中沢茂一
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中沢 茂一(なかざわ もいち、1912年(明治45年)5月5日 - 2004年(平成16年)11月20日)は、衆議院議員(日本社会党)。
来歴
[編集]長野県上水内郡芋井村(現長野市)生まれ。昭和12年(1937年)日本大学政治学科卒。桜田製作所に入社し、保険組合常務となり、同19年(1944年)奥田製油所南方総局長兼シンガポール所長として現地に赴任、敗戦で帰国した。同22年(1947年)米倉龍也の秘書となり、長野県農協連合会嘱託、県農民連盟常任参与、信越林産工業協同組合理事長などを歴任した。
昭和27年(1952年)第25回衆議院議員総選挙に長野県第1区から初当選し、同47年(1972年)の第33回衆議院議員総選挙まで断続的に通算8回当選を果たし、主に農政問題に尽力した。日本社会党長野県本部顧問を長く務め、同49年(1974年)から同52年(1977年)まで党中央本部統制委員長となり、衆議院予算委員会理事、社会党政策審議会副会長などを歴任した。
著書
[編集]- 『新ヒューマニズム論 ヒューマニズムの哲学と感性の探究』勁草書房、1992年。
- 『人間性の燃える炎がヒューマニズム』文芸社、2001年。