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ノート:国鉄103系電車/過去ログ2

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101系からの変更点

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2007-09-14に主ページ「#101系からの変更点」節の当該部分が改訂されました(特別:差分/14840922)。--Yumoriy会話

ジャンパ栓(と栓納め)関係の記述がなされていますが、試作車では101系と同等のものでした。ですので、101系からの変更点ではなく、量産車登場時の変更点ということになりますから、該当の記述は、その項目から削除するのが妥当と考えます。また、テールライトに関しては、当時の101系が既に外嵌めになっていましたから、その部分は書いてはいけないと考えます。(それが書けるのでしたら、パンタグラフが最初からPS16だったなど、書き込むネタが不必要に増えます。)
御意見のある方は書き込みをお願いいたします。--L25.203.l03.26 2007年9月12日 (水) 12:20 (UTC)

一連の改変での内容について

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山本さんが手を加えて下さっていますが、検証可能性などで問題があると思われる項目もありますので、気づいた点を指摘します。
加古川線の3550番台の種車の選択について、「車齢の新しいクモハが少なかった」とされていますが、これは「貫通形の運転台を設置するため、中間車からの改造の方が工程が楽だった(骨組を変更する必要がない)」という点も考えられます。また、雑誌などでは「N40工事が終了していたので、既存のN40工事車を改造した」という表現も見受けられます。「3500番台の方法が非効率」という表現は避けるべきと感じています。
なお、その他にも事実誤認の内容が散見されます。少しずつ直していきます。--L25.203.l03.26 2007年11月11日 (日) 14:26 (UTC)

それから、「○○番台」というタイトルを「△△線投入」変更したものの、本文の冒頭が「△△線に~グループである」と車両を紹介する文章になっています。全体として「車両を紹介するのか」・「△△線への進出を紹介するのか」 、文章の内容も考察(必要なら改変)した上でタイトルを変更しないと、内容を噛み合わなくなります。全体の改変を急ぐだけでなく、ここの内容の整合性にも充分配慮して下さい。
また、サハ103形3000番台は青梅・五日市線用に改造されたのに、タイトルが「川越線投入」とされて紹介されていますから、間違った内容に改変しています。このような例が増えるようでしたら、全面的にリバートせざるを得なくなりますので、充分な配慮の上、改変して下さい。(真剣に全面リバートを検討してます。)
それと、クハ103-194が黄色になった云々というような話は、103系で出すとキリがありませんので、追って削除します。ですので、クハ103-188をクハ103-180と誤記されているのも直しませんので、念のため。--L25.203.l03.26 2007年11月11日 (日) 14:45 (UTC)

ご指摘ありがとうございます。確かに、文章的におかしいですね。以後気をつけます。今日はもう時間が無いので最低限の修正しか行いませんでしたが、なるべく早く3000番台等の編集にもかかれるようにしたいと思います。ただ、週があけてしまうのと、川越線の事をよく知らないのとで、明日・明後日というわけにはいかないと思います。
ところで、自分の中でサハ103形3000番台の青梅・五日市線投入は「『まあ余ったからとりあえず』という副次的なもの」という認識だったのですが、間違いでしょうか? --山本輝雄 2007年11月11日 (日) 18:08 (UTC)
根本的な事で申し訳ないんですが
  • 川越線の事をよく知らない
それなのに、なんで、川越線関係の記事を手直しできるんですか?
ずっと以前もどこかに書いたと思うのですが、とりあえず間違っていても書いちゃえ、間違っていたら誰かが正しくしてくれるや・・・という感覚では編集して頂きたくは無いのですけど。
精力的に動かれてるのはわかりますし、それはすごいことだなぁと思いますが、間違いを見つけれなければずっと残ったままなので、できれば先に紙に書き出すなりして、まとめてからこちらの本文を書き直してもらえればと思います。ウィキペディア本文はメモ帳ではありませんので、ここに書くときにはきちんと内容をまとめてから行えば間違いを減らす事ができると思いますよ。どうも見ていると本文の「編集」でそのまま手直ししてアップしてるように見えるので。
いずれにしても、テキストエディタの使用が推奨されてるかと思いますが、いったん外に出して、そこで編集して、中身をチェックして、それをアップロードする形を取れば、頭を冷やす期間(こうかな?と思っても時間が経てば間違いに気づく)もできて結構効果的ですよ。--永尾信幸 2007年11月11日 (日) 23:27 (UTC)

Wikipediaを編集するには、103系に限らず、それ相応の見聞知識や資料が必要だと思います。

  • サハ103形3000番台の青梅・五日市線投入は「『まあ余ったからとりあえず』という副次的なもの」という認識

このような認識に基づいた書き込みで検証可能性を満たせますか?。また、前から気になっているのですが、山本さんがCS40を40段とした書き込みをなさった際に利用した資料を教えていただけますか? --L25.203.l03.26 2007年11月12日 (月) 04:19 (UTC)

今、確認しましたが、3000番台に関しては、山本さんが手を加える前から「川越線向け改造車」とされ、不正確な状態だったようですね。それが「投入」という時期を限定するような書き方になったので、かなり問題のある書き方となってしまったようです。この項目については、サハを分離するかどうか、あるいは、タイトルを変更するかどうか、決める必要があると思います。それから、「加古川線への投入」というタイトルの後に、「(3550番台改造車)」などと書き添えた方が良いのではないかと考えています。--L25.203.l03.26 2007年11月12日 (月) 14:51 (UTC)

引き続き失礼します。かねてより、国鉄113系電車において、クハ111-2333の記述が誤りであることがきになっていたのですが、このログを見ますと、正しく書かれていたものを、山本さんが不適切な記述に書き換えていることが確認できます。この書き換えの際、クハ111-2333関する内容の書き換えについて、どのような根拠と、どのような意図で行ったのか、説明して下さい。あなたの編集姿勢が問われています。--L25.203.l03.26 2007年11月13日 (火) 01:25 (UTC)

とりあえず3000番台を段落名を「3000番台」に戻した上で整理しました。ただし、結局サハ103形の扱いをどうしたらよいのかわからなかったため、内容自体は整理前と大きく変えていません。また、塗装開設の位置を移し、ご指摘を受けてその他の部分に番台名のカッコ書きをしてみました。
ミスが多い事は申し訳ないと思います。クハ111-2333は2200番台の一員かと思っていましたが、違うのですね。あのあたりの誤記は、全てこの勘違いが原因です。また、CS40についてはどこかのサイトにそのような記述があったのを短絡的に移しただけです(昔の事でどこだったかは詳しく覚えていません)。これからは、知らない事柄に手を出す時はもう少し慎重に調べた上で編集にかかりたいと思います。--山本輝雄 2007年11月17日 (土) 14:20 (UTC)
御返答ありがとうございます。JRRの電車編成表を見れば一目瞭然の事柄などを間違えているようでは困ります。それなりの知識と資料に基づいて書き込みをしている人には不愉快に感じられますから、周到に調査や資料集めを行なった上で加筆するようにして下さい。そうでなければ「アラシ」と見なされますよ。さて、今回の改変のポイントの一つに、JR化以後の改番を伴う改造を各社の項目に分けたことがあると思いますが、JR西日本については、延命工事、改番を伴う改造工事、広島や岡山への進出などが続けて書かれており、内容が掴みにくいように感じます。これらはテーマ別に分けた方が、判りやすいように思います。例えば「延命工事」・「その他の工事(冷房改造・戸袋窓閉鎖・羽衣線ワンマン化など)」・「(改番を伴う)改造工事」・「JR化後に103系が進出した線区」というように項目を分け、例えば3550台だと「改造工事」と「JR化後に103系が進出した線区(加古川線)」とに重複しますが、車両の形態については前者で、線区の状況については後者で書くようにすれば良いかと思いますが、いかがでしょうか。(他社については、追って提案します。) --L25.203.l03.26 2007年11月17日 (土) 14:54 (UTC)
  • これからは、知らない事柄に手を出す時はもう少し慎重に調べた上で編集にかかりたい
じゃなくって、ウィキペディアって百科事典なんだから知ってること・わかってる事を書いて下さい。
知らない事を知ってる振りしてわざわざ書く必要はありません。
そのような行為のおかげで他の人が迷惑してるわけですから。
知らない事を書くなとは言いません。
知らない事を調べて書くには、当然慎重さが求められるわけで、それは複数の文献のチェックであるとか、最低限きちんと検証可能性を満たすようにしてください。
既に15ヶ月も前に、あなたの会話ページでこのような指摘を受けていながら、全く無視していたという事じゃないですか?
10 国鉄115系電車について
浅薄な知識でデタラメを書かないように!クモハ114形に新製車はありませんし、クモハ115形には新製車と改造車の両方があります。また、115系と113系は同時開発であり、親子ではなく兄弟です。あと、新製形式と改造形式は明確に区分すべきではないでしょうか? --Kone 2006年7月11日 (火) 14:03 (UTC)
国鉄103系電車においても、根拠不明瞭な記述が多いのが気になります。いったん本文に記載された内容を検証~削除するのにどれほどの手間がかかるとお思いでしょう。本来Wikipedia:検証可能性にもありますように、根拠は「加筆者」が明確にすべきものです。勝手な思いこみのために数多くの方がムダな時間を費やしている可能性がある点を認識下さい。また、書き込む前には「自分が書き込みをする内容が、どこかで発表されているかどうか」を十分確認して頂きたいと思います。苦言になりましたがよろしく御願いします。--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 15:57 (UTC)
これだけ多くの編集をしてきたあなたが
  • CS40についてはどこかのサイトにそのような記述があったのを短絡的に移しただけ
という返答が来るとは思っても見ませんでした。
裏返せば、今まで編集してきた大量の加筆や修正の中にも、このような検証可能性を満たさないものが多数含まれている可能性があるということですね?
このノートの上に書いてある「冷房準備車」でも「自分はそう思っていた」程度の認識で加筆修正されていましたよね。
要は、そういうでたらめな書き込みを誰が検証して誰が正しい記述に直してくれるのですか?ということです。
どれだけ他の人に迷惑をかけているか認識されていないようですね。
実社会でこのような無責任なことをしたら、あなたは回りの人々から軽蔑の目で見られる事でしょう。
「恥ずかしくて外に出られない」そんな状態ですが、幸いウィキペディアはネット上の世界ですから、ここでこういう指摘を受けても、自分自身には何の制裁もなく普通にしていられるでしょうが、あなたの置かれてる立場は実社会では非常に恥ずかしい事だということは良く認識しておいてくださいね。
  • ミスが多い事は申し訳ないと思います
申し訳ないと思うなら、今まで自分が修正してきた内容が検証可能性を満たしているか全部確認して下さい。
えぇ、大変なことですよ。
でも、その大変なことを、あなたは他の人にやらせてるわけです。
間違いは誰にでもありますし、それを責めているわけじゃなく、あなた自身の編集に対しての姿勢の問題です。
この問題はあなただけの話ではないですが、これだけの編集をしてるのに、この程度の認識だったのかと、ちょっといきどおりを覚えましたので苦言書かせてもらいました。
これからは、是非とも検証可能性を満たすように、それこそ書かれてるように慎重に下調べをしてから加筆修正するようにして下さい。
それができないなら、参加は遠慮して頂きたいなと思います。--永尾信幸 2007年11月17日 (土) 17:26 (UTC)

なんか見ていて山本さんの編集は一部に適切な加筆がある反面、基礎的な知識の欠如に起因する誤記が目立ちます。加筆に関しては、間違いの無い資料に基づいた内容だけにし、あなたが「こうだろう」と考えている部分の書き込みは一切やめて、あとは文章の並び替えに徹していただけませんか。今回も「正しかった部分」を「間違った内容」に書き換えているところがあります。元々、間違っていた内容を私が正しく直したのに、そこを再度、山本さんが間違った内容に書き換えていますので、非常に立腹しています。

  • サハ103形3000番台が組み込まれた3→4連のクハは、0番台は殆んど組み込まれず、概ね500番台か900番台でした。この編成のクハが0番台だったと記載されていた資料を教えて下さい。それに、文章量を抑制するためにも、ここは編成は書かなくても良いと思います。
  • クハ79形600番台の運転台直後の戸袋部の窓は、元々存在しません。クハ103形ATC車と同様の設計で、そこにさらに保護板が設置されていたのです。改変前の文章が「最前部の戸袋部は窓が無く」だったのに、山本さんが「運転台直後の戸袋部の窓に保護板が設置され」と戸袋窓があったという文章に改変しています。この間違った文章を書く(正しく書かれていた内容を間違った内容に書き換える)のに使用した資料を教えて下さい。
  • 3000番台の置換えについて、「205系等の新車と交代」とありますが、3000番台を置き換えた車両の中で「新車」だったのは、209系3100番台のモハ2両だけです。他、輸送力増強用4両を含め、26両は転入車です。また、先の2両の「新車」も、りんかい線車両の編成替と埼京線の運用増に関わる所要数を満たすための増備車で、本来の目的は3000番台の置換えではありません。そのような状況において「新車」という言葉をお使いになった理由を教えて下さい。

通常の場合、ほんの2~3文字を直すにも、多くの資料に基づいた情報と、多くのエネルギーを費やしています。山本さんの場合、改変を急ぐだけで、裏付け的な部分が非常に希薄に感じられます。--L25.203.l03.26 2007年11月18日 (日) 01:52 (UTC)

戸袋窓の件ですが、[1]などで「埋められた」という表現を目にしたため、それに倣いました。想像で書いたわけではありません。あの形状で製造時から無いとは・・・

青梅線編成ですが、あれは元々あった編成表をコピベして、3と2を入れ替えたり、300を消したりしていた関係で、追加し忘れたものです。ついでに、矢印の隣の方向が抜けていたり、は→歯だったり、リンクが不成立だったりもしていますね。確認したつもりなのですが、甘かったようです。とりあえず、純粋に直しておきます。

新車」は「あの路線にとって」の意味です。あの車両群が改造車主体だった事は、205系の方の編集経験もあるので理解しています。一応、直接205系3000番台に飛べるようにしてはいますが、不親切でしょうか? --山本輝雄 2007年11月18日 (日) 10:26 (UTC)

900番台の事は900番台の解説ですればよいと思い「500番台」とのみ記しています。--山本輝雄 2007年11月18日 (日) 10:39 (UTC)

山手線を20年近く走った車両を「新車」と言う感覚が私には理解できませんが、「あの路線にとって」で良ければ、播但線の3500番台も、加古川線の3550番台も、みんな「新車」ということですね。つまり、103系には「新車」がいっぱい存在するということです。素晴らしい。あと、検証可能性は遵守願います。どこかのサイトの内容の引用で書くのは止めて下さい。L25.203.l03.26 2007年11月18日 (日) 14:50 (UTC)
205系の話で恐縮ですが、サハ204の連結位置を「10号車」という明確な表現から、「10両目」という曖昧な表現に変えた理由は何ですか。やはり貴方の編集方針には問題があると言わざるを得ません。--L25.203.l03.26 2007年11月19日 (月) 02:27 (UTC)

「新車」の概念、節「腐食対策」の作成

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久しぶりにやってきていきなり喧嘩売るようですが、自分は播但線の3500番台も、加古川線の3550番台も、みんな新車と考えています。素晴らしいかどうかは普段利用している路線ではないので分かりませんが、気動車からの転換用に特別な改造を受けた専用車として投入されたものですからね。もっとも、どこまでが新車でどこからが新車でないなんて明確に線引きしてるわけではないので、「じゃあ東日本の方の3500番台はどうなんだ」とか言われたら困ってしまいますが。

205系の話ですが、「~方から」などを付け加えるか、「10号車に挿入」とすべきでしたね。といっても、別にわざと曖昧な表現に変えたわけではありません。というか、指摘を受けるまでそれほど曖昧だという意識がありませんでした。私が鉄道系の編集者の中で異質なのは自分でも理解していますが、だからといって一言一句に自分ルールを作っているわけではありません。

ところで、戸袋窓閉鎖や前面の金属枠化などを「腐食対策」などとして一まとめにしてしまおうかと考えています・・・いつ編集に参加できるかの見通しすら立っていないので、具体的にいつかは分かりませんが。--山本輝雄 2007年12月4日 (火) 15:03 (UTC)

  • 久しぶりにやってきていきなり喧嘩売るようですが
自分の置かれている立場を理解できていないようですね。
あなたの検証可能性を満たさない自分勝手な思いこみの改変で、多くの人が迷惑してるのです。
  • 自分は播但線の3500番台も、加古川線の3550番台も、みんな新車と考えています
なら、ウィキペディアの編集は止めて下さい。アラシ以外の何者でもありません。
どこに新車という記述がありますか? 全く検証可能性を満たしていないじゃないですか?
何度も言いますがウィキペディアは己の考えを披露する場所じゃないんですよ。
そういう妄想が書きたいのならご自分でHPを開設して、そちらで思う存分やりなさい。--永尾信幸 2007年12月4日 (火) 15:08 (UTC)
まだパソコンつけていたので・・・
あれだけの編集をしておいて3500番台や3550番台が電化時に製造されたなんて思い込んでいるわけないじゃないですか。もう2回書いていますが、専用に用意され、在来車を一新した車両だからそのような表現を使っただけです。もっとも、鉄道界でそのような表現がなされない(あなたがそんな調子で書くのなら、きっとそうなのでしょう)ならば、今後は使用を控える事にしますが。--山本輝雄 2007年12月4日 (火) 15:33 (UTC)
問題点がまるで理解できていないようですね。
  • 専用に用意され、在来車を一新した車両だからそのような表現を使った
じゃぁ、福塩線に入った70系は新車ですか? 関西線電化時に入った101系や113系も新車? 仙石線の205系も新車なんですね。
鉄道界でそのような表現がなされるかどうか以前に、常識で考えたらわかると思うんですけどね。
素人にもわかりやすくと言ってるわりに、素人を混乱させるような表現じゃないの?
普通の感覚ではよそから持ってきたモノがいくらキレイに磨かれていても「お古」という表現が使われます。
新車は新品と言う意味です。
新品と言うのは製造直後の状態をさし、決してお古ではありません。
山本さんの感覚だと、自宅にある自家用車の代わりに中古車屋から中古車を購入しても「新車」なんですかねぇ。(自分の家用に専用に用意され、自分の家の車を一新した車両・・・を山本さんは新車と呼ぶんですよね)
検証可能性がどうのとか言う以前に、もう少し言葉の意味を理解してから文を書くようにして頂きたいですね。
「新車並みに改造され」や「新車と見間違うほど」などの表現はよく見掛けますが、どちらも「新車みたいだけど新車じゃないよ」と書いてあるわけですから、こんな表現に惑わされていたらちょっと困りますけどね。
いずれにしても、新車でもないのに新車だと言うような嘘は書かないようにお願いしますね。--永尾信幸 2007年12月4日 (火) 16:04 (UTC)
>素人を混乱させるような表現
それは私の望むところではありません。そこで辞書を調べてみましたら、「新」には「新たに」という意味があるものの、「新車」となると「新造された車両」という意味しか無い事が分かりました。今まで誤用していたようです。すみませんでした。--山本輝雄 2007年12月5日 (水) 14:12 (UTC)
  • 今まで誤用していた
そういうことです。というより、誤用のレベルが低すぎます。
何らかの制約で車両の座席の一部が欠けた車両を見て「あの車両の座席は欠席している」と説明していたようなもんです。(こんな使い方する人はいないはずですが、これと同じインパクトが山本さんの新車にはあった)
熟語の多くは、構成される漢字の意味に関連している事は間違いない事でしょうが、何度も指摘させてもらってるようにウィキペディアに記載するには検証可能性を満たさなければなりません。
検証可能性を満たすには、自分が今まさに書こうとしている内容が、何らかの文献に掲載されている必要があります。
2000近い編集をしていながら、今更そんな話をしなければならないのは残念ですが、山本さんの編集姿勢を問う声が多いのも、山本さん自身の思いこみによる編集が多いからです。(今回は、勝手に新車の意味を自分で作っていた)
「○○だと思っていた」という曖昧な時点で編集するのは止めて下さい。
その「○○だと思う」というのを書籍などで確認して、掲載されていたら編集するようにして下さい。
今まで山本さんがウィキペディアでばらまいてきた嘘は、多くの方によって正しい表現に戻されていますが、この編集の原点を理解できていなければ、これからも今まで同様に山本さんは嘘をばらまき、他のウィキペディアンにとって迷惑な存在になるわけです。
今まで何度か指摘されてきたように、編集を焦る必要などみじんもありません。
きっちりと裏付けをとってから編集するようにして下さい。
単に「私はこう思っていた」だけで文字にするのは止めて下さいね。
その辺さえきっちりとしていたら、多くの方から歓迎される存在になると思うんですけどね。
もちろん編集内容にもよりますけどね。
ここで書いた事は編集以前にウィキペディアに参加する資格があるかどうかというレベルの話なので軽く考えて欲しくないと思います。--永尾信幸 2007年12月5日 (水) 14:59 (UTC)

言葉遣いについてももっと慎重にならなければなりませんね。気をつけてゆきたいです。ところで、編集に関連してクモハ103-2500番台の画像を戻させていただきました。別にあの画像に愛着があったりするわけではないので、もっと良い物がありましたら差し替えてください。

今後もしばらくの間活動時間が定まりそうになく、返事をいつ書けるか分からないので、特に問題が無ければコメントしていただかなくても構いません。--山本輝雄 2007年12月13日 (木) 09:04 (UTC)

すいません、それ何年ですか? 百科事典にふさわしい記述ですか?
知らないことは書くな!迷惑だ!
今まで言われてきたことを反省していますか? このままだと、やはりあなたにはウィキペディアの編集は無理かもしれませんね。
2500番台は、もっと良いのがと言うことで5000番台をアップしました。113系の画像でもそうですが、なぜ画像を差し替えられるのか、まずそこを良く考えてみて下さいね。
相変わらず指摘されてる事を理解できずに同じ過ちを繰り返す姿を見て、ちょっとがっかりですが。--永尾信幸 2007年12月13日 (木) 10:14 (UTC)
情報 上記投稿冒頭にある「19XX年より」は、山本輝雄さんが主ページの2007年12月13日 08:49:42 (UTC)の版で再編した節「#JR西日本」の「#腐食対策」に追加した「19XX年より、腐食防止のために側扉および貫通扉が鋼鉄製からステンレス製に交換された。」「19XX年より、窓を支持するHゴムの保護と運転台への風雨浸入防止のため、先頭車の前面ガラス・運行番号表示器・行先表示器の縁部分が金属板で覆われた。差分/16695984との記述を引用している。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)

関西地区所属車において、側扉の交換は延命工事が開始される以前から行われている一方、貫通扉の交換は延命N工事や延命NA工事などの際に行われているのものですので、同一の項目で記述するのは無理があります。本質を理解してから書いていただきたいと思います(修正は、もう少ししてから行います)。なお、国鉄末期のリニューアル車6両は特例的な存在で、201系や205系などに見られるステンレス地そのままの貫通扉となっています。
側扉のステンレス化の交換開始時期ですが、首都圏の103系については1978年度末からです(101系はそれ以前から)。残念ながら関西地区の車両については明確なデータはありませんが、1979年の夏には側扉がステンレス製のものに交換された車両がいることは確認してます。で、1979年って28年も前の話(交換開始はそれ以前)なんですが、何か参考になるような資料に基づいてお書きになったんでしょうか。関西地区にステンレス扉に交換した車両が登場したような雑誌記事は自分では見たことが無く、有ると大変助かるのですが。--L25.203.l03.26 2007年12月13日 (木) 12:26 (UTC)

過去ログ化について

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当ノートページの過去ログ化は2016-12-18に実施されました(差分/62333165差分/62333161)。--Yumoriy会話

先ごろ「一連の改変での内容について」以外を全て過去ログ化という行為が行われましたが、一旦差し戻しとなりました。しかし、多くの項目を立ち上げた私としても、全体の項目数が多くなっているので(すみません)、議論が終了したものは過去ログに移動する一方、たとえ議論が膠着状態であっても必要な項目は残すべきと考えます。そこで27個ある項目について、過去ログに移すか残すかを提案いたしますので御議論のたたき台として下さい。特に異論が出なかったものについては2週間後程度を目途に過去ログ化したいと思います。

  • _1 1200番台を戻しませんか? - 議論が止まっているが、引き続き検討のため残す
  • _2 冒頭文について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _3 ラインカラーの件 - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _4 USJラッピング車の画像について - 過去ログに移すが、今後も同じ問題が問われる可能性があるので、要点を別途残す
  • _5 「関連項目」要りませんよね? - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _6 各項目の記述について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _7 1200番台について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _8 成立までの誤解について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • _9 形式の紹介順序等の疑問点などなど - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 10 1200番台の記述を戻しませんか? - 「1」に絡んでいるため残す
  • 11 弱め界磁35% - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 12 冷房準備工事車について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 13 各項目を整理しましょう。 - 改めて整理しており不要と思われるので過去ログに移す
  • 14 私鉄の103系 - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 15 概要・基本性能 - まだ作業途中の部分があるので残す
  • 16 百科事典に編成番号や番号対照表が必要か? - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 17 JR西日本の103系3500番台のトイレ増設について - 1年経過しているので過去ログに移す
  • 18 基本性能:再開閉スイッチ - ほぼ1年経過しているので過去ログに移す
  • 19 保護解除依頼にあたって - ほぼ1年経過しているので過去ログに移す
  • 20 最終7ユニットについて - 最近のものだが議論は終わっているので過去ログに移す
  • 21 切迫した電力供給事情の所で疑問に思う所が有るのですが - 最近のものなので残す
  • 22 尾燈上の足掛けのズレと前面強化について - 過去ログに移す
  • 23 仮称105系について - 最近のものなので残す
  • 24 JR分社後の状況と改番を伴わない改造の項目内の、JR西日本窓閉塞について - 過去ログに移す
  • 25 WAU102は「分散式」か「集約分散式」かなど - 過去ログに移す
  • 26 101系からの変更点 - 過去ログに移す
  • 27 一連の改変での内容について - 改変自体が途上なので残す
  • 28 過去ログ化について - 併せて過去ログに移す

残すのが、1、10、15、21、23、27で、要点を別途残すのがラッピング関係、その他は過去ログ化ということです。--L25.203.l03.26 2007年12月12日 (水) 13:43 (UTC)

先に菊地 英仁さんからも整理する時期ではという編集がありましたが、私自身過去ログ化に対しては賛成するところです。しかし先の編集はあまりにも機械的な感じを受けましたので菊池さんには悪いですが差し戻させて頂きました。
今回、103系の記事を編集し、またノートにも良く書いて頂いているL25.203.l03.26さんから整理の提案が出ましたが、過去ログ化する内容についてはほぼ異論はありません。
細かい点で残して欲しいのがあるかもしれませんので、もう少しじっくりと読み直してみます。--永尾信幸 2007年12月13日 (木) 14:49 (UTC)
二週間と書いてから一年半が過ぎていますね(汗)。一番重要であると思われた1200番台の復帰もしていただけましたし(Kuha455405さん、ありがとうございました)、現在ある内容を全て過去ログとしても大丈夫なように思います。残しておいた方が良いと思われる項目がありましたら、お知らせ下さい。よろしくお願いいたします。--L25.203.l03.26 2009年7月27日 (月) 11:44 (UTC)
情報 当セクションでの議論ののち実際の過去ログ化(サブページ「ノート:国鉄103系電車/過去ログ1」への転記は、上記投稿から7年後の2016年(平成28年)12月18日に実施されました差分/62333165差分/62333161。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)

「製造」と「製作」について

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現在、他の記事で標題の件が取り上げられているようですが、本記事において「製作」という言葉は試作冷房車の部分でのみ使用されています。ここでの使われ方ですが、「日立製作所」という固有名詞、および「新設計または再設計のクーラー」の製造に関して用いられており、「製作」という言い回しが妥当なものと考えますので、そのまま使用を継続します。--L25.203.l03.26 2007年12月13日 (木) 01:37 (UTC)

情報 上記投稿で言及されている議論は、「ノート:国鉄ED79形電気機関車」で前日の2007年(平成19年)12月12日に開始された議論《#製作→製造への差し換えについて》だと思われます。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)

主電動機節について

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何か違和感があると思ったら、今箇条書きになっていてMT55がMT比1:1でなければ使えないような感じになってる事から、先の斎藤氏の記事のような部分が追記されたのでは無いかと思います。で、差分を調べると[2]ここで書き換えられたようです。元々、そういう線区を想定したが、それ以外の条件では使えない電動機では無いのですが、現在の状況では例えばMT比が3:2になったら元々の設計思想を外れてると言うような感じになってる気がします。もちろん1:1での使用は前提ではあるのですが、1:1でなければならない等とはどんな書籍を見ても書いて無いんですよね。あ、その斎藤氏の記事くらいでしょうか書いてあるとすれば。曽根さんも書いていたかな。8両編成(MT比1:1)が最適なのに云々と。なんというか、当時は101系を8両で使うなら6M2Tにしなければならないから103系では4M4Tにできるメリットが前面にありました。ですので、適してるという点は間違いありませんが、6M4Tになると途端にメリットが無くなると考えるのは如何なものかと思います。

MT55は低電流で高い加速度を得れる電動機なのですが、これは当時の首都圏の電力事情によって仕様が決められたモノで、それは別に4両編成でも6両編成でも編成両数に関わらず個別の長所として持っているものです。今の元になった文章が、101系の6M2Tから移行する点を強調していたために、現在の箇条書きにつながってる事から、もうすこし記述の見直しを考えてみます。--永尾信幸 2010年2月8日 (月) 07:31 (UTC)

情報 上記投稿中に「先の斎藤氏の記事のような部分」とあるのは、齋藤雅男氏に取材した「鉄道ファン訪問 —みたり きいたり はなしたり— : 斎藤雅男氏」(『鉄道ファン』1969年6月号〈第96号〉[3])を指すものと思われます。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)

参考文献について

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記事を書くために参考に使った文献を書くための欄が参考文献欄なのですが、参考文献を書くだけ書いて本文の加筆が一切行われていない状態になっています。本文記述の出典として必要なものは脚注として組み込むなりしてください。参考文献欄は資料を列挙するための欄ではありません。2010年2月10日 (水) 13:13 (UTC)時点から1週間程度時間をおいた後、加筆に使用された痕跡のないもの、若しくは脚注形式で本文に組み込まれていないものは整理させていただきす。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月10日 (水) 13:13 (UTC)

情報 参考。当セクションでの議論当時のウィキペディア日本語版のガイドラインWikipedia:出典を明記する〉は2010年2月7日 08:58:32 (UTC)の版でした(最新の版との差違は〈差分:Wikipedia:出典を明記する〉)。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)
あのぉ、私は既に多くの編集を103系の記事について行っております。先にあなたによって、出典があるのにそれが明確で無いがために、強引とも思える差し戻しを受けた事もあり、このような自治厨的な性急な編集が行われる事を防止するという面もあり、過去に私が参考とした文献を羅列してるわけです。あなたは103系の記事に対して編集を行った事が無いようなのですが、いったいどういう感覚で絡んでくるのでしょうか? まず自治厨でも良いのですが、その記事を発展させるという行動を起こして下さい。
あなたの行動を見てると、ご自身が納得したいが為の編集に見えてきますがウィキペディアはあなたの理想を満足させるためのものではありません。そのあたりを、今一度見つめ直して見てはいかがでしょう?
また、先にもあなたのノートで指摘させて頂きましたがテンプレートをいきなり貼るというような嫌み的な行動を起こすのではなく、どういう意図でやってるのかとか、先に聞くべきでしょう。なんでもルールにのっとって自分が正しい行動を取ってると言う風には思わないことです。
何度も書かせてもらってますがウィキペディアは共同作業であるという点を良く認識して、十分に反省されることをおすすめします。
なんていうか、出典がなければ出典を明記しろと言う、そして、自分が扱いきれないほどの出典を出されてきたら、こんどは自分が扱える量程度に減らそうとする。なんかそういう風にしか見えないんですよ。もっと、103系の記事を伸ばそうとする意図があるのであれば自分がきっちりと資料を調べるという行動に出るなど検証・精査という本来、要出典と堂々と言えるだけの知識を身につける努力をしてください。おぉ、これを読めば知識が広がるのかと、逆に喜んでもらわなければならないと思うんだけどなぁ。せっかく私が今まで参考にした記事を紹介してるんだから。
なんか、今のあなたは、単に「僕、これ知らないから要出典貼っちゃうぞ」と言う、教えて&クレクレ君です。
それにしても
  • 加筆に使用された痕跡のないもの
の判断があなたにつくんですねぇ。神様ですかあなたは(笑) --永尾信幸 2010年2月10日 (水) 19:30 (UTC)
そうそう、普通、何か検証精査する場合、一つの文献に記載があるからと言って、それを鵜呑みになどしないですよね? 他の文献に同様な事が書かれていないか、他の記事に関連する項目が無いか、そういう外堀を埋めるような非常に手間暇な作業を続けていくわけです。自ずと参考となる文献は増えていくわけですね。百科事典の編集なら多くの文献を当たるってのは当然の作業ですね。しかも、参考文献とは言え、見ての通り今加筆してる部分は、記事名の羅列です。おわかりですか? 鉄道ファン各号などという記載のしかたではなく、タイトルからある程度の内容がわかるようになっています。本来、参考文献だけではわかりにくいと言うのは、本のタイトルだけ書かれていても、何につかったかわかりにくいという部分から、できるだけ本文とリンクさせろと言う事でしょう。しかし、まぁ、103系の記事を精力的に編集していた私に対して、編集のやる気を無くすような事をよくもぬけぬけと書けるもんだなぁと・・・・こういう人が減らないから編集合戦も減らないんでしょうねぇ。ルールを盾に取った保安官気取りなんでしょうが、ちょっとは記事を発展させるために何か調べたりしてみたらどうです?
それに、そこまで言うなら、他にも指摘できる記事は山のようにあるんだから、他の記事も指摘しまくれば?(笑)
なんかねぇ、ネットで顔が見えないからだと思うんだけどさ、ちょっとネット環境(この場合はウィキペディア環境)に慣れたからと言って、自分が偉くなったと勘違いする人がねぇ多くて。そういう人がいろいろと問題起こすわけなんだけど、言ってる事が正しかったり良く話し合えば賛同できるような事でも、感情的な行動に出る(先の出典を良く調べもしないで差し戻したり、今回のような内容をよく聞きもしないうちにテンプレートを貼ったり)と、それだけで相手に対して心証を悪くします。それだけ自分が損をしてるってのがわかってないようですが、あなたのように他人のアラを探して指摘だけしてる自治厨とは違い、記事を発展させようとしてる人の邪魔はしないで欲しいんですよね。あなたがそれだけきっちりと記事を調べる努力をしていたら別ですが、先の斎藤氏の記事すら見てないみたいですしねぇ(見てたら101系6M4Tを中央線と思ったなどと言うわけがない)要はあなたは口だけで行動を伴っていない、それなのに他人には指摘するというような行動をとってる風にしか見えないのです。(差し戻しまでの5分程度の時間で過去の出典を調べたと言い切れる怖さ!ホントは何も見てないでしょ? 自分の思い込みだけで差し戻してるのバレバレやん。普通一つの記事を読み直すだけで10分15分かかるんだが・・・)
こういう自治厨も中には必要でしょうが記事破壊につながる事やその記事を発展させるために活動してるウィキペディアンのやる気をそぐ行動などは逆にウィキペディアに損失を与えてる点をきっちりと認識して行うようにしてください。
ほんと、今のままだと「こいつ、何もしないのに、何突っかかってきてるねん、発言したいんやったら、ちゃんと編集の一つでもしてからにしろ」「その記事の事をよく知らないくせに、要出典まがいの事をやって、自分の知識不足を要出典で満たそうとするなよ」「てか、あんた、何様」くらいにしか思えないです。
  • 参考文献を書くだけ書いて本文の加筆が一切行われていない状態
しかし、私がこの記事を過去に編集していたという事実すら検証せずに書き込んでるんですかねぇ。。。相手にもの申すには、相応な調査をしてからにしてくれよなぁ。相手のアラを探せるほどあなたはヒマなのでしょうが、こっちは忙しいんだから、手間取らさないでくれ。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 19:56 (UTC)
なんか、見てたら103系に関連する部分しかこの頃加筆してないようですが、何ですか? 先にあなたのページに「差し戻しが性急だ」というような苦言を言った事を根に持ってるんですか?
斎藤さんの名前を間違えたからと要約欄に「失礼だ」と書いたりしたわりには、自分自身も齋藤か斎藤かの確認をしていなかったり。もし齋藤だったらあれだけ大きな口を叩いたんだから、当然それなりに謝罪とかするつもりではおるんでしょうねぇ? というか、そういう間違いというのはネットで漢字変換して使ってる状態であれば比較的多く発生するわけですよ。それに対していちいち「失礼だ」的に書く必要は無いでしょう。単に「原本には斎藤とあるので修正」とでもすれば良いんです。あの要約見て思いましたね。一言多いなって。また、その時に、こいつ私怨的に絡んでるのかぁとも思いましたけどねぇ。なんか、ストーカー的に私のやってる事を指摘しまくるって気持ち悪いんですよ。
でさ、根に持ってるなら、根に持ってるで良いんだけど、自分は何をしたのかもう一度思い出してみてよ。103系に対して知識も無いのに「これは独自研究だ」という判断を勝手にしてしまい、記事を差し戻したわけです。しかもその出典は参考文献の中にあるのにです。で、そういう話をしたら「斎藤氏が知らないはずはない」みたいな、これも独自研究なのですが、そういう点から差し戻してるような感じを受けたんですね。こっちは資料を多く見ての判断なのに、あなたは例えば「星氏だから知ってるはず」「斎藤氏だから知ってるはず」「島氏だから知ってるはず」という独自研究の上での判断であるように見えるんですよね。「その方々が知っていたのか? 要出典」とでも言いたい気分ですが(笑)
自分は独自研究的な判断で行動を起こしたくせに、他人に何を偉そうにと、まぁそう思われても仕方ないよねぇ。とにかく、私怨的に絡まれると迷惑です。
いえね、今朝だったかテンプレート見て、嫌みだなぁ、ちょっと会話ページで苦言でも言おうかなと思ったけど、大人げないしイイか、と思ってたんですよ。それに、今まで103系の記事を加筆修正してる事をわかってる人なら、これらの参考文献を見て加筆修正した事はバカでもわかってもらえると思ったってのもあるし。手が空いたら、またわかりにくいのは本文とリンクするなりしていけば良いかと言うのも思っていたんですけどね。それがわかってない方一名発見って感じです。
テンプレートの嫌みだけでは満足できずに、こうやってノートにまで書いてきたので、もうこれはきつく言うしか本人わからんのだろうなと言う事で書いてますが・・・これでわかってくれたら良いんですけどねぇ。
自分自身がもっと調べる努力をすればこんな事は絶対に言わないと思うんですが、何もせずに他人のあら探しだけだとウィキペディアにとって邪魔な存在にしかならんですよ。そのご自身の持ってるルール遵守という想いの他に、それを活かした記事作りというのにもチャレンジしてみてください。調べると言う事が簡単じゃないと言う事もきっとわかると思いますが、だからこそ参考にした資料が増えると言う事もわかってもらえると思います。
こういうストーカー的自治厨じゃなく、是非とも記事を発展させるために活動する事を願っています。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 20:14 (UTC)
検証可能性的には「自主公表された情報源」として私のサイトを使えるので、そっちに書いて引用しても良いんだけどねぇ。手前味噌になるからイヤなのよ。だから、できるだけ他の方も確認できるように出典などを出したりしてるんだけど、あまりにこういうつきまといが増えるようだと、そういう自衛策も考えなきゃならんなぁ。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 21:16 (UTC)

何か勘違いされていませんか? だれも削除とはいっていないのですが、あくまでも整理です。ソートしたり欄を変えたり、それぐらいの整理しかする予定はありませんが。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月10日 (水) 22:13 (UTC)

面白い事言いますね。詭弁というか。で、あなたにその整理とやらが出来るだけの103系に対しての基礎知識がおありなのか? 私も「削除は困る」なんて書いてないとでも返しますよ(笑)
いえねぇ、 1月26日にも「姫路市企業局交通事業部」で、(rv. 本文の加筆に使われた形跡がない文献を除去)なんて要約入れてるのよね。そういう行動も取る方とも言えますよね?
先にあなたのノートでも書きましたが、勇み足ってのはウィキペディアでは多く見られるわけですよ。これ出典無いぞと思っていても、ちゃんと出典があったり。それは人間がやることだから仕方ない部分もあるけど、そういう状況になったら、ちゃんと自分自身反省して、その編集で被害を受けた方に対してフォローする必要があるのでは? 要はちゃんと挨拶ができるかどうかという人としての基礎知識まで問われてるわけなんですよ。
そういう礼の部分が比較的ちゃんとしていれば、保安官的に加筆修正する事もイイでしょうが、そういう事もできず自分の間違いなどはごまかそうとするような方には、そういう保安官的な役割は無理です。トラブルを併発するだけじゃないかな?
この頃、本文に対しての編集をあまりされていないようですが、まずウィキペディアとは百科事典を作り上げるんだというプロジェクトである点をもう一度思い出し、加筆者の立場を思い出してみたらどうでしょうか?
その上で、ルールを適用していくのは良いと思いますが、今のあなたはちょっと法律を知ったから、それを使いたくて仕方ない勉強初心者が陥る慢心に似てるんですよ。例えばその法律でもこういう判例があるから、この場合は使えないよって場合でも「法律ではこうなってるからこうなんだ」と勇み足してしまうようなね。
だいたいさ、先にあなたのノートで「やり方」を書いたと思うんですよ。今回もそうやって整理したいのであれば、どういう整理の仕方が良いのかとか、提示するとか、そういう相談をすべきじゃないの? 本文にいきなりテンプレートは貼る、ノートページに半ば強引なメッセージを残す。それが一緒に記事を作り上げていこうと考えてる人のやることには到底思えませんねぇ。
で、ソートしたり、欄を変えるって、今どこが問題なのよ。当然、問題点が出てるから、テンプレート貼り付けとかしてるんでしょ? 問題も整理出来てないのに、先に貼っちゃったの? 先の記事差し戻しのように「○○だと思った」というような独自研究的な自己中心的考えですよそれじゃ。今、とりあえず発表ごとの時系列にしてるんだけどね。
なにか、ルート78さんを思い出しましたよ。--永尾信幸 2010年2月10日 (水) 23:24 (UTC)
とりあえず、やって欲しいことだけ書いておきます。
  1. 参考文献への追加ですが、出来るだけ本文に脚注の形で組み込めるものは組み込んでください。これがテンプレを貼り付けた理由です。
  2. 資料の重要度にウェイトをつけてソートしてください。欄単位のソートなのですが、国鉄資料を上にした方が良いのでは?
  3. 文献の書き方のなのですが、フォーマットを統一した方が読みやすいのでは? 追記された部分は統一されてますが、既存の部分とは違ったものになっています。
  4. 欄の構成ですが、地下鉄に関する部分だけ文献の分野ではなく、記事の内容にあわせたものになっています。分野か記事構成かどちらかに統一した方が良いのでは? 個人的には記事の内容にあわせて、構造の部分の参考文献はこれ、改造の部分の参考文献はこれ、と記事内容にあわせたものの方が見やすいとは思うのですが。
あと、ぱっと見たときに何の部分に対するものかがわからないものがあります。例えば「大沢健(日本鉄道建設公団計画部調査課) 「運転曲線の作成(1) -パソコンによる-」『電車』1986年1月号、1986年、26-31頁。」なのですが、文献のタイトルだけでは103系と関係あるようには見えません。後ろの部分若しくは1段インデントをつけて、文献の内容について短く説明を入れていただきたいのですが。
とりあえずやって欲しいことはこれらです。103系に詳しい人ならどの文献がどれに対するものかすぐにわかるのでしょうが、わからない人の方が多いでしょう(少なくとも私はわかりません)。資料の内容にいくら価値があったとしても、今の状態では価値を殺しているようにしか見えないのです。
あと、ノートの履歴を見たところストーカーやら自治厨やら書かれていますが、一方的に決めつけるのはどうなんでしょうかね? 当方のノートで共同作業という言葉を出されていましたが、それらの言動で共同作業を拒絶しているようにしか見えないのですが。当方にも似たようなニュアンスのことを言われていましたが、その言葉そのままお返しします(売り言葉に買い言葉になってしまうのでいいたくなかったのですが)。ノートに一言書けと言われたので一言書きましたが、この有様・・・当方はこの記事からは手を引かせてもらいます。どうぞ、自分の思うがままに加筆をしてください。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月11日 (木) 00:42 (UTC)
あのね「やって欲しい事」って、やってもらう以上「お願いします」って言うんだよ。
文献の内容ね、他ので(注:xxx)という書き方をしてるのあるよね。全く配慮してないわけじゃない点はよく見ればわかると思うんだけどね。こういう部分が揚げ足取りに感じるのよ。他でやってて、これが出来ていない場合は、記載忘れとか考えられないのかなぁ? その程度だったら「これも注釈お願いします」とか簡単にノートとか会話ページに書いてくれるだけで良いのよ。やれ整理だとか言われるとね、なんじゃこいつって思うからさぁ。
  • 資料を殺してる
そりゃそうでしょう。自分がその記事に対しての編集意欲が無い方にとっては、全くわからん部分でしょうに。
で編集意欲のある方なら「え、運転曲線?」あ、そうか、性能的な面の記事に反映されてるんだな、とか考えたりもするんじゃないの? ま、その辺も踏まえて内容がわかりにくいのはまた見直して注記入れるけどさ。
ストーカー云々は、些細な名前間違いで余分な小言を書いたり、この参考文献についてもピンポイントで攻撃してるようなのを見たら誰だって感じるわな。まぁ得てしてやってる方は感じないからあなたにはわからんのだろう(笑)
この言葉で拒絶? 当たり前や無いか、そんな事もわからんのかなぁ。まず自分がやった事を反省して出直してこいって感じ。
どうも、書き方見てると反省は表面上だけって感じやね。
なんか謙虚な姿勢が見えないからさ、相手はどんどん怒るよな。そりゃ当然の話ちゃうか? そんな事もわからないのかなぁ・・・加害者は痛みが無いから良いよね。あれこれ指摘されたら逆ギレですか?
共同作業って言葉を出したのは、相手を怒らせるなよって事なの? わかる? あなたの一連の流れから考えても手遅でしょう。
今回ももう少しきちんと会話が帰ってくるかなと思ったけどね。
  • 一言書けと言われたので
あら、意味わかって無かったんだ? 本文に加筆する前に相談をしろと言ってんだよ。テンプレート貼るってのは既に本文で編集してるじゃないの?
  • 当方はこの記事からは手を引かせてもらいます
って、記事の編集してないジャン。もっと貢献してからにしてくれるかなぁ。元々存在してないんだからどこに行こうがどうとも思わないが、編集者の邪魔だけはしないで欲しいと思うな。
それにしても、テンプレそのまま放置なんだね。ほんま自分が悪いことをしたって認識ゼロかよ。--永尾信幸 2010年2月11日 (木) 03:30 (UTC)
さっき2ch見たら本人が何か書いていてちょっと笑えてしまった。完全に反省ゼロですな。もうちょっとマトモかと思ったが、あーいう風に書かれるとね。誰のせいでこうなったのかって罪の意識が無いってのがなおさら怖い。しかし、普通はこうやって他人の迷惑になってしまったらもっと恥ずかしいはずだけどなぁ。自分が間違っても大目に見てね、でも他人の間違いには厳しいよじゃぁねぇ。ま、そういう奴もウィキペディアに生息してると言う事がよくわかったかな(笑) --以上の署名のないコメントは、永尾信幸会話投稿記録)さんが 2010-02-11 09:40:16 (UTC) に投稿したものです。


横レスすみませんが、自分が編集に関わったことが無い、大して知識も持ち合わせていないような記事に関し、「参考文献の書き方が気に入らん。反応が無かったら一週間で整理だ。」などというような態度で乗り込んでこないことですね(これは、どの記事でも同じでしょう)。「手を出さず(編集をせず)、口だけ出す(クレームはつける)」というのは有益な行動とは思えませんから(「お願いする」という態度ではなく、明らかに命令調でしたものね)。まあ、少なくとも編集履歴くらいは見て下さい。--L25.203.l03.26 2010年2月11日 (木) 01:14 (UTC)
L25.203.l03.26さんご忠告ありがとうございます。最初から詳しく、丸く書いておけばよかったと後悔・・・。参考文献に関しては、103系に詳しい永尾信幸さんにお任せします。ただの書籍のリストにならぬように願うばかりです。--Kazusan会話投稿記録 2010年2月11日 (木) 01:55 (UTC)
私も横から失礼。
なかば編集合戦のような状況を呈していたかと思えば、referenceで関連づけることもなく、大量の参考文献の追加がなされる。端から見ていても、ちょっとおかしな状況だと思いますよ。
また、当該記事はすでに200KBに近づいています。このような状況で、再度各節にrefで組み込んでいくのは大変な作業になります。ウィキペディアは備忘録ではないのですから、記事ではなくどこかにまとめておき、順に各節にくみこんでおくのがよろしいのではないでしょうか。老婆心ながら、ご忠告まで。--ikaxer 2010年2月11日 (木) 02:00 (UTC)
ついでのレスですが、この大きくなった記事を「国鉄時代」と「JR発足後」の2つに分割するというのはどうですかね。現在の内容を見ますと、この分け方なら、さほど支障が無いようにも思えます。もちろん、「大きくても1つの記事が良い」という意見が多いようでしたら、わざわざ分割するつもりはありませんが… --L25.203.l03.26 2010年2月11日 (木) 02:36 (UTC)
今回の事の発端は、kazusanさんが、ロクに加筆内容が検証可能性を満たすのかどうかの確認もせずに、わずか数分にて記事を差し戻した事にあります。そして、出典が無ければ云々というような事を言い出したわけですが、差し戻した時点で参考文献に記載のあった鉄道ファンに検証可能性を満たす文がありました。もちろんkazusanさんの疑問に思った点の全てを満足させるものではありませんでしたが、差し戻しという記事破壊という行為を行っているにも関わらず、それが検証され精査されて行われたものではなく、単に自分の感覚的に「こんなの独自研究だから差し戻しじゃ」と言うような感じで行われていたと言う事です。
ですので、こんな自治厨に対抗するには、相応な参考文献を用意しておき、差し戻すにも、まずそういう文献を調べるという動作を行わせるという防衛策をとったわけです。しかも、ウィキペディアでは参考文献や出典を明確にする事は悪いことではありませんので、加筆をすすめてると言う状態です。もちろん、参考文献欄だけでいっぱいになると言うのはありますが、逆に考えて見て下さい。この程度は見ておく必要があるとも言えるわけですよ。それだけ大きな範囲を扱ってる記事だと言う事です。単に本を1冊2冊読んで、そこに書いてあるからと乗り込まれるのが悪いと言う訳じゃないですが、例えば常に検証の繰り返しである歴史などの記事に対して、数が多くなるのはむしろ当然で、常に新しい事実や過去の常識の検証を繰り返していく作業が必要になってきますが、そうなると当然のことながら参考文献も増えるのは当然でしょう。同じ103系が出たときの記事で同じ人が書いていても、電気車の科学と鉄道ピクトリアルでは文体が違っていたりするんですよ? そう考えた時に「参考資料が重複してる」なんて口が裂けても言えません。多くの文献がある事、そしてそれがどういう書籍に記載されていたかを知れるというのは、他の編集者にとってこれほどのサポートは無いと思いますけどね。だって、私は103系に関連する記事があるかどうかわからないような昭和30年代の本を高い金を出してオークションで落としたり、記事があるかどうかもわからないのに交通科学館の図書館で闇雲に本を開いて探したりしてるんですよ。それが最初からこの本にこういう記事があるとわかるわけですからね。
今回の件で、今後もいつ発生するかもしれない自治厨の差し戻しなどの記事破壊などには、出典を明確にしておく事が有効である事がわかりました。まず、出典を調べて差し戻したのかどうかを問えるからです。今回、それをkazusanさんに問うたら明確な回答はなく、まぁ5分で差し戻しという状況から見ても、全くそういう動作を行っていなかった事も明白ではないかと思いますが、こういう結果になった場合に「おまえ、出典があるのに何してくれたんだ」と強く言えると言う事は本人の反省を促せる点でも今後も有効だと考えます。過去にも多くの方が「ロクに記事の内容を知りもしないくせに、自分が知らないからと言って要出典を貼り付ける行為」を見ていて違和感があったわけですが、こういう防衛方法があるのかと今更ながらに今回の件は良い方法だなと、まぁそう言う感じで思ってます。そもそも、自分の専門外の部分に、何を乱入してきてるんだっていつもそういう方には思ってましたから。--永尾信幸 2010年2月11日 (木) 03:05 (UTC)
ずいぶんとヒートアップなさっているようですが、慌てなくても記事は逃げませんので、まずは落ち着いてみてください。
永尾さんがたくさんの資料に目を通され、それを基本に書かれていることはよく存じています。ただ、ここで申し上げたいのは、どの文献がどの記述に関連しているかを明確にしていただきたいということです。
繰り返しますが、200KBにせまろうという大きな記事です。永尾さんの論調ですと、編集に加わりたければ、この文献すべてを読んでからにしろとも取れかねません。
また、あるくだりをめぐって、除去・追加の繰り返しが起きた場合でも、その部分にrefを付けておけば、簡単に除去されることもなくなります。これは永尾さんにとっても有利なことでしょう。詳しくはHelp:脚注をご覧ください。繰り返しますが、あわてなくても結構です。--ikaxer 2010年2月11日 (木) 03:40 (UTC)
情報 上記投稿当時の〈Help:脚注〉は、2010年11月9日 18:35:17 (UTC)の版でした。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)
えぇ、ヒートアップしていますね(笑)出典をリンクしたいという想いはありますが、取り急ぎ今回のように機械的に差し戻すような方が出てくるのを防ぐ目的で大量の参考文献はあげています。今回も私の書き込みからわずか6分後に差し戻しを受けていますが、私が書き込んだのを横で見ていてであればその6分の間で対象になってる記事を見たりして少しは検証もできたでしょうが、実際には6分というのは改変を見つけて、その改変をチェックして、差し戻しの編集をするとして、ほとんど発見と同時に差し戻してるわけです。本人の会話ページでも対象となっている記事を見た形跡が見受けられず、逆に「どうにも103系優位主義的な立場からの記述に見えてしまった」との記述がある事から、独自研究だと偉そうに差し戻してる本人が「彼はきっと103系を擁護して書き込んでるんだ」「間違いに違いない」「斎藤さんが書いてるんだから斎藤さんの書いてる事が正しいはずだ」という独自研究で行動を起こしてるんですよ。
ですので、自治厨と化した場合、こういう怖さがある点をまざまざと見せられた感じがするわけです。
今回、少し大げさに書いていますが、対象は「差し戻し」や「大幅改編」などの編集をする方が対象で、そこまでするなら比較的多くの文献には目を通してるよね。と言いたいわけです。
で、多くの方が完璧に記事を構築できてるわけじゃなく、間違いもあれば勘違いもありますから、そういう場合で自分が知識的に完全じゃなければ、まずノートとか会話ページを活用する「相談」から入って欲しいわけなんですよね。言われて気がつくこともありますし、意味のはき違えがそこで発覚する場合もありましょう。
ま、そういう「ちゃんと考えずに、自分の知識不足を他の人に求め、強硬手段を執る」方に対しての防衛策ですので、普通に編集される方は特にどうこうとは思ってません。
注釈については、本文で表現できている所には出来る限りリンクする予定にしていますが、参考文献の内容を検証するための参考文献もあるので、全部と言うわけにはいかないです。また、kazusanさんが書かれてる重要度とか例えば関連する部分をまとめるなども必要ではないかと思ってます。ただ、今は時系列にしておかないと作業上困りますのでそのままにしてますが・・・一応、L25.203.l03.26さんが提案した分割も視野にいれても良いかなと思ってます。どうせ、refをつけるにしても、ボリュームが増えるのは間違い無いですから。--永尾信幸 2010年2月11日 (木) 06:01 (UTC)
国鉄とJRとで分割するのではなく、参考文献のみ何らかの形で分割することはできないでしょうか。国鉄であれJRであれ同じ103系なのですから、保有する組織の改組で記事が分かれるというのは非常に見づらいような気もします。--都市高502 2010年2月11日 (木) 09:33 (UTC)

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(左に戻します)「国鉄とJR」ですが、「組織の違い」ではなく、「時系列の分割点」と考えていただきたいと思います。また、現在の記事は、塗色関係を除きますと、前半の「国鉄時代の改造」までが「国鉄時代」、後半の「JR分社後の状況と各社ごとの改造」以降が「JR化後」と分けられるような状況になっています。塗色部分も項目で「国鉄」と「JR」に分かれています。ですので、「前半 + 国鉄時代の塗色 = 国鉄時代」、「後半 + JR化後に登場した塗色やラッピング = JR化後」と、内容を改変したり、流れを大きく損なうことなく分割が可能ではないかと考えました。分量的にもバランスは悪くないようです(これからの加筆で多少変わる可能性もありますが)。

以前の「1200番台だけ301系の記事に書かれていた」というのは不便がありましたが、今回の提案は、解りやすく申しまして「JR化時を境に前半・後半への分割」という提案と考えていただければ幸いです。--L25.203.l03.26 2010年2月11日 (木) 11:14 (UTC)

外部リンクについて

[編集]
2010年3月15日に主ページの「#外部リンク」節が除去され、同年4月16日に復帰されました(特別:差分/31035990特別:差分/31616583)。--Yumoriy会話

「個人サイト」という理由で全て削除されてしまいましたが、Wikipedia:外部リンクの選び方(ガイドライン)には、個人サイトを理由にした不掲載のような記述は見当たりません。個別に吟味する必要があると思います。また、上記ガイドラインには「記事の執筆に関わった人間のサイトは記載すべきでない」とありますが、参考文献の執筆者のサイトであれば、記事にとって有益と思われ、記載に問題は無いと考えております。これらに関して御意見がありましたら、御発言をお願いいたします。--L25.203.l03.26 2010年3月17日 (水) 02:35 (UTC)

情報 上記投稿時点のガイドラインWikipedia:外部リンクの選び方(2020年3月より〈Wikipedia:外部リンク〉)は、2010年3月2日 17:57:37 (UTC)の版でした(最新の版との差違は〈差分:Wikipedia:外部リンク〉参照)。上記投稿にあるとおり、2010年(平成22年)3月15日に当記事「国鉄103系電車」の「#外部リンク」節は要約欄に「外部リンク除去(個人サイト)」と記載して除去されました差分/31035990。除去直前の外部リンク節の状況は2010-03-14 16:49:11 (UTC)の版を参照。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)
本人に意図を確認しなければ、どういう意味があっての行動か判断しかねるのですが、たぶん「自分としてこの編集が良いと思った」的に機械的に処理されたんじゃないかなと思います。L25.203.l03.26さん等は、何か行動を起こす前には確認のためにきちんとノートページを活用しているのを良く見かけるのですが、ウィキペディアにはそうでない方が多数おられます。要は自分の知識レベルでのみで判断されるという方で、あたかもウィキペディアが個人サイトが如く、編集者の主観にて書き換えが発生する要因を作っています。
常識的に考えて参考文献欄のトップに記されてる書籍の執筆者のサイトを削除するという行動自体が不可解です。もちろん本人には本人なりの言い分(これが、こうだからこっちのほうが良いに決まってる。○○の記事もそうやってきた)みたいなのもあるのでしょうが、閲覧者の事を考えた時にこの記事を見て、更に深く知識を得たいと思った時に外部リンクを活用できるように仕向けるのが編集者として大事ではないかと思うんですよね。
ですから、例えば外部リンクのウェブページを精査して「この外部リンクは閲覧者が見て、記事の補完になると思えない」というような理由であれば削除提案とかもアリじゃないかと思うんですが、いきなりばっさりと何の説明も無く削除ってのはびっくりです。上のkazusanさんの加筆内に示した出典を調べずに差し戻したのもびっくりしましたが、ウィキペディアでは特に少し慣れてきてルールに精通すると自分がエライと勘違いする輩が多いようです。実社会では個々が顔を合わせるので少し天狗になってもすぐに鼻をへし折られるのですが(笑)
こういう方々は「記事が良くなること」よりも「自分が思ったウィキペディア像に近づける」事が大事だと思ってるんでしょうから、ある意味読者無視とも言えましょう。
いずれにしても、ガイドラインに抵触してるとも思えませんし、削除前された多くのサイトは記事の補完になっていた事実を考えると、元の形に差し戻しても良いと考えます。
  • 記事の執筆に関わった人間のサイトは記載すべきでない
の部分は中立的な観点を維持するためのものだと説明がありますがウィキペディアの利用者名やIPだけで外部リンクの作成者と同一人物であることをどうやって確認するのか?を考えると、かなり不思議なルールです。私のように本名を利用者名にしているのであればわかりやすいですけどね。でも、私がCLUB103の作成者である永尾信幸とは別人だと主張した場合に調べる術は誰も持たないわけで(笑)
この文言は、ある深く研究してるグループが複数有り、その片一方のグループが自己の主張を広めたいが為の宣伝活動としてウィキペディアの外部リンクを使う事を嫌った部分じゃないかと思います。もともと個人リンクの内容を参照にして記事は書けない(私のサイトのように自己公表された情報源として認められている場合は別でしょうけど)訳ですから、外部リンクに恣意的な文言があっても記事としては困らないんですよね。
ですから、あるとすれば、自己公表された情報源として認められるサイトを持つ複数のグループによる意見争いを防止するという、ある意味高度な編集合戦の防止のためではないかと感じます。 
まぁ、よっぽど意図的に事実をねじ曲げるような内容が書かれていない限りは問題無いでしょう。
このルール自体「要出典」と同じで記事内容に精通した方でないと判断できない部分ですから安易に使われる事は普通はあり得ませんが、ウィキペディアには「ルールに書いてあるから適用した」と機械的に行う方々も多いためトラブルが多発するんでしょうねぇ。要は「このウェブサイトは意図的に読者に対して不利益になる情報が書かれている」(誤りが多い)なんてのは、記事内容に精通してないと判断つきませんから。
ウィキペディアのガイドラインを適用するには、その書かれてる言葉だけでなく、そのガイドラインを適用できる場合かどうかを判断する記事内容に対する知識が必要ですが、先の「少し慣れてきたら」じゃないですが、たぶん楽しいんでしょうね、人の指摘をしたりするのが(笑)そういう人が居なくならない限りは、今回のような事も何度も何度も発生する、つまりいたちごっこに貴重な時間が費やされるって事になってくるんだと思います。--永尾信幸 2010年3月20日 (土) 02:56 (UTC)
問題の提起があってから約一ヶ月経ちましたが、他の方の意見も無く、また当該編集をされた方はこの間もウィキペディアにログインして編集してる事から「当事者がノートを見れていないという可能性も低い」点と照らし合わせ、上記内容について執行したいと思います。ウィキペディアのルールは杓子定規に考えずに様々な影響も考えて適用すべきではないかと思っています。まず編集者の自己満足ではなく閲覧者を意識して考える必要があるのではないかと言う点が上げられましょう。ルールを公然と無視しろと言う事ではなく、編集者のウィキペディア像を押しつけるのではなく、閲覧者の利になる部分は例えば結論を先送りするなどの対応もまた必要ではないかとも感じます。
今回の件は、削除理由が直接的にルールに記載されてるわけではないので元に戻すとは言え、「個人サイトなので」と言う部分は「じゃぁ俺のサイトも」「私のサイトも」とリンク増殖を招く恐れがある問題は残されています。
しかし、数多くのサイトは閲覧に当たってトップページやいくつかのページが出来ていても、その他のページに工事中が多かったり、単一ページがいくつかあるだけだったりと、きっちりと精査すれば利用者の役に立つと言えないと言う判断がつけれます。今後もリンクとして掲載するサイトについて個々に精査していけば良いのでは無いかと思いますね。
で、利用者に有益かどうかは、その記事について少し深い知識が必要になろうかと思います。ですので、やはり基本的には当該記事についての編集履歴の多い方などの意見を中心に考えなきゃならんだろうと思います。今まで編集もしたこともない(つまり103系という記事に興味の無かった)ような方が百科事典という大きなプロジェクトにひょっこり出てきて指摘をするという事自体が一般常識では考えられない事ですので、仮にそういう状況で疑問点があればノートなどでの議論が先に必要であろうし、仮にそう思われたくないのであれば当該プロジェクト(該当する記事編集)に積極的に参加して、その記事における知識を実証してもらいたいと言うのはありますね。いずれにしてもウィキペディアというプロジェクトが世間に与える影響の大きさを考えるとノートを活用したいですね。--永尾信幸 2010年4月16日 (金) 15:41 (UTC)

「2.1.3.1 電動機に関する101系との比較」部分の削除に関して

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当該部分の除去は、実施されませんでした。2010-07-09に当該部分に改稿が実施されました(特別:差分/32969332)。--Yumoriy会話
斎藤氏の記述は他の文献との整合性がとれていない部分が大きいと考えられます。特に現状の引用部分が6M4Tだと103系より101系で十分であったと言うように103系の設計思想自体を配慮しておらず、また「出力的に十分」と称される斎藤氏の意見は、101系が今後の標準通勤電車として使えない理由となった主電動機の熱容量問題を全く考慮していません。
つまり、誤った認識を閲覧者に与えかねない記述であると考えます。
斎藤氏の意見が誤解を多く含む点は既に出典付きで提示していますが、運転理論的な部分を理解出来ていない方にはわかりにくいかも知れませんが、多くの専門家が101系は使えないと結論付けてる事実を考えれば、斎藤氏の意見がふさわしくない部分も見えてこようかと思います。
歴史的に見て6M2Tで制約があった山手線の101系が更にT車を2両つなげて運転出来ると考えてる時点で何か誤解されてるようです。京浜東北や中央・総武で6M4Tで走っていたからと言って、それをそのまま山手線に当てはめて良いかどうかは少し速度などの査定をしていればわかろうはずかと思うのですが、これについてはインタビュー記録(たぶんレコーダーを用いてると思いますが)を文字起こしする際に斎藤氏の意図と違う意味で文面にした可能性もありえましょう。
この部分については、明らかにおかしい記述と考えられますので、おかしい理由を今は書いて斎藤氏の意見を閲覧者に否定させる形を取っていますが、削除してしまえばそういうまどろっこしいこともする必要はありません。そんなことから、この部分の誤解を招くであろう部分を削除したいと考えますのでご意見をお願いします。--永尾信幸 2010年4月16日 (金) 19:33 (UTC)
情報 上記投稿で当記事「国鉄103系電車」からの除去が提案されているのは、主ページ「#電動機の設計」節の「#電動機に関する101系との比較」節にあった 「8両編成でMT比1:1とすることを前提として計画されたため、1968年10月の山手線10両編成化の際にはMT比が3:2となって同条件下での101系10両編成 (6M4T) に比して変電所負担が過大になることが問題となっており、斎藤雅男のように「10両ならば103系は不要で101系でいいわけです」<ref>「鉄道ファン訪問 -みたり きいたり はなしたり- 斎藤雅男氏」、『鉄道ファン Vol.9 No.96 1969年6月号』、交友社、1969年、p.34</ref>と明言する国鉄幹部職員も存在した。2010-04-16 16:47:39 (UTC)の版との記述です。「斎藤氏」は当該箇所で参照される齋藤雅男氏を指します。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)
(コメント)当該部分を加筆した者として、一応見解を示しておきます。自説との論理的整合性が確保できないからと言って、「かつてそういう見解が公の場で示された/公刊雑誌に掲載された」という事実そのものの記述を抹殺するような方針は小生個人としては正直感心しません。
Wikipedia:記事を執筆するにもありますが、

記事には個人的な意見を書くのではなく、出典から得られた事実を中立的な観点から書いてください。特定の意見をさも一般的であるかのように書かないでください。題材について論争がある記事では、対立するそれぞれの主張を取り入れてください。 これは、中間になりそうな論を採用することではありません。誰がどんな主張をしていて、誰がそれに反論しているのかなど、論争そのものを正確に描写してください。

というWikipediaの基本的な方針からすると、そういう「誤解」がこのような形で一般に出回る状況であったことと、それを十分納税者であり利用者でもある国民に周知理解させる努力を国鉄当局が皆目行っていなかったことは、一つの歴史的事実として記載されるべきでしょう。そもそも、国鉄が投入開始の時点でその導入の背景について公に周知する努力をしていれば、103系についてここまで様々な批判が浴びせられることもなかったと思います。失礼を承知であえて申し上げますと、現状の本記事については(そうなったことについては過去の小生の加筆にも幾分かの責任があるのですが)、客観的な事実の枠を大きく踏み外し、ある一つの結論に読者を誘導することだけを目的として構成されようとしている、と小生には見えます。永尾氏におかれましては、103系に対する偏愛が過ぎる余りネガティブな意見を排除することに執心しすぎて視野狭窄に陥ってはおられませんでしょうか?
このあたりの記述を削除されるならば、いっそもっとばっさりと性能云々に関して記述している部分を切り飛ばして、単純に電動機定格出力などの「動かせない」数字だけの記述にとどめた方がよろしいのではないか、とも小生は考えます。--HATARA KEI 2010年4月16日 (金) 22:30 (UTC)
ご意見ありがとうございます。自説との論理的整合性ではなく、当時の文献による記述との整合性です。例えばここに10の文献があったとしましょう。うち9つが右という表現をし、残り1つが左という表現をしていた場合、どちらを選択するかという意味で整合性と称しています。今回の斎藤氏の意見、特に6M4Tであれば101系でも良かったという部分は鉄道ファンの当該記事を再度見直していただければおわかりかと思いますが、直近に山手線の話題が出た後の話です。つまり101系6M4Tを山手線で使う場合にどうであるかと言う話で語られています。101系の熱容量問題については既に1959年に問題点として出されておりますが(当時の電車誌やJREA誌に多く記載があります)当時101系が走っていたのは中央線快速でした。限流値設定は当初計画の応荷重装置使用で480Aリミットにするという部分が応荷重装置未使用で8M2Tで350A・6M4Tで380Aと抑えられていましたが、これは変電所絡みのピーク電流制限があった点の他、主電動機の熱容量がフル性能運転するには足らない点とも関連します。中央線での熱容量不足は限流値を落として走っていたから問題として出なかっただけでしょう。
もちろん、左と称した1つをないがしろにせずに、そこを検証し直すという道を否定するというものではありません。例えば常磐線の新性能化として1970年夏と称された本は1971年4月と称した本より多いのが現状(史実は1971年4月)ですが、趣味誌の特徴として、過去の趣味誌の記述を引用して書き直すケースが多い事から、ある書籍で○○と一度間違って書かれた物が広まるという部分もあります。ですので、その1を切り捨てるのではなく、1について調べるという道もまた百科事典の編集においては必要な部分であるとは考えています。
今回の事例についてですが、103系の設計思想を考えた上で、流れとはちょっと違う意見を書かれています。上の例では左という表現をしてるわけです。ですから、その1についての深い検証を行った後であれば左と言う表現を表沙汰にしても良いかも知れませんが、現状では例えば消費電力量の問題にしてもそうですし熱容量的に不可であるという1961年の判断もそうですし、それらの大きな流れから逸脱してるんですよね。このあたりで、整合性の取れるような状態であれば(仮に消費電力量は101系の方が少なくて済んだとか、熱容量的には本当は6M4Tでも大丈夫だったとか)この左と言う記述を出してきたも良いでしょうし、百科事典である以上はやはりそこまで深く調べていかねればならないと感じます。
MT46Aは絶縁が低い上に、定格速度が高く設定されています。70%界磁に置かなければならなかった理由を自然通風では全界磁だと若干風量が足らなかった(電車1989年9月号P.26))からとしており、MT46では全界磁定格で52km/hであったのがMT46Aでは全界磁だと45.5km/hにしかならず、この速度だと風量的に少なくて熱的に苦しい、だから70%界磁に定格を置いたと言うわけで、それだけ熱問題には苦労していると言う事がMT46Aが出た当時から考えられてると言うわけで、これらの状況を知っていれば、T車を増やしていく事や、定格速度以下の平均速度で走る事がどれだけ危険かと言う事は早期に問題点として出されてのは当然のことでしょう。
そららの問題点があったから、結果的に101系は量産を開始して2年を待たずした1959年末には新しい通勤電車を設計する方向で歴史は動いているんですが、特に1959年から実用化されているRMS電流計算によって致命傷を与えられたとも言えるんじゃないでしょうか? この頃はまだRMS電流をもとに運転速度査定は行われてなかったと思いますが、これらの考えは1965年には既に活用している記述(電車1965年6月号P.14)も見られます。そうそう、そこで中央線101系6M4T300%乗車時の三鷹-立川のRMS電流計算が出ていますが260Aとのこと。MT46Aの連続定格は255Aで、後の運転可能な基準となる一時間定格電流の80%だと240Aとなり、中央線101系が300%乗車時であれば既に限界を超している事がわかります。
中央線の限流値が6M4Tにした際に380Aに引き上げられましたが本来は425Aにしたかったそうで380Aは暫定だったのですが、380AでもRMS電流が制限を超える状況ではこれ以上の限流値アップも出来なかったと言う点もこれらからはっきりとわかります。この辺は全く史実通りですね。
手元には1972年のものしかありませんが、速度査定基準規程と言う国鉄の規程の中に、列車が運転出来る条件として主電動機の熱を考慮して、RMS電流が一時間定格電流の80%を超えないようにと明文化されています。こう考えると駅間が長く風量を確保しやすい中央線ですら限界を超えていたのに駅間が短く風量の確保は出来ない、惰行時間が短い山手線で運転したらどうなるかなんてのは、専門家でなくてもわかろうものです。
これらの根拠は、斎藤氏が左と言っても、右とする記述の信憑性が高い事を示していると言えるわけで、そういう検証を経て左と称した斎藤氏の記述は整合性がとれないと結論付けて今回の提案に至ったわけです。
  • このあたりの記述を削除されるならば、いっそもっとばっさりと性能云々に関して記述している部分を切り飛ばして
これはどうなのでしょう? 例えば検証した結果としてふさわしくないという意味であれば検討に値するかと思うのですが「斎藤氏の記述を外すなら他も同様に削除すべき」ってのは受け入れがたいですね。
101系の熱容量問題については、103系開発の非常に大きな部分であったわけですから、その部分を端折ってしまうと大きな幹の部分を切り取ってしまう結果になろうかと思います。この部分の理解が薄いから103系は山手線専用であるなどという愚説が広まってしまった訳ですから。
  • 国鉄が投入開始の時点でその導入の背景について公に周知する努力をしていれば、103系についてここまで様々な批判が浴びせられることもなかった
批判は鉄道ファンが行ってる部分が大きいでしょう。それに合致するような記事を見つけては「ほらみろ」的に出してきていたのが今までの鉄道ファンの103系像に見えます。本質を理解しようとせずに、何かアラを探してそれを出す事を多くの鉄道ファンが行っていたように思いますね。
そもそも国鉄が周知する努力っていうのがよくわかりませんが、仮に宣伝をしなきゃならないとして、101系で大々的に宣伝した後に「101系は失敗だったから新しいのを作り直した」なんて国鉄関係者が公の場で言えますか? 今でも趣味誌などでの記述でも気を遣ってる部分は感じますけど。101系の失敗というのは状況に合致しないものを作ったってだけで、システムそのものの話ではないですが。
それに納税者論がここで出てくる事は少しおかしいように思えますね。だって問題にしているのは一部の事情を知らない(調べない)鉄道ファンの方々(しかも感化されやすい学生が批判してるケースが多く、親と同居であれば納税するどころか、扶養控除で親の納税額が減るような方々です。そういう人達に納得してもらうために国鉄自身がプレゼンを行うってのも変な話じゃないかと)であって、多くの納税者は別に103系でも201系でも違いはわかりません。形や色が違うから違うのかって思う程度です。そんなことよりクーラーが付いていたら嬉しいとか、そういう感覚だと思うけどね。○○系の説明をされても一般の人は別に興味は無いでしょう。103系批判の多くは鉄道ファンから出ていて、鉄道関係者(当時の工作局や車両設計事務所など)からはそんな意見は出てないんですけど、ではそれらの方々の意見を鉄道ファンが折り曲げたって事でしょうかねぇ。
良く駅間距離が長い区間がどうこう、平均速度がどうこうとも言われたりしますが、当時のダイヤを見て貨物列車と線路を共通にしてる線区も多いんですよね。貨物列車って当時65km/h運転のものもあったわけで、線区最高速度が100km/hなんて路線自体探すのが難しい時期ですからね。103系を延々と作り続けなきゃならなかったという問題点はあったかと思いますが実質的な性能向上車である301系(アルミ車体で編成重量を軽くできた関係で高速性能等の改善が見込める)がコスト面で量産出来なかった点を考えると、電力消費量との兼ね合いもありMT54の歯車比1:5.6車なんかも作れなかったですから、選択肢はすごく狭いんですよね。その中で活路を見いだしていたのは回生ブレーキでしょうが、それも複巻が使えない(複巻に適しているMGをわざわざ直巻モーターに変えるほどですからよっぽど複巻を敬遠していたのでしょう。国鉄は民鉄と違って日本全国様々な条件下の架線の下を走りますから民鉄での保守と国鉄での保守を一緒に考えてはいけない点がある)以上、直巻での回生には少し時間がかかったわけですが、それでも電機子チョッパの現車試験は1960年代後半に行っていますし、いろいろがんばっていたとは思いますが、様々な条件が絡み合わさった結果として、103系が延々と作られちゃったんでしょうねぇ。もっとも省エネという観点では経済運転というジャンルから103系を見れば非常に優秀な車両なんですよ。ほらまた来たとおっしゃるかも知れませんが、これはランニングコストに関わる大事な部分です。103系は回生ブレーキが無かっただけで、力行のみの比較であれば回生ブレーキ付き(要は定格速度を高め出力を大きくした形式)電機子チョッパ制御とも引けを取らないです。これは交通技術のどこかに書いてありましたがちょっと号数は失念しました。
延々と作ったので、性能ヲタ系にはやはりジレンマ的に感じる部分が強かったんでしょう。特に学者さんとかは最新の技術を語っていくのが好きですから余計にそうなってくるんだと思いますが、その学者さんがすすめるMT54の通勤電車ってのが常磐快速や東海道緩行では使えても他の路線で使えない電車だって事は隠してるわけで(笑)ねぇ。そういう形式を本人が国鉄に提案したが受け入れられずと言う記述(鉄道ピクとリアル1987年11月号P.23)もあるので、余計に103系に対して嫌悪感を持つようになったのかも知れません。
だいたいスーパーひたちが103系の邪魔だからスピードアップできないなんて口があんぐりですが(笑)、それでもそれが文献に記事になっていたら信じる人も多いでしょう。現在E531系だのE231系だのが走ってますが、スーパーひたちが劇的にスピードアップされましたか? 103系がいた頃の上野-取手間の最速は24分でしたが、現在のダイヤの最速は23分30秒、それも数多くのスーパーひたちの中で1本だけ、他は24分以上かかっています。103系時代と変わってないじゃん(笑)
ただし、条件を与えれば103系は邪魔になっていたと思います。スーパーひたちを20分時隔で運転する、快速を1時間に8本運転するなどです。列車運転速度は、緩急列車の最高速度、閉塞長さ、待避駅など様々な条件を元に算出されますから、待避しきれない状態まで列車を詰め込まれると(阪和線などが良い例です)緩行列車の性能が大きく関わるでしょうが、常磐線のように毎時2本の特急に待避駅が実質4駅ある状態では緩行列車の性能とはそう関わりはありません。それを大々的に103系のせいで遅いんだと書かれたら、それに対して逆説的というか否定的に書く必要性もあるでしょう。(もちろん根拠を示してですよ。斎藤氏の記事のように闇雲にであれば逆効果だと思う)
民鉄の高性能車に匹敵するような、高性能車だなんて思ってませんが、なぜこの性能になったのか(101系との関係と当時のインフラ事情)、そしてその性能で生き残れたのはなぜか(経済運転的な論点や財政悪化の面)についてはきちっとした記述が欲しいなと思います。
ただ、本当の高性能って何かと言えば、ある特定の条件ですごい性能を出せる事じゃないんですよ。それはスペックを追う方々にとっては必要な点でしょうが、実際に管理をしてる方からすると、例えば故障が少ないとか、例えば転配も特別な配慮をする必要が無いとか、余計な事を考えなくても良いようなものも高性能と言われるんです。その感覚の違いもあるかも知れませんね。
  • 「かつてそういう見解が公の場で示された/公刊雑誌に掲載された」という事実そのものの記述
これを抹殺することが是であるとは考えていませんが、要は取捨選択の部分です。あからさまにおかしい記述を「○○に載っていた」と言って転記すべきではないでしょう。今回の斎藤氏の記事はそういう危険性が潜んでいると言う事です。
また、当初加筆された部分である「10両ならば103系は不要で101系でいいわけです」にしても、その部分だけを転記しても誤解を招くのではと言うのは、上で少し説明した6M4Tでの消費電力量や熱容量問題を考えると101系の何で良いのか?がわからないんですよね。
では仮に101系で6M4Tをくんだとしましょう。冷房装置を載せれますか? スピードアップが出来ますか? 熱容量的にあっぷあっぷの状態で何ができようかと思いますし、このことについては電車1962年7月号においてMT55のRMS電流を計算すると78%と余裕がある事から(MT54の1:56車は93%)将来のスピードアップにも対応出来ると書かれているのですが、これらの熱的余裕が冷房装置を載せる事も可能になっているわけです。
ですので、引用自体を否定するわけでは無いですが、その引用の内容を十分精査する必要はあるのではないか、その問題点が出たのが今回では無いかと考えます。
最後に、先日のkazusanさんも書かれていましたが、私が103系に入れ込んでいるからという部分に何か意識しすぎてませんでしょうか? 要は「あぁ、永尾は103ヲタだから103を擁護する風に書き込んでいるに違いない」という思い込みをお二方には感じます。まず私が書いたような内容が事実なのかどうかをしっかりと検証していただき、その上で「あなたの言われた部分を見直してみたが、それはちょっと103系有利に導き過ぎじゃないか」などの意見であればとも思うのですが、お二方の意見を見ていると、最初から何か決めつけてるような感じを受けます。このあたりは逆に盲目になられてるのかなぁと少し危険な感じを受けます。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 03:55 (UTC)
うーん、[4]こういう記述を見てしまうと、前回の時のkazusanさんが2ちゃんねるで陰口を言っていた時のような感じを受けてしまいますねぇ。上でも書いたように「そういう思い込み」をまず切り替えてみる必要があろうかと思います。「誘導している」と考えている事から、103系の記事で私が書いている内容は、どうもHATARA KEIさんの思っている103系像とは違うようですね。自分の考えが正しいと思い込んでしまってるんでしょうが、ウィキペディアで数多くの編集をこなしていると、自分が一番物知りだと考え違いをしてしまう事もあります。もちろん、多くの編集をこなすと言う事は、それだけ造詣が深い事なのでしょうが、だからと言って自分の思い込みの部分を基本にして、自分の解釈通りでは無い部分を見て誘導していると言うのは言い過ぎでは無いかと思いますね。
少なくとも参考文献というより参考にした記事などの出典類は提示しているわけですから、そういう資料に目を通してから頭の中をフラットにして考え直してみてもらえればと思います。
私が103系の記事で書いている事は、あまりメジャーではないので当時の文献を見ないと出てこないような事が多いのですが、だいたい開発から半世紀も経った今、当時を振り返って見る記事と、その車両を設計している最中の記事とを見比べればどちらが真実に迫った書き方になるか、多くの資料を見聞きしているのであればどちらが有利で信憑性が高いかは明かじゃないかとは思います。もちろん、当時はタブーだったけど、今だから言うけどねみたいなのも中にはありましょうが、101系から103系への流れなんてのは、当時の通勤輸送にかかわる問題としてかなり多くの箇所で語られています。今の記事を見るのも良いでしょうが、当時の記事をまとめてみると言うのも面白いものですよ。
逆に多くの方がそういう資料を見比べ、その中で「この意味は」「これとの関連性は」というような有意義な形を期待しているのですが、この文献のこの記事を参考にしたと言っても、なかなかその記事を見て話をしてくれない。そういうのを見るのには苦労もするでしょうが、ここウィキペディアが百科事典の編集をしている場所だと言う事を念頭に置くならば、その中の文言についての議論を行う以上は極力行わなければならない行動ではないかとは思ってます。
見れないなら見れないで良いのですが、一番困るのが見ていないからその内容がわからず、結果的に全否定をしようとする姿勢です。こういう資料があるからと示している意味がないばかりか、じゃぁ結局「自分の知ってる範囲以外の事は受け入れられないのか?」とも思ってしまいます。
今回の提案に対して具体例を示さずに書き込まれていた点から、HATARA KEIさんは当時の記述を多く読まれていないように推察します。
同じ資料を見ても人によって受け止め方は様々でしょうから、そこでまた新しい記述方法というのも見えてくるかも知れません。そこには、この資料のこの意味は、こちらの資料のこの部分と相関関係にあるのではないか等、少し突っ込んだ会話も必要かも知れませんし、この部分はこの図表を見ることで証明できるなど多くの目で見ることで、多くの礎が出来ると思ってます。もちろん、これらをなぜするのかと言うと、間違った記述をスムーズに排除するためのものです。あまり関連が無い資料を引き合いに出してきて加筆すると独自研究になりますが、そういう資料の積み重ねで得た部分は間違った記述を排除する部分では非常に有効なんですよ。
ですので、思い込みだけで「間違いだ」とか言うのではなく、そこにいたる十分な根拠の裏付けを持って対応して頂きたいと切に願うところです。これは当然私自身もそういう風にしていかねばならないと思ってますが、思い違いの部分などが建設的に議論できればそれで良いのでは無いかと感じています。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 16:17 (UTC)
なんだか、HATARA KEIさんの利用者ページを見てから幻滅だなぁ。そういえば過去ログを見てたら、昔こんな編集してるのよね。
  • 私鉄各社へのMT比1:1の普及はことさら103系の影響という訳ではありませんし、同時代の大手私鉄各社の通勤車群と比較した場合に103系の性能が低いのは厳然たる事実です。嘘は書かないように。また、72系などの旧型国電と103系を比較した場合、京阪神緩行線のように大出力なMT30・40搭載の旧型車の方が有利なケースもあったので、一律に「はるかに高性能」とするのも妥当ではありません。[5]
なんてコメントを本文中に入れた事があるんですよね。京阪神緩行での旧形電車の最高速度と103系の最高速度、どちらが上かと言う点などに言及せず、また1972年3月改正で新快速が15分間隔で運転されるようになると旧形国電だと新快速から逃げ切れないから日中は103系に統一されている(それでも串刺しダイヤになってるのは有名ですが)点などもあるんですけどね。MT30や40の出力が大きいとは言え、弱め界磁を60%までしか使っていない場合、高速域での引張力は103系に分がある、更に車重を加味すれば加速力は103系の方が上になるんじゃないの? そういう点があったからこそ、旧形国電じゃなく103系が日中走っていたわけだからねぇ。更に電気ブレーキも使えないし。もちろんもともとそんな高速でブレーキを掛ける事は想定してなかったから、初期トラブルはあったけどね、その後明石電車区の方で対策を講じて、好成績をおさめて乗務員からも大変喜ばれているという記述(電車1973年7月号P.6-P.11)もあったなぁ。こういうのを見ると「誘導してる」のは一体どちらなんだろうって思いますが(笑)
これなんかも面白いよ
  • 特に、所轄局である大阪鉄道管理局が、性能的に明らかに不適合であるとして反対していたにもかかわらず、本社が導入を強行した京阪神緩行線では、運行開始直後から担当乗務員より、本系列の走行性能について「こんな走らない電車を投入して定時運転に努めろというのか」といった非常に厳しい意見や苦情が続出したといい、乗客からもその乗り心地について少なからぬ苦情が寄せられたという。にもかかわらず、国鉄本社は量産効果と仕様統一を優先して、それらの苦情は全く無視したまま各線区への大量投入を続け、本系列は長期にわたり快速電車などとしても使用されることとなった。[6]
って、検証可能性を満たさない創作を書き綴ってるじゃないの? すごい103系に対しての悪意を感じる編集ですよねぇ。あ、この件は上で出典として出した電車誌の内容とも相違していますねぇ。
なんか、そういう編集をしてきた人だって観点から、今回の斎藤氏の加筆部分を見ると「103系悪者ありき」から書いたようにも見えますねぇ。自分の考え通りに記事をもっていこうとしてるのはHATARA KEIさんの方に見えるんですが(笑)
こっちは過去の資料を丹念に調べて検証していってるのに、自分の想いと違うし内容が気に入らない、だからちょっと困らせてやれ、というような気持ちで加筆されても困るなぁ。自己満足は自分のブログやホームページでやってもらえればなぁと感じます。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 18:57 (UTC)

記述の位置について

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この記述は必要だと考えます。山手線が10両編成化されると変電所負担が増えることは、MT比だけで考えれば斎藤氏だけでなく誰でも思うことだと思います。まず、誰でも思いそうなことを冒頭に書いておき、「しかしその考えは間違っている」ということを解説する現在の構成には何も違和感を感じません。

ただ長い文章が読めない人などには、冒頭の斎藤氏の意見だけ読んで「やっぱり10両なら103系は不要なんだ」という誤解を与えてしまいかねません。ですから、「なお、変電所負担が過大になる点であるが~斎藤の意見が正確ではないことを示している。」の部分は、斎藤氏の意見の近くに持ってくることを提案します。--都市高502 2010年4月17日 (土) 06:11 (UTC)

ご意見ありがとうございます。そうですね、記事を削除してしまうのではなく、現状の記事から発展させる方法も考える必要があるかもしれませんね。HATARA KEIさんも書かれていますが「誰がどんな主張をしていて、誰がそれに反論しているのかなど、論争そのものを正確に描写してください」の部分として残しても良いかもしれません。せっかくタイトルとして101系主電動機との比較としているのですから、MT46→MT46A→MT55に達した部分を示す事、MT46Aの熱容量が不足している点を指摘すること、それらの史実にのっとった記述を行った後に斎藤氏の意見を書いておくというのも一つの方法かも知れません。そうすれば斎藤氏の意見が「なんで?」と読み手は感じるでしょうから。
あと、これは私にも責任がありますが、103系はMT比1:1に特化した形式では無いのですが、ついつい説明時に101系6M2Tを置きかえるために4M4Tにした事から引用するケースが多く、103系がMT比1:1で無ければ不経済と思われている節もありますので、その部分について何らかの記述が必要だとは思うのですが、これは知ってもらうにはノッチ曲線や運転曲線を見ろと言うような事になり一般的ではありません。そのあたりが見れればすごく簡単に理解できる部分ではあるのですが、端的な記述があればそういう点も注釈として与えておきたいと思います。
電力問題も一言で○○と称する事ができるほど簡単でも無いような感じです。つまり運転性能なんて何でもそうですが、どういう条件で運転するかによって結果は全く変わってくるわけです。片やフル性能を出せる設備を前提に話しており、片や現状の施設での上限を前提に話すとなると、同じ事を語っているつもりでも差が出たりするわけです。この部分は慎重に考えていかねばならないと思います。斎藤氏の101系で十分ですという表現も、山手線ではなく他の駅間が長い路線を想定したのであれば一理あるかも知れません。101系は103系より高速運転は苦手なので駅間が長く最高速度が比較的低い路線であれば十分だとは思いますが、こう言う条件であれば斎藤氏の記述でも通じる事になります。それ以外に「わざわざ性能の高い(101系に対しての相対評価ですんで突っ込みはなしで・・)103系を入れなくても101系程度の性能で十分だ」と言う意味で語ったとすれば整合性を持たせる事もできます。しかし、現状の記述では6M4Tだとどんな路線でも101系の方が有利であるとの誤解を招きかねないと考えます。そもそも変電所負担が過大になることが問題となっているというのは良く知らないのですが、逆に考えたらそれって都市高502さんが書いたように当然の事象ですよね。M車が増えるわけですから。だから101系で良かったと文が続いているのが違和感がある理由かも知れません。そのあたりが改善できれば、確かに記事を削除する必要も無いかもしれません。
電力消費量は実際には運転曲線を元に計算されますが、何キロまで力行してその間に何秒かかったかと言うのを、その速度速度ごとに電動機に流れる電流値から求めていきますから、モーターに流す電流が大きいと消費電力量も増えます。103系は101系に比べて弱め界磁最終速度が若干低く、101系より加速が良い事と相まって、早い段階(時間)で電流が落ち始めます。このあたりは技術的な内容ですので前面に出すつもりは無いのですが、出力の大小が単純に消費電力量の大小にはつながらない事もあるという点はどこかで一筆必要かも知れません。--永尾信幸 2010年4月17日 (土) 07:19 (UTC)
そういえば、大事な事を忘れていました。
  • 山手線が10両編成化されると変電所負担が増えることは、MT比だけで考えれば斎藤氏だけでなく誰でも思うこと
この部分ですが、実は101系は8両編成で6M2Tなんですよね。そういう編成が多数入っていた所に103系4M4Tが入ってM車数が減った訳ですが、その103系を101系と同じ6Mにしたからと言って、どの程度変電所負担が増えると言うのでしょうか。先ほど、記事に要出典が貼られていたので良く考えて見たのですが、101系6M→103系4M→103系6Mという流れだから、とりあえずM車数の話であれば、そう大きくなっていないのではなかろうか? 単純に4M→6Mと考えると電動車数が1.5倍になっている感覚を受けるが、もともと6Mだったという事実が抜けていますね。
ただし101系と103系では限流値が違いますからそのあたりも加味して考えなきゃならない部分かも知れませんね。いずれにしても、電動車数が4M4Tから6M4Tに1.5倍になっているというのが根拠であるなら少し検証する必要があるかも知れません。--永尾信幸 2010年4月18日 (日) 05:27 (UTC)
誰でも」は言いすぎだったかもしれません。101系は全電動車を前提として(M車が多い方が有利)、103系はMT比1:1を前提として(M車が少ない方が有利)設計されているとすれば、当然1:1よりも電動車が多くなる6Mは101系の方が適してる、と考えやすいということです。しかし、実際は6Mでも103系の方が高性能ならば、やはりこの考え方は間違っていることになります。--都市高502 2010年4月18日 (日) 10:20 (UTC)
いえ、言い過ぎというより、普通に考えたらそう思える部分であるなら、これは他の閲覧者も間違える可能性がある事ですから、記述に何らかの配慮が必要な部分かも知れませんね。
また、斎藤氏の記事では103系のメリットを活かすにはT車を2両増結して6M6Tにすれば良いと言うような書き方をしているのですが、このメリットというのは比較対象が101系であると仮定したら意味は通ります。6M4Tより6M6Tの方が加速も運転速度も遅いですからメリットと言うのは普通に考えると無いんですが、ただ101系を12両で走らせようとすると8M4Tとせざるを得ないので、それと比較したら6M6Tで走れる103系はメリットがあると語ったとすれば帳尻はあいます。それ以外に6M4TからT車2両分60t近い重量を増やして性能を落として運転するメリットって何があるんでしょうねぇ。輸送力増強というのであれば別に4M8Tでも良いんですよ。103系のMT55は熱容量的に余裕があるので、少し無理をしても運転できますから。もちろん加速は落ちますけどね。ま、これをポンと出したら独自研究ですが、こういう運転もできるというのが運転理論的に証明できるのですよ。103系非冷房車4M8Tの加速度は1.4km/h/s程度になるので当時の101系よりも遅いですが、変電所能力と言うのであればこういう方法もあるでしょう。ただRMS電流(ランカーブを持ってない・・・何キロでノッチオフするか等がわからない)を計算すると限界ギリギリじゃないかとは思いますが・・・普通に走る上では4M6Tでも走れますが、国鉄の場合は「1ユニットカットして起動できるかどうか」なんて条件もつけていたようで、さすがに2M8Tや2M10Tだと運転出来ない(笑)
ま、そんな事でちょっと余談(数字遊び)でした。--永尾信幸 2010年4月18日 (日) 13:27 (UTC)

代替文案 20100419

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とりあえず、簡単に代替文を考えてみました。[7]ただ、一通りの説明をした後に斎藤氏の意見を書くと「斎藤氏ってバカなのか?」と思われかねない部分もありますね。--永尾信幸 2010年4月19日 (月) 03:36 (UTC)

情報 上記投稿中にある「代替文」のリンク先は「利用者:永尾信幸/MT46AとMT55」です。なお、主ページの該当部分(「#電動機に関する101系との比較」節)は上記代替文案とは別に、約3カ月後の2010年7月9日 14:46:12 (UTC)の版でIP利用者59.85.55.131さんの手で改稿されました差分/32969332。--Yumoriy会話2024年9月21日 (土) 10:29 (UTC)