の大地震」などと語り継がれてきた。その意味で「安政の大地震」などを残すのもやぶさかでないと考えているのです」とおっしゃっておられたではありませんか([1])。本件以外にも「大地震」のついた歴史地震の記事は残っており、いずれはそれらを改名することもお考えになっているのではと推察いたしますが、それなら前例ともなる本件にもっと参加者が増えるのを待つか、あるいはプロジェクトでじっくり時間をかけて議論するという方法もあるのではないでしょうか。--立花左近会話2012年10月18日 (木) 11:00 (UTC)
依然として地震学分野の文献・書籍に偏りが多いと仰っていますが、先に私は地震の用例が少ない中からも歴史関連の書籍を複数挙げました。しかしこれでは公平でないから地震学関連の書籍も追加したわけです。既に述べたように、具体的に地震名を記述している書籍は地震学・災害学関連のものが多いため、絶対数としてはこれが最も一般的な用法となるのです。歴史関連の書籍は地震の名称を明確に主張しているものは少ないのです。
まとめると、以下のようになります。
  • 地震学・災害学の書籍:「天正地震」「慶長地震」「元禄地震」「安政江戸地震」が普遍的な用例。
  • 市町村史・歴史関連の書籍:特に一般的な用例を見出す事は困難。
  • 地震調査研究推進本部中央防災会議、南海トラフの巨大地震モデル検討会、気象庁および旧原子力安全・保安院など公的機関:「天正地震」「慶長地震」「元禄地震」「安政江戸地震」を使用。
  • CiNii検索、J-stage検索:「天正地震」「慶長地震」「元禄地震」「安政江戸地震」が普遍的な用例。
以上を総合的に判断して「天正地震」「慶長地震」「元禄地震」「安政江戸地震」が妥当としたのです。少なくともCiNii検索、J-stage検索については、分野を特定しない全検索ですから、全ての分野を総合してどのような傾向にあるかを客観的に示しています。勿論、歴史関連、地震学関連共にかなりの量を紹介したつもりですがこれでも一部に過ぎませんし、これからさらに出典を挙げて頂く事は妨げません。しかし、これ以上調査を拡げたところでもはや全体的な傾向の変化は小さいと考えています。
Wikipedia改名提案の現状として、4人も意見が表明されれば、まだ意見が出された方です。ノート:円頓寺も2ヶ月以上引いたが、結局新規の方の意見は得られなかった。本件も1-2ヶ月継続したところで、後1-2人の意見表明が得られればましな方だと予想しています。
その中で、窓家さんやのりまきさんの意見も尊重しなければならないのです。賛否が表明されないまま、改名される例も多々有るではありませんか。ノート:岩崎城 (尾張国) ノート:高井城 (常陸国)その他多数(別に立花左近さんの提案に限っていません)。また、申し訳ないですがノート:総持寺 (和歌山市) ノート:多爲神社 (関市)などよりは遥かに多岐にわたる充実した根拠は示しているつもりです。
過去に何と言ったかといった、プライド、意地の張り合いという事で議論はして欲しくありません。ノート:曾根城にしても早々に議論を撤収されてしまったのは、お互いの行動として適切でなかったように感じています。
『逆説の日本史 18 幕末年代史編1 - 黒船来航と開国交渉の謎』も出典の一つとして大いに歓迎します(但し数としては1つにしか数えられません)。排除することは本件の議論の趣旨に反します。「個別の三つの地震名も出しています」という事ですが、具体的に挙げて頂けませんか。その書籍で「安政の大地震」を用いているにしてもそれが三地震を総称しているとすれば、「安政の大地震」は曖昧さ回避が妥当という事を示唆しています。
「一般的な通史のシリーズや地方自治体の地方史」などもしっかり調査して、意見を述べて頂けないでしょうか。立花左近さんも専門外かも知れませんが、本議論に乗り、これだけの根拠に対しても異論を述べられている以上、覆すに値するだけの根拠を示して頂きたいのです。
1586年の地震はノート:天正大地震に、安政の大地震については議論の場をノート:安政の大地震にそれぞれ移して別途考えませんか。--As6022014会話2012年10月19日 (金) 03:11 (UTC)
ノート:木曽谷#「曽」の常用漢字化による記事名変更の提案では4対1でもかなり粘られていらっしゃった直後にそんなことをおっしゃられましても、あまり説得力は感じられませんが、そもそもこちらはプライドや意地の張り合いで議論をしているつもりは毛頭ありませんのでご提案には耳を傾けたいと思いますけれども、「天正」と「安政」は一旦改名を棚上げにした上で議論を継続するということでしょうか?
なお、『逆説-』については、安政江戸地震のことを「これがややこしくて恐縮だが、「安政の大地震」と呼ばれるものであった」と書いています(引用前掲書281頁 - 282頁)。あとは「今でいう「東海地震」」と「南海地震」という記述があり「二つ合わせて安政東南海地震」と書いてあります(同書281頁)。あとは別表に「安政東海地震」「安政南海地震」「安政江戸地震」としてそれぞれの簡単な説明が書かれています。--立花左近会話2012年10月19日 (金) 14:26 (UTC)

インデント戻します。個人的には安政江戸地震を現在のまま「安政の大地震」とするのは反対します。これは「安政の大地震」と呼びうる地震が安政江戸地震、安政東海地震、安政南海地震、飛越地震の4つあり、実際に4つの地震とも安政の大地震とする用例が存在することが理由です。飛越地震について疑問を持たれる方もいるかもしれませんが、この地震によって鳶山崩れが発生し、現在に至るまで常願寺川が土砂災害に悩まされるようになっており、現在にまで及ぶ大きな影響があります。つまり各地震ともそれぞれ大きな被害があって、どの地震も安政の大地震と呼ばれても納得ができる地震です。もし「安政の大地震」という記事を立てるのならば、それぞれ用例もあることですし上記4つの地震全てについて説明するのが筋で、安政の江戸地震のみを安政の大地震と呼ぶのは明らかに不公平であると判断します。また天正大地震については先にも述べたように他の地震との混同の恐れが無いため、「大地震」と「地震」の切り分けについて合意が形成されるとの条件付きですが、私としては天正大地震もありかなと判断しております。まあまあ、そんなに急いで決めることもないと思いますので気長に意見を待ってみてはいかがでしょうか?

あと私も安政江戸地震、安政東海地震、安政南海地震の三つの地震をまとめる記事を作るのには反対します。これは安政江戸地震とほぼ同時期の安政年間に発生し、規模も似通った飛越地震を外す合理的な理由が見出せないからです(厳密に言えば伊賀上野地震等、他にも書かねばならない地震は存在しそうですが…)。ただ安政江戸地震、安政東海地震、安政南海地震、飛越地震などをまとめた記事を書けと言われても、出来ないことはないでしょうが難しいなあ~という印象です。まあ南海トラフの巨大地震である安政東海地震、安政南海地震発生前後に地震活動が活発化したという地震学的な視点と、幕末の混乱期に大地震が頻発し社会の混乱に拍車をかけたという歴史学的な視点をリンクさせた切り口で行くしかないとは思うのですが…--のりまき会話) 2012年10月19日 (金) 15:40 (UTC)一部訂正--のりまき会話2012年10月19日 (金) 15:47 (UTC)

As6022014さんのまとめられた表でも、飛越地震を含む四つの地震をそれぞれ「安政の大地震」とする例があり、安政の江戸地震のみを安政の大地震と呼ぶのは確かに不公平だという見方もありますね。また、「安政の大地震」を四つ(ないし他の幾つかも含めた)の地震記事とするのは困難ですし、私もこだわりがあるわけではないのでそれはやめるとして、もし「安政の大地震」を「安政江戸地震」に改名したとすると、「安政の大地震」は「安政江戸地震」へのリダイレクトとなるわけですが、これもまた「安政の大地震」と呼ばれる地震が他にもある以上、あまり適切とは言えないことになります。とすると、リダイレクト化された「安政の大地震」を「安政江戸地震」、「安政東海地震」、「安政南海地震」、「飛越地震」を載せた曖昧さ回避ページとするという選択肢もありそうですね。ここで問題となるのは、安政地震という曖昧さ回避ページがすでにあって、重複ページになるのではないかということですが、「安政地震」のページには「飛越地震」が入っておらず、伊賀上野地震が入っていています。伊賀上野地震を安政の大地震と呼ぶ例があるのかどうかここの表にはないのでよくわかりませんが、利用者:As6022014/地震の年表#地震名を拝見しても載っていないところを見ると、それはないのかもしれません。一方で伊賀上野地震を安政地震と呼ぶ例があるのかどうかもよくわからず、もしないのであれば、「伊賀上野地震」を曖昧さ回避の「安政地震」に載せておく必要はなくなりますし、飛越地震を安政地震と呼ぶ例はありますので、むしろこれを載せておいた方がいいかもしれません。そうすると、結局「安政の大地震」と「安政地震」は同一の内容となるので、「安政の大地震」は「安政地震」へのリダイレクトに付け替えた方がいいということになりますが、このあたりはどうは思われますか?--立花左近会話2012年10月20日 (土) 01:11 (UTC)
中嶋眞澄(2006)「Gamma函数の漸近公式の厳密な別証明」には「安政の大地震は伊賀上野地震に始まり、安政東海地震、安政南海地震、翌1855年は直下型安政江戸地震」とあります。また「安政地震」は1856年の八戸沖地震を指しているものもあります。羽鳥徳太郎(1973) (PDF) 安政3年 (1856年8月23日) 八戸沖津波の規模と波源域の推定
さらに、関東大地震(江戸地震?)を1854年と誤認?していると思われる学術論文まであります。迯目英正(1997) (PDF) 我が国の石造アーチ橋の発展と岩永三五郎, 阿蘇鉄矢の事跡(安政地震は紛らわしく誤認しやすい)
1854年12月26日の豊予海峡地震も古文書には安政南海地震と共に記述されています。『新収 日本地震史料 五 別巻五-二』
表に示したものはCiNiiなどで少なくとも確認されるという意味で、結局「安政地震」「安政大地震」「安政の大地震」は伊賀上野地震、安政東海地震、安政南海地震、豊予海峡地震、安政江戸地震、安政八戸沖地震、飛越地震は最低限想定することになります。1855年飛騨地震も候補に入るでしょう。
もし改名を行うならば当面は「安政の大地震」「安政大地震」は「安政地震」へのリダイレクトとなるのかもしれませんが、例えば「安政の大地震」を幕末の多難な状況下に連発した大地震・震災が与えた社会的影響を解説した記事にすることも考えられます。石橋克彦『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』にも多少その記述があり、独自研究にならぬよう注意を払って記事化するのも一つの案でしょう。--As6022014会話2012年10月20日 (土) 06:13 (UTC)
立花左近さん、As6022014さんこんにちは。どうやら少しずつ解決の糸口が見えてきたようですね。う~ん、安政年間に日本で続発した大きな地震をまとめた記事に挑戦しますか…私も先に書いたようにこの解決方法は有りだと思うのですよ。例えばプレート境界型巨大地震とその前後に活発化する地震活動という地震学的に見て極めて興味深い現象と、幕末の混乱に拍車をかけるかのように各地に続発した大地震をその被害状況や社会的影響をまとめ上げ、「安政の大地震」という記事とするというのはかなり魅力的な案だと思います。ただその意図を成立させることが可能な文献を集められるかがミソでしょう。これまで意見を出し合った中で出てきた「安政年間に続発した大地震をまとめあげた記事」という、建設的かつ魅力的な案に大賛成したいのは山々なのですが(苦笑)、文献が上手く集まるかどうか正直危惧しております。--のりまき会話2012年10月20日 (土) 06:44 (UTC)
記事化されるのであればそれに越したことはないと思いますが、それが可能な方がいらっしゃるとすれば、ここではAs6022014さんをおいて他にはないでしょう。もちろん、無責任に丸投げなどできませんから、協力できることは協力し、今すぐは無理でも未知の編集者の方の参加も含めた将来の立項の可能性も含めて、「安政地震」へのリダイレクトとしておくというのもありかもしれませんね。ところで、天正大地震の方の「大地震」と「地震」の切り分けというのは可能なのでしょうか?--立花左近会話2012年10月20日 (土) 07:43 (UTC)
いや、のりまきさんの方が充実した記事の作成は長けていらっしゃると思いますが、私も可能な限り協力したいと考えています。名称としての「大地震」と「地震」の切り分けは困難です。地震学的にはM7以上のものは全て大地震ですが、鳥島近海地震 (2012年)(M7.0)は余り大地震とは認識されず、新潟県中越地震(M6.8)は大地震といっても良いでしょう。私は最も一般的な用法という立場ですが。--As6022014会話2012年10月22日 (月) 04:05 (UTC)
最も一般的な用法といえば、As6022014さんの精力的なご調査のお陰で各地震の用例がかなり分かってきましたので、改名するしないにかかわらず、全ての記事において異称を併記すべきと考えます。「安政」については今「俗に安政の大地震と呼ばれる」となっていますが、正式名称がないわけですから俗称もないわけで、「安政地震安政大地震安政の大地震安政の江戸地震江戸地震とも呼ばれる」(仮に安政江戸地震に改名した場合。順不同。使用頻度など適切な並べ順があればその順にする。それぞれ全部は煩雑なので、用例の載っている代表的出典を付ける)のような感じにすべきかと思いますが、いかがでしょうか。--立花左近会話2012年10月22日 (月) 12:52 (UTC)

(インデント戻し)少なくとも「安政江戸地震:安政の大地震、江戸地震、安政大地震」の併記は必須だと考えます。「安政地震」については慶長地震、宝永地震に対比して1854年の東海地震・南海地震を指す場合も多く、どちらともいえません。「安政の江戸地震」については安政(年間)の「江戸地震」とも解釈され固有名詞かどうかも疑わしく、用例も少ないため特に併記は必要ないかもしれません。石橋克彦『大地動乱の時代』では「"世にいう安政の大地震"すなわちまたは安政江戸地震」、論文でも「世にいう「安政の大地震」」の用例があり地震史の主役になりそこねた松尾芭蕉とあり、「世にいう・・・」は世間でそう呼ばれているというところでしょうか。 1703年の地震は「元禄地震:元禄大地震、元禄関東地震」の併記は必須でしょう。 1605年の実態不明地震については、特に東海、南海と限定するのも不適切で「慶長地震」で併記は必要ないと考えます。「慶長大地震」はむしろ慶長伏見地震の方に併記するべきでしょう。 1586年の地震は「天正地震:天正大地震」さらに「白山地震、白山大地震」も無視できないかも知れません。 1707年の宝永地震なども「宝永大地震、宝永の大地震」を併記するなど、その他の地震も併記の検討が必要でしょう。--As6022014会話2012年10月23日 (火) 08:39 (UTC)

なるほど、どれを併記するかについては個々にもう少し検討するとして、ここで私の方で分かった用例を追加させていただきます。『日本史用語大事典』(1995年、新人物往来社、60頁)に「安政の大地震」(だいじしん)の項目があり、江戸の地震について解説。『角川 新版 日本史辞典』(1997年、角川書店)の47頁に『安政の大地震』(だいじしん)の項目があり、江戸の地震について解説。同書46頁には『安政東南海地震』の項目があり、東海地震と南海地震をまとめて解説。これらと既出の用例から見て、特に安政江戸地震を「安政の大地震」と呼ぶ例があることは間違いないので、それについても触れた方がいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。少なくとも改名するしないにかかわらず、江戸地震についての項目には書くのと、独立項目として「安政の大地震」ができた際にもそこには書いておいた方がいいと思うのですが。それと、やはりこうした複数の事典類の項目にも採用されている以上、「俗に」は不要だと思いますので、除去した方がいいと思います。--立花左近会話2012年10月23日 (火) 12:31 (UTC)
1854年12月23・24日(嘉永7年11月4・5日)の東海地震・南海地震は当時の文書・日記などは「嘉永七(寅)年」と記述され、「安政・・」と呼ばれるようになったのは後世になってからのことですが、こんな議論もあります。本邦における被害地震の日本暦について (PDF) , 本邦における被害地震の日本暦の改元について (PDF) 一方で依然として1858年飛越地震などは純正の「安政の大地震」となり、特に江戸地震を指しているかといえば、指すことが多いが一義的ではないとなります。
公的機関、学会などが主に用いている通称が「安政江戸地震」「江戸地震」相模トラフ沿いの地震活動の長期評価 (PDF) 、「世にいう」と述べられていることは主に民間で用いられる俗称とも解釈できます。通称と俗称はほぼ同じ意味かも知れませんが。併記の仕方については議論の余地もあろうかと思いますが、単純に並列して「・・とも呼ばれる」とする方法もあれば、「世にいう安政の大地震(あんせいのだいじしん/あんせいのおおじしん)として知られる。」あるいは「安政の大地震」が無視できない程の用例である点から、冒頭で「世にいう安政の大地震(あんせいのだいじしん/あんせいのおおじしん)すなわち安政江戸地震(あんせいえどじしん)は・・」とする書き方もあるでしょう。
1586年の地震ですが、こちらは歴史関連の書籍に記述があったとしても例えば『県史シリーズ21 岐阜県の歴史』では年表に「天正13年、11-29大地震で飛騨白川の帰雲城が埋没」など、明確に地震名が記載されていない場合も少なくなく、歴史関連の書籍でも「天正大地震」が一般的に用いられているともいえず、「安政の大地震」より遥かに用例が少ないのが実情です。
気象庁が顕著な災害を起こした自然現象に命名する場合、地震では原則として、「元号(西暦年)+地震情報に用いる地域名+地震」とあって、「顕著な」とは一つは「陸域: M7.0 以上」とあり、命名されるような顕著な地震はほとんど大地震ということになり、特に「大」を付けません。歴史地震の命名も「元号のみ+地震」、「地域名のみ+地震」の場合も少なくありませんが、大凡、この命名則に基づいているといえます。特に歴史地震で現段階で記事になっている様なものは何十年、何百年に一度、のレベルのものも多いのです。
かつてマグニチュードの概念が用いられていなかった頃は、規模の大きな地震を「大地震」と区別する必要がありましたが大森房吉(1913), CiNii, 本邦正史に現はれる最初の大地震、今日では特に必要ないのです。--As6022014会話2012年10月25日 (木) 08:51 (UTC)

改名提案(続き)

重くなってきたので、勝手ながら節を改めさせていただきました。適切な場所がありましたら、もっと前に移動していただいても結構です。また、節タイトルは適当に付けましたので、改めていただいて構いません。

さて、一般および歴史関連の事典・辞典で独立項目のあるものに限定して、既出のものも含め下のように表化してみました。

一般・歴史関連の事典・辞典 1586年 慶長年間の地震 1596年
9月5日
1605年 1703年 安政年間の地震 1854年
12月23日
1854年
12月24日
1855年
11月11日
世界大百科事典
(平凡社)
慶長地震 元禄地震 安政地震[1] 安政東海地震
安政地震 I [1]
安政南海地震
安政地震 II [1]
江戸地震[1]
日本大百科全書
(小学館)
安政の大地震
(だいじしん)
ブリタニカ国際大百科事典
(ティービーエス・ブリタニカ、
小項目事典)
安政の地震
広辞苑
(岩波書店)
慶長地震[2] 慶長地震[2] 元禄地震 安政地震[3] 安政東海地震[3] 安政南海地震[3] 江戸地震[3]
大辞泉
(小学館)
慶長の大地震
(おおじしん)
元禄地震 安政の大地震
(おおじしん)[4]
大辞林
(三省堂)
元禄地震 安政の大地震
(おおじしん)
日本国語大辞典
(小学館)
慶長地震 元祿地震 安政の大地震
(おおじしん)[5]
安政の大地震
(おおじしん)[5]
日本語大辞典
(講談社)
安政の大地震
(おおじしん)[6]
安政の大地震
(おおじしん)[6]
『日本史大事典』
(平凡社)[7]
慶長地震 元禄地震 安政地震[1] 安政東海地震
安政地震 I [1]
安政南海地震
安政地震 II [1]
江戸地震[1]
『日本史用語大事典』
(新人物往来社)
安政の大地震
(だいじしん)
『日本歴史大辞典』
(河出書房新社)
慶長地震 元禄の地震 安政の大地震
(おおじしん)
『角川 日本史辞典』
(角川書店)
慶長地震 安政の地震
『角川 新版 日本史辞典』
(角川書店)
慶長年間の地震[8] 慶長地震[8] 安政東南海地震[9] 安政東南海地震[9] 安政の大地震
(だいじしん)
  1. ^ a b c d e f g h 「安政地震」の項で、この三つの地震について説明。
  2. ^ a b 「慶長地震」の項でこの二つの地震のみそれぞれ説明。
  3. ^ a b c d 「安政地震」の項でこの三つの地震についてそれぞれ説明
  4. ^ 安政年間の13回に及ぶ地震のこととしている。
  5. ^ a b 安政年間の13回の地震の総称とし、特に江戸の地震を指すともしている。
  6. ^ a b 7年間13回の地震の総称とし、狭義には江戸の地震のこととしている。
  7. ^ この事典は巻頭によれば『世界大百科事典』を基礎にしたもので地震の記事も同様になっているが、安政地震の項は宇佐美氏の解説の後に新たに北原氏の記述が追加されている。
  8. ^ a b 「慶長年間の地震」の項で1596年9月4日・9月5日、1605年、1611年9月27日・12月2日の地震を示し、1605年の地震を「俗に慶長地震という」としている。
  9. ^ a b 「安政東南海地震」の項で1584年12月23日と12月24日の地震をまとめて解説

これで見ると、安政以外は「大地震」とする用例は慶長に1件あるのみであり、しかも天正に至っては独立項目を載せたものは一つもありません。これらについては元号に地震を付けた記事名にするのが無難そうです。ただ、単に「慶長地震」といった場合、総称よりも1596年 9月5日の地震か、1605年の地震を指すことが多いです。
安政については「安政の大地震」の用例がかなりあり、特に1855年11月11日の地震について使われている場合が多いです。そしてこの地震について「安政江戸地震」としているものは一つもありません。「安政江戸地震」という名称が地震学分野では汎用されているとしても、一般・歴史関連の事典・辞典類の項目や解説で使われるほどはまだ定着していないと思われます。
しかしながら、地震関連の文献に合わせるのが妥当というご意見や、その名が示し得る地震が複数有るのでそれぞれの地震に明確化した名称をつけるのがいいという主旨のご意見もありますし、併記の仕方の検討もしているところですので、それを工夫することによって解決するのがいいかもしれません。また、せっかく安政年間に日本で続発した大きな地震をまとめた記事を新設するという前向きな動きも出てきたところですので、それらの方向で調整するのはいかがでしょうか。--立花左近会話2012年10月28日 (日) 08:24 (UTC)

調査お疲れ様でした。『広辞苑』『大辞林』あたりは私も確認しましたが(先を越された)、事典・辞書類は凡そ以下の傾向(流れ)にまとめられます。
  • 「慶長地震」「元禄地震」(「安政地震」)「江戸地震」
  • 安政の大地震(おおじしん)
  • 安政の大地震(だいじしん)
  • 安政の地震
  • 13地震を総称して「安政の大地震」
事典・辞書類は同一著者が複数を執筆している場合が多いのですが上の分類がその証左です。・・「江戸地震」は宇佐美龍夫『日本被害地震総覧』の流れを引くものです。
「安政江戸地震」は宇津徳治『地震の事典』の流れで事典・辞書類ではあまり見られないが、「江戸地震」が1615年他のものを指している場合もあり一義的でないため多くの学術論文では分野に拘わらず「安政江戸地震」を採用しています(地震学のみで汎用というわけではありません)。現在のところ事典・辞書類は依然として「安政の大地震」「江戸地震」が多くはなっていますが事典・辞書類を以て一般・歴史分野を網羅したとはいえませんし、書籍では北原糸子や速水融ら歴史学者らも「安政江戸地震」を用い、必ずしも歴史学分野で「安政江戸地震」の用例が少ないとはいえません。
「天正地震」の名称が現われたのは飯田汲事『天正大地震誌』など比較的最近のことで辞書類で掲載されるほど著名でないことになる。この地震も実態不明な部分が多いです。また大和田哲男『山内一豊のすべて』では「長浜大地震」とあるが、これは長浜城が崩れて一豊が娘や家老を失った事実から来ており、「白山大地震」「木舟大地震」もそれぞれ帰雲城木舟城といった局所的な被害のみで地震の全体像を表していない。
「(元号)の大地震」の用法は(元号)年間に起こった大地震(顕著な被害地震、概ねM7以上に一致)を意味し、「天正の大地震」「元禄の大地震」「宝永の大地震」はその年間に他に比類のものが無くほぼ一義的ですが、「慶長の大地震」「安政の大地震」と呼ばれるものの複数の存在が益々明確化されたといえます。
「慶長地震」も一義的とはいえませんが、1605年の実態不明津波?地震の名称は「慶長地震」以外に適当なものが見当たらず、1596年の地震は慶長伏見地震が最良と考えます。ほか慶長伊予地震慶長豊後地震会津地震慶長三陸地震は別個立項されています。
「安政の大地震」は安政年間の13地震の総称ともありますが、顕著な被害地震としては以下のものが挙げられます。
  • 1854年7月9日(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野
  • 1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 東海道沖(巨大地震)
  • 1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 南海道沖(巨大地震)
  • 1854年12月26日(嘉永7年11月7日)- 伊予・豊後
  • 1855年3月18日(安政2年2月1日)- 飛騨
  • 1855年9月13日(安政2年8月3日)- 陸前
  • 1855年11月7日(安政2年9月28日)- 遠州灘
  • 1855年11月11日(安政2年10月2日)- 江戸
  • 1856年8月23日(安政3年7月23日)- 八戸沖(巨大地震)
  • 1857年10月12日(安政4年8月25日)- 安芸・伊予
  • 1858年4月9日(安政5年2月26日)- 飛騨・越中
  • 1858年7月8日(安政5年5月28日)- 八戸沖
以上の12地震がM7程度かそれ以上のものですが、あと一つは1856年11月4日(安政3年10月7日)- 江戸か、1859年10月4日(安政6年9月9日)- 石見その他なのか判りません。『理科年表』には25地震、『地震の事典』では33地震掲載があります。
「安政の大地震」が特に江戸の地震を指すかについては花咲一男『大江戸ものしり図鑑』、『天璋院篤姫と幕末動乱』など江戸を中心に描かれた書物では当然江戸地震が「安政の大地震」となり、確かに知名度、用例(被害規模?)では江戸地震>東海地震>南海地震>飛越地震>その他となるでしょう(規模では南海地震>東海地震>八戸沖>・・で東海地震・南海地震が親分都司(2005))。しかし江戸時代江戸のみの時代ではない筈です。安政年間に日本で続発した大きな地震をまとめた記事を新設に賛成で、「安政の大地震」をこれに充てるのが妥当と考えます。--As6022014会話2012年10月29日 (月) 08:20 (UTC)
まあ、それぞれの地震名については併記の仕方の工夫すをれば解決できないことはないでしょう。そこでご相談なのですが、「安政の大地震」の記事を新設するとなると、やはり現時点ではAs6022014さんが最も適任ではないかと思うのですよ。もちろん、のりまきさんも優れた記事をお書きになられる方であることは重々承知しておりますが、これまでの地震記事の執筆や資料の渉猟の実績に鑑みると、As6022014さんに一日の長がおありになるのではないかと考えます。もちろん、今すぐとは申さず準備が整い次第で結構ですし、それを条件とするわけでもありませんけれども、ここはぜひお手を挙げていただきたいと思ってやみませんが、いかがでしょうか。--立花左近会話2012年10月29日 (月) 13:03 (UTC)
私も一応このような構想(利用者:As6022014/安政の大地震 - まだ未完成、自由に編集なさって結構です)はあるのですが、のりまきさんも既に記事の執筆に手を付けていらっしゃる可能性も考慮しなくてはなりません。調整しながら共同作業を行う方法もありますが、そこはのりまきさんの現況を窺ってみないと分かりません。--As6022014会話2012年10月30日 (火) 08:30 (UTC)
な~んか呼ばれているような気がしたので覗いてみたら案の定でしたか(笑)。え~と、実は現在頭の中は完全に打ちこわしモードで(苦笑)、地震に手を伸ばせる余裕は無いのが現状です。今回執筆中の記事は当初予想していた以上の難物で、形になるまでまだ時間がかかりそうです。ちなみに打ちこわしが終わったら一応私の頭の中では古典文学に挑戦するか古代史関連の記事を予定しておりまして、安政の大地震に本格的に手を付けられる状態ではないのです(それに加えて幕末は私の不得手分野なのです)。安政の大地震の記事については、図書館に行く機会などを利用して文献探し等でお手伝いできればと思っています。--のりまき会話2012年10月30日 (火) 12:29 (UTC)
改名については納得頂けたと考えてよろしいでしょうか。念のために後1週間程度は時間を取るので宜しいでしょうか。
安政期の地震災害を記述した「安政の大地震」の記事については本来は改名とは別に議論されるべきですが、本議論の中で立花左近さんのご提案から派生したものには違いありませんし、私も以前言ったように「安政の大地震」の名前自体は残したいと考えています。加筆してから分割と結果的には同じかもしれませんが、履歴継承の点からは改名してから跡地を記事化した方が良いでしょう。
この記事の制作は現在進行中(ローカルで大方形になる程度には作成しています)ですが、かなりの大きさ(約35kb?)の記事にはなる見通しです。--As6022014会話2012年11月6日 (火) 08:28 (UTC)
「安政の大地震」という言葉の位置づけについてはなおAs6022014さんと見解を異にしますが、併記の工夫で解決できると判断し、他の方々のご意見にも鑑みて反対はしないことといたします。ご準備中の「安政の大地震」の記事については、期待させていただいておりますのでよろしくお願いいたします。As6022014さんのお力を考えれば、おそらくその必要もないかと思いますが、何か協力できることがございましたら、喜んでさせていただきます。--立花左近会話2012年11月6日 (火) 13:50 (UTC)
皆様、ご意見ありがとうございました。参加人数は4名でしたがそれなりに視野の広い議論ができたのではないかと思います。慶長地震慶長大地震については移動依頼を行いました。
「元祿地震」という表記も存在しますが(都司 (PDF) ,『日本国語大辞典』など) 、地震調査研究推進本部などの表記に従うこととします。
名称の併記方法・「安政の大地震」記事、その他ご意見がありましたらそれぞれのノートなどでよろしくお願いします。また編集もお願いします。--As6022014会話2012年11月14日 (水) 10:09 (UTC)