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ノート:宝くじで40億当たったんだけど異世界に移住する

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過剰なほどの出典・脚注は必要なのか?

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現状、異常なほどの出典・脚注が貼られているのですが、はたしてここまで過剰に出典・脚注を貼る必要性があるのでしょうか? 正直、有用性のない出典があっても編集や視聴の邪魔になるだけです。同じような内容の出典が重複している物も多いようです。少なくとも、同じ段落内であれば、出典タグが一つあれば事足りるわけですから、文章ごとに同じ出典・脚注を貼る必要性はないように思われます。

些末な記述については、そもそも記載する必要性自体が疑われます。登場人物の多くは、一度しか出てきていないようなキャラも記載されており、そこに出典・脚注を事細かく貼るのもどうかと思います。どうやら、ルール厳格主義の方がやっていらっしゃるようですが、何事もやりすぎれば害にしかなり得ません。--118.13.34.228 2021年1月27日 (水) 07:33 (UTC)[返信]

  • コメント 方針・ガイドラインを遵守することは必要なことでしょう。蔑ろにすべきではない。現状の出典・脚注の数ですが、出典は10、コミックスからの引用話数は16と、人によっては感じ方が異なりますが、他の小説・漫画・アニメ記事と比較しても異常に多いとは考え難いです。加えて貴方の投稿記録を確認したところ、ストーリー節の記述を編集なさっていましたが、新たに加えた記述に対しての出典が一切ございません(まぁ多くの漫画・アニメ記事にありがちなことではあるが)。私自身はこの記述の方が問題だと考えております。--イトユラ会話2021年2月2日 (火) 17:08 (UTC)[返信]
理解されていないようですが、出典を軽視しているわけではありません。同じ段落内・文章内で同じ出典が複数あっても、意味をなさないと言っているのです。そういう箇所が随所に見られたために、問題だと申し上げています。不必要な出典が乱立すれば、検証するのも手間が増えるだけです。--123.221.206.217 2021年2月15日 (月) 03:09 (UTC)[返信]
IPが変わっているので同一人物かどうか確証は持てませんが、コメントを見る限り、同一人物の様なのでそれを前提として返答させて頂きます(違っていたらごめんなさい)。
「同じ段落内、文章内に同じ出典がある」という問題に関してですが、私なりに出典を加える部分は少なくしているつもりです。幾らか過剰に加えてしまった部分もあったかもしれませんが、その点整理して頂き有難うございます。ただ貴方が整理した内容を見てみると、幾らか独自研究に該当しかね無い記述が増えてしまったような気がします。例えば、バレッタの説明にある『「奴隷商に売ってもらっても構わない」と話すなど』という記述に関しては参照話数を加えるべきでしょう(その下にある参照話数はカズラの行為について説明している記述なので、バレッタの発言に関する記述と一緒にしてしまうのは無理があるでしょう)。その様なところが散見されます。
あと、ストーリー節に何一つ出典を付記せずにあらすじを追記するこのような編集Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないを遵守されているとは考え難いですね。--イトユラ会話2021年2月16日 (火) 05:55 (UTC)[返信]
返信 (イトユラさん宛) 多くの記事であらすじ節に出典がないのはプロジェクト:フィクション#一次情報の扱いの以下の記述によるものだと思われます。
経験則から言って、作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述は、脚注等を用いて出典を示さずとも作品そのものを参考に書かれていることが明白であるため、検証は可能です。しかし、登場人物の性格などの細かい設定に関しては、編集者の憶測が含まれていることも多いため一次、二次資料を問わず出典を明記することが推奨され、出典が示されていない場合は除去されるおそれもあります。
例えば「グリゼア村に住む少女・バレッタと出会う」というのも、ガイドラインに則れば出典を付与する必要性はないということになるのでしょう。ガイドラインにある通り「登場人物の性格などの細かい設定」に関しては出典も必要かと思いますが、基本的にはあらすじ節には出典を付与する必要はないとの見方が強いですかね(登場人物の性格などの細かい設定は登場人物節に書かれている場合が殆どですから)。
以上からあらすじ節に出典がついている記事は殆どないのだと私は思います。実際、あらすじ節に出典がある記事は殆ど見たことがないですしね(有名どころだと「ダンまち」とか「転スラ」くらいじゃないでしょうか)。今回はあらすじ節のお話ですが、登場人物節内にも登場人物が物語にどうかかわるのかといった記述が書かれていることも多いのでそれらについても出典は必要ないということにはなりそうです。
まあこんなところでしょうか。--PMmgwwmgmtwp'g会話2021年6月20日 (日) 18:14 (UTC)[返信]
返信 (PMmgwwmgmtwp'gさん宛) 「あらすじ節」に出典加えている記事は見たことがない、プロジェクト:フィクション#一次情報の扱いの観点においても脚注を使わずとも検証可能であるという見解はその通りで特段反論するつもりはありません。
しかしながら、こう言ったあらすじ節や登場人物節の記述は…脚注を付けないとなると、どうしても個人の主観が入ってしまい、人によってその主観や物語の解釈はまちまちで、それが起因して「編集合戦」という事にもなりかね無い。また、プロジェクト:フィクション#一次情報の扱いWikipedia:あらすじの書き方等のガイドラインで「作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述に脚注が無くとも検証可能」などと説明しているものの、別にそれらの記述に「脚注を加えてはならない」という事では無いでしょう。現に良質な記事に選定された「Charlotte (アニメ)」のあらすじ節、登場人物節は、本記事と同様(或いはそれ以上)に脚注を付記しています。この事から「あらすじ節」「登場人物節」における、本来は脚注を必要としない記述であっても、脚注を加えた方がより良質且つ正確性を担保していると言えるでしょう。
本議論の提起したIP利用者の方は「ルール厳格主義の方がやっていらっしゃるようです」などと出典や文献を付記することの大切さを軽んじており、このような編集が(私が見る限りは)一次資料や二次資料を要するものであったため、上記で苦言を呈した次第です。--イトユラ会話) 2021年6月20日 (日) 19:12 (UTC) 一部修正--イトユラ会話) 2021年6月20日 (日) 19:15 (UTC) 一部修正--イトユラ会話2021年6月20日 (日) 19:22 (UTC)[返信]
返信 (イトユラさん宛) まず、勘違いしていただきたくないのはあなたの考えを全否定はしていないということです。実際にあなた以外にもあらすじ節に出典をつけるべきだと主張する編集者も何名かはおられますし、あらすじに出典をつけることは蛇足だとは思ってますが違反だとは思っていません。ただ「新たに加えた記述に対しての出典が一切ございません(まぁ多くの漫画・アニメ記事にありがちなことではあるが)。私自身はこの記述の方が問題だと考えております。」というのはこのようなガイドラインが存在していることから基本的には問題ではないことや、「ストーリー節に何一つ出典を付記せずにあらすじを追記する編集が検証可能性・独自研究が順守されていない」というのは原本の書籍が存在している時点で検証可能性は遵守されていますよということで「作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述」に限れば、基本的にあらすじ節に出典はつけませんし出典をつけないことはガイドラインに則れば正しい行為ですよということをご理解していただきたいということです。
また独自研究や個人の解釈といった観点は非常に難儀ですよね(笑)。これは私個人の見解ですが、上記のようルールがある理由って著作権問題があることも関係しているのではと思ってるんですよね。自分の考えた言葉で書かなければならない時点で個人の解釈は必ず生まれるものだと私は思ってます。またあらすじ節で独自研究だと言われるものって編集者の完全な憶測で記述(例:Aは頬を赤らめた。という出典の内容からAはBに好意を抱いていたと記述すること)をすることだと思いますが、これは出典が必要というより削除するべきものだと思いますね。IPさんの編集が独自研究なのかどうかは物語を読んでないのでわかりませんが(笑)。
結論としては、まず「脚注を加えた方がより良質且つ正確性を担保している」というのは、まあその通りだと思いますし「脚注を加えてはならない」というルールがないのも事実でしょう。なので繰り返しますがあらすじ節に出典をつけることが違反だとは思っていません。私はあなたの仰った「問題である」「遵守されていない」等の発言に対して、それは100%違いますよとは言えませんが、それは必ずしも正しいとは言えませんよということはご理解いただきたく本記事のノートにお伺いした次第であることは分かっていただければ幸いです。
以上です。これ以上議論しあう必要もないと思いますので(「あらすじ節に出典をつけること」に対して反対はしていませんから)返信は不要です。--PMmgwwmgmtwp'g会話2021年6月21日 (月) 06:00 (UTC)[返信]

過剰出典・過剰脚注について

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登場人物などの節において、過剰出典・過剰脚注が見受けられますので、議論をお願いします。ここでの議論は、一人の登場人物の説明において、まったく同じ出典であるのに、1文ごとに出典タグを入れる行為を指します。--180.25.67.159 2021年7月24日 (土) 03:58 (UTC)[返信]

個人的には、あらすじ節であれば「1巻ごとに出典ひとつ」を記述しておけば、事足りる場合が多いと思われます。部分的に出展・脚注が欲しい場合は別ですが、今回のようなケースではなくても良いのではないかと思われます。逆に、時間と手間をかけてまで除去するほどのことでもない気もします。ただ、ここで放置しておいて、この先同じようにどんどんと過剰に出典が増えていくことについては、危惧されますね。
あらすじ節以外でも、ちょっと細かく不必要に出典がありすぎるように感じました。正直、モブキャラ同然の登場人物の、「プリンが好き」とかそういう情報に出典が必要になるのか、はなはだ疑問を感じます。基本的には、同じ出典元で前後ページを見れば分かるのであるなら、段落の一番最後に一つあれば事足りるかと思います。--180.25.67.159 2021年7月20日 (火) 06:19 (UTC)[返信]
まず「あらすじ節であれば「1巻ごとに出典ひとつ」を記述しておけば、事足りる場合が多いと思われます。」「同じ出典元で前後ページを見れば分かるのであるなら、段落の一番最後に一つあれば事足りるかと思います。」との見解に関してですが、Wikipedia:スタイルマニュアル/フィクション関連#一次情報と二次情報プロジェクト:フィクション#ガイドラインにおいて、一次資料や二次資料が求められるものは「物語の筋そのもの」や「登場人物の性格などの細かい設定」であることから、「1巻ごとに出典ひとつ」「段落の一番最後に一つ」とするのは、場合によるし、かなり難しいと思われます。そもそも求められている記述以外に出典を付けてはならないというような方針・ガイドラインは無いし、それを除去すべきかと言われたらWikipedia:脚注過剰にあるような例(ひとつの段落などに4つも5つも出典が付いているなど)ならまだしも、その様な事が発生していないにも関わらず除去してしまうのは単に正確性が損なわれてしまうだけで、ほとんどメリットが無いでしょう。したがって、貴方の提案は建設的なものとは言い難く、同意する事が出来ません。--イトユラ会話2021年7月20日 (火) 10:04 (UTC)[返信]
あなたのやっている事は、まさしく「脚注過剰」な状態です。句読点が途切れただけで、脚注・出典タグを挿入していたは、メリットよりもデメリットのほうが大きく、視認性・ユーザビリティーに支障が生じるばかりです。多くの場合、同じ出典であれば段落に一つあれば事足ります。
同じ出典が複数に渡って各所に複数あると、それを検証する際にもどれを示しているのか分かりづらく、検証するユーザーにとっても負担が大きいのです。--180.25.67.159 2021年7月22日 (木) 05:25 (UTC)[返信]
前述でも申し上げた通り、私はあくまでWikipedia:スタイルマニュアル/フィクション関連#一次情報と二次情報プロジェクト:フィクション#ガイドラインの観点に基づき、「物語の筋そのもの」や「登場人物の性格などの細かい設定」に出典を付記しているだけです。編集者によってその考え方に相違があるのも事実ですが、議論中である記述を何の合意を得ずに変更し、腕ずくで解決しようとするのはおやめ下さい。--イトユラ会話) 2021年7月22日 (木) 07:53 (UTC) 一部修正--イトユラ会話2021年7月22日 (木) 07:55 (UTC)[返信]
腕づくで解決しようとしているのは、あなたでしょう? なぜ、「あなただけ」がここで強硬しているのかを、よくお考えください。このような過剰な出典タグの乱用がされているページは、他にはございません。スタイルタグにおいても、あなたのようなやり方を推奨している箇所は、どこにもございません。また、仮にルールにあったとしても、ルールにあるから何をしても良い訳でもありません。あなたがそういう態度で推し進めようとするのであれば、こちらも相応の態度で臨まざるを得ません。--180.25.67.159 2021年7月24日 (土) 03:54 (UTC)[返信]
貴方が方針・ガイドラインへの正しい理解をされていないことはよく分かりますが、少々喧嘩越しで対話なさるのは如何なものかと。Wikipedia:善意にとるをよくお読みになることを勧めます。
「このような過剰な出典タグの乱用がされているページは、他にはございません。」と言った貴方個人の感想は置いといて、Wikipedia:脚注過剰の趣旨を見れば分かりますが、
検証可能性の向上は重要ですが、可読性の観点からは質の低い脚注を多く付け加えるよりは、良質な出典を用い脚注の数は少数にとどめるべきです。
と書かれているように基本的に脚注過剰は1つの文に付記する脚注自体の数をなるべく少なくするためのものです。それにWikipedia:脚注過剰はあくまで私論であり、方針・ガイドラインのような強制力はありません。少なくとも合意形成が必要でしょう。それを図る事無く、ご自身の一方的な意見を押し付けてこのような編集をされる事が腕ずくで解決しようとしていないと言えるのか、よくお考えになった方がよろしいかと。私は合意形成を図るべく一個人の意見を述べているに過ぎません。--イトユラ会話) 2021年7月24日 (土) 04:47 (UTC) リンクミス--イトユラ会話2021年7月24日 (土) 04:59 (UTC)[返信]
ガイドラインを曲解されている上に、自分の良い時だけルールを主張して、都合が悪くなればルールを否定するなど、自分の都合のいいように使うのはいかがなものでしょうか? 一個人の意見と言いながら、自分の気に入らない事に対しては全否定なさる態度は、どう考えても自分勝手な編集態度としか言いようがありません。
あなたのやっている過剰脚注の方法は、そもそもそのような状況を想定したタグではないと思われます。「離れた箇所において、何度も同じ出典を記載するのを防ぐために利用されるもの」であって、直近の文章に何度も連続して使うのは、どう考えても無意味かつ過剰乱用です。たとえば仮に、文章が5文・10文と続いたとしても、同じように乱用なさるのでしょうか? 明らかにおかしいですよね?
同じ段落内であれば、最後に一つ記載しておくだけで、出典を確認するユーザーにとっても1つ確認するだけで済むのです。--180.25.67.159 2021年7月24日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
そこまで仰られるならコメント依頼を出されては如何でしょうか?--イトユラ会話2021年7月24日 (土) 07:16 (UTC)[返信]
異世界に生息する、ヤギのような見た目の動物[9]。雌からはミルクを得ることができ、食肉としても利用される[9]。

例えば、この場合に、下記のようにすることも可能なわけです。

異世界に生息する、ヤギのような見た目の動物であり、雌からはミルクを得ることができ、食肉としても利用される[9]。

逆に、イトユラ氏の考え方を推進していくと、下記のような過剰脚注に繋がってしまいます。

異世界に生息している[9]。ヤギのような見た目の動物[9]。雌からはミルクを得ることができる[9]。食肉としても利用される[9]。

句読点のあるなしで、脚注を挿入するかどうかを判断するのは、過剰脚注であり問題でしょう。同じ出典先ですぐに確認できるような情報であれば、最後に一つ出典脚注タグを入れておけば充分なのです。ご理解ください。--180.25.67.159 2021年7月26日 (月) 03:55 (UTC)[返信]

まず私が出典を付記している記述は、付記しなければ無出典になり得る細かい設定や物語における事象の個々であり、句読点のあるなしで、脚注を挿入するかどうかを判断基準としておりません。既にWikipedia:井戸端#発売日の出典は必要なのか?の方でも複数の方から本議題に関して言及されておりますが、Wikipediaには私論であるWikipedia:脚注過剰、各ウィキプロジェクトのガイドライン以前に、Wikipediaの三大方針の1つであるWikipedia:検証可能性がございます。この理論に基づくならば、
異世界に生息する、ヤギのような見た目の動物であり、雌からはミルクを得ることができ、食肉としても利用される[9]。
と言った文章なら、言い回しがくどく、「異世界に生息する、ヤギのような見た目の動物」のところで句点を打った方がいいような気がしますが、検証可能性自体に特段問題は無いでしょう。しかし、貴方が変更した
異世界に生息する、ヤギのような見た目の動物。雌からはミルクを得ることができ、食肉としても利用される[9]。
と言った内容はミャギという動物の特徴である「雌からはミルクを得ることができ、食肉としても利用される」と言う文にしか出典が付いておらず、「異世界に生息する、ヤギのような見た目の動物」の文自体は検証可能ではありません。人によっては一文一文に出典を付ける事に鬱陶しさを感じるのかもしれませんが、それは誰でも編集可能であるWikipediaにはとっては必要な事であり、閲覧者や編集者にとっては出典元が何なのか、1つ1つ明確である方が親切であると言えます。その点についてもご理解頂けると幸いです。
どうしても内容にご不満があるのであれば、井戸端やコメント依頼を提出して第三者からのご意見を踏まえつつ、合意形成を図って下さい。--イトユラ会話) 2021年7月26日 (月) 05:19 (UTC) 一部追記--イトユラ会話) 2021年7月26日 (月) 06:47 (UTC) 一部修正--イトユラ会話2021年7月26日 (月) 09:16 (UTC)[返信]
コメント 一文ごとに出典の脚注を挿入するのは過剰ではなく、むしろ推奨されている妥当な方法です。WP:INCITEに「出典を提示したい文章の直後に(----参照)と書き添える。」、Help:脚注に「段落全体など、比較的広い範囲の文章に対してひとつの脚注が対応することもあります。そのような場合でも本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入したり、本文や注釈文に注釈範囲を明示したりするなど配慮してください。」と記載されているとおりです。独自研究を避け、検証可能性を確保するという意味で、一文ごとに出典を入れるのが望ましいと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2021年7月26日 (月) 09:10 (UTC)[返信]
報告 コメント依頼を出しました。--PMmgwwmgmtwp'g会話2021年7月27日 (火) 16:28 (UTC)[返信]
コメント 出典の示し方云々とうより、「ミャギ」の説明に関して意見を言います。
「ヤギのような見た目の」というのは具体的にどのようなことでしょうか。四本脚?毛が白い?もふもふしてますか?角は何本?しっぽは?耳は立ってますか?蹄はどうでしょう?体高は?一口に「ヤギ」といっても何百も種類がいて、外見は様々です。
原作である[1]を見る限り、それらの情報が全くありません。
たとえば、本作がアニメ化されて「ミャギ」が可視化されたときに、何らかの表現がされるでしょう。あるいは文庫本に挿絵があるのかもしれません。ひょっとするとハリウッドで実写化されるかもしれません。それらの作品で描かれる姿が常に同一であるという保証はないでしょう。この系統の作品でおそらく最も勇名な作品の一つ『指輪物語』でも、映像作品ごとの表現の違いがみられます。(例バルログ#その他参照。)
ま、なろう系のローファンタジーですから、あんまりガチなことを追求するのは野暮だなとは思うんですけどね。
今回の場合、百科事典として適切な書き方は、おそらく次のような格好だと思います。
「地球のヤギのような見た目の[出典(原作246話)]」動物。乳用、食用に供される[出典]
引用の形をとることで、原作でそういう設定だと解説するわけです。百科事典としてはこれが「正解」だと私は思います。--柒月例祭会話2021年7月29日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
コメント 過剰だとは思いません。しかしライトノベルの記事なのになぜ小説ではなく、派生作品であるコミックスの出典ばかりなのでしょうか。--Sazanamiya会話2021年7月29日 (木) 17:58 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼より参りました。
似たような記事を書いた/改訂した経験から事例を挙げて申し上げますが、同じくなろう系ローファンタジーラノベの 転生したらスライムだった件#脚注 と比較すると脚注数は30分の1に満たず、過剰出典を心配するならあと15倍くらいに達するまで現状の方向性維持で何も問題ないと見受けられます。
──あと、自分がかつて見かけたことがあるまさに過剰出典の解りやすい前例を提示しておきますが、そちらの記事では当議論前提と同じく過剰出典「 出典リンク数 138個 に対し、脚注リンク回数 1,539回 」に達し、当議論と同じ内容の提案を発し全面改稿に至りました(ただし全面改訂後も文末出典提示スタイルを維持)。
これくらい極端ですと解りやすいと思いますけど、根本的に「文末出典提示スタイルそのものが害悪」という極端な方向性は単に「統計データもないごく個人的な感覚」でしかないため、WP:Vを否定し出典除去を検討する必要性(正当性)はどこにもないと思います(そもそもWP:OVERCITEは私論です)。
◆ただ、妥協点を挙げるとすればWP:OVERCITE#どうやって過剰な脚注を整理するかの方を重視すべきで、宝くじで40億当たったんだけど異世界に移住する#注釈 の中の『匿名編集者の勝手な/個人的な無出典読書感想文の除去(WP:NOR違反)』や、大量に提示されているなろう記事本文や作者本人による解説投稿ページ(WP:PSTS、一次資料)を可能な限り信頼できる公刊された二次資料へ置き換えていく方向性…、脚注数に着目するのではなく、そもそもとして個人個々で捉え方/表現が異なって当然の読後感想/個人解説の除去(WP:NOR)、内容を極限まで昇華し、読者に苦痛を及ぼす、冗長な内容を書かせない(WP:NOTGUIDE)、が妥当かなと。--Nami-ja [会話 履歴] 2021年8月11日 (水) 19:54 (UTC)[返信]

とりあえず、ざっと確認したところ提案者さまのご意見に明確な賛成者はおらず、反対意見が複数見受けられましたので、提案者さまのご意見・ご提案については却下されたという結論でよろしいでしょうか? 議論をするには十分すぎる数の編集者さまにご参加いただけましたし、答えはもう出たように見受けられ、一カ月以上議論が停滞しており、これ以上議論をする意味もないと思います。編集者さまから頂けたアドバイスについては今後記事の品質向上のために上手く活用していただければ幸いです。一週間経過して「まだ議論を続けるべきだ」との意見がなければ、本件はここでクローズとしたいと思います。--PMmgwwmgmtwp'g会話2021年9月12日 (日) 09:45 (UTC)[返信]

情報 提案者は
  • ノートページに提案らしきものを書き込んでは放置する
  • その一方で提案が告知不足の状態でも合意を得られたものとして強行する
  • 合意なく、議論を経ずに方針文章を変更する
  • 反対されると離脱やクローズの宣言を行わずやはり放置する
  • 数年前の話題に突如として意見らしきものを書き込む
  • 実はその話題にはIPv6利用者 IP:2400:4172:6833:CA00:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録として参加済み
  • そのことを告知しないばかりか時には他人のフリをして自分の意見に賛意を示す
  • 履歴分断を指摘しても「私には記憶はありません」「いちいち半年以上前の投稿を覚えようとは思いません」
といった対話コストが大変高くつく行動を継続しているIPv4利用者です。必要なら差分は全て提示出来ます。今回もこちらを放置してあちこちで提案とも感想ともつかないことを書き込み、今はWikipedia‐ノート:あらすじの書き方に舞い戻ってまたそこでもEULEさんの5年近く前の発言にお気持ちだけ表明して放置するつもりなのでしょう。--115.177.178.66 2021年9月12日 (日) 17:24 (UTC)[返信]
115.177.178.66 氏のやっていることは、議論とは異なることを取り上げている最低の行為です。しかもやっている事は、パペット行為と変わりません。自分の発言が正しいと思うのであれば、アカウントで行えばいいでしょう。それさえ出来ない以上、無責任な名誉棄損以外のなにものでもありません。こういうネットストーカー行為は明確に違反として、アカウントブロックすべきです。こういう輩や、いつまでも納得しない輩がいるからこそ、議論する価値を感じないのです。--153.194.64.50 2022年2月26日 (土) 23:00 (UTC)[返信]

終了 前回投稿から一週間が経過しましたが「議論を続けるべき」との意見が出ませんでしたので、本件はこれをもってクローズとします。--PMmgwwmgmtwp'g会話2021年9月19日 (日) 13:04 (UTC)[返信]