コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アレクサンドル・ルカシェンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルカシェンコから転送)
アレクサンドル・ルカシェンコ
ベラルーシ語: Алякса́ндр Рыго́равіч Лукашэ́нка
ロシア語: Александр Григорьевич Лукашенко

2023年4月

任期 1994年7月20日
首相 ミハイル・シギルロシア語版
セルゲイ・リングロシア語版
ウラジミール・エルモシンロシア語版
ゲンナジー・ナビツキーロシア語版
セルゲイ・シドルスキー
ミハイル・ミャスニコビッチロシア語版
アンドレイ・コビャコフロシア語版
セルゲイ・ルマスロシア語版
ロマン・ゴロフチェンコ

ロシア・ベラルーシ連邦国家
初代 最高国家会議議長
任期 2000年1月26日

出生 (1954-08-30) 1954年8月30日(70歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
白ロシア・ソビエト社会主義共和国の旗 白ロシア・ソビエト社会主義共和国 コプィシ
政党 ソビエト連邦共産党1979年 - 1991年[1]
民主主義のための共産主義者(1991年 - 1992年[2]
無所属
配偶者 ガリーナ・ルカシェンコ
宗教 無神論
署名
アレクサンドル・ルカシェンコ
Аляксандр Рыгоравіч Лукашэнка
Александр Григорьевич Лукашенко
軍歴 ソビエト連邦の旗 1975 – 1977年 1980 – 1982年
ベラルーシの旗1994年 – (現在)
最終階級 最高司令官
(武官としての最終階級は予備中佐)
テンプレートを表示

アレクサンドル・グリゴリエヴィッチ・ルカシェンコ(ベラルーシ語: Алякса́ндр Рыго́равіч Лукашэ́нка、ロシア語: Александр Григорьевич Лукашенко[3]、1954年8月30日 - )は、ベラルーシ政治家[4]

ロシア・ベラルーシ連盟国の初代最高国家会議議長(2000年 - )でもある。「ヨーロッパ最後の独裁者」という異名を持つ[5][6][7][8][9]

民主的と自称する選挙によって選出・再選されているが世論調査などの支持率[10][11]と実際の得票数がかけ離れているため、不正選挙を行っていることが確実視されている[12][13]

1994年に大統領に就任し、1996年には任期を延長、2001年に再選、2004年には憲法の3選禁止条項を一方的に撤廃し2006年に3選、2010年に4選、2015年に5選、2020年に6選を果たした。なお、1999年12月8日にロシア連邦との間で調印されたロシア・ベラルーシ連盟国創設条約の発効に伴い、翌2000年1月に「連盟国」の初代「最高国家会議議長(国家元首)」に就任した。

1994年の選挙に立候補し、ロシアとの関係を重視。親欧州主義に矛先を向けて親露反米の姿勢を一貫して崩していないのがルカシェンコ体制の特徴である。2020年の6選では、長期政権に終止符を打つためチハノフスカヤを始めとした反ルカシェンコ(反体制派)の群衆に押され政権が揺らいでいるかに見えたものの[14]、現在でもルカシェンコの権威はベラルーシの政治情勢に極端に影響を及ぼしていると考えられる。

選挙は自由かつ公正であるとは見なされておらず[15][16]、所謂非自由主義的民主主義に陥っているとして特徴付けられた。主要なメディアは国営の下に置かれ、独立系のメディアや団体も弾圧されている。6選目の勝利は、反体制派イギリスアメリカEUによって「破棄」される形で不正があったと主張、現在でもこれらの国々はルカシェンコをベラルーシの正当な大統領として認めていない[17][18]

名前

[編集]

名の日本語表記は、「ルカシェンコ」が一般的だが、専門家がベラルーシ語からの表記である「ルカシェンカ」と書く場合もある[19][注 1]。民族的にはウクライナ人であり、彼のウクライナ語読みでの名前は「オレクサンドル[20]である。

来歴

[編集]

1954年8月30日当時ソビエト連邦白ロシア共和国(現在のベラルーシ)のヴィテブスク州オルシャンスク地区コピィシ(コプイシ)村で生まれたとされる[4][21]。ルカシェンコの二番目のいとこのジェームズ曰く、母方の祖父、トロヒム・イワノビッチ・ルカシェンコは、ショストカ近くのウクライナのスームィ州(現在のソビチェヴェ村)で生まれた[4]。ルカシェンコは幼少期に父親のいない環境で育ち、未婚の母親を持つことで同級生からからかわれた[22]

1975年モギリョフ教育大学歴史学部(歴史学学士社会科教員を取得)を卒業。大学通信教育により農業アカデミー経済学部(農業経済学学士を取得)を卒業。1990年、ソフホーズの支配人から白ロシア共和国最高会議代議員選挙に立候補して当選する。ソビエト連邦の崩壊に伴う独立後、ベラルーシは国内が混乱して政府も腐敗していた。そんな中ルカシェンコは1993年に汚職追及委員会議長に就任し政治家達の汚職を糾弾し、有権者の支持を獲得する。

1994年ベラルーシ大統領選挙英語版に立候補。大衆迎合的な選挙公約を掲げて他の候補に圧勝し初代大統領に就任する。

2004年9月7日ルカシェンコは大統領の多選を禁じる憲法を改正し多選を可能とする国民投票の実施を発表。翌10月17日の国民投票の結果、8割弱の賛成で3選への道を開く。これを受け2005年アメリカ合衆国大統領に再選を果たしたばかりのジョージ・W・ブッシュは打倒すべき独裁国家の一つとしてベラルーシを挙げた。ブッシュはまたベラルーシを「最悪の独裁国家」と批判している。2006年3月19日に行われた任期満了に伴う大統領選挙英語版では、得票率82.6%(公式発表)で圧勝して3選を果たしたがこの選挙に関しては得票率改竄の疑惑や野党候補およびその支持者への妨害などの不正が行われていたとの証言[23]が存在する。

2010年12月19日投開票の大統領選挙で4選を果たしたが(得票率79.7%)、やはり不正選挙であるという指摘がなされている[24]。 ルカシェンコの4選直後からベラルーシ経済は未曾有の危機に陥り、インフラを担う国営企業などがロシアに掌握される可能性が出てきており、ベラルーシが事実上ロシアに吸収合併(乗っ取りとも言える)される可能性も現実味を帯びている。2011年5月27日ルカシェンコは政府関係者を集めた会議の席上「ギャングども(ロシアのこと)に我々の国を売り払いなどしない!」などと述べ、感情を露にした[25]。ロシアはかねてからベラルーシの吸収合併を狙っていた。

2015年4月2日には、国家財政の体力強化のため半年間無職で納税しなかった人間に約360万ベラルーシ・ルーブル(約3万円)の罰金の支払いと、支払い命令に従わなかった場合は拘束され、強制的に社会奉仕活動をさせられるという、旧東ドイツを彷彿とさせる政策の大統領令に署名した。ただ高齢者や障害者、学生などは対象外である[26]

2015年10月11日投開票の大統領選挙英語版で得票率83.49%を得て5選[27]

2016年9月の下院選では野党への締め付けを緩め、20年ぶりに政権に批判的な野党系候補が2人当選した。欧米への配慮によるものとされる[28]

2020年8月9日の大統領選挙に向けては米国からルカシェンコへ贈られた「情報提供」を根拠に、対抗馬のビクトル・ババリコを資金洗浄容疑で拘束[29]。元々は政権高官であったものの5月に対立候補として出馬を表明したバレーリー・ツェプカロの候補者登録を拒否 [30](有権者署名の半数を無効扱い)するなど、事前に対抗馬の排除を行った。中央選挙管理委員会は80.2%を得票したルカシェンコの6選を認定し、主要対立候補のスヴャトラーナ・ツィハノウスカヤは9.9%にとどまったと発表。しかし不正選挙を訴える市民と警官隊との間で衝突が発生し、10日には数十名の死傷者が出たほか、約3,000人の身柄が拘束された[31]。7月に国外へ亡命していたツェプカロらは翌11日に「救国戦線」結成を表明した[30]。ルカシェンコへの異議を唱える参加者10万人級の大規模デモは、ミンスクにおいて以降も続いた[32][33]が、9月23日に事前予告なしで大統領就任式を実施し、再選挙実施などで妥協する意思がないことを示した[34]。2022年2月27日に実施した憲法改正住民投票英語版は65.2%の賛成多数で承認され、自身の当選回数がリセットされ最長で2035年まで続投可能となった[35]

2023年5月9日、モスクワで開かれた対ドイツ戦勝記念パレードに出席したが、歩くことがままならない様子であったこと[36]、同年5月14日に国内で開かれた国旗、国章、国歌の日の記念式典を欠席したことから、健康不安説がささやかれた[37]。5月27日、ロシアのプーチン大統領との会合のあと重篤な状態でモスクワの病院に運ばれたと反政権派指導者の一人であるワレリー・ツェプカロがSNSに投稿したが[38]、29日にはミンスクでロシア中央銀行総裁のエリヴィラ・ナビウリナと会談し健在が確認されたことでツェプカロは批判を受けた[39]。6月24日、ワグネル武装蜂起を開始する直前にルカシェンコ一家や政府高官が使用する飛行機が深夜のうちにミンスクを離陸し、ロシア南部地域を回避しながらトルコボドルムに着陸したことが確認されている[40]。しかしルカシェンコはその後、プーチン、ワグネル創始者エフゲニー・プリゴジンと相次いで会談を行い、両者が流血の事態を回避することで合意、ワグネルの進軍停止と戦闘員の安全を保証するという内容で合意をみたと発表した[41]

2024年2月25日、ルカシェンコは来年予定の大統領選挙英語版への出馬を表明。これは、8期連続での出馬を意味している[42]

政策

[編集]
2000年ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチン(右)と
メドヴェージェフ大統領と(2008年10月25日)

ルカシェンコ自身はソ連共産党[1][2]だったソ連時代を除いて特定の政党に所属していないものの、ベラルーシ人民戦線とベラルーシ共産党(KPB)などが政権を支持する事実上の与党である。大統領に就任すると、ベラルーシ国旗もかつての白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗に変更し、それまでの国旗は使用禁止となった。また、政府庁舎に掲げられていた国章も鎌とハンマーがあしらわれている白ロシアの国章に付け替えた(現在はそれを一部修正した現行のベラルーシの国章が付けられている)。また、ロシア語を公用語であるベラルーシ語と同等とし、強いロシア語化政策およびベラルーシ語の迫害政策を敷いている(国営テレビ放送や、大統領就任式などの国家行事でもベラルーシ語ではなく、ロシア語が使われている)。このため、ベラルーシ語自体が絶滅の危機に瀕しているとされる。

経済面ではソビエト連邦の崩壊後の経済危機を乗り切り、国内総生産の成長や工業生産の回復など一定の成果を収めている。ベラルーシの1人当たり国民所得は中所得国水準を維持しており、特に農村部に多くの支持者がいる。また、国内ではロシアやウクライナのような、国有企業の民営化の結果として巨大な影響力を持つオリガルヒが出現していないため、政財界の癒着が少ない[43]

対ロ関係

[編集]

ロシア連邦との「連邦国家」の実現による両国の政治・経済・軍事などの各分野での両国の統合構想を強く推進し、1999年12月8日には、当時のロシア連邦大統領ボリス・エリツィンとの間でロシア・ベラルーシ連盟国創設条約に調印しているが、その後、彼に代わってロシア連邦大統領に就任したプーチンらが提唱するロシアによる事実上のベラルーシ併合発言に反発し、両国の統合構想は行き詰ったままである。グルジア紛争でのロシアの旧ソ連諸国との軍事的な対立や、ベラルーシのロシアへの併合への圧力をかけるための天然ガスの値上げなどの諸政策を受け、再度欧米への接近を図っているとも伝えられるが、欧米およびロシアとはバランスを保った関係を維持し、自らの権力を維持しようとしているという見方もある。2008年9月の下院選に監視団を受け入れることで、これを機に西側諸国との関係改善を図ろうとしたが、10月6日にプーチン首相がベラルーシを訪問。連邦国家実現へ向けての政策を実行することを確認した。これは、ロシアに西側への接近を引き止められたといえる。しかしながら、同月EUが民主化の兆しと下院選を評価し、経済制裁が一部解除されることとなった。制裁の解除により、2009年3月26日にはローマ教皇ベネディクト16世との会談が実現した。(ただし、ルカシェンコは無神論者である[44])。

2009年に入ってベラルーシは西側への接近を強め(ルカシェンコ自身「我々は西側との関係を正常化する」と言明している)、ロシアとの関係が悪化している。ロシアから約束されていた5億ドルの支援が棚上げになったことに立腹し、「ロシアに泣きついて頭を下げることはない」と述べ、欧米への接近を図った[45]。これに対し、ロシアは対抗措置としてベラルーシ産の乳製品を輸入禁止にした。このような点から、連盟国構想はもはや双方ともにやる気がないとの見方もある[46]。しかし、金銭面での支援を得るためにEUへ接近したものの独裁体制などを理由に支援を却下され、これにルカシェンコは立腹し、ロシア、EU双方を「わが国の主権を侵害している」と非難した。ベラルーシの国家財政の基盤だった他国からの援助が得られず、ルカシェンコは国際社会から孤立した。ロシアの財務相であるアレクセイ・クドリンはベラルーシが市場改革や財政面での見直しを行っていないため、近い将来ベラルーシは財政破綻するとの見方を示した。しかし、2009年11月にはロシアからの経済支援を引き出すため、アブハジア南オセチアの独立を承認することを検討していると伝えられた[47]。このように、ルカシェンコはロシアとEUを天秤にかけ、双方から経済支援を引き出す外交を展開している。このような外交手腕には、専門家も舌を巻いている[48]。また、ロシアとの関係改善のメドがついたことで、2009年12月には連盟国の最高国家評議会も行われる運びとなった。

2010年6月にロシアの天然ガスをめぐる紛争が発生。紛争自体は数日で解決を見たが、両国関係には大きな傷がついたと思われた。しかし、ルカシェンコはすぐにロシア、カザフスタン、ベラルーシの三カ国で発足する予定だった関税同盟に参加を表明。関係修復を素早く行なった。「国を売らない」と公言していたルカシェンコであったが、ベラルーシ国内の反政府運動の激化と、ロシアとの対立で国家財政の重要な収入源である天然ガスの国内通過料が得られなくなる可能性が出てきたため、2011年12月、ユーラシア連合構想への参加を表明(後にユーラシア経済連合に加盟)。それと引き換えに天然ガスをロシアがベラルーシに「統合割引価格」で提供、そして、ロシアがベラルーシ国内のガスパイプラインを買い取るという協定を結んだ。これにより、ベラルーシ経済はロシアに掌握された格好となった[49]

2014年に発生したクリミア危機・ウクライナ東部紛争では、両国の間に入って調停役に回っている[50]

2020年の大統領選挙では民間軍事会社ワグネル・グループの傭兵33人をテロ容疑で逮捕して騒乱を画策したとしてロシアを非難するも[51]、後に対ロ関係修復のために送還するなど[52]、大統領選挙をきっかけにロシアとの関係を急速に改善しつつある[53]。2022年9月28日にはロシア南部のソチに立ち寄った後にアブハジアを初訪問した[54]

2022年2月、ルカシェンコはロシア軍がベラルーシ領土からウクライナ侵攻の一部を行うことを許可した[55]

2023年7月、ロシアより自国に配備される戦術核兵器について、BBCロシア編集長からウクライナへ発射するかと質問され「自分たちに対する侵略行為があれば」それに対応すると答えた[56]

対中関係

[編集]

ベラルーシは長らくロシアとの経済関係が強かったが、ルカシェンコは2012年に中国共産党中央委員会総書記最高指導者)に就任した習近平と個人的な関係を築き、ベラルーシにとって中国はロシアに替わる有力な経済パートナーと見做されるようになった[57]。また、中国が主導する上海協力機構にもベラルーシはオブザーバーとして参加している。2013年にロシアが国営企業の民営化の遅れなどを理由にベラルーシへの資金援助を打ち切ったことを契機に、ルカシェンコは欧州進出を画策していた中国と15億ドルの経済投資協定を締結してベラルーシは財政破綻を回避した[58]。同時期に中国とシンガポールが開発した蘇州工業園区に倣って建設された中国ベラルーシ工業園区英語版は中国にとって欧州進出の拠点となった[59]。また、軍事的な関係も強めており、MLRSポロネズ英語版を中国と共同開発している[60][61][62][63]。ベラルーシの軍事パレードではソ連時代のジルの代わりに中国のパレードカー紅旗・L5を使用し[64]ロシア連邦軍とともに中国人民解放軍ベラルーシ軍と行進させている[65]

2015年8月の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席し、天安門広場を行進するベラルーシ軍を閲兵した[66]

2017年5月には中国の一帯一路をテーマとした一帯一路国際協力サミットフォーラム英語版に出席した[67]

2020年に新型コロナウイルス感染症が世界的に流行した際には、4月に中国がベラルーシに対して検査キットやマスク、防護服を支援した。ルカシェンコは習近平に対して感謝する電報を送り、夏の訪問を要請した[68]。なお、新型コロナはルカシェンコ自身も感染したが回復したと同年7月28日に語っている。ルカシェンコは新型コロナを「感染した住民の97%は無症状」「精神病」「サウナやウォッカでウイルスを退治できる」[69]などと語り、地方視察や外国要人との会談でも衛生マスクをつけず、外出制限など防疫措置を取っていないことから、国内に批判もある[70]

人物

[編集]

私生活

[編集]
2012年、息子ニコライ(中央)と

妻帯、ヴィクトルとドミトリーという2人の息子がいる。このほかにもニコライという2004年に生まれた婚外子がいる[71]。長男のヴィクトルは2021年にベラルーシオリンピック委員会会長の座を父アレクサンドルから引き継ぎ就任したが、国際オリンピック委員会は同国内における選手への差別がアレクサンドル会長の時代も含めて改善されていないことを理由にヴィクトルの会長就任を認めていない[72]

妻は公式の場に姿を見せない。ルカシェンコはニコライを大変かわいがっているようで、2008年の北京オリンピックの開会式や2009年と2010年の軍事パレード、ベネディクト16世との会談時、中国の抗日式典など、ありとあらゆる行事にニコライを同席させている。ピアノや中国語を学ばせており、2018年に春節での挨拶の際にニコライはこれを披露している[73]

タバコは吸わず、酒もほとんど飲まない。趣味はスポーツで、特にサッカーとアイスホッケーを好む。アイスホッケーに関しては自身も選手として参加しており、ベラルーシ国内にミンスク・スポーツ宮殿やミンスク・アリーナなどといったアイスホッケー場を多数建設するよう命じている。1998年2月の長野オリンピックの際に公式来日を希望したが、警備上の理由で拒否され競技見たさに非公式で来日した[48]

ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスと友好的であり、チャベスの生前よく会談していた。

発言・主張

[編集]

ヨシフ・スターリンと手を結んでポーランド領だったブレストをベラルーシ領にしたアドルフ・ヒトラーを「彼のおかげで(ドイツは)残骸から立ち直った」と賞賛し、「ユダヤ人は、ボブルイスク(ベラルーシ国内の一都市)を豚小屋に変えた」など、反ユダヤ主義的発言をしている(ベラルーシには約7万人ほどのユダヤ系住民がいる)。そして、「ドイツの歴史はベラルーシの歴史のコピーだ」と発言している[74]

「ベラルーシには美人がたくさんいる。しかし私が毎日通る道の交差点にクチャクチャな顔をしたフランス人の顔が写っている。とんでもないことだ」と発言し、広告の撤去を命令、さらにベラルーシ国内の広告に国外女性モデルの使用を禁じた[48]。ちなみに、かつてベラルーシではベラルーシ人女性の人身売買・外国売春が問題になった。そこで、現在ではそれを防ぐためにベラルーシ人女性の出国を一部規制する法律が存在している[48]

「プレジデントは自分一人で十分」との理由で、大統領職以外の会社社長などに「プレジデント」を別名として使用することを禁じた[48]

自身の3選について、「私が大統領選に参加できない理由などありません」と述べ、また、「独裁者」との批判については「私は国民に与えられた権限しか行使していない」と反論している[48]

野党が議席を確保できなかった2008年の下院選について、「これでも非民主的と言うのなら、彼ら(EU)との対話を絶つ」と強硬な主張をした。

色の革命について、「ベラルーシではピンクだの、オレンジだの、バナナだのといった革命はありえない」と発言している。

2010年4月14日、ワシントンD.C.での核安全保障サミットにベラルーシが招待されなかったことに対し、「(自分を招待しなかった奴らは)脳みそが足りない」と過激な発言をした[75]

2011年11月にNATOによるリビアへの軍事介入を「ナチスより悪い」と評し[76]2011年リビア内戦では当時のリビアの最高指導者ムアンマル・カッザーフィーに武器を支援して軍事顧問も派遣した[77][78][79][80]。2012年にはフランスニコラ・サルコジ前大統領の不正資金疑惑(大統領に当選した2007年に、カッザーフィーから5000万ユーロを受け取ることを合意していたというもの)について、「カッザーフィー本人からサルコジに1億ドルを渡したと聞いた」と証言し、大きな波紋を呼んだ[81]

2012年3月、ドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相がベラルーシを「独裁国家」と批判したことに対し「ゲイより独裁者のほうがマシだ」と述べた[82]

2018年12月、ロシアのプーチン大統領について「ニワトリのように歩き回って力を誇示しているだけだ」と評した[83]

2020東京オリンピックをめぐって

[編集]

2021年7月29日、大学関係者が集まる会議で、東京オリンピック(7月23日開幕)にこれまで出場した代表選手がこの時点で一つもメダルを獲得していなかったことに言及。「他のどの国よりもスポーツに出資しているのにこの結果は何だ?」と述べたあと、アフリカ出身の選手を例に挙げて「彼らは勝てば全てが手に入り、負ければパンくずを探し回らなければならないことを知っている」と自国の選手やコーチを批判した[84](その後、7月31日に男子トランポリンでイワン・リトビノビッチが金メダルを獲得した)。7月30日、ベラルーシ代表の陸上選手、クリスツィナ・ツィマノウスカヤが同国のスポーツ当局のやり方を非難すると、ベラルーシオリンピック委員会は8月1日、ツィマノウスカヤを帰国させるため羽田空港へ強制的に連行した。ツィマノウスカヤは、反政権派が全土でデモを呼び掛けた前年8月中旬に「代表選手」として呼応する声明をインスタグラムに載せており、ルカシェンコの長男が率いるベラルーシオリンピック委員会が彼女を「要注意選手」として警戒していた可能性があることが指摘されている[85]

ツィマノウスカヤは搭乗を拒否し、日本の警察に保護を求めた[86][87]。8月2日、ツィマノウスカヤは駐日ポーランド大使館で亡命を申請し、人道的ビザが発給された[88]。本国にいた陸上選手の夫はウクライナに入国した[89]。同日、EUは、ベラルーシが選手を強制帰国させようとしたことは、ルカシェンコによる「容赦ない抑圧」の実態を新たに示すものと非難。ブリンケン米国務長官は、ルカシェンコ政権の行為は「オリンピック精神に反し、基本的権利の侵害であり、容認されない」とツイッターに投稿した[90]

こうした事態のさなか、ウクライナでは3日早朝、亡命者支援団体「ウクライナ内のベラルーシの家(BHU)」の代表、ヴィタリー・シショフがキエフの自宅近くの公園で首を吊られた状態で死亡しているのが発見された。シショフは2日朝、ジョギングに出たまま行方不明になっており、警察は自殺を装った殺人の可能性があるとして調査を開始した。シショフは前年8月、ルカシェンコの6選に反対するデモに参加するなど、反政権派として活動。その年の秋にキエフに逃れた。最近は尾行されているようだと同僚に話していたという。BHUは「これは、体制にとって危険なベラルーシ人を排除するための当局による計画された作戦だ」と訴え、国連は「ベラルーシの状況に対する懸念」がさらに深まったとして、真相究明を求めた[91][92][93]

8月4日、ポーランドへの直行便に乗る予定だったツィマノウスカヤは、直前にオーストリアのウィーン行きの飛行機に変更。搭乗機は午前11時15分過ぎ(日本時間)に羽田を離陸[94]。8月5日、ポーランドで夫と再会した[95]

エピソード

[編集]
軍服を着用したルカシェンコ
  • 権力欲が非常に強い人物として知られる[96]。連盟国構想も元々は自らが旧ソ連圏の最高指導者になりたいが故に発案したものであった。事実、連盟国構想は、初め国力が低下し混乱していたロシアとは対照的に、1994年以来の自らの独裁政治により国力を増したベラルーシが主導権を握っていた[96]
  • 性格的には気難しい人物とされ、過激な発言も多く、アメリカだけではなく、友好国であるはずのロシアをも激しく批判するその姿勢から、「奇人」とも評されている[97][98]
  • ロシアのドミートリー・メドヴェージェフは大統領時代にルカシェンコを「外交的規範どころか、人間としての基本的礼儀さえわきまえない」と嫌悪感を露にしている[99]
  • 普段はスーツを着用しているが、国の重要行事では軍服を着用することもある(階級は保持してなく、あくまでベラルーシ共和国軍最高司令官である)。また、軍の視察に訪れる際には迷彩柄の野戦服姿の時もある。
  • ルカシェンコを支持する人々からは、ルカシェンコは「バトゥカ」(「父」の意)と呼ばれ、尊敬(個人崇拝)されている。「ルカモール」などと揶揄される「ベラルーシ共和国青年団」というコムソモールを真似た青少年組織も存在する。
  • 2013年、「公共の場で拍手喝采することを違法にしたことに対して」(フラッシュモブのデモ活動を「反体制行為」とみなしての処置)、イグノーベル平和賞を受賞した。
  • 2020年、「新型コロナウイルス感染症の大流行に際して、政治家が学者や医師よりも生死に影響を及ぼすことを知らしめた」としてアメリカ大統領のドナルド・トランプらと共にイグノーベル医学教育学賞を受賞した。
  • 2020年-2021年ベラルーシ反政府デモではデモ参加者からサーシャ3パーセントというあだ名で呼ばれた(サーシャはアレクサンドルの愛称。3パーセントは独立系メディアの世論調査で彼の支持率が3パーセントだったことから)[100][101]

制裁

[編集]
  • 2022年3月3日、ロシアによるウクライナ侵攻に協力したことによる制裁の一環で、日本国政府より資産凍結の対象者に指定されている[102]。実子のヴィクトルとドミトリーも同月8日に追加で資産凍結の対象者に指定された[103]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ モスクワ方言をベースとする標準ロシア語では強勢のない о は「ア」と発音されるので、ロシア語の Лукашенко も実際には「ルカシェ(-)ンカ」と読む。(参照

出典

[編集]
  1. ^ a b Александр Лукашенко (рус.), vedomosti.ru..
  2. ^ a b http://library.fes.de/pdf-files/bueros/belarus/07073.pdf
  3. ^ ロシア語ラテン翻字: Alexandr Grigor'evich Lukashenko
  4. ^ a b c В Минск из Канады летит троюродный племянник Лукашенко”. web.archive.org (2008年7月31日). 2023年7月7日閲覧。
  5. ^ 「欧州最後の独裁者」7期目へ続投可能に ベラルーシの改憲案で奇策:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年12月28日). 2023年4月8日閲覧。
  6. ^ 日本放送協会. “ロシア ウクライナ侵攻の陰で続く弾圧 ベラルーシ 民主化の願い”. NHK政治マガジン. 2023年4月8日閲覧。
  7. ^ 日本放送協会. “ベラルーシ・欧州最後の独裁者の危機 平和的な解決は可能か?”. 解説委員室ブログ. 2023年4月8日閲覧。
  8. ^ 見てわかるベラルーシ問題 「欧州最後の独裁者」窮地 - 日本経済新聞”. www.nikkei.com. 2023年4月8日閲覧。
  9. ^ "ヨーロッパ最後の独裁者"と呼ばれることも… ベラルーシの大統領アレクサンドル・ルカシェンコとは(ビジネスインサイダージャパン)”. LINE NEWS. 2023年4月8日閲覧。
  10. ^ Wesolowsky, Tony (25 June 2020). “Sasha 3%? Belarusians Poke Fun At President's Slipping Support” (英語). Radio Free Europe/Radio Liberty. https://www.rferl.org/a/belarusians-poke-fun-at-president-slipping-support/30690561.html 18 November 2020閲覧。 
  11. ^ “Protests shake up Belarus presidential election” (英語). BBC News. (7 August 2020). https://www.bbc.co.uk/news/world-europe-53650867 18 November 2020閲覧。 
  12. ^ Rausing, Sigrid (2012年10月7日). “Belarus: inside Europe's last dictatorship”. The Guardian. https://www.theguardian.com/world/2012/oct/07/belarus-inside-europes-last-dictatorship 2020年4月22日閲覧。 
  13. ^ “Belarus's Lukashenko: Better a dictator than gay”. Reuters. (2012年3月5日). https://www.reuters.com/article/us-belarus-dicator/belaruss-lukashenko-better-a-dictator-than-gay-idUSTRE8230T320120304 2020年4月22日閲覧. "...German Foreign Minister's branding him 'Europe's last dictator'" 
  14. ^ “NAEA News, Volume 62, Number 4, August–September 2020”. NAEA News 62 (4): 1–40. (2020-07-29). doi:10.1080/01606395.2020.1778962. ISSN 0160-6395. https://doi.org/10.1080/01606395.2020.1778962. 
  15. ^ Herron, Erik S.; Pekkanen, Robert J.; Shugart, Matthew S., eds (2018-04-26) (英語). The Oxford Handbook of Electoral Systems (1 ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/oxfordhb/9780190258658.001.0001. isbn 9780190258658. archived from the original on 22 january 2018. retrieved 21 may 2020. unanimous agreement among serious scholars that... lukashenko's 2015 election occurred within an authoritarian context.levitsky, steven (2013). competitive authoritarianism: hybrid regimes after the cold war. cambridge university press. pp. 4, 9–10, 21, 70. isbn 978-0-521-88252-1. oclc 968631692.crabtree, charles; fariss, christopher j.; schuler, paul (2016). "the presidential election in belarus, october 2015". electoral studies. 42: 304–307. doi:10.1016/j.electstud.2016.02.006. issn 0261-3794. s2cid 155377250. archived from the original on 22 june 2020. retrieved 21 may 2020."belarus strongman lukashenko marks 25 years in power | dw | 10 july 2019". deutsche welle. archived from the original on 10 july 2019. retrieved 21 may 2020.. ISBN 978-0-19-025865-8. https://academic.oup.com/edited-volume/27944 
  16. ^ “Republic of Belarus”. IMF Staff Country Reports 20 (194). (2020-06-09). doi:10.5089/9781513546865.002. ISSN 1934-7685. https://doi.org/10.5089/9781513546865.002. 
  17. ^ El Pais - Lukashenko is like Maduro. We do not recognize him but we must deal with him | EEAS”. www.eeas.europa.eu. 2023年7月7日閲覧。
  18. ^ U.S. no longer recognizes Lukashenko as legitimate president of Belarus https://www.axios.com/2020/09/23/us-lukashenko-president-belarus
  19. ^ 廣瀬陽子 (2010年9月7日). “旧ソ連諸国の権力維持の構造”. SYNODOS JOURNAL. 2010年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月22日閲覧。
  20. ^ ウクライナ語: Олекса́ндр Григо́рович Лукаше́нко
  21. ^ Официальный интернет-портал Президента Республики Беларусь/Биография”. web.archive.org (2013年12月7日). 2023年7月7日閲覧。
  22. ^ Alexander Lukashenko: Dictator with a difference”. www.telegraph.co.uk. 2023年7月7日閲覧。
  23. ^ 服部倫卓 (2006年3月20日). “2006年ベラルーシ大統領選特報”. 服部倫卓のロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪. 2015年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月22日閲覧。
  24. ^ “ベラルーシの大統領選、現職4選確定”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年12月20日). オリジナルの2010年12月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101222095811/www.yomiuri.co.jp/world/news/20101220-OYT1T00512.htm 2010年12月20日閲覧。 
  25. ^ Lukashenko warns Belarus not for sale”. YouTube. euronews (2011年5月28日). 2011年5月31日閲覧。
  26. ^ “半年無職なら罰金3万円! ベラルーシ”. 産経ニュース. (2015年4月18日). オリジナルの2015年4月20日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/BCWwI 2020年4月22日閲覧。 
  27. ^ “ベラルーシ大統領選挙 ルカシェンコ氏5選”. Sputnik 日本. スプートニク. (2015年10月12日). https://sputniknews.jp/20151012/1022189.html 2016年8月7日閲覧。 
  28. ^ “ベラルーシで20年ぶり野党議席 政権、欧米に配慮か”. 日本経済新聞. (2016年9月13日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H2T_T10C16A9000000/ 2020年4月22日閲覧。 
  29. ^ ベラルーシ大統領選控え、有力候補を捜査当局が拘束 政敵排除の指摘も」『毎日新聞』2020年6月19日(2020年8月6日閲覧)
  30. ^ a b デジタル社会の反乱でつまづいた独裁者ルカシェンコ朝日新聞GLOBE+(2020年8月18日)2020年8月21日閲覧
  31. ^ “ベラルーシ警察が数千人を拘束、大統領選の現職勝利発表で大規模デモ”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2020年8月10日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-08-10/QEU7EHT0AFBA01L 2020年8月11日閲覧。 
  32. ^ ベラルーシで歴史的大規模デモ、大統領は続投強調”. AFP (2020年8月17日). 2020年8月30日閲覧。
  33. ^ ベラルーシ首都で10万人超デモ 警察、125人拘束” (2020年8月30日). 2020年8月30日閲覧。
  34. ^ “ベラルーシ大統領が就任式強行 告知なし、再選挙の要求一蹴”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2020年9月23日). https://web.archive.org/web/20200924220424/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020092300955&g=int 2020年9月24日閲覧。 
  35. ^ “ベラルーシ「中立国家」条文削除の承認確実…国民投票、露の核兵器配備可能に”. 読売新聞. (2022年2月27日). https://www.yomiuri.co.jp/world/20220228-OYT1T50009/ 2022年2月28日閲覧。 
  36. ^ ベラルーシ独裁者に健康不安説 「疲れた様子」「右手に包帯」”. 時事通信 (2023年5月11日). 2023年5月14日閲覧。
  37. ^ 健康不安説のルカシェンコ大統領、5日連続で姿見せず ロシア有力紙”. 朝日新聞DIGITAL (2023年5月14日). 2023年5月14日閲覧。
  38. ^ “ルカシェンコ大統領、重篤状態で病院搬送か プーチン大統領と会談後”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2023年5月28日). https://www.asahi.com/articles/ASR5X4WQJR5XUHBI009.html 2023年5月28日閲覧。 
  39. ^ “ベラルーシ大統領、健在 「搬送」主張の反政権派に批判”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2023年5月29日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2023052901022&g=int 2023年6月24日閲覧。 
  40. ^ “Plane used by Belarusian top officials and Lukashenko family lands in Türkiye”. Yahoo! News. (2023年6月24日). https://news.yahoo.com/plane-used-belarusian-top-officials-070605410.html 2023年6月24日閲覧。 
  41. ^ “ベラルーシ “ルカシェンコ大統領が仲介し事態の打開図った””. NHK NEWSWEB. NHK. (2023年6月25日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230625/k10014108601000.html 2023年6月25日閲覧。 
  42. ^ “Лукашенко заявил, что в 2025 году пойдёт на выборы”. Svoboda. Svoboda. (2024年2月25日). https://www.svoboda.org/a/lukashenko-zayavil-chto-v-2025-godu-poydyot-na-vybory/32834331.html 2024年2月25日閲覧。 
  43. ^ Are There Any Oligarchs in Belarus?” (英語). Office for a Democratic Belarus (2012年5月2日). 2021年4月28日閲覧。
  44. ^ Aleksandr Lukashenko's first European destination: the Vatican”. RT (2009年4月27日). 2012年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月22日閲覧。
  45. ^ “「欧州最後の独裁者」支援棚上げでロシアに立腹 ベラルーシのルカシェンコ大統領”. MSN産経ニュース. (2009年5月30日). オリジナルの2009年6月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090602140333/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090530/erp0905301051005-n1.htm 2020年4月22日閲覧。 
  46. ^ Владимир Путин провел в Минске заседание совмина Союзного государства России и Белоруссии
  47. ^ “ベラルーシ、独立承認検討 南オセチア・アブハジア巡り”. asahi.com (朝日新聞社). (2009年11月23日). オリジナルの2009年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091127090555/http://www.asahi.com/international/update/1122/TKY200911220188.html 2020年4月22日閲覧。 
  48. ^ a b c d e f 日本テレビ緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!」2008年9月17日放送。
  49. ^ “【ソ連崩壊20年-解けない呪縛-】第6部 帝国再興の野望(2)「欧州最後の独裁者」降伏”. MSN産経ニュース. (2011年12月9日). オリジナルの2011年12月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111209234153/http://sankei.jp.msn.com/world/news/111209/erp11120923010012-n1.htm 2012年2月20日閲覧。 
  50. ^ “露・ウクライナ大統領が同席し首脳級会合 停戦へ歩み寄り難しく”. MSN産経ニュース. (2014年8月27日). オリジナルの2014年8月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140827180335/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140827/erp14082710320002-n1.htm 2020年4月22日閲覧。 
  51. ^ “ベラルーシ大統領「ロシアが嘘」 戦闘員は不安定化目的”. 日本経済新聞. (2020年8月5日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62305730V00C20A8000000/ 2020年8月5日閲覧。 
  52. ^ “ベラルーシ、拘束された民間軍事会社の要員をロシアに引き渡し…関係修復狙いか”. 読売新聞. (2020年8月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62305730V00C20A8000000/ 2020年8月26日閲覧。 
  53. ^ “ベラルーシ大統領 ロシアに急接近 抗議活動高まり選挙前の批判から一変”. 毎日新聞. (2020年9月7日). https://mainichi.jp/articles/20200907/k00/00m/030/223000c?inb=ys 2020年9月24日閲覧。 
  54. ^ “Belarus’s Lukashenko visits Abkhazia”. ユーラシアネット. (2022年9月28日). https://eurasianet.org/belaruss-lukashenko-visits-abkhazia 2022年9月29日閲覧。 
  55. ^ CNN, By Jessie Yeung, Adam Renton, Rob Picheta, Ed Upright, Aditi Sangal, Adrienne Vogt, Melissa Macaya and Maureen Chowdhury (2022年2月23日). “Ukraine says it was attacked through Russian, Belarus and Crimea borders” (英語). CNN. 2023年7月7日閲覧。
  56. ^ ベラルーシの核使用、「侵略受ければ」対応と大統領 BBCロシア編集長の質問に”. BBCニュース (2023年7月7日). 2023年7月7日閲覧。
  57. ^ “ベラルーシ政府、中国開発銀行から約5億ドルの借款受け入れ”. 日本貿易振興機構. (2019年12月16日). https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/12/ac207c7e2cff1976.html 2020年7月30日閲覧。 
  58. ^ “中国に急接近の独裁国家ベラルーシ 「スラブの兄弟」露はいらだち”. 産経ニュース. (2013年7月30日). https://www.sankei.com/world/news/130730/wor1307300004-n1.html 2020年4月22日閲覧。 
  59. ^ “ベラルーシが「中国の砦」に 50億ドルの巨大都市建設 EU上陸拠点として”. 大紀元. (2013年5月28日). https://www.epochtimes.jp/jp/2013/05/html/d52499.html 2019年9月4日閲覧。 
  60. ^ ベラルーシの独立記念日、注目を集めた「中国製」”. 中国網 (2017年7月8日). 2020年11月13日閲覧。
  61. ^ Belarus targets increased self-sufficiency in missile technology”. ジェーン・ディフェンス・ウィークリー (2020年6月2日). 2020年11月13日閲覧。
  62. ^ Belarus Tests Secretive Rocket Launcher System in China”. スプートニク (2015年6月16日). 2017年6月22日閲覧。
  63. ^ Belarusian defence industries: doubling exports and launching ballistic missile production”. UDF.BY (2018年4月30日). 2018年5月7日閲覧。
  64. ^ 中国のパレードカー、ベラルーシの閲兵式に登場”. 中国網 (2015年7月5日). 2016年8月21日閲覧。
  65. ^ Independence Day parade in Minsk”. BELTA (2018年7月3日). 2018年7月4日閲覧。
  66. ^ Alexander Lukashenko takes part in WWII military parade in Beijing”. CTB. 2018年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月22日閲覧。
  67. ^ Lukashenko partakes in Belt and Road Forum in Beijing”. BELTA (2017年5月14日). 2017年5月17日閲覧。
  68. ^ “中国、ベラルーシに接近 マスク外交、「一帯一路」主要拠点に”. 日本経済新聞. (2020年5月21日). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59333620Q0A520C2FF8000/ 2020年7月30日閲覧。 
  69. ^ “新型コロナはサウナやウオツカで治る、豪語のベラルーシ大統領が感染”. CNN.co.jp. (2020年7月29日). https://www.cnn.co.jp/world/35157379.html 2021年8月6日閲覧。 
  70. ^ ベラルーシ大統領、コロナ感染を自慢/無症状 既に回復」『毎日新聞』朝刊2020年7月30日(国際面)2020年8月6日閲覧
  71. ^ “ベラルーシのイケメン御曹司が注目独り占め プーチンと軍事演習視察”. 中国網. (2013年9月30日). オリジナルの2018年1月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/rAJT2 2020年4月22日閲覧。 
  72. ^ “ベラルーシ大統領長男を会長と認めず IOC、差別理由”. 朝日新聞. (2021年3月9日). https://www.asahi.com/articles/ASP39334QP39UHBI007.html 2022年3月8日閲覧。 
  73. ^ ‘Famous teenager’ Kolya Lukashenka speaking Chinese”. Belsat TV online (2018年2月15日). 2018年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月22日閲覧。
  74. ^ “Bigotry in Belarus”. Jerusalem Post. (2007年10月20日). オリジナルの2011年5月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110502072255/http://fr.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1192380606930&pagename=JPost%2FJPArticle%2FPrinter 2020年4月22日閲覧。 
  75. ^ “「脳みそが足りない」 ベラルーシ大統領、核サミットに招待されず恨み節”. MSN産経ニュース. (2010年4月15日). オリジナルの2010年4月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100418224343/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100415/erp1004150848003-n1.htm 2020年4月22日閲覧。 
  76. ^ “Libya: Belarusian President Lukashenko says NATO ‘did worse than the Nazis’”. Channel 6 News. (2011年11月6日). オリジナルの2011年11月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111107012613/http://channel6newsonline.com/2011/11/libya-belarusian-president-lukashenko-says-nato-did-worse-than-the-nazis/ 2020年4月22日閲覧。 
  77. ^ Источник: освобожденный из плена в Ливии белорусский военный прибыл в Минск
  78. ^ На стороне Каддафи воюют белорусские партизаны. Комсомольская правда
  79. ^ Летало ли белорусское оружие в Ливию и Кот-д'Ивуар?” (2 March 2011). 2020年8月26日閲覧。
  80. ^ SIPRI: Белоруссия снабдила Каддафи оружием для уничтожения революционеров — news.ru, 1 марта 2011
  81. ^ “「カダフィ大佐から聞いた」=サルコジ氏の資金疑惑-ベラルーシ大統領”. 時事通信. (2012年5月12日). https://archive.is/gIUU7 2012年5月12日閲覧。 
  82. ^ “‘I’d rather be a dictator than gay’: Lukashenko to German FM”. Russia Today. (2012年3月4日). http://rt.com/news/lukashenko-gay-german-minister-807/ 2012年3月5日閲覧。 
  83. ^ ロシアの“兄弟国家”ベラルーシに変化!?”. NHK. 国際報道2019 (2018年12月25日). 2019年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月21日閲覧。
  84. ^ “メダル獲得なし、大統領「不満」”. 神奈川新聞. (2021年7月30日). http://www.kanaloco.jp/news/international/article-602852.html 2021年8月2日閲覧。 
  85. ^ “過去に政権を非難 市民弾圧「我慢できず」―ベラルーシ選手”. 時事ドットコムニュース. (2021年8月2日). https://web.archive.org/web/20210802095803/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080200256 2021年8月2日閲覧。 
  86. ^ “コーチ批判のベラルーシ五輪選手、帰国迫られ拒否 保護求める”. ロイター. (2021年8月1日). https://www.reuters.com/article/olympics-2020-belarus-idJPL4N2P80I4 2021年8月2日閲覧。 
  87. ^ “【東京五輪】 ベラルーシ女子陸上選手、帰国拒否 羽田空港へ連れられ”. BBCニュース. (2021年8月1日). https://www.bbc.com/japanese/58049344 2021年8月2日閲覧。 
  88. ^ "BYSOL: белорусская легкоатлетка Тимановская попросила политическое убежище в Польше” (ロシア語). Настоящее Время. 2 August 2021閲覧。
  89. ^ “'We're just normal sports people': Belarusian sprinter Krystsina Tsimanouskaya arrives at Polish embassy in Tokyo as husband enters Ukraine”. Sky News. (2021年8月2日). https://news.sky.com/story/were-just-normal-sports-people-belarusian-sprinter-krystsina-tsimanouskaya-arrives-at-polish-embassy-in-tokyo-as-husband-enters-ukraine-12370591 2021年8月2日閲覧。 
  90. ^ “ベラルーシ五輪代表、4日にポーランドに出発 夫も合流へ”. ロイター. (2021年8月3日). https://jp.reuters.com/article/olympics-2020-belarus-idJPKBN2F32B4 2021年8月3日閲覧。 
  91. ^ “亡命ベラルーシ人グループのリーダー ウクライナで消息不明後、遺体で発見”. BBC News. (2021年8月3日). https://www.bbc.com/japanese/58066539 2021年8月4日閲覧。 
  92. ^ 石橋亮介 (2021年8月3日). “ベラルーシ反政権派の男性、遺体で発見 隣国で脱出支援”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASP837KNNP83UHBI028.html 2021年8月4日閲覧。 
  93. ^ “ベラルーシの反体制派活動家の遺体発見 自殺に見せかけ殺害か”. 毎日新聞. (2021年8月4日). https://mainichi.jp/articles/20210804/k00/00m/030/057000c 2021年8月4日閲覧。 
  94. ^ “亡命希望のベラルーシ選手が成田空港から出国…報道陣の呼びかけに無言通す”. 新聞. (2021年8月4日). https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20210804-OYT1T50194/ 2021年8月4日閲覧。 
  95. ^ “ベラルーシ五輪選手、亡命先のポーランドで夫と再会”. ロイター. (2021年8月6日). https://jp.reuters.com/article/olympics-2020-belarus-poland-idJPKBN2F62S1 2021年8月6日閲覧。 
  96. ^ a b “併合へ動き加速 露大統領、ベラルーシ訪問”. MSN産経ニュース. (2007年12月14日). http://sankei.jp.msn.com/world/europe/071214/erp0712142103010-n2.htm [リンク切れ]
  97. ^ “ベラルーシ:高濃縮ウラン放棄せず 核サミット参加拒否”. 『毎日新聞』. (2010年4月15日). オリジナルの2010年4月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100417101901/mainichi.jp/select/world/news/20100415k0000e030042000c.html 2010年4月15日閲覧。 
  98. ^ “「ガス戦争」欧州に広がったロシアへの不信感”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年6月24日). オリジナルの2010年6月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100626203101/http://www.yomiuri.co.jp:80/world/news/20100623-OYT1T00923.htm 2020年4月22日閲覧。 
  99. ^ “ロシア大統領、ベラルーシのルカシェンコ氏を非難 不支持明確に”. MSN産経ニュース. (2010年10月4日). オリジナルの2011年2月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110216132615/http://sankei.jp.msn.com/world/news/110122/erp11012215210054-n1.htm 2020年4月22日閲覧。 
  100. ^ Wesolowsky, Tony (25 June 2020). “Sasha 3%? Belarusians Poke Fun At President's Slipping Support” (英語). Radio Free Europe/Radio Liberty. https://www.rferl.org/a/belarusians-poke-fun-at-president-slipping-support/30690561.html 18 November 2020閲覧。 
  101. ^ “Protests shake up Belarus presidential election” (英語). BBC News. (7 August 2020). https://www.bbc.co.uk/news/world-europe-53650867 18 November 2020閲覧。 
  102. ^ 『官報』号外特第20号3頁 令和4年3月3日 外務省告示第91号
  103. ^ 『官報』号外特第23号3頁 令和4年3月8日 外務省告示第103号

外部リンク

[編集]
公職
先代
(建国)
ベラルーシの旗 ベラルーシ共和国大統領
初代:1994 -
次代
(現職)
先代
(創設)
ロシア・ベラルーシ連邦国家
最高国家評議会議長

初代:2000 -
次代
(現職)