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梁勇基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リャン・ヨンギから転送)
梁 勇基
名前
愛称 リャン
カタカナ リャン ヨンギ
ラテン文字 RYANG Yong Gi
基本情報
国籍 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
生年月日 (1982-01-07) 1982年1月7日(42歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府泉北郡忠岡町
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 大阪朝鮮高級学校
2000-2003 日本の旗 阪南大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2019 日本の旗 ベガルタ仙台 522 (76)
2020-2021 日本の旗 サガン鳥栖 29 (0)
2022-2023 日本の旗 ベガルタ仙台 26 (0)
通算 577 (76)
代表歴
2008-2017 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 24 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
梁勇基
各種表記
チョソングル 량용기
漢字 梁勇基
発音: リャン・ヨンギ
日本語読み: りょう ゆうき
英語表記: RYANG Yong Gi
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梁 勇基(リャン・ヨンギ、량 용기、1982年1月7日 - )は、大阪府泉北郡忠岡町出身の元プロサッカー選手[1]。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)在日朝鮮人で元北朝鮮代表。現在はベガルタ仙台のクラブコーディネーターを務める。

来歴

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高卒でのJリーグ入りを目指したが外国籍枠の制限によって断念。「外国籍扱いしない選手」(いわゆる「在日枠」)選手としての認定を受けるために日本の大学への進学を決め[2]、2000年に阪南大学へ進学してサッカー部に所属した。

大学での活躍が認められ、ジェフユナイテッド市原への内定が見込まれていたが、市原は在日枠選手として金位漫を登録していたため破談[3][4]。その後、2004年2月に川崎フロンターレのキャンプに参加したものの、ここでも契約には至らなかった[4]。Jリーグを諦めて韓国Kリーグ入りを目指そうと渡航及び国籍変更手続きの準備をしていたとき[3]、J2へ降格したばかりのベガルタ仙台を高校時代の監督から紹介され[4]、テスト生として入団し、プロ契約に至った。1年目からチームの即戦力として起用されるようになり、この年はリーグ戦32試合に出場。翌2005年にはレギュラーとして完全に定着し、2007年以降は5年連続でリーグ戦全試合出場を果たしている。2008年2009年はチームの主将も務めた(2013年は共同主将の一人として再び主将に就任した[注 1])。

2011年3月29日に開催された「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ」では[注 2]、日本国籍以外の選手としてはただ一人、Jリーグの選抜チームである「Jリーグ TEAM AS ONE」のメンバーに選出され、サッカー日本代表と対戦した。

2018年4月28日の対北海道コンサドーレ札幌戦(ユアテックスタジアム仙台)でJリーグ通算500試合出場を達成した。

2019年12月28日、契約満了による退団を発表[6]

2020年1月8日、サガン鳥栖入りを発表[7]

2022年1月5日、ベガルタ仙台への完全移籍での復帰が発表された[8][9]

2023年12月18日、現役引退が発表された[10]。引退後はベガルタ仙台のクラブコーディネーターに就任[11]

代表歴

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朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表にもたびたび招集されており、2008年東アジア選手権2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選にも出場した。しかし、守備的戦術を採り体力と競り合いの強さを重視する代表の中で持ち味の攻撃的センスを発揮することは難しく、また、2部リーグでプレーしていることでも軽んじられたため[12]、重用されることはなかった。2009年に北朝鮮代表が東アジア選手権予選で敗退した際、出場していた同じ在日朝鮮人の鄭大世が梁を待望するコメントを出している。

北朝鮮代表が44年ぶりのW杯に挑む2010年、いわゆるBチームではあるが代表に2年ぶりに招集され、AFCチャレンジカップ2010優勝に貢献。大会得点王及びMVPを獲得した。同年5月には2010 FIFAワールドカップの北朝鮮代表候補(24名)に選出されたが、予備登録締め切り日までに手続きが遅れた影響で予備登録メンバーにも登録されず、直前合宿に参加したものの最終エントリーメンバーに残れなかった。金正勳監督に対し梁のメンバー入りを強く主張していた在日本朝鮮人蹴球協会の李康弘理事長は、選手枠に空きが無いならと役員枠での帯同を要求し[13]、事実上のサポートメンバーとして引続き同代表に帯同した。

同年12月24日にはAFCアジアカップ2011の北朝鮮代表に選出され、グループリーグ全3試合に出場した(うち2試合で先発)。2011年は2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選の北朝鮮代表に選出。日本戦(アウェイのみ)にも出場したが、同予選では特に目立った活躍はできず、チームも最終予選に進めなかった。

2014年12月16日、AFCアジアカップ2015の北朝鮮代表に選出され、グループリーグ全3試合に先発出場。第2戦のサウジアラビア戦では先制点を挙げた。

エピソード

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  • J2の連続試合出場記録(145)を持っている。仙台のJ1昇格後も連続試合出場を2シーズン続けていたが、2012年2月のタイ遠征で右膝を傷めJ1開幕戦に出場できず、ディビジョンをまたいでのJリーグ連続試合出場記録は「213」でストップした[14]
  • 高級学校時代、成績は学年でトップクラスだったが、阪南大学でサッカーをするために同大学へ進学した[15]
  • 好きなお笑い芸人は宮川大輔[15]
  • 2012年10月16日から11月13日まで、火曜日に4回に渡って朝日新聞スポーツ面でコラム「継続力」を連載した。
  • サッカー選手の高慶汰はとこにあたる[16]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 阪南大 - - - 2 1 2 1
2003 14 - - 2 1 2 1
2004 仙台 30 J2 32 2 - 2 0 34 2
2005 39 6 - 1 0 40 6
2006 10 42 4 - 1 0 43 4
2007 48 8 - 1 0 49 8
2008 42 13 - 0 0 42 13
2009 51 14 - 4 1 55 15
2010 J1 34 11 3 0 0 0 37 11
2011 34 4 3 0 1 0 38 4
2012 27 3 5 1 1 0 33 4
2013 30 4 2 0 4 1 36 5
2014 33 2 5 0 1 0 39 2
2015 33 3 5 1 3 0 41 4
2016 26 0 1 0 0 0 27 0
2017 24 2 1 0 1 0 26 2
2018 14 0 3 0 2 0 19 0
2019 13 0 7 1 2 0 22 1
2020 鳥栖 50 22 0 2 0 - 24 0
2021 7 0 1 0 0 0 8 0
2022 仙台 10 J2 15 0 - 1 0 16 0
2023 11 0 - 2 0 13 0
通算 日本 J1 297 29 39 3 15 1 351 33
日本 J2 280 47 - 12 1 292 48
日本 - - 4 2 4 2
総通算 577 76 39 3 31 4 647 83
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2013 仙台 10 5 1
通算 AFC 5 1

その他の公式戦

代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 26試合 7得点(2008年-2017年)[17]


北朝鮮代表国際Aマッチ
出場得点
2008 2 0
2009 1 0
2010 7 5
2011 9 0
2012 3 1
2015 3 1
2017 1 0
通算 26 7

代表での得点

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# 年月日 開催場所 対戦相手 スコア 結果 大会名
1. 2010年2月17日 スリランカの旗 スリランカ, コロンボ  トルクメニスタン 1–1 1–1 AFCチャレンジカップ2010
2. 2010年2月21日  インド 1–0 3–0
3. 3–0 3–0
4. 2010年2月27日  トルクメニスタン 1–1 1–1
5. 2010年12月31日 カタールの旗 カタール, ドーハ  カタール 1–0 1–0 親善試合
6. 2012年12月9日 香港の旗 香港  香港 2–0 4–0 東アジアカップ2013予選2次ラウンド
7. 2015年1月14日 オーストラリアの旗 オーストラリア, メルボルン  サウジアラビア 1–0 1–4 AFCアジアカップ2015

タイトル

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朝鮮民主主義人民共和国代表
個人
  • Jリーグアウォーズフェアプレー個人賞:1回(2011)
  • Jリーグ優秀選手賞:1回(2012)
  • Jリーグ月間ベストゴール(2015)

脚注

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注釈
  1. ^ FW柳沢敦(2011年より継続)、MF梁、DF角田誠、GK林卓人と、各ポジションに主将を置く。
  2. ^ 同年3月11日に発生した同地震東日本大震災)では、翌日に仙台でのホーム開幕戦を控えていた梁も被災した。地震当日は移動中の車内で一夜を明かし、その後は同僚選手との共同生活を行うなど、練習不足の状態だった[5]
  3. ^ 2002年3月閉校。
出典
  1. ^ 忠岡町観光ガイド”. 忠岡町役場. 2018年5月8日閲覧。
  2. ^ 慎,127頁
  3. ^ a b 慎,134頁
  4. ^ a b c 仙台梁「悲願J1昇格、ホンマ長かった」 日刊スポーツ 2009.11.9
  5. ^ 震災経験、仙台MF梁勇基「参加してよかった」 スポーツニッポン 2011.3.30
  6. ^ 梁勇基選手 契約満了のお知らせ”. ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト. 2019年12月28日閲覧。
  7. ^ 梁勇基選手 新加入のお知らせ”. サガン鳥栖 オフィシャルウェブサイト (2020年1月8日). 2020年1月8日閲覧。
  8. ^ サガン鳥栖 梁勇基選手 完全移籍加入のお知らせ”. ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト (2022年1月5日). 2022年1月5日閲覧。
  9. ^ J2仙台に梁勇基が復帰”. 産経ニュース (2022年1月5日). 2022年1月5日閲覧。
  10. ^ 梁勇基選手 現役引退のお知らせ”. ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト (2023年12月18日). 2023年12月18日閲覧。
  11. ^ 梁勇基クラブコーディネーター 就任のお知らせ”. ベガルタ仙台オフィシャルウェブサイト (2024年1月24日). 2024年1月24日閲覧。
  12. ^ 慎,141-142頁
  13. ^ 『橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像』集英社、2016年、81-83頁。 
  14. ^ 梁、連続出場「213」でストップ…仙台 スポーツ報知 2012.3.11
  15. ^ a b 「日本列島ルーツ探訪」『週刊サッカーダイジェスト』2010年4月20日号
  16. ^ 尚志1歩及ばず準優勝/高校サッカー日刊スポーツ 2014年10月15日閲覧
  17. ^ 梁勇基 - National-Football-Teams.com

参考文献

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  • 慎武宏『祖国と母国とフットボール』ランダムハウス講談社、2010年。ISBN 978-4-270-00565-1 

関連項目

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外部リンク

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