ノート:諸葛亮
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家系図について
[編集]色々間違ってる気がします。諸葛誕が諸葛亮の末弟扱いになっていますし。私のPCからはズレて表示されてよくわからない状態です。--240F:E3:87AD:1:C008:EA21:A944:4399 2015年4月19日 (日) 03:09 (UTC)
渡邉氏の張儼による諸葛亮評について
[編集]編集合戦が起こっているこの箇所について、手持ちの三国志Ⅱ今鷹真・小南一郎・井波律子訳、筑摩書房〈世界古典文学全集24B〉発行年月1982年 ISBN:4-480-20352-4を参照したところ、張儼著の黙記述佐篇の批評としてP374に該当部分「あるひとがいった。~むなしく軍隊を疲労させ、毎年出征しながらわずかばかりの土地を攻略することもできず~国内は荒廃にさらされ」との箇所がありますが、これは指摘されてる方の通りあるひとの言葉であって張儼評ではありません。これは、渡邉氏があるひと(原文或曰)を読み飛ばしてしまった故の勘違い以外に考えられないと思います。 また張儼評としてP373に「一国の柱となる臣下であり覇者の優れた片腕である。~司馬仲達は十倍の地を支配し~ただ自国の保全につめただけであった。あの諸葛孔明を思うままに行き来させていたのだから、もしもこの人(孔明)が死なずその意思を全うし~毎年策謀を立てることがあったのなら~勝負の帰趨も結論を見ていたであろう。昔子産が鄭の国を治めたころ諸侯は思い切って戦いを挑もうとしなかった。蜀の丞相もこれに近いといえよう。司馬懿と比較すればまさっていよう」 そしてあるひとが先ほどの持論を述べた後に説明を聞かせてもらいたいと述べた張儼の反論として「~司馬仲達の才能は諸葛孔明に劣り、劉玄徳でさえ対抗しえたのに諸葛孔明がどうして軍を出して敵の滅亡を策してはいけないのか~私が観察するに彼の蜀国統治の根幹は当時すでにきちんと整備されており、~いにしえの管仲、晏嬰といでもどうして彼以上でありえようか」と論じています。張儼の諸葛亮評は軍事、政治とも過剰な賞賛のみで批判が一切ありません。 先ほどのあるひとの評を張儼評とするのはやはり著しく妥当性を欠くと思われます。この評を記載するのであれば、張儼著作内のあるひとの評であることを明記した上で事実のように書かず中立的な観点から張儼の反論や、同書P373、袁子の論として「諸葛亮の統治により田畑は開墾され、米倉は満ちあふれ~道には酔っ払うものもいなかった」等を併せて記載すべきかと思います。 --Sangoku3goku(会話) 2020年10月7日 (水) 05:23 (UTC)
Sangoku3goku様
ぬこマニアと申します。この度は該当部分で多数の方にご迷惑をお掛けしておりますことをお詫びいたします。また、明確かつ非常に分かりやすい資料出典の提示と解説を頂きありがとうございました。
--ぬこマニア(会話) 2020年10月7日 (水) 07:27 (UTC)
ちくま邦訳の転載について
[編集]諸葛亮#評価の"陳寿の評"の項ですが、ちくま学芸文庫の邦訳『正史 三国志 5』の転載になっており、著作権上の問題があるため、一度これを除去します。再度同内容を掲載する場合は著作権上の問題のない形にしてください(この感じだと他の箇所にも同様の問題がありそうでもあり、後にまた触れるかもしれませんが、とりあえず陳寿の評のみ確認)。--鳴海(会話) 2024年5月11日 (土) 02:53 (UTC)