広島県立三次高等学校
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広島県立三次中学校・高等学校 | |
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北緯34度48分15.6秒 東経132度52分10.8秒 / 北緯34.804333度 東経132.869667度座標: 北緯34度48分15.6秒 東経132度52分10.8秒 / 北緯34.804333度 東経132.869667度 | |
過去の名称 | 広島県三次高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島県 |
併合学校 |
広島県三次高等学校 広島県三次西高等学校 |
校訓 | 一校一和 |
設立年月日 | 1898年 |
創立記念日 | 4月20日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 |
学年制 (全日制) 単位制 (定時制) (夜間) |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D134210000462 |
高校コード | 34167D |
所在地 | 〒728-0017 |
広島県三次市南畑敷町155 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島県立三次高等学校(ひろしまけんりつ みよしこうとうがっこう)は、広島県三次市南畑敷町に所在する公立の高等学校。略称は「三高」(さんこう)。広島県立三次中学校を併設している。
概要
[編集]- 歴史
- 1898年(明治31年)創立の旧制中学校と1908年(明治41年)創立の高等女学校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革によりそれぞれ男女別学の新制高等学校に移行。翌1949年(昭和24年)には両校が統合され、男女共学を開始。2013年(平成25年)に創立115周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 校訓
- 「一校一和」
- 校章
- 1953年(昭和28年)に制定。旧・三次高校(男子校)の校章と旧・三次西高校(女子校)の校章を組み合わせたデザインとなった。
- 校歌
- 作詞は井上三喜夫、作曲は戸塚烈による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「三次高校」が登場する。
沿革
[編集]- 旧制中学校(男子校)時代
- 1898年(明治31年)
- 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の改正により、「広島県立第三中学校」に改称。
- 1901年(明治34年)6月11日 - 「広島県立三次中学校」と改称。
- 1907年(明治40年)4月 - 小学校令の改正により、入学資格が尋常小学校を卒業した12歳以上の男子となる。
- 1937年(昭和12年)12月12日 - 武道場が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、入学資格が国民学校初等科を卒業した12歳以上の男子となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1が相当)となる。
- 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前に入学した生徒にも修業年限4年が適用される。
- 1945年(昭和20年)3月 - 1940年(昭和15年)に入学した5年生と1941年(昭和16年)に入学した4年生の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制)が実施される。
- 旧制中学校としての募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革により旧制中学校は廃止され、新制高等学校「広島県三次高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 高等女学校時代
- 1908年(明治41年)4月15日 - 「双三郡技芸女学校」が創立。
- 1920年(大正9年)4月1日 - 「双三郡立高等女学校」と改称。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 「広島県立三次高等女学校」と改称。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制)が実施される。
- 高等女学校としての募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)12月15日 - 作木分校、新校舎が完成。
- 1952年(昭和27年)9月11日 - 君田分校、新校舎が完成。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 広島県塩町高等学校から定時制・布野分校が移管される。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 定時制分校3校(君田・作木・布野)を定時制から全日制に転換。
- 1968年(昭和43年)
- 1972年(昭和47年)1月 - 特別教室・普通教室(第一期工事)が完成。
- 1973年(昭和48年)3月 - 特別教室・普通教室(第二期工事)が完成。
- 1974年(昭和49年)5月 - 管理室・普通教室が完成。
- 1975年(昭和50年)6月 - 管理室・普通教室が完成。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)3月 - 理科特別教室を増築。
- 1979年(昭和54年)3月 - 理科特別教室を増築。
- 1980年(昭和55年)3月31日 - 君田分校と布野分校を廃止。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 作木分校を廃止。
- 1988年(昭和63年)6月 - 新・三高会館が完成。
- 1990年(平成2年)8月 - 第2体育館が完成。
- 1991年(平成3年)総合選抜を廃止し、単独選抜を開始。
- 1993年(平成5年)3月 - プール、格技場を改修。
- 1998年(平成10年)
- 3月31日 - 商業科を廃止。寄宿舎を改修。教育資料館が完成。
- 4月26日 - 創立100周年式典を挙行。
- 6月30日 - 横断陸橋が完成。
- 2001年(平成13年)- エレベータを設置。
- 2003年(平成15年)4月 - 普通科理数コースを設置。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 理数コースを廃止。
- 2014年(平成26年)- 武道場が完成。
- 2017年(平成29年)中高一貫校となることが決定。
- 2018年(平成30年)
- 4月21日 - 創立120周年式典を挙行。
- 2019年(平成31年)広島県立三次中学校を創立し、中高一貫校化。
著名な出身者
[編集]- 柏村武昭 - タレント、元参議院議員
- 梵英心 - 元プロ野球選手、2006年新人王、2010年盗塁王・ゴールデングラブ賞
- 中重勝 - ライフル射撃選手。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪代表
- 金藤理絵 - 競泳選手、北京オリンピック、リオデジャネイロオリンピック日本代表選手
- YORI - DA PUMP
- 永川光浩 - 元プロ野球選手
- 倉田百三 - 劇作家、評論家、哲学者、国家主義者
- 中村憲吉 - 歌人(「アララギ」所属)
- 桑原正紀 - 歌人(「コスモス」所属)
- 正木亮 - 刑法学者、弁護士
- 野村秀雄 - ジャーナリスト、第8代NHK会長、元朝日新聞社社長
- 佐々木吉郎 - 経営学者、元明治大学総長、札幌大学初代学長
- 藤井深造 - 実業家、新生三菱重工業初代社長
- 岩本義行 - 元プロ野球選手(中退)
- 島田虔次 - 中国思想史学者
- 森滝市郎 - 原水爆禁止運動に尽力
- 稲垣人司 - 元高校野球監督
- 竹河内捷次 - 元統合幕僚会議議長
- 坂井義則 - 陸上選手、1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。
- 増田和俊 - 元三次市長、元作木村長
- 児玉正憲 - 日本生産管理学会会長、前広島修道大学学長、九州大学名誉教授
- 浅原利正 - 広島大学学長
- 高橋浩之 - 新潟農事試験場水稲育種指定試験地主任技師、コシヒカリの生みの親
- 長谷部成彦 - 俳優
- 河名真寿斗 - レスリング選手
- 新宅冨士夫 - 元広島テレビアナウンサー、三次ケーブルビジョン社長
- 小路紘史 - 映画監督
- 榎尾義男 - 旧海軍軍人、旧制三次中卒
脚注
[編集]この節の加筆が望まれています。 |