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三戸古村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みとこそん
三戸古村
廃止日 1918年4月1日
廃止理由 新設合併
大路村三戸古村米里村
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
岩美郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 855
鳥取県統計書、1917年)
隣接自治体 大路村、倉田村津ノ井村
八頭郡河原村賀茂村国中村
三戸古村役場
所在地 鳥取県岩美郡大路村大字東大路
(大路村三戸古村組合役場)
座標 北緯35度27分33秒 東経134度14分19秒 / 北緯35.45906度 東経134.23869度 / 35.45906; 134.23869座標: 北緯35度27分33秒 東経134度14分19秒 / 北緯35.45906度 東経134.23869度 / 35.45906; 134.23869
特記事項 座標は現在の米里地区公民館位置
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三戸古村(みとこそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは邑美郡に属した。

概要

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現在の鳥取市美和・古郡家・久末・越路、および南栄町の一部(1976年に久末の一部などから発足[1][2])に相当する。千代川支流の大路川中・上流域に位置した。

藩政時代には鳥取藩領の邑美郡三戸古保(みとこのほ)に属する美和村・古郡家村・久末村・越路村があった[3][4]

越路(こえじ)には鎌倉時代より伝わるとされる越路の雨乞踊があり、降雨の願掛けが叶った際に感謝の印として越路神社に奉納する[5]

沿革

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  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年) - 東大路村に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、美和村・古郡家村・久末村・越路村が合併して村制施行し、三戸古村が発足。旧村名を継承した4大字を編成。大路村との組合役場を同村大字東大路村に設置[6][7]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡三戸古村となる。
  • 1914年(大正3年)10月1日 - 「三戸古村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「三戸古村大字◯◯」と改称[8]
  • 1918年(大正7年)4月1日 - 大路村と合併して米里村が発足。同日三戸古村廃止[3]

行政

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歴代組合村長

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教育

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交通

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  • 若桜往来筋(雲山 - 東大路 - 久末 - 船木):後に若桜街道(現在の県道323号)が整備されるまでの旧道[9]

脚注

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  1. ^ 「鳥取県告示第98号・町の区域の新設等(鳥取市南栄町 外)」『鳥取県公報 第4720号』1976年2月10日鳥取県立公文書館
  2. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「南栄町(近代)」
  3. ^ a b 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
  4. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「三戸古保(近世)」
  5. ^ 越路の雨乞踊(文化遺産オンライン)
  6. ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
  7. ^ 鳥取県町村合併誌102頁(鳥取県、1964年)
  8. ^ 「字名改称」『官報』1914年9月21日国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 米里誌(米里誌編集委員会、2012年)

関連項目

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