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プロトン親和力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プロトン親和力(プロトンしんわりょく、proton affinity)とは気相中において分子あるいはイオンにプロトン(水素イオン)付加する場合の親和力であり、エンタルピー変化の数値で表す。電子親和力が電子の付加に対するものであるのに対し、プロトン親和力は陽子の付加に対するエネルギー変化にあたる。

この数値は気相中における物質塩基としての強度を示すもので、気相中における酸塩基平衡の指標となるものである。

概要

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気相中において分子 B のプロトン付加平衡は以下のように表される。

B(g) + H+(g) HB+(g)

同様に陰イオン A についても以下のように表される。

A(g) + H+(g) HA(g)

これらのプロトン付加反応のギブス自由エネルギーあるいはエンタルピー変化がより大きな負の値であるほど親和力は強く、より強塩基であることを示す。通常はプロトン付加に対するエンタルピー変化の負の値を PA (proton affinity)またはEpaで表す。この点も電子親和力 EA と同様である。

中性分子および陰イオンの場合、プロトン付加に対するエンタルピー変化は常に負の値をとるため、PA は常に正の値を示す。

気相中の酸強度

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例えばハロゲン化水素の気相中におけるプロトン解離平衡は以下のように表される[1][2]

HF(g) H+(g) + F(g),  ΔH = 1551.9 kJ mol−1,  ΔG = 1507.8 kJ mol−1
HCl(g) H+(g) + Cl(g),  ΔH = 1395.4 kJ mol−1,  ΔG = 1357.9 kJ mol−1
HBr(g) H+(g) + Br(g),  ΔH = 1353.5 kJ mol−1,  ΔG = 1313.9 kJ mol−1
HI(g) H+(g) + I(g),  ΔH = 1312.7 kJ mol−1,  ΔG = 1277.1 kJ mol−1

また水溶液中において著しく酸としての強度が小さいか、あるいは塩基としての強度が著しく弱いため、酸解離定数を求めることが困難な物質についても、気相中については数値が求められているものも少なくない。例えばメタンおよび水素分子の酸解離およびプロトン付加したキセノンの解離平衡は以下の通りである[1][3]

CH4(g) H+(g) + CH3(g),  ΔH = 1743.0 kJ mol−1
H2(g) H+(g) + H(g),  ΔH = 1675.2 kJ mol−1
XeH+(g) H+(g) + Xe(g),  ΔH = 512.9 kJ mol−1

これらの平衡は形式的には水溶液中における酸塩基平衡と同様であるが、水和していないことが決定的に異なり、プロトンは水溶液中のオキソニウムイオンとは状態が全く異なる。また比誘電率の高く、かつ溶媒和の影響が著しい溶媒よりなる水溶液中は中性分子が電離しやすい環境であるが、気相中ではこれらの影響がないため中性分子のイオン解離は極めて起こりにくい現象となる。そのため陰イオンに対するプロトン親和力は中性分子に対するものよりも著しく大きくなる。

分子またはイオンに対するプロトン付加は、主に非共有電子対に対して起こるが、水素分子あるいはメタンなど非共有電子対を持たない分子に対してもプロトン付加が起こる。例えば水素分子では3中心2電子系のプロトン化水素分子を生成し、メタンでは超酸中などにおいて5配位のカルボニウムイオンを生成する[4]。そのエンタルピー変化もあわせて示す[3]

H2(g) + H+(g) H3+(g),  ΔH = −423.8 kJ mol−1
CH4(g) + H+(g) CH5+(g),  ΔH = −563.6 kJ mol−1

水溶液中の酸強度との関係

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気相中におけるプロトン解離平衡と、イオンおよび分子の水和エネルギーから、水溶液中におけるプロトン解離平衡における酸解離定数を見積もることができる。まず共役塩基のプロトン付加反応は酸解離の逆反応であり、気相中の共役塩基のプロトン親和力は、気相中の酸解離を示す指標でもある。次に気相中の酸、プロトンおよび共役塩基それぞれの水和エネルギーを見積もることにより、水溶液中の酸解離定数の概数を見積もることが可能となる。プロトン化ヘリウム、フッ化水素および水素の酸解離についての推定結果をまとめると以下のようになる。

Proton affinity HHe+(g) → H+(g) + He(g) +178 kJ mol−1 [5]     HF(g) → H+(g) + F(g) +1554 kJ mol−1 [6]     H2(g) → H+(g) + H(g) +1675 kJ mol−1 [6]
Hydration of acid HHe+(aq) → HHe+(g) +973 kJ mol−1 [注 1]   HF(aq) → HF(g)   +23 kJ mol−1 [7]   H2(aq) → H2(g) −18 kJ mol−1 [注 2]
Hydration of proton H+(g) → H+(aq) −1530 kJ mol−1 [7]   H+(g) → H+(aq) −1530 kJ mol−1 [7]   H+(g) → H+(aq) −1530 kJ mol−1 [7]
Hydration of base He(g) → He(aq) +19 kJ mol−1 [注 2]   F(g) → F(aq) −13 kJ mol−1 [7]   H(g) → H(aq) +79 kJ mol−1 [7]
Dissociation equilibrium   HHe+(aq) H+(aq) + He(aq) −360 kJ mol−1     HF(aq) H+(aq) + F(aq) +34 kJ mol−1     H2(aq) H+(aq) + H(aq) +206 kJ mol−1  
Estimated pKa −63   +6   +36

水素分子は著しい弱酸と推定され、その共役塩基を含む水素化ナトリウムなどは有機合成において強塩基として用いられる。

フッ化水素の実測値 pKa = 3.17 と多少のずれがあるが、これは水和熱などの大きな値を使用したためによる誤差である[4]。水溶液中においてフッ化水素はシランよりもはるかに強い酸であるが、気相中における F と SiH3 のプロトン親和力はほぼ等しい。これは水溶液中において、フッ化物イオンの方がより強く水和し安定化されるためである。

水酸化物イオンも気相中においては著しい強塩基であるが、水溶液中では水和により塩基性は減少する。例えば溶媒和の影響が水溶液中よりも少ないジメチルスルホキシド中に懸濁させた水酸化カリウムは、水溶液中よりも強い塩基として作用しトリフェニルメタン pKa = 30(計算値)からもプロトンを引き抜くことが可能である。

気相中のプロトン移動平衡

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気相中におけるフッ化水素と塩化水素の酸解離定数の差は水溶液中における差よりも著しく大きく、それらの分子間のプロトン移動平衡は以下のように表され、この平衡は著しく左辺に偏っている。従ってこれらの共役塩基としての強度は塩化物イオン Cl よりもフッ化物イオン F の方がはるかに大きく、高いプロトン親和力を有することになる。

HF(g) + Cl(g) HCl(g) + F(g),  ΔH = 156.5 kJ mol−1,  ΔG = 149.9 kJ mol−1

この様な気相中におけるプロトン移動平衡はイオンサイクロトロン共鳴により測定され、共役塩基の相対的なプロトン親和力の差が求まり、プロトン親和力の絶対値が知られているものと比較することにより各物質のプロトン親和力が求められる[3]

プロトン親和力の値

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ΔHpa(PA)/kJ mol−1 [7]
中性分子
水素化物希ガス
He
178
CH4
552
NH3
854
H2O
697
HF
490
Ne
201
SiH4
649
PH3
789
H2S
712
HCl
564
Ar
371
GeH4
AsH3
750
H2Se
717
HBr
569
Kr
425
SnH4
SbH3
H2Te
HI
628
Xe
496
二原子分子単体
H2
424
N2
495
O2
422
F2
Cl2
その他無機分子
NF3
602
PF3
697
AsF3
649
NCl3
791
POF3
702
N2H4
856
NH2OH
803
H2O2
628
COS
632
CS2
699
CS
732
B3N3H6
812
H2SO4
699[3]
HCN
717
ClCN
735
Fe(C5H5)2
877
Fe(CO)5
845
炭化水素
C2H6
601
C2H4
680
C2H2
641
C6H6
759
アミン
CH3NH2
896
(CH3)2NH
923
(CH3)3N
942
C2H5NH2
909[3]
(C2H5)3N
972
C6H5NH2
877
C5H5N
924
(CH2)5NH
947[3]
CH(C2H4)3N
970[3]
カルボン酸エステル
HCOOH
750[3]
CH3COOH
799.6[3]
CH3COOCH3
839.8[3]
CH3COOC2H5
852[3]
アルデヒドケトン
HCHO
718
CH3CHO
789.5[3]
(CH3)2CO
823
アルコールエーテル
CH3OH
761
C2H5OH
788
C3H7OH
798
CH3OCH3
804
C2H5OC2H5
838
(CH2)4O
844[3]
(CH2CH2O)6
970[3]
その他有機分子
CH3PH2
854
(CH3)2PH
905
(CH3)3P
950
(C2H5)3P
969
(CH3)3As
893
CH3CN
788
(CH3)2NCHO
884
(CH3)2SO
884
CH3SH
784
C2H5SH
798
C3H7SH
802
(CH3)2S
839
(C2H5)2S
858
C2H7B5
703
C2H6B4
866
P(OCH2)3CCH3
877
PO(OCH3)3
887
P(OCH3)3
923
PS(OCH3)3
897
PO4C3H5
812
酸化物水酸化物
N2O
571
NO
531
CO
594
CO2
548
SO2
676
LiOH
1008
NaOH
1038
KOH
1100
RbOH
CsOH
1125
陰イオン
H
1675
CH3
1743
NH2
1672
OH
1635
F
1554
SiH3
1554
PH2
1550
SH
1477
Cl
1395
GeH3
1509
AsH2
1502
SeH
1417
Br
1354
SnH3
SbH2
TeH
I
1315
CN
1477
Mn(CO)5
1326
Re(CO)5
1389
オキソ酸イオン
NO2
1415
NO3
1358
PO3
1301
カルボン酸イオン
HCOO
1444
CH3COO
1458
C6H5COO
1423[3] 
CF3COO
1350
アルコキシド
CH3O
1587
C2H5O
1574
C3H7O
1568
C6H5O
1470
その他有機陰イオン
CH3S
1502
C2H5S
1515
CH2NO2
1501
CH2CN
1557
CH2CHO
1533
CF3
1572
CCl3
1515
CH3COCH2
1543
CH3SOCH2
1567[3]
CH3SO2CH2
1534
C2H3
1705[3]
C2H
1571
C6H5
1676[3]
C5H5
1490
(C6H5)2CH
1518[3]
C6H5CH2
1586
C6H5NH
1536
C4H4N
1503[3]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ リチウムイオンの水和熱 Li+(aq) → Li+(g) に等しいと仮定して見積もられた値。
  2. ^ a b 溶解度から見積もられた、自由エネルギー変化。

出典

[編集]
  1. ^ a b Wagman et al. (1982).
  2. ^ コットン、ウィルキンソン (1987).
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 化学便覧改訂第 4 版。
  4. ^ a b 田中 (1971).
  5. ^ Lias (1984) p. 695.
  6. ^ a b Bartmess (1979) p. 6046.
  7. ^ a b c d e f g Jolly (1991).

参考文献

[編集]
  • D.D. Wagman, W.H. Evans, V.B. Parker, R.H. Schumm, I. Halow, S.M. Bailey, K.L. Churney and R.I. Nuttal (1982). “The NBS tables of chemical thermodynamics properties”. J. Phys. Chem. Ref. Data 11 (Suppl. 2). 
  • F. A. コットン、G. ウィルキンソン(著)、中原 勝儼(訳》『コットン・ウィルキンソン無機化学』培風館、1987年。 
  • 田中元治『酸と塩基』裳華房〈基礎化学選書 8〉、1971年。 
  • 日本化学会 編『化学便覧 基礎編』(改訂第 4 版 )丸善。 
  • S. G. Lias, J. F. Liebman, and R. D. Levin (1984). J. Phys. Chem. Ref. Data 13'. 
  • J. E. Bartmess, J. A. Scott, and R. T. McIver (1979). J. Am. Chem. Soc. 101. 
  • William L. Jolly (1991). Modern Inorganic Chemistry (2nd ed.). McGraw-Hill, New York