ノート:都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位
1920年の国勢調査人口
[編集]順位 | 市町村 | 庁府県 | 総数 | 男 | 女 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
4 | 京都市 | 京都府 | 591,323 | 299,686 | 291,637 | 順位変わらず |
6 | 横浜市 | 神奈川県 | 422,938 | 224,046 | 198,892 | 順位変わらず |
24 | 豊多摩郡渋谷町 | 東京府 | 80,799 | 41,692 | 39,107 | 22位~24位が繰り上げ |
142 | 西諸県郡小林町 | 宮崎県 | 23,217 | 11,627 | 11,590 | 順位変わらず |
149 | 南葛飾郡大島町 | 東京府 | 22,333 | 11,892 | 10,441 | 順位変わらず |
160 | 西成郡中津町 | 大阪府 | 21,508 | 9,920 | 11,588 | 順位変わらず |
169 | 浅口郡玉島町 | 岡山県 | 20,916 | 9,853 | 11,063 | 欠落、169位~182位が繰り下げ |
436 | 北足立郡浦和町 | 埼玉県 | 11,694 | 6,260 | 5,434 | 順位変わらず |
の間違いでは?OrichalcumOrichalcum(会話) 2012年9月17日 (月) 13:25 (UTC)
1950年~1970年の那覇の人口について
[編集]よく見ると総人口も一部概数が混ざったりと、表記が一定していません。修正が必要と思われます。Orichalcum(会話) 2012年9月17日 (月) 13:33 (UTC)
平成27年国勢調査の確定値
[編集]人口等基本集計は平成28年10月26日水曜日14時30分に公表される予定ですが、本項目の更新は今週末まで遅れるかも知れません。Orichalcum(会話) 2016年10月25日 (火) 15:41 (UTC)
分量の削減について
[編集]特別:長いページにおいて当記事が13位(2018年10月5日時点で613,468バイト)となっているので確認したところ、当記事の内容が過剰ではないかと思いました。
2013年末より2016年秋にかけて、度重なる加筆によって容量が8倍程度に増加しました(加筆前2013年11月13日時点で77,643バイト、この間2015年の国勢調査結果の加筆を含む)。Orichalcumさんによる調査・編集においては大変なご苦労があったことと察しますが、読者の期待する内容を大幅に超え、そのうえ可読性を損ねていると考えます。これほどの大容量では、2050年や2100年、さらなる未来において、上位経験都市がさらに増加し、そのかつての最大人口区域探しなど編集者の負担が増大し、果ては誰もが編集を諦め、記事としての有用性が失われかねません。
つきましては内容の大規模な削減を提案します。基本としては、当記事の名称が「都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位」であることから、記事名の示す区域の順位が分かればそれで良いと考えます。なお私案を考えてもみましたが、いきなり提示することは控えます。--メリース(会話) 2018年10月7日 (日) 07:59 (UTC)
上記の提案について補足します。
提案の根拠はWP:NOTに言うところの「統計の過剰な記載」およびWP:SURPLUSで述べられている「記事項目とは別の話題で膨れ上がって」いることです。
都道府県庁所在地でも政令指定都市でもないどころか人口が20万しかない都市、一度でも人口が100位に達した都市を当記事に掲載することが適当であるとは思えません。「日本の市の人口順位」という内容の類似した項目もあり、そちらは範囲を逸脱していません。
また「都道府県の人口一覧」という項目から過去の人口部分が分割されているように、当記事に過去の人口を含む必要すらない可能性があります。--メリース(会話) 2018年10月7日 (日) 13:40 (UTC)
- 通りすがった程度ゆえの意見ですが、レベル2の見出しの「人口順位の時系列」と「1920年(大正9年)の人口順位」で分割できないのでしょうか。それだけでも、可読性を含めて随分と楽になりそうな気がします。--58.98.243.204 2019年4月15日 (月) 09:30 (UTC)
- コメント 例えば、『都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位 (1920年)』など、年度別に分割してはいかがでしょうか。--Susuka(会話) 2019年4月16日 (火) 12:48 (UTC)
- 脚注内の巨大な表の辺りも、説明文込みで分割できるのではないでしょうか。それ以前の問題として、ここまで膨大な量の注釈文はまず本文で節化しておくべきでしょうし。--58.98.241.69 2019年4月22日 (月) 03:05 (UTC)
- この統計は情報が過剰すぎますね。ページタイトルにもあってないし、情報を詰め込みすぎてかえって分かりにくくなってる典型ですね。表が縦にも横にも長すぎて、ためしに「都道府県庁所在地と政令指定都市」以外の都市を省いたらページサイズ4割くらい(613,539バイト→369,832バイト)減りました。横方向の情報も大分整理できると思います。5年おきに横に増やしていくデータってどうなんだと感じます。都道府県の人口一覧くらい削ってもいいような気がしますが、5年おきを10年おきにするだけでも半分になりますし検討の余地があるかと思います。--Win51(会話) 2019年5月1日 (水) 10:34 (UTC)
- 間違えていたら申し訳ないのですが、コメント依頼はまだ続いているのですか?--快速フリージア(会話) 2021年8月17日 (火) 10:05 (UTC)
- 返信 コメント依頼をした者です。恥ずかしながら、テンプレートを除去し忘れておりました。依頼ページからはずっと前に除去されていますので、こちらのテンプレートも除去しました。お手数をおかけし、申し訳ありません。--メリース(会話) 2021年8月17日 (火) 11:56 (UTC)
- かしこまりました。お気になさらずで。--快速フリージア(会話) 2021年8月17日 (火) 20:43 (UTC)
樺太の都市は含むべきか
[編集]戦前樺太庁として、植民地と違い日本本土である内地に指定されていたわけで、市に昇格していた豊原や、真岡、恵須取、敷香などは十分戦前のランキングに入る(例えば1940年では豊原市は人口37000で136位)のですが、入れるべきではないでしょうか?
- 樺太が内地に編入されたのは1943年3月26日~終戦時ソ連占領までの実質2年間です。よって1920年~1940年の内地の国勢調査ではそもそも対象外です。実際のところ1944年2月22日に実施された臨時の人口調査(食糧配給の準備のため、銃後人口のみを全数調査した)での豊原市の人口は分かっておりますが、1944年の人口調査は東京都の当時の領域での人口が不明であるなど、色々な理由で本項目に含めませんでしたし(ほかに1945年、1946年、1948年にそれぞれ臨時の人口調査が実施されていますが、本表では1945年の人口調査の結果のみを5年毎の調査の延長として例外的に含めた)、また1940年の樺太庁での国勢調査時の市町村別人口の詳細が公表・出版されていないので(詳細が分かっているのは、戸籍ベースの1940年12月31日付現住人口:38,606人;1941年12月31日付現住人口:37,160人など)、1940年の豊原市の正確な数字が分かりません(国立公文書館に原表があるようなので、もしかしたら請求したら判るかも知れませんが)。
- よって樺太については(1) 1940年国勢調査時の正確な数字が公表されていない。 (2) 本項目に採用された調査年月日では、そもそも内地に所属していない。(3) 戦後日本本土に復帰していないし、特に樺太は日本政府も領有権を放棄している。などの理由により、本項目に入れるべきではないと思います。
- なお豊原郡豊原町/豊原市の国勢調査時人口は以下の通りです(1940年10月1日付は不明)。
調査年次 調査形態 人口 市町村名 1920年10月1日 国勢調査・現在人口 12,125 豊原郡豊原町 1925年10月1日 国勢調査・現在人口 22,010 豊原郡豊原町 1930年10月1日 国勢調査・現在人口 31,903 豊原郡豊原町 1935年10月1日 国勢調査・現在人口 34,687 豊原郡豊原町 1944年2月22日 人口調査・現在人口 42,151 豊原市
- また恵須取郡(1942年までは名好郡所属)恵須取町(1940年12月31日現住人口:35,115人、1941年12月31日現住人口:39,026人、1944年2月22日現在人口:35,968人)のように、戸籍上の1941年末現住人口で豊原市の人口を抜いた町村もあります。Orichalcum(会話) 2019年11月5日 (火) 04:42 (UTC)Orichalcum(会話) 2019年11月5日 (火) 04:45 (UTC)