脇本雄太
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2018年UCIトラック世界選手権大会にて | |||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | ワッキー | ||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1989年3月21日(35歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 福井県福井市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 80kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||
縁故選手 | 弟:脇本勇希(115期) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
登録番号 | 014396 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 日本競輪選手会福井支部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーム | 福井競輪場 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
期別 | 94期 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
脚質 | 先行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
登録地 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2008- | 福井 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
業績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
S級S班 | 2019-2021, 2023-2024 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
賞金王 | 2022 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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選手情報 KEIRIN.JP | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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自転車競技情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
分野 | トラックレース | ||||||||||||||||||||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
アマチュア経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2004-2006 | 福井県立科学技術高等学校 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
プロ経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2019-2024 | チーム ブリヂストン サイクリング | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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■最終更新日:2024年11月24日 ■テンプレートを表示 |
脇本 雄太(わきもと ゆうた、1989年3月21日 - )は、競輪選手、元自転車競技選手。福井県福井市出身。日本競輪選手会福井支部所属、ホームバンクは福井競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第94期生。師匠はいない。マネジメント契約先はスポーツビズ。妻は元レースクイーンでモデル事務所代表の柏木まりな。
5人きょうだい[1][2]の3番目(兄・姉・弟2人)。9歳年下の弟・脇本勇希も競輪選手(115期)[3]。
来歴
[編集]福井県立科学技術高等学校在学中、2005年と2006年の国体・少年1kmタイムトライアルで優勝し、卒業後は競輪学校に実技試験免除で第94期生として入学、在校成績11位で卒業。
2008年7月12日にホームバンクの福井競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。
2009年、全日本自転車競技選手権大会(境川自転車競技場)のチームスプリントで、強化チームの一員として、競輪学校同期の坂本貴史、深谷知広とともに優勝に貢献。同年12月に行われたUCIトラックワールドカップ2009-2010のカリ大会・ケイリンでは5位に入った。
2010年、GI初出場となった寬仁親王牌(前橋競輪場)で決勝に進出。近畿3車で残りあと2周半付近より約2周近く逃げ、村上義弘の番手捲りからマークした同県の先輩である市田佳寿浩のGI初制覇に貢献した。また、同年のヤンググランプリ(立川競輪場)にも出場したが9着となる。
2012年、高松宮記念杯競輪(函館競輪場)では決勝に進出し、残り1周半から積極的に駆け出し2着に粘りこんだ。その後も寬仁親王牌とオールスター競輪で共に決勝7着となったが、年間獲得賞金争いではトップ9に届かず次点となってしまった。
2014年、第34回アジア自転車競技選手権大会・ケイリン(アスタナ) 優勝。第65回高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)では決勝は4着だった。
2016年、3月のトラック世界選手権ではケイリンで5位入賞。同年のリオデジャネイロオリンピック同種目の代表に選出された。
2017年12月、チリのサンティアゴで行われたティソUCIトラックサイクリングワールドカップ男子ケイリンで優勝した。[4]
競輪ではGIレースで数多く決勝戦に進出するも、タイトルは中々獲れなかった。だが、2018年は5月の日本選手権競輪(平塚競輪場)で3着、翌6月の高松宮記念杯競輪(岸和田競輪場)では最後の直線で三谷竜生に交わされ2着とタイトル獲得まであと一歩と迫り、8月のオールスター競輪(いわき平競輪場)では逃げ切って優勝し、遂に初のタイトル獲得を果たす。GIレース決勝出場はこれが14度目であり、14度目の挑戦での戴冠はグレード制導入後最多であった[5]。さらに、10月の寬仁親王牌でGI連覇を果たした。準決勝では前橋競輪場のバンクレコードタイとなる8秒8も出した。そして同年10月、フランスのパリで行われたティソUCIトラックサイクリングワールドカップ男子ケイリンで、自身大会通算2度目となる優勝をした。ただ、同年末のKEIRINグランプリ2018では打鐘(残り1周半)から積極的に仕掛けて逃げるも最後の直線で末脚を欠いて5着に終わった。
この頃、ブノワ・ベトゥの元で[6]、ナショナルチームの一員として自転車競技にも積極的に参加しており海外のレースに出場することが多く、競輪の出走は少なくなった。2019年も同様にナショナルチームとしての活動・練習に重点を置くため、同じくナショナルチームの一員である新田祐大とともに、S級S班ながら2月の全日本選抜の出場は辞退した。
その後、4月のG2レースのウィナーズカップ(大垣競輪場)で優勝。5月の日本選手権競輪(松戸競輪場)で、大会33年ぶりのオール1着・完全優勝を果たし(G1としても21年ぶり)[7]、G1において3つ目の戴冠となった。オールスター競輪(第62回大会)のファン投票で初めて1位に選ばれた[8]。年末のKEIRINグランプリ2019では先行するも2着。2019年度における異名は『異次元』(の強さという意味)。
2020年6月4日、2021年開催予定の東京オリンピック自転車トラック種目(スプリントとケイリン)で新田祐大とともに男子代表に内定した[9]。そして同月22日、第71回高松宮記念杯競輪(和歌山)において高松宮記念杯競輪としては1997年(第48回)の吉岡稔真以来、23年ぶりのオール1着・完全優勝を成し遂げ[10]、GI4つ目のタイトルを獲得。同年のオールスター競輪(名古屋)では2年連続のオールスターファン投票1位。10月の寬仁親王牌(前橋)で優勝し、GI5つ目のタイトルを獲得。これらの成績を評価され、JKAより2020年表彰選手として、最優秀選手賞(初受賞)と国際賞をそれぞれ受賞した[11]。
2021年は東京オリンピック出場に向けて合宿やトレーニングを優先するため、競走には参加せず欠場を続けた。そして8月、2020年東京オリンピックの自転車競技トラック男子スプリント予選では9秒518の日本新記録を出し勝ち進んだが[12]、3回戦およびその敗者復活戦で敗れ、準々決勝には進めなかった[13]。男子ケイリンでは準決勝で5着で決勝進出を逃したが、7~12位決定戦で1着となり、総合成績で7位入賞となった[14]。その直後、第64回オールスター競輪に参戦すべく同じく東京オリンピック代表であった新田祐大とともにいわき平競輪場に移動。8月10日が初日であり実質中0日であったが、ファン投票で初日ドリームレースのメンバーに選出されたことから出場を決めた[15](決勝戦2着)。自転車競技については東京オリンピックを最後に現役引退を表明し[16]、2022年以降は競輪に専念している。
オリンピックで出走直後にオールスター競輪にも参加するなどした影響で、9月の共同通信社杯競輪の直前に重度の腰痛を発症し同開催を欠場。翌10月の熊本記念(久留米開催)も2日目から戦列を離れたあと体内深部の疲労骨折が判明し、長期欠場を余儀なくされた。
2022年2月の奈良記念で復帰し[17]、その直後の大宮FIをもって全場制覇[18]。3月29日、玉野記念(GIII)で優勝し、通算300勝を達成[19](ちなみにこの決勝では松浦悠士も決勝戦を前に通算300勝に王手をかけていた)。5月8日、いわき平競輪場での日本選手権で優勝、自身2年ぶり、そして日本選手権競輪は3年ぶりとなるGIタイトルを獲得[20]。8月15日、西武園競輪場でのオールスター競輪では完全優勝し、4年ぶりにオールスター競輪を制した。この年GIには計6つのうち3つしか出場できなかった中[21][22]、競輪祭を除く前述の2大会で優勝を果たした(2020年から2022年の間で進出した計6つのGI決勝では全てで2連対している)。オールスター競輪後の8月23日、立川FI2日目準決勝で1着となり、同年5月23日の福井FI2日目準決勝よりオールスター競輪5連勝も含めて続けていた連勝記録を19とし、1994年に記録した吉岡稔真の持つS級連勝記録(18連勝)を更新、新記録を達成した[23]。さらに、翌24日の決勝戦でも上がりタイム10秒6で1着となり、立川のバンクレコードタイ記録とともに連勝記録を20に伸ばした[24]。ただ、次戦の第38回共同通信社杯競輪(名古屋競輪場)では一次予選は1着として連勝記録を21に伸ばしたが、9月17日の二次予選は他車の落車の影響を受けて6着となり連勝記録は止まっただけでなく、準決勝進出も絶たれた[25]。そして、年末のKEIRINグランプリ2022では同大会4度目の挑戦で優勝し、競輪さらには公営競技でも初となる年間賞金3億円突破を果たした[26]だけでなく、通算獲得賞金額10億円突破を達成(2020年10月の新田祐大以来、通算37人目、現役では19人目[27])。また、同年は63戦51勝として年間勝率8割0分9厘5毛とし、1965年に高原永伍が記録した8割0分2厘4毛(81戦65勝)[28]を57年ぶりに更新した[29]。
2023年はビッグレースのタイトルこそないものの、シャイニングスター賞で落車し途中欠場したGIオールスター競輪と落車のためケガで欠場したGII共同通信社杯競輪とGI寛仁親王牌を除く、全てのビッグレースの決勝に進出し(すなわち出場した8度の準決勝すべてで3着以内に入る)、獲得賞金最終枠から2番目の8位での出場となった。
2024年はGIIウィナーズカップ(取手)を窓場千加頼の番手から、GI競輪祭を寺崎浩平の番手から制し、3年連続でKEIRINグランプリの出走権を獲得し、グランドスラム・グランプリスラムにも王手をかけた。このほか、前年は荒天で準決勝が中止となり、抽選により決勝進出を逃していた地元・福井記念競輪(不死鳥杯)を6度目の優勝。同一グレードレースの優勝回数としては、平原康多の大宮記念競輪(倉茂記念杯)の8度に次ぐ記録を保持している。
主な獲得タイトルと記録
[編集]- 2018年 - オールスター競輪(いわき平競輪場)、寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)
- 2019年 - 日本選手権競輪(松戸競輪場)完全優勝
- 2020年 - 高松宮記念杯競輪(和歌山競輪場)完全優勝、寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)
- 2022年 - 日本選手権競輪(いわき平競輪場)、オールスター競輪(西武園競輪場)完全優勝、KEIRINグランプリ(平塚競輪場)
- 2024年 - 競輪祭(小倉競輪場)
- 年間賞金王 - 1回(2022年)
- 年間獲得賞金3億円突破 - 2022年(3億584万2300円。過去最高獲得賞金額)※公営競技初
- 通算獲得賞金額10億円突破 - 2022年12月30日(通算37人目、現役では19人目)
- S級連勝記録 - 21(2022年5月23日 - 9月16日)
- 年間最高勝率 - 8割0分9厘5毛(2022年。63戦51勝)
- バンクレコード記録 - 函館競輪場(10秒6)[30]
- バンクレコードタイ記録 - 前橋競輪場(8秒8)、名古屋競輪場(10秒4)、立川競輪場(10秒6)、武雄競輪場(10秒7)
競走スタイル
[編集]一度先頭に立って逃げると、後方から捲らせない程の絶妙なスピードを維持し、そのまま直線まで逃げ切りにかかる、競輪界では有数のロングスパート力を誇る。
勝率が高く、2018年以降、2023年時点まで6年連続で年間勝率1位となっている(S級S班及び年間を通しS級1班対象)[31]。
エピソード
[編集]2012年に名古屋競輪場で開催された共同通信社杯競輪の決勝において、近畿勢は脇本-稲垣裕之-南修二のラインで挑んだが、脇本が残り2周半で先頭誘導員の後位に位置し、振り向いて後方の様子を確認し続け、再び正面を向いた際に誘導員へ追突し落車してしまい、さらに追突された誘導員も影響を受けて走路から退避せざるを得なくなった。競走は成立したものの脇本は誘導妨害で失格となってしまう。
この過失により脇本は名古屋競輪場から斡旋停止6ヶ月の処分を受けたため、改めてJKAによる全体処分も受けることになったが、JKAからは重罰の斡旋停止ではなく1ヶ月間「あっせんをしない処置」の処分が下された。しかし結果的にこの処分が賞金争いに影響を与えることになった。
脚注
[編集]- ^ 脇本 亡き母との約束果たしたケイリン男子で初切符
- ^ 脇本、「今度は世界一ね」亡き母との約束リオで果たす…トラック代表5選手発表
- ^ 【競輪】脇本勇希、目指す兄貴超え 東京五輪メダル候補・雄太の弟7月デビュー - デイリースポーツ・2019年6月28日
- ^ “強豪を下し、脇本雄太が初のワールドカップ金メダル/2017-18トラックワールドカップ4戦男子ケイリン | トラック競技/ロードレース/競輪ニュース-More CADENCE”. 競輪/KEIRIN/ロードレースのメディア-More CADENCE (2017年12月10日). 2021年3月25日閲覧。
- ^ “脇本雄太14度目挑戦で悲願のG1初制覇/いわき平”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2018年8月20日) 2018年8月23日閲覧。
- ^ 脇本雄太8番手まくり炸裂34大会ぶり完全V/松戸 - 日刊スポーツ、2019年5月6日
- ^ 脇本完全V 松戸・日本選手権 - 西日本スポーツ、2019年5月6日
- ^ 『第62回オールスター競輪【GI】』 ファン投票結果 - KEIRIN.JP
- ^ “オリンピック競技大会自転車トラック競技日本代表内定選手の決定”. KEIRIN.JP (2020年6月4日). 2020年6月10日閲覧。
- ^ “脇本雄太選手が23年ぶりに高松宮記念杯(GI)完全優勝を達成!!”. KEIRIN.JP (2020年6月21日). 2020年6月22日閲覧。
- ^ “2020年表彰選手一覧表” (PDF). KEIRIN.JP (2021年1月25日). 2021年1月26日閲覧。
- ^ “自転車 脇本雄太が9秒518の日本新で予選通過 新田祐大は予選落ち”. 日刊スポーツ 2021年8月4日閲覧。
- ^ “脇本、準々決勝に進めず「世界の壁は高かった」/自転車”. サンケイスポーツ 2021年8月5日閲覧。
- ^ “男子ケイリン、脇本雄太は7位 東京五輪自転車”. 福井新聞 2021年8月8日閲覧。
- ^ “新田祐大と脇本雄太が東京五輪から「中0日」で恩返しの参戦/いわき平G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年8月9日) 2021年8月9日閲覧。
- ^ “脇本雄太「競技からは引退しますが…後世にしっかり伝えサポートしたい」【東京五輪・自転車ケイリン】”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2021年8月8日) 2021年8月9日閲覧。
- ^ “脇本雄太あす奈良G3で復帰 昨秋腰痛から疲労骨折判明 自然治癒を待ち長期欠場4カ月”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022 -02-09) 2022年5月8日閲覧。
- ^ 脇本雄太が復帰2戦目で17年12月以来F1参戦 大宮初登場で「これでやっと全場制覇」/大宮 日刊スポーツ
- ^ “脇本雄太が松浦悠士との「300勝対決」制してV 2段駆けを豪快まくりで一蹴/玉野”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年3月30日) 2022年3月30日閲覧。
- ^ “脇本雄太がまくり合戦制した!ビッグ通算7度目&今大会は3年ぶり2度目V/いわき平G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年5月8日) 2022年5月8日閲覧。
- ^ yuta_wakimotoのツイート(1511957538622763012)
- ^ “【寬仁親王牌】平原康多が望む関東の時代は来るか…そして迫られる制度変更”. netkeirin. (2022年10月19日)
- ^ “脇本雄太S級新記録19連勝達成!吉岡稔真の記録28年ぶり更新「プレッシャーあった」/立川”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年8月23日) 2022年8月23日閲覧。
- ^ “脇本雄太がバンクレコードタイの10秒6でまくりV 新記録20連勝に更新/立川”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年8月24日) 2022年8月24日閲覧。
- ^ “脇本雄太が21連勝でストップ…仕掛けられず6着、準決にも進出できず/名古屋G2”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年9月17日) 2022年9月17日閲覧。
- ^ “脇本雄太が4度目挑戦で初のGP制覇!公営競技で初めて年間獲得賞金3億円超えを実現/平塚GP”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年12月30日) 2022年12月30日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ大阪本社版、2022年12月31日付19面
- ^ 前人未到の「S級20連勝」を達成した”競輪界のエース”脇本雄太が次に目指す大記録とは? - Yahoo!ニュース 近藤隆夫 2022年9月13日
- ^ “2022年版競輪年間記録集(4〜5頁)” (PDF). KEIRIN.JP (2023年10月31日). 2024年8月20日閲覧。
- ^ “【競輪】脇本雄太が上がりタイム10秒6のバンクレコード/函館”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年7月16日) 2023年7月17日閲覧。
- ^ 2023年版競輪年間記録集 JKA
外部リンク
[編集]- 脇本雄太 - Olympedia
- 脇本雄太 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 脇本雄太 - UCI
- 脇本雄太 - Cycling Archives
- 脇本雄太 - CycleBase
- 選手プロフィール - KEIRIN.JP
- 選手プロフィール - 競輪ステーション
- 所属事務所スポーツビズによるプロフィール