佐賀主婦の店
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
佐賀県佐賀市西魚町60[3] ↓ 佐賀県佐賀市新中町6-11[4][5] |
設立 | 1958年(昭和33年)9月2日[1][5] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 食品スーパー |
代表者 |
牛島国枝(初代社長) [1] ↓ 牛島真澄[5] |
資本金 |
設立時 200万円[6] ↓ 3億2653万円[5] |
売上高 | 245億円(1991年(平成3年)8月期)[2] |
従業員数 | 800[4] |
決算期 |
8月期[2] ↓ 2月期[5] (1999年(平成11年)決算期変更[5]) |
「株式会社 佐賀主婦の店」は、佐賀県で主婦8人が創業した文字通りの主婦の店として知られていた[7]消費者運動としてスタートしたスーパーマーケットである[8]。
1992年(平成4年)1月に商号を「株式会社 ハロー」に変更した[5]。
歴史・概要
[編集]佐賀の主婦15人による読書会「菱の実会」で、メンバーの一人が岐阜の主婦の店の記事を持ち込んだのをきっかけに、当時・佐賀市議会議員だった牛島国枝達が各地のスーパーマーケットの見学などを行い、自らの手での開業することになった[9]。
そして、読書会15人のうち8人が出資して[9]、1958年(昭和33年)9月2日に[1]資本金200万円で「株式会社 佐賀主婦の店」を設立した[6]。
主婦の店の指導者の一人から、繁華街ではなく、住宅街への出店を進められたことから、当時の佐賀市街地の西の外れであった西魚町にあった元警察官の所有地に店舗の建物を建設してもらい、それを借り受けて開業することとした[9]。
しかし、既存の小売業者からの激しい反対にあったことから、佐賀県内の業者からの青果や鮮魚、肉類などの生鮮食品、牛乳や豆腐などの日配食品などの仕入れが困難な状況となった[9]。
その為、鮮魚と肉類は近隣の既存店を入居させることで確保[9]。
青果については、隣県で県境に近い久留米市の青果市場からの調達を図ることになり[9]、同市場側のトラックで運送してもらう形で調達することになった[10]。
こうして、1958年(昭和33年)11月18日に「佐賀主婦の店」が開業した[10]。
開業当初は、セルフサービス方式に馴染みのない買い物客の為、「代金は出口の勘定場で」や「カゴにご自由にお入れください」などの張り紙をして、その利用方法の周知を図った[10]。
創業当初の品揃えは、生鮮食品を主体とする食料品で、日用雑貨や文具なども取り扱ったが、衣料品は靴下とタオルなどのみとしていた[10]。
また、創業当時、佐賀の既存の食料品店の多くが定価販売であったことから、1割引きなどで販売した当店の価格は魅力的なものとなっており、当店で仕入れて販売する小売店が一部出るような状況となった[10]。
そして、創業時には断られていた佐賀県魚市場からの仕入れも行えるようになり、創業から5年目には仕入れ量が最大となったことから、同市場から祝辞を依頼されるようになった[10]。 その祝辞で、創業当時に「あなたたちがうちに魚を買わせてくれなかった」と牛島国枝が述べた…という逸話も残っている[10]。
1962年(昭和37年)8月には出資者を広く募って約100人に増やし、資本金1600万円まで増資した[10]。この当時の株主は創業メンバーの知人たちで、主婦の店を応援・協力してくれる主婦のみで構成されていた[11]。
当初は消費者の集団のいる団地内などに小型の食品スーパーのチェーン展開を進め[8]、1975年(昭和50年)には19店舗まで増やした[11]。
そして、人材確保やモータリゼーションへの対応するため、大型店を出店することになり、1977年(昭和52年)に「ハロー佐賀店」を開業した[11]。この店舗名は消費者からの公募で選ばれたもので、当時の佐賀市街地の北の外れを通る国道沿いに出店した[11]。
1978年(昭和53年)8月に「リンデンフーズ」を設立して総菜工場を開設し、独自の総菜製造を開始[12]。
1980年(昭和55年)3月に[5]「シジシージャパン九州本部」の設立に参加した[13]。
1983年(昭和58年)に「ハローフーズ」を設立して漬物工場を開設し、独自の漬物製造を開始[12]。
1984年(昭和59年)10月に「大和農園」を設立して、倒産仕掛けたもやし工場を買収し、もやしとカイワレの製造を開始した[12]。
1987年(昭和62年)4月に全店舗にPOSシステムを導入した[14]。
県外資本による競合店の進出に対応するため、1990年(平成2年)に小型店での日用雑貨の取り扱いを廃止して食品専門店への業態転換を進めた[15]。
1992年(平成4年)1月に商号を「株式会社 ハロー」に変更した[5]。
1998年(平成10年)11月に[16]「えじまや」を吸収合併した[17]。
2002年(平成14年)5月にイオンに買収されて同社の傘下に入った[17]。
そして、2003年(平成15年)11月21日にマックスバリュ九州に「西九州ウエルマート」と共に吸収合併され、消滅した[18]。
年表
[編集]- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)9月 - 「有限会社 江島屋」を設立[19]。
- 1977年(昭和52年)5月 - 本部を移転[5]。
- 1978年(昭和53年)8月 - 「リンデンフーズ」を設立して総菜工場を開設[12]。
- 1979年(昭和54年)6月 - 江島屋と「寿屋」が共同出資で新会社「えじまや」を設立し、同社の19店舗の営業を継承[20]。
- 1980年(昭和55年)3月[5] - 「シジシージャパン九州本部」の設立に参加した[13]。
- 1983年(昭和58年) - 「ハローフーズ」を設立して漬物工場を開設[12]。
- 1984年(昭和59年)10月 - 「大和農園」を設立して、倒産仕掛けたもやし工場を買収[12]。
- 1987年(昭和62年)4月 - 全店舗にPOSシステムを導入[14]。
- 1992年(平成4年)1月 - 「株式会社 ハロー」に社名変更[5]。
- 1998年(平成10年)11月[16] - 「えじまや」を吸収合併[17]。
- 2002年(平成14年)5月 - イオンに買収される[17]。
- 2003年(平成15年)11月21日 - マックスバリュ九州に「西九州ウエルマート」と共に吸収合併され、消滅[18]。
かつて存在した店舗
[編集]「ハロー」や「アーガス」、「くらし館」、「えじまや」などの店名で出店してした[5]。
佐賀市
[編集]- 売場面積396m2[23]
- 売場面積180m2[25]
- 売場面積297m2[27]
- 売場面積429m2[27]
- 売場面積680m2[21]
- 売場面積390m2[31]
- 売場面積324m2[26]
- 売場面積363m2[26]
- 売場面積329m2[36]
- 売場面積612m2[36]
- 売場面積830m2[42]
- 売場面積566m2[26]
- 売場面積429m2[36]
- 売場面積299m2[36]
- 売場面積300m2[36]
- 売場面積229m2[36]
- 売場面積105m2[48]
- 売場面積198m2[48]
- 売場面積212m2[48]
- 売場面積300m2[38]
- 売場面積300m2[56]
- 売場面積663m2[57]
- 売場面積299m2[36]
三養基郡
[編集]- 売場面積299m2[36]
- 売場面積295m2[36]
鹿島市
[編集]- 売場面積215m2[23]
- アーガス鹿島店(鹿島市大字森字水町52[59])
鳥栖市
[編集]- 売場面積339m2[36]
- 売場面積310m2[36]
- 売場面積299m2[36]
- 売場面積341m2[36]
多久市
[編集]- 売場面積956m2[48]
小城郡
[編集]神埼郡
[編集]- 敷地面積約8,900m2[66]、鉄骨造地上1階建て[66]、延べ床面積約3,872m2[66]、店舗面積約2,937m2[66](当社店舗面積約693m2[66])、駐車台数約500台[66]。
- 「ユニード三田川店」(約698m2)と共に「東肥前商業開発」が開設した「サンプラザ」の核店舗として出店していた[66]: 売場面積694m2[36]
福岡県
[編集]福岡市
[編集]博多区
[編集]- 売場面積594m2[71]
- 売場面積231m2[69]
- 売場面積750m2[71]
中央区
[編集]- 売場面積423m2[36]
東区
[編集]南区
[編集]- 売場面積132m2[78]
- 売場面積430m2[79]
- えじまや井尻第二店(福岡市南区井尻上ノ原174[78]、?開店 - ?閉店)博多区
- 売場面積150m2[78]
- 売場面積79m2[79]
西区
[編集]城南区
[編集]- 売場面積650m2[68]
- 売場面積947m2[76]
早良区
[編集]- 売場面積303m2[73]
- 売場面積930m2[81]
- 売場面積498m2[81]
前原市
[編集]- 売場面積954m2[81]
太宰府市
[編集]春日市
[編集]- 売場面積302坪[60]
- 売場面積600m2[92]
大野城市
[編集]- 売場面積495m2[85]
- 売場面積2,153m2[93]
- 売場面積1,350m2[68]
- 売場面積499m2[81]
筑紫野市
[編集]- 敷地面積約1,500m2[94]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[94]、延べ床面積約2,982m2[94]、店舗面積約2,193m2[94](当社店舗面積約1,698m2[94])、駐車台数約50台[94]。
- 売場面積695m2[68] → 2,404m2[95]
- 売場面積656m2[81]
那珂川市
[編集]- 売場面積499m2[81]
柏屋郡
[編集]- 売場面積999m2[36]
- 売場面積840m2[81]
- 売場面積845m2[81]
久留米市
[編集]- 売場面積848m2[81]
三井郡
[編集]- 売場面積475m2[36]
- 売場面積4,471m2[81]
宗像市
[編集]八女市
[編集]柳川市
[編集]- 売場面積482m2[36]
大川市
[編集]
長崎県
[編集]- 売場面積10,850m2[105](直営売場面積4,171m2[36])、駐車台数約600台[105]
- 1,000m2の衣料品売り場や家電・インテリア・ファッションなどのテナントも導入した総合スーパー[104]。
- 売場面積11,066m2[106]
過去に存在した事業所
[編集]過去に存在した関連会社
[編集]- リンデンフーズ(佐賀市鍋島町深町[48]、1978年(昭和53年)8月設立[12]、総菜製造[12])
- ハローフーズ(神埼郡千代田町[108]、1983年(昭和58年)設立[12]、資本金500万円[108]、漬物製造[12])
- 大和農園(、1978年(昭和53年)8月設立[12]、もやしとカイワレの製造[12])
関連項目
[編集]- カリーノファシリティーズ - 熊本県に所在する不動産会社。寿屋(ラララグループ)およびその後身のカリーノ(カリーノグループ)の継承会社。※この項目で小売り事業も解説
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp836
- ^ a b c “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1991年12月号 (総合食品研究所) (1991年12月).pp94
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp51
- ^ a b “経営の春秋 翔け!異色企業・実力企業 佐賀主婦の店”. 商工ジャーナル 1985年12月号 (商工中金経済研究所) (1985年12月).pp81
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。pp289
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp321
- ^ “経営の春秋 翔け!異色企業・実力企業 佐賀主婦の店”. 商工ジャーナル 1985年12月号 (商工中金経済研究所) (1985年12月).pp80
- ^ a b c d 町田成一 “「5」佐賀主婦の店(佐賀) 消費者運動としてスタートした主婦の眼が独自の商品と売場に生きる”. 食品商業 1986年5月号 (商業界) (1986年5月).pp92-95
- ^ a b c d e f “「佐賀主婦の店」会長 牛島国枝さんの巻(第4回)女の企業「佐賀主婦の店」の経営へ ”. 2020 AIM 1992年2月号 (オフィス2020) (1992年2月).pp51
- ^ a b c d e f g h i j “「佐賀主婦の店」会長 牛島国枝さんの巻(第4回)女の企業「佐賀主婦の店」の経営へ ”. 2020 AIM 1992年2月号 (オフィス2020) (1992年2月).pp52
- ^ a b c d “「佐賀主婦の店」会長 牛島国枝さんの巻(第4回)女の企業「佐賀主婦の店」の経営へ ”. 2020 AIM 1992年2月号 (オフィス2020) (1992年2月).pp53
- ^ a b c d e f g h i j k l “「佐賀主婦の店」会長 牛島国枝さんの巻(第4回)女の企業「佐賀主婦の店」の経営へ ”. 2020 AIM 1992年2月号 (オフィス2020) (1992年2月).pp54
- ^ a b “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1980年3月号 (総合食品研究所) (1980年3月).pp163
- ^ a b 沖田都子 “流通20年史略年表 昭和49(1974)年~平成6(1994)年”. 流通とシステム 創刊20周年記念特大号 (流通システム開発センター) (1994年6月).pp75
- ^ “ストアニュース”. 総合食品 1990年4月号 (総合食品研究所) (1990年4月).pp135
- ^ a b 中江正一郎 “トレンド・アイ/活発化する九州のM&A”. 九州経済調査月報 1999年8月号 (九州経済調査協会) (1999年8月).pp31
- ^ a b c d 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp311
- ^ a b “マックスバリュ九州、ハロー、西九州ウエルマートの3社が合併 九州全県に展開”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年9月12日). pp1
- ^ 『帝国銀行・会社要録 第51版』 帝国興信所、1970年。福岡pp15
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp36
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- ^ 『風車と共に 主婦の店運動25年』 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン、1982年4月16日。pp332
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- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp275
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp345
- ^ 『風車と共に 主婦の店運動25年』 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン、1982年4月16日。pp342
- ^ a b 『全国商業通覧 1982年版 西日本』 通商産業調査会、1982年4月28日。pp4517
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- ^ “銀行異動状況・9,10月”. 金融財政事情 1979年2月26日号 (金融財政事情研究会) (1979年2月26日).pp64
- ^ 『風車と共に 主婦の店運動25年』 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン、1982年4月16日。pp335
- ^ a b c 『佐賀県事業所名鑑 昭和61年版』 佐賀県総務部統計課、1987年12月。pp34
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- ^ a b 『風車と共に 主婦の店運動25年』 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン、1982年4月16日。pp338
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- ^ “シリーズ・戦後名商人の"問わず語り"回想録 「佐賀主婦の店」会長・牛島国枝さんの巻(最終回)"幸せだ"と心からいえる人生”. 2020 AIM 1992年4月号 (オフィス2020) (1992年4月).pp76
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- ^ “トピックス"”. 財界九州 1987年11月号 (財界九州社) (1987年11月).pp118
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2005年版』 東洋経済新報社、2005年。pp1675
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp1770
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp580
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