稲村雅士
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稲村 雅士(いなむら まさし、1943年4月20日[1] - 2020年2月20日[2])は、群馬県出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会群馬支部所属[1])、ホームバンクは前橋競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第16期生。息子の稲村成浩(69期)[3]も元競輪選手、稲村好将(81期)は競輪選手。
来歴
[編集]群馬県立太田高等学校中退。その後、競輪学校に第16期生として入学。同期に元東京で後に茨城へ移籍する工藤元司郎がいる。1962年7月29日[1]、平塚競輪場でデビューし、4着。同年8月25日に初勝利を挙げる[1]。全盛期となる年代において、同県選手である福島正幸、田中博、木村実成らとともに「群馬王国」の一翼を担った。
1966年11月1日に行われた第20回日本選手権競輪決勝(優勝は宮路雄資)をはじめとして、特別競輪(現在のGI)決勝戦における2着が8回ある。そのため、「万年2着」と揶揄するマスコミも現れたが、1971年の高松宮賜杯競輪を完全優勝で制し、悲願の初タイトルを獲得。また、翌1972年に3年ぶりに開催された第15回オールスター競輪(大垣競輪場)も制した。
2001年の日本選手権競輪(松戸競輪場)では息子の成浩が優勝し、松村憲・松村信定父子以来となる、史上2例目の父子GI制覇を達成。
2002年7月15日、花月園シリーズ(F2)が引退レースとなった。同年7月31日、選手登録削除。59歳まで現役を続けた。
通算戦績2545戦625勝。
主な獲得タイトルと記録
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『競輪打鐘読本 バンクの"鬼"たちが叫びまくる!』宝島社〈別冊宝島343〉、1997年。ISBN 978-4-7966-9343-1。
外部リンク
[編集]- 選手通算成績(1976年以降分のみ) - KEIRIN.JP