一宮市立朝日西小学校
表示
一宮市立朝日西小学校 | |
---|---|
北緯35度16分48.2秒 東経136度43分12.4秒 / 北緯35.280056度 東経136.720111度座標: 北緯35度16分48.2秒 東経136度43分12.4秒 / 北緯35.280056度 東経136.720111度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 一宮市 |
設立年月日 | 1907年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210003974 |
所在地 | 〒494-0014 |
愛知県一宮市上祖父江字高須賀18 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一宮市立朝日西小学校(いちのみやしりつあさひにししょうがっこう)は、愛知県一宮市上祖父江にある公立小学校。
概要
[編集]沿革
[編集]朝日西小学校のHPの沿革では2007年に創立100周年となっており、開校は1907年(明治40年)1月の西朝日尋常小学校の開設となっている[1]。ここではそれ以前についても記述する。
- 1873年(明治6年) -
- 青雲学校が開校。祐久村、阿古井村の児童が通学する。
- 東明学校が開校。東加賀野井村の児童が通学する。
- 又新学校が開校。上祖父江村、西中野村、三拾町野村(上沼、中沼、下沼、外山)の児童が通学する。
- 1876年(明治9年) - 青雲学校が阿祐学校、東明学校が加賀野井学校、又新学校が上祖父江学校に改称する。
- 1879年(明治12年) -
- 阿祐学校が阿古井学校と祐久学校に分立する。
- 上祖父江学校が上祖父江学校と西中野学校に分立する。
- 1882年(明治15年)10月1日 - 阿古井学校、祐久学校、西中野学校を統合し、下祖父江学校となる。
- 1887年(明治20年)9月22日 - 下祖父江学校が祖父江学校と下祖父江学校に分立する。祖父江学校は後に祐賀学校に改称する。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 玉野村、祐賀村、上祖父江村、明地村と大徳村の一部(西萩原・蓮池)が合併し、朝日村が発足。
- 1907年(明治40年)1月 - 下祖父江学校と祖父江学校を統合し、西朝日尋常小学校となる。
- 1909年(明治42年) - 現在地に校舎が完成する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 西朝日国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 朝日村立朝日西小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年) - 講堂が完成する。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 起町と朝日村が合併し尾西市が発足。同時に尾西市立朝日西小学校に改称する。
- 1961年(昭和36年)3月4日 - 新校舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成する。
- 1967年(昭和42年)7月19日 - プールが完成する。
- 1976年(昭和51年)3月6日 - 新校舎(鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
- 1981年(昭和56年)3月27日 - 校舎(鉄筋コンクリート造4階建)を増築する。
- 1984年(昭和59年)3月12日 - 体育館が完成する。
- 1994年(平成6年)7月 - 管理棟が完成する。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 尾西市と木曽川町が一宮市に編入される。同時に一宮市立朝日西小学校に改称する。
- 2007年(平成19年)2月 - 学校創立百周年記念式典を行う。
通学区域
[編集]- 上祖父江、西中野、東加賀野井(東加賀野井字東川原の一部を除く)、明地字西七丁原の一部、祐久字九百坪の一部、祐久字外浦、祐久字西川田、祐久字東川田[2]。
進学先中学校
[編集]交通アクセス
[編集]- 名鉄バス起線「朝日西小学校前」バス停より徒歩約5分。
- 名鉄一宮駅バスターミナルより27系統。
著名な出身者
[編集]参考文献
[編集]- 新学制40周年記念誌 伸びゆく学校 (中島地方教育事務協議会・中島地方小中学校長会 新学制40周年記念誌伸びゆく学校編集委員会 1988年) P.54 - 55
脚注
[編集]- ^ 本校沿革史(一宮市立朝日西小学校)
- ^ 一宮市立小中学校区一覧表(平成29年5月27日現在)
- ^ “7月6日 メッセージをいただきました(交通教室)”. 朝西小日記. 一宮市立朝日西小学校 (2014年7月6日). 2023年11月21日閲覧。