石村美千代
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基本情報 | ||||
本名 |
畑田 美千代 はただ みちよ | |||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1935年3月15日(89歳) | |||
縁故選手 | 石村正利(元夫) | |||
選手情報 | ||||
期別 | 期前 | |||
■最終更新日:2021年9月7日 ■テンプレートを表示 |
石村 美千代(いしむら みちよ、1935年3月15日[1] - )は、元女子競輪選手。旧姓畑田(はただ)。選手登録地は京都府のち山口県。選手登録番号は919(女子)[1]。
元夫は同じく元競輪選手の石村正利[2](日本競輪学校(当時)1期生)。ホームバンクであった防府競輪場では、2020年まで石村正利賞(FI)が行われてきた(通算20回開催)が、同レースは2021年より新たに『石村正利記念杯』(FI)として行われている。
来歴
[編集]デビュー当初は畑田美千代として、京都府[3]を登録地としていた。石村正利と結婚後に山口県に登録地を移し、選手登録名も石村美千代に変更した。
1956年、女子の大会としては最後の開催となった第11回全国争覇競輪(後楽園競輪場)で、田中和子を破って特別競輪初優勝[4][5]。同年は1,339,840円を獲得し、田中和子らを抑えて年間賞金女王にもなった。
1957年、4月に高松、9月に門司でそれぞれ行われた全国都道府県選抜競輪を制覇[5]。
1958年、第9回高松宮妃賜杯競輪(大津びわこ競輪場、以下 びわこ)を優勝[5]。
1964年、女子競輪最後の特別競輪開催となった第15回高松宮妃賜杯競輪(びわこ)を制した。そして、同年10月末をもって登録消除[1]。最後まで残った昭和期の女子競輪選手の一人であった。同年10月31日、登録消除[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 競輪三十年史p.279 - 日本自転車振興会、1978年11月20日発行
- ^ 競輪人国記 山口(1) - リアルライブ 2009年7月28日付
- ^ 10回~1回の歴代記念競輪等優勝者一覧 - 高松けいりん
- ^ 競輪人国記 山口(2) - リアルライブ 2009年8月4日付
- ^ a b c このときは畑田姓。
参考文献
[編集]- 月刊競輪 2002年2月号 - 2001年年間記録集