北陸代理戦争
北陸代理戦争 | |
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Proxy War in Hokuriku | |
監督 | 深作欣二 |
脚本 | 高田宏治 |
出演者 | 松方弘樹 |
音楽 | 津島利章 |
撮影 | 中島徹 |
編集 | 堀池幸三 |
製作会社 | 東映 |
配給 | 東映 |
公開 | 1977年2月26日 |
上映時間 | 98分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『北陸代理戦争』(ほくりくだいりせんそう、Proxy War in Hokuriku )は、1977年の日本映画。98分。製作:東映。
概要
[編集]深作欣二監督による実録映画最終作。福井市・三国町・敦賀市・輪島市・金沢市を舞台に、関西・名古屋を巻き込んだ地元ヤクザの抗争を描く。ラストには「俗に北陸三県の気質を称して越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師と言うが、この三者に共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」のナレーションが流れる。
映画公開一ヵ月半後の昭和52年(1977年)4月13日午後1時5分、本作品の主人公のモデルとなった川内組の組長・川内弘が映画同様、地元の喫茶店で射殺された(三国事件)[1]。映画が原因で実際に殺人事件を起こしてしまう危なさで、このため本作は実録ヤクザ映画の"極北"とも評される[2]。福井市郊外にあるこの喫茶店は川内が好んで通った店で[3]、店の内部はセットであるが[3]、外観は実際の建物である[3]。深作が実録路線から撤退したのはこの三国事件のためともいわれる[4][5]。深作は撮影後に川内から手紙を受け取っている。
予告編のBGMには、「狂った野獣」、「実録外伝 大阪電撃作戦」、「暴動島根刑務所」、「暴走パニック 大激突」の一部が使われており、「仁義なき戦い 頂上作戦」の映像が使われている[要出典]。
あらすじ
[編集]福井市にある暴力団富安組の若頭・川田登は、組長の安浦が競艇場利権を譲渡する約束を破ったため、安浦をリンチ。おびえた安浦が弟分・万谷を介して大阪浅田組・金井に相談したため、金井は手打ちの仲介名目で北陸進出にのり出すことになる。
出演者
[編集]- 松方弘樹 - 川田登 モデルは川内弘
- 野川由美子 - 仲井きく
- 伊吹吾郎 - 谷中組幹部・竹井義光
- 高橋洋子 - きくと隆士の妹・仲井信子
- 地井武男 - 金井組組員・仲井隆士
- 矢吹二朗 - 川田の若衆・花巻伝
- 中原早苗 - 安浦の妻・安浦あさ
- 天津敏 - 名古屋竜ケ崎一家組長・元村武雄
- 織本順吉 - 金沢谷中組組長・谷中政吉
- 中谷一郎 - 浅田組幹部・吉種正和
- 林彰太郎 - 馬場幸吉
- 曽根将之 - 金井組幹部・大崎軍次
- 牧冬吉 - 金井組幹部・能田孝雄
- 西田良 - 麻生常司
- 榎木兵衛 - 金井組組員・梁文男
- 小林稔侍 - 金井組組員・朴竜国
- 平沢彰
- 鈴木康弘 - 波川
- 有川正治 - 河島平吉
- 野口貴史 - 植村厚志
- 白川浩二郎 - 西本昭
- 片桐竜次 - 金井組組員・黄東明
- 五十嵐義弘 - 岸達之助
- 成瀬正 - 村田国平
- 阿波地大輔 - 守田一夫
- 蓑和田良太 - 富山刑務所の看守
- 秋山勝俊 - 利本保治
- 笹木俊志 - 神明松男
- 松本泰郎 - 野中徹三
- 広瀬義宣 - 小泉邦彦
- 国一太郎 - 草壁警部
- 高並功 - 橋口京一
- 木谷邦臣 - 赤土良男
- 勝野賢三
- 司裕介 - 山下
- 奈辺悟 - 津賀忠
- 福本清三 - 押坂仙吉
- 藤長照夫 - 幹部
- 小田正作 - 布施静雄
- 小峰一男 - 隅田祥二
- 藤沢徹夫 - 桑原長吉
- 岩尾正隆 - 杉谷洋
- 紅かおる - ウエイトレス
- 奥村裕子 - あんま
- 宮城幸生
- 森谷譲
- 志茂山高也 - 佐藤
- 白井孝司 - 上原
- 山田良樹
- 矢部義章
- 森源太郎
- 酒井哲 - ナレーター
- ハナ肇 - 万谷喜一
- 遠藤太津朗 - 浅田組幹部・岡野信安 モデルは菅谷政雄
- 成田三樹夫 - 浅田組幹部・久保利夫
- 西村晃 - 安浦富蔵 モデルは津原雅也こと岩佐政治
- 千葉真一 - 大阪浅田組系金井組組長・金井八郎 モデルは柳川次郎
スタッフ
[編集]製作
[編集]企画
[編集]企画、及びタイトル命名は、岡田茂東映社長[6]。当時岡田が漢字の題名を先に考え、出来たタイトルで映画を作れと現場に指示していた[6]。『資金源強奪』『強盗放火殺人囚』等も同じで[6]、本作も岡田が先にタイトルを作り、高田宏治に脚本を発注した[6]。
当初は『新仁義なき戦い』シリーズの一編として制作が予定されていたが、同シリーズを主演していた菅原文太が、「実録としての"仁義なき戦い"はもう終わったと思う」などと発言し[7]、実録映画出演拒否の姿勢を打ち出していたことから[1][7][8]、別作品として制作・公開された。深作は「彼(菅原)も飽き飽きしていたんじゃないですか[9]」と回顧している。
キャスティング
[編集]竹井役は渡瀬恒彦が演じていたが、撮影中に雪中での自動車事故に遭い重傷を負ったため、急きょ伊吹吾郎に交代した[1]。映画館で上映されていた予告編では渡瀬の出演するシーンがある。
撮影
[編集]本作は現在進行中の抗争を映画化し、映画の製作が原因でモデルとなったやくざを刺激した[1][4][10]。飛び交う雑音を無視して岡田東映社長が「こういう生々しいのはええ」と製作を推し進めさせたといわれる[11]。『仁義なき戦い』を始め、深作欣二×笠原和夫の実録映画はライブ中に取材した作品はなく[12]、脚本の高田宏治は、笠原を越えたいという思いから抗争渦中の現地に飛び込み取材を敢行した[12]。しかし福井県警の干渉を受けたり、大雪で撮影が難航したり、前述の主役、準主役の交替など撮影時から多くのトラブルにも見舞われ、「仁義なき戦い」というネームバリューを外されたこと、興行力のある菅原が降板したこと、客層が変化したことなどの理由で配収が2億円に届かない記録的な不入りとなり、実録路線終幕の切っ掛けになったとされる[10][1]。
影響
[編集]しかし監督の深作、及び脚本の高田宏治は、その後大作を製作し、さらなる名声を得た[13]。深作は「実録路線」を切り上げ、様々なジャンルの大作を手掛けた。高田は『鬼龍院花子の生涯』や『極道の妻たちシリーズ』などの「東映女やくざ路線」に繋げた[4][13]。本作はその分岐点といえる作品であった[14]。
迫に乗せられ、深作と高田は次の"花道"に出たが[12]、親分を失くして"奈落"に落とされた極道には次の"舞台"はなく、親分が命を落とす一因になった本作を川内組の子分たちは未だに許していないという[12]。事件を取材し2014年に『映画の奈落 北陸代理戦争事件』を刊行した伊藤彰彦は、それが一番辛かったと話している[12]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』(講談社)実録路線終幕の象徴『北陸代理戦争』が放つ“映画の悪”
- ^ 『映画の奈落 北陸代理戦争事件』刊行記念 特集上映&トークイベント開催
- ^ a b c 「Listen to the Movies 映画美術は語る 種田陽平が聞く美術監督インタビュー 009 井川徳道」『キネマ旬報』2007年3月下旬号、キネマ旬報社、181頁。
- ^ a b c “実録が現実を喰う!『映画の奈落』北陸代理戦争の仁義なき場外戦 - HONZ”. 株式会社HONZエンタープライズ. 2018年10月28日閲覧。
- ^ 奈落、p287
- ^ a b c d KAWADE夢ムック 春日太一責任編集 深作欣二 現場を生きた、仁義なき映画人生(河出書房新社、2021年 ISBN 978-4-309-98033-1)「第2章 「仁義なき戦い」の時代 連続インタビュー深作欣二の現場(10) 高田宏治(脚本家) 作さんに「ちょっと冒険してみるけどええか?」って言うたのよ」pp.113-114
- ^ a b “夢乗せ疾走 文太シリーズ 新仁義、トラック野郎 二頭立て馬車に仁王立ち 手綱がっちり 口も出しますクレームも”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 6. (1975年10月24日)
- ^ “夢乗せ疾走 文太シリーズ 新仁義、トラック野郎 二頭立て馬車に仁王立ち 手綱がっちり 口も出しますクレームも”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 6. (1975年10月24日)「もう仁義はきらないぜ 東映実録トリオ、会社に造反」『週刊朝日』、朝日新聞社、1975年6月27日号、36-37頁。
- ^ 深作欣二・山根貞男 『映画監督深作欣二』 ワイズ出版、2003年7月。[要ページ番号]
- ^ a b 奈落、p239-241
- ^ 奈落、p261
- ^ a b c d e 「ブックレビュー インタビュー 『映画の奈落 北陸代理戦争事件』 高田宏治×伊藤彰彦 聞き手・桂千穂 磯田勉」『シナリオ』2014年6月号、日本シナリオ作家協会、27 – 29頁。
- ^ a b 奈落、p287-291
- ^ 奈落、p264-265
関連書籍
[編集]- 伊藤彰彦『映画の奈落 北陸代理戦争事件』国書刊行会、2014年5月。ISBN 978-4336058102。講談社+α文庫、2016年4月。ISBN 978-4062816250