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ミシェル・ポランティエール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミシェル・ポランティエール(Michel Pollentier、1951年2月13日 - )は、ベルギー、ディクスミュイド出身の元自転車競技ロードレース)選手。

経歴

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1973年にプロ転向。

1977年ジロ・デ・イタリアでは、第17ステージにおいて、フランチェスコ・モゼールからマリア・ローザを奪取し、最後はモゼールに2分32秒差をつけて総合優勝を果たした。また、同年のベルギー スポーツマンオブザイヤーを受賞。

1978年ツール・ド・フランスでは、第15ステージまで、総合首位のヨセフ・ブリュイエールに対し、2分38秒差の総合4位につけていた。そしてラルプ・デュエズがゴールとなった第16ステージでは、区間2位入線のハニー・クイパーに38秒差をつけ、7時間23分07秒のタイムで1位入線を果たした[1]。ところが、レース後に行われたドーピングチェックで、パンツの中に入れておいたゴム状の管を用い、尿をコンドームにしまいこんで隠していたことが発覚。それを調べたところ禁止薬物が出てきたことから、即刻レースから除外された[2]

その後、1984年まで現役を続け、下記に示す通り、晩年まで第一線級選手として活躍した。

主な戦績

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1976年
ジロ・デル・ピエモンテ優勝
ツール・ド・フランス 総合7位、第16ステージ優勝
1977年
ジロ・デ・イタリア 総合優勝、第21ステージ優勝
ツール・ド・スイス総合優勝
ベルギーの旗 ベルギー選手権 優勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ総合6位、第4ステージ優勝
1978年
ドーフィネ・リベレ総合優勝
ベルギーの旗 ベルギー選手権優勝
1979年
ブエルタ・ア・エスパーニャ総合3位
1980年
ロンド・ファン・フラーンデレン優勝
1982年
ブエルタ・ア・エスパーニャ総合2位
1984年
ブエルタ・ア・エスパーニャ第6ステージ優勝

脚注

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  1. ^ 65ème Tour de France 1978 - 16ème étape
  2. ^ Drugs and the Tour de France by Ramin Minovi Archived 2007年6月27日, at the Wayback Machine.

外部リンク

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