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高木義成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高木 義成
名前
愛称 ヨシナリ、のうりんおじさん
カタカナ タカギ ヨシナリ
ラテン文字 TAKAGI Yoshinari
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-05-20) 1979年5月20日(45歳)
出身地 東京都江戸川区
身長 187cm
体重 86kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1995-1997 日本の旗 修徳高校
1998-1999 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2009 日本の旗 東京ヴェルディ1969 194 (1)
2010-2015 日本の旗 名古屋グランパス 13 (0)
2016-2017 日本の旗 FC岐阜 31 (0)
通算 238 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

来歴

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2000年東京ヴェルディ1969に入団。クラブでは本並健治菊池新吉が引退した後の2002年よりレギュラーを務めてきたが、2008年FC東京から移籍してきた土肥洋一にポジションを奪われ、控えに回された。J2に降格して迎えた2009年も7試合の出場に留まり、シーズン終了後に東京Vから戦力外通告を受け、2010年1月7日名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。同年7月の対横浜F・マリノス戦ではベンチ入りの控え選手ながら主審に執拗に抗議したという理由で退場処分を命じられた。移籍後は楢﨑正剛の控えに回った。

東京V在籍時から日本プロサッカー選手会(旧称:Jリーグ選手協会)の理事(副会長)を務めていたが、2010年12月24日、協会との方向性の違いにより辞任した[1]

2016年からFC岐阜に所属[2]。開幕戦は沖縄キャンプで足首を負傷していた影響でベンチスタートだったが、開幕2試合で8失点を喫したポープ・ウィリアムに代わって3戦目から先発出場。無失点に抑え勝利に貢献し、以降正GKの座を獲得した。翌2017年シーズンはビクトルが全試合に出場したため出番は無く、この年限りで現役を引退した[3]

2020年10月、自身のYouTubeチャンネル『高木式GKメソッド』[4] を開設し、将来ゴールキーパーを目指す人々に向けてさまざまなレッスン動画を挙げている[5]

エピソード

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  • かつてチームメイトだった本並を尊敬していた為、2001年に本並が引退した後は本並が付けていた背番号21を受け継いだ[6]。東京V在籍時はピンク色のキーパー用ユニホームの着用を好んだ。
  • 2006年7月12日のJ2ベガルタ仙台戦(ユアスタ)の後半19分、自陣ゴール付近からのフリーキックがそのまま相手方ゴールに入り、Jリーグ公式戦として4人目のGKのゴールを記録した(過去の3人は田北雄気松永成立菅野孝憲)。仙台の広報によれば、その距離は89メートルであり、2009年シーズン終了時点においてJリーグ史上最長ゴールである。その時の仙台のGKは、2002年に高木にポジションを奪われて仙台に移籍した高桑大二朗である。
  • 愛犬家であり、ブログのタイトルに愛犬「さくら」の名が入っており頻繁に登場する。
  • 2003年1月、所属するヴェルディの主将(当時)であった北澤豪が展開するカンボジアでのボランティア活動に参加。2006年3月には「ヨシナリシート」を創設し、自腹で全ホームゲームのチケットを購入、児童福祉施設等の子供達を招待している等、社会貢献への意識を持つ。
  • 2004年に初めて鹿児島県最南端の与論島に来島してから「与論島は第三の故郷」と自ら言うぐらい与論島を気に入っている。与論島を訪れ、来島する度にサッカー教室を開催する。また、保育園から小学校・中学校に自ら足を運び子どもたちとの触れ合いを大切にし、地域貢献活動を積極的に行っている。更に2012年と2013年に与論島を襲撃した歴史的な台風(最大瞬間風速73/m)被害を知り、与論島の復興に大きく支援・貢献した。
  • 2014年、バナウル王国(与論島)観光大使に就任。
  • 岐阜移籍後に岐阜県を舞台とするアニメ『のうりん』を視聴、原作者の白鳥士郎と対面した[7]。『のうりんおじさん』の愛称は白鳥公認である。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 国士大 22 旧JFL -
1999 1 JFL 4 0 - 2 0 6 0
2000 V川崎 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 東京V 12 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 21 17 0 1 0 1 0 19 0
2003 30 0 6 0 3 0 39 0
2004 30 0 7 0 5 0 42 0
2005 33 0 6 0 1 0 40 0
2006 J2 40 1 - 0 0 40 1
2007 36 0 - 0 0 36 0
2008 J1 0 0 2 0 1 0 3 0
2009 J2 8 0 - 0 0 8 0
2010 名古屋 50 J1 0 0 4 0 4 0 8 0
2011 11 0 0 0 1 0 12 0
2012 2 0 1 0 0 0 3 0
2013 0 0 0 0 0 0 0 0
2014 0 0 0 0 2 0 2 0
2015 0 0 3 0 0 0 3 0
2016 岐阜 21 J2 31 0 - 0 0 31 0
2017 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J1 123 0 26 0 14 0 163 0
日本 J2 115 1 - 0 0 115 1
日本 JFL 4 0 - 2 0 6 0
日本 旧JFL -
総通算 242 1 26 0 16 0 284 1

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2006 東京V 21 1 0
2009 名古屋 50 0 0
2011 1 0
2012 0 0
通算 AFC 2 0

タイトル

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個人

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  • 関東大学サッカーリーグ戦 新人王 (1998年)
  • 関東大学サッカーリーグ戦 ベスト11 (1998年)
  • Jリーグフェアプレー個人賞 (2004年)

代表歴

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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