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ボニー・ブレア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

ボニー・ブレア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
スピードスケート
オリンピック
1988 カルガリー 女子500m
1992 アルベールビル 女子500m
1992 アルベールビル 女子1000m
1994 リレハンメル 女子500m
1994 リレハンメル 女子1000m
1988 カルガリー 女子1000m

ボニー・ブレアBonnie Kathleen Blair1964年3月18日 - )は、1980年代から1990年代に活躍したアメリカの短距離スピードスケート選手。男女を通じ史上初めてスピードスケートにおけるオリンピック3連覇を達成した。ニューヨーク州オレンジ郡Cornwall出身。

主な成績

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自己ベスト

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  • 500m – 38秒69 (1995年)
  • 1000m – 1分18秒05 (1995年)
  • 1500m – 2分03秒44 (1994年)
  • 3000m – 4分47秒60 (1986年)
  • 5000m – 8分58秒29 (1985年)

その他

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  • 1994年3月には史上初めて39秒の壁を破る世界記録(38秒99)を記録した。
  • ワールドカップ通算70勝、種目別総合優勝は500m5回(1986–87,1989–90,1991–92,1993–94,1994-95)、1000m5回(1986–87,1991–92,1992-93,1993–94,1994-95)、1500m1回(1987–88)。
  • 冬季オリンピックにおける同一種目3連覇は、フィギュアスケート男子シングルのギリス・グラフストローム、同女子シングルのソニア・ヘニー、同ペアのイリーナ・ロドニナ、ノルディック複合個人のウルリヒ・ベーリンク、スピードスケート女子5000メートルのクラウディア・ペヒシュタイン、リュージュ男子1人乗りのゲオルク・ハックル、そしてのボニー・ブレアの7人だけである。
  • 日本代表の橋本聖子にとっては最大のライバルでもあり、彼女にはなかなか勝てなかったものの、共に大変仲の良い親友同士だったという。なお1988年のカルガリー五輪・女子5000mで6位入賞した橋本がゴール直後、力尽き果てて転倒したまま起き上がれなかった橋本に駆け寄り、そっとドリンクを手渡したのはブレア本人であった。また1992年のアルベールビル五輪・女子1500mで橋本は暫定3位につけていたが、同レースの最終滑走者組にボニー・ブレアが登場。橋本は「ブレアに優勝して欲しい、それでメダル逃しても悔いは無い」と心から応援したという。しかしブレアはレース後半失速してしまい21位に終わり、この結果橋本が日本女子選手で冬季五輪史上初の銅メダル獲得となった。
  • 夫はスピードスケートの元オリンピックアメリカ代表選手のデイブ・クルクシャンク(Dave Cruikshank)である。

外部リンク

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