ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌
ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌 | |
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BE-BOP-HIGHSCHOOL | |
監督 | 那須博之 |
脚本 | 那須真知子 |
出演者 |
仲村トオル 清水宏次朗 中山美穂 |
音楽 | 矢野立美 |
主題歌 |
中山美穂 「JINGI・愛してもらいます」 |
撮影 | 森勝 |
編集 | 田中修 |
配給 | 東映 |
公開 | 1986年8月9日 |
上映時間 | 95分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 11億5000万円[1] |
前作 | ビー・バップ・ハイスクール |
次作 | ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲 |
『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』( - こうこうよたろうエレジー)は、漫画『ビー・バップ・ハイスクール』を原作とした1986年8月9日公開の日本映画。きうちかずひろの人気コミックの実写版第2弾。カラー、ビスタサイズ、映倫番号:112081。
ストーリー
[編集]城東工業の「ボンタン狩り」によって、トオル(仲村トオル)とヒロシ(清水宏次朗)もボンタンを狩られてしまう。ヒロシとトオルの報復に舎弟のノブオ(古川勉)たちが城東の生徒へのボンタン狩りを始める。城東のNo.1山田敏光(土岐光明)とNo.2のテルこと藤本輝夫(白井光浩)率いる城東軍団が、ヒロシとトオルのクラスメイトである今日子(中山美穂)を騙してトオルとヒロシをおびき出す。崖の上のドライブインで、城東の生徒から狩ったボンタンと、ヒロシとトオルのボンタンを交換することとなるが、ドライブインが全壊する大乱闘の末、ヒロシとトオルが山田と藤本を倒し、愛徳が勝利する。なお原作では、テルがトオルのリベンジにビビッて自らボンタンを脱いで詫びを入れ、それを隠して敏光に事の次第を報告した末敏光が愛徳に単身殴り込みにくるものの、その場にいた均太郎などにボンタンを脱いで土下座した事をばらされ、怒った敏光に殴り倒されて終わる。
- 原作収録エピソード
- 3、5巻参考
- 1 小悪魔軍団興亡記(5巻)&小悪魔軍団騒動記(5巻)
- 2 恋文大将恥懺悔(5巻)
- 3 不良少女鬼姫参上(3巻)
- 4 不良街道膝栗毛(5巻)
- 5 高校与太郎挽歌(バラード)(5巻)
キャスト
[編集]愛徳高校
[編集]- 中間徹 - 仲村トオル
- 加藤浩志 - 清水宏次朗
- 泉今日子 - 中山美穂
- 三原山順子 - 宮崎ますみ
- 兼子信雄 - 古川勉
- 横浜銀一 - 八巻保幸
- 赤城山忠治 - 小林啓志
- 大前均太郎 - 上野隆彦
- 黒田晋平(シンペー) - 岩田富弘
- 川端純(ジュン) - 為田浩
- 山本先生(世界史) - 草薙幸二郎
城東工業高校
[編集]立花商業高校
[編集]中学生
[編集]- 如月翔子(五中の鬼姫) - 中野みゆき
その他
[編集]- 鬼島 - 地井武男
- 新田 - 木之元亮
- 加奈江 - 浅野ゆう子
- 藤本(テルの父) - 成田三樹夫
- 白百合女学院13代目総番 マンモスお妙(野崎妙子)- ミス・A(ジャパン女子プロレス)
- 長尾淳一
- 宮野保
- 梅野浩
- 朝田誠治
- 柔道大会の審判A - 丹古母鬼馬二
- 柔道大会の審判B - 飯島大介
- 卓球場のおばさん - 高山千草
- 佐藤了一
- 賀川幸史郎
- 小見山玉樹
- 白井達始
- 福島浩
- 背溝治子
- 日下田忍
- 作山志保
- 宮本秀明
- 中野光章
スタッフ
[編集]- 監督 - 那須博之
- 企画 - 長谷川安弘
- プロデューサー - 黒澤満、紫垣達郎
- 原作 - きうちかずひろ(講談社刊)
- 脚本 - 那須真知子
- 撮影 - 森勝
- 照明 - 野口素胖
- 録音 - 宗方弘好
- 美術 - 大嶋修一
- 編集 - 田中修
- 助監督 - 成田裕介
- 製作担当 - 服部紹男
- 音楽 - 矢野立美
- 音楽プロデューサー - 高桑忠男、石川光
- 主題歌 - 中山美穂「JINGI・愛してもらいます」(キングレコード)
- 挿入歌 - ビー・バップ・少年少女合唱団「ビー・バップ・パラダイス」(ワーナー・パイオニア)
- 作詞作曲:都志見隆 編曲:中村哲
- イメージサウンドトラック盤・発売 - キングレコード
- キャスティング - 飯塚滋
- B班撮影 - 田村輝行
- 助監督 - 伊藤裕彰、鳥井邦男、中田秀夫
- 撮影助手 - 井上明夫、中尾正人、五十嵐英弘、広中康人
- 照明助手 - 鳥越正夫、田淵信之、伊藤裕、高田一郎、白岩正嗣
- 録音助手 - 西田忠昭、渡辺一夫
- 音響効果 - 原田サウンド
- 選曲 - 秋本彰
- 編集助手 - 目春典子
- 記録 - 鈴木さとみ
- 美術助手 - 岡村匡一
- 装飾 - 坂本亨大、大庭信正、日高勇治
- 装置 - 貫井健二
- 撮影効果 - 平山茂
- 技闘 - 高瀬将嗣(高瀬道場)
- カー・スタント - TA・KA
- 衣裳 - 波多野芳一
- メイク - 中元睦子
- スチール - 久井田誠
- 製作宣伝 - 荒井一弥、石井薫
- 演技事務 - 河合啓一
- 製作進行 - 武石宏登、岩下真司、多田野貴裕
- 美術 - 東映美術センター
- 衣裳 - 第一衣裳
- 器材 - 日本映機
- 照明 - トライアーツ
- 特機 - NK特機
- 車輌 - 富士プロダクション
- 現像 - 東映化学
- 製作協力 - セントラル・アーツ
- 東映株式会社作品
撮影協力
[編集]- 静岡鉄道
- 清水駅前銀座商店街
- 株式会社ヤマナカ
- いわき市錦興業株式会社
- DEMOB
- 松興堂
- ジャパン女子プロレス
- 國士舘大学剣道部
製作
[編集]脚本の那須真知子は、「私たちとしては(第1作目で)大好きな『仁義なき戦い』と日活アクションをミックスしたつもりだったが、東映の幹部からは好かれてもらえなかったと感じた。だけど映画が大ヒットしたから仕方なく2作目の製作が決まったんだと思う」と述べているが[2]、東映では第1作は薬師丸ひろ子主演の『野蛮人のように』のB面映画にもかかわらず[3]、後半は『野蛮人のように』より、『ビー・バップ・ハイスクール』が主力となって突っ走ったと分析し[3][4]、"不良性感度"が若者に大いに受けたと高く評価[3]、この2作目を夏休みの東映まんがまつり後の夏休みのメイン作(A面映画)に昇格させた[3]。岡田茂東映社長は、「東西の撮影所が作る作品は、長年の伝統からおのずと滲み出る独得の匂いがあるから、東映の体質にないような作品を作るために1作目では洋画配給部の原田宗親(部長)にあえて映画製作に取り組ませた。1作目はローカル興行で『野蛮人のように』と同等ぐらいの動員力があった。昔日活が『嗚呼!!花の応援団』で大きく当てたように、1パツはワァーと来るんだが、2ハツ3パツ、連続してイケるもんじゃないんだな。今回は興行サイドの熱望でパート2を夏にやることにしたんだが、ぼくはあまり2は好みじゃないんだよ。1はドカンと来たが2はダーンと落ち込むケースが非常に多い。だから2を作るという容易な考え方でなく、一から出直すつもりでやれと言っているんだ。久方ぶりに夏に香港映画をやめて、『BE FREE!』と東映二本立てを決めた」などと話した[4]。映画関係者も東映がしばらく失っていた"不良性感度"が魅力で、東宝のアイドル映画とは性格を異にするが、そこが興行の大きなポイントと見ていた[3]。東映は配収を8億円、洋画系(東映洋画)で同時期流す『天空の城ラピュタ』は『子猫物語』などの影響を受けるため興行予想が難しかったが、5~6億円を見込んでいた[3]。しかし2作品とも予想を上回るヒットになった[3]。
キャスティング
[編集]前作の大ヒットを受けて本作のオーディション一般公募には前作の4倍以上となる25,540人が集まり、なかには小沢仁志の実弟の小沢和義も受けており、山田敏光役を希望していた。当時アイドルであった大西結花も翔子役のオーディションを受けていた[5]。
一作目で戸塚水産の一兵卒(江藤役)を演じていた土岐光明は、パート2でも那須監督から直々にオファーがあったものの、当時は営業マンの仕事をしておりスケジュール的に難しいからと断っていたが、オーディションの審査員として来てほしいと依頼を引き受けるも、大役の山田敏光役だけがなかなか決まらず、スタッフみんなが悩んでいたところ、那須監督から直々に頼まれ、有給休暇を使いながら撮影に挑んだ[5]。
テル役の白井光浩は、オーディションで最終選考まで残るも、キャスティング最終日に他の出演者たちが一人ずつ呼ばれて次々に役が決まる中、自分の名前が呼ばれず諦めていた時に、最後に那須監督から今回の準主役のテルをやってもらう事を直に言われて喜びもひとしおであった。本シリーズの中でも強烈なインパクトを与えたテルだが、それ以降の『ビーバップ』オーディションではエントリーした出演希望者の多くがテルになりきり、中には、現場でもテルの言い回しをコピーするキャストがいて監督やスタッフを困らせることもあった[5]。
テルの父親役で出演する成田三樹夫のキャスティング経緯は、那須夫妻が『仁義なき戦い』のファンで、那須真知子が『探偵物語』のホンを書いていることからの抜擢[2]。東映から「成田さんはこんな役では出ないよ」と言われたが、成田が出演を承諾してくれた時は嬉しかったという[2]。成田は当時忙しく、現場で初めて脚本を読み[6]、撮影後、那須夫妻に「何やってるか分からんかった」と言ったという[2]。
ブレイク直前の浅野ゆう子も草津温泉の飲み屋のママ役で出演している[7]。
撮影
[編集]撮影に当たり、仲村トオルは那須博之監督から「『仁義の墓場』のイメージでやるから、映画を観ておけ」と伝えられた[8]。最初は助監督をやる者がおらず、ブラブラしていた成田裕介が助監督をやることになった[9]。この成田が「アイドルって、要するに子役に毛が生えたようなもんだから。うるさいから調教だよね。俺が鬼軍曹になっていかないと現場が回って行かない。こう言ったちゃあなんだけど、彼女たちはまだ女優って呼べない」という考えで女優に接した[9]。中田秀夫も助監督に就いた[10]。
本作の最大の見せ場となる新装開店の崖沿いのドライブインを全壊させる撮影は、福島県いわき市の照島ランド跡地の廃墟を利用して、建物は当地に3日間でオープンセットを組み、店内は大泉の東映撮影所(以下、東映東京)に建設した[7]。セットの建設に1週間[5]、乱闘場面は5日間等[7]、このシーンは全撮影日数の4分の1を占める[7]。ドライブインは最後に破壊されペチャンコになるが、店内(内部)の大きさに比べ、外観が小さく大きさが合わない。この撮影で数人救急車で運ばれた[11]。またメイン出演者の一人が地元のツッパリと揉め、出演者もまさか向って来るとは思わず、「お前ら何やってんじゃー!」「あああん!? お前ちょっと来い!!」というようなやり取りがあり、そのままツッパリにさらわれた[11][12]。助監督総出で捜索し見つけ出した[11]。
このシーンの当初の演出プランは「主人公を助けに行く仲間たちがトラックを強奪し、大乱闘が展開中の30メートルの岸壁の上に立つレストランに突入、そのまま店内を突き切って崖をダイブし、たまたま岸辺を航海中のタンカーの上に着地し大団円」という無茶苦茶なものだった[13]。技闘担当の高瀬将嗣を始め、日本中のスタントマンが拒否(あたりまえ)、タンカーはもとより漁船も崖下に接岸できないことが判明(あたりまえ)、中止になったのは不幸中の幸いだったが、結局那須監督は執念で、カットを割ってその演出プランに近いシーンを実現させた[13]。
備考
[編集]トオルが特殊警棒を使うのは本作まで。原作でも特殊警棒を使うコマは後の版では修正されて消されている。
第一作では全く使われなかった「シャバ僧」という言葉が頻繁に使われる。『週刊明星』1986年8月21日号の「映画を観やすくする用語辞典」に「ジャバい…今回の映画のキーワード。意味は情けないこと。どうしようもなくダサいこと。最近のツッパリ少年の間では最も使用頻度が高い言葉。シャバい奴のことを「シャバ僧」とも言う」と説明されている[7][注 1]。
『ビー・バップ・ハイスクール』は原作者のきうちかずひろが『仁義なき戦い』からの影響を話しているが[14]、本作では新田(木之元亮)がトオルとヒロシを諭し、「お前ら『仁義なき戦い』で菅原文太が松方弘樹に言うシーン知っとろうが」と言うと、トオルとヒロシが、『狙われるもんより狙うもんの方が強いんじゃ」と言葉を合わせるシーンがある。このセリフは、四国・松山で目の前が真っ暗な中学生時代を送っていたという杉作J太郎も「どれだけ生きるための、生きのびるための力をくれたか分からない」と話す名セリフである[15]。
撮影記録
[編集]- 静岡県
- 静岡市(旧清水市・現清水区)(今日子が城東の3人にさらわれるシーンは、1986年6月24日新清水駅[18][注 2]。さらわれた翔子をノブオが自転車で追うシーンは日の出町の巴川河口付近[19]。この近辺で多くのシーンが撮影された。巴川の少し上流の築地町の船着き場で翔子・今日子・順子が話をするシーンが撮られた[20]。ヒロシとトオルが卓球をやったり、今日子が雨宿りするキング卓球場は川の対岸にあったが現在はマンションが建っている[20]。中山の証言から撮影日は1986年6月24日と見られる[7]。テルが実家から缶を道路に投げつけ、スーパーインポーズ後に映るバス停は、港町のしずてつジャストライン港町バス停[21]。また世界の映画史に残る名シーン「第1作の巴川ダイブはこの上流で行われた[22]。他に新静岡駅[7]、清水駅前銀座商店街など[23]。
- 東京都
- 大田区西六郷(城東のテルの実家・鉄工所)[6]。テルこと白井光浩は、父役の成田三樹夫に至近距離から実際に植木鉢を投げ付けられ胸で受けた[6]。この撮影中に犬を連れて散歩していた田代まさしが偶然通りかかったという[6]。前述のように成田は現場で脚本を初めて読み、アフレコでも全く覚えていなかったという[6]。
- 新宿区歌舞伎町(テルら城東の不良4人が入るファッションアパレル・パリオン)[7][24]。
- 渋谷区宮下公園(歩道橋の乱闘シーン)[7][25]。
- 新宿区西新宿と中野区本町(トオルとヒロシが城東の大群に追われ、オートバイの氷を乗せたリヤカーに乗り逃げるシーンは相生橋付近)[25]。
- 三鷹市
- 吉祥寺駅南口(再転校して愛徳に戻って来た今日子(中山美穂)が順子(宮崎ますみ)に駅構内の階段で会うシーンは1986年6月25日に撮影された[7][26]。続いてトオルとヒロシが城東勢に追いかけられるシーンも吉祥寺で撮影され、人気者の登場に1000人程度の見物人の山で大混乱した[7][注 3]。他に吉祥寺ダイヤ街[26]、のれん小路[26]、のれん小路での撮影は6月4日)[26]。
- 下連雀(城東の不良が映画館前にいたトオルを捕まえるシーン[7][27]。仲村は「実録シリーズ松方弘樹3本立て」と看板が掛かった映画館・三鷹文化劇場(現存せず)の前のバイクに腰掛ける。松方のシリーズ物というと今日では「脱獄三部作」が有名だが、ここで掛かる三本立ては『実録外伝 大阪電撃作戦』『暴動島根刑務所『北陸代理戦争』の実録シリーズ三本。このシーンはクランクインの日の撮影された。テルこと、白井光浩の俳優デビューの日だった。喫茶店のフロリダは横浜市のため、横浜と三鷹のシーンを繋げた[27]。
- 府中市宮西町(トオルとノブオが夜の街で女連れの城東のテルに出くわすシーン)[28]。
- 調布市西つつじケ丘(愛徳のノブオたちが城東に追い詰められるパチンコ店[29]。テルこと白井光浩は、同じ日に『AERA』の取材で、京王線つつじヶ丘駅前で中山美穂と宮崎ますみを不良が回りを囲む写真撮りがあったと話している)[29]。
作品の評価
[編集]- 秋本鉄次は、「同一キャラクターによるシリーズ物は東映にはこのところ途絶えて久しかった。『青春の門』は2本のみの短命だったし、ロングシリーズというと「トラック野郎シリーズ」のいにしえまで遡らなくてはならないのかと思うと暗澹としてしまった。東映や日活のシリーズ物で育って来た最後の世代の一人としては、シリーズ物が楽しめないのは、何ともさみしい限りだ。ましてや東映、柄の決して良くない連中が銀幕狭しと暴れ回るヤツでないとやっぱり気分が出ない」などと評価した[30]。
- 映画関係者は、2作目で1作目より大きく落ち込むのではという評価もあったが[31]、予想外の大ヒット[31]。しかし岡田茂東映社長が「あれはフロック」などと評したため[31]、東映内部でも「やるべし」という意見と「これで打ち切り」と言う意見で分かれた。製作が本体ではなく、むしろセントラルアーツに所属する仲村主演作を作るべきという意見が出たが、ずっと冷え込んでいたローカル(地方館)の盛り返しが凄く、3作目の製作が決まった[31]。
イメージビデオ
[編集]『仲村トオル ビー・バップ・ハイスクール青春番外地』
- 1986年10月発売。中間徹役の仲村トオルをメインに、本作のトレーニング風景、キャンペーンイベントの様子、新撮のドラマフッテージなどを収めたビデオ作品。
- スタッフ
同時上映
[編集]「BE FREE!」
ネット配信
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 他に説明されている言葉は、「あいつら、頭も筋肉でできてるんじゃねーの」「こらこら、おいたしてっと検便するぞ」「今度くる時はお股にキムコ(消臭剤)はさんでこいや」「お願いだから死んでくれ」「寝言は寝てから言えよ、少年!?」[7]。
- ^ 中山美穂は清水駅前と話している[7]。卓球場で今日子が雨宿りするシーン他、1日中、中山は放水車の雨に打たれずぶ濡れ、セーラー服の着替えもなくなった[7]。中山は前日『ザ・トップテン』出演後、清水へ直行。午後11時に到着後、午前2時までセリフを覚え、翌朝5時に起きてロケ出発。24日の撮影は午前0時まで続いた。これは出演を渋ったスタッフからの仕打ちと言われている[7]。
- ^ 多忙の中山の撮影は、1986年6月14日から1986年6月26日まで単発的に5日間。6月14日東映東京、6月15日川崎、1986年6月24日清水、6月25日吉祥寺、6月26日東映東京(ドライブイン店内)[7]。
出典
[編集]- ^ 1986年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b c d ギンティ小林「那須真知子インタビュー」『映画秘宝』2016年2月号、洋泉社、56-57頁。
- ^ a b c d e f g 「興行価値 日本映画 "不良性感度"を武器に、第一作で見せたパワーを発揮できれば期待のもてる東映の夏番組。」『キネマ旬報』1986年8月下旬号、キネマ旬報社、164頁。
- ^ a b 活動屋人生 2012, pp. 202–203.
- ^ a b c d 映画『ビー・バップ・ハイスクール』血風録 高校与太郎大讃歌(タツミムック)
- ^ a b c d e ビーバップのおっさん テルのロケ地探訪シリーズ!!【第375回 城東のテルの凶暴さを象徴するあの鉄工所は今どうなっている!? 高校与太郎哀歌の名場面の撮影場所をついに – テルチャンネル/白井光浩
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 「中山美穂 映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』撮影秘話」『週刊明星』1986年8月21日号、集英社、56–58頁。
- ^ ギンティ小林「仲村トオルインタビュー」『映画秘宝』2016年2月号、洋泉社、52-53頁。
- ^ a b セントラル・アーツ読本 2017, pp. 291–292.
- ^ 藤木TDC「中田秀夫インタビュー」『映画秘宝』2017年2月号、洋泉社、80 - 81頁。
- ^ a b c ギンティ小林「清水宏次朗インタビュー」『映画秘宝』2016年3月号、洋泉社、38-39頁。
- ^ 日本不良映画 2016, pp. 111–117.
- ^ a b 技斗番長 2016, p. 63.
- ^ 「映画『共犯者』をめぐって 今、ハードボイルド映画が面白い 対談 きうちかずひろ+桂千穂」『シナリオ』1999年5月号、日本シナリオ作家協会、58頁。
- ^ 「総特集=菅原文太-反骨の肖像- /【追悼】 僕は文太さんに二度お会いした文・杉作J太郎」『現代思想』2015年4月臨時増刊号、青土社、19頁、ISBN 978-4-7917-1298-4。
- ^ ビーバップ ロケ地探訪シリーズ!【第295回 物語はここから始まった! 高校与太郎哀歌のオープニングを飾るあのトンネルをついに特定! 】の巻
- ^ a b ビーバップ ロケ地探訪!【第54回 ついにロケ地探訪シリーズが始動! アラフィフはみんな見ていたあの名シーンの場所に行ってみた! 】の巻
- ^ ビーバップ ロケ地探訪シリーズ!【第284回 テルと今日子のシーンの後にまさかの未公開シーンが!? 貴重な当時の台本を検証しました! ついにあのセリフの謎が解けた!】の巻
- ^ a b ヒロシ・トオル・菊リン・シンゴが コーマンズを結成した酒屋をついに特定! 神回!【第319回 ビーバップの聖地・清水のロケ地探訪シリーズ!ノブオが自転車で翔子を追うあの…
- ^ a b ビーバップ好きは必見! ロケ地探訪シリーズ in 清水!【第327回 清水の激うまラーメン一元で腹ごしらえの後、翔子・今日子・順子が話をした場所を特定! あの場所は現在は
- ^ 映画ビー・バップ・ハイスクール 山田敏光のバス停! リョウのアパート!【第326回 ノブオとテルのビーバップ ロケ地探訪シリーズ in 清水 再び! 名シーンのロケ地を訪ねます
- ^ ビーバップが生んだ世界の映画史に残る名シーン! 巴川ダイブのロケ地に行ってみた!【第317回 テルとノブオのビーバップ ロケ地探訪シリーズ! 撮影以来、36年ぶりにノブオ
- ^ 清水宏次朗さんのカットされたシーンとは!? 【第267回 ビーバップ ロケ地探訪シリーズ in 清水 第2弾! ノブオとテルが映画本編ではカットされたシーンについて激白!!】の巻
- ^ ビーバップ ロケ地探訪&検証シリーズ第2弾!【第59回 あの名場面…パリオンに凱旋! 撮影秘話に酒と肴が美味い!!】の巻
- ^ a b ビーバップ ロケ地探訪&検証シリーズ!【第113回 長年の謎だった愛徳 vs 城東の名シーンの撮影場所を、テルがついに特定!】の巻
- ^ a b c d 城東のテル ビーバップ ロケ地探訪&検証シリーズ第3弾!【第68回 あの名シーンのロケ地を訪ねました! 当時からあるお店の主人からまさかの秘話が!】の巻
- ^ a b ビーバップ ロケ地探訪&検証シリーズ!【第150回 ビーバップの聖地を巡る! テルとトオルが再会した映画館の場所をテルが35年ぶりに訪れてみた!】の巻
- ^ ビーバップの聖地を巡る ロケ地探訪&検証シリーズ!【第157回 トオルとテルが出会った夜の街のロケ地をついに特定! まさかのあの名シーンと同じ風景が!!】の巻
- ^ a b ビーバップハイスクール ロケ地探訪シリーズ!【第220回 城東VS愛徳のあのパチンコ屋をついに見つけた! 地井武男さんとテルとの撮影裏話も満載!】の巻
- ^ 秋本鉄次「日本映画批評 『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』」『キネマ旬報』1986年9月下旬号、キネマ旬報社、165頁。
- ^ a b c d 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1986年9月下旬号、キネマ旬報社、172頁。
参考文献
[編集]- 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年。ISBN 978-4-636-88519-4。
- 『日本不良映画年代記』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2016年。ISBN 978-4-8003-0900-6。
- 高瀬将嗣『技斗番長活劇戦記 実録日本アクション闘争記』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年。ISBN 978-4-8003-1020-0。
- 山本俊輔+佐藤洋笑+映画秘宝編集部 編『セントラル・アーツ読本』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2017年。ISBN 978-4-8003-1382-9。