下根 (佐倉市)
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下根 | |
---|---|
北緯35度43分56.6秒 東経140度13分27.0秒 / 北緯35.732389度 東経140.224167度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 佐倉市 |
地区 | 佐倉地区 |
標高 | 15 m |
人口 | |
• 合計 | 142人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0006[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は下根公会堂付近 |
下根(しもね)は、千葉県佐倉市の大字。郵便番号285-0006[2]。
地理
[編集]北から東は岩名、南は山崎、西は鹿島干拓、北西は飯野、下根町に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 石井戸(いしいど)
- 蔵の下(くらのした)
- 竹の内(たけのうち)
- 水神(すいじん)
- 西口(にしぐち)
- 土手鼻(どてばな)
- 大下(おおした)
- 人形塚(にんぎょうづか)
- 上代(かみだい)
歴史
[編集]江戸期は下根村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」106石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに115石余。宝永4年の水帳によれば、反別田1町余・畑4町余、名請人31(佐倉市史2)。安政4年「領分村高帳」によれば、小物成として夫役永318文余・栗代永67文・山銭鐚250文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。佐倉牧のうち柳沢牧野付村の1つ(佐倉市史1)。文久3年佐倉藩の江戸詰家臣の引き揚げに際し、村内北部の一部が引揚げ家臣の屋敷地として分与された。この部分はのち明治5年下根町として分村。明治6年千葉県所属。神社は山王神社、ほかに観音堂・不動堂(印旛郡誌)。明治22年内郷村の大字となる[5]。
年表
[編集]- 1872年(明治5年) - 下根村の一部が下根町として分村[5]。
- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 内郷村大字下根となる。
- 1937年(昭和12年)2月11日 - 佐倉町大字下根となる。
- 佐倉町・内郷村が合併し、佐倉町が発足。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 佐倉市下根となる。
- 1954年(昭和29年) - 大部分が佐倉市下根に編入[5]。
- 1980年(昭和55年) - 下根の一部が宮前一丁目となる[5]。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下根 | 65世帯 | 142人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 佐倉市立内郷小学校[6] | 佐倉市立佐倉中学校[7] |
施設
[編集]- 下根公会堂
- 山王神社
交通
[編集]バス
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1398頁
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 450頁
- ^ 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-01-13閲覧。
- ^ 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-01-13閲覧。
- ^ 佐倉市循環バスについて|千葉県佐倉市公式ウィブサイト、2014-01-13閲覧。
- ^ 佐倉市循環バス時刻表(平成25年4月1日現在)|千葉県佐倉市公式ウィブサイト、2014-01-13閲覧。
- ^ 佐倉市循環バス運行路線図|千葉県佐倉市公式ウィブサイト、2014-01-13閲覧。
外部リンク
[編集]飯野、下根町 | 岩名 | |||
鹿島干拓 | ||||
下根 | ||||
山崎 |