コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:半ズボン/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2

写真集

いつもお世話になります。「半ズボン」の大部分を執筆した者です。 半ズボンからハーフパンツへの移行ぶりを示すため、写真集を立てたのですが、下ろされてしまいましたね。 肖像権を理由にされていましたが、私は問題ないと考えます。 理由 (1)写真は筆者が撮影したもので、他の出版物から転載したものではないこと。 (2)撮影してから10年以上が経過していること。 (3)少年の成長は早く、小学校6年当時の写真から成人した本人を特定することは困難であること。 (4)筆者は、この写真を東京新聞にも提供しているが、同紙2001年8月28日付生活面を見てもらえば分かる通り、問題なしとして無修正のまま掲載されていること。(5)「日本における半ズボン文化」に掲載されている少年も写真から容貌がはっきり認識できるが、肖像権の問題とはされていないこと。

我が家にスキャナーはなく、東京に出て手間隙かけてこれらの写真群をアップしました。写真集の復旧を希望します。

ここで議論すべき問題だとの指摘を受け、投稿しました。 返事をお待ちしています。--以上の署名の無いコメントは、220.146.110.67会話投稿記録)さんによるものです。

Seoul2さん、初めまして。miyaと申します。もしかして[1]のオーナーさんでしょうか? 東京まで出て手間隙かけてアップされたとのこと、お気の毒でした。
  1. アップロード後に必要な情報を記入するよう表示されたと思いますが、残念ながら画像ページに撮影者とライセンスの明示がありませんでした。
  2. ライセンス表示をなさっておられないことからも、写真のモデルの少年たちにGFDLのもとで公開する許可を得てアップロードされたとは考えられませんでした。
  3. 今は成長して面影が変わっているとしても、自分の昔の写真が無断で・自分の知らないところで・商用利用も可能なライセンスの元に配布されるのを後で知ったら、普通の人は嫌だと思うのではありませんか?
  4. 東京新聞は外部に転載を許していないはずです。ところがウィキペディアは「GFDL」ですので、全く条件が違います。
  5. 「肖像権」は侮れません。ネスレ訴訟のようなことになる危険は冒せません。もちろん、Seoul2さんが個人のホームページでこういう写真をアップロードされるのとは話が別です。ウィキペディアで受け入れることはむずかしいでしょう。
  6. なお「日本における半ズボン文化」の写真は、実はウィキペディアでは無くコモンズの写真です。これを削除する権限は私共にはございません。ですが少なくとも、この画像にはライセンスが明記されています。
削除についての議論はWikipedia:削除依頼 2005年2月をご覧ください。以上、とりあえずお返事まで。miya 2005年2月16日 (水) 16:52 (UTC)
ご丁寧なお返事をありがとうございました。いかにも、私は[2]のオーナーです。ライセンスの問題は、説明を読んでも理解が難しいものでしたが、取り合えず納得します。--以上の署名の無いコメントは、58.0.162.103会話投稿記録)さんによるものです。

記事の中立性について

本文中には、編集者の主観による文が多々見られます。百科事典ということを考慮し、主観を排除して、もうすこし客観的な立場からの編集をするべきだと思います。--210.188.67.201 2005年2月18日 (金) 14:30 (UTC)

分かりました。記事が主観に走った場合、ご遠慮なく指摘して下さい。--以上の署名の無いコメントは、219.116.75.2会話投稿記録)さんによるものです。
いつになったらこの項目はスタブから外され正規の記事になるのでしょうか。少年たちが、半ズボンを穿き続けていれば、この項目は「発祥」と「日本における半ズボン文化」でしか構成されなかったはずであり、その後の章は半ズボンが消えている現状から来るものです。半ズボン文化が継続していれば、この項目はファッションカテゴリーではなく衣類カテゴリーに分類される内容になっていたと思われます。
書きかけと言われても、半ズボンが消えた原因を特定し、復活が可能なのか不可能なのか、親子・教育関係者・衣料業者・マスコミ関係者・ファッション関係者の意見を総合することは出来ません。半ズボンが消えたことなど文献上は全く現れず、私が取材した範囲でも「こちらが聞きたいくらいだ」と言われています。--以上の署名の無いコメントは、220.146.116.153会話投稿記録)さんによるものです。
発祥に関して、フランス革命当時のキュロットとサンキュロットに触れてありましたが、ここでは学童用半ズボンについて論述しているわけですから、内容にそぐわないと考えました。--以上の署名の無いコメントは、58.0.104.234会話投稿記録)さんによるものです。
概して、かなり半ズボン賛同寄りになった記事ですね。子ども時代に散々強制された自分としては、あまり読みたい(好感を持てる)記述になっていない、というのが印象です。--61.125.192.245 2005年9月28日 (水) 05:27 (UTC)
横から失礼します。記事の構成の中で、「日本」と「外国」とで分けた考えというのも同じく中立でないように見受けられました。日本が発祥でそれが日本国外に伝播していったのなら、この構成で構わないでしょう。ですが半ズボンの文化というのは欧州から始まり、今や世界規模の文化となっております。それを日本からだけの視点でしか記事を書かないというのは前述の通り中立性の問題もありますが、それ以上に「もったいないこと」だと思います。もっと多面的に記事が書けるはずです。構成だけでも見直せないものでしょうか。--毛が生えた程度 2006年3月17日 (金) 05:54 (UTC)

要因の一つ

半ズボンが要因の消滅した要因の一つに一連のジェンダーレス思想があり、消滅要因の一つにブルマー撲滅運動にあったとも考えられます。当時、下着に見えるだのセクシャルハラスメントだのの言いがかりを付けたフェミニスト団体の言い分が、時流に乗ったのを契機に一気にブルマーは駆逐されました。その代替で登場した中の一つがハーフパンツであり、その時期に呼応するかのように、当時教育者の間でジェンダーレス思想が浸透していきました。その結果が、体操着の男女共通化であり、その過程で男児の半ズボンもハーフパンツ化が加速していったという経緯があります。--参謀中佐 2005年5月2日 (月) 20:44 (UTC)

しかし、いまや短パンはゲイファッショです。セックスを象徴するようなファッションである以上、親や子供が嫌がるのは当然でしょう。そうした羞恥心をないがしろにする思想こそ、ジェンダーフリー思想だと思います。男女同室着替えにあるように、羞恥心を敵視しますからね、ジェンダーフリーは。昔とは違い、今はゲイという存在が社会で広く認識されている。それゆえ、単なる男の子の洋服という意味合いだけではなくなってきているんですよ。--以上の署名の無いコメントは、125.193.52.77会話投稿記録)さんによるものです。

ところで男児の標準服としての半ズボンは消滅しましたが、女性のファッションとしては半ズボンは残っているようで、グラビアやファッション誌等でも見かけることがあります。児童服にしても、むしろ女児のファッションとしてジュニアアイドル誌やファッション誌に登場するので、消滅と言うよりは女性ファッションの一ジャンルになったと考える方が無難なのかも知れません。--参謀中佐 2005年5月2日 (月) 20:44 (UTC)

ジェンダーレス思想の影響については同意します。けれども、ここで問題にしているのは、子ども服としての半ズボンであって、半ズボンを女性ファッション(=ホットパンツ)と位置付けると、ますます小学生男子用の半ズボンは博物館の中の存在になってしまうのではないでしょうか。--以上の署名の無いコメントは、220.145.86.247会話投稿記録)さんによるものです。
この話題についてはよく知らないのですが、ノートページのみがたくさん編集されているので気になって見に来ました。ウィキペディアは独自の論考や主張を発表する場ではありません。それなりに世間に通用している考えを書く場です。またある主張や立場を促進したり擁護したりする場でもありません、すでにおわかりだとは思いますが改めてご案内いたします。上の議論ですが、それなりに世間に支持されている見解なら両論を併記し、そうでなくご自身の見解というなら他サイトでなされるのがよろしいかと存じます。またIPで書いておられるとはいえ、署名をしていただくようお願いいたします。またおひとりの方が短い間隔でセーブしておられるようなのでプレビュー機能を使っていただくようご検討くだされば幸いです。--Aphaia 2005年5月3日 (火) 02:34 (UTC)
「男児用半ズボンは消滅したが、女子用ホットパンツとして生まれ変わった」との見解は、社会通念として確立していないと思います。そもそも男児用半ズボンが消えたことすら知らない人が多いのですから。今までの論述を男児用を前提にしてきた経緯(冒頭の定義)から、女子用としての活用はホットパンツの項目で論述するのがふさわしいと思います。--利用者:新亜2005年5月3日(火)12:24
私としては実に不愉快な半ズボンの利用法なのですが、成人男性で半ズボンを着用したがる人が少なくないんですよね。yahooで検索をかけても、「いつまでも少年の心を」と謳っている成人男性の半ズボン愛用グループが上位にランキングされています。--利用者:新亜2005年5月7日(土)12:55
言わせてもらえば、半ズボンが性犯罪を招きかねないとの下りは削除させていただきます。加筆者は、半ズボンが性犯罪を招くとする確実なデータをお持ちですか。お持ちでないのなら、半ズボンに対する偏見をいたずらに煽る記述はおやめ下さい。
この記述では、半ズボンと性犯罪を結び付けていなかった閲覧者にまで、半ズボンは危険との印象を与えることになります。--以上の署名の無いコメントは、202.72.245.131会話投稿記録)さんによるものです。
結局、成人男性が着用したり、ゲイファッションとして普及しつつある現在において、本当に、清潔感漂うファッションといえるのでしょうか?子供らしいファッションといえるのでしょうか?時代背景が変わってきており、いまや逆にアダルトファッションといえると思います。こうしたアダルトファッションを子供に強要するのは、むしろ不自然でしょう。ゲイファッションを真似したくないという親や子供の心理は、尊重してしかるべきではないですか?品のないものを子供に着させたくないというのは、日本人にとって大事な価値観であると思います。ジェンダーフリー云々という記載が上の方にありましたが、男女同室着替えに象徴されるように、子供の性的羞恥心をないがしろにすることこそ、ジェンダーフリー思想にかなうものであり、子供に無理やりセクシャルな服を着させることはまさに危険なジェンダーフリー思想です。--以上の署名の無いコメントは、125.193.52.77会話投稿記録)さんによるものです。

ここまでの内容が百科辞典に必要か?

正直なところ、この記事、あまりにも百科辞典というには、内容が多岐に渡りすぎている気が致します。特に、『半ズボン復活のために……』などは(その主張の正しい、正しくないは別として)、あまりにも『主張』による部分が大きいのではないかと感じました。別に、誰も彼も半ズボンに復活して欲しいと思っているわけではないでしょう。どうも、この記事の編集全般をみていると『子どもは半ズボンであるべきだ、復活させたい』という『主張』が全体として強く感じられます(ハーフパンツが流行したことを怪現象と表記するなども一例)。ウィキペディアは何でないかにあるように、ウィキペディアは願望や妄想を書く場ではありませんので、もう少し、整理していただければと思います。

なお、これはこの記事に書かれている内容に価値が無いといっているわけではありません。もしも『半ズボンを復活を目指す為のHP』などにあるのであれば有用であるとおもいます。しかしながら、百科辞典であるウィキペディアに本当に必要な内容であるかどうか再度検討をする必要があるのではないかと思います。
また、ハーフパンツ人気については、ハーフパンツの項に(もし必要だというなら)書くべきではないかと思います。--219.188.74.7 2006年1月10日 (火) 06:21 (UTC)

女性ファッションとしての可能性」は、ホットパンツについて述べているわけですから、「ホットパンツ」に移すべきだと思います。
ここまでの内容は必要です。なぜならば、どこの文献にも、半ズボンをここまで論じたものはないのですから。ただし、主張が前面に出ないような手直しは必要でしょう。
もし、半ズボンに愛着のない人が執筆したならば、次のような記述になるでしょう。「はてなダイヤリー」からの転載です。
主に、幼稚園・小学生の男の子が穿くズボン。
最近では、丈が長くなったズボンが主流になったが、かつては男の子を中心に春夏秋冬問わず着用していたもの。
90年後半からは、短い半ズボンが減少し、最近では見かけることがほとんど見かけなくなった。
これでは、半ズボンに特別の愛着のない人の調べ物にも、役に立ちませんね。--以上の署名の無いコメントは、202.179.3.178会話投稿記録)さんによるものです。
半ズボンを「ゲイファッション」「親が穿かせたがらないのは無理もない」と記述した部分は、半ズボンに対する偏見を煽るものであるため、削除します。親が穿かせたがらないのではなく、本人が穿きたくないのです。--以上の署名の無いコメントは、202.70.34.26会話投稿記録)さんによるものです。
それを言ったら、半ズボンに清潔感があるといった記述も、個人の主観に基づくものであるので、削除してもよろしいということでしょうか?あらゆる見方が存在することを示すことは重要なことですし、ハードゲイの象徴的なファッションであることは事実です。また、PTAから苦情が来ていたり、嫌いな芸能人の6位にランクされるなど、決して良いイメージがもたれていないことも事実です。こういった状況下で、半ズボンをはかせたがらない親がいるのは容易に想像できますし、私の周りにも多いです。よって、再度書かせていただきます。私は編集合戦などしたくありませんので、多様な意見を載せるという点にご理解をお願いいたします。
できるだけ主観を交えなような形式での記載にすべきです。そこは、最低限のマナーです。なので、「~という親もいる」という形式にしておきました。では。--以上の署名の無いコメントは、219.37.128.18会話投稿記録)さんによるものです。
「レーザーラモン」って何ですか。私は聞いたことがありませんが。
現在、半ズボンに対するポジティブ・キャンペーンと、ネガティブ・キャンペーンとでは、ネガティブ・キャンペーンのほうが、極めて強い威力を発揮します。あなたが半ズボンの欠点を指摘しなくとも、欠点が社会通念化しているため、イメージが悪くなっているのです。
あなたの行為は、半ズボンに対するイメージ悪化を助長する行為ですよ。--以上の署名の無いコメントは、202.179.3.179会話投稿記録)さんによるものです。
くだらない応酬はやめましょう。所詮、半ズボンが好きか嫌いかの争いではありませんか。例えば、「牛乳」の項目で、「牛乳はの体の匂いがしてコクがあっていい」「いや、牛乳は牛の体の匂いがして生臭いから嫌だ」といったレベルの編集合戦をしますか。--以上の署名の無いコメントは、202.179.3.179会話投稿記録)さんによるものです。

>現在、半ズボンに対するポジティブ・キャ・・・

それはあなたの主観的な意見ではないのですか?ポジティブなイメージを植えつけたいので、ネガティブなイメージを植えつける書き込みはしないでくださいという意見がまかり通ってしまうのであれば、批判的な意見は一切かけないことになってしまいます。それはおかしいことだと思いませんか?賛否両論を併記して、後は読者の選択にゆだねるべきです。なので、私はあなた方の書き込みは削除したくありません。ですので、私の書き込みも削除しないでください。

そもそも、昔とは社会状況が変わってきている。昔とは異なり、セクシャルなファッションとして男女を問わず大人が半ズボンをはくケースも増えてきているし、今や若手お笑い芸人で知名度No1のHGの象徴的なファッションにもなっている。そういった現状を踏まえて、評価するべきではないでしょうか? ちなみに、レイザーラモンHGというのはハードゲイをネタにするお笑い芸人です。セックスやペニス、オナニーなど過激な言葉を口にしたり、セックスを彷彿とさせる腰フリで一世を風靡しています。219.37.128.18 2006年3月1日 (水) 16:14 (UTC)イナ

署名しましょう

ノートへ書き込みする際には、チルダ4つ(~~~~)を最後に記入して署名しましょう。他の人のコメントにレスをつける際には、段落頭にコロン(:)を記入して一段下げます。Hermeneus (user / talk) 2006年3月1日 (水) 12:54 (UTC)

半ズボンがけなされる理由はありません。半ズボンのデザインそのものに落ち度があるわけではないからです。ただ、かつて半ズボンで愛らしさを強制されて嫌な思いをした者が、世論に乗じて半ズボンの廃絶を目指しているだけです。
半ズボンをけなしているわけではありません。セクシャルなイメージを持った人の象徴的なファッションになっている以上、日本人の美的感覚、性に閉鎖的な文化からすれば親がはかせたがらないのも無理はないと言っているのです。オランダのように性に開放的な文化であれば、たとえ子供であってもセクシャルなファッションを親は好んで着させるでしょう。

そもそも、けなされる理由がないというのだったら、半ズボンをはかない人もけなされる理由はないでしょう。このページ全体を通して、思うことですが、半ズボンをはかせない親はけしからんとか、そういった論調で書かれていますけど、そこに差別意識はないのですか?けなそうという意識はないのですか?そういう論調で書くと、興味が薄い人までアンチ半ズボンになってしまうと思いますけどね。 それと、愛らしさというけど、そのイメージは主観的なものであるし、絶対的なものではない。人によっては、性的な意味を持つゲイファッション、セクシャルなファッションとして嫌う人もいるでしょ。219.37.128.18 2006年3月2日 (木) 13:25 (UTC)イナ

また、レイザーラモンはただの実力のない芸人です。昔から落語の世界では、実力のない落語家ほど、下ネタ差別ネタを使いたがり、そのようなネタは刹那的な快楽を求める聴衆に確実に受けたのです。

問題は、レイザーラモンのお笑いに共感する親子や教育関係者です。

イギリスでは、人種差別意識の有無を問う心理テストに、シュートを決めるバスケットボール黒人選手の写真と、バナナに飛び付くチンパンジーの写真とを並べ、この写真に共感するか否かを問います。

レイザーラモンに共感する者は、半ズボンに対して差別意識を持つ者です。

差別などしていない、と言うのであれば、逆差別が成り立つかを考えてみて下さい。 もし、ハーフパンツに大き目のTシャツ、トランクスにショートソックスのヒップホップの若者を、「奴隷の子孫の愚連隊」として恐喝薬物濫用などの悪役に使ったら、どうなるでしょうか。 好きなものをけなされたくない、と憤るはずです。

親子の要望に応え、半ズボンを廃止するのではなく、レーザーラモンに半ズボンをネタにすることをやめさせると同時に、親子の半ズボンに対する差別意識を除去することが重要です。レーザーラモンによる半ズボンの悪用を許してはなりませんね。202.179.3.179202.179.3.179東夷

言いたいことはわかります。しかし、このページでの記載は単なる半ズボン賛美ではないですよね。例えば、半ズボンのイメージという項目を読むだけで、「欲望とは相容れない」といった過激かつ一方的かつ主観的表現を使っています。ここまでインパクトの強い表現を使うと、その裏として他の服装に対する非難が感じられますし、他の服装は欲望を刺激するものとの印象を受ける人が多くなるのではないでしょうか。なので、私はこの一方的な見方に異論を唱え、例えばB’zの稲葉氏が好んでおり、性的面を強調するファッションとして大人が好んではいている以上「大人の嗜好や異性への興味」にも該当するファッションだし、ゲイファッションとして大人のイメージもあるので、一概には言えないとすることはおかしなことではないはずです。またそうした多面的な見方を提示することで、半ズボン以外のファッションに対する差別意識をなくすことができるのではないでしょうか。

上の方にありましたが、主観を交えず、衰退したということを淡々と記載するのであれば何も問題はないと思います。しかし、主観を交え、一方的な記載が目立つ以上、別の視点も書かなければ中立性は確保できないのではないでしょうか?

それとイメージについてですが、セクシャルなファッションであるということは必ずしもマイナスイメージではないと思います。私は、別に半ズボンをこの世からなくせといっているわけではありせん。単に大人に人気のあるアイテムであり、もはや子供向けではないといいたいのです。例えば浜崎あゆみみたいなヘソ出しルックを大人が着る分には、まあ許容されますし、中にはカッコイイと賛美する女性もいます。そこには、やはりプラスイメージも多くありますよね。でも、それを子供に着させるのは待てよ・・・となります。それと同じように、何も子供に無理やりはかせようとするのではなく、大人がはけばいいし、それで半ズボン文化は存続していきます。それで問題ないのではないでしょうか。219.37.128.18 2006年3月2日 (木) 13:51 (UTC)イナ

まずお断りしておきますが、「欲望とは相容れない」と述べたのは、私ではありません。私としても、ここまで断言するかと驚いています。

まず、性的衣装の件。

男の子に、半ズボンを穿かせることに躊躇を感じる保護者が増え始めたのは、90年代初頭に、米国発信の「これからは男の子も危ない」との主張が上陸してからです。それ以前は、「うちは女の子だから心配だわ」とはなっても、「うちは男の子だから大丈夫。それよりも今日は帰りが遅いけど、交通事故が心配だわ」となったものです。半ズボン全盛期に男の子を狙った性犯罪が認識されていなかったわけではなく、みんな知ってはいたのです。私の先輩にも、小学生の頃「おじさんから半ズボンの裾に・・・」という経験者は数人います。しかし、だからと言って、「心のケアを・・・」などと誰も言っていません。半ズボン全盛期は、それほど過保護な時代ではなかったのです。半ズボンを男の子に穿かせることに躊躇を感じる保護者が増えたのは、社会的な許容量が狭くなったことを反映しています。例えば、白装束集団事件。実害のないものにまで、現代の日本人は不安を感じますよね。半ズボンに不安を感じるのは、日本の性文化のせいではなく、社会的な許容量が狭くなったせいです。あなたは、この風潮が継続し、拡大することを望みますか。望まないのなら、勢い記述は現代の風潮に対し批判的になります。

私の知り合いに、小学生の息子を持つ母親がいます。 そこの小学校では、数年前に体操着のハーフパンツ化が検討されたこともあるそうですが、半ズボンタイプの体操着を継続することに決めたそうです。 「女の子は太ももむちむち、男の子は下着すかすか、この物騒な現代に、多少の心配はあるが、それで外に出るわけではないから」となったそうです。 ハーフパンツには、性犯罪の防護服とのニュアンスがあります。

差別の件。

例えが悪かったようなので、例えを変えましょう。

例えば、在日朝鮮人が、日本人から差別されたら、打撃が大きいですよね。しかし、在日朝鮮人が日本人を差別したところで、意味はありません。日本人が日本社会の主流だからです。

同じように、短パン小僧でゲイファッションの半ズボン、と言われたときの打撃は大きいですが、チンピラ衣装のハーフパンツ、と言われても打撃はありません。現代の日本では、ハーフパンツが主流だからです。むしろハーフパンツを「差別」するようなら、同世代から「俺たちにはこれがいい。俺たちの仲間になる気がないのか」と言われる恐れがあります。

そもそも力関係が違います。半ズボンがハーフパンツをけなしても差別にはなりませんが、ハーフパンツが半ズボンをけなしたら差別になります。

成人女性ファッションとしての「半ズボン」の件。

ここでは、あなたも小学生の頃穿いたであろう(穿かされたであろう)男児用半ズボンについて記述した項目です。成人女性ファッションとしての「半ズボン」ならば、本項目で論じず、ホットパンツで論じて下さい。そもそも、ホットパンツは、腰周りが大きく作ってあり、男児用半ズボンとは、が違います。が同じでも、型が違えば、別の衣装です。

もし、必要があるならば、「息子に半ズボンを穿かせたくない保護者として」との章を立てて下さい。半ズボンに躊躇を感じる気持ちが不明確な中、参考になると思います。もっとも、あなたが本当に小学生の息子を持った保護者であるとの確認はできない(なりすましの可能性もある)わけですから、意味はありませんが。202.179.3.179東夷

まず、半ズボンが衰退した理由について述べさせていただきます。性犯罪の対象になるからという理由は、正直言って、当時殆ど聞いたことがありません。親戚や友達を中心に当時子供を持つ母親だった人に聞いてみましたけど、そんな話全員知りませんでした。もちろん、1000人くらい調査すれば聞いたことがあるという人も出てくるのでしょうけど。一つの服を衰退させるほど強力な批判であれば、もっと多くのメディアで紹介されているのではないですか?私は、単に当時の半ズボンは単に流行として廃れただけだと思います。そして、それが復活しないのは、現代では半ズボンに対する多様な性的なイメージが確立されたためだと思います。

そして、差別の件ですが、私は何も差別はしていません。子供向けの服ではなく、大人向けの服となり、そしてそのイメージが定着しつつあるといっているんです。オランダのような性に開放的でリベラルな国ならともかく、日本のような国であれば、大人が子供に大人向けの性的なニュアンスを持つ服を着させたくないと考えるのは当然でしょう。 また、こういった多くの人が共有するような形のサイトで、賛成意見だけ書くのはやはり偏向していると思いますし、それはこのサイトの方針に反するものです。なので、私は賛否両論を併記することが望ましいと思います。例えば、ヘソ出しの服の項目があったら、あなたはヘソ出し賛成派は少数派だから、反対意見を書くなというのですか?それは非常にいびつでおかしいとは思いませんか?

なるほど。

では、なぜ半ズボンが性的ニュアンスを持つようになったと思いますか。 自然にそうなったのではなく、マスコミが読者や視聴者好奇心を煽る目的で、半ズボンに対する性的イメージを付与して行ったのではありませんか。

マスコミには、相当強い影響力があります。 社会心理学学説でも、ある事件について扇情的な報道が行われた場合、模倣犯が増えることが確認されています。 報道の影響で、潜在的に犯罪願望のある者が、掘り起こされるのです。 その意味では、最近の子どもを狙った事件の多発は、マスコミが誘発しているとも考えられます。 マスコミに追随するのではなく、腐敗したマスコミに毅然として立ち向かうのが正しい姿勢と言えます。 そうして、レッサーラモンも、マスコミ腐敗の産物です。 レッサーラモンが、半ズボンのイメージダウンを招いているのなら、子どもに「イメージの悪い」半ズボンをやめさせるのではなく、吉本興業にレッサーラモンを降板させることが先決でしょう。

賛否両論の併記には、私も賛成します。 そうして、社会心理学者が、賛成・反対を抜きにしたコメントを加えれば、完璧に中立的な記事になります。 しかしそれならば、責任の所在が不明確な、匿名のインターネットには不向きです。 責任の所在がはっきりした、活字メディアに向いています。 「ウィキペディア」の管理者の立会いの下で、お互いに素性を明かし合い、齟齬のないよう賛成論と反対論を執筆しなければ、不毛な争いになることは明らかです。202.179.3.179東夷

横槍失礼します。[3]の編集において202.179.3.179さんの発言を202.70.34.26の利用者が改変していますが、202.179.3.179さんと202.70.34.26さんは同一の利用者である、ということでよろしいでしょうか。しるふぃおはなし|おもいで2006年3月8日 (水) 09:01 (UTC)
同一の利用者です。

申し忘れましたが、あなたは、「流行遅れ」だから「小学生男子に半ズボンを穿かせるのはちょっと・・・」となるのですか。流行って、そんなに偉いのですか。例えば、自動車を例にとっても、流線型の先を行く新型車に乗るよりも、パブリカ三輪オートに乗るほうが乙だという考え方もできますよ。

「僕は流線型の先を行く新型車が嫌いだ!パブリカが好きだ!」と子どもの世界で宣言できない理由を、あなたは説明できますか。202.179.3.179東夷

別に、流行に後れているから悪いというのではないですよ。子供向けのイメージの服ではないので親がはかせたがらないのも無理は無いといってるだけですよ。219.37.128.18 2006年3月9日 (木) 13:08 (UTC)イナ
あなたも分からない人ですね。

ハーフパンツのほうがよほど子ども向けのイメージの服ではありません。

赤ちゃんにまで、ハーフパンツを穿かせ、背中にのプリントのついたトレーナーを着せ、ポケットに鎖をつける現代の子供服の、どこが子ども向けのイメージですか。赤ちゃんが、腕力を誇示する必要がどこにありますか。

あんなの、暴走族かぶれをした、チンピラ中高生の服装ですよ。まだゲイファッションのほうがましです。チンピラファッションとして考案されたハーフパンツは、どこまで行ってもチンピラファッションです。 本来は、男の子の愛らしさや清潔感、家庭円満の象徴として考案された半ズボンが、あなたのような俗物にゲイファッションの濡れ衣を着せられ、泣いています。

私は半ズボンに愛着がありますし、あなたはありません。 つまり接点がないわけで。

あなたの発言は止められませんが、半ズボンを救う行動は取ります。 半ズボンのイメージが悪い、だから穿かせたくないと言われ、私は相当の精神的苦痛を感じていますが、あなたにも精神的苦痛を負わせましょうか。202.179.3.179東夷


とりあえず、皆さん落ち着いてください。まず、ここが百科事典であるということ、自分の主義主張を書くところでもないし、掲示板のように論争をするところでもないということをよくご理解ください。ここは半ズボンを批判する場所でもなく、またかといって半ズボンを救う場所でもありません。純粋に半ズボンとはなにであるかについて述べる場所です。 なお、他人に精神的苦痛を与えるなどの警告文は場合によって脅迫罪に問われる可能性もありえますので十分に注意してください。ウィキペディアは何でないかも今一度ご参照いただくようお願いします。--203.205.39.5 2006年3月16日 (木) 14:25 (UTC)

202.179.3.179さん、返答ありがとうございます。
さて、202.70.34.26さんと202.179.3.179さんが同一の利用者ということで話をさせていただきます。いくつかはすでにこのページで述べられていることですが、まず、ウィキペディアは個人の研究の発表をする場所ではありませんし、半ズボンを賞賛する場所ではありませんし、ハーフパンツを非難する場所ではありません。あなたが半ズボンを美化することはもちろんのこと、ハーフパンツをあたかも悪の象徴であるがごとく論説する姿勢はウィキペディアでは受け入れられません。なぜならば、ウィキペディアでは「中立的な観点(Neutral Point of View)」という方針が不可侵なものとして掲げられているからであり、すべての項目の執筆者はあらゆる観点において物事を平等に扱わなければならないからです。不可侵である点は、ウィキペディアの創始者の言葉により、絶対に覆ることはありません。
また、ハーフパンツ着用者や黒人、ゲイを差別する論調はたとえここがウィキペディアでなかったとしても認められるものではありません。いくら「暴走族が着ているから」といって、ハーフパンツやその着用者には責任はありませんし、また黒人は他の人種と同様に尊重されるべき文化を持っていますし、ゲイにも半ズボンを着る権利があります。当然あなたには半ズボンを愛する権利があります。どうかさまざまな文化に対するあなたの理解について考え直していただけませんでしょうか。
そして、法的な脅迫をしないでください。個人攻撃も同様です。これらは全くの無駄であり、対話の方法としては非生産的です。対話や論争の相手がますます敵対的になり、論争の解決が困難になる恐れがあります。攻撃的な面を見せることはたとえ本項目とは関係のない場所であっても、他者のあなたに対するイメージが悪くなり、結果的にあなたにとって(場合によっては恒久的な)マイナスの作用を起こす恐れもあります。どうかお互いに敬意を払い、中身のある議論をお願いします。
以上、これまでの議論を見てきた上での私の考えを一通り出してみました。中立的な観点をもとに、そしてほかの執筆者の意見も尊重しつつ記事「半ズボン」を向上させることは常に歓迎され、よりよい記事となるきっかけを作るでしょう。しるふぃおはなし|おもいで2006年3月17日 (金) 07:40 (UTC)

「男児用の丈の短いズボン文化」について一筆

なかなか興味深い記事だと思います。私も以前、この記事を読み、「半ズボンのイメージ」と「半ズボン全盛期における子供向け娯楽番組以外での扱われ方」について以前加筆しました。

ちなみに私は子供時代、一年のほとんどの時期、積極的に半ズボンを着用しそれに審美性を感じていました(当時の自分のチャームポイントのメインの一つと思い、汚したり破ったりすることがほとんどないほど大切に着用していました)。 当時の本やテレビで、男の子が、特に愛すべき男の子がほとんど半ズボンなのも、当然と思い、彼らをかわいいと思ったり、彼らに自分の気持ちを感情移入できたりしました。このことがこの記事への問題意識となっています。

ですが、いくつかの点につきましてご意見を申し上げたいと思います。

1.男児用の丈の短いズボンは、日本に洋服が入ってきた時以来、または洋服が一般化して以来のものではないのでしょうか?

洋服が入ってきた明治期、あるいはある程度洋服が一般化した大正時代か昭和初期(戦前)、少なくとも後年のハーフパンツ程度の丈、つまりひざ上程度のズボンが、冬場以外の男の子のズボンとなっていたはずです。 大正時代の児童雑誌「赤い鳥」の挿絵・表紙がそうです。あるいは広島原爆を描いた漫画「はだしのゲン」でも、子供たちは丈の短いズボンをはいています。 狭い意味での半ズボン(この記事がメインで取り上げているもの。つまり丈が非常に短いもの)の出現や一般化は、メイン執筆者がお書きのとおり、1950年代~1960年代前半の可能性は考えられます。ただし、そのことの確認は、服飾や児童生活文化の変遷の専門家や、その世代の人たちの意見を聞く必要があると思いますが。 ひょっとしたら、もっと早く丈が非常に短いものが一般化した可能性があります。 なお、参考までに、古い時代(1960年代?)の子供向け交通安全看板のズボンは、後のハーフパンツ程度の丈のものがあります。無論半ズボンのほうがずっと多いですが。 なお、ハーフパンツがある以上、男児用の丈の短いズボン文化は未だ健在とさえいえます。


2.男児用のズボンの変遷の主因は子供向け娯楽番組なのでしょうか?

特に実写特撮もの以外)のさまざまな番組が紹介され、あたかもそれが半ズボン一般化や衰退の主因とされています。 しかし、私はそれらは、あくまで当該時期のズボン文化の「指標」であるべきと考えます。 多少影響は与えたが、主因はほかにあり、1960年代~1980年代の子供向け番組の男の子のほとんどが半ズボンを着用していたのは、単に当時の実情(全国的なものではなく、テレビ局やテレビ番組制作場所に近い首都圏の一部の街区のものかもしれませんが)を反映したに過ぎないと、私は思います。 日本における洋装導入期または一般化時期はともかく、それ以後は、まずは「親(特に母)の意向」ついで「学校などの教育の場の意向」ついで「当該時期のアパレル業界の意向」および「当時の大人へのマスコミ(テレビ・出版物)」で、子ども自身の意思は最後の要因と思います。つまりほとんど「大人の都合」です。 小学校高学年くらいならともかく、小学校入学時期やまして2歳・3歳頃(おむつが取れる時期=この時期こそ、子供時代に半ズボンか長ズボンか、後にはハーフパンツとの2者または3者選択の時期のはずです)に本人に選択の余地があるでしょうか? 狭義の半ズボンの一般化も、その衰退も、大人の都合だと思います。そこには、女子高生の服装(制服・私服を問わず)の変遷ほどには子ども自身の意思は働いていないと思います。 まして、子供向け娯楽番組だけが、子供自身の服装選択に影響を与える要因とはいえません。ほかにも目にする媒体は多いはずです。 なお、私の場合、半ズボンをよいものと思わせた要因は、子供向け娯楽番組ではなく、むしろ子供向け娯楽番組以外のテレビ番組の影響が強く、主因は教育系出版物や、半ズボンをはいた子供の私に大人が「半ズボンかわいいねえ」と言ったことが要因だと思います。


3.半ズボンは都市部中心だったのでしょうか?

こうした風潮は全国的だったはずです。確かに冬場の北海道の屋外では、半ズボンは過酷でしょう。しかし、東北地方長野県など冬場寒冷で積雪も常時ある本州の地域でも、半ズボン(近年ならハーフパンツ)をよしとする風潮は、特に積雪の少ない地域(伊那地域や宮城県など?)では、南関東東海以西ほどではないまでもあったようです。 まして温暖な時期が多く、夏や晩春・初秋は暑い近畿以西ともなれば、制服はもとより私服でも強く根付いていたはずです。

1.戦前の子ども向け雑誌「キンダーブック」の挿絵を見ても、私立小学校の制服は半ズボンです。逆に言えば、私立小学校の半ズボン制服の伝統は戦前からあり、レッサーラモン云々の現代人の感覚で、安易に変えていいものか、疑問があります。

1950年代以前の日本に、文化としての半ズボンが定着していたとは思えません。例えば、私の父親は、1930年代の生まれですが、「着られさえすれば何でもよかった。お下がりを重ねた結果、現在でいう半ズボンタイプになっていた」と語っています。

また、服飾史や、児童史の専門家が、半ズボンの起源や変遷いついて、論考することもありません。我が家の近所の図書館には、「子どもの服装史」というそのものずばりの書籍が置いてありますが、アメリカンカジュアルの上陸や、半ズボン文化の衰退や、ハーフパンツの規範化といった現象には、1行も触れていません。

2.子ども向け娯楽番組は、半ズボン文化を拡散する役割を担ったと考えます。半ズボンのイメージがプラスでなければ、主人公少年に半ズボンを着用させることもなかったでしょうから。言ってみれば、現在でも思い出したかのように制作される子ども向け娯楽番組が、原作のイメージに反して、主人公少年にハーフパンツを着用させていることからも分かります。

では、教育用図書が、挿絵に半ズボンを登場させているでしょうか。

私が小学校用教科書を検討した限り、半々です。

挿絵の場合、イラストレーターの判断でしょうが、ハーフパンツの場合が多いようです。しかし、写真の場合は、半ズボンの場合がかなり多いです。もっとも、これらの写真が、最近撮影されたものなのか、改定前の教科書の写真をそのまま使用しているのかは分かりませんが。

現代の教育現場が、性犯罪を避けるため、ハーフパンツの制服や体操着を採用したがる気持ちが分からないわけではありません。もし犯罪が起きてしまった場合、学校としては責任を負いかねるからです。

3.1980年代の末に、私が北関東のある農村を訪問した際に、地元の少年は皆ジャージでしたが、東京から転入してきた少年が1人だけ半ズボンを着用していました。北関東(複数の地域)では、東京ではまだ半ズボンが主流だった時期に、運動会の競技を終えたら、半ズボンタイプの体操着の上に、ジャージタイプのハーフパンツを重ね着し、半ズボンの状態をなるべく避ける習慣が一般化していました。この地域の小学校の先生(1954年生まれ)は、「自分たちが子どもの頃は、半ズボンは街の子が穿くものとのイメージがあった」と述べています。

1970年代には、まだ地方のテレビチャンネル数も少なく、スーパーマーケットさえ進出していなかった(都市と地方の格差が大きかった)ことを考えると、面白い証言です。

そもそも、半ズボン賛否は、ジェンダーフリー賛否に匹敵する問題だと思います。

ジェンダーフリー賛否が、男女の区別は必要なのか?という問題であるのに対して、半ズボン賛否は、子どもと若者の区別は必要なのか?という問題なのです。

ただ、ジェンダーフリー賛否が、家族制度に関わる問題なので、政治問題化するのに対して、半ズボン賛否は、何かを脅かす問題であるとは認識されないため、政治問題化しないのです。子どもを早期から若者待遇することによって、どのような影響があるのか、厳密な議論が必要です。そもそも、小学生は、幼児の完成段階なのか、思春期の準備段階なのか、といった議論も経なければなりません。高校生が、普通教育の完成段階なのか、高等教育の準備段階なのか、といった議論が、教育基本法制定当時からあったことを考えると、「クラスで一番仲がいい友達がハーフパンツに乗り換えたから」自分もハーフパンツに乗り換えた、という行動は、安易だと言わざるを得ません。

むしろ、ジェンダーフリー推進運動が、反対派の公然たる反対に遭い、難航しているのに対して、ハーフパンツ化は、議論も何もないままコッソリ行われている分だけ、陰湿であるかもしれません。言ってみれば、ハーフパンツ化推進派は、「半ズボンを擁護されると、腹が立つ」といったレベルで、ハーフパンツ化の社会的合意を取り付けているのです。「記事の中立性」で意見されている方がいましたが、少年たちが半ズボンを穿き続けていれば、このような議論を延々と続けることもないまま、本項目は、「発祥」と「日本における半ズボン文化」のみで構成され、無事に衣類カテゴリーに収まっていたはずなのです。「子ども時代に散々半ズボンを強制され嫌な想いをした」方の、逆襲なのでしょうか。

価値観の多様性は認められるはずです。

しかし、ハーフパンツと密接な関係のあるトランクスを採用している小学生が、信頼していたおとなが、「白ブリ」採用者だと分かると、「引いてしまう」現状があるのです。それだけ、ハーフパンツの少年たちにとって、半ズボン文化は相容れないものなのです。これは、戦後世代が、徴兵制度を当然視する戦前世代から意見されると、「引いてしまう」のと同質のものと思われます。

たぶん彼らは、おしゃれな母親世代から、「おしゃれはいいこと」との価値観を吹き込まれているのだと思います。

ハーフパンツは、極めて排他的な価値観を帯びた衣装だと言うのは、このためです。

ご回答ありがとうございます。

「半ズボン」という言葉の「半」の字の意味を考えたとき、本来は近年のハーフパンツ丈だったはずです。ただし、もっと丈の短いものも戦前からあったのですね? その一般化のプロセスを知りたいです。 ちなみに広島は、昭和初期いや大正時代には十分モダンな都市で、ただの広島県県庁所在地城下町の域を超えたハイカラな都市文化の町だったようですが。だから「はだしのゲン」の子供たちが短パンだったのかもしれません。ただ着用の目的はハイカラ文化のためか、あるいは単に真夏の暑さよけのためかはわかりませんが。

必ずしも子供向け娯楽番組に限らず、映像・出版の両面で、東京の山の手や都心部の(当初は良家の子女、後にその影響を受けた庶民(中産階級に近い人たち))の子供の習慣が紹介されることで、半ズボンなどの服飾文化も一般化したはずです。

その一部ではありましょうが、「ケンちゃん」や「ドラえもん」や「あばれはっちゃく」などの影響を過大評価することに違和感を私は感じます。週1回放映のテレビ番組の2本や3本で、子供たちの生活文化が変わるでしょうか?

教材・教育系出版物ですが、2000年代はともかく、それ以前は男の子(特によい子)=半ズボンではなかったかと思います。その影響は絶大だと思います。

地方についてですが、半ズボン・ハーフパンツなどは、首都圏より温暖な地域なら気候の意味でも違和感がなかったでしょうし、首都圏に似た気候でも問題ないでしょう。北関東より寒冷な地域の場合は少しペースは遅れたかもしれませんが、1970年代以降今日に至るまでには半ズボン・ハーフパンツなどの普及が進んだ可能性があります。スーパーマーケットくらい仙台や伊那なら、1970年代には普通にあるはずです。民放チャンネルも前者は1970年代中に4系統揃っています。後者は確かに少し遅れましたが。

ただ、半ズボン・ハーフパンツなどでは農作業(家業の農家の手伝い)はしにくいでしょうし、泥にまみれて遊ぶにも適さず、故に農村部では都市ほどメジャーではなかったのかもしれません。

私は正直申しまして今でも長ズボンよりは半ズボンに審美性を感じます。しかし少なくともハーフパンツを目の敵にすることには違和感を感じます。 ハーフパンツも立派な短いズボン文化の一員じゃないんですか?

また、いうまでもありませんが、誰も長ズボン・半ズボン・ハーフパンツのいずれかをその時代の子供たちに強制する権利はありません。考えてみてもください。わたしでもあなたでも、もし今子供だったら、見ず知らずのおじさんやおばさんにズボンの丈を強要されることはいやじゃありませんか?

私見ですが、近年の状況は一時的なもので2010年代以降あるいは2020年代以降にはハーフパンツ丈かもっと短い丈かはわかりませんが、丈の短いズボンがメジャーになる可能性を感じます。防犯・怪我防止などの理由で子供の足を見せることを良しとしない2000年代の親たちのやり方は、半ズボン全盛期とされる時期の過度の半ズボン志向と大差ないと思います。2000年代の子供たちが20歳前後になることには、酒の肴のお笑い種にされるかもしれません。

ただ、半ズボン全盛期とされる時期、男の子は過度に純粋無垢の象徴とされていました。その具現のひとつが半ズボンでした。このような価値観は社会が成熟しきった後には通用せず、男の子には本来の「男らしさ」や「子供の負の面」もみとめられたことを考える必要があります。

なお、半ズボン着用の男の子のキャラクターは、ハーフパンツ普及直前の1990年代前半にも新たに出ています。そして今も健在です。「クレヨンしんちゃん」と「名探偵コナン」です。いずれもレトロキャラクターではありません。

それと体罰の話や、1970年代の女児の服装の関心が2000年代に親になったときに半ズボンをよしとしない理由のひとつとなったというのは、私は違うと思います。そもそも、半ズボンと体罰は何の関係もありません。

同年代の男の子の服装については是々非々だったでしょうが、自分より幼い男の子を見たとき(たいてい半ズボンでしょう)かわいがったはずです。 それは1990年代初めまで続いたでしょう。 本心として、自分の子供に半ズボンをはかせることができない、あるいは今の時代に男の子をかわいがるときに半ズボンを見ながらかわいがることができず残念がる女性も多いのではないのでしょうか?

そもそも、防犯防止でハーフパンツにしたなんてのは、ネット上で言われているだけで、実際に教育現場で働いている人は、そんな議論があったことすら知らない人が多いですし、母親世代も同様です。それにジェンダーフリーとも関係がないでしょう。男の子はハーフパンツをはいている子が多く、女の子はスカートをはいている子が多い。この時点でジェンダーフリー推進派の希望とは大きくズレています。ジェンダーフリー推進派が最も力点を置いていたのは、スカート廃止ですからね。さらに言うなら、今後、地球環境の変化によって紫外線が強くなっていきます。既に、オーストラリアでは、皮膚ガンが多発しており、小学校によっては子供の半ズボン、半そでは禁止し、東部は常にタオルのようなものがついた帽子をかぶらせるところもあります。なので、日本でも、今後オゾンホールの破壊が進行すれば、流行云々以前に、医学的な観点から半ズボンどころか、半そでも廃れていく可能性は高いと思います。自然環境ばかりは、どうにもならないけど、嫌な時代になったもんですね。。。
丁寧なご考察をありがとうございます。

私は戦前生まれではないので、当時の状況は、絵画や写真で知るしかありません。あるいは、当時を生きた人々の回想に頼る他ありません。 と言うことで、半ズボンの起源については、未解明です。衣料業者ですら、旧日本軍の軍服が起源だという人がいます。 半ズボン全盛期の映像も、長いこと見ることができませんでした。 1980年代後半に、家庭用VTRが普及する以前で、録画した人がほとんどいなかったからです。 しかし、1980年代前半にNHK教育テレビが放映した、「ゆかいななかま」「みんななかよし」など、午前中の道徳ドラマは、当然のように子役に半ズボンを穿かせていたと記憶しています。

21世紀に入り、DVDが開発され、半ズボン全盛期の映像作品が次々にリバイバルするようになりました。その結果、半ズボン全盛期の少年ファッションも、リアルタイムに起きていることのように、観察できるようになりました。

私はてっきり1980年代半ばまでは、夏場に半ズボンを穿かない小学生は、中学生体型の小学生くらいだと思っていましたが、これが意外に夏場でも半ズボンを穿かない小学生がいたのです。

例えば、1979年制作の、「俺はあばれはっちゃく」の公一(妹尾潤)は、半ズボンを穿くのは盛夏だけ、後は長ズボンか、初夏や晩夏でもバーミューダショーツを穿いています。1980年制作の、「サンキュー先生」の近藤(水島聡)も、もも丈のデニムを穿いています。小学生は半ズボンを穿くもの、という固定観念が、当時の私の目を曇らせていたのでしょう。

ちなみに、「少年ジャンプ」のキャラ(非レトロ)で、最後に半ズボンを穿いたのは、1995年の「地獄先生ぬーべー」のひろしで、1998年の「ヒカルの碁」では、最初からハーフパンツ、次第にトランクスに腰パンという出で立ちに変化しています。「少年ジャンプ」では、編集者の意向が強く働くので、「半ズボンでは売れない」との編集者の意向が反映したとも考えられます。

ただ、ここで考えなければならないのは、逆説的に言えば、半ズボン全盛期には半ズボンを選択しない自由があったことです。当時、半ズボンを嫌った少年がバーミューダショーツを選択しても、珍しい衣装だとは認識されても、集団で排斥されることはありませんでした。そうして、当時の映像を見ると、そういう少年は少なくありませんでした。しかし、現在、遠足に向かう小学生の一団を見ると、まるで自分たちで選択した制服でもあるかのように、カーゴタイプのハーフパンツを着用しています。彼らは半ズボンを忘れたのではなく、知っています。知った上で、強迫観念的に、半ズボンを忌避しています。「みんな」の名において、ハーフパンツを集団内強制しています。

半ズボンを穿いたわが子を可愛がれないことを残念に思う母親も少なくないかもしれません。しかし、ならば、なぜ制服や体操着のハーフパンツ化に反対しないのでしょうか。2000年から2001年にかけて、市内のどこかの小学校がハーフパンツタイプの体操着を採用したら、他の小学校も一斉にハーフパンツタイプの体操着を採用した現象を考えると、反対はなかった(賛成しない保護者は、ただ棄権した)ものと推察できます。半ズボンを目の敵にする、あるいはハーフパンツ化批判をタブー視する風潮に、私は違和感を抱きます。

紫外線の件は、一時期言われましたが、定着はしませんでしたね。 保健室の先生が、子どもが屋外で遊ぶ時間を管理しようとしたとき、どうなることかと思いました。 半ズボンを穿いて育った世代が、健康を損ねることなく50代に達していること、日本は温帯気候で、直射日光が強くないことを考えれば、紫外線の悪影響はないと見ていいでしょう。

数年前、某教育雑誌で読みましたが、はだし教育を実践している小学校があるそうですね。 強制はしていないそうですが、ほとんどの児童が応じているそうです。 半ズボンも同様で、どこかの教育現場がはっきり半ズボン支持を打ち出してくれればいいのですが、半ズボンを否定する理論は構築されても、肯定する理論は構築されないのが現状です。

教職雑誌で、どこかの小学校の男性教諭が述べていました。

「子どもを見ていると、人間は性悪なのではないかと考えてしまう。わがままだし、残酷だし。」

確かに半ズボン全盛期には、私も含めて多くのおとなが男の子を実態以上に純真無垢と考えていました。しかし、純真無垢の象徴を、これほど強く拒絶されると、純真無垢のイメージの押し付けが、これほど本人たちにとって迷惑なものだったのか、と考えざるを得なくなります。

「こんな時代もあったね」と、ハーフパンツ全盛期が「いつか笑える日が来る」ことを願っています。しかし、ハーフパンツが市場を占有した時期から、「半ズボン復活の可能性がないとは言わないが、低い。なぜならば、その兆候がないからだ」との衣料業者の見立ては変わっていません。そうして、ハーフパンツ一色の春の景色が、既にセピア化を始めています

今の50代を見る限り、紫外線の影響は大したことないので、紫外線云々については心配ないでしょうという、意見には賛成できません。紫外線の影響は近年2,3年ごとにどんどん悪化しているのが現状なのだから、今の50代がどうなっているかは参考にならないと思います。紫外線の強さが年々増していることは、さすがにだれも否定しないことだと思います。人の生き死ににかかわる問題である以上、単に好き嫌いで判断することは許されるべきではありません。半ズボンを支持される方は、何が何でもと感情的に支持するのではなく、こうした悪影響を考慮したうえで、「夜だけ」とか、「室内だけ」といった条件をつけた方がいいのではないでしょうか。「そんな悪影響は関係ない!」と突っぱねていては、紫外線の問題が一気に表面化したときに、物凄い反動が出てくると思います。それこそ、半ズボンが絶滅してしまいますよ。私が聞く限り、紫外線に関しては、今後、3,40年、悪くなることはあっても良くなることは無いそうです。そうである以上、そうした事態も考慮に入れておいたほうが良いでしょう219.37.128.14 2006年3月21日 (火) 11:57 (UTC)虚無僧

補足・・・「みんな」という意識で特定の服装が強制されるというのは確かにあるかもしれませんね。それは服装に限ったことではないでしょうけど。ちなみに、私は、半ズボンでもなく、ハーフパンツでもなく、上に書いた理由から長ズボンを支持します。紫外線を防ぐには、イスラムみたいに肌を隠して、色は白、という服でもいいんでしょうけど、さすがにあれは抵抗があるので、長ズボンを支持します。
紫外線の今後がどうなるかは分かりません。これは、半ズボンの今後がどうなるかが分からないのと同じことで。

ただ、あなたはご存知でしょうか、半ズボン文化が陰りを見せ始めた1980年代後半に、半ズボンに代わる夏用の男児用衣装として、白い綿の長ズボンが普及しかけたことを。

しかし、白では洗濯が大変だったのか、ハーフパンツのように半ズボンに取って代わることはありませんでしたね。


男児用ズボンの近年の動向(半ズボンの衰退、ハーフパンツの一般化)でなく(これは私の世代から遠い世代なのでほとんど何もお書きできません)、半ズボンの普及のプロセスについて、様々な資料を基に推測したものをお書きします。

まず、大正期には既に膝丈程度の男児用ズボンがあり、その中に非常に丈の短いものがあったと思われます。 それが良家の子女の私服や、私立小学校・幼稚園などの制服として使われていたのでしょう。 太平洋戦争中はさすがに影を潜めたと思われます。以前投稿された方の1930年代の生まれのお父様はその世代ですよね?しかし洋服の定着した地域などでは「お下がりを重ねた結果」などの理由とはいえ、結果的に膝丈程度の男児用ズボンがその状況下といえども、ある程度着用されていた可能性があります。

敗戦とその復興を経て、1950年代になりますと都市部を中心に非常に丈の短いものが一般化したと思われます。これが半ズボン一般化の第一波です。「この地域の小学校の先生(1954年生まれ)は、「自分たちが子どもの頃は、半ズボンは街の子が穿くものとのイメージがあった」と述べています。」とは、逆に言えばその時期に十分に都市部では半ズボンが一般化していたことの証拠となります。 なお、この証拠としては、得やすいものでは当時の漫画(手塚治虫の初期作品)や当時を回想した漫画(「三丁目の夕日」など)があります。当時の漫画以外の出版物や記録映像、当時子供だった世代の回想録もこれを物語っています。

次いで、半ズボン一般化の第二派が、1960年代にあったと思われます。これにより、元々は都市部に限られていた半ズボンが、全国津々浦々に定着したのでしょう。(無論別の方が述べています北関東の農村の例など、あまり定着しなかった例もありますが)その主因は、洋装化の完全な定着や、高度経済成長の成果が及んだことが主因と思われます。無論、娯楽用・教育用や子供向け・大人向けを問わず、テレビ・映画・出版物で都市部の子供らの服装が紹介されたことも多少は影響しているでしょう。しかし、少なくとも特定の子供向けテレビ番組がその主因とするには無理があります。1969年や1970年頃は第二派終了期にあたりますので、その時期の番組群は普及要因になりえません(維持にはなるでしょうが)。

なお、1990年代や2000年代の状況を見る限りでは、子供向けテレビ番組の影響が子供らの服装に及んだ例はいくつかあります。1990年~1992年に一部の低年齢女児に吊スカートやおかっぱが普及したようですが、これは「ちびまる子ちゃん」との影響が言われています。また小学校の入学式の礼服を着て「名探偵コナンになったみたいだ!」とある男の子が言った例もある新聞の投稿にありました。

これらを見るとき、1960年代・1970年代などについても、同様の子供向けテレビ番組の影響が子供らの服装に及んだ例も考えられます。例に書かれています、『ケンちゃんシリーズ』などは、確かに関連グッズなどが売られ主人公らの生活を多くの子供らがうらやましく見たようですから、影響も考えられます。しかし、半ズボン着用はこの番組の登場人物だけでなく、当時のほとんどの番組がそうだったわけですから、ワンオブゼムの存在でしかないはずです。また、親子関係としても、1990年代や2000年代なら消費決定は子供が主導権を握っていることも多いでしょうが、1960年代や1970年代には、親が主導権を握っていることが多いと思います。

なお参考までに半ズボンの「地方」や「農村」への浸透に関しまして。 まず、中部地方西部以西・以南につきましては、「制服で半ズボンがある」地域が多いことで十分普及要因となります。それ以外では、繊維産業の盛んな地域が多いことや、暑熱・温暖な気候も普及要因となります。 問題が南関東を除く中部地方東部以東・以北です。 高校生くらいとなりますと、厳寒期の北海道(十勝支庁の内陸部など、特に寒くなる地域を含む)でも本州の制服と同じ状態に外套などの防寒具を羽織るだけの例も多いようです。少なくとも2000年代はそうですし、1980年代でさえ、本州と北海道で冬季の服装は大差ないようです。 ですが、小学生や未就学児はどうでしょうか?高校生と違い、耐寒性に劣るので、本州のような服装は難しいと思います。 厳寒期の北海道で、男児は半ズボンやハーフパンツ、女児は同様の丈のスカートやズボンを着用する・したという話を聞いたことがありません。ただし冬以外は着用しても平気でしょうが。 それ以外の地域についてはよくわかりません。北関東より寒冷な地域でも、南関東のような服装の服飾文化があっても何の違和感も感じません。要因は気候に限りませんから。

貴重なご知見有難うございます。

人々が知らないうちに出現し、知らないうちに消えていった半ズボンとは、不思議な存在ですね。 しかも、その全盛期には、小学生のいわば制服と信じて疑わなかったわけですから。

最近の文化人類学の研究では、半ズボンが消えた原因について、回答ができるようです。

「情報が増加し、子どもに知恵がついたから」というものです。

知能テストで、「太陽とは何か?」「とは何か?」という設問に対する正答率の高まりが、それを裏付けていると言います。

ただし、知恵がついたから、子どもっぽいものを嫌がるかどうかは、疑問が残ります。 私自身、妙にませた少年で、小学校5年の段階で、「天皇制とは何か?」「社会主義とは何か?」を考えていました。 しかし、半ズボンを嫌だと感じたことはありませんでした。 中学生になり、周囲が半ズボンを卒業しても、私1人が半ズボンを穿き続けていることに、何らの違和感もありませんでした。 それも、半ズボンを卒業した周囲が、映画で「ウルトラマン」を見たがっているのに、半ズボンを卒業していない私1人が「ああ野麦峠」を見たがるという、不思議な関係が発生しました。 それも、中学1年の夏休み前に、見かねた担任が、「半ズボンは小学生までだ」と強制的に私を半ズボンから卒業させました。

さて、私は最近社会心理学の学術書を紐解き、ハーフパンツ化の原因を突き止めるべく、研究活動を開始しています。

同調現象」とか「社会的影響」と言われるハーフパンツ化現象は、社会心理学のメインテーマなんですよね。

まず私の知見を提示します。知見が増えたら、その都度議論します。

同調現象の過程。

①同調圧力・・・異論は歓迎されない。異論を唱えたら、反論が返って来るのではなく、個人的な中傷が返って来る。

②自己検閲・・・全員の意見が一致しているようなら、異論があっても、異論の表明を控える。

③全員一致の幻想・・・全員一致の結論は、無謬のものと信じられる。

④自薦の用心棒・・・集団に異論が発生しないように、情報を遮断する成員が現れる。

⑤循環ダイナミクス・・・自分が同調を受け入れることにより、他者に対する同調源になる。

①は、公共掲示板での半ズボン復活論で経験済みですね。私も最初は、自分の意見が倫理的に問題があるのかと悩みましたが、「お前には言われたくない」とかかって来たのは、「私は半ズボンがいいけれど・・・」という保護者ではなく、保護者を装い、半ズボン復活論を封殺したい者の中傷だと考えています。

②は、PTAの総会で、体操着のハーフパンツ化に疑問を感じながらも、「あれだけ半ズボンタイプを嫌がっている人たちがいるのだから、敢えて反対する理由はない」と棄権してしまう人たちですね。

③は、校長がハーフパンツ化の理由を、「変態が出るから」と公然と児童に宣言してしまう行為です。

④は、某私立小学校の制服のハーフパンツ化について、何が何でも沿革に書かせず、半ズボン廃止があったこと自体を人々の記憶から消してしまおうとする行為です。

⑤は、最も親しい友人がハーフパンツに乗り換えたから自分もハーフパンツに乗り換えた、故にクラスの中でますます半ズボンを選択しにくい状況が強まった、あるいは市内の1つの小学校がハーフパンツ体操着を採用したら、他の小学校も一斉にハーフパンツ体操着を採用した、故にメーカーが半ズボンタイプの体操着の製造を中止した、というものです。

こうした悪循環は、少数派の決意で覆せることも明らかになっています。

まず、自分(自校)は、絶対にハーフパンツを採用しないとの決意を固めること。そうして、自分の同調者を1人でも作ること。半ズボン採用者が2人になれば、ハーフパンツの一枚岩は崩れます(「行動の一貫性」)。

4はノート:学校法人創価学園のことでしょうか。で、「自分の同調者を1人でも作ること」にWikipediaを使用しないで下さいね。しるふぃおはなし|おもいで 2006年3月27日 (月) 06:25 (UTC)
ちなみに、東京放送ジャスト」で、安住紳一郎は、「北海道には半ズボン文化がない。帯広出身の自分も、たまに穿かされる程度だった」と述べています。

釧路の衣料業者も、「当地では、半ズボン全盛期でさえ、半ズボンを着用する男の子はほとんどいなかった」と述べています。

NHKアーカイブス」で、こんな物語がありました。

1960年当時、栃木県土呂部(天気予報でもよく現れる、関東地方で最寒と言われる場所です)の子どもは、図画工作の時間、の絵しか描かなかった。しかし、宇都宮市内の子は、表情豊かな絵を描いていた。で、土呂部の小学校にテレビを持ち込んだら、土呂部の子どもも、表情豊かな絵を描き始めた。木こりや炭焼きをしながら、生活するのに精一杯だったものが、文化に触れたのである。

土呂部の子(山の子)は、戦後さながらの膝丈ズボンを穿いており、宇都宮市内の子(街の子)は、現在の立教小学校の制服のようなグレーのものであるけれども、半ズボンを穿いていました。

202.70.34.26さんへ

202.70.34.26さんへ。しるふぃさんや、他の方のメッセージはお読みになったでしょうか? あなたの投稿は何度か独自研究の指摘をされておりますが、ウィキペディアは何でないかはお読みになったでしょうか? もしまだであれば、是非読んで頂き理解していただきたく思います。もし、読んだ上でなおこのような投稿を続けられている場合は、対話拒否と取られ、場合によってはWikipedia:投稿ブロックの対象になり得ます。繰り返しますが、あなたの投稿の大部分は独自の研究に当たります。ウィキペディアの主旨を理解した上での投稿を改めてお願いいたします。追伸になりますが、ノートページでの発言には署名をお願いします。チルダ四つで署名ができます。Sae 2006年3月28日 (火) 09:54 (UTC)
独自の見解や、根拠のない記述を大幅にコメントアウトしました。主執筆者におかれましては、Wikipedia:中立的な観点に従い、事実だけを述べ、「一般的」「と考えられる」「と思われる」といった、意見を述べるための言葉を使わざるを得ないような記述は、避けられますようお願い申し上げます。独自の見解を広めたいのであれば、ご自分のホームページがブログで行ってください。--とざもへ 2006年5月23日 (火) 02:30 (UTC)