メガシステム1
「メガシステム1」(ジャレコ コンセプトボード・メガシステム ワン、英: MEGA SYSTEM1)とは、CPUに「68000」を搭載したジャレコのシステム基板である[1][注 1]。1988年5月から1992年9月にかけて12作品が供給された[2]。また、メガシステム1はジャレコと日本マイコン開発によって共同開発された基板である[3]。
概要
[編集]メガシステム1はROM基板交換方式を採用したシステム基板で[2]、ジャレコが初めて発売したシステム基板である[4]。メガシステム1は、共通のマザー基板と交換用のサブ基板を組み合わせる2枚構成となっている[5]。メガシステム1の開発はジャレコと日本マイコン開発が共同で行ったもので、日本マイコン開発が基本設計を行った[3][注 2][注 3]。
1988年3月に開催された「AOU'88 アミューズメント・エキスポ」では、対応ソフト『P-47』『キック・オフ』と共に「システムMB(マザーボード[7])」として出展され[7][8]、その後「メガシステム1」と改称されて発売された[9]。
メガシステム1は16ビットCPU「68000[1]」をメイン用とサウンド用として2個搭載していることを特徴とする[10]。グラフィック性能としては、32768色中1024色のカラー表示、独立に制御できる3層のスクロール面と128個のオブジェクトの表示が可能であり[1]、オブジェクトに対してはモザイクや残像の特殊効果を適用できた[11]。サウンド面ではFM音源(YM2151)8音、ADPCM(MSM6295 x 2)8音を使った演奏が可能で[3]、ステレオ出力も可能となっていた[11]。これらの性能面から、1988年の発売時点においては、メガシステム1は高性能な部類の基板であったとされる[5][注 4]。
また、メガシステム1は1986年に制定された統一規格のJAMMAコネクタを採用しており、筐体などへの接続は比較的容易となっていた[5][注 5]。なお、メガシステム1にはAとBの2種類のバージョンが存在し、サブ基板取り付け用コネクタの形状に違いがある[5]。また、ソフトによってはメガシステム1用としてではなく、メガシステム1と同一性能の1枚基板として発売されたものも存在した[5]。
1988年5月のメガシステム1の発売当初、ジャレコは1989年3月までに6作品の供給を予定していた[10]。最終的にメガシステム1用のソフトはROM基板交換方式によって、1988年5月から1992年9月にかけて12作品が供給されたが[13]、その内訳は1988年から1989年にかけて9作品が供給され、1990年以降は年1作品程度の発売間隔となっていた[4][注 6]。メガシステム1用として発売されたソフトのうち、人気作となった『P-47』などのシューティングゲームについては比較的売り上げを伸ばしたものの、それ以外のジャンルのゲームは低調に終わった[5]。
なお、ジャレコは1988年にメガシステム1と並行して、16ビットCPUを採用した低価格帯の基板「CB(チープボード[14])シリーズ」の展開を発表し[15]、1988年7月に第1弾として『魔魁伝説』を発売している[14][注 7]。『魔魁伝説』の発売時点では、1989年3月までにチープボードを使用したゲームを4作品発売する予定としていた[14][注 8]。
性能
[編集]- CPU:68000 x 2(メイン用・サウンド用[1])。
- 総プログラム空間:4Mbit[11]。
- カラー:32768色中1024色[1]。
- スクロール:3面、32画面分(合計)の領域[1]。
- オブジェクト:128個、65536ピクセル描画[1]、モザイク、残像の特殊効果[11]、高速DMAによる転送[11]。
- キャラクタージェネレータ:8x8ピクセル、あるいは16x16ピクセル単位[11]、16色[1]。
- キャラクターメモリ:最大13Mbit[11]。
- サウンド:FM音源(YM2151)8ch[3]、ADPCM音源(MSM6295)4ch x 2[3] 、ステレオ出力[1]。
- その他:外部通信ポート[1]。
タイトルリスト
[編集]No. | 発売時期 | タイトル | 開発会社 | ジャンル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1[10] | 1988年5月[4] | P-47 THE FREEDOM FIGHTER | 日本マイコン開発[19] | シューティング[10] | |
2[20] | 1988年6月[4] | キック・オフ | ジャレコ[21] | サッカー[20] | |
3[22] | 1988年8月[4] | 武田信玄 | ジャレコ[23] | アクション[22] | |
4[24] | 1988年9月[4] | 伊賀忍術伝 五神の書 | ジャレコ[23] | アクション[24] | |
5[25] | 1989年3月[4][注 9] | 天聖龍 SAINT DRAGON | 日本マイコン開発[23] | シューティング[25] | |
6[26] | 1989年5月[4][注 10] | プラスアルファ | ジャレコ[23] | シューティング[26] | |
7[27] | 1989年7月[4] | 実力!!プロ野球 | 不明 | 野球[28] | |
8[29] | 1989年9月[4] | 破兆 | エイコム[21] | アクション[29] | |
9[32] | 1989年11月[4] | ザ・ロードオブキング | エイコム[3] | アクション[32] | |
10[33] | 1990年4月[4] | 妖精物語ロッド・ランド | ジャレコ[23] | アクション[33] | |
11[34] | 1991年5月[4] | ファンタズム | シー・ビー・ブレイン[3] | アクション[34] | |
12[35] | 1992年9月[4] | ソルダム | ジャレコ[23] | パズル[35] |
メガシステム1用として発売予定だったタイトル
[編集]発売時期 | タイトル | 開発会社 | ジャンル | 備考 |
---|---|---|---|---|
1991年3月[36] | E.D.F. | ジャレコ[23] | シューティング[36] | |
1992年3月[39] | 64番街 | シー・ビー・ブレイン[3] | アクション[39] |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ジャレコはメガシステム1を「ジャレココンセプトボード」と称していた[1]。
- ^ 同社の牧洋資による設計[6]。
- ^ 後継のシステム基板「メガシステム32」に関しては、ジャレコの自社開発である[3]。
- ^ しかし、ジャレコで美術を手がけていた衛藤浩二は2013年のインタビューで、『武田信玄』の開発時にメガシステム1の性能を見て「スーパーファミコン」に負けるのではないかという感想を抱いたと述べている[3]。その一方、同社で音楽を手がけていた多和田吏は同じインタビューで、それに同意しつつもサウンド面に関しては同時発音数やCPUを例にとり、多和田がメガシステム1用ソフトの開発に携わっていた当時としては高性能なものだったと述懐している[3]。
- ^ ただし、音声のステレオ出力についてはJAMMAの規格に含まれておらず、別途配線が必要である[12]。
- ^ なお、1992年12月時点において、ジャレコは『ソルダム』以降にも1作品の供給を予定していたが、コピー業者にセキュリティを突破されたことを理由にソフト供給の中止を検討していると『ゲームマシン』の記事でコメントしていた[4]。また、32ビットCPUを採用するシステム基板「メガシステム32」が発売されていた1994年8月時点においては、容量の少ないタイトルをメガシステム1で供給することも検討していた[2]。
- ^ 『魔魁伝説』の音楽を担当した岡村静良は、チープボードはメガシステム1の販売状況が低調だったため開発された基板であると述べている[16]。
- ^ 1988年10月に開催された第26回「AMショー」では、チープボードの第2弾として『V.S.グレードテニス』が展示されていた[17][18]。
- ^ 『ゲームマシン』1989年3月1日号の記事では、1989年2月末発売予定と記載されている[25]。
- ^ 『ゲームマシン』1989年6月1日号の記事では、1989年5月22日発売(ROM基板は5月29日)と記載されている[26]。
出典
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