コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ブルマート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社ブルマート[1]
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
102
東京都新宿区四谷4-29-11 御苑フロントビル[1]

東京都港区赤坂2-12-10 国際溜池ビル2階[2]

東京都千代田区一番町13-1 新半蔵門ビル[3]
設立 1979年(昭和54年)2月10日[1]
業種 小売業
事業内容 チェーン加盟店の経営指導
代表者
  • 秋沢志篤(代表取締役)
  • 大沢一郎(代表取締役)
資本金 5000万円[1]
従業員数 14名
決算期 2月
主要株主 雪印乳業 100%[4]

Am・Pmジャパン 100%[5]
特記事項:2001年11月9日解散
テンプレートを表示

ブルマート(Bull mart)は雪印乳業が運営していた日本のコンビニエンスストアチェーン。雪印が傘下の牛乳販売店の強化策として展開したが、後にam/pm傘下となった。

歴史・概要

[編集]

かつて、日本における牛乳販売は牛乳メーカーが牛乳販売店に卸し、販売店が朝方、顧客に戸別配達する販売形態が一般的で、1965年頃の牛乳販売店のシェアは90%を超えていた[6]。しかし、1967年頃から多頭飼育の影響で牛乳が過剰となり、販路拡大が課題となると、1970年に全農直販が牛乳容器を紙パック化し、量販店と直接取引をするようになった。以降、販売店のシェアは徐々に低下し、1973年には戸別配達が48%にまで低下した[7]。牛乳販売店の中には転廃業を強いられるところもあり、メーカー側には販売店の活性化を図る方策が求められていた。

雪印乳業1971年(昭和46年)頃からこの問題に取り組み、1972年(昭和47年)には専門のプロジェクトチームを組んで検討した[8]。このチームが出した案が販売店のコンビニエンスストア転換で[8]1974年(昭和49年)6月に第1号店として蒲田店を開いたのが始まりである[1][9]。 6店舗の実験店舗を出店した後に[8]1975年(昭和50年)6月には東京総括支店雪印乳業の市乳三課を担当部署としてブルマート本部を設置し[9]1979年(昭和54年)2月10日株式会社ブルマートを設立して本格的な事業展開を開始した[1]。 同年5月には群馬県の前橋市に進出して、同県初のコンビニエンスストアを開店した[10]

店名は雄牛(ブル)のようなエネルギーを持つように、ということで、「ブルマート」と名付けられた[11]。1975年に出店した牛乳販売店転換店舗で転換により牛乳販売量が大幅に伸長するなど[12]首都圏での展開が順調であったことから、1979年にはブルマートを担当する子会社「株式会社ブルマート」を立ち上げ、全国展開も視野に入れた[13]

1984年(昭和59年)にオンライン受発注システムBOS(ブルマート・オンライン・システム)を導入した[14]

1986年(昭和61年)8月にドライブインとの複合店の香織サービスエリア店を開店した[15]。 この店舗は約1,300坪の敷地に50台収容可能な駐車場を持ち、約150坪の建物内に約35坪のコンビニエンスストアの売場があるほか、約80坪に約50台のテーブル型ゲーム機を設置して約120人が収容可能な食事コーナーを併設していたドライブイン型の店舗であった[16]。 同年10月には居酒屋チェーンの庄やグループこ子会社の伊勢元を加盟店として2階に居酒屋のの庄や伊勢元店を併設した鶯谷店を開店した[15]

事業趣旨が販売店救済にあったことから、チェーン加入の条件は雪印製品を扱う牛乳販売店からの転業か、異業種からの参入の場合は近隣の雪印販売店から牛乳の納入を受けることが条件となっていた。八百屋だった店は転換後も野菜を売り続けることができるなど本部の統制が緩かったことから、パン販売店[17]や酒販店[18][19]、豆腐店[20]など、異業種からの参入が目立った。これには牛乳販売店は一般に店舗面積が狭く、そのままコンビニエンスストアに転業するのは無理があったことが要因となっている。ロイヤルティーも商品供給額の3%と他チェーンに比べて安く設定されていたが、これは本部機能を維持できる程度として設定された額であり、本部の指導力や商品供給機能の不足を招いた。

1991年にようやくロイヤルティー見直しと本部機能の強化に手をつけたものの、この頃になるとコンビニ業界は3強が6割を占めており、加盟店が200店程度と小規模なブルマートは劣勢は明らかであった。

1993年(平成5年)2月にはエーエム・ピーエムジャパンと業務提携し[21][22][23][24]、同年7月24日に本社事務所をエーエム・ピーエムジャパンが入居していた東京都港区赤坂2-12-10の国際溜池ビル2階に移転した[2]、同年10月からエーエム・ピーエムジャパンと関東地区の物流・商流を統一し共同化した[25]

1994年(平成6年)3月末にはam/pmがブルマート株を雪印から買収し[26]、雪印はコンビニ運営から撤退して[27]、ブルマートの店舗はam/pmに転換された[26]

1996年(平成8年)に本社事務所を東京都千代田区一番町13-1の新半蔵門ビルに移転した[3]

年表

[編集]
  • 1974年(昭和49年)6月 - 第1号店の蒲田店を開店[1][9]
  • 1975年(昭和50年)6月 - 東京総括支店雪印乳業の市乳三課を担当部署としてブルマート本部を設置[9]
  • 1979年(昭和54年)
    • 2月10日 - 株式会社ブルマートを設立して本格的な事業展開を開始[1]
    • 5月 - 前橋市に進出して、群馬県初のコンビニエンスストアを開店[10]
  • 1984年(昭和59年) - オンライン受発注システムBOS(ブルマート・オンライン・システム)を導入[14]
  • 1986年(昭和61年)
    • 8月 - ドライブインとの複合店の香織サービスエリア店を開店[15]
    • 10月 - 居酒屋のの庄や伊勢元店を併設した鶯谷店を開店[15]
  • 1993年(平成5年)
    • 2月 - エーエム・ピーエムジャパンと業務提携[21][22]
    • 7月24日 - 本社事務所をエーエム・ピーエムジャパンが入居していた東京都港区赤坂2-12-10の国際溜池ビル2階に移転[2]
    • 10月 - エーエム・ピーエムジャパンと関東地区の物流・商流を統一し共同化[25]
  • 1996年(平成8年) - 本社事務所を東京都千代田区一番町13-1の新半蔵門ビルに移転[3]

店舗

[編集]

1985年(昭和60年)2月期末時点で140店舗のうち、年中無休は132店舗で、24時間営業は15店舗であった[1]

1993年(平成5年)2月3日時点で165店舗で、am/pmの92店舗を上回っていた[22]

関東地方

[編集]

1993年(平成5年)2月3日時点で130店舗であった[22]

  • 東京都 - 60店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 神奈川県 - 18店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 千葉県 - 18店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 埼玉県 - 11店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 群馬県 - 2店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 茨城県 - 3店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]

関西地方

[編集]

1993年(平成5年)2月3日時点で35店舗であった[22]

  • 大阪府 - 23店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 京都府 - 1店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]
  • 兵庫県 - 3店舗(1985年(昭和60年)2月期末時点)[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『流通会社年鑑 1986年版』 日本経済新聞社、1985年11月11日。pp252
  2. ^ a b c “ブルマート、7月24日本部事務所をam/pm本部と同じビルに移転”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年7月16日). pp5
  3. ^ a b c “ホットラインニュース”. Franchise age 1996年4月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1996年4月1日).pp28
  4. ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1985年8月号 (総合食品研究所) (1985年8月).pp136
  5. ^ 『平成8年版 東商信用録(関東版)』上巻、東京商工リサーチ東京支社、1996年、1488ページ。
  6. ^ 日経産業新聞』1982年(昭和57年)7月6日付11面。
  7. ^ 「牛乳専販店の活性化からスタートしたブルマートの今後 理念は高尚だが、ロイヤルティ改善がないと、今後の成長も望めない」『激流』第7巻第12号、国際商業出版、1982年12月、32-33ページ。
  8. ^ a b c 川嶋光 “ブルマート 別会社設立でヤル気にやったブルマート”. 総合食品 1979年8月号 (総合食品研究所) (1979年8月).pp103
  9. ^ a b c d 『コールドチェーン年鑑 1976年版』 サンケイマーケティング、1979年9月20日。pp516
  10. ^ a b 小野吉英 “淘汰の時代近づく県内CVS業界”. 調査月報 1993年10月号 (群馬経済研究所) (1993年10月1日).pp8
  11. ^ 「ガンバル食品企業第一線⑤ 雪印乳業CVSブルマート本部 牛乳店蘇生に奔走 夏休みのない〝猛牛〟八人」『日経産業新聞』昭和50年8月25日付8面。
  12. ^ 吉田升三「「ブルマート」にみるコンビニエンス・ストアの新しい方向」『流通情報』第93号、流通経済研究所、1977年2月、19-23ページ。
  13. ^ 「牛乳販売店のコンビニ化 雪乳、全国展開へ 指導会社設立」『日経産業新聞』昭和54年(1979年)2月17日付け8面。
  14. ^ a b 『東京の中堅流通100社』 日本経済新聞社、1986年6月16日。 pp155
  15. ^ a b c d 宇治野憲治 『コンビニ業界残酷物語 セブン・イレブンなど業界急成長の蔭の天国と地獄、笑う加盟店・泣く加盟店、脱退オーナーの鼻息』 エール出版社、1986年12月25日。pp171-172
  16. ^ 宇治野憲治 『コンビニ業界残酷物語 セブン・イレブンなど業界急成長の蔭の天国と地獄、笑う加盟店・泣く加盟店、脱退オーナーの鼻息』 エール出版社、1986年12月25日。pp101-102
  17. ^ 「ブルマート鷺沼店 パン販売店多角化の一例 雪印乳業CVSグループに仲間入り」『食品商業』第4巻第3号、商業界、1975年3月、120-121ページ。
  18. ^ 「ブルマート武蔵屋 雪印乳業の指導が光るブルマート23号店 間口の広さをフルに生かして豪華な感じ与える」『食品商業』第5巻第13号、商業界、1976年12月、156-157ページ。
  19. ^ 「ブルマートひらの 横浜市 メーカー主宰フランチャイズ店 雪印バックに堅実なペースですすむ ミニ酒販店主が加入を決意して」『食品商業』第7巻第10号、商業界、1978年9月、182-183ページ。
  20. ^ 「メーカーフランチャイズ店 東京都 ブルマート中野新橋店 とうふ製造販売業からブルマートへ ノンフーズに力入れて売り上げ増より粗利確保はかる」『食品商業』第7巻第2号、商業界、1978年2月、114-115ページ。
  21. ^ a b “ホットラインニュース”. Franchise age 1993年4月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1993年4月1日).pp22
  22. ^ a b c d e “雪印乳業のブルマートと日鉱共石のエーエム・ピーエム・ジャパンが物流など協業化で合意”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年2月5日). pp1
  23. ^ 「エーエム・ピーエム 雪印系コンビニと提携 商品発送・仕入れ一本化」『日経流通新聞』1993年(平成5年)2月9日付7面。
  24. ^ 「“弱者”同士の提携では依然体力不足 生き残りの道険しい中小コンビニ」『日経ビジネス』1993年2月22日、32-33ページ。
  25. ^ a b “エーエム・ピーエム、ブルマートと物流一本化、協業効果高め来春目処に関西進出も”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年10月25日). pp2
  26. ^ a b “過去5年間におけるJFAおよびFC業界のあゆみ”. Franchise age 1997年5月号 (日本フランチャイズチェーン協会) (1997年5月1日).pp9
  27. ^ 『流通サービス新聞』1994年3月23日付5面。