先崎
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先崎 | |
---|---|
北緯35度45分4.8秒 東経140度9分20.6秒 / 北緯35.751333度 東経140.155722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 佐倉市 |
地区 | 志津地区 |
標高 | 8 m |
人口 | |
• 合計 | 285人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0851[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は先崎會舘付近 |
先崎(まっさき)は、千葉県佐倉市の大字。郵便番号285-0851[2]。
地理
[編集]北は先崎干拓、東は小竹干拓、南東は小竹、南は青菅、南西は八千代市下高野、西は八千代市保品に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 子の橋(ねのはし)
- 中の宮(なかのみや)
- 下田(しもだ)
- 細町(ほそまち)
- 久保台(くぼだい)
- 木の宮(きのみや)
- 屋明田(やめいだ)
- 高塚(たかつか)
- 柳島(やなぎしま)
- 浜田(はまだ)
- 郷(ごう)
- 天王(てんのう)
- 作花(さくはな)
- 馬坂(うまさか)
- 栗下(くりした)
- 堂下(どうした)
- 堂谷津(どうやつ)
- 領替(りょうがえ)
- 宮の越(みやのこし)
- 西原(にしはら)
- 西谷津(にしやつ)
- 古内(ふるち)
歴史
[編集]江戸期は先崎村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。なお、万治元年~寛文元年は幕府領(印旛郡誌)。村高は「元禄郷帳」131石余、「天保郷帳」188石余、「旧高旧領」190石余。安政4年「領分村高帳」によれば、村高のうち高19石余は諸役御免で小物成として夫役永380文余・菅銭永700文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。同8年の耕地面積は多14町1反余・畑12町1反余(佐倉市史2)。神社は鷲神社など、寺院は臨済宗雲祥寺・宝樹院(印旛郡誌)。明治22年志津村の大字となる[5]。
年表
[編集]世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
先崎 | 124世帯 | 285人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 佐倉市立青菅小学校[6] | 佐倉市立井野中学校[7] |
施設
[編集]- 先崎會舘
- 雲祥寺
- 信澄寺
- 鷲神社
脚注
[編集]- ^ a b “町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1397頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 787頁
- ^ 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
- ^ 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
先崎干拓 | ||||
八千代市保品 | 小竹干拓 | |||
先崎 | ||||
八千代市下高野 | 青菅 | 小竹 |