ライン (競輪)
ラインは、日本で開催されている競輪の戦法の1つ。2人以上の選手が一列に並んで連携して戦う戦法。一本の線(LINE)のように見えることから、名付けられた。
日本で行われているギャンブルとしての競輪でも、ガールズケイリンをはじめとした先頭固定競走(インターナショナル)採用のレースや、250競走(PIST6)ではライン形成は禁止されており、韓国で行われる競輪にもラインはない。トラックレースにおけるケイリンもラインを組まず、須らく日本での男子の競輪のみで行われる独特の形態である。
概要
[編集]競輪では、空気抵抗によるエネルギーの消耗を抑えるためやスリップストリームによる加速などの理由から、血縁、同門(師匠が同じ、あるいは師弟など)、同郷、同地区(近隣都道府県。大体はこれで組む)、養成所(または旧競輪学校)同期生同士で「チーム」を組んで縦列を組み、上位入線を狙う。
オリンピックなどでの自転車競技で行われている「ケイリン」とは異なり[1]、最大9車立ての競輪競走においては、ほぼ全ての番組編成が1〜3着までが決勝に進める準決勝を3レース組み込んだもの[注釈 1]であったため、(3人以上の)ラインが発生したとも考えられる。3人・2人・2人・2人などの「4分戦」は、俗に「細切れ戦」(コマ切れ戦)とも呼ばれる[2]。
競輪が始まってから暫くの間はラインという概念はなく、逆に今とは異なり、選手間で話し合って作戦を立てる行為は八百長と誤解される恐れがあったため禁止されていた。そのため、当時は強い先行選手の後ろに力のある追い込み選手がつく、というケースが多かった。しかし、1983年のKPK制度導入や、1988年に累積事故点の罰則があっせん停止を含むものになるなど強化されるといった経緯によって、次第にラインを組んだり作戦を立てることが容認されるようになり、現在のような地区別のライン形成が定着したとされている。ただ、現在でも、組まれたラインの中では「先行選手の後ろは、先輩・後輩(兄弟子・弟弟子)ないし同県同士は関係なく、強い・実績のある選手が先にその後ろを主張する」ことがセオリーとなっている[注釈 2][注釈 3]。
ラインを組む目的としては、最高時速70キロにも上るスピードを出すレース中では、若いころより体力・パワーの衰えたベテラン選手は特に風の抵抗(風圧)をまともに受けるとスタミナを早く消耗して若手選手より圧倒的に不利となるため、体力・パワーがある先行選手(通常は若手選手)に前を走ってもらうことで「風除け」になってもらい最後まで自身の体力を温存、その代わりに後方から捲り・追込する選手を妨害する役目を負うという、「ギブ・アンド・テイク」が大きい。
ただ、KEIRINグランプリなど単発のレースや決勝戦など勝ち上がりのレースによっては、同地区に選手がおらず地区同士でラインが組めないケースもよくある。その場合は、大まかに東日本・西日本単位で組んだり、ラインが組めなかった追込選手が同じようにラインが組めなかった先行選手(いずれも俗に「単騎」とも呼ばれる)の後ろ(二番手。俗に「番手」と言う)を主張することで「即席ライン」が生まれることもある[4]。稀なケースでは、ラインが組めなかった養成所(または旧競輪学校)同期生同士が組む場合や、地区が異なるナショナルチームの練習仲間がラインを組む場合もある[5]。ほかにも、特に先行選手の場合は敢えてラインを組まず単独で自力を駆使して戦ったり、追込選手の場合は他のラインの最後方に追随する[注釈 4]か番手に割り込むこと[注釈 5]もある。
先行選手 - 追込選手 - 追込選手 の並びが基本だが、特に勝ち上がりレースでは先行選手が2人並んで「2段駆け」するケース(後述の2022年の競輪祭決勝戦や2024年の高松宮記念杯決勝戦など)や、逆にビッグレースの一次予選などで上位先行選手 - 追込選手 - 下位先行選手という並び、ラインを組んだものの先行選手がいない場合に止むを得ず追込選手の誰かが先頭を走る例も時折見受けられる。
競輪をよく知らない人の中には、「後ろの方が風除けがあって圧倒的に有利だ」と意見する人がいるが、追込選手はマークする先行選手がレースで主導権を握ってくれないと手の打ちようがないし、逆に先行選手は風圧をもろに受けるものの自分自身でレースを組み立てることが可能であり落車に巻き込まれる恐れも少ないことから、多くの競輪選手はできれば先行で戦いたい、と考えているとされる。実際に全盛期より勢いの衰えたベテラン選手の中にも先行主体で戦っている人もいるように[注釈 6]、どちらかと言うと、先行が有利、という見方がほとんどである。
若いころに先行して貢献して地区を盛り上げてきた先輩を称え、次の世代の若手がその先輩を引っ張って先行する、という慣わし・考え方も尊重されて残っている[6]が、2022年の競輪祭決勝戦[注釈 7]や2024年の高松宮記念杯決勝戦[注釈 8]のような例も見られている。選手の事前コメントでは、かつては先行選手によっては「今日はお世話になった(番手、マークの)●●選手のために目一杯先行します!」などとコメントするようなケースも見受けられたが、現在ではしないよう指導されていることもあり、そのようなコメントは見かけなくなった[注釈 9]。
最終レース終了後、翌日のレース番組(振り分け)発表がなされると、各選手はその場でコメント発表(自力・自在選手は戦法を、追込選手はどの自力選手の何番手に付くかなど)をする慣わしとなっている(専門サイトに「並び」を載せたり、新聞記者が予想を書く必要があるため)[8][9]。各レースの前(基本的に前レースの終了直後)に行われる選手紹介(脚見せ/顔見せ/地乗り)では、各選手が実際にラインを組んで(あるいは単騎で)周回することになっており、その段階でもラインの並びを確認することができる。極めて稀だが、選手がレース当日にコメントを変更する(前日に伝えていた並びとは異なる並びとする)こともあり、その場合はレース予想(車券作戦)やオッズにも影響を与えかねないため選手が自ら選手管理に申告し、レース実況アナウンサーもその旨を場内のファンないしテレビ中継の視聴者などに告知し注意喚起を行っている[10]。
遅くとも2020年には7車立てのレースも増えてスピード化が加速し、3番手の位置を敬遠するなど、ライン戦の状況に変化が見られて来ている[11]。
一方で、単発の企画レースであるKEIRIN EVOLUTION(2020年以降は休止中)や、250競走「PIST6」、2025年より開始予定のKEIRIN ADVANCE、男子選手による新人戦「競輪ルーキーシリーズ」、女子選手によるガールズケイリンでは、自転車競技(トラックレース)のケイリンに準拠したルール[注釈 10]となっているため、あからさまにラインを組むことや後方から追い込んできた選手を妨害(ブロック)することは反則行為[12]として失格となることがある(ただし、作戦として個人的にマークする選手を決めてその後ろに付くことについては問題ない)。ちなみに、ガールズケイリンでは翌日のレース番組発表後に各自コメントを発表しているが、あからさまに話すと手の内を明かすことになるので「自力」「前々」「取れた位置から」「流れを見て」などあまり予想の参考にはならないコメントが多いことから、KEIRIN ADVANCEではレース前コメントの発表は行わないことになった[13]。
地区
[編集]一世を風靡し、ファンなどから特別な名称がつけられたラインとして有名なのは、1980年代に関東[注釈 11]・南関東[注釈 12]の選手で組まれた「フラワーライン」がある。当時無敵の強さを誇った中野浩一・井上茂徳らの九州勢に対抗するため、東京の山口国男(ホームバンクは千葉県の松戸競輪場)の発案で、国男の弟である山口健治のほか尾崎雅彦・清嶋彰一、千葉の吉井秀仁・滝澤正光らが参加して共闘団結を組んだものである。
平成に入ってからでは、1996年のアトランタオリンピックの自転車競技に出場した神山雄一郎・十文字貴信の「アトランタライン」が知られる。当時、競輪界最強のレーサーだった神山雄一郎が競輪の戦法として最も有利な「番手捲り」を十文字貴信の後ろから放ち、ビッグレースを総なめにしたものである。当時の十文字貴信のダッシュ力は凄まじく[注釈 13]、どんなに他の選手ががんばっても、先行して残り半周になるまでは主導権を獲ることができたのに加え、捲ってきた選手に合わせて神山が発進すれば他の選手は手の打ちようがなかった。同年末に行われたKEIRINグランプリでも、レース前はこの「アトランタライン」が圧倒的な人気を集めたほどであった[注釈 14]。
平成の後期、2000年代から2010年代にかけては、武田豊樹と平原康多の通称「関東ゴールデンコンビ」が誕生。両者ともに強力な自力を持ち合わせて臨機応変で前後の並びを変えるラインで、お互いが複数のGIタイトルを獲得した。
選手数が最も少ない四国地区の選手が、同じく選手数が少ない中国地区の選手と組む「中四国ライン」は、日常的に見られている[注釈 15]。また、共に選手層はそれなりに厚いが過去の経緯から中部地区・近畿地区による「中近ライン」も時折見られるが[15]、普段は味方ではないため慎重にセンシティブな対応をとる選手もいる[16]。
KEIRIN EVOLUTIONと同じく単発の企画レースとして行われていた「S級ブロックセブン」(記念競輪(GIII)最終日の6レースないし9レースで実施。2020年6月以降は新型コロナウイルス感染症対策の影響で休止)では、北日本、関東、南関東、中部、近畿、中国・四国、九州をそれぞれ1ブロックとし、各ブロックから選抜された1名ずつの7名が出走する。ルールは通常の競輪(オリジナル)に則って行われるためラインが組まれるが、基本的に「北日本、関東、南関東」(3名)の東日本ライン、「中部、近畿」(2名)の中近ライン、「中国・四国、九州」(2名)の西日本ライン、の3つのラインに分かれる傾向が見られていた。
国際競輪(短期登録選手制度)による外国人選手は静岡・伊豆にある競輪学校を練習拠点にしており、それゆえ選手控室の居場所も南関東勢の隣に位置される傾向にある。ただし、かつては外国人選手と南関東の追込選手のライン連係も多かったが、番組マンの配慮に反してダッシュに離れてしまう恐れ[17]などを考え、2010年代後半ではそうでない場合も出てきている[18]。
より細分化されたライン
[編集]ラインは、東西日本といった大きな枠組みから、隣接地域、同地区、隣県、同県、同じ競輪場と優先順位が上がっていく[19]。
基本的に、まずは同地区でラインを組もうとする(勝ち上がり戦の場合は番組作成からラインを組みやすいように同地区の先行・追込・追込の選手を用意するなど)。これにより組めない選手が出ている場合は、その選手は他の出来上がったラインと合同するか、単騎戦を選択することになる。
あまりにも同地区のメンバーが多くなった(4車以上)場合は、そのまま一本のラインでレースを行うか[注釈 16]、数個のラインに分割するか[注釈 17]を選手の話し合いのもとで決める。同地区同士で別線が出来上がると、関係性の深い隣県同士でラインが組まれ、「上越(群馬と新潟)ラインで[20]」、「西九州(佐賀と長崎)で[21]」のようなコメントが見られる。
関東地区を例に挙げると、新潟と群馬の「上越ライン(新潟支部の長野と山梨を加え、上甲信越勢)」、栃木と茨城の「栃茨/茨栃ライン(とちいば/いばとち、どちらを主題にするかで順序は変わる)」、埼玉と東京の「埼京ライン」という隣県ラインに分けられる[22]。当該県は隣県同士で関係が深い。例えば、かつて新潟の選手は冬季移動先として群馬を拠点にしており、多くの選手が練習を共にしていた[23]。室内練習環境が発達した現代においては冬季移動をしない選手も多いが、両県の選手はその文化が希薄になった今も上越ラインを優先している。この関係性を優先するため、関東5車、うち自力2車のような状況でも、4対1といった歪なライン構成が出来上がってしまう場合もある[24]。
これらのラインの概念は時代と人によって様々である。例えば、南九州は「久留米・熊本」とする場合や、競技会のエリアである「熊本・別府(大分)」、さらには鹿児島支部まで含める場合もあり、いずれの使用例も見られる[21][22][25]。
珍しいライン
[編集]2024年8月27日に行われた小田原記念(GIII)「北条早雲杯」決勝戦では、地元神奈川勢が6人(新村穣、北井佑季、松井宏佑、郡司浩平、和田真久留、松坂洋平)勝ち上がったが、そこにさらに千葉の鈴木裕も加わり、南関東ライン7車という珍しいラインが形成された。ラインの4番手以下では1着となる可能性が低くなるため[26]、通常は2手以上のラインに分かれる(別線勝負)のが基本だが、このレースでは同県同士ということもあったものの神奈川6人が結束し、そこに千葉の鈴木も加わったため異例の『7車ライン』となった[27]。他に決勝戦に勝ち上がったのは脇本雄太<福井>と阿部拓真<宮城>の二人であったが、地区は異なるも阿部が脇本の番手を選択したことで、こちらも近畿 - 北日本の即席ラインが形成された。レースは、南関東ラインが『3段ロケット』を発射したことで、郡司浩平が前年度に続いて小田原記念を優勝した[28][29]。
- ちなみに、同年2月25日に行われた奈良記念(GIII)「春日賞争覇戦」決勝戦では、小田原記念と同じように地元・近畿勢が7人(三谷竜生、三谷将太<いずれも奈良>、古性優作、南修二<いずれも大阪>、松岡健介<兵庫>、脇本雄太<福井>、東口善朋<和歌山>)勝ち上がり、そこに菅田壱道<宮城>、守澤太志<秋田>の北日本2名が加わり争われたが、前日の開催終了後の脇本の提案により、近畿勢は敢えて結束せず、三谷兄弟による地元ライン、古性・南の大阪コンビに兵庫の松岡が続く阪神ライン、脇本・東口の別線近畿ラインとで3分戦で戦った[26]。レースは地元の三谷竜生が1着となり大会連覇、前年度に続く優勝となった[30]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 例外的に、2017年(第68回)以降の高松宮記念杯競輪では準決勝が4レース行われている。過去には、高松宮記念杯競輪では2001年(第52回)まで準決勝は2レースであったほか、2002年の日本選手権競輪(第55回)や2010年のオールスター競輪(第53回)でも準決勝を4レース行った。
- ^ 2024年のオールスター競輪決勝戦では、北日本地区は新山響平(青森) - 佐藤慎太郎(福島) - 守澤太志(秋田) - 渡部幸訓(福島)と並んでおり、福島同県である佐藤と渡部の間に秋田の守澤が割って入っている[3]。
- ^ 師匠と弟子とでラインを組む場合や、着順に関係なく勝ち上がれる開設記念などGIIIでの初日特選などでは、割り込まずそうならないケースもある。
- ^ 事前コメントでは「流れを見て」「特に決めずに」などが見られる。
- ^ 他のラインの番手に割り込むことを「競り(かける)」と言う。
- ^ マーク技術が苦手だから、落車に巻き込まれるリスクを減らしたいから、などと理由付ける選手もいる。
- ^ ベテランの新田祐大が北日本ラインの先頭に立ち、新田より後輩で同じく先行選手である新山響平が新田の番手となり、レースは新田が引っ張り番手の新山とで2段駆けが成功し、新田が新山の初のGIタイトル獲得をアシストした形となった。ちなみに、のち同年末のグランプリでは新山 - 新田の順で並んでいる。
- ^ これに先立って行われた同年2月の全日本選抜決勝戦では、南関東ライン(神奈川3車)は北井佑季が先頭となり南関東ラインを引っ張り、最後の直線で番手の郡司浩平が交わして郡司が優勝した。一方で高松宮記念杯決勝戦では、逆に郡司が先頭となり番手の北井とで2段駆けして北井が優勝、郡司が北井の初のGIタイトル獲得をアシストした。
- ^ 1着は目指さない、つまりは敢闘精神の欠如(競輪ではルール上、最もやってはいけないこととされている)とも受け止められかねないため。ちなみに、先述の2022年の競輪祭決勝戦では、記者からなぜ新田が先行するのかと尋ねられた際、新田は「僕が(北日本ラインで)一番強いと思ったから」とだけコメントしている。ただ、こうした2段駆けの行為について、中野浩一は「GI決勝戦に初めて駒を進めたような若手選手ならいざ知らず、GIを勝てる力がある選手が勝利を放棄したようなレースをするのはいかがなものか(自身の車券を買ってくれているファンのことを考えろ)」と苦言を呈している[7]。
- ^ 「先頭固定競走(インターナショナル)」と称している。通常の競輪は「先頭固定競走(オリジナル)」と称している。
- ^ 競輪における地区分けでは、東京・埼玉・茨城・栃木・群馬・新潟の1都5県。
- ^ 競輪における地区分けでは、千葉・神奈川・静岡の3県。
- ^ 十文字貴信は、アトランタオリンピックで銅メダルを獲得。
- ^ ただ実際はオッズは神山雄一郎の一本被りで、事前の予想では2着は十文字以外の誰になるかが注目された。ちなみに、全盛時の「アトランタライン」を破ったのは吉岡稔真程度であり、1997年の第48回高松宮杯決勝戦では2人を破って優勝した(神山は2着、十文字は9着[14])。
- ^ この両地区は、8地区時代の競走会が中国・四国のみ合併していた時期があり、その時からの縁もある
- ^ 2024年小田原記念決勝の南関東7車ラインなど
- ^ 2024年奈良記念決勝の近畿7車は、地元2車・阪神3車・その他2車の3つに分かれた
出典
[編集]- ^ 2016.08.12 第6回 山田裕仁の競輪帝王学
- ^ ラインとレース KEIRINひろば 競輪初心者講座
- ^ “『第67回オールスター競輪(GI)』 決勝戦共同インタビュー”. KEIRIN.JP (2024年8月18日). 2024年8月18日閲覧。
- ^ “【競輪】特選で佐藤慎太郎は町田太我の番手選択 佐藤「勝利に近い位置」町田「光栄です」/前橋”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年5月31日) 2024年6月18日閲覧。
- ^ 『第59回朝日新聞社杯競輪祭(GI)レポート』 前検日編
- ^ 京王閣 検車場レポート 2008年8月
- ^ 日刊スポーツ大阪本社版、2024年6月17日付15面「中野浩一のファイナルプレーバック」
- ^ 月刊競輪WEB BOSS後閑信一の競輪道 KEIRIN.JP 2018年5月18日
- ^ 月刊競輪WEB BOSS後閑信一の競輪道 KEIRIN.JP 2018年8月17日
- ^ 「【競輪】異例の当日コメント変更、師匠の佐藤友和が弟子との連係解除を選手管理に申告/大垣」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2023年11月19日。2023年11月20日閲覧。
- ^ 【競輪ライン特集】進化? 退化? 〜時代とともに移ろう“ラインの変化” - netkeirin、2021年4月27日
- ^ “小林優香 無敗の新女王 ガールズケイリンデビューから20連勝”. 西日本新聞社 (2014年8月26日). 2018年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月24日閲覧。
- ^ “男子選手による先頭固定競走(インターナショナル)レースの試行実施概要” (PDF). KEIRIN.JP(JKA) (2024年8月30日). 2024年9月1日閲覧。
- ^ “2022年版競輪年間記録集/■高松宮記念杯競輪決勝戦 GⅠ(38頁)”. JKA (2023年10月31日). 2024年6月17日閲覧。
- ^ 競輪界のカリスマ村上義弘が、熱い思いで山口拳矢マークを宣言/名古屋 日刊スポーツ、2022年1月7日
- ^ 【6日前橋12R】“脇本の恩返し”で中川誠一郎から勝負! - サンスポZBAT!競馬、2018年10月6日
- ^ グレーツァー短期登録選手13連勝タイ記録/松山 - 日刊スポーツ、2018年9月21日
- ^ ブフリら外国人勢はマーク陣に超不人気/名古屋 - 日刊スポーツ、2016年10月25日
- ^ 【競輪ライン特集】どうしてラインを組むの?競輪初心者の疑問を加藤慎平さんが解決 - netkeirin、2021年4月23日
- ^ 【第78回 日本選手権競輪GⅠ 】決勝インタビュー - トリマクリ! Keirin NAVI、2024年5月4日、2024年6月15日閲覧。
- ^ a b 【記者コラム】2年ぶりに戻ってきました - スポーツニッポン、2022年1月27日より引用。「茨城と栃木の『茨栃ライン』のように九州にも結びつきの強いラインがある。例えば佐賀と長崎は「西九州ライン」で結束力がより強固」2024年6月15日閲覧。
- ^ a b 地域的に見るライン構成表 - 中部競輪、2024年6月15日閲覧。
- ^ 弥彦を支えた鉄人達1 早福寿作 - 弥彦競輪、2004年4月1日、2024年6月15日閲覧。
- ^ 【四日市競輪・ミッドナイト】単騎にショックを受ける安倍大成「連日内容が悪いからですかね…」 - netkeirin、2022年9月29日、2024年6月24日閲覧。
- ^ FII 新星社杯 A級 特選 - netkeirin、2020年6月13日、2024年6月15日閲覧。三木健治(沖縄・鹿児島支部)のコメント「南九州ラインを大事に大分の後」
- ^ a b “【競輪】決勝で脇本雄太vs古性優作vs三谷竜生 7人進出の近畿は3分戦で見応え十分/奈良”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年8月27日) 2024年11月1日閲覧。
- ^ “【小田原競輪 G3北条早雲杯 決勝】超異例の南関7車結束 神奈川6車+千葉 打倒脇本への執念”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2024年8月26日)
- ^ 松井律 (2024年8月27日). “【競輪】こんなのアリ? 南関7車の結束”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社) 2024年11月1日閲覧。
- ^ “『小田原競輪開設75周年記念(GIII)レポート』 最終日編”. KEIRIN.JP. JKA (2024年8月27日). 2024年11月1日閲覧。
- ^ “『奈良競輪開設73周年記念(GIII)レポート』 最終日編”. KEIRIN.JP. JKA (2024年2月25日). 2024年11月1日閲覧。