メジロスイセイ
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メジロスイセイ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1968年3月3日 |
死没 | 不明 |
父 | ネヴァービート |
母 | アサマユリ |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産者 | 王蔵牧場 |
馬主 |
メジロ商事 木村孝 |
調教師 |
大久保末吉(東京) 梅内慶蔵(栗東) 千葉忠一(岩手) |
競走成績 | |
生涯成績 | 45戦9勝(中央競馬のみ) |
メジロスイセイは日本の競走馬。メジロ牧場の基礎牝系の一頭であるアサマユリの直仔で、アサマユリ系としては初めての重賞競走の勝ち馬となった。
愛称の由来
[編集]競走馬名・メジロスイセイの由来は、国鉄に当時存在していた、寝台特別急行列車の「彗星」から採られている。これは、1968年産まれのメジロ商事や北野豊吉の持ち馬の名前が、特急列車から採られているためで、同期には、メジロゲッコウ(寝台特急「月光」より採られた)がいる。
戦績
[編集]1970年7月4日、福島競馬場の新馬戦でデビューを果たしたメジロスイセイだが、12月13日に初勝利を挙げるまでに6戦を要した。その後8戦するも、下級条件戦で1勝を挙げたのみで目立った活躍も無く、1971年10月16日のレースを最後に売却され、関西の梅内慶蔵厩舎に転厩した。
ところが、梅内忍騎手を鞍上に、1972年6月に中京競馬場の条件戦に出走して勝利を飾ると、条件特別戦でも好走を重ね、1972年秋の京都記念に格上挑戦すると、直線鋭く追い込んで、ヤマニンウエーブの2着に入る活躍を見せた。
1973年には、金杯や日本経済新春杯でも入着し、休養を挟んで夏には待望のオープンクラス入りを果たした。そして、京都記念(秋)でヤマニンウエーブに雪辱し、重賞制覇を飾った。
その後は、1974年春の天皇賞で4着に入るなど、重賞競走で好走したが、勝ち鞍は阪神競馬場のオープン(ダート1800メートル・1:53:0のレコード勝ちだった)だけで、1975年秋の阪神競馬場のオープン(2着)を最後に、岩手公営に転出した。
岩手公営では千葉忠一厩舎に所属し、1976年のみちのく大賞典を勝つなどして活躍した。
血統表
[編集]メジロスイセイの血統(ネヴァーセイダイ系(ナスルーラ系) / Nearco 父内4x4=12.50%、 Man O'War 4x5=9.38%、 Tetratema 4x5=9.38%、 Blandford 5x5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 *ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 イギリス |
父の父 Never Say Die1951 栗毛 アメリカ |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Singing Grass | War Admiral | |||
Boreale | ||||
父の母 Bride Elect1952 黒鹿毛 イギリス |
Big Game | Bahram | ||
Myrobella | ||||
Netherton Maid | Nearco | |||
Phase | ||||
母 アサマユリ 1959 栗毛 日本 |
ボストニアン 1950 栗毛 日本 |
*セフト Theft |
Tetratema | |
Voleuse | ||||
神正 | *ダイオライト | |||
*種正 | ||||
母の母 トモエ1951 栗毛 日本 |
月友 | Man O' War | ||
*星友 | ||||
アスエ | *プリメロ | |||
第六オーグメント F-No.7-c |
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ