ユーリー・ベルク
ユーリー・ベルク Юрий Александрович Берг | |
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ユーリー・ベルク(2011年1月撮影) | |
生年月日 | 1953年8月3日(71歳) |
出生地 | ソビエト連邦 ロシア共和国ペルミ州ニロブ |
出身校 | アストラハン航海学校、オレンブルク教育大学、オレンブルク大学 |
前職 | 教師、会社重役 |
現職 | オレンブルク州知事 |
所属政党 | 統一ロシア |
配偶者 | ルボヴィ・フョードロヴナ |
在任期間 | 2010年6月15日 - 2019年3月21日 |
ユーリー・アレクサンドロヴィチ・ベルク(ロシア語: Ю́рий Алекса́ндрович Бе́рг、ラテン文字表記の例:Yuriy Aleksandrovich Berg、1953年8月3日 - )は、ロシアの政治家。2010年から2019年までオレンブルク州知事を務めた。統一ロシア所属。
経歴・人物
[編集]1953年8月3日、ペルミ州(現在のペルミ地方)ニロブに従業員の家庭に生まれる。一家は1961年にオレンブルク州オルスクに移った。1969年オルスク第9学校を卒業し、1973年アストラハン航海学校を卒業した。以後、1982年オレンブルク教育大学、2003年オレンブルク大学をそれぞれ卒業し、オレンブルク大では経済マネージャーの資格を取得している。
1974年企業合同「オレンブルクスペツストロイ」勤務。1976年オルスク第11学校で教鞭をとる。1985年から1992年まで、オルスク第15学校校長(директор)。1997年「オルスク・АСКО」(Орск-АСКО)社支配人(取締役)。1998年「オルスク・サービス」社総支配人(代表取締役社長)。1999年ノヴォトロイツクセメント工場総支配人。2005年7月から「オルスクインテルスヴャーズ」社地域開発担当副総支配人(副社長)。
企業活動の傍ら政治活動を始める。1990年から1996年まで、オルスク社会問題管理部副部長。1995年ロシア連邦政府の連邦行政当局に所属。1997年始めから1998年まで税務警察オレンブルク支部推進基金副総裁。2005年11月2日、オルスク市長。2010年6月15日からオレンブルク州知事[1]。
家族
[編集]ルボヴィ・フョードロヴナ夫人との間にセルゲイとアレクサンドルの二男あり。三人の孫がいる。ルボヴィ夫人は2008年からオルスク婦人運動会長を経て、2010年東オレンブルク公共機関協会会長。株式会社「Базис-Н」の社主でもある[2]。
長男セルゲイはオレンブルク建設企業「ゴリゾント」第一副総支配人(副社長)とノヴォトロイツクの「シリカトヌイ・ザボード」社総支配人(最高経営責任者社長)。他に住宅建設工場「ウラル」(ウラリスキー)の社主であり、2010年まで「エヴロパルトネルス」社、「テフストロイコントラクト」社、ノスタ銀行の取締役も務めていた。夫人との間にジェニファー(ジェニフェル)とエヴェリン(エヴェリニー)の二女がいる[2]。
次男アレクサンドルは、2008年から「ノヴォトロイツク屋根材工場テフイゾル」社主兼総支配人(最高経営責任者社長)[2]。
脚注
[編集]- ^ Инаугурация Губернатора Оренбургской области Юрия Александровича Берга(オレンブルク州知事にユーリー・ベルク就任). Портал органов государственной власти «Оренбуржье», 15 июня 2010 г.
- ^ a b c イワン・ゴルイノフ(Иван Голунов) (2011年1月13日). “Высокопоставленные наследники – 2(高級な相続人-2)”. Slon.ru. 2013年12月28日閲覧。
外部リンク
[編集]- Инаугурация Губернатора Оренбургской области Юрия Александровича Берга(オレンブルク州知事にユーリー・ベルク就任)(オレンブルク州政府ホームページ内記事)
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