マット・ハーディング
マシュー・ハーディング | |
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生年月日 | 1976年9月27日(48歳) |
出生地 | アメリカ合衆国 コネチカット州 |
ジャンル | ゲームクリエイター |
活動期間 | 2005年 - |
公式サイト | wherethehellismatt.com |
マシュー・ハーディング(Matthew Harding、1976年9月27日 - )は、アメリカのゲームクリエイター及びインターネット上の著名人。彼が世界中で踊った様子を映した動画が、YouTubeなどの動画共有サービスに投稿され人気を博している。Matt(マット)という名で親しまれており、彼の動画作品の名称にも冠されている。
来歴・人物
[編集]マットはアメリカのビデオゲーム開発者だが、最近は世界中の様々な場所のランドマークやストリートでダンスを踊るDancing Mattとしてよく知られている。
マットはコネチカット州ウェストポートの出身で、Cutting Edge Entertainmentというビデオゲーム店で働き、次に彼はコネチカット州ウィルトンのGameWEEK Magazineという雑誌の編集者を経て、その後ゲーム開発会社アクティビジョンでソフトウェア開発者として働いた。元々彼はビデオゲームを作って遊びたいという希望を持っており、その希望は思いがけず早く果たされたのだが、何か物足りないものを感じていた。
彼はパンデミックスタジオのデストロイ オール ヒューマンズ!という殺戮ゲームの開発に携わっていたが、「みんなを殺すようなゲームを作るのに、自分の人生を2年もかけたくない」と感じたことから、会社を辞め有り金をはたいて旅を始めた。これがこの有名なビデオが世に出る最初のきっかけだった[1]。
Where the Hell is Matt?
[編集]マットの独特なダンスは仲間内でも有名だった。ベトナムを旅行中、友人と互いにビデオに撮り合っていた時に、友人が「ダンスしてみてよ」とマットにリクエストした。このビデオはマットのWebサイトにアップされ、最初は彼の友人や家族が楽しんだ。
後にマットは、彼が中央で踊っている15のダンスシーンをつなぎ合わせ第1弾となる"Where the Hell WAS Matt?"を作成する。このビデオは電子メールを通じ人から人へと伝わり、最終的には口コミによって彼のWebサーバには1日に2万以上のアクセスが集中した。言語の壁を越え、国から国へとそのムーブメントは静かに広がっていった。
マットは2006年にその後の旅行のシーンを追加した"Where the Hell is Matt?"を作成した。この第2弾のビデオの作成にあたっては、チューイングガムのメーカーStrideがスポンサーとなっており、マットが旅行費用の工面に悩む必要は無くなった。
彼のビデオはYouTubeなどの主要な動画共有サービスで見ることができる。最も有名な第2弾のビデオはYouTubeにおいて2009年1月末時点で1800万回超の再生回数を誇る。
そして、2008年の6月20日、マットは第3弾として"Where the Hell is Matt? (2008)"を公開した。このビデオは42カ国を14ヶ月かけて回り製作されている。このBGMの"Praan"はGarry Schymanが作曲し、Palbasha Siddiqueが歌っている。歌詞はインドの詩人ラビンドラナート・タゴールの『ギーターンジャリ』に収められた"Stream of Life"という詩が元となっている。
2009年にはクレジットカードのブランド、Visaのキャンペーンであるmore people go with VISAのCMに出演。国によって内容が異なり、日本版では日本の紙幣肖像に用いられている3人(福澤諭吉、野口英世、夏目漱石)の役と競演している。コンセプトは「世界中のどこでもキャッシュレス」となっている。
2012年6月20日、世界中を舞台とするビデオとしては第4弾となる"Where the Hell is Matt? 2012"を公開した。
訪れた町
[編集]ゲーム作品
[編集]- デストロイ オール ヒューマンズ!
- Lemony Snicket's A Series of Unfortunate Events
- Army Men RTS
- Dark Reign 2
- Battlezone II: Combat Commander
- Battle zone
- Zork: Grand Inquisitor
出典
[編集]- ^ ジョーダン・スミス (2005年8月26日). “Dancing Matt coming to town” (英語). 2008年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月8日閲覧。