三ヶ島村
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みかじまむら 三ヶ島村 | |
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廃止日 | 1955年(昭和30年)4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 三ヶ島村、柳瀬村→所沢市 |
現在の自治体 | 所沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 入間郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,852人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 所沢市、狭山市、入間郡宮寺村、藤沢村、 |
三ヶ島村役場 | |
所在地 | 埼玉県入間郡三ヶ島村 |
座標 | 北緯35度47分52秒 東経139度24分15秒 / 北緯35.79764度 東経139.40403度座標: 北緯35度47分52秒 東経139度24分15秒 / 北緯35.79764度 東経139.40403度 |
ウィキプロジェクト |
三ヶ島村(みかじまむら)は、埼玉県入間郡にあった村。現在の所沢市西部にあたり、1955年(昭和30年)に柳瀬村とともに所沢市へ編入され消滅した。
地理
[編集]狭山丘陵の北麓に位置する。現在の所沢市三ヶ島、堀之内、糀谷、林、和ヶ原、狭山ヶ丘、東狭山ヶ丘、西狭山ヶ丘、若狭が、ほぼ旧村域にあたる。[1]
歴史
[編集]旧石器時代の遺跡として砂川遺跡があり、出土品は国指定重要文化財となっている[1]。三ヶ島の名は原野の中にあたかも3つの島のように集落があったことに由来し、かつて西島、中島、東島という呼び名があったという[2]。中世には入東郡宮寺郷、近世には入間郡山口領に属していた[1]。17世紀に三ヶ島堀之内村を分村した[1]。林村も三ヶ島村の枝郷。糀谷村はもとは宮寺郷で17世紀に分村した[1]。天領および旗本3氏(沢、武蔵、久松)の相給であり[1]、明治維新に際しては品川県を経て韮山県の所轄となる[3]。
- 明治4年11月14日(1871年12月25日) - 入間県の所轄となる(第1次府県統合)[4]。
- 明治5年(1872年)5月 - 第3大区3小区に属する(大区小区制)[3]。
- 1873年(明治6年)6月15日 - 熊谷県の所轄となり(明治6年太政官布告第214号)、南第3大区3小区に属する。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 埼玉県の所轄となる(第2次府県統合)。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法施行により入間郡に属する。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 三ヶ島村、三ヶ島堀之内村、糀谷村、林村、北野村の5村を管轄とする、三ヶ島村連合戸長役場が設置される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、旧来の三ヶ島村、三ヶ島堀之内村、糀谷村、林村が合併し発足。
- 1934年(昭和9年)10月1日 - 立川飛行場飛行第5連隊の演習中、九一式戦闘機1機がエンジン故障により小学校脇の畑に墜落。搭乗員は脱出して無事だった。[5]
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 所沢市へ編入。同日三ヶ島村廃止。
経済
[編集]寺社
[編集]- 村社 中氷川神社 - 大字三ヶ島(現・三ヶ島五丁目1691-1)
- 村社 八幡神社 - 大字糀谷(現・糀谷78)
- 村社 林神社 - 大字林(現・林一丁目383)
- 妙善院 - 大字三ヶ島(現・三ヶ島三丁目1410)
- 寳玉院 - 大字三ヶ島(現・三ヶ島三丁目1167)
- 常楽院 - 大字三ヶ島(現・三ヶ島二丁目667)
- 金仙寺 - 大字三ヶ島堀之内(現・堀之内343)
- 松林寺 - 大字林(現・林二丁目147)
教育
[編集]- 村立三ヶ島小学校(所沢市立三ヶ島小学校)
- 1902年創立
- 村立三ヶ島中学校(所沢市立三ヶ島中学校)
- 1947年学校教育法施行により設立
交通
[編集]鉄道
[編集]- 1915年に元狭山駅として開業、間もなく三ヶ島村駅に改称、1933年より現駅名。
出身人物
[編集]- 三ヶ島葭子 - 歌人
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『埼玉県の地名』 11巻、平凡社〈日本歴史地名大系〉、1993年。ISBN 4-582-49011-5。
- ^ 新編武蔵風土記稿 三ヶ島村.
- ^ a b 安部立郎『入間郡誌』謙受堂書店、1913年、362-367頁。NDLJP:950559/211。
- ^ 明治4年太政官布告第594号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 「立川機墜落」『読売新聞』1934年10月2日、夕刊2面。
- ^ “狭山銀行”. 銀行変遷史データベース. 全国銀行協会. 2021年7月23日閲覧。