コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

北陸代理戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北陸代理戦争
Proxy War in Hokuriku
監督 深作欣二
脚本 高田宏治
出演者 松方弘樹
音楽 津島利章
撮影 中島徹
編集 堀池幸三
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗 1977年2月26日
上映時間 98分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

北陸代理戦争』(ほくりくだいりせんそう、Proxy War in Hokuriku )は、1977年日本映画。98分。製作東映

概要

[編集]

深作欣二監督による実録映画最終作。福井市三国町敦賀市輪島市金沢市を舞台に、関西名古屋を巻き込んだ地元ヤクザの抗争を描く。ラストには「俗に北陸三県の気質を称して越中強盗加賀乞食越前詐欺師と言うが、この三者に共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」のナレーションが流れる。

映画公開一ヵ月半後の昭和52年(1977年4月13日午後1時5分、本作品の主人公のモデルとなった川内組の組長・川内弘が映画同様、地元の喫茶店で射殺された(三国事件)[1]。映画が原因で実際に殺人事件を起こしてしまう危なさで、このため本作は実録ヤクザ映画の"極北"とも評される[2]。福井市郊外にあるこの喫茶店は川内が好んで通った店で[3]、店の内部はセットであるが[3]、外観は実際の建物である[3]。深作が実録路線から撤退したのはこの三国事件のためともいわれる[4][5]。深作は撮影後に川内から手紙を受け取っている。

予告編のBGMには、「狂った野獣」、「実録外伝 大阪電撃作戦」、「暴動島根刑務所」、「暴走パニック 大激突」の一部が使われており、「仁義なき戦い 頂上作戦」の映像が使われている[要出典]

あらすじ

[編集]

福井市にある暴力団富安組の若頭・川田登は、組長の安浦が競艇場利権を譲渡する約束を破ったため、安浦をリンチ。おびえた安浦が弟分・万谷を介して大阪浅田組・金井に相談したため、金井は手打ちの仲介名目で北陸進出にのり出すことになる。

出演者

[編集]

スタッフ

[編集]

製作

[編集]

企画

[編集]

企画、及びタイトル命名は、岡田茂東映社長[6]。当時岡田が漢字の題名を先に考え、出来たタイトルで映画を作れと現場に指示していた[6]。『資金源強奪』『強盗放火殺人囚』等も同じで[6]、本作も岡田が先にタイトルを作り、高田宏治に脚本を発注した[6]

当初は『新仁義なき戦い』シリーズの一編として制作が予定されていたが、同シリーズを主演していた菅原文太が、「実録としての"仁義なき戦い"はもう終わったと思う」などと発言し[7]、実録映画出演拒否の姿勢を打ち出していたことから[1][7][8]、別作品として制作・公開された。深作は「彼(菅原)も飽き飽きしていたんじゃないですか[9]」と回顧している。

キャスティング

[編集]

竹井役は渡瀬恒彦が演じていたが、撮影中に雪中での自動車事故に遭い重傷を負ったため、急きょ伊吹吾郎に交代した[1]。映画館で上映されていた予告編では渡瀬の出演するシーンがある。

撮影

[編集]

本作は現在進行中の抗争を映画化し、映画の製作が原因でモデルとなったやくざを刺激した[1][4][10]。飛び交う雑音を無視して岡田東映社長が「こういう生々しいのはええ」と製作を推し進めさせたといわれる[11]。『仁義なき戦い』を始め、深作欣二×笠原和夫実録映画はライブ中に取材した作品はなく[12]、脚本の高田宏治は、笠原を越えたいという思いから抗争渦中の現地に飛び込み取材を敢行した[12]。しかし福井県警の干渉を受けたり、大雪で撮影が難航したり、前述の主役、準主役の交替など撮影時から多くのトラブルにも見舞われ、「仁義なき戦い」というネームバリューを外されたこと、興行力のある菅原が降板したこと、客層が変化したことなどの理由で配収が2億円に届かない記録的な不入りとなり、実録路線終幕の切っ掛けになったとされる[10][1]

影響

[編集]

しかし監督の深作、及び脚本の高田宏治は、その後大作を製作し、さらなる名声を得た[13]。深作は「実録路線」を切り上げ、様々なジャンルの大作を手掛けた。高田は『鬼龍院花子の生涯』や『極道の妻たちシリーズ』などの「東映女やくざ路線」に繋げた[4][13]。本作はその分岐点といえる作品であった[14]

に乗せられ、深作と高田は次の"花道"に出たが[12]、親分を失くして"奈落"に落とされた極道には次の"舞台"はなく、親分が命を落とす一因になった本作を川内組の子分たちは未だに許していないという[12]。事件を取材し2014年に『映画の奈落 北陸代理戦争事件』を刊行した伊藤彰彦は、それが一番辛かったと話している[12]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』(講談社)実録路線終幕の象徴『北陸代理戦争』が放つ“映画の悪”
  2. ^ 『映画の奈落 北陸代理戦争事件』刊行記念 特集上映&トークイベント開催
  3. ^ a b c 「Listen to the Movies 映画美術は語る 種田陽平が聞く美術監督インタビュー 009 井川徳道」『キネマ旬報』2007年3月下旬号、キネマ旬報社、181頁。 
  4. ^ a b c 実録が現実を喰う!『映画の奈落』北陸代理戦争の仁義なき場外戦 - HONZ”. 株式会社HONZエンタープライズ. 2018年10月28日閲覧。
  5. ^ 奈落、p287
  6. ^ a b c d KAWADE夢ムック 春日太一責任編集 深作欣二 現場を生きた、仁義なき映画人生(河出書房新社、2021年 ISBN 978-4-309-98033-1)「第2章 「仁義なき戦い」の時代 連続インタビュー深作欣二の現場(10) 高田宏治(脚本家) 作さんに「ちょっと冒険してみるけどええか?」って言うたのよ」pp.113-114
  7. ^ a b “夢乗せ疾走 文太シリーズ 新仁義、トラック野郎 二頭立て馬車に仁王立ち 手綱がっちり 口も出しますクレームも”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 6. (1975年10月24日) 
  8. ^ “夢乗せ疾走 文太シリーズ 新仁義、トラック野郎 二頭立て馬車に仁王立ち 手綱がっちり 口も出しますクレームも”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 6. (1975年10月24日) 「もう仁義はきらないぜ 東映実録トリオ、会社に造反」『週刊朝日』、朝日新聞社、1975年6月27日号、36-37頁。 
  9. ^ 深作欣二・山根貞男 『映画監督深作欣二』 ワイズ出版、2003年7月。[要ページ番号]
  10. ^ a b 奈落、p239-241
  11. ^ 奈落、p261
  12. ^ a b c d e 「ブックレビュー インタビュー 『映画の奈落 北陸代理戦争事件』 高田宏治×伊藤彰彦 聞き手・桂千穂 磯田勉」『シナリオ』2014年6月号、日本シナリオ作家協会、27 – 29頁。 
  13. ^ a b 奈落、p287-291
  14. ^ 奈落、p264-265

関連書籍

[編集]
  • 伊藤彰彦『映画の奈落 北陸代理戦争事件国書刊行会、2014年5月。ISBN 978-4336058102 講談社+α文庫、2016年4月。ISBN 978-4062816250