ミシェル・ポランティエール
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ミシェル・ポランティエール(Michel Pollentier、1951年2月13日 - )は、ベルギー、ディクスミュイド出身の元自転車競技(ロードレース)選手。
経歴
[編集]1973年にプロ転向。
1977年のジロ・デ・イタリアでは、第17ステージにおいて、フランチェスコ・モゼールからマリア・ローザを奪取し、最後はモゼールに2分32秒差をつけて総合優勝を果たした。また、同年のベルギー スポーツマンオブザイヤーを受賞。
1978年のツール・ド・フランスでは、第15ステージまで、総合首位のヨセフ・ブリュイエールに対し、2分38秒差の総合4位につけていた。そしてラルプ・デュエズがゴールとなった第16ステージでは、区間2位入線のハニー・クイパーに38秒差をつけ、7時間23分07秒のタイムで1位入線を果たした[1]。ところが、レース後に行われたドーピングチェックで、パンツの中に入れておいたゴム状の管を用い、尿をコンドームにしまいこんで隠していたことが発覚。それを調べたところ禁止薬物が出てきたことから、即刻レースから除外された[2]。
その後、1984年まで現役を続け、下記に示す通り、晩年まで第一線級選手として活躍した。
主な戦績
[編集]- 1976年
- ジロ・デル・ピエモンテ優勝
- ツール・ド・フランス 総合7位、第16ステージ優勝
- 1977年
- ジロ・デ・イタリア 総合優勝、第21ステージ優勝
- ツール・ド・スイス総合優勝
- ベルギー選手権 優勝
- ブエルタ・ア・エスパーニャ総合6位、第4ステージ優勝
- 1979年
- ブエルタ・ア・エスパーニャ総合3位
- 1980年
- ロンド・ファン・フラーンデレン優勝
- 1982年
- ブエルタ・ア・エスパーニャ総合2位
- 1984年
- ブエルタ・ア・エスパーニャ第6ステージ優勝
脚注
[編集]- ^ 65ème Tour de France 1978 - 16ème étape
- ^ Drugs and the Tour de France by Ramin Minovi Archived 2007年6月27日, at the Wayback Machine.
外部リンク
[編集]- ミシェル・ポランティエール - サイクリングアーカイヴス